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魔法少女の狭き門  作者: 朝間 夕太郎
1年生 ―西高東低のアンビエント編―
84/113

第83話 姉が来たりて

 放課後……。

 約束通り、命は部活巡りに繰り出した。

 最高潮(ピーク)に比べれば、部活勧誘の熱気も落ち着きつつあり、校内で勧誘する部活も目に見えて減っていた。


「外で待つより、こちらから出向きましょう」


 半ば命が引っ張る形で、三人は部活塔をしらみ潰しに回った。

 初めこそ困惑していたドドスとクルトだが、変化の兆しは直ぐに現れた。

 部活への訪問回数を重ねるうちに度胸がついたのだろう。連れ回されるゲストは、次第に当事者へ。二人が積極的に意見を出すようになってからは早かった。


 波長が合ったのか、クルトは早々に文芸部への入部を決め、そしてドドスも今まさに入部を決めたところだった。


 部活塔から幾分か離れた森林部。

 敷地の奥に追いやられた施設が、半ば自然と共生するように立ち並ぶエリア。その一角に連ねる三大ホールの一つ――ロレンスホール。


 ここは、その大広間の隅。

 鼓膜をびりびりと震わす発声練習が続くなか。

 命たちは、ドドスが入部手続きを済ませるのを待っていた。


「いやあ、助かるよ王子。今年は入部希望者が少なくて、困っててさ。何なら王子も入部していかない。歓迎するよ」


 うひひ、とガンロックが独特な笑い声を立てた。

 演劇部の顧問は、どうやら未だに命の勧誘を諦めていない様子だった。折を見ては、少年の美しい友情が描かれた小説の主役をやらないかと誘ってきた。


「折角のお誘いですが、ご遠慮いたします。私はダンジョン探検部の部員ですし、カフェ・ボワソンでのアルバイトもありますので」


 壇上から続く舌打ちが、美しい旋律を奏でていた。

 演劇部員が飢えた目つきをしていたが、命は笑顔でやり過ごす。


(ここで目を合わせたら、負けです)


 演劇部は実に油断のならぬ魔窟だった。

 役者を迎えるためなら、部員も顧問同様に手段を選ばない。わざと水をかけて、舞台衣装を着せるような真似を平然とする連中であった。


「へくち!」


 濡れ髪のクルトが口元を押さえる。

 被害者の痛ましいドレス姿は、とても他人事だとは思えない。命もあわや水難に遭う寸前だったが、そこは黒髪の乙女。透けブラなど許す筈もなく、華麗に回避してみせたのだ。


 しかし、長居は禁物である。

 演劇部が危険極まりないということもあるが、バイトの時間も差し迫っていた。黒髪の部活アドバイザー乙女は、一足先に退出することにした。


「それでは、お先に失礼いたします。コメリン、クル、今度は四人で一緒にお昼を食べましょうね」


 四十八の乙女技の一つ――乙女の美声。

 演劇部の喧騒もなんのその。透明な美声がホール全体に染み渡った。


 返す踵に合わせて、ふわりと長い黒髪が舞う。

 背に二人分の感謝の言葉を浴びながら、命はカフェ・ボワソンへと向かった。黒髪の乙女が退出した後も、ロレンスホールのどよめきはしばらく収まらなかった。



     ◆




「ふう」


 午後九時。

 夜の研修を終えた命は、小洒落たアンティークなプレート――CLOSEDと鉄文字が飾られたもの――をカフェ・ボワソンの扉にかけていた。


「いいよね、それ。何ていうか、労働というこの世の地獄から解放された喜びを一心に味わえるというか。二度と働かねえぞ、ざまあみろって感じだよね」


 命が店内に戻ると、研修担当のアイリが染み染みと言う。

 黒髪の乙女は苦笑するに留めたが、黙って聞き流さない人物が店内奥に一人いた。料理の提供棚に肘をのせるマスターだ。


「アイリ、何ならシフト表から君の名前を消してもいいぞ」

「あはは、やだなあ店長。働くことは、これ即ち生きる喜びですよ。う~ん、今日も一日いっぱい働いたなあ。清々しい疲労感でよく眠れそうだ!」

「そうか、なら良かった。明日はちょうど一人足りなくてな。アイリにロングシフトで入って貰うことにしよう。助かるよ」


 アイリの顔が絶望に歪む。

 そっと横を通り抜けようとした命だったが、力強く肩を掴まれた。


「ねえ、命ちゃん。生きる喜び、お裾分けしてあげようか」

「……そんな淀んだ瞳で、生きる喜びを説かれましても」


 肩から魂まで揺すりにかかるウェイトレス。

 アイリの虚ろな目に命が怯えていると、マスターが助け舟を出した。


「こらこら。研修生を一人で入れる気か」

「えー、いいじゃーん。命ちゃん、もう私よりも仕事できるよ」

「……君は、自分で言っていて悲しくならないのか」


 結局、翌日のシフト問題はあっさりとケリがついた。

 元々断るほどの用事もなかったのか、賄い二食分でアイリが折れたのだ。ごねた甲斐があったと、現金なウェイトレスは喜んでいた。


「命ちゃんも一緒に食べてかない。先輩、奢っちゃうよ」


 一イェンもお金を出していないのに、奢るとはこれいかに。

 思うところがなかったわけではないが、命は素直にアイリのご好意に甘えることにした。カフェ・ボワソンの食事が美味しいというのは大前提だが、命は一学年上のアイリに相談したいこともあった。


「うひょー、キタキター」


 二人分の賄いが、テーブル席に運ばれる。

 スパイシーな匂いが鼻腔をくすぐる。何とも食欲を誘われる匂いだが、それも絶妙なスパイス配分の賜物である。


 要であるケイジャン・シーズニングは基本として、数種類のスパイスが混ぜられていることは、四十八の乙女技のひとつ――乙女の嗅覚の前では誤魔化せない。


(配分を誤ると、結構キツイ匂いになるものなのですが)


 黒髪の乙女としては、対抗心を燃やしかねない料理の腕前だ。惜しみのない称賛を視線で送ると、マスターもまた無言でサムズアップした。


 カレー粉が混じるターメリックライスは黄色く艶めき、レタス、赤パプリカ、コーンが更に見え鮮やかさに磨きをかける。

 一口大の鶏もも肉、チョリソーは、黄色い砂山に埋まる宝石のよう。斜めにかけられた半熟卵の黄身がプルンと揺れれば、空腹の二人はもう止まれない。声を揃えて、食材と料理人に感謝を告げた。


「いただきます」


 マスター特製、カレージャンバラヤ。

 その辛さが癖になるお味。レタスを含めば爽やかな味わいに、卵を溶かせばマイルドに、チョリソーを齧ればピリリと辛さが増す。

 この風味を逃してなるものかと。

 命とアイリは、無言で極上の賄いを味わい尽くした。


「それで、相談したいことがありまして」


 レモンとミントのフレーバーウォーターで一服入れる。

 喉に張り付いたスパイスを、すうっと清涼感が流し落としてくれた。食べることに夢中でついつい会話が疎かになっていたが、命はようやく本題に触れた。


「相談? いいよ」

「……親指と中指を擦るジャスチャーが妙に気になるのですが」

「あっ、ごめん。日本だとこうだっけ」


 アイリは、親指と人差し指で輪っかをつくる。

 人種、信条、言葉に理念、何が違おうとも、これで円滑になる。


「金よこせのサインだ――ッ!」

「失礼な。相談料と呼んでもらおうか。他ならぬ私と命ちゃんの仲だからね。お値段は格安にさせて貰うよ。三割……いや五割引きにしておくよ」


 元値のない値引きに何の意味があるのか。

 詐欺の匂いが鼻をつくも、命はお金を払うことも厭わなかった。もしかすると、この相談は命の半年をも左右しかねない内容だった。


「相談料はおいおいとして……実は、履修を助けて欲しくてですね」

「履修相談か。そう言えば、今週中に提出だっけか」


 命は、履修を粗方組み終えてはいた。

 魔法教科は必修だけ押さえつつ、残りの枠は基本的に一般教科で穴埋めする。それは、外部入学生のお手本とも言える履修組だった。


 しかし、命はここに来て一つの疑念にかられていた。


 ――本当にこれで良いのだろうか?


 チキチキ魔法少女入学杯、黒ホス計画ver1.8、春祭り騒動、階層工事(フロアシャッフル)……無数のトラブルに巻き込まれたことで、命の意識は変わりつつあった。


「もう少し……東洋魔術の講義を組み込んでみようと思うのですが」

「マジで! この履修表ほぼ楽単で埋まっているのに」

「ですよね。私もわかってはいるつもりなのですが。魔法少女を辞めるのに、魔法の勉強をするなんて……マッチポンプですよね」


 アイリは少し考えた風に。

 命の履修表をひらひら揺らした。


「いいんじゃない」


 意外な返答を受けて、命は俯きがちだった顔を上げる。アイリの性格を考慮すれば、てっきり――。


「勿体無いから止めなよ――って、言うと思った?」

「……何故それを」

「顔に書いてあるのよ。伊達に後輩ちゃんより一年長く生きているわけじゃないの。いーい、先輩のこと馬鹿にしちゃダメだかんね!」


「マスター」アイリは右手を挙げる。


「ガララントコーヒー2つ。ごめん、もう少しかかる」

「珍しいな、奢りか?」

「私だって偶には奢るわよ。先輩だもん」


 冷やかすマスターを威嚇するも、さして効果はなかった。

 アイリが歯を見せるも、向ける背中は微笑まし気に子供を見ていた。

 命は、ぼうっと大きな背中を眺めていたが、礼儀を欠いていたことに気づくと、慌ててアイリにおじぎをする。


「ご、ごちそうになります」

「畏まらないでいいよ。それよりも履修相談。……うーん、どうするか。東洋魔術は専門外だからなあ。履修パンフある?」

「あっ、はい」


 命は、スクールバッグから分厚い本を取り出す。

 重く嵩張るそれを慎重に手渡すと、アイリは東洋魔術の履修組みに苦心しつつも、直ぐに作業にとりかかった。


「慣れないことをさせてしまい、すみません。もしかして……スピナ先輩に聞いた方が良かったですか」

「そうだね。出来れば東洋魔術師に聞いた方が為になるかな。でも、一つ訂正。スピナは、ああ見えてハーフだから」


 濡羽色の長髪。腰に下げた黒漆太刀。

 一見して東洋魔術師と誤解されがちだが、スピナは西洋魔術師である。彼女の親友であるアイリは、命の認識を正しておいた。


「まあ、あの子は特殊だから、どの道あまり参考にはならないよ」

「特殊?」

「時代に逆行しているって言ったらわかり易いのかな。良く言えばダンジョン特化、悪く言えば化石って感じかな。どちらにせよ、スピナに相談するのは止めときな。あの子、容姿が良いだけのポンコツだから――ねっ、マスター」


 アイリは首を回して同意を求める。

 コーヒーを運びに来たマスターは、苦笑するに留めた。


「ごゆっくり……されても困るか。切りの良いところで頼む」

「はいはーい。ありがとね、マスター」


 アイリのように陽気に手を振れず、命はペコリと一礼する。マスターは、やはり何も言わずに踵を返した。


 それから、命はアイリと履修組に励んだ。

 間に間に口に運ぶガララントは耳馴染みのないコーヒーだが、甘みが強くて万人受けしそうな味だった。


 甘味に疲れを癒され、カフェインに意識を刺激され。ガララントコーヒー効果もあってか、短い時間ではあったが、命は新しい履修を組むことに成功した。


「ざっとこんなものかな。細かい点はおいおい調整するとして、大枠はこれで大丈夫でしょ。後は、東洋系の魔法少女に見て貰えれば、言うことなしかな」

「ありがとうございます。本当に助かりました」


 バージョンアップした履修表には、命も確かな手応えを感じていた。以前のものと比べれば重さこそ増したが、その分の厚みには期待が持てた。


 高鳴る鼓動が心地よい。

 物事が好転する予感めいたものがあった。


「後は、東洋系の魔法少女……そうだ、姉ヶ崎先輩に確認してみます」

「姉ヶ崎……先輩?」


 命が口に出した名前が、禁忌の魔法であったかのように。先輩風を吹かせていたアイリは、愕然として顔色を変える。


 凍てついた空気のなか、命は恐る恐る尋ねた。


「えっと、私と姉ヶ崎先輩は姉妹(ソロル)なのですが、やっぱり怖い人なのでしょうか」

「怖いっていうのとは、ちょっと違うかな。おぞましい……うん、この表現がピッタリ来るかな。悪い人じゃないんだけど、私なら半径5メートル以内には絶対に入れたくない。姉ヶ崎先輩は、そういう人かな」


 姉ヶ崎宮古という一個人を象徴する単語。

 おぞましい――命がその単語を耳にしたのは、今日だけで何度目か。


 放課後、部活巡りに繰り出したのはドドスとクルトの部活を探すのが第一の目的ではあったが、命にはもうひとつ私的な目的があった。


 姉ヶ崎宮古の情報収集。未だ姿を見せぬ姉の影を追うため、命は彼女が所属する箒部にも足を運んでいた。


 ――とても良い先輩だよ……おぞましいけど。

 ――押しも押されもせぬ箒部のエースだよ……おぞましいけど。

 ――凄い人だけど、まるで尊敬に値しない。あと、おぞましい。

 ――ひいっ、おぞましい。私の前でその名前を出さないで!

 ――何の用かしら、この野犬。ちょっ……なに人の顔を見た瞬間、脱兎のごとく逃げ出していますの。失礼にもほどがありますわ!


 おぞましいは、姉ヶ崎宮古の枕詞なのか。

 已む得ぬ事情で途中撤退したとはいえ、ほぼ同じ意見が出揃った時点で疑う余地はなさそうだった。


 しかし、忌み嫌われているかといえばそうでもないのが、また命を悩ませた。プロファイルを進めるごとに姉の輪郭はボヤケてしまう。


 女生徒から多くの二つ名を贈呈されているあたり、一定の敬意を払われている風でもあるのだが、これもまた断言できない。


 姉ヶ崎宮古の主な二つ名は、三つあった。


 黒髪の流星姫。

 百騎乙女の箒兵長。

 そして圧巻の――妹殺しの英雄(いもうとスレイヤー)


 なぜ最後に要らぬ落ちを付けるのか。

 妹である命にしてみれば、最後の二つ名は堪ったものではなかった。


「はあ……これから顔を合わせると思うと、憂鬱なのですが」

「あれ、まだ顔合わせしてないの? おかしい……選抜合宿が終わってから、もう二日も経っているのに。あの人が妹を可愛がりに来ないなんて……おかしい」


 天変地異の前触れか。

 右手で口元を覆うアイリは、本気で不思議がっていた。

 箒部でも同内容の発言を耳にしたのだが、結局その謎も溶けずじまいだった。命も「その可愛がりって、相撲用語ですよね」とは終ぞ質問できなかった。


 なぜ、姉ヶ崎宮古は姿を見せないのか。

 氷解せぬ謎を解き明かしたのは、意外にも冴えたクズだった。


「もしかして……命ちゃん、ここ二日間の行動パターン変じゃなかった」

「行動パターン?」


 命はこの二日間の動きを思い返す。

 昨日は、大事をとってヴァレリアの診療所に入院していた。一昨日同様にリッカがお見舞いに訪れて、延々と読書に耽っていたのが印象的だった。

 二日目の今日は、健全に女学院に登校した。ドドス、クルトという珍しい三人組で学園生活を満喫した後、カフェ・ボワソンのアルバイトへ。

 そして、今に至るのだが。


「あっ」


 黒髪の乙女は、恐ろしい仮説を導き出してしまった。


「仮に……仮にですよ!」


 思考を整理するために雑記帳を取り出す。命は自分の二日間のタイムテーブルを書き出すと、その上に姉ヶ崎宮古の空想の行動を書き足した。


「姉ヶ崎先輩が、私を探していたとしたら」


 初日、宮古が空振るのは間違いない。

 カーチェの迷宮で【階層工事】が発生した件は、公にはなっていない。そのため、命が入院したことを知る人物も一握りだった。


「間違いないよ、命ちゃん。あの人……延々と女学院をさまよってたんだよ」


 命とアイリは、顔を見合わせて身震いする。

 だが、本当に恐ろしいのはこれからだった。

 どんな手段を使ったかは定かではないが、宮古は命がヴァレリアの診療所に入院したという情報を掴んだ可能性が高かった。


「恐らく……ここでニアミスしました」


 入院した命は女学院に、宮古は一路ヴァレリアの診療所に。

 ニアミスしたことを悟った宮古はフルターボで女学院に引き返すも、奇妙な運命に翻弄されることとなる。


「姉ヶ崎先輩は、恐らく私がいつもの三人組で行動していると読み違えた」


 ここで、宮古の情報収集が裏目に出た。

 命は過去ファストフードエリアで昼食をとったこともなかった。その後は、部活巡りであちこち回る命の動きを、補足し切れなかったのだろう。


「私は女子寮にも入っていませんし、恐らくカフェ・ボワソンでアルバイトを始めたということもご存知なかったのでしょう」

「やばいよ……やばいよ、命ちゃん」


 ここに来て、霞がかっていた人物の輪郭がはっきりとしてきた。血眼になって妹を捜し回る姉の姿が、命の脳裏にはっきりと映った。


 ――ねえ、どこなの命ちゃん。ふふふっ……シャイだなあ、うちの妹は。恥ずかしがってないで出ておいで。ねえ……どこなの? どこなのよおおおお!


 霊障にあったかのように、命の背筋を寒気がよじ登る。

 耳朶を打つ歪んだ愛の声を、軽々に幻聴と切り捨てることはできなかった。その声はねっとりと、やけに生々しく耳にこびり着いて落ちない。


「あはっ……あははははは」

「ふふっ……ふふふふふふ」


 どちらともなく、二人は笑い合っていた。

 断続的に落ちる笑い声は、夜陰に飲み込まれては虚しく消える。喉の水気が失われるにつれ、愉快な笑い声は掠れ、ただ壊れていった。


 胸中のざわめきが収まらない。

 言い知れぬ恐怖が、足音を立てて直ぐそこまで迫りきている。


 二人はその恐怖の名前を知っていたが、声にすることは憚られた。言の葉にのせてしまえば、魂が宿る気がしてならなかった。


 互いの喉が限界を迎え、しんと静まり返ったとき。

 無言を嫌った命は、飽くまでも、飽くまでも冗談めかして言う。


「もしかして、扉の外にいたりして」


 アイリの顔面から血の気が失せた。

 ギギギ、と壊れた人形めいた仕草で首を回す。


 扉とは、あの世とこの世を結ぶ境界線である。

 見慣れた筈のアンティークの木製扉が、夜になると顔を変えたかのようだ。妖気めいた紫煙をくゆらせている気がしてならない。


 ゴーン……ゴーン……。


 時宜を計ったかのように、年季の入った古時計が鐘を鳴らす。

 まあ計ったのだろう、時計であるし。

 兎にも角にも、そんな日常にありふれた物音ですら、今の二人にとっては耐え難い恐怖となっていた。箸が転がればポルターガイストのせいにする時分である。


 シャッ……シャッ……。

 手持ち無沙汰になっていたマスターが、刃物を研ぐ手を止めた。


 時刻は午後十時。

 女学生が人口の大半を占めるヴァレリアは、寝静まるのが早い。夜が深くなる前に年頃の娘を帰路につかせようと、マスターが声を掛けた。


「二人とも、そろそろ帰りなさい」


 鏡のように磨かれた牛刀。

 それをうっとりと眺めるマスターすらも恐ろしい。

 鶏や豚の肉を切ることで満足できず、人肉へと手を伸ばす人斬り肉屋(ブッチャー)にしか見えないほどに、二人は錯乱していた。


「そ、そうね。明日もロングシフトだから、早く帰らなきゃ」


 がしり、と。

 一足先に逃げ出そうとするアイリの腕を、命が掴んだ。


「ひ、一人で先に帰ろうとするなんて、ずるいですよ。命なんだかとっても怖い気分なのです。一緒に帰りましょう、先輩。ね、先輩」

「ええい、猫なで声を出すな! そんなの後輩ちゃんのキャラじゃないし。第一、私は女子寮住まいで、宿屋アミューゼには帰らないもん」

「そんな殺生な! 途中まで帰り道同じじゃないですか」


 尚も縋りつく黒髪の乙女の腕を、アイリは大きく振るう。


「ヤメロー、私はまだシニタクナーイ! 新しく取り寄せたサイフォンに手すら付けてないのに。次の被害者と一緒になんて帰れるか!」


 【羽衣(ローブ)】で腕力を底上げすると、クズが本領を発揮する。力尽くで絡みついた腕を解くと、黒髪の乙女がふらりと体勢を崩した。


「ああっ!」


 この一瞬の隙を見逃すクズではない。すかさずテーブル上の履修表を引ったくり、白黒タイルの床を思い切り踏みつけた。


「これも返して貰うからね! 第二の被害者になるのもゴメンなんだから!」


 もしも、無許可で命の履修を組んだことがバレれば……惨劇が起こる。東の統領(ドン)の幻影に追い立てられながら、クズは店から飛び出ていった。


 しょせんは、二回バイトに一緒に入った程度の間柄であった。失意に暮れる命は、意味ありげにチラリとマスターを覗くも。


「……いや、私はここに寝泊まりしているし」


 素気無く断られてしまった。

 取り残された命は、一人寂しく帰路につくことにした。




     ◆




 曇り空の隙間から星が瞬いている。

 夜空を照らす星明かりは何とも頼りなかった。

 薄暗いキャンパスというシチュエーションも相まって、命の緊張に拍車がかかる。少し歩いては、落ち着きなく視線を左右に振った。


「お姉ちゃんなんていなーいのです。生まれつき一人っ子なーのです♪」


 気を紛らせようと、命は即興ソングを口ずさむ。

 いつ何どき魔の手が迫るかわからないので、黒髪の乙女はきちんと既存曲と被らない作詞作曲を心がける。著作権対策については万全である。


(大丈夫ですよ、相手は人間なのですから)


 ダイヤウルフの恐怖と対峙した命は、シルスターの威圧感にだって怖気づくことなく渡り合ってみせたのだ。話が通じる人間相手ならば、恐れる必要はないのだと、自分に言い聞かせるも。


「ひいっ!」


 ガサゴソと物音を立てる植え込み。

 おっかなびっくり目を遣ると、犯人は枝を這うトカゲだった。


「もう、驚かさないで下さいよ」


 爬虫類に当っても仕方がないので、命は頬を膨らませた。

 過度に怯え過ぎている己を諌める。

 吹きすさぶ風の音に耳を貸し、星空を仰ぎ歩いた。


(それにしても……お姉ちゃんか)


 今でこそ、社会の汚さに塗れて強くなった命だが、幼少期は正反対と言っても過言ではない性格だった。


 誰かと違うというのは、迫害するのには格好の理由だ。

 女性的な容姿を持つ命は、子供社会のなかで直ぐに的にされ、その度にメソメソと泣くような、とても内向的で臆病な子供だった。



 一人で内に溜め込む命は、いつも思っていた。

 大人よりも低くて、私よりも高い目線を持つ者がいたらと。

 兄や姉といった存在に憧れを抱いていた。下の子に優しくて、無条件で自分の味方をしてくれる存在(ヒーロー)を欲していた。


 ――ねえ、おかあさん。私、お兄ちゃんかお姉ちゃんが欲しい!


 ある日の誕生日。

 何が欲しいかと尋ねられた命は、そう答えた。


 父も母も、命の願いを叶えてはくれなかった。

 曖昧に微笑んでは目を泳がせ、はぐらかされたのは子供ながらにショックだった。父も母もどうしてコウノトリさんにお願いしてくれないのかと、命は憤ったものである。


(でも……今にして思えば)


 両親は子供を作れなかったのだろう。

 作りたくなかったのではなく、作れなかった。

 災厄の象徴たる魔法使いを身篭ったときから、二人目の子供を作るという選択肢は永遠に奪われてしまったことが、今の命にはわかる。


 あれだけ愛の深い夫婦である。

 本当は子供だってもっと欲しかったに違いないのだ。

 金銭的な理由で二人目の育てるのが難しかったという面も無きにしもあらずだが、きっとそれは都合の良い言い訳だ。


 私が女の子だったら。

 いっそ、私なんて生まれなかったら。


 黒く粘ついた思考が、沸かないわけでもない。

 だがそれ以上、暗闇の深奥には足を踏み入れないと誓っていた。たとえ女装の皮を被ろうと、真っ直ぐ生きると決めたのだ。

 両親が思わず自慢したくなるような息子になると。

 命の名前に恥じぬよう、人生を謳歌してみせると決めたのだ。


「あっ」


 きらりと、流れ星がくすんだ夜空を駆け抜ける。

 命は小難しいことを考えるのを止めて、両手を握る。

 そして、黒髪の乙女はただ切に願う。遠く先の未来のことまでお願いしようなんて虫の良いことは考えないが、もしも小さな願いが叶うなら。


「お姉ちゃんとの出会いが、素晴らしいものでありますように」


 幼きころに叶わなかった、あの夢を。

 星の光が消えるまでの間に三回なんて祈れないけれど。昔からずっと祈り続けた願いなのだ。神様が少しでも気に留めてくれたなら儲け物である。


 そんな黒髪の乙女のロマンチシズムは。


 ――見イツケタ。


 三秒後に木っ端微塵に粉砕された。


「みいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいい――ッ!」


 流星の軌道がおかしい。

 まるで自分めがけて降り注ぐ不幸に勘付いたときには、もう遅かった。


「こおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお――ッ!」


 瞳を爛々と輝かせながら、夜空を駆ける。


「とちゅわあああああああああああああああああああああああん――ッ!」


 時速150km超過。

 流星箒に跨った姉が降ってきた。


「ぎゃああああああああああああああああああああああああああ――ッ!」


 乙女の絶叫虚しく、燃え尽きることない星石(いんせき)が落下する。白い石畳は抉れ、粉砕し、砕けた砂礫を縦横無尽に巻き散らした。

 間一髪【羽衣】の早着替えに成功した命は、衝撃に煽られ宙に舞い上がりながらも見た。クレーター状の破壊痕の中心に立つ、美しい姉の姿を。


 月明かりに濡れるミディアムボブの黒髪。

 ふわり舞う黒髪からのぞく、可憐な顔だち。

 黒曜石の瞳は星より輝き、薄い唇は極上の微笑みを携えて。


 姉ヶ崎宮古は、佇んでいた。


 ゾッとするほど。

 おぞましいほど美しかった。


 この日、黒髪の乙女は、黒髪の流星姫と出逢った。

 きっと、この星々の巡り合わせは天恵であったのだろう。

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