59.薔薇は薔薇 後
その日から、貴族の間では唯一の姫がアンリを飛び越えて第一王位継承者になるだろうということでほぼ意見の一致を見た。
強い魔力は王侯にとって貴重な能力だ。たとえ市井生まれでも、魔力を操る力をもって生まれれば貴族の養子先は多い。高位貴族ならば分家に引き取らせて従順に育て、男子なら入り婿に、女子なら跡継ぎの妻に迎え、次世代に強い魔力を持つ子供が生まれるように血を混ぜていく。
それを繰り返して、王党派の貴族は魔力の強い子を作り、王家に送り込んできた。
バーミヤ自身、血筋としては先王の第三妃、第四妃を望める身分であったものの、立て続けに正妃が魔力の強い男子を生んだことと、王が第二妃以降を望まなかったこと、なによりバーミヤ自身が魔力を持たなかったことで、侯爵家に嫁ぐことになった。
姪が、自分の果たせなかった王族入りを果たしてくれるはずだったのに、その夢も潰えた。
どうしてこんなことになったのだろう。バーミヤはこれまで連綿と王族と貴族が国を支えるために行ってきた慣例を継続し、守るために動いてきた。何一つ間違ったことはしていないのに、なにひとつ、この手には残っていない。
あまりにも理不尽で、悲しくて、自然と涙が止まらなくなった。
朝も夜もなく泣くバーミヤに夫は閉口し、屋敷に戻らなくなり、使用人たちもバーミヤと目が合うたびにビクビクとしていて気に入らない。
それまで軽口に興じていた貴族の夫人たちも、まるで腫物に触るように振る舞ってくる。
本来なら今頃、アンリに嫁いだ姪が、おばさま、私授かったようなの。全ておばさまの言うとおりになったわと頬を染めて報告してくるはずだったのに。その子が魔力の強い男子ならば、いずれ姪は国母に、その後見人であるメディロ侯爵家はますますの栄誉と栄達を得るはずだったのに。
姪の死後、屋敷に閉じこもってなぜ、どうしてこんなことになったのかと、ぶつぶつとそんなことばかりをつぶやくバーミヤの元に数年後、不意に訪ねてくる者があった。
若い頃、王都で同じ時を過ごした友人だった令嬢の紹介で来たという女に会ってみようと思ったのは、ただの気まぐれだ。
毎日が陰鬱で、つまらなくて、世界が色あせて見える。娘時代に仲の良かった友人の紹介といわれて、自分が姪ほどの年の頃のことをふいに思い出した、それだけだ。
訪ねてきた女は、自分は霊媒師であると名乗った。長く隣国で活動し、友人とはそこで面識を得たらしい。
こちらで自分を必要としている気配を感じ、はるばる国境を渡って来たのだという。
交霊術は高貴な女性の間で時々流行する遊びだ。参加する者の魔力が強いほど精度の高い霊を呼び出すことができるので、高い魔力を持つことが誉れの貴族の夫人の間では流行る素地があることと、大勢で参加するので自分が魔力なしでも誤魔化しがきくということもある。
女は、水晶の中にいなくなってしまった姪を映し出した。姪の霊を下ろし、自分と姪しか知らない話をしてみせることまでした。
弱い叔母でごめんなさい。私にもっと力があれば、あなたを王弟妃にしてあげることができたのに。
泣きながら姪に詫びると、姪は首を横に振り、何事かを言いかけ――そして、霊媒師の体から離れていった。
霊媒師は、霊をとどめておくための魔力が足りないのだという。バーミヤは魔力なしだ。霊媒師の魔力で短い時間姪を呼ぶことはできても、あっという間に魂は去ってしまい、呼び出しを繰り返すほど時間は短くなっていくのだという。
魔力の多い参加者を大勢集めれば、長い時間でも、難しい霊が相手でも、呼び出すことができるようになる。
だが魔力が強い者とはすなわち、貴族の血をひくものだ。自分が魔力なしであることは貴婦人たちには秘密にしていたし、貴婦人というのはそうした情報をみだりに聞き出すようなことは不徳とされているので、これまで困ることはなかった。
ほかにどうすれば、姪と再び言葉を交わせるのかとバーミヤは尋ねた。もう一度姪と言葉を交わし、あの子を王弟妃にしてやれなかったことを詫びねばならない。可愛い娘だったのだ。叔母と姪の関係ではあっても、実の娘のように愛していた。
霊媒師は、魔力の持たない者でも魂を捧げれば、それは魔力の代替品になるといった。
姪と同じくらいの年頃の娘がいい。あまり若すぎても、年上すぎてもいけない。できれば育ちがよく、天真爛漫で、姪と性格が似ているほうがいいだろうと。
貴族の夫人であるバーミヤにそんなことをさせられる手足など存在しない。困り果てていると、霊媒師は笑って言った。
私が伝手をたどりましょう。お金次第でなんでもしてくれる者というのは、どこにでもいるものです。
月に二度、魂が手に入り次第、あなたを姪御様と会わせて差し上げます。
どうぞ安心して、お任せください。
バーミヤは、言われるままに金貨を霊媒師に渡した。侯爵夫人としては大した金額ではない。手持ちのブローチひとつで一年ほどは毎月二度姪と会える、その程度の額だ。
『姪』と過ごす時間は、穏やかで、甘美で、心満たされるものだった。
そこに自分の見も知らぬ娘たちの魂が消費されていることなど、すぐに忘れた――いや、最初から、バーミヤにとってはどうでもいいことだった。
* * *
『姪』と過ごすうちに気持ちが安定し、社交も行えるようになったバーミヤが霊媒師を抱えていると話のついでに漏らしたところ、紹介してほしいという貴婦人が数人現れた。
姉妹を早くに亡くしてしまった者、子供を事故で、母を早くに亡くした者など、死者に会いもう一度言葉を交わしたいと願う者は多い。
一度交霊の機会を譲れば、その分姪に会える回数は少なくなる。迷ったものの、月に一度はどうしてもと願う相手にその機会を譲れば、バーミヤはたちまち社交界の中心に立つようになった。
母に愛している、ずっと見守っていると言ってもらえた。
たった七歳で失ってしまった息子は、自分の元に生まれて幸せだったと言ってくれた。
妹に、決して恨んでいないと許してもらえた。
人の秘密は色々だ。亡くした者が相手なら一生癒えないだろう傷も、死者と言葉を交わすことで慰められる。
ありがとうメディロ侯爵夫人、バーミヤ様、貴女のおかげで救われました。なんて慈悲深く、優しいお方でしょう――。
そう誉めそやされ、様々な社交の場に呼ばれ、バーミヤが何か言葉にすればその場にいた貴婦人たちはバーミヤ様がそう言うならその通りですわと賛同する。
姪が亡くなる前後から歪み、壊れていた世界がようやく元の形に戻った。そんな気がした。
ああ、そうだ。やっと世界は元に戻ろうとしているのだ。
その頃、王弟妃は再び子を孕んでいた。
次も強い魔力を持つ子が生まれるかもしれない。それが男児であったならば、どれほど喜ばしいだろうかと過去を忘れた王党派の貴族たちは浮かれているが、この世界の歪みの中心にいるのが王弟妃であると忘れてしまったかのようだ。
バーミヤは忘れていない。
アンリがあの女に惑わされなければ、二年も城から姿を消すことはなかったはずだ。
あの女がいなければ、姪はあんな風に儚くなることはなかった。
あの女の産んだ子がいなければ、今頃相応しい娘が王家に相応しい子を産んでいただろう。
全ての元凶は、あの眩く美しい容姿で周りを惑わす女なのだ。
もしかしたらあの女は、魔女なのかもしれない。正しいものを歪め、バーミヤの世界を壊した女。王弟妃、ラプンツェル。
今こそ世界の歪みを正そう。お前が何者であるか衆目の元に晒し、本性を現せ。
お前も、お前の生んだ子も、腹の子も、すべてなかったことにして、王国は再び正しい姿に戻るのだ。
その日の交霊会の参加者は、バーミヤと霊媒師によって亡くした近しい者と言葉を交わし、救われたものばかりだった。
誰もバーミヤのすることに異を唱えることはなかった。
戸惑う王弟妃を霊媒師の前に座らせて、バーミヤは高らかに笑い声を上げそうになるのを、必死でこらえていた。
ようやくすべて元に戻るのだ。そう思うと、涙すらあふれるほど、嬉しかった。




