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魔法少女の狭き門  作者: 朝間 夕太郎
1年生 ―西高東低のアンビエント編―
89/113

第88話 最強の矛、無敵の盾

 しとしと降る雨が、演舞場の窓を垂れる。

 黒髪の乙女は、流れる雨粒の行方を見るでもなく見ていた。

 くっつき、はじけ、流れ落ちる。雨粒の旅。


 無軌道な雨粒は、自分によく似ていて。

 そして、誰にでもよく似ていた。

 行く末のわからぬ旅を続ける雨粒にはなりたくなかった。ガラスの国に住む雨粒でいたかった。


 たとえそこが、透明な世界じゃなくてもいい。

 曇りガラスの上だとしても、雨粒のひしめく窮屈な場所だとしても、それで良いと言える、自分はそんな人間だと信じていた。


 春の匂いを消す、長い長い雨が続く。

 それでも、止まないと雨というには大げさだろう。長い一生から見れば、ほんの一時にも満たない雨なのだ。


 だから、これはきっと――通り雨の物語。


 


     ◆


 


 四月最終週。

 命は、必修講義である共通魔法実技に参加していた。


(……あー、体中が痛い)


 気を抜くと、ついつい背中が丸まりかける。

 背筋をしゃんと伸ばし、姿勢を正した。

 女性を演じる上で、姿勢が果たす役割は大きい。皮や衣装に気を取られがちだが、姿勢を改めるだけで女性らしさはぐっと増す。


 立てば芍薬座れば牡丹歩く姿は百合の花――という格言は、日々の姿勢が黒髪の乙女をつくる、と八坂家では解釈されている。

 女装の求道者たる命も、その信条のもと日々を過ごしているのだが、どうも姿勢の乱れが目立っていた。


「大丈夫か、手前」


 横に立つリッカが、小声で問う。

 教員が話をしている最中であったが、今の命を目の当たりにしては、放っておくことも憚られた。


「なんか調子悪そうに見えっけど」

「あっ、わかりますか」


 ふう、と息を吐く。

 命の頭をよぎるのは、嵐のように過ぎ去った休日の記憶だ。


「この二日間、お姉ちゃんにこってり絞られたもので。実のところ足もガクガクで、立っているのも辛い状況なのです」

「え……っ!」


(あれ、予想外の反応)


 朝は低血圧な女神さまにしては珍しい。

 翠眼を(しばたた)かせていた。


「あっ、言い忘れていましたね。あの後、お姉ちゃんと仲直りできたのですよ。雨降って地固まるってやつですかね。おかげさまで前よりずっと仲良くなれて」


 先週の姉妹喧嘩が丸く収まったのも、リッカの助言あってのことだ。感謝の意もこめて報告したのだが、どうにも彼女の耳には届いていない様子だった。


「仲良くって……でも、さすがにそれは」


 みるみる顔を真っ赤にする。

 すらりとした長身をもぞもぞと揺するリッカ。彼女からは、平素のふてぶてしさが抜け落ちていた。


(さっき大あくびしていた人とは思えない)


 妙に女の子らしい姿が、背中をくすぐったくする。目を合わせているだけで、釣られて赤面してしまいそうだった。

 一体何がリッカをここまで恥ずかしがらせるのか。命は会話の内容を思い返し、はたと気付く。


「……えっと」


 気づいてしまったからこそ、なおのことバツが悪い。しかし、誤解を残したまま会話を終える訳にもいかなかった。


「魔法の稽古の話ですよ」

「魔法の……稽古?」

「急にお姉ちゃんがやる気を出したもので、土日はビシバシしごかれて……だから、体が重いわけでして」

「…………」


 命は笑顔を絶やさず、冗談めかして言う。


「もしかして……違うこと考えていました?」

「うがああああ! わざとだろ手前――ッ!」


 講義中だということも忘れ、リッカが吠えた。予想以上の反応である。驚きなんとか女神さまの怒りを沈めようとする命であったが、


「そんな、決してわざとでは……ぱにゃっぷ――ッ!」


 凶弾が弁明を遮り、代わりに悲鳴を吐かせた。

 私語がすぎる者には死を――その曖昧なルールに従って制裁が下された。役目を終えたチョークの弾丸は、砕け散って床を叩いた。


「良い度胸してるじゃねえか八坂。このマグナさまのありがたーいお話を無視して、他クラスの女と仲良くやるとは」

「……ひどい! なんで私だけなのですか」


 うぅ、と嘘泣きで頬を濡らす。命はもっともな抗議をしたつもりだったが、マグナとてリッカを見逃したわけではなかった。


 はしゃいでんじゃねえぞ、リア充どもが。と、半ば私怨もこめてスナイプしたのだが、いかんせん女側の反応が神がかっていた。


「はん。当たるかよ、あんなヒョロ鉄砲」


 チョーク見てから吹き流し余裕でした、と言わんばかりだ。【羽衣ローブ】を着るまでもなく、風で弾丸の軌道をねじ曲げていた。


「ったく。相変わらず可愛げねえな、テメエは」

「不良教師に言われたかねえよ」

「まあまあ。八坂が一番メンコイっちゅうことでええやん」


「良くねえよ!」と、二人は仲裁に入った白石に力強く言い返す。それは女としての沽券に関わる、屈辱的な敗北であった。


 ギャースカと教師たちが漫才を繰り広げれば、女生徒たちが顔をほころばせる。本日は才媛も加わって、豪華な見世物となっていた。


 苦笑する黒髪の乙女。

 どつき漫才を展開する、赤青ジャージの体育教師。

 はしゃぎすぎたことを恥じて、身を縮こませるカフェ・ボワソンの女神。そんな女神さまも素敵だと、熱っぽい視線を送るファンもいて。


「――たわけ」


 そんな騒がしい日常に差し込まれた声は、氷柱のように鋭く冷たかった。


「余が一番可愛いに決まっているじゃろ」


 静まり返る室内の中心には、女帝がいる。

 御三家のご令嬢――ヴァイオリッヒ=シルスターは、刺々しい銀の長髪を手で(くしけず)り、誰かが褒めてくれるのをさも当然のように待っていた。


「そうですね、シルスターさんは見た目が華やかですから。琥珀の瞳もキラキラと輝いていますし、羨ましい限りですねえ」

「うむ、やはり主は見る目がある」


 いち早くヨイショしたのは命だった。

 遅れてイルゼをはじめとした取り巻きたちが、次々と褒め言葉を浴びせた。女帝はようやく満足したようで、嫣然とした笑みで応えた。


(……またですか)


 通称シルスター劇場。

 シルスターを主役においた寸劇を、命は心のなかでそう呼んでいた。公演日時は未定。女帝の気まぐれで日に二、三回は開催される茶番劇だ。


 チケット不要、ギャラ無料。

 けれども下々の者に拒否権はなし。女帝のご機嫌を損なわぬよう、命は今日も心にもない台詞を吐いた。


「痛っ!」


 不意に踵を突くものを感じ、声を漏らす。

 振り返ると、伸ばした足を戻す女生徒がいた。

 頭に乗せた双子のお団子。その可愛らしい髪型を裏切るキツい印象の少女は、命をジロリと見据えていた。


「なにヘラヘラ笑っているネ」


 後ろにおわすのは、1-Fの楊貴妃こと――()紅花(ホンファ)。見るからに虫の居所が悪そうな彼女に、命は苦笑いするしかなかった。


(えぇ……今度はこっちですか)


 紅花が不機嫌な理由は、容易に察しがつく。

 口火を切ってシルスターを褒めたことが、気に食わなかったのだろう。紅花とシルスターの不和は誰の目にも明らかだった。


 あっちを立てればこっちが立たず。

 では、どうすれば良いというのか。命は熟考したのち、紅花の耳元に唇を寄せた。聞かれてはならぬ、ナイショ話である。


「大丈夫ですよ。紅花さんも可愛いですから」


 伊達に一ヶ月近く女装潜入しているわけではないのですよ。女性とは常日頃、可愛いと言って欲しい生き物なのでしょう? ドヤアと言い切る命に、


「な……っ!」


 半歩崩拳(はんぽほうけん)――ッ!

 天下を狙える拳が突き刺さった。


「なななっ……何を言ってるヨ。私が言いたいことは、そういうことじゃないネ! バカかお前は!」


 貴重な紅花の赤面よりも、命は酸素は欲していた。

 衝撃が突き抜けたときには、とうに床に突っ伏していた。肺をやられた、上手く呼吸ができない。


 日常に浸かるあまり、黒髪の乙女は忘れていた。

 ここは人知の及ばぬ魔法少女の国。

 一瞬の読み違いが、死を招く世界である。


「おいおい。血気盛んなのはいいが、コートマッチまで待てよ」

「時間も押しとるし、さくっとランニングいっとくか。はいはーい、二列に並んで三周な。【羽衣】は禁止やで」


 この程度のことでうろたえていたら、セントフィリア女学院の教師は務まらない。雑に済ませて、体育教師はランニングを促した。


 一斉に太ももを上げた女生徒たちが遠ざかっていく。

 渡る世間は魔法少女ばかり。遠ざかる集団を薄目で眺めていると、リッカの姿が視界に入った。


(……ああっ女神さまっ)


「グーで済んで良かったな」


 そう言い残し、リッカは去っていった。

 誰彼かまわず可愛いと言う男を助ける義理もなかった。可愛いなんて言葉、彼女は一度もかけられたことがないのに不公平である。


 女神に見放され、更に沈む命に影がかかる。

 リッカと入れ替わりで現れたのは、那須だった。


(……やはり持つべきものはずっ友)


「命ちゃん……何で履修変えたの?」

「あ、いや、それは」


 投げかけられたのは、意外な言葉だった。

 命が履修を変更したのは、つい先日のことだ。宮古が手を加えた履修表を確定版として、大慌てで差し替えて貰っていた。


 その結果、小さなすれ違いが生じた。

 命と那須はほぼ被っている講義がなくなってしまったのだ。


「命ちゃんの……バカ」


 可愛いらしい罵倒が、ナイフよりも胸を抉る。仔ウサギのように走り去り、那須はランニング集団の最後尾に着いた。


(ああ、そんな……那須ちゃんまで)


 女神に見放され、友達に見捨てられ。

 気落ちする命であったが、この甘く優しくない世界も捨てたものではなかった。ひょこり、と視界の隅を黒いまん丸お月さまが掠めた。


「大丈夫? 気分が悪いなら保健室まで付き添うよ」


 頭頂のお団子ヘアを揺らし、気遣わしげな顔を向ける。

 お団子の数は半分でも優しさ百倍。

 中華組の片割れにして1-F最後の良心――(チェン)小喬(チャオ)は、命には天使に見えた。




     ◆




 ランニングが終わるころには、命も復調していた。小喬の気付けの効き目は抜群だった。主な効能は優しさ、黒髪のぼっち乙女にはよく効いた。


「ほなお待ちかねのコートマッチに行こか」


 白石の声を受けて、女生徒がざわつく。

 ランニングに魔法弾の撃ち放し、【羽衣】を用いた二人一組の受け身……そして、とうとうコートマッチがやって来たか、というのが大方の感想であろう。


 外部入学生も噂程度には耳にしていた。

 魔法少女の戦いを意識した実戦形式の講義である。


 一試合の時間制限は三分。

 舞台は白線で区切られたコート。

 魔法の使用が可という点を除けば、ルールは格闘技に近い。ノックアウトがあると言うと物騒であるが、そこは女学生の講義である。


 ギブアップはもちろん、コートの外に相手を追い遣るコートアウト、審判による有効打判定も取り入れている。

 女生徒を切磋琢磨させることで、魔力を高めることが目的であるが、金の卵が割れてしまっては元も子もないからだ。


 過剰な魔法少女は不要。

 大事なのは国を回すための魔力である。

 セントフィリア王国でお国のためといえば、今や上質な魔力を供給する"(コア)"を差し出すことに他ならない。


 一応セントフィリア王国には、限定的な状況下において、理事長が女生徒の指揮権を得る法律も存在するが、その法律も機能しているかといえば怪しい。

 かの王国が平和を貫いている(あるいは外の国との過干渉を避けている)のも理由の一つだが、元より生なかな戦力などは要らないのだ。


 天災あるいは人型兵器。

 四大組織に属する魔法少女で、全ては事足りる。

 実力に開きこそあれ、一線級に位置する魔法少女の脅威は、イージス艦にも匹敵するとまで、まことしやかに噂されているほどだ。


(……と聞いていたのですがねえ)


 孵化させるに値する卵は少ない。

 一クラスというボックスに詰め込まれた魔法少女は、厳選されたら魔法少女バイバイされる逸材ばかりであった。


「わー」と騒げば「きゃー」と返す。

 足を止めて魔法弾を撃ち合う試合は、実戦からはほど遠い。凄絶な表情で髪の引っ張り合うキャットファイトの方がまだ決闘らしいと云えた。


 試合を見学する命は、ほっと肩をなでおろす。

 肉体の接触が増えることを危惧していたが、この分ならズル休みをするほどではなさそうだ。


 と、高をくくるのと同時。


氷の槍(ランス)


 ガラスが割れるような音が響き渡る。

 展開した【結界弾】を破っても、なお止まらない。氷の槍は女生徒をコート外へと弾き出した。


「ふん、東洋の猿を倒した程度で騒がれてもな」


 口ではそう言いつつも、勝者の顔は素直。黄色い声援を気持ちよく浴びていたイルゼだが、悦に浸る時間もそう長くは続かなかった。


【方天戟】


 床を踏み割らんばかりの足音が鳴る。

 隣コートでは、黒い槍を持った魔法少女が相手に肉薄していた。


「ハイヨ――ッ!」


 魔法弾を難なく捌き、相手をくるりと回す。

 黒い槍の柄で、無防備な背中を思い切り叩いた。

 一回転、二回転。派手に魔法少女がコート外へと転がり出る。結界がなかったこともあり、衆目には紅花の一撃の方がより派手に映った。


「言うほどカ? 西洋人も大したことないネ」


 頭上を、脇の下を、自由自在に回った【方天戟】が空気に溶ける。この紅花のパフォーマンスは好評で、観衆も大いに沸き立った。


 お株を奪われ心中穏やかではない。

 イルゼは舌打ちをするも、紅花は一切退かない。むしろこの場で一戦交えるカ、と険しい目つきで語っているかのようだった。


「あの辺りとは、まともに遣り合うなよ」

「……ええ、もちろんですとも」


 リッカが声をひそめて忠告した。あのクラスが相手となると、肉体的な接触よりも損傷が気になるレヴェルである。


 怪我を負うくらいなら、負けの一つや二つくれてやるといったものだ。命は敵意がないことを示そうと、二人に勝者を讃える拍手を送った。


「調子に乗るなよ」「喧嘩売ってるのカ?」


 いがみ合っていた筈の二人がめちゃくちゃ睨んできたので、命は慌ててリッカの後ろに回りこんだ。


「アアン?」


 やはり、睨みの年季が違う。

 たったひと睨みで、リッカは二人を黙らせた。

 滑らかな曲線が描く長駆は、まさに無敵の盾である。


「挑発すんなバカ」


 リッカは、ため息混じりに言い聞かせる。

 反省した命は「面目ない」と恥ずかしそうに応えた。


「気にすんな。ほら次は手前の番だろ」


 リッカに背中を押され、命は前に(まろ)び出る。いくら過保護な女神さまといえど、コートの中までは付いていけない。


「ええ、頑張ってきますね」

「あんま無茶すんなよ」


 それはもちろんである。相手が腕利きの魔法少女であれば、命は勝負開始直後に参ったする心積もりであった。

 命は、正規の魔法少女になる気などない。

 求めているのは、ほど良い日常だ。


「ふふふ、黒髪の乙女がお相手とは光栄ですわ」

「あ、貴方は……っ!」


 メガネを掛けた金髪ボブカットの相手。

 女生徒Bである。名前こそまだ覚えていないが、命とは少なからず縁のある女生徒であった。


「乙女力でこそ後れを取りましたが、私も内部進学組の端くれ。コートマッチであれば負けはしませんよ」

「それでは、胸をお借りするつもりで行きますね」


 開始線にセット。二人見合って立礼をする。

 二人の乙女が対峙すると、やけに品の良い香りが辺りを漂った。


(むう、乙女力はかなりの物をお持ちのようですが)


 どうしたものか、と命は心のなかで息を吐く。

 下手に目立つのも困りものである。

 対戦相手という見方でいえば、女生徒Bは微妙の一言に尽きた。本人の言を信じるならば、それなりに腕は立つのだろうが、かと言って腕利きにも見えず。


 開戦までの猶予もそれほどない。

 短い時間、悩みに悩んだ挙句、命は無難に負ける道を選ぶことにした。


(まあ、私の勝ちを期待している人もいないでしょうし)


「が……頑張れー、命ちゃん!」

「いけいけ押せ押せ、命ちゃん!」


 いたらしい。

 目をパチクリさせながら、命は声の出先を探る。

 コート外の一角で、那須と小喬が小さな身体を目一杯使って応援していた。


(ど、どうしよう……ちょっと嬉しい。で、でも、ここで勝って目立ってしまったら本末転倒なわけでして)


 ――手前なあ、大局を見て動けよ。

 あのカフェ・ボワソンの女神なら、そう言って呆れることだろう。命は湧き上がる欲を抑えようと、リッカのいる方角に頭を振った。


(滅茶苦茶そわそわしています――ッ!)


 髪先を指で弄ったかと思えば、チラチラと期待に満ちた視線を投げる。挙動不審なリッカからは、彼女の懊悩が見てとれた。


 命のちょっといいとこ見てみたいが、目立って欲しくはない。あたしはどうすれば良いのか……と、無自覚に百面相を披露している有様である。


 命は、咄嗟に顔を伏せる。

 こんなニヤついた顔は人さまには見せられなかった。

 たった数名ではあるが、自分のことを応援してくれる友人がいて、対面には自分を認めてくれる相手がいて。


「両者位置に着いて」


 これで手の抜いたら失礼というものだ。

 伏せた顔を上げたときには笑みも消えていた。


(いいでしょう、なら見せてやりましょう……魔法使いの実力を!)


 可憐な面立ちは精彩を帯び、黒水晶の瞳は妖しく輝く。


「はじめ――ッ!」


 黒い魔力を背中から立ち昇らせながら駆ける。

 床板に刻むのは、記念すべき初陣の足あとだ。

 そして、ここから始まる。

 長い……長い……黒髪の乙女の連敗伝説が。


「ドゥッフ――ッ!?」


 試合開始から一分。

 命に直撃した【土の匣(ボックス)】が有効打と見なされ、女生徒Bに軍配が上がった。あまりに呆気ない幕切れだった。


 接戦の末敗れたのならまだ格好がつくが、二人の力量差は明白であった。女生徒Bの猛攻についに捕まったか、というのが冷めた周囲の見方だった。


「くははっ……何なのじゃ、あいつは」


 【羽衣】を着ることはおろか、魔法弾の生成すらロクにできない。命の道化ぶりは、女帝を満足させるだけの余興であった。


「くっ……足さえ釣らなければ、もっと善戦できたのに」

「止めとけ。言えば言うほど、手前の滑稽さが浮き彫りになるだけだぞ」


 さしものリッカも呆れ顔で命をたしなめた。筋肉痛が尾を引いていたことを差し引いたとしても、先ほどの試合はお粗末すぎた。


「どうしたんだよ手前。前はもっとまともに魔法を使えただろ? 本当に調子悪いんだったら、保健室まで付き合うぞ」

「……調子はそこまで悪くないのですが」


 黙っていても、いずれはバレる問題である。

 相手がリッカならばと、命はぼそぼそ語り始めた。


「退院したころから違和感はあったのですが、箒で【加速(ブースト)】した辺りから本格的におかしくなって……魔法の制御が利かないのです。魔法弾はグニャグニャになるわ、式神に至っては出すらしません」

「…………」

「リッカ?」

「ああ悪い、考え事してた」


 リッカは、一瞬意識を飛ばしていた。

 当の本人がどこまで深刻に捉えているかわからないが、それほどに衝撃を覚える告白であった。


 魔法が上手く使えない?

 "核"に傷が付いたのかもしれない。

 それは……魔法少女が壊れる予兆によく似ていた。


 自分の顔から血の気が引くのがよくわかる。

 背骨のなかに冷却水を流し込まれたかのようだ。リッカは青ざめる顔を手で覆い隠し、あくまでも、あくまでも平静を装って言う。


「ったく。どんな言い訳するかと思えば、単なるスランプじゃねえか。鍛錬が足りねえんだよ鍛錬が。せいぜい姉ヶ崎先輩にシゴイて貰いな」

「そうですよね、お姉ちゃんも似たようなこと言っていました。当分の間は、お姉ちゃんの下で勘を取り戻すとします」

「ああ……いいんじゃねえの」


 あたしは東洋魔術のことは良くわからないからな――そう言い残し、リッカは講義から抜け出す。命にはお手洗いだと伝えていた。


 一人残された命は、大人しく時間を潰すことにした。今さら那須たちに合流するのも気が引けたし、何より彼女たちの側には紅花が控えていた。


「私も負けちまったよお、八坂」

「あっ、ドドスさん」


 ぼうっと試合を眺めていると、ドドスが来た。

 内部進学組といっても、なかには落ちこぼれもいる。彼女の浮かべる微笑には、ほんの少し情けなさが滲んでいた。


「ごめんなあ、私も八坂のこと応援したかったんだけど……近くにイルゼがいたから声出せなくて」

「いいのですよ。私もドドスさんの応援できませんでしたし、ここはひとつお相子ということで。負け組同士、仲良く観戦しましょう」


「あら、なら私は混ぜて貰えないのかしら」


 さらにもう一人、声が加わる。

 命を負かした女生徒Bが、申し訳なさ気に近づいていた。


「とんでもない。歓迎しますよ」

「ふふふ、ありがとう。黒髪の乙女ならそう言ってくれると期待して、図々しくも来てしまいました。先ほどはすみませんでした、初心者相手に大人気なかった、と反省しています」

「謝らないで下さい。勝負の世界は厳しいのです。良ければ素人の私にもわかるよう、試合の解説をしていただけませんか?」

「あら、そんなことで良ければ喜んで」


 命、ドドス、女生徒B。

 奇妙な組み合わせで、観戦を続ける。丁寧に解説を挟む女生徒Bに、命はほうほうと頷き、ドドスは躊躇いがちに会話に混ざった。


 互いの人となりがわかってくるにつれ、会話は砕けていく。ドドスが女性らしい二人を羨めば、女生徒Bはここぞばかりに勧誘をし出した。


「でしたら黒百合会がお勧めでしてよ。日夜乙女磨きを追求している同好会ですの。まだ活動が活発とはいえないけど、良ければ是非遊びにいらして」

「面白そうだなあ。でも演劇部の活動があるからなあ」

「まあ、演劇部の役者さんだなんて素敵!」

「違うんだあ! 私は裏方だから、小道具やら書き割りやらを作るのが仕事なんだあ……役者が足りねえから、出ねえかとも言われてるんだが」

「それは出るべきですよ! 折角の機会じゃありませんか。いつ出るのか教えてくれたら、私、必ず見に行きますよ!」


 裏方だけなんて勿体無い。演劇部に入部したのなら表舞台にも立つべきだ、と女生徒Bは拳を握って力説した。どうやら演劇鑑賞が趣味らしい。


 初めこそ真面目に観戦していた三人だが、いつの間にかコートマッチそっちのけで会話に興じていた。


(本当に、女の子はお喋りが好きですねえ)


 命は、言葉少なに二人を見守る。

 とても微笑ましい光景である。

 二人が仲を深める様子を見ているだけで心が温まる。そんな陽だまりのような時間に水を差したのも、やはり白銀の女帝であった。


「歓談中のところ悪いが、リッカはどこじゃ?」


 微塵も済まなさを感じさせない、ふてぶてしさだ。体育着の上から銀甲を鎧うシルスターは、他の二人には目すらくれず命に問う。

 妙な緊張感が周囲を覆う。

 気づけば、女生徒Bとドドスは一歩退いていた。


「……リッカなら、お花を摘みに行きましたが」

「そうか。あやつ目、余に恐れをなして尻尾を巻いたと見えるな。なら結構、邪魔をしたな」


 興味をなくしたように、シルスターは踵を返す。

 やっと一息つけると安堵する二人と、命が抱いた感情は真逆だった。


(尻尾を巻いた……リッカが……貴方に?)


 ゆらりと赤い感情が腹の底で揺れた。


「尻尾を巻くとは、どういう意味ですか?」


 おべっかを使っていたときとは違う。

 射るような視線を受けて、シルスターは振り返る。


「どうもなにも言葉通りの意味じゃ。余はあやつよりも強い。だから、あやつは余とのコートマッチを避けたのじゃ」

「……リッカは腕を怪我しているのですよ?」

「ふむ、そうであったな」


 さも今気づいたとばかりに頷き、シルスターは厭らしく口を開いた。


()()()()なら仕方ないのう」


 耳に粘着くような、含みのある言葉。

 命は直感的に悟った。彼女は知っているのだと。

 たとえ骨折が完治しようと、リッカが共通魔法実技の講義に参加できないことを。女神が抱える最大の怪我が、心にあることを。


(この人は……っ!)


 溢れそうな怒りを必死に抑える。

 リッカはシルスターを"バカ殿"だと評したが、命に言わせればもっと質の悪い何かである。


「そうそう、余も一つ聞いてよいか」

「何ですか?」


 拒否権など与える気もないのだろう。

 シルスターは柔らかな態度を改め、高圧的な態度で問う。


「主は、余とリッカ……どちらじゃ?」


 ぶわりと毛穴が開き、体毛が逆立つかのような感覚を覚える。言葉足らずなのではない。その質問はそこで完結していた。


 シルスターとリッカ。

 どちら側の人間なのか、と命は訊ねられていた。


(そんなの……決まっている)


 だが、固く引き結んだ唇は動かない。

 迂闊に答えられるものか。後ろの二人の身を案じるだけに留まらない。返答次第では、命の三年間が決まるどころか……終わる。


「私は」


 瞬きをすることも忘れていた。

 景色が霞む。喉はこれ以上にないほどに乾いていた。


「私は……っ!」


 意を決し、答えを出す直前。


「おらあ、シルスター! テメエの番だろうが――ッ!」


 竹刀が床を叩く音が、耳を打つ。

 相手が御三家であろうと、特別扱いはしない。いつまで経っても来やしないシルスターに痺れを切らし、マグナが怒号を上げたのだ。


「うるさいのう、あの野蛮人は」


 気分を害されたとしかめっ面を浮かべた後、表情を和らげる。シルスターが掛けていた重圧は、いつの間にか無くなっていた。


「下がってよい。余も悪ふざけがすぎた」

「いえ、私も冗談を真に受けてしまって、お恥ずかしい。直ぐに試合があるのでしょう。頑張って下さいね、シルスターさん」

「うむ、そこで余の勇姿を見ておるとよい」


 取り繕うだけで精一杯。

 遠ざかるシルスターの声を拾う余裕など、命にはなかった。


 ――あれは駄目じゃな……折を見て燃料(にえ)にするか。


 冷酷なつぶやきは、誰の耳にも届かない。

 臨戦態勢に入ったシルスターは、人目を惹きつけながらコートに歩いた。


(はあ、息が詰まるかと思いました)


 とっても酸素が美味しいです。

 難を逃れた命は、生きている実感を噛みしめた矢先。


「ちょ、ちょっと八坂! さすがに無茶しすぎだあ! あれだけ言ったじゃねえかあ、シルスターには関わらねえ方が良いって」

「そうよ! 蛮勇と勇気を履き違えてはいけませんわよ、黒髪の乙女。台風に巻き込まれたとでも思って、通りすぎるのを待たなきゃ!」


 グワッと前のめり気味に二人が来た。

 勢いに押されて、今度は命が一歩後ろに下がる番だった。


「わわわっ、ごめんなさい」


 自分の身を案じてくれるのは素直に嬉しいが、あまり喜ばしくない流れである。きっとこのお叱りは、別のところに飛び火するのだろう。


 とかく女の子は話が長いのだ。

 湿気が多いとはいえ今日は髪の手入れが甘いのではなくて、黒髪の乙女……なんてお小言を延々といただきたくはなかった。


「えっと……ほら、試合を見ましょう! あっ、あっちを見て下さい。貴方といつも一緒にいる方じゃないですか」

「もう、そうやって話を……あら」


 つい命の指先を追ってしまい、女生徒Bは言葉を切る。今まさに試合に臨んでいたのは彼女の親友、女生徒Aだった。


「どこにいるかと思ったら、あんなところに。後でドドスさんにも紹介しますね、あちらは私の親友の――」


 それから先のことは、瞬く間の出来事だった。

 ドドスに親友を紹介してあげようと、女生徒Bが目を切った瞬間。


 ――演舞場が縦に揺れた。


 地震かと錯覚するほどに重い踏み込み。

 ギンギラギンの光が飛ぶ。

 銀光の正体がシルスターだと知覚したときには、橙色の結界が粉微塵に砕け散り宙に流れていた。


 【結界弾】のカウンターショットだ。

 春祭りでローズと遣り合った際には、命も似たような撃ち方をした。突進してくる相手を阻むには、有効な手段の筈だった。


 ――相手がシルスターでなければ。


銀の剣(アゾット)


 命の思考が追いつくよりも早い。

 女帝の剣が女生徒Aを薙ぎ払い、弾き飛ばす。


 ピーンボールというよりはサッカーボールだった。格子状の黒いネットに突き刺さる様子は、弾丸シュートを思い起こさせる。

 勢いを殺し切るまで黒いネットは伸び切り、やがて、ごとりと女生徒Aがネットに絡まったまま落ちた。


「――さん」


 しんと沈黙の帳が部屋に落ちた。

 突如出現した黒いネットが、白石の行使した魔法だと気付くには、もう少し時間を要した。


「ふむ。下々の者と遊ぶのは、難しいのう」


 シルスターが鼻先で笑ったのを契機に、止まった時が動き出す。


栄子(えいこ)さん――ッ!」


 血相を変えて女生徒Bが走りだす。

 次いで演舞場の一室を悲鳴が満たした。キンキンといつまでも悲鳴が耳をつんざく。ショックを受けた女生徒が倒れこむと、もはや収集がつかなかった。


 五分後の鐘の音を待たず、共通魔法実技は中止となった。

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