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魔王様の娘  作者: 神崎右京
第五章

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106/350

106、聖なる乙女と正義の天使⑨

 最初の数ページで、馬鹿にしたように鼻で笑われて放り投げられる未来すら想像したが、予想に反してゼルカヴィアはきちんと最後まで絵本を読んでくれるようだった。

 一ページ一ページ丁寧に、真剣な顔で、何度か眼鏡を押し上げつつ、揺れる馬車が森へと差し掛かるころまでかかって、読み終えた最終ページを閉じる。


「――で?」

「……へ……?」


 わくわくと、読後の感想を待っていたアリアネルは、青年の呆れたような一言にぽかん、と口を開ける。


「……この物語の、どこに涙を流す要素がありましたか?」

「えぇっ!?無かった!!?」


 馬鹿馬鹿しい、と言いたげな青年の反応に、アリアネルは驚きの声を上げる。


「いいえ、全く。……まぁ、これは初代正天使の話なのでしょうね。今の正天使と比べれば、さすが魔王様に似せて造られた天使と言うだけあって、理性的な存在だったのだろうと想像は出来ますが――結果として、最後には人間に情を移したという時点で、魔王様よりも劣る存在であることには変わりがないでしょう」

「ええええ!!?そ、そんな感想……!?」

「逆に、貴女はこれのどこに涙を流したのですか?……貴女が感情移入するとしたら、冒頭の、赤子が捨てられる場面くらいでは?」


 少し重い嘆息を漏らして、ゼルカヴィアはもう一度最初の頁に戻る。村人たちの手で、森の奥に造られた祭壇に赤子が供えられる場面だ。

 それは、十年前に、ゼルカヴィアが見た光景と嫌なくらいに重なって見える。

 己の命惜しさに、何の罪もない無垢な赤子を差し出し、自分たちだけ禍を逃れようとする、愚かな人間らしい下らない行いだ。


 かつての自分と同じ境遇を辿った赤子に、己の過去を重ねて涙を流す――というなら、百歩譲ってわかるのだが、目を真っ赤に腫らして泣くほど、当時のことがアリアネルの記憶に残っているとは思えない。


「違うよ!この、乙女が正天使に”大好き”って言ってるのになかなか伝わらない場面とか――」

「最終的には伝わっているではありませんか。……馬鹿馬鹿しい創作にもほどがありますが」

「もっ――森の主が乙女を庇って死んじゃうところとか!」

「?……これこそ、創作の極みのような場面でしょう。これの一体どこに、貴女が感情移入するというのですか?」


 ゼルカヴィアは、心から意味が分からない、というような口調で言ってのける。


「この物語の少女と貴女との共通点と言えば――人ならざる者に育てられたということと、名前が偶然一致していることくらいでしょう。まぁ、初代正天使は魔王様に似ているという前提知識があるでしょうから、妄想力逞しい貴女であれば、正天使と乙女とやらの関係を、魔王様と自分の関係に重ねてしまったと言うのも、百歩譲ってわからなくはないですが――森の主の話に至っては、どこに己と重ねる箇所があったのか、本気で理解に苦しみます」

「だ、だって、森の主は――!」


 思わず反論しようとしてから、ハッと我に返って口を閉ざす。


「?……アリアネル?」

「ぅ……わ、笑わないで聞いてくれる……?」


 急に己の思考が恥ずかしく思えて来て、頬を赤く染めながらチラリと伺うように青年を見る。

 ゼルカヴィアが首を傾げながらも頷いてくれたのをみて、アリアネルは恥を忍んで告白した。


「――ゼル、みたいだなって、思ったの」

「…………はい???」


 数瞬の沈黙の後、思い切り怪訝な顔で聞き返される。

 当たり前すぎる反応に、アリアネルは恥ずかしさに消え入りたくなりながら、言い訳のように口を開いた。


「だって……赤ちゃんの乙女を、正天使に出逢うまで、一生懸命育ててくれて」

「……はぁ」

「正天使に色々教えてもらうようになっても、森の中ではずっと一緒に一番傍にいてくれて」

「…………はぁ……」


 心から呆れかえっているような生返事に、アリアネルも恥ずかしさが募っていく。


「瘴気で動けなくなってる乙女を庇って、最期まで戦ってくれるところとか」

「…………」

「ぜ……ゼルみたいだな、って……思って……ゼルが、私を守って死んじゃったみたいに思えて、哀しくて、泣いちゃったの……」

「…………はぁ……」


 ゼルカヴィアの呆れた呟きを最後に、揺れる車内に沈黙が降りる。

 いたたまれなくなって、少女がもぞっと尻を動かしたころになって、ふっ……と小さく空気が動いた。


「あ!!!笑った!!!!笑ったでしょ!!!!笑わないって言ったのに!!!」

「いえ。……全くあなたは、本当に、幼いころから、私の予想もつかない発想をするので、いつまで経っても度肝を抜かれます」

「もうっっ!!!だから笑わないでって言ったのに!!!」


 堪え切れなくなったのだろう。くくっと喉の奥で笑い声を必死に噛み殺そうとしている青年に、顔を真っ赤にして怒るが、当然、そんなアリアネルのことなど、ゼルカヴィアにはどこ吹く風だ。


「そうですね。……くくっ……森の獣風情と一緒にされるというのは、心外ではありますが――なかなか愉快で斬新な発想に免じて、許して差し上げましょう」

「もう!!酷い!私、本当にこの場面、哀しくてめちゃくちゃ泣いたのに!」


 瞳の縁に涙を浮かべて笑っている青年は、よほど可笑しかったのだろう。アリアネルはぷくっと頬を膨らませて怒りをあらわにする。


「そんなに笑わなくていいでしょう!?」

「いえ……何せ、予想外だったもので」


 くくく、となおも笑いながら、ゼルカヴィアは手元の絵本の頁を捲り、狼が少女を庇って命を落とす場面を開く。


「私とこの狼を重ねて読んでいたということも勿論ですが――」


 一番予想外だったのは。


「貴女は、有事の際に、私が命を懸けて貴女を庇うと思い、全く疑っていないのだ、と驚きまして」

「へ……?」

「誰よりも魔族らしいと評されることもある、この魔王の右腕を捕まえて、なかなか自意識過剰な娘だと――つい、可笑しくなったのですよ」


 ぱちぱち、と竜胆の瞳が何度か瞬かれ、ゼルカヴィアの言葉を咀嚼し反芻する。

 確かに、それは、魔王城で何度か耳にしたことがある評判だ。

 ゼルカヴィアは、魔王の右腕で――誰よりも魔族らしく振舞う男なのだと。

 

(魔族らしい、って……いうのは……)


 人間を見下し、捕食対象として侮り、他者を欺くことは勿論、残虐な行いすら厭わず、瘴気を貪ることを至上の喜びとしているということだ。


「っ――!だ、だだだだって!!!」


 揶揄されている理由がわかって――言われた通り、微塵も疑わなかった事実が途端に恥ずかしくなり、かぁっとアリアネルは頬を染めて口を開く。

 確かにゼルカヴィアの魔族としての評判を想えば、たかが数年、”魔王様のお戯れ”の結果、成り行きで面倒を見る羽目になっただけの人間の子供を庇って死ぬなど、臍で茶が沸くほどに馬鹿馬鹿しい話だ。


「だってゼルは、私のことを育ててくれたし、今までだってずっとずっと一番傍にいてくれたし、時々怒られることもあるけどいつも優しくて――!」


 ぼぼぼぼ、と顔に火をともしながら、思わず車内で立ち上がって言い訳がましく言葉を重ねる。

 ゼルカヴィアの魔族としての評判など、知ったことではない。

 アリアネルにとっては――ずっとずっと、目の前にいるゼルカヴィアだけが全てだ。


 生まれたときから一番傍にいて、どんな時も孤独を癒してくれた、唯一無二の――”家族の愛”を教えてくれた、世界で一番、大切な人。


 ニヤニヤと込み上げる笑いをこらえている青年を前に、立ち上がったまま恥ずかしさで言葉を失ったアリアネルは、ぐっと息をつめた後、ぼすん、と誤魔化すように再び座席に座る。

 ぎゅっと唇を引き結んで赤くなった頬を隠すように横を向くと、車内に小さな声が響いた。


「――ない、の……?」

「?」


 車輪の音に紛れて少女の唇から洩れた声が聞き取れず、ゼルカヴィアは首をかしげる。


「守って――くれない、の……?」


 恥ずかしさを堪えるだけではなく――心細さが隠し切れずに震える小さな声に、一瞬ゼルカヴィアは目を瞬いた後、ふっ……と吐息を漏らして笑う。


「そこまで期待されては、仕方ないですね。随分と笑わせてもらいましたし、もしもの時は、少しくらい守ってあげましょうか」

「っ……もうっ……意地悪……!」


 皮肉屋の青年に、赤い顔で抗議するが、ゼルカヴィアはくくくっと喉の奥で笑うばかりだ。

 だが、アリアネルは知っている。――こんなことを言っていても、ゼルカヴィアはきっと、絶対に、()()()()()はその身を挺して守ってくれるのだと。

 誰かの下した評判など関係ない。ゼルカヴィアが今までどんなふうに生きてきたかも、関係がない。

 アリアネルと過ごした十年の、濃密な時間だけが、全ての証明だ。

 

 何せ、彼は――学園内で少し連絡が取れなくなり、少女が泣いた跡が残る顔で現れただけで、過保護に心配を重ねるような、青年なのだから。


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