36.噂話と不穏な空気
魔素を操って特定の場所を探ったり音を拾ったりするのは、繊細な操作が必要なため、疲れるからあまりやりたくない。
なにより前世で成人まで一般人として生きた価値観を引きずっているため、盗み聞き自体にも抵抗感があるけれど、王族の一人として生きていくのに良い武器であるとは思う。
さらにその前の魔女だった頃は、人間の会話に興味なんてこれっぽっちもなかったのでこういう使い方をしたこともなかったけれど、今でも王宮内ならばどこでも聞き耳を立てるくらいは問題なくできるし、三歳の時点でこれなら、身長が伸び切れば相当な範囲を探れるようになるだろう。
私は将来的に女王になることがほぼ内定しているので、恐怖政治に走らないよう、セルフ情操教育を頑張ろうと思う次第である。
少し体が大きくなったおかげでそこそこ潤沢に魔力を使えるようになったこともあり、ロビンと意識共有できる時間も随分長くなったけれど、良いことばかりとも限らない。
今のロビンは小型のカラスくらいのサイズになったため、小さな隙間から屋内に入り込んで目立たないように隠れるのには向かなくなってしまった。
というわけで、ロビンの情報収集も屋外にいる使用人の噂話を拾うくらいしかできなくなってしまったので、今は何かを知りたい時は魔素を広げてこっそり聞き耳を立てる方向にシフトしている。
宮殿内に居住の部屋や、身分によっては小規模な邸宅を持っている貴族は結構いて、特に女性の主な仕事はサロンやお茶会を開いてお喋りしたり、劇団を呼んで演劇を鑑賞したりすること――つまり社交である。
今日も宮殿内では大小さまざまな集まりが催されていて、中にはかなりあけすけな話をしている集まりもあるので、そのひとつひとつに耳を向ける。
――南の方のブドウ畑は、今年も豊作だそうですよ。
――北は新しい鉱山が発見されたとのことで、今度辺境伯が陛下に謁見に来るのだとか。
――東はその点、不漁が続いているそうで、今年の社交シーズンは荒れるかもしれませんね。
――西は去年に引き続き、原因不明の不作だそうで。
――あら、お気の毒ですわねえ。
貴族の会話は大体こんなうわさ話に終始する。こんな会話でお互い情報共有し、国内の情勢を計っているのはまどろっこしい気もするけれど、貴族としては大切な仕事のひとつらしい。
徒労感は否めないけれど、せっせと盗み聞きして今度宝石を買ってもらうことになっただとか、湖の近くに別荘を建てたというような話よりは、私も多少、ためになる。
――そういえば、西といえばお聞きになりました? ローベルト伯爵のご息女のお話。
魔素を薄い霧のように広げてそこかしこのサロンで交わされる会話を拾っている中で、その言葉にピン、と意識がひっかかる。
ローベルト伯爵は国の西側に領地を持つ伯爵家で、王統派の貴族であり、テレサの実家でもあるはずだ。
――ローベルト伯爵の領地は、昨年、麦畑が壊滅状態だったそうですわ。果樹類も、木が立ち枯れてしまったようで。
――ああ、私も聞きました。冬が来る前に家財や財産の多くを手放して民の救済を行ったそうですが、それでも追い付かない状態だとか。
――そんな時に、令嬢の結婚話が持ち上がったでしょう? しかもほら、お相手が南の。
――本当にねえ、お気の毒、と言ってはいけないのでしょうけれど。
なになに、なんなの!? そこまであけすけに話しておいて、なんで肝心なところは言葉を濁すの!
本当に、貴族の会話というのは面倒くさいけれど、なんとなく、テレサの涙の理由がおぼろげに浮かび上がってきた気がする。
こちらの世界では王侯も平民も、結婚適齢期はかなり若い。
私が生まれた時は十代の半ばから後半くらいだった世話係四人娘も、三年が過ぎた今はとっくに適齢期で、特に年長のテレサはそろそろ行き遅れと言われてしまうような年頃だ。
何しろ、私が生まれた時点でテレサはラプンツェルより年上だった。私の感覚だとラプンツェルが早すぎると思うわけだけれど、伯爵令嬢であるテレサが二十歳を越えて宮廷で奉公をしていることも、少し不自然ではある。
貴族の令嬢が王宮で仕事をするのは、行儀見習いという建前で、一生使うことのできる人脈を作るのが最大の目的である。
テレサ、サラサ、カミラ、エリナは全員年の近い似た爵位を持つ家の出身だし、愛娘の養育を補助することで王弟であるパパやその妃であるラプンツェルの覚えもめでたいとなれば、実家や嫁ぎ先に対して大きなメリットも生まれてくる。
そして、結婚するとなると行儀見習いは卒業して嫁ぎ先に入らなければならないし、その先が宮廷貴族でないならば、嫁入り先の領地に移動して社交シーズンだけ宮殿に上がるのが一般的だ。
その場合も、役割は今魔素で探っているように他の貴族の夫人や令嬢との交流であり、乳母や教育係、侍女などの役職を除けば、仕事をすることは基本的になくなる。
いずれはそうなると漠然と分かってはいたけれど、いざ生まれた時から傍にいたお姉ちゃんたちがいなくなる日がリアルに近づいてきたのだと思うと、何だか泣きたくなってきてしまう。
いや、一生独身で傍にいて欲しいなんて思っていないよ。みんなにはみんなの人生があるし、ただの幼児なら三歳くらいまでずっと一緒にいても、成長していく過程でみんなのことを忘れてしまう可能性もあるけど、私はずっと覚えているし、再会すれば変わらず親しくできると思う。
幸せな結婚をして、幸せな人生を歩むなら寂しくても仕方ないと思う。
でも、テレサは泣いていた。
あのいつも穏やかで、冷静で、優しく周囲を見守るようなテレサが、声を押し殺し、はらはらと涙を落としていたのがずっと心に刺さっている。
――結婚、したくないのかな。
貴族に生まれた女性にとって、政略結婚はとても強い義務だ。
パパも伯父さんも大分好き勝手しているので、私は貴族ばかり生真面目にそうしなければならぬとは全く思ってはいないけれど、王族と貴族はまた少し、事情が違う。
王族は君主であり、高い血筋を保ち周辺国との調和のために他国の王族と結婚するという側面があるけれど、実際のところ一番大事なのは王家の血を引いているかどうかであって、パパや伯父さんのように最終的には個人の裁量を押し通すことも、できないわけではない。
けれど貴族は、治める家が断絶したり重大な罪を犯したりすれば、爵位と領地は一時的に国に返還なり没収なりされ、その地位と領地は何かしらの褒賞や王族の子弟が新たにその貴族の名を名乗ることを許されて続くことになる。
つまり、貴族の家は名前だけ残して頭のすげ替えが可能なのだ。
最後の最後は国主の血脈を保つことを優先すればいい王族と違って、その名前と領地は貴族が自分で守っていかなければならない財産である。
だからこそ、貴族同士の同盟をとても重視する。
特に別の貴族に元の家の血を濃く引く者がいれば、王家に没収される代わりにその血筋の子が跡を継ぐことができる――要するに、家の外にスペアを作ることも可能になる。
高い身分で、かつ政略結婚を必要とするのは同じであっても、王族と貴族ではこれくらい、結婚と血筋に対して抱えている事情が違う。
だから、個人が結婚はしたくないとか、あの人はイヤとか、そういう意見はほぼ通らないのが現実だ。
そんな前提がある宮殿に滞在している女性たちをして「お相手が」「お気の毒」とまで言わしめる相手って、いったいどんな人なんだろう。
「うーっ」
テレサが大好きだ。あんな風に一人で息を殺して泣いてほしくない。
何とかできるなら、何とかしてあげたい。
でも、姫とはいえ三歳児の私に、何ができる?
そんなことを考えながら魔素を引き上げて育児室で一人、頭を抱えて唸る羽目になった。
必ずしも現実と同じ制度ではありませんが
捨てられ公爵夫人 封建制(貴族の力が強い)
オーレリア 立憲君主制(王家はあるが、議会・市民も力を持っている)
魔女でした! 絶対王政(王家が強権を握っている)
を軽く下敷きにした社会制度で書いています。




