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魔法少女の狭き門  作者: 朝間 夕太郎
1年生 ―西高東低のアンビエント編―
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第86話 あの雲の向こうに

 大事な妹をなくすことが、怖くて堪らなかった。

 藍と茜に染まる空を駆り、息せき切って走った。全てが手遅れになる前に手を打たないと、その一心だけが宮古を突き動かしていた。


 風で乱れた黒髪も気に留めず、妹の住まいに駆けつけた。今すぐにでも拳を叩き付けたい衝動を抑え、宮古は上品に扉をノックした。


「はーい。どなたで――」


 扉の隙間から顔を出す妹は、凍りついていた。客人を迎える愛想のよい顔は、おぞましいものを見るかのように歪んでいた。


 一も二もなく扉が叩き閉められる。

 恥も外聞も捨て、宮古は扉に縋り付き声を上げた。


「ちょっと待って! お願いだから、開けて!」

「来ないで下さい――ッ! お願いだから……来ないで」


 その懇願だけで、宮古は扉一枚隔てた向こう側へ行けなくなってしまった。妹を溺愛するあまり、彼女は妹の嫌がることができなかった。


 いや、妹にしてみれば、うんざりするほど嫌なことをされたのだろう。そのひび割れた声を訊けばわかる。妹の声は、宮古のものよりも切実だった。


「……私、再契約会(コンクルシオー)に行くことにしました。だから、貴方も私のことを忘れて……新しい妹を探して下さい」


 再契約会。

 それは、部活勧誘と入れ替わりの時期に行われるイベントだ。女学院が決めた姉妹関係に不満を抱く者が集まり、新たな出逢いを求める場である。


 再契約会に参加するという宣言は、すなわち姉妹関係の終わりを示していた。三下り半を突きつけられた宮古の顔からは、どんどん生気が失われていく。


「そう。次は良いお姉ちゃんに逢えることを祈ってるね」


 声が掠れる前に、そう強がるだけで精一杯だった。姉失格の烙印を押されたその日、宮古は人生で二番目に泣いた。


「そう言えば、あの日も綺麗な夕焼けだったなあ」


 あれから一年の月日が流れた。

 宮古は縁あって箒部の部員を妹にしたが、何も成長していなかったのかもしれない。去年の妹が直ぐに懐いたものだから、大丈夫だと慢心していた。いくら大義があったとはいえ、自制心を欠いていたのだ。


 あの日と同じ夕焼けのなかをたゆたう。箒の上で、風の吹くまま揺らされて。夜の帳が下りるまで、こうして黄昏れているのだろう。


「何時まで経ってもダメだなあ、私は」


 全然成長しない、と箒乗りは自嘲気味に呟いた。この上空(ばしょ)ならば、どんなに弱音を吐いても許されることが唯一の救いだった。


 お姉ちゃんでもなければ、ましてや妹殺しの英雄でも黒髪の流星姫でもない。どこにでもいる一女学生として、感情を吐き出すことができた。


「やっぱり……別れたくないよう」


 誰も知らない雨が、夕空から落ちた。




     ◆




 結局、宮古が講義に姿をみせることはなかった。

 あれだけ打たれ強い姉である。案外ケロリとした顔で帰ってくるのではないか、そう考えていた命が浅はかだった。


(どこなのですか、お姉ちゃん!)


 姉を探して三千里。

 女学院を奔走するも目撃証言は得られず。黒髪の乙女は、宮古のことをよく知る二人の女生徒の元を訪れることにした。


 一人は高虎(たかとら)泰葉(やすは)

 剣道部の部長を務める最上級生であり、根木と那須の姉でもある。

 命は彼女を探して剣道場にも足を運んだが、当の本人は不在。部員に聞き込みをしたものの、高虎の動向を知る者はいなかった。


「そうですか。練習中にお邪魔しました」


 見切りをつけ、命は敷地外れの森に足を向けた。

 半ば放置された土地は樹木が繁茂しているが、道だけは踏み固められている。蛇行する赤茶の細道を歩くと、やがて開けた場所に出た。


 そこは、非公式ではあるが箒部の部員が集っている溜まり場だ。箒を脇に抱えた百名近い女生徒たちが談笑していた。


「お姉……じゃなくて、姉ヶ崎先輩はいますか!」


 手近な女生徒を捕まえ、命は開口一番に尋ねた。


「部長ですか。部長なら、今日はまだ来てませんが」

「なら、えっと、サングラスをかけた……副部長はいますか!」


 命は、宮子と縁の深い副部長がいるかを確認した。名前こそ聞きそびれていたが、ワンレンズ型のサングラスを掛けていた姿は、鮮明に記憶に残っていた。


「えっとですね……副部長は」


 返答に窮して、部員は頬を掻く。先輩と思しき部員の顔色を伺い、どうぞと手でサインを受けてから、はにかみながら答えた。


「ただいま、姉妹喧嘩中でして」

「えっ!?」


 姉妹が結びついてから一、二週間内は、姉妹喧嘩が起こることも珍しくはない。

 とはいえだ、宮古と副部長は一年来の姉妹である。このタイミングでの姉妹喧嘩には、妙な胸騒ぎを覚えざるを得なかった。


「姉ヶ崎先輩と喧嘩中なのですか!」

「いえいえ、副部長は部長の去年の妹ですから」


 どうもわかってなそうな命に、部員は丁寧に説明をしてくれた。

 姉妹(ソロル)とは、上級生と新入生との間で成り立つ制度であり、新入生が進級するころには自然と解消されるシステムである。


「だから部長と副部長は、厳密にはもう姉妹じゃありません。今年の部長の妹は、命ちゃんでしょう?」


 箒部内に温かな笑い声が広がる。宮古がいつも「妹がー、妹がー」と話をしてばかりなので、どうやら命は箒部内でも有名人のようだった。

 黒髪の乙女は少し気恥ずかしそうにするも、今は照れている場合ではない。頬を染めつつも、頭を回して状況を整理した。


「なるほど。副部長が喧嘩している相手は、元姉ではなくて新しい妹。今年の新入生のことでしたか」

「そういうこと。この副部長の妹っていうのが、どうにも手に余る子でね。箒部でも扱いに困ってて……暴れ馬だからなあ、フィロ――あっ」


 口が滑ったと、部員は手で口を押さえるも遅い。女先輩方から諌めるような視線を浴びせられ、彼女は空笑いを浮かべた。


 話題の人物が誰なのかは、命にもバッチリ心当たりがあった。暴れ馬のフィロ何とかさんが、そう何人もいたら溜まったものではない。


(あのお嬢さまも、姉妹喧嘩中ですか)


 と、他人ごとのように考えてから、はたと気づく。


(あれ? もしかして私……あのお嬢さまと同レヴェルですか)


 命は、急にひどい自己嫌悪に襲われた。

 ここに百名近い箒部部員がいなければ、今すぐにでも膝を折り両手をついて、悲しみに暮れるところだった。


「色々とありがとうございます。もし姉ヶ崎先輩がお見えになったら、命が探していたとお伝え下さい」

「ああ、うん。伝えておくよ」


 命はペコリとお辞儀をする。長い黒髪を翻し、今すぐにでも飛び出そうとしたが、不意に声をかけられた。


「あのさ、部長って誤解されがちだけど、悪い人じゃないんだ。だから仲良くしてあげてくれると、箒部の後輩としては嬉しいかな」


 照れ笑い混じりの言葉は、箒部の総意のようだ。百名近い部員は朗らかな表情を浮かべ、無言の同意を寄せていた。


「もっとも、半径三メートル以内には入りたくないけどね。あの人、後輩には見境なく抱きついてくるから」

「……姉がご迷惑をおかけします」


 これもまた箒部の総意であった。

 揃って苦笑いを浮かべる部員たちに再度感謝を告げ、命は【小袋(ポケット)】から箒を落とした。無断飛行は原則禁止なのだが、見つからなければ良かろうなのだ、と地を蹴り飛び立った。


「綺麗に飛ぶなあ。さすがは流星姫の妹」


 地上から聞こえた声が、危機感を呼び覚ます。

 ショートカットで頭が一杯だった命は、咄嗟にスカートを押さえた。念のため高度を上げたが、地上が騒然としている様子は見受けられない。どうやら命の秘所は、露わになっていなかったようだ。


(危ない、危ない)


 額の汗を拭き取り、クールダウンする。ずいぶんと心を乱されていることには、命本人も驚かされていた。

 いつも側にいられると鬱陶しい反面、あまり遠くにいられると落ち着かない。一人っ子の命にも、姉という存在がだんだんと掴めてきた。




     ◆




 藍と茜のヴェールが溶け合い、女学院を幻想的な色に染め上げる。命がセレナ像前に戻ってきたときには、夕日も沈み始めていた。


(水滴? 一雨くるのでしょうか)


 ぽつり、と空から落ちた雫が玉の肌を叩いた。

 灰色雲ひとつないことを怪訝に思うも、命は直ぐに切り替える。雨が降ろうが槍が降ろうが、やることは変わらない。一心不乱に宮古を探すまでだ。


(……なのですが)


 とうに手がかりは尽きている。

 こうなると、地道に聞き込みをする他なかった。


「なんの、これしき!」


 胸元に上げた両手を握りしめ、落ちかけた気分を高める。鼻息を荒くして、いざ聞き込みに乗り出そうとしたときだった。


再契約会(コンクルシオー)、本日開催です! 席には余りがありますので、まだまだ参加者募集中でーす!」


 チラシを配る女生徒の姿が、命の目に止まった。

 大半の女生徒は彼女の横を素通りしていくが、なかには受け取ったチラシを穴が空きそうなほど真剣に見詰める女生徒もいた。


(再契約会……か)


 ふと生じた疑念は、たちまち不安となる。背中から伸びる暗い影が、命に囁きかけている気がした。


 ――本当はとうに自分のことなんて見限って、姉は再契約会に参加しているのではないか?


 考えまいとするほどに、悪い想像が命を責め立てる。心の臓には茨が巻き付いたかのようで、一つ鼓動を刻むごとに胸が傷んだ。


(それも仕方ありませんか。私は可愛くない妹……どころか弟ですものね)


 立ち尽くし、命は白い石畳みに視線を落とした。どれほどそうしていただろうか。やがて、チラシ配りにゆっくりと歩み寄った。


「チラシを一枚いただけますか」


 もしも会場に宮古がいたとき、彼女と後腐れなく別れるために、新たな妹との出逢いを祝福してあげられるように。


 命は悲痛な想いを胸に隠し、手を伸ばす。宮古が隣を歩いていたときには決して受け取らせまいとしていたチラシを、初めて受け取った。


「ありがとうございます」


 言葉とは裏腹に、力のこもる手がチラシに皺をつくった。いっそ認めてしまえば楽になるのに、どこか諦めの付かない自分がいた。


 願わくは、会場に姉がいませんように。黒髪の乙女は祈るような足つきで再契約会の会場を目指した。




     ◆




 再契約会は、6号棟の一室で開催されていた。

 立て看板と受付席が、ひと目でそれとわからせる。外から窺う会場内は立食形式になっており、学生主導とは思えぬほどに豪勢な料理が並んでいた。


 新たな出逢いを求めてめかしこむ者、踏ん切りがつかずにうろつく者、一瞥するだけで廊下を横切る者、様々な女生徒が会場前を行き来するなか、命の目はある一点に釘付けにされていた。


「なんで……ここに」


 つい落ちた声は、命の偽らざる本音だった。

 高い身長、長い前髪の隙間からのぞく威圧的な釣り目。一見して近寄りがたい女生徒は入り口を凝視し、ソワソワ顔を浮かべている。


 行き先を掴めずにいた女生徒――高虎は思わぬ場所にいた。なぜ彼女が再契約会の会場にいるかを考え出すと、ふつふつと怒りがたぎってきた。


 黒髪の乙女は、らしくない大股開きで高虎に突撃した。


「高虎先輩!」

「うおっ、誰だよ急に!?」


 高虎の背筋が、ピンと跳ねる。一心に会場を睨んでいた彼女は、命が近付いてきたことに、まるで気づいていない様子だった。


「なんだ、誰かと思えば宮古の妹かよ」


 驚いて損したと言わんばかりの態度だ。思えば剣道場で初めて会ったときからぞんざいな扱いをする高虎に、命は不満気な顔をする。


「なんだとは、なんですか。私の名前は宮古の妹ではなくて、八坂命です。まあ、それはともかくとして」


 半眼の命が、高虎に迫る。今にもツンと突き出た胸にぶつかりそうな距離であったが、怒りで目が曇る命には見えていなかった。


「どうしてこんな場所にいるのですか」

「えっ……とだな」


 ギョッとして、高虎は目を泳がせた。

 これは、心に疚しいところがある人間の反応だ。そう判断するや否や、命は食い気味に先輩を問い詰めた。


「まさか……姉妹を解消するつもりですか。茜ちゃんと那須ちゃんの何が気にいらないのですか――ッ!」

「待て待て! あのな、その」


 高虎が手を突き出すも、命はまくし立てる。


「若干空気が読めないところですか! 確かに二人は頑固なので、たまに梃子でも動かないこともありますが」

「いや、違う違う!」


 高虎がブンブン手を振るも、命の追求は止まらない。


「それとも、アホの子なところですか! ときおり心配になるほど残念ではありますが、それは彼女たちが純粋であることの裏返しであ――」

「ああん? テメエ、今なんつった――ッ!」


 胸ぐらを掴まれ、小柄な乙女が宙に浮く。攻勢が一転、高虎の逆ギレで戦況はひっくり返った。言葉を失う命の目前には、般若の面があった。


(不味い、この人は『!?』を多用する世界の住人です)


 ビキリビキリと眉間に深い皺を刻む、元関東最強のヤンキー魔法少女。その恐ろしい迫力に飲まれて、黒髪の乙女は竦み上がる。


「おい……神社の娘、五秒やるから念仏を唱えな」

「何倍速で葬るつもりですか――ッ!」


 あと、厳密には神道では仏教を唱えない。

 命の場合は、本家が複雑な成り立ちを経ているため、神道と仏教の両方に理解があるのだが、などと悠長に話していられそうな雰囲気ではなかった。


「違います、違います! 私は二人を貶すつもりはありません。つい高虎先輩が姉妹の縁を切ったのかと思って」


 つい熱くなってしまった――と、命が弁明するよりも早かった。額が衝突する寸前まで、高虎が命を引き寄せた。

 接触は避けられまい。瞬時に危機を察知した黒髪の乙女は、デリケートゾーンを両手で覆い隠した。


「んなわけねえだろうが! なんで私が、あんな可愛い妹たちと縁を切らなきゃいけねえんだよ!」


 間一髪。身体を重ねる前に、緊急防御が間に合う。頭に血が上る高虎も、命の妙な行動を不審がってはいなかった。


 それ自体は喜ばしいことなのだが、重ね合わせの状況はかなり危うい。

 命の前面には布越しに柔らかな感触が張り付き、汗が透けるシャツの間を行き来する。絶妙な身長差もいらぬアシストを決め、秘所を守る手は、高虎のスカートに埋まりかけていた。


 命は茹でダコのように顔を真っ赤に染めて、叫ぶ。こんな破廉恥な状況に、黒髪の乙女は耐えられなかった。


「近い、近い! お願いだから離れて――ッ!」

「おっ、おおっ。悪い、ついカッときちまったから」


 鬼気迫る命に押され、高虎は手を離した。

 脈と顔色が正常になるまで、命は深呼吸を繰り返す。黒髪の乙女は超くーる。あの程度の事故でうろたえたりはしないのだ。


「だっ、つう――ッ!」


 思いっきり舌を噛んだ。動揺しまくりだった。


「おい、大丈夫かよ」

「ら、らいじゅーぶれす」


 今日の自分は、ありとあらゆる面で残念過ぎる。一度空回るといつもこうなのだ、と命は大いに凹んでから言い直した。


「でしたら、高虎先輩はどうしてこんな場所にいるのですか。姉妹仲が良好なら、再契約会に来る必要はないでしょう」

「だから……それはだな」


 言い淀み、高虎は頬を掻く。

 それは偶然にも、箒部で見た部員の反応とよく似ていた。まさかと思いつつも、命は尋ねる。


「もしかして……姉妹喧嘩とかしていませんよね?」

「赤と青のコントラストがよく映える。今日の夕焼けは美しいな」


 なんかヤンキーが変なことを口走っていた。窓辺に肘をつき遠くを眺める高虎は、疑うまでもなく黒だった。


「貴方、さては妹と喧嘩していますね? だから二人がここに来ないか、ずっと見張っていたのでしょう」

「やー、そんなわけないだろ」

「誤解なら結構です。今度お二人に会ったら、高虎先輩が再契約会の会場に来ていたと伝えておきますね」

「待てやゴルァ! 嘘だゴルァ! ごめんなさい、本当のこと話すから相談に乗ってください」


 服の裾を引っ張り、高虎は命に泣きついた。奇しくも似たような境遇に身を置く者同士である。同情する命は、相談に乗ることにした。


「で、何が喧嘩の原因なのですか?」

「喧嘩じゃねーよ。喧嘩じゃねえけど……最近、二人と距離があるというか、避けられているというか」


 指を忙しなく絡み合わせ、目を背けつつ言う。


「ダンジョン部は危ないから止めとけとか、ブルーハワイ研究会は名前からして胡散臭いから止めとけとか言ってたら、嫌な顔されるようになって」


 これで終わりかと思いきや、高虎の話は続いた。

 彼女は外見に反して過保護なようで、あれはダメこれはダメ、と常日頃から二人に口酸っぱく言い聞かせていたことが、話の節々から窺えた。


 高虎の束縛ともとれる言動は積もりに積もり……そして遂に、姉妹間に亀裂が走る事態へと発展した。


「……宮古に近寄らせたくなかったんだよ」


 妹を宮古から遠ざけたい気持ちは、命にも大いに共感できたが、これが予期せぬ弊害をもたらすこととなった。


「あいつの近辺から妹たちを遠ざけてたんだ。そうしたら、友達に会えない、って妹たちが猛反発してきて」

「……道理で。最近二人をあまり見かけないと思ったら」


 ここ数日、命のいるところ宮古がいた。

 同クラスの那須はまだしも、やけに根木の姿を見かけないとは、命も薄っすら考えていたが、まさか高虎がエンカウント率を調整していたとは。呆れ返る命は、ようやく先刻のリッカの言葉が呑み込めた。


 高虎も命と同じだ。

 姉妹という関係に夢見がちな人種である。こうあって欲しいという理想が現実に霧をかけてしまい、保つべき距離を測り違えていた。


「さすがにベッタリし過ぎですよ。あまり側にいられると、信用されていないみたいで悲しい気持ちになります」

「マジか……マジか」


 妹代表の素直な感想は、予想以上に応えたようだ。窓辺に突いた頬杖を崩し、高虎は額を押さえていた。


「そう気に病まないで下さい。高虎先輩の言い分もわかります。あの二人はどこか危なっかしいところがありますから、心配になりますよね」


 命は優しく微笑みかける。

 どこまで上手く伝えられるかはわからないが、心を尽くして言葉を選ぶ。根木と那須の側に立ちつつ、姉である高虎の気持ちを斟酌する。


「でも、もう少し二人を信じて見守ってあげませんか。あの子たちの成長を願うなら、それが何よりの思い遣りでしょう」

「……神社の娘」


 感じ入る高虎の背中を、喝とばかりに命が叩いた。


「ほらシャンとして下さい、お姉ちゃんでしょう? きっとお二人も、お姉ちゃんが帰ってくるのを待っていますよ」


 長い前髪を弄り、高虎は「そうだな」と応じる。その強情さはどこかカフェ・ボワソンの女神を彷彿とさせ、命の頬を緩ませた。


「世話かけたな。うじうじ悩むなんてのは、私の性じゃなかった。面と向き合って仲直りしてくらあ」

「そうですね。それが良いと思います」


 反りが合わなかった二人は、初めて笑顔を交わし合う。邪険にしていた態度を改め、高虎はまじまじと命を熟視した。


「……なるほど。よく似てらあ」


 思わず吹き出しそうになるほど似た者姉妹だ。

 宮古が命を妹に選んだ理由が、高虎にはよくわかった。

 だが、どうやら本人には自覚がないようである。何が似ているのだろうか、と小首を傾げる黒髪の乙女を置いて、高虎は背を向けた。


「じゃあな、命ちゃん」


 堂々とした高虎の背中からは、一切の迷いが消えていた。彼女ならきっと良好な姉妹関係を築くだろう、と安堵した命はつい口を滑らせた。


「ふう。それにしても流行っているのですかねえ、姉妹喧嘩」

「流行ってる……姉妹喧嘩?」


 ピタリと高虎の足が止まる。

 思えば自分ばかりが糾弾されていたが、なぜ命が再契約会の会場前に来ていたのか。ほんの一瞬の間に、彼女はその全容を余すことなく理解した。


「あっ」


 命は失言を認めるも、一歩遅い。

 高虎が回れ右して、ズカズカと戻ってきた。彼女は意地の悪い笑みを満面に咲かせ、命の細い肩に腕を回した。


「あっれえ? そういや、命ちゃんはなんでこんな場所にいるのっかな~。あんな偉そうな口叩いといて、まさか自分も喧嘩中なんて落ちじゃねえよな?」

「ははは……まさか、その」


 命は身を縮こませる。

 図星を突かれたこともだが、肩にのしかかる甘い感触がかなり堪えた。高虎の過剰なスキンシップには、黒髪の乙女も敵わない。


「あははっ、冗談だって、冗談!」


 命の姿をしおらしさと取り違え、高虎はバンバンと背中を叩いた。彼女が腕を離すのがあと数秒遅れていたらと思うと、命はゾッとする。


「大方、宮古のストーキングに嫌気が差したってところだろ?」


 命は煩悩を振り払い、仰る通りですと白状する。

 今さら嘘をついても仕方がない。叱責も覚悟の上の発言だったが、意外にも宮古の親友が顔色を変えることはなかった。


「高虎先輩は怒らないのですね」

「そりゃなあ。あんな妹狂いが姉だったら、あたしは半日でギブだよ。むしろよく数日も保ったもんだと褒めてやりてえぐらいだ」


 高虎は、あっけらかんと笑い飛ばす。この程度の罵りでヒビが入るほど、高虎と宮古の仲はやわなものではなかった。


「それに、仲直りする気があるから再契約会の会場前をうろついてたんだろ。本気で姉妹の縁を切りたきゃ、こんなまだるっこしい真似はしねえよ」


 高虎が腕を上げると、命はビクリと震える。また過剰なスキンシップが来るのかと身構えたが、彼女の手は優しく命の頭を撫で付けた。


「安心しろよ。妹の失敗の一度や二度ぐらい笑って許してやるから。なんたって、私たちはお姉ちゃんだからな」


 頭に置かれたその手は、春の日差しのように柔らかい。命の心に落ちた影は淡い光に飲まれ、すうっと消えていった。

 セントフィリア女学院に古くから残る姉妹制度。それが廃れることなく今なお続く理由を、命は肌を通じて感じ取っていた。


「なあなあ。今の私、超お姉ちゃんっぽくなかったか。完全にお姉ちゃんポイント上がったよな?」


 高虎は嬉々として自分を指差す。少し感動が薄れた気もしたが、命は甘々な採点で彼女を褒め称えた。


「ええ。お姉ちゃんポイント百万点贈呈いたします」

「わあい、やったね! それじゃあ、礼代わりに宮古がいそうな場所を教えてやるよ」


 諸手を上げて喜んだ後、高虎は窓の向こう側を指さした。暮れなずむ空の雲間に宮古が隠れているであろうことを、とうに彼女は見通していた。


 なんてことはない。

 去年の春のこと。幻想的な色に染まる春雲に紛れ、ただひとつ雨を降らす雲があった。ただそのことを、雨雲の親友が知っていただけの話である。

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