例えば当たり前のように君と過ごして来た日常に【前編】(ロイン)
ここに来て初めて会話してご飯を作ったこの世界の住人、私の中で魔物と言う存在への第一印象を固めた人。
仲良くしたいと言ったら良い関係を築きたいと返してくれた人、おかげできっとこの世界でもやっていけると思う事が出来た。
窓辺に飾ってある月明かりに照らされ淡く光る薔薇にそっと触れれば、あの星空の下の空中散歩で見た光景が昨日の事の様に頭の中に浮かぶ。
魔法を使うきっかけになる力をくれた人、魔法という元の世界に存在しないものを使えた嬉しさ、死の危機から救ってくれた力を貰った。
魔法を使えるようになる代わりに体に残っている牙の痕、今日もあるその傷をそっと服の上から撫でる。
劇的な何かがあった訳では無い、単純にほぼ毎日一緒に夕食を食べるという日常を過ごして来た相手。
その相手から見せられた独占欲、あの瞳を思い出すたびに胸がざわざわする。
私の中ではまだ何も定まっていないのに、周りがどんどん進んで来る感覚をどうしていいかわからない。
月を見ていると彼を思い出してしまってそっとカーテンを引いた。
ベッドに倒れこんで明日の約束を思う。
最近……いや、この世界に来た瞬間から自分の身に何か変化が起きた時はいつもロインが居たような気がする。
だからきっと、今の日常を崩すのは彼ではないかという予感はあった。
「………………」
まだもう少しだけ足掻きたい。
ベッドに突っ伏しているせいで真っ暗な視界の中、そんな事を考える。
結局私は明確な何かが起こるまでは動かない、動きたくないのだ。
だから明日のロインとの約束も普通に楽しもうと決める。
そもそも何となく予感がしているだけで、明日何か起こると決まった訳じゃない。
魔王城もどんな所か気になるし、日が高い内にロインを見たのはジェーンの結婚式の時だけだから明るい内にロインと出掛けるのは単純に楽しみだ。
今はまだ楽しみな気持ちだけ持って明日を待とうと決めて布団の中に潜り込む。
目を閉じた暗闇の中、彼の赤い瞳が見えた気がした。
思ったよりもスッと眠れて、朝も気持ちよく起きる事が出来た翌日。
ヴァイスと出掛けた時と同様に結構悩んで決めた服に袖を通してモモの籠の横に果物やパンを置く。
そろそろ睡眠の期間も終わるだろうとの事だが、今日はまだ眠ったままだ。
肩に乗る重みが無いのを少し寂しく思いつつ、眠るモモの頭を撫でてから部屋を出る。
叔父さんは夜遅くまで仕事をしていたせいかまだ寝ている様だったので、一応家のキッチンにパンだけ置いておく事にした。
サーラに貰った果物で作ったジャムやハムが冷蔵庫に入っているし、叔父さんは自分で作ったご飯を何故か食べられるので大丈夫だろう。
あの人の胃袋はいったいどうなっているんだろうか。
魔物の人達ですら一口で気絶する代物なのに。
玄関の扉を開ければ遠くまで晴れ渡る青空が広がっていた。
移動魔法陣のある小屋の扉にロインが寄りかかっている。
いつもは暗闇で月明かりを反射する銀色の髪が、明るい太陽に照らされていて少し違和感を感じた。
「こんにちは、ロイン。お待たせ」
「ああ、待ってはいないから気にするな」
「……いつも会うのは夜だから太陽の下にいるロインを見るのがちょっと不思議な気分」
「エルフの結婚式も昼だっただろう」
「それもそうなんだけど」
ロインも基本的に活動するのは夜のようだし、前の世界のイメージでどうしても吸血鬼は夜のイメージがある。
ロインが魔法陣への扉を開けてくれたのでお礼を言ってから潜る。
皆普通にドア開けてくれたり荷物を持ってくれたりするので、申し訳ないような嬉しいような気分になる事が多い。
しっかりお礼は言う様にしているけれど。
「少し待て」
そう言ったロインが魔法陣の操作盤にポケットから取り出した赤い石を当て、何か操作を始めたのを後ろから見つめる。
いつもは町に行く時しか使わないのであの操作盤に私が触れる事はめったに無い。
ただ叔父さんが操作する時にはアイテムは使っていないのであの赤い石は何か特殊なアイテムなのかもしれない。
「その石で行くの?」
「ああ、特殊な場所だからな。簡単に来られても困るから特殊なアイテムが無いと来られないようになっている」
確かに魔王城なんてそう簡単に行けても困るか、なんて思ったがよく考えれば今から行く場所だ。
幹部のロインが連れて行ってくれると言っているんだから別に良いのだろうが、何となく気合を入れた所で魔法陣の色が今まで見た事の無い色に変わった。
「これで良い、行くぞ」
「うん」
軽く返事を返すと、自然に手を取られた。
少し冷たい手に自分の手が包まれる感覚に驚いてロインを見ればこちらを見ずにそのまま魔法陣の方に歩き出す。
アイテム持ちと触れ合ってないと行けないとかだろうか。
きっと違うんだろうとわかってはいたがその感情には蓋をして、手を引かれるまま魔法陣へと足を踏み入れた。
着いた先は石で出来た東屋の下だった。
そこから小高い丘の上へ石畳の小道が続き、その先の崖の上に黒を基調としたお城が建っている。
崖の下は海の様で波の音がかすかに聞こえ、塩を含んだ風で少し肌寒い気がした。
窓が並ぶ建物部分は魔物の人達の住居だろうか。
その上にいくつか突き出た塔のような部分には薄い霧がかかり、所々にステンドグラスのような窓が見える。
辺りは少し薄暗く、城へ向かう小道には青い光を放つ球体が浮かんで足元を照らしだしていた。
近くの木にはたくさんの蝙蝠が止まってじっとこちらを見つめて来ている。
よくゲームで見る最終ダンジョンのイメージそのままだ。
「……なんか、イメージ通りというかなんというか」
人の住まいだしあまり悪くは言えないが他に何とも言えない。
建物自体はすごく綺麗だし荘厳なお城なのだが周りの雰囲気が魔王の城ですよ、と主張してくる。
「わざとだからな」
「えっ?」
未だに私の手を握るロインがサラリと口にした言葉に疑問の声を上げれば、ロインが小さくため息を吐く。
どこか呆れたような視線は城の方へ向けられていた。
そのまま手を引かれてゆっくりと小道を歩き出す。
「以前は普通の城だったんだ。霧も無ければ薄暗さも無かった」
「え、でも今は……」
もしかして聞いちゃまずい事なんだろうか。
魔王が亡くなったから喪に服しているのかもしれない。
「まあ、一言でいえば悪ふざけだな」
「は?」
ちょっと真剣に考えたからか、返ってきた言葉が理解できない。
悪ふざけでこの城の見た目はダンジョンの様になっているのだろうか。
「えっと、わざとこういう雰囲気にしてるって事?」
「ああ」
「あの霧とか薄暗さは魔法か何か?」
「そうだな、城の中にこの辺りの光源や天候を操作する魔法の基盤がある」
「あの蝙蝠は?」
「あれは城の連中のペットだ」
「ペット……」
思いの外平和な話が出てきた気がする。
こちらをじっと見つめて来る蝙蝠の群れもそれを聞いてしまうとちょっと可愛く見えてくるのだから不思議だ。
「……戦争が始まった時にどうせならそれらしくしてやろうぜ、等と言い出した馬鹿な奴がいたからな。幹部共も止める所か同調するし姫は素敵だと笑っているしで、強引に押し切られて今の外観になったんだ」
どこか懐かしそうに、寂しそうに、でも口調だけは軽くロインが話す。
「それって魔王って言われてる人?」
「ああ、あいつはそういう奴だった。タケルの性格にいたずら好きが加わった感じか」
「それは、言って良いのかわからないけど収拾が付かなそうな人だね」
「そうだな。言い出したら聞かないし、ノリの良い部下が多かったから俺一人では止められなくてな。あいつと姫が正式に婚約して落ち着くかと思ったが姫は後ろで笑いながら見ているだけだったから余計に悪化した気がする」
「姫?」
さっきからロインの言葉にはあいつ、と姫が出て来る。
あいつが魔王を差すなら、姫はどんな人だったんだろう。
魔王の奥さんになる人なんだからどこかの魔物のお姫様とかなんだろうか。
「……城へ入る前に少し回り道をしても良いか?」
「え、うん。大丈夫だけど」
私の問いには答えず、地面に視線を落としたロインにそう聞かれて頷く。
城の城門の前の道を曲がったロインと一緒にさっきよりも細い小道を少し歩けば、崖の先端の方にたどり着いた。
するりと私の手を離したロインが数歩先へ歩いて止まる。
視線は少し下、地面に置かれた白い石へ向けられていた。
崖の先端は小さな広場の様になっており、小さな花畑が広がっている。
ロインが見つめる石は崖に近い場所に置かれており、その前には大きな花束が置かれていた。
海から来る風が花びらを舞い上げ、こちらを振り返ったロインの銀色の髪と長いコートが揺れる。
「アヤネ、君は以前の戦争についてどのくらい知っている?」
じっとこちらを見てくる赤い瞳に促されて彼の傍まで近寄れば、足元の白い石に文字が書かれている事に気が付いた。
二人分の名前、添えられた花束、どうやらこれはお墓で間違いないらしい。
「どのくらいって、えっと」
いつかは調べなくてはと思ってはいたが日々の忙しさを言い訳に戦争の事を何一つ知らない事を悔やんだ。
この世界の人達なら誰でも知っているであろう戦争の事を私は知らない。
言い淀んだ私を見て何かに納得したようにロインがああ、と呟いた。
「俺は君がこの世界の生まれで無い事は知っている」
「…………え?」
なんてこと無いような表情でそう言ったロインに、言葉にならない間抜けな音が口から零れた。
ふ、と口元を緩めたロインが続ける。
「この世界に来て戸惑っていたタケルに店を出すように勧めたのは俺だ。違う世界などと言う存在は初めこそ信じていなかったがタケルの性格を理解すればそんなくだらない嘘をつくような人間でないのはわかる」
ポンポン出てくる新事実に固まる私を見て可笑しそうに笑うロイン。
聞いてないよ叔父さん、なんて呆然とした頭の中で思う。
流石に別の世界から来ました、なんて言う訳にはいかないと思って誰にも話さず一年以上を過ごして来たのに。
まさかこんなに身近な人が知っているとは思いもしなかった。
「俺がタケルと出会った時はあいつは行商として旅をしながらアイテムや武器を販売していた。魔物相手、しかも魔王側の幹部だった俺に普通にアイテムを買わないかと持ち掛けてきたから初めは驚いたな。旅は好きだが安定しない生活だから少し厳しいと言ったあいつにそれならこのダンジョンの上で店を出さないかと持ち掛けたんだ。その時は今は人間用になっている店を共用で使っていたから人数の少ない魔物連中は肩身が狭かったし、タケルは魔物に対して差別意識も無いから俺にとっても都合が良かった」
「だから叔父さんはあそこで店を出したんだね」
「ああ、開業資金は俺が出したんだが数か月で返済してきたのは驚いたな。返さなくても良いとは言ったんだが。あいつの商売への才能はすごいな。今まで見た事も無いアイテムの相場や効果を調べて適正な価格で売り、確実に儲けも出すなんて並大抵の事じゃ出来ないぞ。まああそこまで料理が出来ないのは想定外だったが」
お店の開業についても詳しく知らなかったが、まさか資金を出していたのがロインだとは思わなかった。
今住んでいる家があるのはロインのおかげなのか、おかげで私は路頭に迷わずに済んだわけだ。
「ありがとう」
「ん?」
「いや、ロインが提案して資金を出してくれたおかげであの家があるんだし。あそこが無かったら私生活出来なかったと思う」
「ああ、その事か。さっきも言ったが資金は返済されている。あの店はもうタケルの物だから気にするな」
「うん。でも助かったのは事実だから、ありがとう」
「……君が来た時は驚いたな。タケルの姪だと言うし、また違う世界から人が来たのかと」
初めて会った時にロインに浮かんでいた疑問の表情は、見知らぬ誰かへの物では無くて違う世界から来たという叔父の血縁者がいる事に対しての物だったらしい。
今にして思えばルストやヴァイス、サーラやジェーンも、私が魔物に対して差別意識が無い事に対して何度か確認されたり色々聞いて来たのに対して、ロインはそういう事は無かったように思う。
強いて言えば私が初めて出会った日に気を付けてと言って見送った時に驚いたり、普通に話す私に対して自分は吸血鬼だぞとアピールする様な事を言ったくらいだろうか。
「まあ君が来てくれたおかげで美味い飯は食えるし美味い血も飲める様になったから俺としてはありがたいが」
「……ご飯の件だけだったら素直にお礼が言えるのに」
なぜ血の味の事まで持ち出すのか。
引きつった私の顔を見て笑ったロインがさっきの疑問をもう一度口にする。
「さっきの感じだと君は戦争の件に関してはほとんど知らないんだな」
「ああ、うん。調べなきゃなあと思いつつ一年以上経ってたね」
「……まあ、よくある事だろう。もう察しているかも知れないがこれは人間たちが魔王と呼ぶ男の墓だ」
そう言って視線を白い石に向けるロイン。
じっと墓石を見つめる横顔からは彼の考えている事は読み取れない。
何となく墓に手を合わせてから、ロインの方を見る。
「二つ名前があるのは?」
「姫の物だ。シュテルが魔王、エレンが姫の名だな。ここは二人が死んだ場所だ」
死んだと口に出した時に、口調に力が入ったのは気のせいじゃないだろう。
何かを堪える様に、けれど吐き出すようにロインが続ける。
「あの二人は最後の決戦の時にここから下の海に飛び降りた。遺体は上がっていないがこの下の海はまず浮き上がれない海流の上にシュテルは満身創痍だった。生存は望めない」
「それでここにお墓があるんだね」
「ああ。あの二人はこの場所が好きだったからちょうど良いだろうと生き残った部下たちが言うからな。勇者連中との戦いで幹部達は行方不明になって生死もわからん。まあしぶとい連中が多いから何人かは生きているだろうが」
「その時に幹部って呼ばれてた人はここにはもうロインしかいないの?」
「ああ、だから今は俺がここに住む連中の纏め役だ」
「そっか、このお城で暮らしてる人達はダンジョンには来てないの? 私が会った事がある人っている?」
「この城の魔物達は王室に不信感を持っているからダンジョン攻略に協力はしていない。君も会った事は無いだろうな」
墓石に向けていた視線が私の方を向き、赤い瞳がじっと私の方を見つめて来る。
後ろに建つ荘厳な城と風で揺れる髪を軽く抑えたロインがすごく絵になっている気がして、そんな場合で無いのはわかっていても少し見惚れてしまった。
「王室が魔物だけが悪い訳では無いからまた共生をしようという声明を出した事は知っているか?」
「うん、それは知ってる」
「俺達に言わせれば戦争の引き金を引いたのは王室の方だ。まあ正確には前王であって今の王は戦争後に即位したから直接は関係ないが」
「そう言えば昨日来たお客さん達も言ってたけど、その前王が復帰するんじゃないかって噂があるって」
「その噂は俺も聞いた。そうなればまた戦争だろうな」
「……以前の戦争は結局どうして起きたのか聞いても良い?」
「元々俺たち魔物と人間は差別も区別も無く共生していた。シュテルは理性の無い魔物を除いた魔物達の王、姫はその前王の娘だった」
「人間のお姫様だったの?」
「ああ。二人は幼馴染だったしお互いの身分も申し分ない、王族間では公然の秘密という形で二人は愛し合っていたしそのうち正式に婚姻が発表される予定だったんだ。なのに……」
ギリギリと手を握り締めたロインの眉間に皺が寄る。
「俺はシュテルとは長年の付き合いで、二人の婚姻の予定も聞かされていた。だがある日シュテルと二人で姫に会いに行こうとしたら国に入れなくなっていた」
「入れなくなる?」
「国全体に魔物除けの強力な結界が張られていたんだ。前王はそういった結界術に秀でていたから誰が張ったかなんて考えなくてもわかった。仕方なしに城へ戻り文を送った、どういうことかと。返信は思いも掛けない形で来た。姫と他国の王子の婚姻が発表されたんだ」
「えっ?」
「何かの間違いかと思った。だが姫の相手の国の名前を聞いて理解した。資源が豊富だが敵対していた国だ。王としては何としてでも同盟を結びたかった国だろう。古くからの付き合いとはいえ魅力的な資源などが無い俺達と比べるまでも無い位にな」
「それにしたってやり方が……」
「俺達ももちろん納得出来なかったし、姫本人も納得出来なかったんだろう。監視の目を潜り国外へ飛び出し、国の近くにあったうちの幹部の居住地に逃げて来たんだ。そしてこの城に来た」
「それは、行動的なお姫様だね」
当時を思い出したのか、ロインの眉間の皺がなくなり微かに口角が上がった。
怒り交じりの声が笑い交じりの声に変わる。
「王族としては褒められたものでは無いだろうがな。それでもシュテルにとっては嬉しい出来事だっただろう。だが王はその姫が飛び出してきた事すら利用したんだ」
「それで戦争に?」
「そうだ。何としてでも自分の思ったように婚姻を成立させたい王が、シュテルが姫を攫った事にして討伐隊を結成して姫を取り戻そうとしたんだ。正式に婚姻を発表していなかったのも悪かった。王に騙された人間と反発した魔物達の間で戦争が起こったんだ」
そこまで言って何かを思い出すように空を見上げたロイン。
どこか空を睨みつけているような印象を受ける。
「最初は均衡を保っていた戦況も、勇者と呼ばれる男が現れてからこちらが押され気味になった。それでも全てを知った魔物達はシュテルの味方だったし俺達も負ける気は無かった。シュテルや姫、幹部連中と囲む食卓はうるさいくらいに賑やかだったし、シュテルと姫はよくこの場所で二人の時間を楽しんでいた」
花が咲き、水平線が見えるほど見通しの良いこの場所は美しいけれどどこか寂しい印象を受ける。
今は波の音以外に私達の声しか聞こえないこの場所も以前は賑やかだったのだろうか。
「最終決戦と呼ばれたあの戦いが起こった日、勇者連中がこの城に到達した。俺達は後退しながらシュテルと姫を庇っていたが、それまでの戦いで幹部連中が殆どいなくなっていたせいもあってこの場所まで追い詰められた。勇者連中は驚いていたな、攫われたと聞いていた姫が殺されそうになったシュテルを庇いに飛び出して来たんだから」
空を見上げたままロインがギュッと目を閉じる。
声に震えが混ざり始めたのがわかったが、話を止める気は無い様だった。
「だがシュテルももう限界だったんだ。姫の治癒魔法もほとんど効果も無く、ズタボロのまま。ここで負ければ姫は国に戻され今度こそ他の国に嫁がされるだろう。俺も必死にあいつらを逃がそうとしたが、もう意識も朦朧としている状態で立ち上がる事すら出来なかった。今思い出してもあの時の自分を殺してやりたくなる」
「ロイン……」
「朦朧とした意識の中でも明確に覚えている事が一つだけある。この崖の先で血だらけのシュテルが腕の中の姫と微笑み合って、静かに海へと身を投げた瞬間を。妙にゆっくりに見えたあの瞬間を一度たりとも忘れた事は無い」
一瞬置いて目を開いたロインがこちらを見てどこか泣きそうな顔で笑う。
「皮肉な話だ。あいつらが飛び降りた後、そこまで追い詰めた勇者が真実を知り動いたおかげで戦争は終わり、きっかけになった前王も退位、今の王になり共生の声明が出た。あれだけ同盟を組みたがっていた国とは婚姻無しでしっかりとした同盟が組まれた。すべては前王の暴走だった。だがその暴走の結果、以前のように共生も出来ずシュテルと姫ももういない」
何も返事を返せずにいる私に向かって再度ロインが笑った。
「戦争が終わりあのダンジョンが見つかって協力要請が来た時、城の魔物達は全員拒否をした。王室が何があったかをしっかり公表せずにどちらも悪いような言い方をしたからだ。俺達の何が悪かった? シュテルが姫を素直に諦めなかった事か? 王室が正式に発表できない理由はわかる。戦争の原因が一人の王の暴走だったなどと知られれば逆に革命が起こってまた戦争になりかねない。だがそのせいで前王は罪に問えず、戦争の引き金を引いた事は知られていても王位継承権を持ったままだ」
「それで今の王に何かあったらその人がまた即位するって言われてるんだ。戦争のきっかけになった人なのにまた即位出来るのが不思議だったけど」
「正式に罪に問われていないからな。継承権を持っている以上はそれが優先される」
「……ロインはどうしてダンジョン攻略に協力してくれてるの?」
「あの時の俺は何をどうしたいんだかわからなかった。あいつを追い詰めた人間たちに復讐したいのか? それとももうあんな事を起こさないためにも今度こそしっかり共生の道を進むべきなのか? 答えが出ないから流されるままただひたすらあのダンジョンに潜っていただけだ。何かをしようという気力もあまり無かった」
今のロインからはあまり考えられないが、かなり投げやりになっていたらしい。
変えたのはやっぱり叔父さんなんだろうか。
「叔父さんに会ったのはその頃?」
「そうだ。人間でありながら少し雰囲気が違う。物怖じもしないし言いたい事はずけずけ言う割に気づかいはある。シュテルに似ている気がして放っておけなかったというのもあるが、あいつに関わっている内に精神的にかなり回復はしてきていたな」
「そっか」
同じ様に叔父さんの明るさに救われた身としては何となくロインの言っている事もわかる。
こちらが嫌にならないくらいの気遣いをくれて、暗くなりそうな気持ちを笑い飛ばしてくれた叔父には私もずいぶん助けてもらった。
「そして君が来た日、タケル以外が同席した夕食は久しぶりだったが、以前はよくシュテルと姫と三人で食事を取っていたから懐かしい気分になった。まあ幹部共が加わってうるさい位の食卓になる事が多かったが」
思い出すような顔をしてそう言った後、浮かべられた笑みから悲壮感が消える。
逆に少しおかしそうな顔になったロインをみて少しホッとした。
「城で暮らしている時はあの食事の時間をどこか煩くて面倒だと思っていた、今は少し恋しい。だが、君との夕食が当たり前になってその気持ちも少しずつ癒された。タケルとは毎日共に食べていた訳では無いからな。店が開いている日は君と夕食が食べられるから楽しみにしている」
「それは、私だって同じだよ。今まで生きて来た世界とは全然別の場所で、叔父さんはいたけどそれ以外の人間関係は全部リセット。ロインが私と仲良くしたいって言ってくれたから、私だってずいぶん救われたんだよ」
「……そうか、それなら良かった」
嬉しそうに笑ったロインが墓石の方に向き直る。
つられる様に私もそちらを向けば、隣のロインの口からポツリと言葉が零れ落ちた。
「あいつが勇者に負ければ死ぬのはわかっていた。だから抗った。器用に見えて実は不器用なあいつがもういない今、人間と争う理由はもう無い。あの二人が愛し合っている事は前王も知っていた。なのに本人達の気持ちを無視して裏切ったのは何故だ。どうして人間はあいつらを放っておいてくれなかったんだろう。どうしてあいつは死ぬくらいなら姫を手放してはくれなかったんだろう」
「…………」
顔を上げたロインの赤い瞳が今まで以上にしっかりと私を見つめる。
何となく目を逸らしてはいけないような気がして、その目をしっかりと見返す。
聞こえていた波の音が小さくなった気がした。
「その疑問が浮かんだその日から考えていた。俺も恋をすればあいつの気持ちがわかるんだろうか? ずっと、そう思っていた」
吹き付ける風が強くなって私とロインの髪をバサバサと揺らす。
風に交じって花びらが舞い上がって私とロインの間をすり抜けて行った。
花びら越しに見える赤い瞳から目が逸らせない。
「今は、少しだけ分かった気がする」
静かにそう言ったロインがスッと手を前に差し出してくる。
首を傾げた私に、ロインが優しい声で告げる。
「海風で冷えるだろう、長々と付き合わせて悪かった。城の中へ行こう」
差し出された手に、今度は自分からおずおずと自身の手を乗せる。
乗せないという選択肢は何故か浮かんで来なかった。
海風で冷えたのか来た時よりも冷たく感じる手にそっと包まれる手。
その手を引かれて、城へ向かう道をロインと並んで歩き出した。




