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魔王様の娘  作者: 神崎右京
第七章

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141、王都へ②

「あれ、今日のお迎え、ゼルカヴィアさんじゃないの?」

「え?――あっ!」


 迎えの馬車が止まっている正門を目指していつものメンバーで歩いていると、マナリーアが一番最初に気づいて声を上げた。そちらを見て、一拍遅れてアリアネルも声を上げる。

 馬車の脇で優し気な微笑を湛えて少女を待っているのは、いつもの執事服を着た長身のゼルカヴィアではなく、鋼色の髪をオールバックにピシッとセットした、黄金色の垂れ眼の紳士だった。


(ミュルソス――って口に出したら、シグルトとマナに怪訝な顔をされちゃうよね……?)


 魔族の名前は、本人が許可しない限り、意味不明な音の羅列にしか聞こえない。

 魔族学の教本には、ミュルソスの名は載っていなかった。おそらく、まだ人間たちは黄金を司る上級魔族の名前を解明していないに違いない。

 つまり、ここでアリアネルが”ミュルソス”と名を口にすれば、意味不明な音の羅列を耳にした友人二人は怪訝な顔をすることになる、ということだ。


(ミヴァは、日常生活がままならなくなるし、そもそも魔族だとばれる心配が殆どないから、学園にいる人間には名前を知られることを許可してるって言ってたし、ゼルは――誰に知られたってかまわない、って本人が言ってたから、たぶん、大丈夫なんだろうけど……)


 いつもの飄々とした様子で嘯く親代わりの青年の顔を思い出しながら、アリアネルはどうやって現状を切り抜けようかと考える。

 ミュルソスはオゥゾやルミィと同じく、本来魔王城に勤める古参の上級魔族だ。

 彼の固有魔法は容易く人間界を混乱に陥れることが出来ることは勿論、柔和な外見からは想像できないくらい、戦闘能力も十二分に高い。魔王城における財政管理を一手に担っているだけあって、頭の回転も驚くほどに早かった。

 そんなミュルソスの名前は、例え格下のシグルトやマナリーアに知られたところで拒否が出来るとはいえ、知られぬようにした方が無難だろう。

 少し考えた後、アリアネルは以前、ゼルカヴィアと打ち合わせた設定を思い出して、口を開いた。


「えっとね。……あれは、うちの、執事長なの」

「執事長?」

「うん。とっても優秀で、優しくて、尊敬できる人なんだよ!」


 役職を告げることで固有名詞を口にすることなく切り抜ける。

 友人二人が、目の前の紳士が魔族学の授業で『極悪』と評された黄金の魔族と同一の存在だと知る由もないことは承知の上で、少しでもミュルソスの素晴らしさを伝えたくて強く訴える。


「……アンタの家って、もしかして、従者を全員顔で採用決めてるの?」

「へ?」


 唐突なマナリーアの発言に、間抜けな声を返す。

 見れば友人は、フロックコートを着こなす長身の紳士を眺めて、呆気に取られたような顔をしていた。


「ゼルカヴィアさんもだけど、そこにいるミヴァも、あの執事長も。噂では、一回だけ迎えに来てくれたメイドの爆乳お姉さんだって、めちゃくちゃ美人だったって言うし」

「あぁ……そんなことはない、とは思うけど……パパが整った顔の人が好きなのは、本当かも」


 苦笑しながら認めると、ミヴァが焦ったようにアリアネルを振り仰ぐ。魔王を褒めたたえるニュアンスとは違う色を感じ取ったからだろう。

 宥めるように小さな猫顔の娘の頭を撫でてから、アリアネルは笑顔で付け足す。


「でも、一番格好いいのは、絶対にパパだから!」

「清々しいまでのイイ笑顔だな……」

「アリィに絶賛される”パパ”……ここまで来たら、一度でいいから見てみたいわね……」


 二人の呆れたようなツッコミが空虚に響く。少女のファザコンは筋金入りだ。きっと今年も、初夏の太陽祭では、報われぬ返答に涙を呑む男子生徒が多いだろう。


「っていうか……執事長、っていうくらいだから、おじいさんとかをイメージしてた。随分と若いのね」

「ぅ……うぅん……年齢については聞いたことないなぁ……」


 嘘ではない。……おそらく数千歳なのだろう、と予想がついているだけだ。


「おかえりなさいませ。アリアネル嬢」

「うん、ただいま。今日、ゼルは?」

「ゼルカヴィア殿は別件の仕事が忙しいとのことで、私が代わりの迎えを頼まれたのですよ」


 いつも通りの柔和な笑みを湛えながら、紳士は美しい所作でアリアネルを馬車へとエスコートする。

 どこかミステリアスな空気を纏う垂れ目の美丈夫の洗練された所作に、思わずシグルトもマナリーアも感心してしまう。さすが、あの豪邸を取り仕切る執事長を務める男だ。

 アリアネルをエスコートし終えて自分も馬車へと乗り込む一瞬、紳士の黄金の瞳がすいっ――とアリアネルの学友らに向いた。

 悪魔に魅入られたような怪しい美しさに、ドキリ、と心臓が不穏な音を立てるが、執事長という美丈夫はそのまま何も言葉を発さぬまま、馬車へと滑り込む。


「じゃあ、二人とも、また明日ね」

「お、おう」

「また明日」


 挨拶を交わすと、馬車がゆっくりと走り出す。


「……はぁっ……何とか切り抜けたぁ……」


 二人の姿が遠ざかったのをしっかり見届けてから、アリアネルは車内で安堵の息をつく。


「いきなりミュルソスが来るんだもん。びっくりして名前呼びそうになっちゃった」

「おや。そんなことを気にしてくれていたのですか」

「そりゃそうだよ。いくらミュルソスが強い魔族でも、意味もなくリスクを犯す必要はないでしょ?」

「ふふ。相変わらず、砂糖菓子のように甘い人ですね、アリアネル嬢は」

「もう……ミュルソスは、砂糖菓子なんて食べたことないくせに」


 ミュルソスは山奥の屋敷を拠点として、魔界に浸透した『娯楽』の文化の大部分を占める食事事情を支えるために、食材供給の一端を担っているが、本人は固形物を口にすることを好まないらしい。

 その代わり、美術品や骨董品といったものを集めることに興味を示したらしく、人間界の経済を混乱させない程度に、時折調達に出掛けては山の上の屋敷に溜め込んでいる、とゼルカヴィアが言っていたのを思い出す。


「ところで、アリアネル嬢。今日は急ぎで城に帰らねばならない用事はありますか?」

「え?……ううん、特にないよ。どうかしたの?」

「それは良かった。……少し、寄り道をしてもいいですか?ロォヌが調味料の買い出しに行きたいと言っているのですが、貴女を魔界に送り届けていては、店が閉まるまでに間に合わないかもしれないのです」

「え、ほんと!?うん、一緒に行く!ロォヌとのお買い物、私も大好き!」


 パァッとわかりやすく顔を輝かせるアリアネルに苦笑に近い笑みを向けてから、ミュルソスは口の中で呪文を唱え始める。

 アリアネルがまだ学園に通い始める前――人間界の空気に慣れるために、ロォヌの買い出しに何度もついていった記憶がある。

 行く市場はいつも決まっている。世界でも有数の交易港の近くに位置するそれは、様々な人も物も文化も入り乱れて、たいそう賑やかな反面、裏路地など陽の差さない箇所の闇は濃く、あまり治安もよくない街だ。

 故に、一定量の瘴気が常に満ちているため、中級程度の力しか持たないロォヌでも問題なく活動が出来ることに加え、魔界の瘴気に慣れきってしまったアリアネルを少しずつ人間界の空気に慣れさせるためには、最適の場所だったのだ。


転移門ゲート


 森の中に入ったことを確認してから、ミュルソスが呪文を唱え終えると、ヴン……と聞き馴染んだ重低音の唸りと共に、ガラリと視界が一変する。

 窓を開ければ、海が近いためか、潮の匂いが風に乗って運ばれてきていた。


「わぁ……!」


 久しぶりの遠出の買い出しに、アリアネルはキラキラと眩しい笑顔で、遠くに見える賑やかな街並みを眺めながら歓声を上げていた。


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