57.悪者のアジトと魔法の契約書
建物は、倉庫が一番広くて後は事務所のような小部屋がいくつかあるだけだったし、魔素で探って内部に何があるかは大体把握していたので迷うことなく、まっすぐ誘拐犯が気絶している部屋にたどり着く。
床にバタバタと倒れた男たちを見るとテレサはさすがに体を強張らせたけれど、ぽんぽんと手を伸ばして腰のあたりを叩くとすぐにその強張りは解けた。
「大丈夫。気絶してるし、しばらく目を覚まさないよ。それに、ここには他に誰もこれないから」
枯れかけていたお菓子の家の魔女でも維持できたくらい、人除けの魔法はそれほど難易度の高いものじゃない。関係ない通行人はなんとなくあっちに行きたくないなと思うし、ここを目指している人間はなぜか行きたい方向へ向かうことができず、よほど強い意思がないかぎり、目的の場所にたどり着けない効果がある。
昔ラプンツェルを閉じ込めていた塔にも、人除けの魔法を掛けてあったのに、パパはそれをまんまと突破して定期的に通っていたらしい。
こちらの世界では平民に魔力の強い子が生まれると貴族の養子に迎えられるのはよくあることらしいし、私の魔力測定後明らかにラプンツェルも含めて待遇が良くなったことを鑑みても、身分が高いほど魔力の量を重視するのだろう。
パパは王族だし、魔法を使えるかどうか聞いたことはないけれど、相当強い魔力を持っているのかもしれない。
転がっている男たちは、意外なことに見るからに無頼漢という風情ではなく、ぱっと見はどこかの商会に勤めていそうな身ぎれいな身なりだった。ひげをぼうぼうに生やしているわけでもないし、髪も短くカットされていて、清潔そうだ。
こんななりであんな生粋の犯罪組織の人間みたいな会話をしていたとすると、見かけによらなさ過ぎて人間不信になりそうだけれど、今はそんなことはどうでもいい。
「テレサ、そこらの本の間に何か書類が隠されてないか、見てくれる?」
「はい」
私の手の届かない場所の調査はテレサに頼み、椅子を動かして机の引き出しを漁る。
こちらの世界には指紋や髪の毛からDNA鑑定なんてものはないので、結構雑な調べ方でも大丈夫だ。
多少証拠を残しても、よほど身元が特定できるようなものでないかぎり、お姫様とその女官がこんなところにいるわけもないのでそうそう私たちと結びついたりもしないだろう。科学捜査のない世界万歳なんてどうでもいいことを考えながら引き出しの中身をひっくり返していく。
どうやらここは王都にある商会の持ち物らしく、同じ商会名の入った書類や封筒がいくつも出てくる。
犯罪の現場にこんなものを置いているなんてあまりに迂闊で、罪を擦り付けるためのフェイクじゃないかと思うものの、荷物の受け渡しの割符やら賃金の支払い明細やらに混じり、人買いに人を売った証文とか、こんなところにあるには不似合いの指輪やイヤリングを買い取りに出した見積書とか、怪しげなものもゴロゴロ出てきた。
なんというか、転がっている誘拐犯といい、この部屋にあるものといい、関わっていそうな事件に対して悪いことをしている意識が感じられない。
まるで倫理観や警戒心をあえて麻痺させられて、誰かに操られているみたいに。
無意識に行動を抑制するのとは違い、明確に人を操るというのはかなり難しい魔法だ。使い魔にするよりマシとはいえ、魔力の消費は激しいし、長持ちだってするものじゃないので何回も重ね掛けしなければならない上に、繰り返すほどに精神を壊すリスクが高くなっていく。
そんなことが安全にできるなら私だってラプンツェルに……いや今の私は絶対そんなことはしないけどね! 魔女の頃の感覚と倫理観なら、ノーリスクならうっかりやってしまっていたかもしれない。
魔女としては割と一般的な感覚の持ち主だったと思うし、前世はまるで環境の違う世界で暮らしていたので自分と地続きではあってもどこか他人事のような感覚があったけれど、同じ世界で知っている人間も共通している状態だと、立派な黒歴史である。少なくともラプンツェルの前では可愛い娘でありたいし、ラプンツェルの陰りない幸せのためにも、なにをどう間違っても私がかつての義母だったことは知られたくないものだ。
「姫様、こちらを見ていただけませんか」
そんなことを考えつつ色々と入ってはいるものの、私が見て特に気になるものはないなと思っていると、本棚を探していたテレサに声を掛けられる。
「一番下の段の本の間に挟まっていました。見る限り何も書かれていない羊皮紙のようですが、そんなものがあるのも怪しいと思うのですが」
「ほんとだ。ちょっと見せて」
テレサから受け取ると、手に触れただけで魔力が滲みだしているのが分かった。ほとんどの人間にはただの無地の羊皮紙だろうけれど、もう「いかにも」な奴である。
「うーん」
羊皮紙をためつすがめつし、光の加減では何が書かれているかは分からないのを確認する。何か怪しいなと思ってもこれが何なのかは分からないようになっていて、この部屋のあまりの無警戒さとは対照的に念入りに隠蔽されている様子が却ってとても怪しい。
人間だと、セルジュくらいの魔法使いでなければ怪しいなと思っても、ここからどうしていいかは分からないだろう。幸い私はちょっと魔女なので、いくらでもやりようはある。
手をかざして魔素をその魔力の形にして羊皮紙に焼き付けると、ジジ……と焦げ付くように文字が浮かび上がってきた。繊細な魔力操作が可能なのは、多少魔素が操れるようになった頃から周囲の状況を探るのに魔素を利用してきた賜物だ。
そうして浮かび上がった文字を目で追って、すぐにうんざりとした気持ちになった。
『金貨二十枚と引き換えに、月に二度、十二歳から十七歳の処女の心臓の納品を魂に誓う。納品が一度反故されるごとに契約者一人の寿命の半分を対価とし、三か月に一度契約の更新とする』
書類の作成の日付は今年の春ごろになっていて、おそらく行われた『納品』ごとにだろう、その対象の名前と年齢、簡単な特徴などが書かれていた。
ドロテア 十五歳 赤毛にそばかす
ベルタ 十六歳 茶髪にヘーゼルの瞳
カタリナ 十三歳 ハシバミ色の髪、身長高し
サロメ 十四歳 茶髪、準貴族の出
ポニー 十五歳 暗い金髪、紫の瞳……
………。
………。
「姫様?」
まるで商品のように名前と年齢と特徴を書き連ねられた少女たちに、ポニーの母親の嘆く声が重なって見える。
思い出すと腹が立って、悔しくて、感情のままに涙が滲みそうになるのを、ぐっとこらえた。
「ううん、ありがとうテレサ。しっかりとした証拠だよ。すごく役に立つ」
「それなら、よろしかったです」
「もうひとつ、お願いしていいかな。これを別の紙に書き写してほしいんだ。できるだけテレサの筆跡とわからないように」
私も読み書きはできるけど、子供の筆力だとどうしても大人が書いたようなものにはならない。こんなものをテレサに見せたくない気持ちもあったけれど、ここで頼らない考えはなかった。
テレサは私の側近だ。自分の身の危険を顧みず、今もそばにいてくれる。
その立場や安全は必ず守るけれど、他の人にするように何も知らない五歳の子供ぶる気はないし、私のやることを変に隠す気もなかった。
テレサは私から契約書を受け取ると、やはり表情を厳しくしたけれど、すぐに机に紙を広げ、その場にあった紙にさらさらと書き写してくれる。
その間、私は契約書とつながる魔力を魔素からたどる。
契約者の寿命と引き換えにするような強い契約魔法は、契約主ともきっちり結びついている。人間にはたどるのが難しくても、私にはなんてことのない仕事だ。
目を閉じて、最終的に取り出された心臓がある屋敷を見つけ、その場所の情報をテレサの写した契約書に記してもらい、写しのインクが乾くのを待って、小さく折りたたむ。
「ロビン、これを王宮の騎士の詰め所まで運んで。近くまで行ったら場所は指定するから」
「ピィー……」
めんどくさそうにしないの! そう告げるとモイラが自分がやると申し出てくる。
仕事を頼まれるのは面倒でも、横から新人に仕事を奪われるのは面白くないらしく、ロビンはとっととよこせと足を向けてきた。
最初から素直に頼まれてくれればいいのに。まあ、ロビンが偏屈で天邪鬼な使い魔であるのは今にはじまったことでもない。契約主義で塩対応だけれど、頼まれた仕事はきっちりとやる、中々できた使い魔なのだ。
今度はちゃんとドアから出て、ロビンが飛び立つのをテレサとモイラとともに見送り、はあ、とため息を漏らす。
あとは、私の思うような成り行きになってくれるのを祈るしかない。王宮近衛師団はパパが率いている組織だし、ここで伸びている男たちの余罪も含めて、きっちり調べてくれるだろう。
「――帰ろうか、テレサ」
「はい、姫様」
念のため周囲の魔素を操って私とテレサの気配を消して、てくてくと歩く。その間、どちらともなく無言だった。
城下に降りてきたのはもちろん、人狼探しという事件の捜査のためだったけれど、こんなにあっさり、そして後味の悪い解決になるとは思わなかった。
「テレサ、嫌なことさせちゃって、ごめんね」
王宮に勤めているだけならば、テレサはこんなことをしなくても済んだのだ。
私の秘密を知って、それでも私に仕えてくれて、そのせいで怖い思いをしたり、嫌な仕事をさせたりしてしまっている。
今更それがすごく申し訳なくてしょんぼりしていると、きゅっ、と握った手に力を込められた。
「姫様、ローベルト領は、今年も豊作だそうです。新しく作った葡萄畑の収穫は好調ですし、麦も今まで以上に豊かに実っているとカスパールからの手紙に書いてありました」
「うん……」
「姫様があの時、領地を助けてくださらなければ、私はとっくに遠くにお嫁にやられていたと思います。会ったこともない方を悪く言うのは憚られますが、私が五人目の妻という、あまり評判の良くない方でした」
「………」
マルグリットの言っていた悪い噂を思い出して、唇を引き締める。
テレサがそんなところにお嫁に行かずに済んで、本当によかった。今でもしみじみ、そう思う。
「姫様の秘密を知ったあの日から、私の人生のすべては姫様のものです。どうか、それをお忘れにならないでくださいね」
それに、と柔らかい声で、テレサが続ける。
「あの契約書に書かれていた娘たちが、上の妹や、フローリカだったとしたら、想像するだけで胸がつぶれる思いです。被害者が痛ましいですし、ここで止められて、本当に良かったと思います。その手伝いができて、こんなに誇らしいことはありません」
「……うん、ありがとう、テレサ」
私を分かってくれて、助けてくれて、信じてくれる人がこんなに近くにいる。
それはすごく心強くて、頼もしくて。
パパやラプンツェルとは違う、でも、テレサも私のとてもとても大切な人だ。
改めてそう思ったのだった。




