119、太陽の花②
「……ところで、それは何だ」
「へ?」
「その、お前が手に持っている黄色い花だ」
眉を顰めながら問いかけられ、アリアネルは己の手元へと視線を移す。
沢山もらった竜胆の花束と異なり、馬車から転移させることなく、唯一少女が後生大事に手に抱えていた花は、嫌でも目に付いた。あまりアリアネルにわかりやすく興味を示すことのない魔王も、さすがに気になったらしい。
「私もそれは気になっていました。今日は、意中の女性の瞳の色と同じ花を贈るイベントではなかったのですか?」
どうやら、ゼルカヴィアも疑問を抱いていたようだ。
二人の質問に、アリアネルはハッとした後、少し頬を染めて恥ずかしそうに口を開く。
「その……こ、これは、シグルトから、もらって――」
「「……ほう」」
不意に、男性二人の声が重なる。
「あっ、その、恋愛的な意味でこれを渡されたんじゃないよ?そうじゃなくて、その……そういうの関係なく、すごく大切な人なんだ、って真摯に伝えてくれて」
「「……ほう」」
「あの、こ、これねっ……巷では『太陽の花』って呼ばれる真夏に咲くお花らしいの。その……し、シグルトがね、私のこと――お前は俺の太陽だ、って、言ってくれて」
「「――――ほう」」
きゃぁ、と口の中で小さく言いながら頬を赤く染めながら言う少女に、冷ややかな男性二人の視線が突き刺さる。
「そんなこと言われたの、生まれて初めてだったから――嬉しくて、くすぐったくて……でも、立場の違いもあるし、どうしたらいいかもわからなくて……あ、でも、でも、このお花はすっごく綺麗でしょ?竜胆の可愛いお花も素敵だけど、本当に、太陽みたいに大きくて黄金の花びらをしてて――シグルトやパパの髪の色みたい。『太陽の花』っていうのも、よくわかるなって」
生まれて初めて恋愛事に触れたばかりの少女は、思い出し赤面をしながら語る娘を見る男親の心境などわかるはずもない。
「確かに、パパが言う通り、魔界じゃお花はどれだけお世話しても、大して長持ちしないって知ってるけど――でも、これだけは、ちゃんと私が特別に心を込めてお世話したいんだ。シグルトが、真摯に私に向き合ってくれた証だから――」
へへ、と照れながら少しうっとりとした表情で笑う少女の顔は、ゼルカヴィアや魔王のことを他者の前で『大好き』と宣言するときに時折見せるものと同じだ。
「……ゼルカヴィア。聞いていた話と違う」
「私も今、想定外の状況に大変戸惑っているところですよ、魔王様」
まさか、世界で一番大好きと公言してやまない魔王とゼルカヴィアから、中庭一面に広がる竜胆の花畑をプレゼントされてもなお、少女の『特別』を勝ち得るような花があるとは思わなかった。
「くだらん。仕事に戻る」
フン、と鼻を鳴らして魔王はアリアネルの手から逃れて城の中へと足を向ける。
「ゼルカヴィア。……近いうちに、その『太陽の花』とやらの生態についてまとめた報告を上げろ」
――謎の命令を一つだけ、残して。
◆◆◆
魔王が予言した通り、魔王城の中庭一面に見事に咲き誇っていた竜胆は、たった数日で全て萎れて駄目になってしまった。
アリアネルの私室の花瓶に飾られていた、黄金の見事な花も、しばらくすると元気をなくし、懸命に世話をしたが最後は萎れて哀しい気持ちになった。
それでも、本場の夏が来ると、人間界にはシグルトが贈ってくれた『太陽の花』が流通するようになった。
自分の小遣いの中からそれを購入し、自室に飾りながら、”お土産”と称して魔王の部屋にも持ち込むアリアネルの豪胆さに、ゼルカヴィアはいつも胃をキリキリとさせていた。
「ねぇパパ。……パパは造物主に、”太陽”をイメージして造られたって、教えてくれたよね?」
「……そうだな。どのあたりがそうなのかは、全く以て理解不能だが」
学園の休日――恒例のお茶会の最中、アリアネルは無邪気に尋ねる。
「えぇ~、どこからどう見てもそうだと思うよ。キラキラした黄金の髪も、透き通る蒼空みたいな瞳も、真っ白な肌も……パパが天使だったころは、さらに純白の羽があったんだもんね。すごい……想像するだけで絶対に神々しい……後光が差してそう……」
「お前はまた、訳の分からんことを……」
ズズ……と花茶をすすりながら、魔王は呆れた声を出す。
漆黒の虚無の海から生まれた造物主が、当時の孤独を嫌い、正反対の光を彷彿とさせる存在として命天使を造ったのは、本人の口から聞いた違えようのない事実だ。
「パパは、いっつも魔界にいて、殆ど人間界に行かないから知らないんだよ。太陽って、すごいんだよ。今は夏だから、毎日すっごく眩しいの。屋外授業の時は、本当に目が眩んで大変なんだから。魔界に比べたら、めちゃくちゃ暑いし」
そんなこと、わざわざ少女に教えられずとも知っている。
魔王が魔界で暮らしたのはせいぜいここ一万年程度――時間軸で言えば、圧倒的に造物主の相手をしながら天界で暮らしていた時の方が長い。
天界は、夜も雨も曇りもない、四六時中ずっと太陽が照っている世界だ。今のアリアネルなどよりもよほど、太陽は身近な存在だった。
「でもね。人間界では、太陽は命の源なの。……魔界も、天界も、命の源は全部、パパでしょ?」
「そうだな」
「パパがいない人間界では、生物が自力で命を生み出さなきゃいけないから……太陽がないと、どんな生き物も、生きていけないの」
「……知っている」
「だから、何となくわかるなぁ――って、思って。造物主が、パパを太陽に似せて造った理由が」
ちらり、と蒼空の色をした瞳が少女を見る。
アリアネルは、出逢ったこともない想像上の造物主を描いて、瞳を閉じた。
その存在が、父である魔王を酷く苦しめたことは知っている。魔王を身勝手な愛と言う名の執着で孤独にし、二代目正天使によって不当な罠にかけられただけの彼を信じることなく、天使の象徴である純白の翼をもぎ取り、陽の差さない魔界へと――人間たちの愚かさと醜悪さを詰め込んだような瘴気が濃密に立ち込める世界へと堕としてしまったことも、知っている。
感情だけで言えば、全く好ましく思えるところのない存在だが――それでも、造物主がこの白皙の美青年を造った時の気持ちだけは、何となく推察が出来た。
「パパからしたら堪ったものじゃなかったのはわかってるけど――でも、きっと、温かかったんだと思うよ。……パパと過ごす、毎日が」
「…………」
「私は、魔界で生まれ育ったから、暗いのも寒いのも、嫌じゃないよ。でもそれは――この魔王城に、大好きな人が沢山いて、毎日が幸せだからだと思う」
「…………」
「私だって、誰もいない魔界に独りでぽつんと居ることを強要されたら、きっと、太陽が恋しくなると思う。闇が怖くて、凍えることに怯えて、明るくて暖かい場所に行きたいって思うと思う。――なんでかな。生物としての本能なのかもしれないね。……ほら。生き物って、温かいでしょ?独りきりは寂しくて辛いから、温もりがあると、独りじゃないって思えるのかも」
そう言えば、とアリアネルは思い出す。
魔族も皆、人間や地上の生物と同じく、温もりを持っている。怪我をすれば血を出すことからも、強度や体力や魔力量、糧とするものなどの違いはあれど、根本的な造りは似ているところがあるのかもしれない。
きっと、天使も同じだろう。
天使も魔族も、食事をとり、排泄をし、睡眠をとり、温もりを分かち合って集団で生きている。
だからきっと、この言葉は魔王にも届くだろうと、自然に思えた。
「造物主は狂ってたってパパは言ってたけど……本当の本当の一番最初は、そんなことなかったんでしょう?」
「そうだな」
「じゃあ、やっぱり、パパを造った時の気持ちは、もっと温かくて優しい物だったんだと思うんだ。寂しくて辛かった時間を癒してくれる、大事なお友達みたいな感覚だったんじゃないかなぁ……」
言ってから、魔王の机の上に飾られた、先日人間界から持ち帰って彼に贈った一輪の花を見る。
大きな黄金の花を咲かせるそれは、しゃんとまっすぐに天めがけて背筋を伸ばし、堂々と咲き誇っていた。
「でも、そう考えると、今のパパは、『魔界の太陽』なんだね」




