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魔王様の娘  作者: 神崎右京
第一章

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10、すべての始まり④

「そのっ……魔王様の言いつけ通り、この一帯全てを――当然、村人も、この赤子も全部――焼き払ったつもりだったのですが、なぜかこの赤子だけが、無傷で残っておりまして」

「ふぇ……ふぇええええん……」

「あるはずがないともう一度最大火力で魔法をぶつけたのですが、全く効かず――」

「ぅ、ぐすっ……ぇぇぇん……」

「その後、何度強力な魔法を放っても、まるで何かに守られているように、結界のような何かに阻まれ――しばらくして、物理攻撃を仕掛ければよいと思い至り、魔剣を召喚して斬りかかったのですが、それすらも弾かれ……」

「ふぇええええん」

「あーもう!!!全く緊張感のない!!黙りなさい!」


 報告の合間も泣き止まない赤子に、青筋を立てて怒鳴りつけるが、乳飲み子に言葉が通じるはずもない。

 赤子はぐずぐずと涙と鼻水を垂らしながら泣いているばかりだ。


「たかが人間の赤子一人を殺せぬなど、魔王様の右腕としての名折れ。そもそも、この赤子ごと村を滅せよとのご命令でしたので……そうしてむきになっているうちに魔力残量を見誤り――魔力を使わず、この手で縊り殺してやろうと手を差し伸べれば、やはり結界に弾かれ……そのくせ、敵意なく手を伸べれば、このように難なく触れることが出来てしまい……どうしたものかと、途方に暮れていたのです……」


 赤子の泣き声をバックミュージックにしながらの報告に、その場になんとも言えない空気が漂う。


「なるほど。……状況は理解した」


 ふーっと深いため息を吐いた魔王に、ゼルカヴィアはびくっと肩をはねさせる。

 さすがに、失望されてしまっただろうか。


「ふ、ふぎゃ、んぎゃぁああ!」

「わ、ちょ、だから、魔王様の御前だと――!」


 弱々しく泣いていても埒が明かないと思ったのか、急に激しく泣き始めた赤子を前に、ゼルカヴィアは酷く狼狽する。

 赤子の取り扱い方など、わかるはずもない。

 魔界に生まれ出る命は全て、魔王によって作り出されたものであり――命を与えられた瞬間から成人体型をした、精神的にも成熟した者ばかりなのだから。


 ゼルカヴィアにとってこれは、いわば、完全なる未知との遭遇。

 赤子が泣く理由も、あやし方も、何一つわかるわけがない。

 途方に暮れていた、というのも、あながち過剰表現ではないのだろう。


 鼓膜を劈く赤子の泣き声を聞きながら、主の御前での不敬に慌てふためくゼルカヴィアを半眼で眺めていた魔王は、ため息を吐いた後、ぶっきらぼうに口を開く。


「……貸せ」

「へっ……!?」

「赤子を貸せと言っている」

「な――!」


 涙と鼻水と涎でぐちゃぐちゃの汚れた存在を――それも、人間などという下等な生物を――魔王の手に託すなど憚られ、戸惑い立ち尽くす。

 魔王は苛立たし気に舌打ちをした後、ひょいっとあっさり家臣の腕から赤子を摘まみ上げた。


「あっ、ま、魔王様――!顔周りは、汚れがひどいので――」

「五月蠅い奴だ」


 おくるみ(スワドル)の上の方を荷物のように摘まみ上げて、不機嫌に顔を顰める。


(ゼルカヴィアが傷一つ付けることが出来なかったとなれば、第一位階の天使の加護がついているんだろう。こんな生まれたばかりの赤子に加護を付けるなど、よほど魂が善性に振り切れているのか?瘴気を中和したのもこいつだろうな)


 普通、天使が加護をつけるのは、三歳前後の子供だ。ある程度人間界に揉まれても、輝きを失わなかった善性を持った人間を選んで、その清らかな魂の持ち主が外敵に脅かされずに生き残れるよう、十五歳まで特別な加護を施す。

 第一、乳飲み子の段階では、どれもこれも聖気の塊のようなもので、区別がつかない。

 魂が善性を持っているかどうかを見極めるには不向きのこの年齢で加護を与えられたとなれば、他の赤子とは比べ物にならないほどの圧倒的な善性に振り切った魂を持っているのだろう。


(翼を堕とされた今の俺には見えないが――たぶん、第一位階の二人には、こいつが、天界からでもわかるくらいに強烈に眩しく光って見えていたんだろう)


 だからきっと、例外的ではあるが、酷く穢れた土地に生まれ出でた存在にもかかわらず、特別に、直々に加護を与えたのだ。


「せめて、治天使の奴であれば良いが――」


 言いながら、赤子の上に手をかざし、魔力を練る。

 その瞬間、バチンッと何かが弾けるような音共に、光の結界が魔力の波動を阻んだ。


「――なるほど。また面倒な……」


 これ以上なく不快そうに眉をしかめて、魔王は歯噛みする。

 宵闇に現れた光の結界にぽぅっと浮き出たのは――紛れもなく、正天使を示す紋章。

 正義と戦いを司る天使の加護は、恐らくこの世界で最も強力な結界に違いない。


「ま、まさか――魔王様にも害すことが出来ないのですか――!?」

「いや。……本気になれば、打ち破ることは出来るだろう。だが、現実的ではないな。正天使にとっても相当な()()()()()のようだ。かなり強力な加護がついている。これを破ろうと思えば、俺がかかりきりになって、半年――いや、下手をすれば年単位だろう」

「なっ……!」

「乳飲み子の段階で加護を付けて、ここまで厳重に守るくらいだ。勇者としての戦闘の資質も十分すぎる人間になるだろう。今度こそ、俺の城に辿り着く初めての存在になるかもしれんな」

「そんな――!」


 誰より魔王の実力を知っているゼルカヴィアは、愕然と言葉を失う。


「で、ですが、ここに放置していけば、さすがに死ぬのでは?加護は、外敵から身を護るためにしか発動しないのでしょう。飢えや寒さへの耐性があるとは――」

「フン……甘いな。ここへ放置したところで、そのうち正天使が天界からやって来て顕現し、掬い上げて自慢の翼でひとっ飛びで、王都にでも届けるだけだ。今までここは、瘴気が濃すぎて顕現するにも骨が折れる近寄りたくもない地域だっただろうが、お前が瘴気を食いつくしたのと、この赤子が聖気を振り撒いたせいで、だいぶ中和されているからな。……王都の神殿にでも行って、”神託”と称して神官の誰かの前に顕現してありがたいお言葉と共に赤子を託せば、これは人間界で最高級の教育を受けて、歴代最強の勇者となるだろう」

「そ、んな……」


 つまらなさそうに淡々と告げる魔王の言葉に、ゼルカヴィアは深い青緑の瞳を揺らす。

 ふぅ、と一つ嘆息したあと、魔王は泣き叫ぶ赤子をひょいと持ち上げ、顔を覗き込む。


「翼を失った今の俺には、人間の資質が見えない。この五月蠅い赤子が、未知の可能性を秘めているのは事実だが――まぁ、とはいえ、人間であることに変わりはない。外敵から身を護る加護は、人間が十五歳になるまでしか持たないからな。加護が切れてから魔界に来るならば、真正面から戦って勝てばいい。それより前に来たところで、まだ身体が成熟していない段階では、瘴気の濃い魔界ではうまく魔法など使えんだろう。どちらにせよ――」


 考えながら紡いでいた言葉を、不意に打ち切る。


「ぁ……ぁぅ……あうー」


 先ほどまで散々泣きわめいていた赤子は、魔王に顔を覗き込まれた途端、ぱぁっと顔を輝かせ、キャッキャと嬉しそうに天使の笑顔を振りまき始めた。


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