134、再会④
「いつか――シグルトやマナリーアと戦わなきゃいけないんだ、って思ったら……その時、私は、ちゃんと戦えるのかな……」
ぎゅっと青年の服を握り締めて、アリアネルは不安を吐露する。
リアネという少女が死んだと聞いて、ショックを受けたのは事実だった。そして、シグルトとマナリーアが生きて帰ったと聞いて、安堵したのもまた、事実だった。
もしも自分が魔族であれば、そんなことはあり得ない。――人間の死ごときに、胸を痛める必要はないし、将来勇者一行として魔界を訪れる人間の生還は、むしろ憎むべきものなのだから。
「この数年で、力のある魔族たちが暴走することが多くなってるんでしょ?」
「そうですね」
「それで――魔族の数も、どんどん減ってるって、聞いたよ」
「……その通りです。嘆かわしいことですね」
「パパが新しい魔族を生み出すサイクルよりも早く死んでいくから、使える魔法も減っちゃうし……次の魔界侵攻は、きっと、勇者一行に、今までよりも深いところまで侵攻されちゃうんじゃないかって、思っちゃうの……」
「悔しいですが、その通りでしょうね」
青年は静かに少女の言葉を肯定する。
魔族一人一人に付与されている魔法は、その魔族が死ねば、一度それを造り出した魔王の預かりになる。
しかし、魔王はすべての魔族にとって上位の存在だ。名前を知る者も存在しない。故に、彼の通称を口にして助力を乞うという形でしか行使できなくなる。
例えばヴァイゼルの鋼を生み出す魔法も同様だ。
かつて彼の名を知っていた魔族ら――基本的には、同等以上の力を持つ魔族たち――は、ヴァイゼルの名を口にして、強制する形でヴァイゼルの魔法をヴァイゼルが行使するのと同様の練度と強度で使うことが出来た。
だが、その魔法が魔王預かりとなってしまった今、魔法の行使は助力を乞う形でしか敵わなくなる。名前を持って命じることが出来ぬ魔法は、威力も練度も圧倒的に劣るのだ。戦闘に使うには、今までより使える幅が狭くなることだろう。
個々の戦闘力だけで見れば、瘴気が渦巻く魔界で戦うという圧倒的に有利な条件もあり、魔界勢力が勇者一行に劣ることはないだろう。
だが、問題はその戦い方だ。
行使できる魔法のバリエーションが減れば、苦戦する場面も出てくるかもしれない。
それ以上に、単純に魔族の頭数が減っているのだ。
新しい魔族を生み直そうとしても、それが強力な魔族であればあるほど、生成に時間を要する。前例のないミヴァを作る時は、中級だったにもかかわらず、ひと月以上もかかったくらいだ。上級魔族を作ろうと思えば、いったいどれくらいの期間、地下に籠らねばならないかわからない。
(でも――長く籠ってる暇なんかないくらいの頻度で、新しく暴走する魔族の情報が出て来るんだもんね……)
暴走した魔族の処罰は、魔王の決断によってなされる。
魔族にとって、絶対に”正しい”と全員が認めるのは、自分たちを生み出した魔王による決断だけだ。仮に、魔族の中では最高位の序列であるゼルカヴィアが、状況から判断し、処罰を決定したとしても、「ゼルカヴィアの独断だったのでは」という意見が出るリスクはぬぐえない。
故に、頻繁に暴走する魔族が現れる今、魔王が地下に籠ってかかりきりになってしまえば、魔族を処罰する決断をする者が不在となり、状況は悪化の一途をたどる。
魔王やゼルカヴィアが日々、忙しく過ごしているのはそうした背景があるだろう。
「勇者による魔界侵攻は、最短で約二年後――今のペースで処罰する対象が増えて行けば、あまり愉快な状況にはならないでしょうね」
所詮、勇者は人間だ。圧倒的な戦闘能力の差がある以上、魔王が討たれるなどと言うことはないだろう。
しかし、そんなことはどうでもいい。世界の秩序が乱れることの方が何百倍も深刻な問題なのだ。
魔族の数が減れば、人間界で生まれた瘴気を吸収することが出来なくなる。人間界は瘴気であふれ、負の感情が連鎖し、争いが絶えない無秩序な世界が広がっていくだろう。
魔王が魔族を生んだのは、それが必要悪であると考えたからだ。
魔族は、瘴気を糧にするという性質上、人間を脅かすこともあるが、人間界に増えすぎた瘴気を分解してくれるという側面も大きい。
人間という種族が太古の昔よりも繫栄し、個体数を増やしたことで、比例するように瘴気の量も増えて行った。それゆえ、魔王が魔界に堕とされるよりも昔――ただ瘴気の吹き溜まりとして魔界に閉じ込めるだけで事足りていた時代と同じ仕組みでは、世界は円滑に回っていかない。
魔族を生み出し、瘴気を糧に生きさせることで、人間界の瘴気を効率よく減らし、世界にとって丁度よいバランスを保たせる――それが、天界から翼をもぎ取られ魔界へと堕とされた魔王に与えられた使命なのだ。
故に、魔族の個体数が魔王の思惑以外の理由で減っていくという今のような状況は、将来的にこの魔王による世界のバランスを正常に保つためのシステムの崩壊を意味している。
勇者がどうこう、という話ではない。
このまま魔族という種族そのものの絶対数が減ってしまえば、世界に日々生み出され続ける瘴気を分解し切ることが出来ずに、人間界が混乱するのは目に見えていた。
「今でさえ、魔王様の忙しさは留まるところを知りません。ヴァイゼルの件は、それに拍車をかけました。……中級魔族が暴走して、それを平定するために信頼できる上級魔族を送り込んだら、その上級魔族も暴走して反旗を翻した――つまり、魔王様は、もはやだれも信じることが出来なくなったと言うことです」
「うん……」
「可能な限り全て、ご自身で処罰を行うしかありません。ゼルカヴィアやその他の上級魔族も、お手伝いをしたいところではありますが――何を基準に任せるに足ると判断するか、その線引きは非常に難しい所でしょう」
例えば、同時に二か所で暴走した魔族がいたとして、片方の処罰を、ゼルカヴィアに任せたとする。――今までなら、それで問題がなかった。
だが、今は状況が変わってしまった。
『ゼルカヴィアは信頼できる』と判断した理由はどこなのか、と問われたときに、魔王自身が万人が納得するような説明が出来なければいけないのだ。
オゥゾやルミィではなぜ駄目なのか。彼らでは暴走の可能性があると判断したから――というなら、なぜゼルカヴィアだけは大丈夫だと言い切れるのか。過去、同様に信頼して任せたヴァイゼルは暴走してしまったではないか――という前例に基づいた反論に答えるだけの理論武装が必要になる。
究極的には、魔王が絶対的な王者として君臨するこの魔界という特殊な世界において、「俺が決めた」と一言強く言葉を発すれば、それは正しいこととして認識されるだろう。
だが、それは魔王のあるべき姿とは大きく乖離する。
誰にも情を移すことなく、正しく、公平に、公正に――それが、魔王に与えられた『役割』なのだから。
「ゼルカヴィアも参っていますよ。今は、いうなれば魔界が誕生してから一万年の歴史の中で、類を見ない異常事態です。早々に問題を解決せねば、世界のバランスが崩れる――という最中、魔王様の貴重なリソースを、勇者ごときに割いている時間はないのですから」
「うん……」
「ですが、あの、憎き正天使は今を好機ととらえることでしょう。嬉々として魔界に攻め込む算段を進めさせるに違いありません。……そう考えると、この状態がそもそも天使による陰謀なのでは――とすら思えますが、証拠はありませんし、どうしたものかと魔王様もゼルカヴィアも悩んでいるのですよ」
「うん……私に、何かできることはある?」
青年の言う通り、人間たちが大好きな父やゼルカヴィアの邪魔になっているというならば、それを何とかするのは、人間界に違和感なく入り込むことが出来るアリアネルの役目だ。
伺うように視線を上げた少女に、青年は苦笑してそっと涙に濡れた頬を拭った。
「たった一度、親しい魔族と人間が交戦しただけで思い悩み、枕を濡らし、夜も眠れなくなるような貴女に、何が出来るのですか?」
「っ……それはそう、だけど……でもっ……!」
「気持ちだけで十分です。魔王様も、貴女に助けてもらおうだなどと思っていないでしょう」
それは、純然たる事実だろう。愚かで脆弱な人間ごときに何が出来る――と冷たい視線で言われる様が容易に想像出来てしまい、ぐっと息を飲んで思わず俯く。
困ったように嘆息してから、青年は迷った後で口を開く。
「そうですね。……しいて言うなら、情報が欲しい、でしょうか」
「情報……?」
「はい。とにかく情報が足りないのです。ここまでの異常事態は、今までにないことですし、きっと裏に何かがあるはずだ――というのは、魔王様とゼルカヴィアの総意なのですが、目まぐるしく起きる日々の対応に追われて、ゆっくりと腰を据えて情報収集をしている暇がありません」
黄色掛かった緑色の瞳が、困ったように緩められてそっとアリアネルを捕らえる。
「協力して、くれますか?」
「勿論――!私でできることなら、何でも――!」
すぐに頷くアリアネルに、青年はそっと頬を撫でる。
「本当に?……友を欺くことになったとしても?」




