120、太陽の花③
「何……?」
ぴくり、と美しい眉が怪訝にひそめられる。
アリアネルは、にこにこと笑って、無邪気に率直な思いを伝えた。
「だって、こんな真っ暗で寒い魔界でも、皆で幸せに生きられるのはパパのおかげでしょ?パパが、仲間を生み出して、秩序を造って、統治してくれるから、皆安心して暮らせるんだよ」
「――……」
「まぁそりゃ、王様なんだから、たまには怖いときもあるんだろうけど……でも、皆パパのことを心から慕ってるから。太陽がない世界で、パパは太陽の代わりに、皆の心の支えになってるんだと思うよ」
だから、いつか、気づいてほしい。
魔王を愛する者は、世界にたくさんいるのだと。
誰にも心を寄せないと頑ななその背中に、近寄りたい、支えたいと思う存在は、魔王が思うよりも沢山存在しているのだと――
「……フン。くだらん。……俺がこの魔界を統治出来ているのは、そんな綺麗事ではない。圧倒的な力と、恐怖。そもそもが、全て俺が生み出した命だ。……俺以上の力を持つ者を、俺自身が生み出すことは出来ない。つまり、俺が生み出す存在は全て、俺より劣った存在だ。人間のように愚かな思考を持つ者はいないから、その俺に面と向かって反抗する者などいない。それだけだ」
「うぅん……それは、そうかもしれないけど……」
どうやら、説得は失敗らしい。
冷ややかに言い切った父は、カップの中身を飲み干した後、席を立つ。
「俺は、太陽などという存在にはなれない。――俺には、そんな役割を与えられていない」
「パパ……」
「愛は、俺の理解から最も遠い感情だと告げたはずだ。俺には、生み出した魔族らの情緒を慮るような回路はない。――太陽、などとは程遠い」
立ち上がった魔王は、執務机の脇に掛けてあったマントをひょいと手に取り、慣れた手つきで肩に掛けながら大股で扉へと向かっていく。
「俺は所用で少し出る。お前は、菓子を喰い終わるまでそこで好きにしていろ」
「はぁい……」
取り付く島もない父の背中を見送って、はぁ、と重いため息を吐いた後、アリアネルは小さなカップケーキを口へと運んだ。今日も、ロォヌの作る菓子は絶品だ。
もぐ、と咀嚼すれば広がる甘味に、いつもならすぐに頬が緩むのだが、今日はどうにもそんな気持ちにならない。
(やっぱり――独りぼっちは、寂しいな)
美味しい物を、美味しい、と感じながら口にするときに、傍にいてほしい人がいる。
己が味わった美味しさを伝えたい、と想起する人がいる。
――愛、など、突き詰めれば、最終的にはそんな程度のものではないのだろうか。
「もっと、軽く考えてくれたらいいのに……」
魔王にはいないのだろうか。
ふと寒いと思ったときに、温もりを分かち合いたいと思う者。愉快なことがあった時、哀しいことがあった時、それを真っ先に伝えたいと思う者。
居心地の良い春の陽だまりのように、傍にいるだけで世界が優しく見える者。
「おや。アリアネル一人ですか」
「ゼル!」
静まった部屋にノックして入ってきたのは、黒ずくめのゼルカヴィアだ。
宵闇色の長髪を一つに束ね、装束も漆黒で統一している青年は、魔王の隣に立つといつも、その黒さが際立つ。
「ゼルの見た目は、太陽とは程遠いよね……」
「はい……?何を訳の分からないことを言っているのですか」
何かの書類を渡しに来たらしいゼルカヴィアは、嘆息しながら魔王の執務机に近寄る。どうやら、直接手渡しする必要がある書類ではないらしい。机の上に置いてから、何かメモ書きを加えている。
「あのね、ゼル」
「はい。なんでしょう」
スラスラと何かを書きつける青年は、顔を上げぬまま少女の呼びかけに答える。
アリアネルは、最後のカップケーキに手を伸ばしながら、続けた。――ゼルカヴィアが傍にいてくれるなら、きっと、この菓子は、さっきと違って世界で一番おいしいはずだから。
「さっきね。パパは、魔界の太陽だねって言ったの」
「……はぁ……?」
言われた意味が分からなかったのだろう。ゼルカヴィアは眼鏡を押し上げながら、間抜けな声で聞き返す。
アリアネルはケーキを口に頬張りながら、育ての親たる青年に、先ほどの話を説明した。
魔王は、たくさんの存在に愛されていると知ってほしいと思ったこと。うまく伝えられなくて、失敗してしまったこと。
――こういう、日常のささやかな喜怒哀楽の話を、聞いてほしいと思う相手の一人が、ゼルカヴィアだから。
「なるほど。それで、魔王様は、貴女の言葉を強く否定して出て行ってしまった、と」
「うん。……私は、シグルトに、太陽だって言ってもらえたとき、すごく嬉しかったの。だからパパも、そう言われたら嬉しいって思ってくれるかなって、期待したんだけど――失敗だったみたい」
ごくん、とケーキの欠片を飲み干して告げると、返ってきたのはゼルカヴィアの苦笑だった。
「それは、そうでしょうねぇ……全く貴女も、罪作りな女に育ったものです」
「……?」
きょとん、と竜胆の瞳を瞬くアリアネルを見て、ゼルカヴィアはさらに苦笑を深めると、そっと魔王の机に飾られている『太陽の花』を手に取り、少女へと近づく。
「確かに、この花は太陽を連想させますね。そして、魔王様もまた、太陽を彷彿とさせる外見というのも、同意見です」
「でしょう!?」
「はい。……でも、それを言うなら、シグルトという少年もまた、太陽を彷彿とさせる外見なのでは?」
「へ……?」
ずいっと目の前に大輪の花を差し出され、ぱちぱち、と眼を瞬く。視界いっぱいに、美しい黄金が広がった。
「た……確かに……?」
言われてみれば、鮮やかな金髪も、群青色の美しい瞳も、シグルトと魔王は似通っていると言える。
魔界で育ったアリアネルにとっては、魔王以外に見たことのない配色だったが、人間界では貴族階級の人間にはそうした配色を持つ者が多く生まれると聞くから、シグルトが特別に魔王に似ているという訳ではないのだろうが。
「で、でも、パパの方がずっとずっと格好いいよ!?」
「それは、本人を前にして言ってあげてください。きっとまんざらでもない反応をされますから」
慌てて弁明する少女に苦笑して、ゼルカヴィアは花をひっこめる。
「貴女が褒め言葉として、『太陽』を使おうなどと思ったのは、どうせ、シグルト少年に言われたからでしょう?」
「ぅ……そう、だけど……」
「やれやれ。……他の男に言われて嬉しかった言葉で褒められて喜ぶ男が、どこにいますか。全く……」
ぶつぶつ呟きながら、ゼルカヴィアは花を一輪挿しへと戻す。
少女は無邪気に、魔王を太陽に見立てて、己がされて嬉しかったからという理由だけで、この部屋に何度も黄金の花を持ってくるのだろう。
魔王は、少女にとっての――魔界に暮らす存在全てにとっての『太陽』なのだと、この花と共に伝えることで、きっと魔王が喜んでくれると信じて。
しかし、この黄金の花を見る度、娘にすり寄るどこの馬の骨ともわからない男――それも次期勇者という確実に敵になるとわかっている存在――を思い出す羽目になる魔王の気持ちを、少しくらい慮ってほしい。
「魔王様に至っても……面倒くさい拗ね方をするくらいなら、さっさと思っていることを告げてしまえばよろしいのに……」
「ゼル……?」
ぼやきが止まらない青年に呼びかけると、部屋中に響くくらいの特大のため息を吐いた後、ゼルカヴィアはアリアネルを振り返った。
「『魔界の太陽』は貴女ですよ、アリアネル」
「……へ……?」




