第94話 二人のシュヴァリエ
不良教師、ついに停職を食らう。
そのショッキングなニュースは、週が明けても女学院のあちこちで話題になっていた。
「ねえ聞いた? マグナ先生、謹慎くらったんだって」
「謹慎? 停職って聞いたけど、何が違うのかしら」
3号棟のとある講義室。錬金術基礎Aの開講を待つ、この教室も例外ではない。皆が口々にマグナ、マグナと担任の名前を連呼する様を、命は冷めた目で見ていた。
「担任が暴行を起こした件について、一言」
「……ノーコメントで」
命は、隣に座るエメロットの質問をさらりとかわす。
正直この手の話題はもううんざりだという気持ちが半分、筋肉痛が辛いので放っておいて欲しいという気持ちがもう半分を占めていた。
筋肉痛の原因は言わずもがな、宮古の『かわいがり』によるものだ。
偽りとはいえ黒髪の乙女を名乗る者が、「もぅマヂ無理」とギャル文字風に弱音を吐きそうなほどには疲れていた。
しかし、少なからずその疲労に救われていた面もあった。
マグナとシルスターの喧嘩が勃発したとき、もしも私が教室に残っていたら何かが変わったのかもしれない……。そんな、ふとした瞬間に頭をもたげる後悔から逃れ得たのも事実である。
昨夜は泥のように眠れた。
雨音で目を覚まし、傘の咲き誇るキャンパスを歩き、こうして今日も日常のなかにいる。
命は、これ以上は望むべくもない平穏な女装生活を送っていた。この連日の空模様と同じくらい冴えない顔をして。
「席につけ。講義を始めるぞ」
ごほん、とわざとらしく咳払いをしてエリツキーが入室する。
「念のために言っておくが、マグナ先生の処分は停職だ。当分の間、仕事をさせないだけで、教師という身分は何ら変わりない。……いっそのこと、懲戒免職にでもなれば席が空いたのに」
教室の女生徒が一人残らず震え上がると、エリツキーは慌てて訂正を入れた。
「じょ、冗談だ冗談! そんなに本気で受け止めるな!」
(……副教員が言うと、洒落にならないのですが)
「む、無駄話が過ぎたにゃ」と噛みつつも、エリツキーは強引に講義を始めた。
講義はイントロダクションだった錬金術の歴史から、実践的な錬金術の座学に移りゆく。
エリツキーが手始めに大星型十二面体――金平糖みたいな物質を精製すると、小さな歓声が上がった。
「いいか。錬金術士がまず学ぶことは固体の変化だ。この分野において錬金術士は優れているが、液体、気体……いわゆる三態変化の内の二態にすることは不得手だということを覚えて欲しい」
エリツキーやシルスターが、好んで【銀の剣】を使う理由もここにある。作り慣れた物であれば、尚さら作るのも早いのだ。
見よう見まねで銀色の金平糖を作ろうとする生徒もいたが、なかなかに難しい。歪な金平糖が幾つも宙に浮いた。
各所で金平糖品評会が開かれるなか、意外にも好評を得たのは黒い金平糖――命が外見だけ模した魔法弾だった。
「さすがは東洋系というべきか……器用なものだな」
これにはエリツキーも素直に驚いた。
東洋系の魔法少女が器用なことを差し引いても、上々の出来である。
(えへへ……久しぶりに褒められてしまいました)
これには普段邪険に扱われがちな黒髪の乙女もご満悦だった。
これも血反吐を吐く思いをしているのにもかかわらず、一行たりとも描写がされない東洋魔術(姉)の賜物である。
命は、わずかな時間を見つけては魔法弾をつくるよう、宮子に言い付けられていた。健気な妹はわずかな時間を見つけては、魔法弾を作っては消しを繰り返していた。
「ちょうどいい。八坂、そいつを誰かのトゲトゲにぶつけてみろ」
(……トゲトゲ)
可愛いらしい呼称が気になるも、命は言われた通りに黒いトゲトゲ(かわいい)を前方に移動させる。
横にトゲトゲが浮かんでいれば楽だったが、あいにく隣の不真面目な優等生は、くわあと猫みたいに欠伸していた。
どうせ相殺実験だろう。
共通魔法実技でも似たようなことをした覚えがある。
そう安易に判断した命であったが。
(えっ!)
黒と銀。二つのトゲトゲが接触した瞬間に起きたのは相殺ではなかった。えせ匠が作った黒いトゲトゲだけが一方的に破裂していた。
相手が飛び抜けた実力者というわけでもない。前に座っているのは、命と同じ外部入学生だというのにだ。
「今のでもわかるように、破壊力に長けているというのも錬金術の大きな特徴だ。だからこそ慎重に扱え。実践形式の講義では人に魔法を向けることもあるが」
念を押すように。しかつめらしい教師は、厳格な顔つきをさらに強ばらせて言う。
「くれぐれも……くれぐれも魔法を暴力にはするな」
それは、まるで特定の誰かを想起させるような言葉で。口をつぐんだ女生徒たちは心して忠告を受け入れた。やがて誰もが講義に没頭していくなか。
「最近はやけに物騒ですね」
ぽつりと。世間話をする気軽さでエメロットが声を落とした。
「なんでも魔法少女同士の喧嘩が後を絶えないようですよ」
「共通魔法実技が開講したからじゃないですか?」
エメロットの指摘も最もだが、元より共通魔法実技開講直後は魔法少女同士の喧嘩が増える傾向にある。
銃を持つと撃ちたくなる心理と似ているのかもしれない。
魔法に馴染みがなかった外部入学生が、本格的に魔法を学び出した反動なのだろう。一般論として、命はそう捉えていたが、
「そうですか? いくら何でも例年の同時期と比べて二倍強というのは、あまりに多過ぎやしませんか?」
に、二倍!?
命は、危うく叫びそうになった声を飲み込む。どこで拾ってきたかは知らないが、驚くべき数字だ。
「しかも、喧嘩をするのは決まって東洋と西洋の魔法少女のペア。……何か裏があると思いません?」
言われてみればそうだ。命も魔法少女同士の諍いを数件目撃していたが、いずれも東西の魔法少女によるものだった。
コインを投げたとき、たまたま裏が続けて出たことに法則性を見出してしまっただけ。そう反駁することもできたが、命はもう一つの法則性を見つけてしまう。
(そうだ……確かに)
ここ最近の揉めごとは必ず東西の魔法少女が起こしたもので、最後には必ず西洋側に軍配が上がる。思い返してみれば、そんな諍いばかりが日常に溢れていた。
「……貴方、どこでそんな情報を」
「読みます? 結構面白いですよ」
エメロットが差し出してきたのは、八つ折りの新聞……といっても、手作り感溢れる学生新聞だった。
プレススクールと題打たれたそれを無言で受け取ると、命は見ろとばかりに前面に書かれた記事に目を通した。
『知られざる陰謀!? あまりに多過ぎる契約会の謎に迫る』
『契約会といえば、セントフィリア女学院に根付く伝統であり、姉妹制度とは切っても切れないイベントである。
セントフィリア女学院の生徒であれば誰もが知っているイベントだろうが、それでは、こんな噂をご存知だろうか。
今年の契約会には、陰謀が渦巻いているという噂を……。
プレスクがまーた事実無根の陰謀論を唱え出したと紙面の向こうから嘲笑が聞こえてきそうだが、これは紛れもない事実である。
正味な話、初めは私も耳を疑ったが、これは信頼の置ける、ある筋から得た情報だ。
情報提供者の名前は……仮にA氏としよう。A氏は妹マイスターを自称する、生粋の妹マニアである』
(妹マイスターのA氏……一体何者なのでしょうか)
守秘義務とは何なのか?
そのことを改めて考えさせられる一文を流し、命は記事を読み進める。
『A氏によると、契約会の平均開催数は年1.08回。年に二回開かれる年ですら珍しく、早くも三回目の企画が持ち上がる今年は、極めて異例だと言う。
「契りの場が増えるということは、必ずしも喜しいことではない。互いのことをよく知らないままに別れる姉妹が増えるというのは、実に悲しいことである」
A氏は今年の気軽に参加できる契約会に警鐘を鳴らしている。
この記事をお読みの賢明な読者も、くれぐれも早まった真似をしないよう気を付けて欲しい。
しかしだ、妄りに契約会を開くことに何の意味があるのだろうか。ジャーナリスト魂に火がついた筆者は、契約会の統括者V氏に突撃取材をすることにした』
◆
(……統括者のV氏)
所変わって演舞場。
命の視線は噂のV氏と思しき女生徒に注がれていた。
ヴァイオリッヒ=シルスター。
マグナを排除した女帝は、今日も傍若無人に振る舞っている。
Vで始まる女生徒が少ないことから考えても、彼女がV氏である可能性は非常に高い。契約会を何度も開催できる点も踏まえれば、黒と言い切ってもいいだろう。
(道理で高そうな料理ばかり並んでいたわけです)
宮古と姉妹喧嘩を起こした際、命も契約会の会場を通りがかったことがある。
チラリと覗き見た会場には、およそ学生主催のイベントとは思えぬほどの料理がずらりと並べられていた。
あのときは宮古を追うことで精一杯だったが、今となって合点がいく。
乙女の鑑定眼から察するに、あれは六,〇〇〇イェン相当の立食メニューだ。自費でそんな会をポンポン催せること自体がボンボンの所業だと物語っていた。
「……と。……命!」
……しかし、何のためだろう。
近ごろの不穏な空気といい、シルスターはこの状況に何を期待しているのか。
命がプレススクールの記者と同じようなことを考えていたときだった。
「ふえっ!」
急に頬をつねられて、素っ頓狂な声を上げる。犯人は、もち肌をつねることに味をしめたリッカだった。
「さっきから何度も呼んでんのに、無視すんなよ」
「すみません。ちょっと考えごとをしていたもので」
「……考えごとね。あんまりボーっとしてると、また怒られるぞ?」
うっ、と命は小さく呻く。
先の錬金術基礎Aでも、講義中にプレスクを読んでいたことがバレて怒られたばかりだった。
案の定というべきか、マグナの代理として来ているエリツキーは命を警戒している。じめじめした天候に負けないぐらいの半顔で命を睨んでいた。
「おかしい……私、小中とずっと優等生で通っていた筈なのに」
「へえ。日本の学校って、不良どもの巣窟なのか?」
なんちゃって優等生が沈黙すると、リッカは頭二つ下にある肩を叩いた。
「まっ、悪目立ちしたくなかったら、大人しくしておくことだな」続く声は小さく、囁くように「……あんまりジロジロ見るなよ。見られてるぞ」
誰に……なんて聞くまでもない。
このとき命の脳裏を過ぎったのは、プレスクの記事の続きだった。
結局のところ、あの記者はV氏への取材を行えず仕舞いで終わる。
というのも、V氏への接触は図ろうとした日を境に、記者の周りで事故や怪我が多発したからだ。身の危険を感じた記者は、せめてここまでの経緯だけでも公表しようとして……。
――ああ、その人、急に学校に来なくなったらしいですよ。
瞬間、冷たいものが背中を駆け抜けた。
命は静かに時が過ぎ去るのを待ち、隣に立つリッカも彼の側を離れようとはしなかった。
やがて、長い長い休み時間が明けると、鐘の音とともに来た白石が開講を告げた。
「ほな今日は転校生の紹介から始めよか」
「誰が転校生だ、誰が」
エリツキーは咳払いをして仕切り直す。
「マグナ先生の代理を務める、エリツキー=シフォンだ。短い間だがよろしく頼む」
「かったいなー、自分。『ワレワレハ宇宙人ダ』ぐらいのこと言えへんのか?」
「……お前、宇宙人だったのか」
その返しは想定していなかったとばかりに、白石は狐目を見開く。慌てて宇宙人の真似をするも、完全に時機を逸していた。なんとも言えない空気が充満した辺りで、白石は女生徒たちにランニングを言い渡した。
「宇宙人というより、火星人みたいだったね」
「ええ。即興漫才ができないなら、事前にネタ合わせくらいしておいて欲しいものね」
時宜を捉えたツッコミも、床をしばく竹刀の音も、ここにはない。
マグナの不在は、思いの外、女生徒の心に暗い影を落としていた。
騒がしいのは、シルスターとその取り巻きばかり。
いつもは賑々しいランニングの足音もどこか重く、快活さの欠片もなかった。
準備体操、魔法弾の特打、組手……と、集団は重苦しい空気を引きずったまま、淡々とメニューを消化していく。
シルスターに目を付けられることを恐れてか、多くの者が縮こまっていた。
それが顕著に現れたのが、コートマッチの時間だった。
勝率100%にして、当たる者みな不幸にする銀の女帝。
彼女と当たるのだけは御免だと、誰もが願っていた。
先に試合を終えた者のなかには、「助かった」と安堵の声を漏らす者すらいた。
一人また一人と……椅子とりゲームからプレイヤーが抜けていく。
誰しも、最後に残る処刑椅子に座りたいとは思わないだろう。それは命も同じだったが、
(……私の番が来ないのですが)
冗談キツイぜティーチャー、と笑っていられる段階もとうに過ぎた。
――ほう。なら八坂をシルスターと対戦させりゃいいんだな。
まさか……まさか。
今は亡き(?)マグナの遺言が発動したのか。
貧乏くじを引かされるのは誰だ誰だ、と忙しなく飛び交っていた視線は、やがて一点に集中して、
(……嘘でしょう)
残っちゃった。
大宇宙ひとりぼっち乙女だった。
いや、正確には獲物を品定めする肉食系女帝とのデュオなのだが。
「ほう……主か」
(ひいいいいいい――ッ!)
二人でアイドルデビューする方がまだマシだが、これは確実にソロで棺桶デビューする流れである。
「バカが。調子に乗るから痛い目に遭うんだよ」
不機嫌そうなイルゼが憎まれ口でも叩かなければ、辺りは静まり返っていただろう。周りの女生徒の目は、完全に告別式に参加する者のそれであった。
あいつ意外といい奴だったのに……と、大して親交もないのに別れを惜しむクラスメイトがいたり、かと思えば名前も知らないのに今にも泣き出しそうな女生徒Bがいたり。
目端には、抗議の声を上げようとする那須と小喬、ドドスが映っているが、三人まとめて紅花が押し止め、頼みの綱であるリッカはといえば、我関せずとばかりに離れていた。
神は死んだのか。しどろもどろのまま、命が試合に臨もうとしたときだった。
「よし、やろうか」
アップを終えたエリツキーが、歩み出る。
してやったりと浮かべた得意げな表情は、命に向けたものだった。
「なに、講義を真面目に聞かない生徒をちょっと脅かしてやっただけだ」
「……エリツキー先生」
この人ちょいちょい大人気ないな、と思う命であった。
「なんや、ネタ被りやんけ」と白石。
命も激しく同意であった。
エリツキーのやり口は先週のマグナのそれと似ていた。
「先生、それ二番煎じですよ」とは、マグナの後塵を拝するエリツキーには口が裂けても言えなかった。
「私でも構わないよな、ヴァイオリッヒ?」
「勿論じゃ。ロクに試合も組んでくれぬから、退屈していたところじゃ。遊んでくれるというなら、余は誰が相手でも構わぬ」
――遊んだ末に玩具が壊れようとな。
言外に見え隠れする悪意も、エリツキーは意に介さなかった。
「そうか……白石、審判を変わってくれるか」
「ええよ。なら命ちゃんはウチとやね」
「あっ、はい」
あっという間に対戦カードが決まってしまったが、シルスターを避けられるというなら是非もない。命は後ろ髪を引かれながらも下がっていく。
……本当に大丈夫なのだろうか。
無用な心配かもしれないが、マグナの件だってある。
拭い切れない不安が顔に表れると、直ぐに察したリッカが寄ってきた。
「何も心配する必要ねえよ。むしろ、相手がバカ殿なら、不良教師よりエリツキー先生の方が適任だと思うぞ」
リッカが静観していられたのも、偏にエリツキーへの信頼あってこそだ。そうでなければ彼女は怪我を押してでも命を庇っている。
「でも、相手が相手ですし」
「……あのなあ。エリツキー先生は」
リッカが説明しようとするも、そんな暇はなかった。
試合開始とほぼ同時。
甲高い金属音が鳴り響く。
コート中央には、【銀の剣】を交差する二人の女騎士がいた。
(止めた……っ!)
並の女生徒ならダンプカーのごとく弾き飛ばす、シルスターの剣を。
衝撃も冷めやらぬ間に場は動く。
バインドからの鍔迫り合い。互いに軸をずらしながら、剣を滑らせる。
シルスターが繰り出すカウンターが外れたと思った瞬間には、次の攻防が始まっていた。
二本の【銀の剣】が踊る。
四本の脚が優位を確保せんと、一歩また一歩と、立ち位置を調整する。
反時計回りの動きに任せて二人の銀髪は流れ。
キイン――と鋭い音が、再び女生徒たちの耳を刺した。
二人の剣は止まらない。
セロでも弾くかのように【銀の剣】が互いの刀身を滑る。奏でる銀の音色は闘争の場にそぐわぬほどに美しく、命の背筋を凍らせた。
西洋剣術の動きだ。
剣の道をかじるも喧嘩に利用して破門を食らった命にもわかる。
厚く、両刃を持つ西洋剣は刀とは用途が異なる。
両者の剣が接触した状態を機転にして、いかに相手を制圧するか。極論をいえば、ロングソードの技術はこの一点に集約される。
表刃を止めても間髪入れずに襲い来る裏刃。
剣技の間に差し込まれる体技。
まともに受ければ一瞬で相手を制圧する技の応酬を、命は呆けた顔で眺めていた。西洋剣術があまり馴染み深くないということもあるが、
――疾い。あまりにも疾すぎる。
剣の技量もさることながら、【羽衣】をまとった二人の動きは人の域を優に超えていた。
まるで中世の騎士が現界したようだ、なんて言葉では到底足りない。
もっと苛烈に、もっと美しく。
あり得ない剣速、あり得ない手数で。
二人の女騎士がしのぎを削る。
傍から見ている者ですら、一挙一動を見極めることは難しいのだ。コートにいる二人にはどんな景色が見えているかなんて、命には想像もつかない。
「なななっ……エリツキー先生、滅茶苦茶強いじゃないですか!」
「当たり前だ。手前だって春祭りのときに見てたろ?」
何を今更とばかりに、リッカが返す。
それは一月前の出来事。ひょんなことから命が、天才魔法少女と名高いローズとの戦いを演じたときのことだ。
しこたま剣で打ち据えられたので記憶はおぼろげだが、窮地に陥った命を救ってくれたのは確かにエリツキーだった。
「見てはいましたが……まさか、ここまで腕が立つとは」
「あのなあ、エリツキー先生は凄いお方なんだぞ。はっきり言って、正規の魔法少女と比べても遜色ないクラスだし」
さすがは"永遠の四位"である。
"永遠の四位"、"永遠の四位"……"永遠の四位"。
エリツキーの古傷に塩を塗りこむような蔑称が、コートの外を飛び交う。
「だからっ、私をその名で呼ぶなああああああああ――ッ!」
堪らずエリツキーが目を逸らして外野に叫んだ瞬間。
シルスターが躍りかかる。
小さな悲鳴と見開いた無数の眼がエリツキーに危機を告げ、
剣を一払い。
エリツキーは、女生徒たちが呆気にとられるほどに難なく窮地を切り抜けた。右手に壁張りするように【銀の剣】構えて突進する。
シルスターは弾かれた剣を戻すも切り返せない。
突きであり、盾でもあるエリツキーの【銀の剣】が邪魔だった。
「チッ――ッ!」
不機嫌な女帝の舌打ちが落ちる。
分の悪い体勢ではあるが、退くに退けない。
力尽くで相手の剣を弾き出そうとする――その腕をエリツキーが引っ張った。
「――ッ!」
ヘッドスライディングでもするかのように、前に身体が倒れていく。生身の人間であれば、ここで終わりだっただろうが、シルスターもまた超人。
前に投げ出されながらも転ばずに反転。
瞬く間に剣を構え直した。
……追撃はない。
討ち取るのであれば、絶好の機会であったというのにだ。
頭に来る。
シルスターの胸には安堵とともに怒りが去来していた。
この程度のチャンスなど不意にしても痛くも痒くもない。悠然と構える教師の剣は、そう語っていた。
目の前に立ちはだかる女の名は、エリツキー=シフォン。
セントフィリア女学院に勤める御歳23歳。年齢イコール彼氏いない歴。趣味は利酒という名のただの飲酒。十分な実力を持ちながらも正規の魔法少女入りの念願叶わず、付けられたあだ名は"永遠の四位"。
そして、セントフィリア女学院の教師になるに当たり物議を醸した彼女のまたの名は、
「どうした? 遠慮するな。本気で遊んでも構わんぞ」
――セントフィリア女学院の最終兵器。
武闘派が揃う若手教師のなかでもブッチギリの一位。正規の魔法少女にも匹敵する化物を相手にしても、シルスターは果断の攻めを見せた。
しかし、数分の後に残されたのは攻めきれなかったという事実だけだ。
決してシルスターが底を見せたわけではないが、それはエリツキーもまた同じだった。
目もくらむような斬り合いのなかで彼女たちが発現させたのは、互いにたった一本の【銀の剣】のみ。ともに呼吸も浅い。まだ一段も二段も実力を隠しているのは明白であったが、
(……駄目だ)
命には、シルスターがエリツキーに勝てるヴィジョンがまるで見えてこない。命とシルスターの間にあるほど厚くはないが、目に見える壁があった。
「いやー、ええ勝負やったな。速すぎて、ようわからへんかったけど」
「そうか? 次はもう少し見やすいように動くとするか」
なんて、試合を終えたエリツキーが宣うほどに(彼女は至って真面目なだけなのだが)余裕綽々だった。
コートを立ち去るシルスターの背中が、どこか小さく見える。あれだけ威圧感を放っていた女帝の背中が、だ。
マグナの不在を補って余りある、「というかマグナ先生もう帰って来なくてもいいんじゃないの?」と思わせるほどの英雄が誕生した瞬間であった。
堂々とは騒げないが、1-F穏健派は静かに沸き立っていた。
これで銀の女帝の恐怖政治から解放されるのだ、と。
「……これで終われば良いけどな」
女神の独り言を拾えたのは隣にいる命だけだったが、彼は何も聞こえなかったことにした。リッカが心配性なだけなのだ、そう思い込みたかった。
演舞場から伸びる渡り廊下を歩くころには、女生徒の話題はエリツキー先生一色になっていた。
久しぶりに騒がしい級友たちに囲まれながらも、命はどこか波に乗りきれずにいた。
ぼんやりとした白い霧が周囲に立ち込めている。室内にいると忘れそうになるが、雨は降り続いたまま止みそうになかった。
雨に濡れぬよう、命は講義棟を縫って次の教室を目指した。
五限目の講義は地魔術基礎A。
錬金術基礎Aと同じく、やはりここにも茶髪の魔法少女が溢れかえっていた。奇異の目を向けられたものの、初回ほどではない。この講義には知人もいないので、命はひっそりとやり過ごすことにしていた。
大人しくしている分には男だと思われないことが嬉しくもあり悲しくもある。ときたま物珍しげな視線を感じるが、気にするほどでもない。
ただ、一方向から飛んで来る視線を除けば、だが。
……見られている。
リッカから忠告を受けたこともあり、命は神経を尖らせていた。断続的ではあるが、誰かが命に視線を注いでいた。
強い敵意や悪意は感じない……とは思うのだが、命も気ざしを読む達人ではない。どこにでもいる、普通の女装している高校生である。
(さて……どうしたものか)
命は首を回す。視線の主は左斜め後方にいた。
かなりガタイの良い女生徒だ。横に幅広いが、パット見、肥満体には思えない。例の女生徒は命と目が合うと、そっと顔をそらした。
相手が積極的に仕掛けてくる気配もなかったので、命もそれ以上は踏み込まなかった。下手に警戒し過ぎるのも逆効果であろう。
うひひ、と妙な笑い声をこぼしながら、担当のガンロックが講義を進める。
地属性の魔法は足場が重要なので、きちんとフィールドを選定しましょう。荒らした後は、きちんと【整地】すること。
そんなことをノートに書き留めている間に、講義は終わる。
結局のところ、例の女生徒が接触してくることもなかった。
彼女は全く見覚えのない女生徒だというのに、初めましてという気持ちにもならないのが不思議だった。
どこか引っ掛かりを覚えながらも、命は教室を後にする。この後には、カフェ・ボワソンのアルバイトが控えていた。
「げっ、破滅の女神じゃねえか!」
「やばいよやばいよ。今日はもう引き上げようよ!」
夕焼けの見えぬ放課後。
キャンパスを歩く命を見るなり、失礼なことを言ってきた二人組がいた。二人は髪の分け目が違えば見分けが付かない、いかにもといった双子キャラのレッドラム姉妹だった。
「人を見るなりその言い草はどうかと思いますが、お久しぶりです。今日はどうしたのですか?」
ポーション事件以来の邂逅である。あの一件でこっぴどく怒られた二人は、今は真面目なフリをしてパトロールに当っていた。
「ほら、最近は学内の治安悪いっしょ?」
「そうそう。最近の一年生、ちょづいてるからねー」
口ぶりこそアレだが、行動自体は立派である。治安の悪化を防ぐため、自警団は四人体制でパトロールをしていること、それが実に面倒くさいことを、双子は愚痴を交えながら語ってくれた。
「さすがです先輩。勝手に女学院の治安を守る自警団の本領発揮ですね!」
「君はあれかね? 遠回しに人のことをバカにしていくスタイルか?」
「うんうん。ちょづいてるねー」
「い、いえ。そんなことは!」
「うるせー! 髪さらさらだな、コノヤロー!」
「ほっぺたもプニプニだな、バカヤローコノヤロー!」
レッドラム姉妹にシメられたが、命も決してバカにしていたわけではない。若輩者が心配するまでもなく、先輩方が動いていることが素直に嬉しかったのだ。さすがはオルテナ率いる自警団である。
と、そこまで考えて。
「……あれ、四人って一人足りませんよね?」
オルテナ、マイア、レッドラム姉妹、あとは本名不詳の伝令ちゃん。この五人が自警団のメンバーだと、命はポーション事件のときに聞いていた。
「あっ……えっと、ほら! オルテナは団長だから! うちらの団長に下っ端の仕事させられねーし、みたいな!」
「うんうん! オルテナちゃんは別格じゃん?」
双子妹が大きく頷いたところで、この話は終わりだ。歯切れは悪いが、命も追究はしなかった。
双子の目が、この問題に深入りすることを良しとしなかったからだ。
そこまで深くはないが、折角できた繋がりである。特に自警団には迷惑をかけられたこともあるが、助けられたことも沢山ある。
利のある関係をむざむざ悪化させる必要もあるまい。命は、黒髪の乙女然とした柔らかい笑みを浮かべた。
「ですよねえ。お二人とオルテナ先輩を並べるのは失礼でした」
「それは私たちに失礼だし――ッ!?」
「だよだよ! 可愛いからって何言っても許されると思うなよ!」
ぎこちない空気が漂う前に、何とか空気をリセットすることができた。ウザ絡み……もとい、キャッキャウフフをこなしてから、命は先を急ぐことにした。
「それでは私、アルバイトがありますので」
「待てよ」
背中を向けようとする命の胸に、手のひら大の陶器が飛んできた。とっさに受け取ったそれはオカリナだ。よく見ると、ところどころに音孔が開いている。
「それやるよ。持ってないだろ」
「確かに持ってはいませんが……何ですか、これ?」
「自警団名物、乙女のオカリナだよ。鳴らせば、自警団がすっ飛んでくるっていう素晴らしいアイテムだよ」
親切すぎる。何より、こんなに都合の良いアイテムが労せずして手に入ることに、命は不審を抱いた。
「お、お幾ら万イェンでしょうか?」
「バカ! やるって言って金とる奴があるかよ。まだ数足りねえけど、一年には順次配布してんだよ」
「そうそう。ちょっと可愛いからって、自分だけが特別なんて思わない方がいいよ」
みんなと一緒。みんな仲良く並んで一等賞。そういう言葉は、心に余裕を求める命としては大好きだ。
「……良かった。なら、有り難く頂戴しますね」
「あっ、言っとくけど応答するのは九時五時だけな」
「公務員だって残業するご時世なのに――ッ!?」
「無理無理。私たちボランティアだし」
それもそうだ。無報奨なのに働いている二人に対して、高望みが過ぎたか。改めて礼を述べると、命は再びカフェ・ボワソンに向けて歩き出した。
手元にある乙女のオカリナを弄んでから、バッグに仕舞う。
エリツキーという頼もしい教師もいるし、自警団だって本格的に動き出している。
自分が気を揉むまでもなかったのだ。霧のようにかかるこの険悪な雰囲気も、梅雨入り前のこのおかしな気候と一緒に過ぎ去ってしまうのだろう。
命は弾むような足取りでキャンパスを歩いたが、湿った石畳は応えてくれない。弾む筈だった足音は、浅い水たまりのなかに吸い込まれていった。




