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魔王様の娘  作者: 神崎右京
第一章

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11、すべての始まり⑤

「……魔王様……?」


 窺うようにゼルカヴィアが恐る恐る声をかける。

 魔王は、臣下の怪訝な問いかけに応えることなく、じぃっと赤子の顔を覗き込む。


「ぁ、ぁう、うー」


 先ほどまでのやかましい騒音など嘘のようにかき消して、心から楽しそうに笑みを振り撒きながら、何やら身体をもぞもぞさせている。おくるみ(スワドル)がなければ、今頃、キラキラと眩しい魔王の黄金の髪くらい、無遠慮に引っ張っていたかもしれない。


「……この()()に笑いかけるとは、なかなか図太い神経をした赤子だ」


 フン、と鼻を鳴らして呟く魔王に、ゼルカヴィアも疲れたように同意する。


「本当に、その通りです。私が何度も攻撃を仕掛けていた時も、最初は泣き叫んでいたくせに、そのうち泣きつかれたのか、バチバチと五月蠅い音を立てる結界の中で、スヤスヤと眠りこけていました」

「フン……なるほど。面白い」


 くっ……と魔王の喉の奥で小さな音がした。


(え――もしかして、魔王様――わ、笑われた、のですか――!?)


 万年も傍らに控え続けていても、見る者の背筋を凍らせるようなぞっとする笑顔しか見たことがなかったゼルカヴィアは、思わず目を疑って魔王を二度見する。


「ゼルカヴィア」

「はっ、はいっ!」


 しかし魔王は、笑みの気配など幻のように消し去ってから、ずぃっと赤子を差し出す。

 思わず受け取りながら返事をすると、上司はとんでもないことを言い出した。


「育てろ」

「――――――――はい……???」


 ぽかん……と口を開けて、この王の前で間抜けな顔を晒したのは、もしかしたら、生まれて初めてかもしれない。


()()正天使が、特別に目をかけた赤子だ。魔界に攫われれば、酷く狼狽するだろう。さすがにあれも、魔界に単身で乗り込むようなことは出来んからな」

「は……はぁ……?」

「このまま俺たちがこの赤子を攫えば、おそらく正天使は、別の子供に加護を付けて、勇者となるよう導くのだろう。その時――魔族憎しと乗り込んできた勇者が、自分と同じ人間と相対すれば、どうなるだろうな?」

「――!」


 ぞくり、と見慣れた笑みを浮かべた魔王の言葉に、ハッと息を飲む。


「さすがは魔王様――!素晴らしいお考えです!」


 勇者は、聖気の塊のような存在だ。どれほど苦しい時でも、その身から際限なく聖気を放出する、稀有な存在。

 正義を司る天使の言葉を正義と信じ、その加護を賜る自分自身も正義と信じ――意気揚々と踏み込んできたその先で。

 自分と同じ、正義の天使の加護を賜った人間が、魔王の配下となって敵対したとしたら、その心はどうなるだろうか。


(あの勇者の混じり気のない善性の魂に――瘴気を生むことすら、可能だと言うのですか――!)


 どこまでも、残酷で、冷酷な、魔族の頂点に立つに相応しい主の思い付きに、ゼルカヴィアは感動で打ち震える。

 勇者など、どこまで行っても、所詮人間だ。

 瘴気が色濃く、天使の援護を期待できない魔界での戦いで、魔王を害すことなど出来はしない。


 どうせこの赤子が勇者となっても、魔王は負けるはずもないのだが――それでも、魔王はさらに残酷な一手を思いついたようだ。


「今は聖気の塊のようなその赤子を、魔界の瘴気に慣らし、魔界で自在に魔法を使えるほどまで育てろ。魔界の一員であると洗脳し、勇者と敵対するよう仕向け――可能ならば、勇者が魔界に踏み込んでくる前に、人間界に紛れ込ませて、奴らについて学ばせろ。……五月蠅い蠅が何度魔界にやってこようと構いはしないが、いい加減、煩わしさは感じていたところだ。どうして人間どもは、逆立ちしても勝つことが出来ぬ戦いに、何千年も無謀に挑み続けるのか――その背景を知っておいて、損はあるまい」

「そうですね……!さすが、魔王様です!」


 魔族が人間界に顕現できるのは、基本的には瘴気が色濃い場所だけだ。

 瘴気が全くない地や、聖気が色濃い場所では活動できないのが魔族だ。上級になるほど、瘴気の濃度が薄くても少しは動けるようになるが、万全とは言い難い。そんな場所に行けば動きを制限され、あっという間に討伐されてしまうだろう。

 上級魔族であるほどに――と考えるのであれば、今、人間界を最も自在に動けるのは、ゼルカヴィアと魔王だけだった。


(とはいえ私も魔王様も、さすがに王都のような天使のお膝元には近寄れませんから――)


 人間であるこの赤子をうまく洗脳して教育できれば、問題なく王都にだって侵入できるだろう。

 魔王と共に歩んだ気の遠くなる月日の中で、初めての試みを前に、わくわくと心が躍り上がる。


「人間の赤子の育て方は、お前が適当に人間界に潜り込んで調べろ。その最中でも、人間のことを知る機会はあるだろう。……代わりに、その赤子が育ち、正天使の加護が無くなるまでの十五年程度は、普段の仕事量を減らしてやる」

「はっ!」


 最敬礼して拝命する。魔王がここまで命じると言うことは、これは何よりも力を入れるべき案件だという証だ。


「どうにも思い通りにならなければ、捨てるなり殺すなりすればいい。所詮、人間界を知るための――勇者を追い込むための、駒だ。わかっているとは思うが――」


 ヴン……と瞬き一つで虚空に転移門を浮かび上がらせながら、チラリと後ろを振り返り、念を押す。


「下らん情を移したりするなよ。ゼルカヴィア」

「はは、まさか。私を誰だと思っているのですか?私は貴方の――」


 ゼルカヴィアは眼鏡を押し上げ、ふ、と口の端に笑みを浮かべる。


「貴方の――第一のしもべ。誰より貴方に近しく、貴方の考えと行動に誰より通じた、唯一の魔族ですよ?」

「フン……ならばいい。俺の期待を裏切るなよ」


 ふいっと二度と振り返ることなく魔方陣へと足を踏み出す主の後を追って、ゼルカヴィアもまた赤子を抱いたまま足を踏み出す。


 この時はまだ、知らなかった。


 ――腕の中にいるこの脆弱な存在の育成が、予想の五百倍は大変なものであることを。


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