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魔王様の娘  作者: 神崎右京
第六章

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123、癒しと慈悲を司る天使①

 それは、十三歳の誕生日を迎える年のことだった。

 

「それでは、次回のジュヒチ地方の魔族討伐作戦に選ばれたメンバーを発表する」


 厳しい顔で教師が宣言したとき、あぁ、ついに来たのか――とマナリーアは静かに覚悟を決めた。

 学園では、聖騎士団による大掛かりな討伐作戦が組まれるとき、成績優秀者を厳選して、作戦行動に追随することがある。

 どれほど学園内で訓練を積んでも、実戦と訓練は雲泥の差だ。実戦で使い物にならない戦士など無用の長物でしかないのだから、優秀者は卒業後にすぐに作戦行動に組み込めるようにとの配慮なのだろう。

 勿論、いきなり最前線で戦わされることなど殆どない。まずは物資の補給や本陣での援護活動といったところから経験を積んで行く。もしも、卒業するまでに魔族と刃を交える部隊に参加できるようになれば、相当優秀な人材と言えるだろう。


 とはいえ、天使の加護を賜る存在は稀有だ。前線から離れたところで経験を積むのが主目的とはいえ、死の危険がないわけではないため、誰でも無制限に実地作戦に参加できるわけではない。

 ある程度身体が成熟し、最低限大人と対等に切り結べる程度になった年齢になった後、特別優秀な者の中からしか選ばれない。


 その分水嶺の年齢が、十三歳だ。

 そして、今日――その初めての沙汰が下されようとしている。


「このクラスからは、シグルト・ルーゲルと、マナリーア、リアネ。三名が対象となる」


 名前が呼ばれた瞬間、わっとクラスが騒がしくなった。

 聖騎士の作戦に組み込まれることは、これ以上ない名誉なことだ。それも、参加が可能な最年少のクラスから、初回で三名も選出されるなど、前代未聞ではないだろうか。今年は歴代でも類を見ないほど優秀な人材がそろっているというのは、本当らしい。


「よかったな、リアネ!」「頑張ってたもんね!」「おめでとう!」


 特に、第三位階の封天使の加護を得ている同級生の周りはひと際騒がしかった。

 庶民を象徴するような栗色の髪と眼を持つ美しい少女は、喜びに涙を浮かべて、次々に降り注ぐ祝福の言葉に、ありがとう、と何度も言葉を返している。


(……馬鹿馬鹿しい)


 視界の端にそれを認めながら、マナリーアは胸中で独り言ちる。

 確かに、リアネが成績優秀なことは認める。だが、選ばれたのは、単純な成績というよりも、封天使の加護を持つという側面が大きいだろう。

 加護を受けた子供は、己に力を与えた天使が司る魔法の行使に長ける。それが、加護が”寵愛”と呼ばれることもある理由の一つだ。

 特別に天使に目をかけられた存在である子供らは、その寵愛のおかげで、天使に守られ、愛される。

 封天使の魔法は、戦地で防御に特化した能力を発揮する。後衛に配属されることしか想定されていない学園の選抜メンバーとしては、まさに適任と言えよう。

 おまけに、加護がついている以上、十五歳までは外敵からの攻撃を全自動で防ぐ便利な機能がある。当然、その防御の強度は天使の位によるが、第三位階の封天使の加護ともなれば、中級魔族程度ならば傷一つ付けることは出来まい。

 故に、彼女の努力の成果と言うよりも、加護を付けた天使の特徴故に選ばれたのだ――と勘繰りたくなるのも当然のことだ。 

 成績の優秀さだけならば、この選抜メンバーには、アリアネルの名前が連なっていなければおかしいのだから。


「マナリーアも、おめでとう!さすがね!」

「ありがとう」


 仄暗い気持ちをおくびにも出さないように、掛けられた級友からの言葉ににっこりと笑って返す。

 遠くでは、シグルトも周囲に祝福の言葉を受けているようだ。


 リアネやシグルトの顔を見る度、位の高い天使に寵愛されるに相応しい、純真無垢な魂を否応なく実感させられて、陰鬱な気持ちになる。


 どうして自分は、彼らのようになれないのだろう。


 どうして治天使は、自分のような、清廉とは程遠い存在に加護を与えたのだろう。


「がんばろうねっ!マナリーア!」

「えぇ。そうね、リアネ」


 涙の浮かんだ赤い瞳で、はじける笑顔と共に向けられた言葉に、形だけの笑みで答える。

 馬鹿馬鹿しい。――どうせ、上級魔族が出張ってくるようなものでもなく、その上後衛としての役割しかないのに、何を頑張ると言うのか。


 ――十五を過ぎて魔界討伐作戦が始まれば、否応なく自分の人生は終わることが運命づけられていると言うのに。


 ◆◆◆


「はっ……はっ……!」

「マナ!後ろだ!」

「っ――!」


 耳に響いた聞き馴染んだ声に従って、何も考えず思い切り飛び退ると、一瞬前まで自分がいた位置を凶悪な形をした刃が過ぎ去っていくのが見えた。


(何これ――何これ、何これ、何よこれ――!!)


 際限なく息が上がる。心臓が暴れる。目前に感じる濃厚な死の気配を前に、全身から汗が噴き出すのがわかるが、指先は凍えるほどに冷たい。


「っ、生きてるか!?」

「何とかっ……」


 トン、と背中に当たった温もりに、ほっと息を吐いてぐっと手にした剣を握り込む。

 シグルトがいてくれて、よかった。――独りだったら、もっと早く、挫けていた。


「クク……さぁ、いいぞ……愚かな人間。恐怖し、憎み、恨み、甘美な瘴気で我を満たせ――!」

「来るぞ!」

「っ……!」


 慌ててその場を飛びのきながら、口の中で必死に間違えないように呪文を唱える。

 文言を間違えても、集中を切らしてイメージが霧散しても、魔法は実現しない。声を発しながら全力疾走を何本も繰り返させられたあの訓練はこのためにあったのか――と平穏な学園生活の授業風景を思い出しながら、殺伐とした現実を前に逃避したくなる。

 

「我、闇を司る魔族に乞う。光のない漆黒の闇を産み、かの標的を――っ!」


 ぶんっ……と耳元で何かが唸る音がして、カッと視界が光に一瞬覆われる。――加護が発動し、何かの攻撃を防いだのだろう。

 詠唱が途切れてしまったことに焦るも、まだイメージは霧散していない。ギリギリのところで耐えて、右手を敵へとかざしながら呪文を完成させる。


「暗黒の世界へと包み込め――!」


 呪文は、完璧。魔力の構築も、魔法のイメージも、文句はないはず――そう、思っていたはずなのに。


 ふわっ……とした生暖かい風が吹いたかと思うと、練り上げた魔力が一瞬で虚空へと霧散していく気配を感じる。


「なっ――!」


(魔法行使の拒否!?ここで――!?)


 敵の視界を奪う魔法は、闇を司る中級魔族の力を借りるものだ。人間にとっては十分高位の魔法と言えるが、第一位階の加護を持ち、魔法に関しては眼を瞠るほど優秀なマナリーアにとって、それは今まで何度も成功させてきた馴染みの魔法のはずだった。

 この瘴気に満ちた土地なら容易く発動すると見込んだそれが不発に終わり、驚愕と共に思わず足を止める。


「マナ!とまるな!」

「っ!」


 ガキィンっ――!

 耳障りな音とともに、再び視界が光に包まれる。チカチカと明滅する眩しい光に軽く眼を眇めながら、ひゅっ――と息を飲んで咄嗟に手にした剣を構えた。

 きっと、加護が無ければ今の一撃であっけなく死んでいただろう。


「残念だったな。闇を司る魔族は、この前、死んだんだ。――魔王様に殺されて、な。古参の魔族だったんだが、惜しい奴を亡くしたもんだ」

「な……」

「あれから、代わりの魔族はまだ造られていない。今、闇の魔法を使いたいなら、魔王様ご本人に助力を乞うしかないが――くくっ……愚かな人間ごときに、あの御方がお力を貸してくださるはずもあるまい」


 じり……と地面が音を立てて、初めて自分が無意識に後退っていたことを知る。

 

(どうして――どうして、こんなところに、上級魔族が――!)


 ぐいっと肩口で顎の下の汗を乱暴に拭いながら、マナリーアは奥歯を噛みしめる。

 

 作戦行動を開始するジュヒチ地方に辿り着いたのは今朝早く。

 中級魔族が暴れていると言う街の手前の広い荒原で陣を構えて、封天使の魔法による結界を張り、前線のメンバーが負傷したときの救護班としての動きを期待されていた。

 出没が確認されているのは下級魔族と中級魔族だけだと聞いていたので、百戦錬磨の騎士団がいれば大丈夫――そう思っていたのに。

 交戦開始の伝言メッセージが入ってしばらくして、前線から緊急撤退の指示が出た。

 初めて見る上級魔族――それもかなり強力な――が出没したということで、装備も実力も足らず、一瞬で前線部隊は壊滅してしまったと言うのだ。

 

 陣の中は蜂の巣をつついた騒ぎになって、慌てて撤退準備をしている、その最中――

 バリィィン――というガラスが割れるような音がして、あっさりと封天使の魔法で造った結界が打ち破られた。


 そこから先は、もう、目の前のことに対応するので必死だったからわからない。

 ただ、ぞっとするほど美しい造形をしていること以外は人間と変わらない見目をした青年が、怪しげな笑みを湛えて、あっという間に陣の中の人間を虐殺したことだけは、わかった。


 目の前で、一緒に作戦行動をしていたリアネが、加護を正面から打ち破られ、あっという間に倒されたところを見るに、少なくとも第二位階並みの力を持っているのだろう。

 シグルトとマナリーアだけが生き残っているのは、第一位階の天使には敵わないということなのだろうが、いつまで安心できるものなのかはわからない。


 ここから逃げようにも、既にこの魔族に殺されてしまって馬もない。走って逃げたところで、追いつかれるのは必定だ。それどころか、どこかの街に逃げ込めば、この恐怖の存在を獲物の宝庫へと案内することになる。いたずらに被害を拡大するだけだ。


「く……っそ……なんだ、あの、武器の量……!」


 ぜい、ぜい、と肩で息を吐くシグルトが口の中で毒つくと、魔族は片方の眉を跳ね上げてチラリとそちらを見た。

 シグルトの言う通り、魔族は虚空から何本も刃を生み出しては自在に操り、絶え間ない連撃を加えてくるのだ。二本の腕で一本の武器しか扱えない人間には、加護無しで太刀打ちなど出来るはずがない。


「勉強不足だな、勇者の卵。――鋼を司る魔族について、知らなかったのか?」


 ニィィ、と真っ赤な口が笑みの形を象り、揶揄する響きを発する。

 加護があるうちは、物理的な怪我はないかもしれない。――だが、魔力と体力の限界は、近いだろう。

 シグルトもマナリーアも、加護がいつまで有効なものなのか、知らない。物心ついたころから親しむこの能力だが、こんなにも連続で長時間にわたり、強力な攻撃に耐え続けながら加護を展開した経験などないのだから。

 意識を失っても有効なのか――魔力や体力が尽きても、有効なのか。そもそも、回数制限があれば終わる。

 先が見えない戦いは、二人の精神を消耗させていった。


(どうしよう――どうしよう、どうしよう……!もしも加護が尽きたら――!)


 目の前で、学園を旅立つときに侮っていたリアネが、鮮血を噴き出して呆然とした顔で倒れていく様を見たときの光景がよみがえり、心臓がバクバクと不穏に脈打つ。

 治癒を司る天使の魔法をもってしても、あの怪我ではきっともう、助からないだろう。既にこと切れているに違いない。


(どうしよう――シグルトが、あんなふうにやられてしまったら――!)


「ぅおおおおおおおお!」

「くく……流石、勇者の名は伊達ではないか。この期に及んで、希望を絶やさず聖気を発せるその気概は褒めてやろう。――そちらの、甘美な瘴気を出してくれる女とは違うらしい」


 何度も鋼同士がぶつかり合う耳障りな音が響く。


(嫌だ――嫌だ、嫌だ、死なせたくない!シグルトを、死なせたくない――!)


 腹の底から噴き出す恐怖に支配されながら、震える手を差し出して、何か状況を打破する魔法は無いかと逡巡するが、とても冷静に魔法を練ることが出来る精神状態ではなかった。

 思わず、心の中で縋る。


(助けて――)


 怖い。怖くて堪らない。

 己の身近に迫る死ではなく――大切な人に迫る、死の危険が。


(助けて――治天使様――……!)


 己に”加護”を与えてくれた存在に縋り、心の中で叫ぶ。

 治天使は、癒しと慈悲を司る天使。


 慈悲をも司ると言うのなら――どうか今すぐにでも、助けてほしい。

 このちっぽけで哀れな人間に、どうか、慈悲を与えて――


 そう願った、瞬間だった。


 ばさり、と優雅な羽ばたきの音が聞こえたのは。


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