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魔法少女の狭き門  作者: 朝間 夕太郎
旅立ち編
9/113

第9話 視線を集める星の下

 長い坂を登った先にある、県下で二番手の進学校――松陽高校。

 何の間違いか、あるいはお節介な男友達のおかげか、玖馬(きゅうま)はこの進学校の入学式に参加していた。


 体育館に置かれたパイプ椅子に行儀よく座らされ、早一時間が経過しようとしている。玖馬が久しぶりに壇上に目を遣ると、教員による新入生の心構えの話がまだ続いていた。いい加減、式が進展しているのか疑わしくなってくる。


(ったく、これが退屈でねえなら何が退屈なんだよ)


 ――いけませんよ。我慢が大事です。退屈に耐えることも勉学の内です。


 玖馬が心のなかで毒づくと、女友達――ではなく男友達に釘を刺された。

 中性的を通り越して女性的とすら思える友達は、玖馬の想像上では純白の天使の格好をしていた。何故そのような格好をしているかは、一年経っても未だにわからない。


 八坂命は、玖馬の親友にして頭の上がらない相手だ。親友が脳内でも説教をしてくるのは鬱陶しくもあり、それと同時に寂しくもあった。


(あいつはどこかで元気にやってるのかねぇ)


 八坂神社の一人息子である命が、遠方の神道系の高等学校へと進学する。

 その事実を知らされたときは少なからずショックを受けたが、命には命の夢があるのだと、玖馬は現実を受け止めることにした。


「まあ同じ空の下にいれば、いつかまた会えますよ」

「同じ空の下って、お前はどこまで遠くに行くつもりだ」

「ええまあ、遠いところですよ。三年間は帰ってこないつもりです」

「そうか」


 玖馬は、命と最後に交わした言葉を思い出していた。

 八坂神社に松陽高校の合格証書を見せびらかしに行ったときの会話だ。合格したことを自慢するつもりが、予想外にしんみりとした空気になってしまった。


 ――なに寂しげな顔してやがる、もっと笑顔で胸を張れよ。お前は親も教師も見捨てたどうしようもない馬鹿を高校に入れたんだぞ。そのすごい所業をもっと自慢しろよ。


 と、本当に言いたかった言葉の代わりに出たのは、他愛ないものだった。


「お前だいぶ髪が伸びたんじゃねえか」


 何か空気を変える話題はないかと考え、玖馬の目についたのがそれだった。

 元より命の黒髪は短くはなかったが、腰半ばに届くほど長くはなかった。後ろで縛った黒髪は、馬の尻尾のように風に揺れていた。


「ああ、これは願掛けみたいなものですよ」

「受験もしない奴が、何を願掛けるんだよ」

「まあ色々と。ちょっと大きな勝負があるもので」

「……大きな勝負ねぇ」


(それは大きいどころか、途轍もない大勝負なんじゃねえか)


 道を外れた不良を張っ倒して、進学校に入学させるぐらいのことを軽くやってのける男である。

 中学校時代の人間は、命の女性的な外見ばかりに目を惹かれていたが、玖馬に言わせれば見当違いも甚だしい。


 八坂命という男の本当の見どころは決して外見ではない――とは、常々に考えているのだが、それを口に出すのは憚れた。

 面と向かって相手を褒めるのは、玖馬の性分ではない。男同士がの凄さを口に出す必要はなく、心で認めていればそれで十分だというのが、彼にとっての男の美学であった。


(たかだか大きな勝負ぐらいで、お前がそんな心配そうな顔する玉かよ)


 命は笑顔を絶やさないよう常に心がけているので、その表情の機微は捉えにくい。特に相手に悪印象を抱かせるような顔や、自分の弱みを見せるような顔はしない。

 いや、正確にはしないと思われがちである。深い付き合いになってくるとわかるが、気配り屋な命は、結構な頻度で難しい顔や困った顔を見せている。

 それでも、ここまでわかりやすく顔を曇らせる命を見るのは、玖馬も初めてだった。


「おい、頑張れよ」

「……はい」

「あの救いようがなかった馬鹿な俺でも受かったんだぜ。まさかあれだけ人に説教垂れといて、お前は頑張れねぇなんて言わねぇよな」


 玖馬の口から出たのは、心にもない憎まれ口だった。

 自分だけが頑張っていたなんてことはない。

 命がどうしようもない不良を張っ倒すために、幾つの傷を負い、何度立ち上がってきたかを知っている。

 命がどうしようもない馬鹿に勉強を教えるため、どれだけの時間と労力を割いてきたかを知っている。


 だが、玖馬はこういう物の言い方しかできない。

 それは命もよく知るところであった。


「ふふっ、それもそうですね」

「おいっ、何を笑ってやがる」

「普段もそのくらい可愛げがあれば良いのに」

「お前には、可愛いとか言われたくねぇなぁ」

「そうですか。褒め言葉として受け取っておきますね」


 夕日に照らされた命の横顔は、女性の顔つきだった。柔らかくて少しイタズラな表情。母親の指導の下、女磨きを続けた成果が出ていたなんて、玖馬は知る由もない。


「私も頑張ってきます。だから貴方も、しっかりと高校生活を送って下さいよ」


 発破をかけた代償として最後に首輪をかけられたのはいただけなかったが、玖馬は良しとした。大恩ある人物がそれで頑張れるというなら良いだろう。


「わかった。約束だ」


 それが、別れの言葉だった。

 あれから命は遠方にある神道系の高等学校に向かったと聞いたが、その進学先が本当に言葉通りなのかは少し疑わしかった。

 けれど、真偽の程など玖馬には関係のないことだった。


(嘘なら嘘で構いやしねぇ。別に不必要な嘘を付く人間じゃねぇからな。あいつは信頼できる奴だ)


 どこにいるかも知れない友人へ思いを馳せていた玖馬だが、彼の意識は入学式へと戻された。壇上では未だに同じ教員が話を続けていて、時計の針はいつもより鈍い。


 意識を戻すきっかけは、隣に座る男子生徒の潜めた声だった。


「なあなあ。お前、第三中学校の奴だろ」

「ああん?」


 反射的に威嚇すると、玖馬の脳内にいる命が小言を言い始めた。


 ――貴方、あれほど言ったでしょうに。人を脅かさない、友好的に話すようにと!


(あー、うるせぇ、うるせぇ。わぁーってるよ)


 威嚇に怯える隣の男子生徒に、玖馬は精一杯友好的な顔をつくる。悪人面が引きつり気味に笑う顔は不気味の一言に尽きたが。


「あー、悪かったな。あれは何だ、癖みたいなもんで悪気はねぇ」

「……そっか。気にすんなよ、別にびびってねぇから」


 羽鳥と名乗った男子生徒の表情は強張り、少し腰が引けていた。元不良の玖馬は、それを目聡く捉えた。この喧嘩前の品定めもまた、彼の抜け切らない悪癖であった。


(なーにがビビってねぇだよ。嘘つくなこら)


 ――他人の揚げ足とりばかり達者だと、いつか自分も足をすくわれますよ。


 チクチク刺さる小言に、玖馬はげんなりする。

 別れが寂しいなどと、おセンチなことを言ったが、命は直ぐ側にいるのだ。

 一年間みっちり小言や説教をいただいた結果がこれである。最後にひどい置き土産をいただいたものだと、彼はため息をついた。


 脳内の命は、お道化た調子で言う。


 ――ずっ友だよ!


(……張っ倒してぇ)


 脳内天使を叩きたい衝動に駆られるも、土台それは無理な話である。水面に浮かんだ月は、いくら水面を掬おうと触れられないのだ。


「それでさ、お前って第三中学校出身なのか」

「そうだよ」


 玖馬はぶっきらぼうに返したが、意外にも羽鳥は怯まなかった。想像以上に骨があるのか、彼の目からは意志の強さを感じられた。


(初日だからな。舐められたら、これから対等に話せねぇと思ったのか)

(ほらほら、そんなことより友達になるチャンスですよ!)


 小姑みたいな脳内天使のエールを受けて、玖馬は会話をすることにした。教員のつまらない話を聞き流すよりは幾分か暇つぶしになると思ったからだ。


「それで、俺が三中とどうなんだ」

「もしそうなら、八坂命の話を聞きたいんだ」

「ふうん。一体何が聞きたいんだよ」


 その人物名が話題に挙がることに驚きはない。命は一部界隈では有名な人物なので、玖馬はむしろ「またか」といった具合だ。そのうんざりした顔が目に入らないのか、羽鳥は興奮して食い気味に寄った。


「いや、そりゃあもう。第三中学校の天使と呼ばれた、八坂命の愛くるしさを余すことなく教えてくれ、というか下さい」

「……命は男だぞ」

「……………………っ!?」


 羽鳥は、この世の終わりみたいな顔をしていた。今日にでも退学届を書いて、四国八十八箇所参りでも始めそうだ。


(まあ、気持ちはわからなくはねぇ)


 ――可愛いは罪ですねえ。私は何も悪くないのに。


 玖馬の脳内天使は、本人の三割増しくらい性格が悪い。しっしっと手を払って、彼は鬱陶しい天使を意識の外へと追いやった。


 玖馬としては同情も禁じ得ないが、命は男である。命の容姿は他校にも噂が広がるほどであり、「第三中学校の黒髪の天使」といえば、八坂命を指す言葉として有名であった。


 知らないのかい? この界隈では常識だよ――と、言われたことがある。「どの界隈だよ」と玖馬は脳内でツッコミを入れるしかなかった。


 初めは性別を超えたびっくり人間程度の扱いだったが、どこで伝言ゲームが狂ったのか、絶世の美少女という噂が出回り始めたのが不味かった。

 その結果、自業自得とはいえ、こうした犠牲者は後を絶たなかった。


(っと、いけねえ)


 玖馬は、慌てて羽鳥の口を塞いだ。

 命が男だと聞いた一部界隈の者の反応は、大きく二種類に分けられる。

 嘘だと言ってよと喚く者と、生気を抜かれたように沈黙する者。

 口を塞いのだのは前者の反応に備えてだ。入学初日に騒いで教員に目をつけられるなど、玖馬も御免である。


(そういう馬鹿なことすると、あいつがうるせぇからな)


 ――そうですね。初日から教員に目をつけられるなんて真似は、馬鹿の極みなので控えて下さいね。


 幸いというべきか、羽鳥が大声で喚き立てることはなかった。生気も一部は体育館の天井に霧散していったようだが、半分以上は残存している。ただ、顔がやばかった。危ない薬をキメたような虚ろな顔をしていた。


「ふへへ……そうですかい」

「気をしっかりと持てよ」

「本当のところは、風の噂で男だと聞いたこともあったんだけどな。けど真実など聞きたくなかったぜ」

「じゃあ、何で俺に聞いたんだよ」

「人は、真実を知らずにはいられない生き物なのさ」


 羽鳥は、どこか遠くを見ていた。


(ああ、そういえば三種類目の反応があったな)


 ――私が男だと薄々気付きながらも、認められないパターンですね。


「ったく。どいつもこいつも、命のことを何もわかっちゃいねぇ」

「何だよ。自分は裸すら見たことがあるような言い草だな、おい」

「体育の授業や水泳の授業があれば、半裸ぐらいは見るだろうが」

「羨ましい――ッ!」

「男だよ、アホが!」


 羽鳥の頭を叩いてから、玖馬はハッとする。

 度を過ぎたスキンシップは時に暴力にも成りうるからだ。中学時代ならば暴力に成り得ても問題なかったが、今は駄目だ。玖馬には命との約束がある。散々無意味な暴力は振るうな、と言われていたのだ。


(今のは、スキンシップの範疇か?)


 恐る恐る窺うと、羽鳥は恍惚の笑みを浮かべていた。


「スクール水着の八坂さんかぁ」


(よし、大丈夫だな。全く堪えてない)


 ――というか、あの人が考えているスクール水着は女物ですよね。


 玖馬は胸を撫で下ろすも、これはこれで問題である。ここまで重篤な相手だと彼も放っておくわけにはいかなかった。


(こういう奴の誤解は、解いておく必要がある)


 田舎町を離れた命の噂は、本人がいないことを良いことに肥大しつつある。面白おかしく尾ひれを付けられた噂は幾つもの人の口を渡っている。


 それが良い噂であるなら、玖馬も咎めはしない。むしろ流せば良いとすら思う。だがそれが命の男の居場所を奪う、人の容姿をあげつらうような噂であるならば、それは掻き消さないといけない。


 いつか命が帰ってくるとき、友人に故郷で嫌な顔をさせない。それが彼なりの、馬鹿を一人更生させた男への恩返しだった。


 ――うんうん。こういうとき、根本から潰すとか言わなくなりましたね。偉い偉い。


(わぁってるよ。暴力には頼らずに説き伏せりゃいいんだろ)


 暴力に頼らず、かつ命に容姿に対する幻想を打ち砕く術が、玖馬にはある。要は、彼が認める命の男の部分を説明すれば良いだけだ。


「命は、武道の有段者だぞ」


 玖馬の言葉は、羽鳥をスクール水着の夢から覚めさせた。羽鳥のとろけた瞳は、懐疑的なものへと色を変えていく。


「いやいや、それはないだろ」

「空手と柔道は茶帯、剣道は初段。ひと通りはできるからな」

「武道を嗜む天使か……いや、それもありだな」


 武道を嗜む命も一部界隈では需要がある、と玖馬は聞き及んでいた。


 知らないのかい? この界隈では有名だよ――と、やはり重篤者から言われたことがある。「だから、どの界隈だよ」と、玖馬は脳内で石油缶に蹴りを入れた。


 この一部界隈の住人には、生半可な燃料を投下しても意味が無い。だからこれでも目が覚めない輩には決定的な爆弾を投下すると、玖馬は決めていた。


「好みはしないが、あいつは喧嘩もいける口だぞ」

「喧嘩ね、それはさすがにね」


 鼻で笑う羽鳥であったが、玖馬の顔は真剣そのものだった。


「嘘だと思うか? 大男を投げ飛ばして、ファミレスの窓をぶち破る奴だぞ」

「そりゃ、さすがに嘘だろ」

「ほう……お前は投げられた男の証言が信じられないと。何なら背中の傷でも見せてやろうか」


 玖馬の目論見通り、羽鳥の顔は青ざめた。武道は問題なくとも、乙女と喧嘩は結びつけることは難しい。これを彼は経験則から知っていた。喧嘩と男が結び付く構図が、否応なく命を男として認識させるのだ。


「命のことを、美少女だなんて思わない方が良い」

「でも、八坂命は誰にでも優しいし、笑顔が可愛い子だろ」

「それは、あいつがアンパンマンだからだ」

「アンパンマンって、何だよ急に」


 ふふっ、と羽鳥の口から息が漏れた。それは強面の男の口から出るには、あまりにも長閑(のどか)で似つかわしい単語だった。


「アンパンマンって超良い奴じゃん。誰にでも別け隔てなく優しくて、困ってる奴には身を削ってまでアンパンくれるんだろ。これが美少女なら最高だろ」

「別け隔てなく、なんてのが大きな間違いなんだよ」


 羽鳥は知らない。デフォルメされた正義の味方の恐ろしさを。命を絶世の美少女としか見ていないから理解ができない。たとえ空腹に倒れても与えず、いともたやすく見捨てる。その恐怖を理解していない。


 当然、アンパンマンはその様な真似をしない。しかし、現実にアンパンマンにも似た存在がいた場合はどうか。彼のように有能で情に厚く、彼よりも時に冷酷で非情な存在が。


「良いか、アンパンマンってのは――」


 正義の味方とて、決して許容できない者がいる。悪と対峙したとき、彼の取る行動はただ一つである。


「バイキンマンを容赦なく殴るんだよ」


 ――あら、そんなことありませんよ。


 玖馬の脳内天使は、黒い悪魔の微笑みを浮かべていた。




     ◆




 半径1メートル級の黒い魔法弾が着弾すると、暴風が吹き荒れた。周囲にいた魔法少女の何名かが、風に煽られる形で海へと落ちていった。


(ああ、大変申し訳ない)


 黒い魔法弾の射手として、命は心から申し訳なく思う。しかし、今はそちらに構っている余裕はなかった。


(今のでノックアウト……とはさすがにいきませんよねえ)


 もうもうとした土煙が晴れると、そこには無傷のフィロソフィアが姿をみせた。驚きの色は隠しきれていなくても、品の良い顔だけは崩さなかった。


「そこらの野犬かと思いきや、なかなかやるじゃない」

「鳩が豆鉄砲くらったような顔していますよ」

「なっ、この野犬――ッ!」


(さて。とりあえず煽ったものの、どうしたものか)


 命は見た。黒い魔法弾が着弾する瞬間、フィロソフィアが展開した【風の壁(ウォール)】を。結果として相殺された命の魔法は、衝撃波として周囲に吹き荒れることになった。


(これは、参りましたねえ)


 命の使える攻撃魔法は、一種類しかない。黒い靄を整形する魔法弾が効かないとなると、困りモノである。魔法のサイズも射出速度も、あれが今の命に放てる精一杯だ。


 命が放つ最大級の攻撃魔法を、難なく相殺する。こうなると本人とて認めたくないが、認めざるを得ない。フィロソフィアは魔法少女として自分より格が高い、と。


(厳密に言うと、私は魔法使いですけどね)


「あら、どうしたのかしら。まさかこれで終わりとは言わないわよね」

「膝、震えていますよ」

「だから、いちいちおちょくってんじゃないわよ、この野犬が――ッ!」


 フィロソフィアの怒りに呼応するように、荒ぶる風が彼女の周囲を旋回する。攻撃体勢に移ったお嬢さまに合わせ、命も次弾装填にかかる。手のひらから漏れた黒い靄が、円球へと整形されていく。


(確かに強いですが、全く勝機がないわけではない)


 これまでの遣り取りを通じて、フィロソフィアには穴があると命は踏んだ。魔法の腕前ではない。彼女の性格面に存在する欠点だ。


 中学時代、命は気配り屋としてクラスメイトから好かれていた。相手に先んじて、相手がされて嬉しいことをしてきたからだ。


 相手が何をされれば、嬉しいかわかる。それはひっくり返せば、相手が何をされれば嫌がるかも熟知していることを意味する。本来その気配りをマイナス方面に活用することは避けているが、何も禁じているわけではない。


(彼女は、余すことなく嫌なことをしました)


 だから、許さないと決めた。命の鉄の意志は揺るがない。黒水晶の瞳は、目の前の敵を淡々と観察する。


 名家の出だけに、フィロソフィアはプライドが高い。プライドの高さは、ときに足元の弱者を見落とす要因となる。加えてお嬢さまは短気である。悪口にも反射的に怒る。


(そして最も大きい弱点(あな)が、彼女の臆病さ)


 フィロソフィアが臆病者だといえる証拠を、命は幾つでも挙げられた。

 着弾前の黒い魔法弾を見た際に、反射的に出したであろう震え声。

 常に上から目線の態度。それは威圧ではなく、威嚇である。

 相殺した魔法が防御よりの魔法であることも、何より周囲に渦巻かせている風の守りが、彼女を臆病者だと教えてくれた。


(叩けば、必ずどこかで臆病者が顔を出す)


 命は相手から目を切らず、神経を研ぎ澄ませた。集中力は血液にのって全身を巡る。フィロソフィアの臆病者が顔を出したとき、首を刈り取る算段を始めていた。


 両者の視線が火花を散らすなか、先に動いたのはフィロソフィアだった。


「吹き飛び……なさいっ!」


 彼女の周りを渦巻いていた風が、命めがけて吹き荒れた。

 向かい風に逆らうように、命も黒い魔法弾を射出した。先ほどと比べて半分程度の大きさだが、緊急時に贅沢はいえない。


「――ッ!」


 命の視界が、急回転した。

 自分が回転していることに気付いたのは、視界が360度以上回った後のことだった。回転する視界に蒼色は、落下先が海であることを示していた。


「あら、なかなか頑張るじゃない」


 空へ吹き飛ばされた命が、海に落ちることはなかった。穂先を包装用紙でくるまれた箒に、彼は落下寸前で乗っていた。


「届かないなら降りましょうか。飛べば、貴方の子供趣味のパンツが見えてしまいますからねえ」

「パンツの趣味は関係ないでしょうが!」


 フィロソフィアは攻め手を緩めることなく、風の魔法弾を成形した。命の黒い魔法弾と同種の攻撃魔法が、二発、三発と彼女の手元から放たれた。


 気圧の差で歪む場所から、命は逃げるように空を飛ぶ。

 透明な風の塊を目で捉えるのではなく、魔力の匂いを嗅ぎ分ける。見えないとわかった次の瞬間には、身体が勝手に動いていた。


 狙いを付けられないよう、命は縦横無尽に箒を走らせる。

 箒の操作については空中散歩でお手の物である。

 続々と届く風の魔法弾を加速し、ときにアクロバティックにかわす。

 海に着弾した幾つかの魔法弾が飛沫を上げた。


(無形の風と、固形の風ですか)


 命は、空中を疾走しながら思考する。

 フィロソフィアが使う風は、大きく分けて二種類ある。

 相手を吹き飛ばす無形の風――突風。

 相手にぶつける有形の風――魔法弾。


 前者は箒で飛べば耐えられるが、防御不能・相殺不能の風。

 後者の風は相殺可能、回避可能だが、直撃すればタダでは済まない風である。


 これを組み合わせて使われるのは骨が折れる。風で煽られ動きが鈍ったところに風の魔法弾が直撃する。命が考え得るなかで、これが最悪のパターンだった。


 当然それはフィロソフィアの狙うところでもあり、今まさに突風を吹かせる準備を始めていた。お嬢さまの周りに風が渦巻く光景が、遠目に見えた。


(来るかッ――!)


 命が身構えること五秒。突風は飛んでこなかった。

 まさか新手の魔法が発動するのかと、命は背筋を寒くする。


 更に待つこと十秒。命は、陸地の様子のおかしさに気づいた。その光景は下手をすると、風の魔法が飛んでくるよりも余ほど命の背筋を寒くさせた。


(あれは……間違いない)


 暴れるフィロソフィアが、教員に取り押さえられていた。それを対岸の火事だと笑える立場に、命はいない。彼もまた立派な当事者であり現行犯である。


 およそ百メートル先から向けられる、教師の鋭い目つきは言っている。

 即刻着陸して面を借しやがれ、と。


 セントフィリア王国に入国してから十五分。命は早くも教師に目を付けられた。

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