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魔王様の娘  作者: 神崎右京
第一章

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13、アリアネル②

 生を受けてから幾年月――生まれて初めての子育てに、毎日死にそうになりながら取り組み、三度ほど春が過ぎたころ。

 やっと言葉の通じぬ未知の生物は、何となくの意思疎通が叶う程度の進化を見せて、ゼルカヴィアにも日常らしきものが戻ってきた。


 魔界、と言えども、突き詰めれば魔王を元首と戴く大きな一つの国家と言って相違ない。ほぼ独裁国家と言っても問題ないほどの強権の元に統制された世界だが、国をうまく回すための仕組みは必要だ。

 魔族からの陳情に目を通したり、死亡した魔族が担っていた役割の穴埋めを考えたり、飢えている魔族がいないか目を光らせたり、天界や人間界の動向を調査したり――

 数千、数万の年月を老いることなく生きる魔族にとって、たかが三年程度、ゼルカヴィアが育児のために仕事をセーブしていたからと言って、深刻な問題が起きるわけではないが、それでも滞っているタスクがあることは事実だ。


(アリアネルが、一人で遊んでくれるようになったのは大きいですね。こちらの邪魔をしてはいけないと思っているのか、仕事中は比較的静かにしてくれているのもありがたいです。言葉の発育も、人間界の平均からすれば少し早いくらいだったようですし――もしかすると、彼女はそれなりに賢い個体なのかもしれません)


 次から次へと書類を捌きながら、頭の片隅でそんなことを考える。


(次は、どうやって魔界の瘴気に慣れさせるか、ですね。勇者がやってきたときに、ヘロヘロで使えない、となっては本末転倒です。そもそも、戦わせるためには、体術や魔法を覚えさせなければいけませんし――少しずつ、この部屋の外での活動を増やしていかないと……)


 仕事をしている最中も、アリアネルの育成計画について頭の隅で想いを馳せている自分は、なかなかに毒されているような気もする。

 三年前から、望むと望まざるとにかかわらず、アリアネルという小さな命を中心とした生活を余儀なくされているようだ。

 瞳を閉じて、ふるふる、と雑念を払うように頭を振っていると――


「ぜる」


 ぐいっと上着の裾を控えめに引っ張られて、虚を突かれて下を見る。

 吸い込まれそうなほど大きな、いつも自然に潤んでいる竜胆の色をした瞳がこちらをまっすぐに見上げていた。


「どうしましたか、アリアネル」

「……おトイレ」


 少し恥ずかしそうに、もじもじしながら訴えてくる子供に、ふ、と笑みが漏れる。


「ちゃんと言えるようになって偉いですね。行きましょうか」


 ゼルカヴィアの教育ママっぷりは、恐らく人間界でも類を見ないだろう。トイレトレーニングも初期から手を付けて、すぐにマスターさせた。


「今日は、外のトイレに行きましょう。頑張れますか?」

「うんっ」


 ぽんぽん、とアイボリーの艶やかな髪を撫でながら言うと、ぐっと小さな両手を握り締めて、アリアネルは元気よく頷く。どうやら、やる気は十分らしい。

 たかがトイレ――だが、アリアネルにとっては、重要な問題だ。

 この執務室をアリアネルの育児部屋として使うようになってから、トイレも部屋に併設してもらったため、別に無理をして部屋の外に出る必要はない。しかし今日は、敢えて同じ階に作られた一番遠い位置にあるトイレへと向かう。

 それもこれも全て、来るべき日に向けて、少しずつ魔界の瘴気に慣れるため。

 ゼルカヴィアは、毎日、何かしらの理由をつけて、少しの時間、彼女と共に魔王城の中を歩く時間を設けるようにしていた。


(十五年など、我ら魔族にしてみれば、瞬きするほどの刹那の時間。時間は一秒も無駄に出来ません)


 効率廚と揶揄されても仕方がないようなことを考えて、ゼルカヴィアはアリアネルの手を取る。

 すべすべした手触りだが、少し力を入れるだけでプチッと潰してしまいそうなほど脆弱な手は、握るだけで注意が必要だ。


「行きますよ」

「うんっ」


 たかだかトイレに行くだけで、まるで冒険にでも出かけるように目を輝かせて頷くアリアネルには、思わず気が抜けてしまう。

 だがおそらく――彼女にとっては、この部屋の外に出ることは冒険に違いないのだろう。

 ゼルカヴィアは、幼女の世界の全てと言っても過言ではない執務室の扉を開けると、小さな可愛らしい柔らかな手を細心の注意を払って引きながら廊下を進む。


「今日は、何をして遊んでいたのですか?」

「ぅんとね、えっとね……積み木あそびと、お絵かきと、滑り台と――」


 なるべく気を紛らわせてやろうと話題を振ると、アリアネルは透き通った小魚のように細く可愛らしい指を折り曲げながら教えてくれる。

 どうやら、既に数の概念はあるようだ。


「あっ!ぜるに、おねがいが、あったの!」

「?……何でしょうか」


 子供の歩幅に合わせて歩くと、たったこれだけの距離もこんなに長く感じるのか――育児を始めてから気づくことが、たくさんある。

 そんなことを考えながら、アリアネルを振り返ると、キラキラとした天使のような顔で、無邪気に笑う。


「おしごと、おちついたら――えほん、よんで!」

「絵本――あぁ。昨日、私が人間界で買ってきたものでしょうか?」

「うん!アリィ、えほん、だいすき!」


 ぱぁっと眩しい笑顔を見せる幼女は、本当に絵本を気に入っているようだ。


(確か昨日買ってきたのは――人間界に古くから伝わるおとぎ話が三冊と、竜殺しの英雄の話でしたか。天使や勇者が出てくる話は、それらが正義だと礼賛された内容ばかりだったので、まだ教育上よろしくないと避けた結果、どうにも当たり障りのないものばかりのチョイスになったと思っていましたが……この様子だと、想像以上に喜んでくれたようですね)


「良いですよ。でも、今日一日良い子にしていられたら、です。夕飯も、好き嫌いをせず残さず食べられたら、寝る前に読んであげましょう」

「やったぁ!アリィ、がんばってお野菜もたべる!」


 ぴょこぴょこと喜びのあまり飛び跳ねる少女に呆れる。


 人間など、脆弱で愚かな下等生物――そう信じて疑っていないのは、今も事実のはずなのに。

 

 毎日、精一杯全力で生きているこの少女を見ていると、何だか毒気を抜かれてしまうのだ。


(全く……『魔王の右腕』が、呆れますね)


 ゼルカヴィアは気づかれないように嘆息して、舌たらずな言語しか話せない幼女を目的地まで送り届けた。


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