24.世界で一番愛してる
魔女だった時、自分の容姿についてはほとんど気にしたことはなかった。
ただラプンツェルが「魔法使いのおばあさん」と呼んでいたので、自分は老婆の姿なのだろうと、そう認識していた程度だ。
だって人間にそんなに興味なかったし。他人に興味がないということは、人にどう見られるかにも興味がないということだ。頭からがばっと着れてそれで終わりのワンピースの上から、防寒ついでの深くかぶることのできるローブがお決まりの服装で……というより、他に服を持っていなかった。
髪は白かった。魔女は年を取らないので白髪になったというわけではなく、最初からその色だったのだろう。魔女の容姿について覚えているのは、精々それくらいだ。
一方、現在のアーデルハイドちゃんはパパやメイドたちの言葉をつなぎ合わせるに、金髪で碧眼。パパとラプンツェルの特徴をそのまま受け継いでいて、顔立ちはラプンツェルによく似ていて、目もとだけパパに似たらしい。
そして、正真正銘、ラプンツェルの血を半分継いでいる、実の娘だ。
「だう」
日が落ちて、眠りについたアーデルハイドちゃんを見守った後、乳母とメイドたちも育児室から退室した。人除けの魔法を掛けていない間は夜中に交代で何度か見に来ることもあるようだけれど、ひとまずしばらくは一人の時間である。
むくりとベビーベッドの中で体を起こし、枕の中に隠しておいたラプンツェルの髪を取り出す。
これが結構隠しきるのが大変なのだ。なにしろアーデルハイドちゃんはお姫様で、この国の第二王位継承者の資格を持っている。与えられる環境は最上級で、ベッドカバーも枕カバーも毎日交換されるし、沐浴だって毎日だ。
交換の間は服の中に、その後は枕の下やカバーの間に隠しておけばいいけれど、タイミングが悪いと丸めて口に入れるしかない。口の中に長い髪の毛を含む感触は、いくら愛しいラプンツェルのものとはいえ、なんとも気持ち悪い感触である。
そうした涙ぐましい日々も、今夜のためである。
今日は満月。地脈に接続するほどの効果はないけれど、地上に最も魔力が満ちる夜だ。遍く魔女や魔法使いの力がブーストされて、儀式にはうってつけの夜である。
髪の毛に唾をつけて、両手で擦り上げて小さく丸める。赤ちゃんの力では中々難しかったけれど、時間をかければなんとかなった。その間に口の中に唾液をためておく。頑張れアーデルハイドちゃん。ここが赤ちゃんの根性の見せ所だ。
「だぅ!」
物語の魔女や魔法使いなら、もっとスマートな方法を取っただろうけれど、現実など地味でしょうもないなあなんて思いながら、一思いに丸めた髪を口に入れて、唾液ごと飲み込む。
赤ちゃんの柔らかい喉は、嚥下能力が高くなく、それでいて嘔吐反応はとても高い。つまり、何かを飲み込むのが下手なのだ。慎重に丸めたつもりでも髪の毛はチクチクとして、それが喉の粘膜に触れると簡単にオエッとなる。
うーっと唸りながら強引に飲み込んで、ぜいぜいと息を吐いた。これだけでもう、大分消耗してしまったけれど、儀式はここからだ。
口の粘膜を歯で傷つけて、ジワリと滲んだ血を指で取り、手の甲に擦り付ける。これは体の表面ならどこでもいい。ここに血が――体を構成する剥き出しの気配があればそれで。
ラプンツェルを苛む呪いは、術者がもう死んでいるのだという。だからこそ強力になり、反面、目的そのものはすでに輪郭を失くしているはずだ。
そして、アーデルハイドちゃんはラプンツェルと半分血を分けた娘であり、容姿もよく似ている。ラプンツェルの体の一部を組み込んで依り代にし、ダメ押しで誘引用の血も用意した。
あとは、魔素を通じて強く強く念じれば、それでいい。
――おいで、おいで。私の名はラプンツェル。金の髪と青い瞳を持つ、この国の王弟妃。
ざわ、と魔素を介して、王宮の中の気配がざわつくのが伝わって来る。
ロビンを通した時ほど明確ではないけれど、肉体を通しては感知できない細やかな精霊の気配や暗がりに潜む幽霊たちの囁き声まで、伝わって来る。
――おいで、おいで。私はラプンツェル。白い肌、紅色の唇、美しい容姿を持つ、お前の憎むラプンツェル。
さわさわと、夜の庭園を走る風の音。
満月を映し取る、小さな泉の水面の揺れ。庭師が丹精込めて育てた初夏の薔薇園の隅に潜む小さな精霊が振り返る気配。そして、西の離宮に潜む、形のない悪意。
――つながった。
そう思った瞬間、操っていた魔素を逆流するように真っ黒な悪意がこちらに向かってくるのが分かった。抵抗する気は最初からない。障害物など何の意味も成さず、ほんの数秒でそれはアーデルハイドちゃんに……私にたどり着いた。
「んぐっ!」
その悪意が体の中、ラプンツェルの髪の辺りに入った感覚は、さしずめ屈強な男性の足先で蹴られたような衝撃だった。小さな体がビクンと跳ねて、座っていることもできずに、体を丸めてベビーベッドの上で悶絶する。
悪意は、本当にただの悪意だった。嫌悪や拒絶、敵意に嫉妬。反感に恨み……あらゆる、こいつが目の前からいなくなればいいのにという感情の根が体の中で暴れている。
痛いし、苦しい。ぎゅっと目を閉じてお腹を抱え、唇をきつく引き結ぶ。
――捕まえた。
呪いはどす黒く大きいものだけれど、魔女や飛び抜けて優秀な魔法使いが作った物とは明らかに違う。悪意という核はしっかりしていても、呪いそのものを構成するのは曖昧で輪郭がはっきりとしていない。
多分、悪意を抱いていても、具体的にこういう不幸な目にあってほしいという願望が、足りていなかったのだろう。
今のアーデルハイドちゃんは生まれながらに魔素を自由に操り地脈の力を借りて膨大な魔力を操る魔女ではない。それでも、それなりの魔法使いくらいの魔素を操ることはできる。
できればあと五年か十年くらい、体が大きくなる時間があれば、この程度の呪いを体内で「消化」するのは、難しくはなかっただろう。
赤ちゃんの体の大きさでこれを処理するのは、骨が折れる儀式だ。
でも、仕方がない。ラプンツェルにはもう、時間がないのだ。
ラプンツェルはまだ若い。呪いの影響さえなくなれば良く眠り、食事を摂って、また元気になるだろう。
きっと大丈夫。
多少苦しい思いをしても、「これ」を消化しさえすれば、アーデルハイドちゃんだって戻ってこれるはずだ。
もし駄目でも、それはそれで、仕方がない。私は、ラプンツェルのためなら死んだって構わない。
案外これが、この場所に転生した自分の役目なのかもしれないとさえ思う。
一般人として暮らしてみて、自分がラプンツェルにしたことが、どれだけ酷い行いだったのか自覚した。家族と引き離し、恋を妨害し、そんなつもりはなかったけれど、最後は当てつけのように死んだのだ。
それはどれだけ、あの優しい娘の心を傷つけただろう。
そうして得た今回の生の使い方がこれならば、それはそれで、悪くない。
お腹の中で暴れる悪意を押さえつけている間は、まるで体が燃えるようだったのに、手足の先からその熱が失われていき、今度はどんどん、冷たくなるのが分かる。
熱が抜けて、抜けて、石のように、そして氷のようになっていく。とても寒いのに、震えすら出ない。
悪意はまだ、お腹の中にある。
大丈夫。絶対にお前は、私が連れていく。
目を閉じれば、浮かぶのは幼い頃の、少女時代のラプンツェルではなく、こちらで目を覚ましてから会った、儚くも大人になった優しいあの子の笑みばかり。
青い瞳はいつだって、自分の産んだ子への愛情で溢れていた。
「ま、ま……」
大丈夫。必ず私が、あなたを守るよ。
大好きなラプンツェル。大好きなママ。
あなたが幸せでいてくれるなら、命なんて、全然惜しくない。




