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魔王様の娘  作者: 神崎右京
第六章

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139/350

139、【断章】お兄ちゃんとゼルカヴィア②

「当たり前でしょう。人間ではあるまいし。こんな、激しい運動をしたらすぐに吹っ飛んでしまいそうなものを掛けていないと視界がぼやけるなどという事態になれば、戦闘では戦力外通告を受けます。野外活動でも支障をきたすでしょう。魔王様の右腕として相応しくないどころか、上級魔族としても役立たずの極みです」

「そ、そう言われてみればそっか。あんまり深く考えたことなかったけど、確かに、ゼル以外の魔族で眼鏡をかけてる人なんて、見たことないね」

「そういうことです」


 ゼルカヴィアは寝台からするりと音もなく抜け出すと、慣れた手つきで腰まで届く癖のない長髪を一つに束ねる。

 いつもの隙の無い仕事着でも、擬態のために身に着ける執事服でもない、彼のゆるっとした寝間着姿はとても貴重だ。幼い頃はよく見ていたはずだが、別々に眠るようになってからは一度も見なくなってしまった。

 髪を束ねる袖から覗く筋肉質な両腕や、くつろげるように開いた胸元から覗く意外としっかりとした大胸筋は、一見細身に見える彼が、実は戦闘においても魔族最強の名を恣にしている理由を裏付ける。


(顔は中性的なのに、身体は意外と男の人っぽいの、意外だなぁ)


「何を呆けているのですか。今日も、学園に行くのでしょう。早く部屋に帰って支度をしたらどうですか」

「あ、う、うん」


 育ての親にも等しいゼルカヴィアの外見特徴を、敢えてまじまじと観察したことなど無かったせいで、つい見入ってしまっていた。

 アリアネルは焦って広い寝台から抜け出し、ソファの上にきちんと畳んで置かれていたショールを手に取る。どうやら、アリアネルが眠った後、”お兄ちゃん”か明け方に戻ってきたゼルカヴィアが、床に落ちていたそれを拾い上げてくれたらしい。几帳面な性格はゼルカヴィアも”影”も変わらぬようだ。


「そういえば、ゼル」

「はい。なんですか?」


 均整の取れた上半身を晒すことに恥じらう様子もなく、当たり前のような顔で皺ひとつないシャツを羽織りながら身支度を整えるゼルカヴィアに、アリアネルは思いついたように問いかける。


「昨日、お兄ちゃんと話したんだけど――私、ゼルやパパが集められない情報を集めたいと思うの」

「あぁ……はい。そんなことを言っていたようですね」

「正天使をおびき出す囮になる……って言ったら、すごい剣幕で反対されちゃったから、せめてそれくらいは、って思って」

「そうですか。……私も同意見です。加護がある以上、十五歳になるまでは、私も含めて、貴女を戦闘で正面切って打ち破るのは骨が折れます。もしも貴女が下手に敵の手に落ちて、絶対無敵の盾として使われでもしたら、厄介ですから」

「むぅ……私を心配してくれてるわけじゃないんだ?」

「おや。それは昨日、貴女が大好きな”お兄ちゃん”がたっぷりしてくれたでしょう?」


 眼鏡の位置を慣れた手つきで直しながらニヤリ、と笑う顔は、いつものゼルカヴィアだ。

 アリアネルは嘆息して「まぁいいけど」と呟きながら、手にしたショールを肩に巻き付ける。


「だから、これからは――パパとゼルが集められない、私にしか集められないような情報があったら、教えてね」

「ふむ。そうですねぇ……差し当たって今すぐに、という観点で言うと――」


 深緑の瞳を軽く宙へと彷徨わせながら、ゼルカヴィアは何かを考える。


「――王都」

「ぅん?」

「王都は、我々にとって、未知の領域です。聖気が濃厚に渦巻いているため、普通の魔族はおいそれと近づくことは出来ませんし――あの街は、封天使が直々に施したという特殊な魔法で、天使以外の人ならざる存在を退ける結界が張られていますからね。聖気が濃い場所でも最低限の活動が可能な私も魔王様も、近づくことが出来ません」


 ゼルカヴィアの言葉に、アリアネルは授業で教わった内容を思い出す。

 その昔、封天使が王都の神殿に顕現し、ル=ガルト神聖王国の恒久の繁栄を願って、王都全体に天使以外の人ならざる存在を退ける結界を施したと言う。

 それはつまり、魔族や竜――既に天使ではなくなった魔王もまた、結界の中に入れないということだ。


(たぶん、パパが干渉して解除できないってことは、封天使の固有魔法なんだよね……それは確かに、私しか出来ない情報収集かも――!)


「勿論、聖気が色濃いですから、貴女も体調を崩す可能性は大いにあります。魔族が入れない以上、ミヴァを連れて行くことも出来ないでしょう。容易い任務とは言えませんが、貴女がやる気だというのなら、任せます」

「うん!頑張るよ!」


 ぐっと拳を握って、鼻息荒く二つ返事で請け負う。

 天使が魔界勢力に気付かれずに悪だくみをするなら、王都ほど格好の場所はない。それも、天使が歴史上何度も顕現しているという神殿には、きっと何かがあるはずだと思えた。


「任せておいて!」

「まぁ……期待せずに任せてみることにしましょう。無理は禁物ですよ。――”お兄ちゃん”が心配しますから」

「もう……ゼルだって、ホントは同じくらい心配してくれる癖に」


 主に似て素直ではないゼルカヴィアに唇を尖らせた後、アリアネルはショールを翻しながら、笑顔で馴染みの部屋を後にしたのだった。


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