55.食べ歩きとカフェと拉致
テレサと手をつなぎながら表通りの人の多い道を選んで歩き、時々濃くなっている瘴気を散らすことを続けるものの、肝心の人狼の気配を見つけることはできなかった。
私の魔素による探索範囲はかなり広いほうだと思うけれど、王都はさらに広い。いくつも区画が分かれているし、もし人狼がいるにしてもこの辺りには潜んでいないんだろう。
せめてあと五歳分くらい体が大きければ、王宮にいてもなんとかなったかもしれないのに。そう思いつつ、足を止めてテレサを見上げる。
「テレサお姉ちゃん、このあたりにはいないみたい」
「そう。王都はとても広いものね。アディがよければ、また別の日に、別の場所を探してみましょうか」
「うん……」
テレサはなんの気負いもなくそう言ってくれるけれど、王女の私を城下に連れ出すのはテレサにとってかなり危ない橋を渡る行為だ。
テレサは私の意思に従ってくれているだけであっても、当の私は対外的にはまだ五歳の子供で、その判断に責任能力など無いに等しい。だからこそ女官や教育係で適切に導く必要があるのに、五歳の子供の言葉に従って危ない選択に諾々と従っていたことが発覚すれば、テレサ本人はもちろん、その実家や派閥にまで累が及ぶ可能性はかなり高い。
テレサもそれをわかっていて、その上で私の判断に従ってくれている。その気持ちに報いたいし、結果だって出したい。
お姫様に生まれたものの、私の中には人間なんてどうでもよかった魔女と成人まで一般人として暮らしていた記憶があるので、誰かに尽くしてもらうというのは、時々不思議な気持ちになる。
今はパパとラプンツェルがいて、周りも私を子ども扱いしているけれど、成長すれば周囲の人は私に「仕える」のがメインになっていくんだろう。
それが当たり前のことだとは思いたくない。少なくとも、テレサの私に対する献身を、大切にしていきたい。
「うん、ありがとう」
「馬車の時間までもう少しあるから、近くのカフェで休憩していきましょうか。アディも、少し水を飲んだほうがいいわ」
「うん!」
ゆっくりとはいえ、二時間ほど歩きっぱなしなのでさすがに疲れてきた。ロビンにはまた後でといって別れ、来た道を戻りながら通りに面した大きなカフェに入る。
かなり大きなカフェで、ホールは広く、吹き抜けの天井からは蝋燭を立てるための馬車の車輪のような輪がいくつもぶら下がっている。窓も多く、中は明るくて、多くの客で席が埋まっていた。
「妹と二人なのですが、席は空いていますでしょうか」
テレサが受付に丁寧に尋ねると、制服を着た男性はちらりとこちらを一瞥して、ニコッと愛想のいい笑みを浮かべた。
「一階はこの通り込み合っていますので、よろしければ二階席はいかがでしょうか。個室になっていて落ち着けますし、眺めもきれいですよ」
「では、そちらでお願いします」
私もテレサも庶民っぽい恰好をしているけれど、姿勢や所作といった育ちの良さはなかなか隠せるものじゃない。テレサがうなずくと、ギャルソン服に似た制服を着た別の男性が引き継いで、こちらにどうぞ、と案内してくれる。
階段は狭くてかなり急だけれど、テレサが私を先に行かせて後ろをゆっくりとついてきてくれた。
二階に上って通路を進むと、一階の吹き抜け部分の下がよく見える、この通路を囲む形で小部屋のドアがいくつも並んでいた。
奥まったドアの前まで案内されて、中に入ると、そこはこじんまりとしているけれどきれいに整えられた個室だった。
二人掛け用の丸テーブルに、高い椅子。窓には薄いカーテンが下がっていて、その向こうは王都の大通りになっている。
王宮と比べるのはナンセンスだけれど、調度はそれなりに立派で、上質なカフェの個室という感じだ。
「紅茶と温かいミルクをお願いします。アディ、何か食べる?」
「ううん、ママと夕ご飯たべるから!」
「では、それでお願いします」
テレサが店員に心づけの硬貨を渡し、注文を受けた店員は丁寧に礼をして部屋を出て行った。
ドア一枚を隔てただけでも、ホールの喧騒は遠のいて、しんと静まり返る。
「テレサ、今日はありがとう。王都を歩けてたのしかった!」
「このくらいしかお役に立てなくて、むしろ申し訳ないですわ。また何なりと、お命じください」
「うん、すごく助かるよ」
こんなことは毎日できるものでもないけれど、とりあえず初回がつつがなく終わりそうで、それはよかった。
次は、街を歩くより馬車に乗りながら移動したほうがいいかもしれない。短い時間で広範囲を探ることができるし、数回繰り返せば王都中をカバーできるだろう。
まあ、私が探っている間にすでに探ってしまった地区に移動されたら、あまり意味がないのだけれど。
こうなると箒を使って空を飛べないのが、惜しい。それができれば夜中に離宮に眠りの魔法をかけた後にこっそり出かけて一晩で王都中を空から探ることもできただろうに。
「ちょっと大きくなっても、まだまだできないことのほうが多いなあ」
椅子の上で、床に届かない足をぷらぷらとさせる。五歳なんだから仕方ないという気持ちと、もっと力があればいいのにという気持ちと、両方がせめぎあっていた。
「私からすれば、十分、すごいことばかりだと思いますが」
「全然足りないよ。もっとぱっと問題を解決できたらいいのに」
ラプンツェルは今身重なのだ。パパがそばにいれば心強いだろうし、頼りになるだろうに。
「ママは、私を生んだ後、結構長く寝付いてたでしょ。赤ちゃんが生まれたら、またそうなるかもしれないし」
「そうですね……こればかりは、運もあると聞きますが」
魔法があって魔女や魔法使いがいる世界でも、病気やお産の苦労が全くないわけじゃない。
アーデルハイドとして生を享けたばかりの頃は右も左も分からず自分の母親の状態を確認しようもなかったけれど、あれだけ愛情深かったラプンツェルが、産後しばらく私のところに一度も足を運べなかったくらいだ。回復に相当時間がかかっただろうことは、難しい想像ではなかった。
「お仕事は大事だけど、パパにはできるだけ、ママの傍にいてほしいなあ」
私は私と周りの人生を豊かにしたい気持ちもあるけれど、それ以上にラプンツェルに幸福な一生を過ごしてもらいたい。
これはもう、前前世からの悲願なので私自身にもどうしようもない強い願望なのだ。
赤ん坊だった頃に比べれば、パパと一緒に暮らせるようになって家族で食事をする機会も増えて、ラプンツェルはずっと笑顔を多く見せてくれるようになっている。
優しくて愛情深い子だ。子供が増えて、ますますにぎやかになって、きっとどんどん幸せになるだろう。
その幸福を陰りのないものにしたい。それが今の私の一番の願いだ。
「……飲み物、遅いね」
そんなことを考えていて、ふと、顔をあげてドアを見る。
飲食店の回転率が大事なのは、前世も今も大して変わらないだろうに、飲み物だけ頼んだ割には提供が遅れている気がする。
「そうですね、少し聞いてまいります」
「ううん、大丈夫。様子を見るくらいなら――」
そう言って、魔素を集めて、すぐに椅子から飛び降りた。
「ひめさ……」
「テレサ、私を抱きしめて、放さないで」
勘のいい私の女官は、すぐに自分も椅子から降りて、私の体にぎゅっと腕を回す。
ドアとは別の壁が横にスライドして、粗野な風情の男たちが個室になだれ込んできたのは、その数秒後のことだった。




