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魔法少女の狭き門  作者: 朝間 夕太郎
1年生 ―禁じられた遊び編―
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第79話 黒髪の眠り姫は目覚めない

 日帰り旅行の翌々日。

 第二女子寮の一室で、リッカは気難しい顔をしていた。かれこれ一時間は格闘しているのだが、どうにもウェーブ気味の翠髪が決まらないのだ。


「……むー」


 鋭い瞳を細め、入念にチェックを行う。

 普段であれば妥協するところだが、今日ばかりは譲れない。髪を梳っては、何度目かの睨めっこを再開した。


「この辺りでいいかな」


 遂に納得がいったのか、リッカは髪の手入れを終える。ここ数十分ほどの変化といえば微々たるものだが、洗面鏡に映る顔は満足気だった。


 数歩後退して、すらりとした痩身を右左に振る。

 服のほつれはないだろうか。何かおかしいところはないだろうか。神経質に肩を振るたびに、ワンピースの裾が柔らかに波うった。


「まあ……たまになら、こういう服も悪くないな」


 洋服店のお姉さんに半ば押される形で購入したワンピースだったが、リッカは意外と気に入っていた。上品な白地には、淡い色の花が咲いている。


「これで、このアクセサリーさえなけりゃあな」


 白手袋と言い張るには厚くて、洒落っ気のない左腕のギプス。野暮ったい装飾品ではあるが、こればかりは仕方ないと割り切る。


 居室に戻り、チラリと壁掛け時計に目を遣る。

 約束の時間もそろそろだ。二人分のお弁当を詰めたバスケットを【小袋(ポケット)】に仕舞い、リッカは玄関に向かった。


 ここで重要なのは、靴である。

 約束の相手とは、ただでさえ身長差があるのだ。踵が高い靴など、もっての外である。リッカは白のワンピースに合わせて、黒のスニーカーを履いた。


「よし!」


 玄関扉を開け放つと、爽やかな朝の空気が全身を包む。


 ――今日は良い一日になりそうだ。


 跳ねそうな心を落ち着かせ、いざゆかん。

 初デートの待ち合わせ場所へ。




     ◆




 ……今日は最悪の一日かもしれない。

 リッカは、己の運の悪さを呪った。

 第二女子寮202号室を出て直ぐに出会ったのは、誰あろうマグナだ。赤ジャージ女の下衆な笑顔には、珠のような汗が浮かんでいた。


「へえ……なに? 結構仲良くやってるのな」


 女性には、第六感ともいえる女の勘がある。

 恋の匂いを嗅ぎ分けたハイエナは、嬉々として笑った。


「いやあ、いいねえ。健全に不健全じゃねえか」

「……黙れ、不良教師」


 リッカがどれだけ強い言葉で吠えても無駄だった。たとえ柳眉を逆立てようと、顔が真っ赤では、これっぽっちも怖くなかった。


「……あー。正直こう来るとは思っていなかったから、マジで言い辛いんだが」

「なんだよ急に」


 傍若無人なマグナにしては珍しい前置きだ。リッカは不審がる。


「あいつなら、ヴァレリアの診療所に入院してんぞ」


 リッカは、翠瞳(すいとう)を何度か瞬かせた。

 次いで我が耳を疑い、先ほどの言葉をもう一度促した。


「悪い。よく聞こえなかった。もういっぺん言ってくれ」

「あいつなら、ヴァレリアの診療所に入院してんぞ」

「入院した? ……ルバートが?」

「なに都合よくルバートに変換してんだよ」


 ルバートで人身御供(ひとみごくう)を図っても無駄である。本当はリッカだって、とうに『あいつ』が誰だかわかっていた。


「八坂だよ。あいつ、ダイヤウルフに襲われて入院したんだよ」


 リッカの全身から、さーっと血の気が引いた。

 よりにもよって、命を襲ったのは因縁浅からぬダイヤウルフだった。脳内で巻き起こる砂嵐のなかに、一瞬、妹の悲劇が混じった。


「まあ心配すんな。昨日見に行ったら、ちゃんと両手足ついてたから」

「手前は大雑把すぎんだよ、不良教師!」

「あっ、ちょっと待て! 最後まで」


 制止の声も聞かず、リッカは2階の手摺から飛び降りる。【羽衣(ローブ)】を羽織った才媛は、見る見る間に小さくなった。


「聞け……って、言ってもダメだな、こりゃ」


 頭を掻きながら、不良教師は女生徒を見送った。




     ◆




 リッカは、ただ無我夢中だった。

 髪型が崩れることも、骨折した左腕に障ることも忘れていた。

 ただ一秒でも早く、彼の元に。

 春疾風と化して、ヴァレリアの白い街路を吹き抜けた。


「きゃあ!」


 黄色い悲鳴が聞こえる。

 通り過ぎた先には、風圧で捲れるスカートを抑える女生徒がいた。


 女学院を内包する第二都市、ヴァレリアは盛況だった。

 今日が日曜日だということもあるが、一昨日に日帰り旅行があったことも大きい。仲を深めた女子グループが、こぞって近場の遊び場に出掛けていた。


(さすがに人が多すぎるな)


 通行人との衝突を恐れ、リッカは【羽衣】を脱いだ。

 つい癖で髪へと伸びる左手を戻したとき、彼女は人混みから集まる熱い視線に気づいた。懐かしい、久しぶりに忘れていた悪寒が背中を走った。


「プライベートリッカさま、キター!」

「まさかのワンピース姿、きたこれなのです!」

「Sレア出現中! Sレア出現中ですわ!」

「後生です。誰か写真を、誰か写真を!」

「早くなさい。間に合わなくなっても知りませんわよ!」


「……げっ」リッカは小さく呻いた。


 最近はこの手のイベントに(とん)と縁がなかったので、油断していた。リッカが中等部時代に築いた人気は、未だ根強く残っているようだった。


 女生徒が大挙して押し寄せると、リッカは堪らず逃げ出した。

 この女の子らしい姿を晒しているだけでも、恥ずかしいのだ。早朝からせっせと作ったお弁当など見つかった日には、恥ずかしさで悶死しかねない。


「みんな……っ! 死力を尽くして……っ! 頑張るのよ!」


 どこからともなく号令が上がった。

「おおっー」と、追随する声のなんと逞しいことか。

 石畳がわずかに揺れていた。踊るような足音がいくつも重なり、女生徒の大群は三々五々に散っていった。


(不味い。包囲される)


 次々と潰されていく大路小路。

 拙速を尊ぶ女生徒たちの恐ろしさに、リッカは戦慄する。なに、みんな孫氏の兵法でも専攻してるの?


「……やっぱり、今日は最悪の日だ」


 ため息をこぼし、女神は日曜日の戦場を早駆けした。




     ◆




 実に恐ろしい相手であった。

 ときにスクラムを組み、ときに騎馬隊を組み、ときに人間ピラミッド組み……あの手この手で迫られること、たっぷり一時間。


 ようやく目的地に辿り着いたリッカを出迎えたのは、辛辣な言葉だった。


「はあ……その腕で暴れないで欲しいんだけど」


 裏路地にある、平べったい建築物。

 診療所の玄関前には、一人の女医が立っていた。彼女の非難がましい視線に気圧されながらも、リッカはやり返す。


「ちゃんと【羽衣】で手厚く保護してたっての」

「まあいいわ。外で騒がれるのも迷惑だから、なかに入って」


 聞いちゃいない。

 皺ひとつない白衣を翻して、女医は診療所に入る。

 リッカが軽く睨むも、白い背中は何も語りはしなかった。エントランスの受付嬢が、相変わらずの二人に遣り取りに、クスリと笑みをこぼしていた。


「それで何の用かしら。今日は、貴方の診療予約はないけれど」

「用もないのに、こんな清潔なところに来るかよ。遊び友達が入院したって聞いてな。急に暇になったから、お見舞いに来ただけだよ」

「そう。一応ルールだから聞いておくけど、患者のお名前は?」


「八坂命」リッカが患者の名を告げると、女医の眉目がわずかに動いた。


「ダメよ。大人しく帰りなさい」

「はっ?」


 戻ってきたのは、予想だにしない返答だった。


「聞こえなかったの? 八坂命さんは、面会謝絶中なの。彼女のためを思うなら、今日は大人しく帰り――」

「おい!」


 途中で遮る。リッカは女医の肩を掴み、強引に振り向かせた。


「どういうことだよ、おい。こっちは不良教師から大した怪我じゃねえって聞いてんだよ。面会謝絶って……それじゃまるで」


 ――大怪我してるみたいじゃない。


 最後まで言い切れず、リッカはきゅっと唇を結ぶ。

 あとわずかでも唇が動けば、涙腺が緩んでしまいそうだった。じくじく痛む心が、何かを警告しているようで怖い。どうしてもあの日と重なってしまう。


「……はあ。あの馬鹿」


 額に手をやり、女医は苛立たし気に漏らす。


「ちょっと来なさい」


 肩にかけられた手をとり、女医はリッカを引っ張った。

 無言で素直に付いてくる様は、手を引かれる迷子のようだ。普段と打って変わってしおらしいリッカの姿に、女医は調子が狂いそうだった。


「ここよ」


 立ち止まった病室の前で、リッカは悲痛な面持ちをみせた。


「……ナナカが入院していた病室」

「縁起の悪い病室みたいに言わないで頂戴。貴方にとってはそうでしょうけど、私にとっては何人もの患者を退院させた病室でもあるんだから」


 掛けられた面会謝絶のプレートを無視して、女医は病室のドアノブを回す。キイと小さな悲鳴を立てて、扉は開いた。


 バタバタと、窓際の白いカーテンが風に煽られていた。

 清潔に保たれた一人部屋のベッドの上に、患者は寝込んでいた。彼が女性でないことを知るリッカですら、思わず魅入るほどに美しい。

 黒髪の眠り姫は、二度と覚めぬ眠りに落ちているように見えた。


 風が吹き止み、白いカーテンが静まる。

 リッカは、弾かれたようにベッドに駆け寄った。


「命! しっかりしろ、おい!」


 ペチペチ頬を叩いて、何度も彼の名前を呼ぶ。

 こうしていれば、やがて起き上がるのだと信じていた。心配かけやがって、取り越し苦労じゃねえか、そんな台詞を吐いてやるのだ。


「しっかりしろよ……起きてくれよ……命ぉ」


 しかし、リッカの想いと裏腹に、命は沈黙したままだ。彼女は膝を折り、力なく大嘘つきの腹を布団の上から叩いた。


 ――潜ってやりましょうよ、狭き門を。


「バカ……嘘つき」


 ――三年後。貴方は狭き門を、私はこの女学院の正門を。正々堂々と通ってやろうじゃないですか。足りないというなら力を貸しましょう。無理だというなら奇跡を起こしましょう。


「手前が……そう言ったんじゃねえか」


 布団に顔を埋めるリッカは、錠を下ろす音を拾う。

 足音でわかる。歩いてきた女医がリッカの後ろに立っていた。


「あのね、その子は起きないの」


 小さな子供をあやすような、優しい声音だった。

 聞きたくないと、リッカは深く布団に顔を埋めた。


「……全く。人の話はよく聞きなさい」


 呆れながらも、女医は駄々っ子に教えた。


魔力枯渇(パンク)してるから、起きないだけよ」

「ゑっ」


 わ行え段の奇妙な声が出た。顔を真っ赤にしたリッカは、命と女医の間で何度も視線をさまよわせた。


「えっ? だって面会謝絶するほど容態が悪いんじゃ」

「それは、人から遠ざけるための方便よ。無防備な状態だと、色々と不味いでしょ。……あの馬鹿、貴方が知ってるなんて一言も言わなかったから」


 濃厚な勘違いのスメルが漂ってきた。

 もしや、これは。リッカは困惑したまま問いかける。


「手前、命のこと知っているのか」

「あのねえ。誰がこの子の診断書を書いたと思ってるの?」


 バッと振り返り、リッカの命の寝顔を凝視する。

 見方一つ変えるだけで、眠り姫の魔法は解けてしまった。

 すやぁ。そんな擬音が聞こえそうなぐらいに快眠していた。長々と見ていると、腹立たしさを軽くK点超えして、殺意の波動に覚めそうな顔をしていた。


「ごふ――ッ!」


 リッカが両手のハンマーを叩き落とす。反射的に命が唸った。


「心配かけやがって、取り越し苦労じゃねえか!」


 リッカは必死に目元を拭うが、もはや手遅れだった。


「ふうん。貴方、この子と随分仲がいいのね」


 ぽつりと、女医が呟いた。

 一度冷めたはずの熱が、一気に蒸し返してきた。顔にはヴィヴィッドな感情(あかいろ)が満遍なく塗りたくられていた。


「あっ、それは……だな」

「よく似合うじゃないの、そのワンピース」


 ザパーン。

 恥ずかしさの津波が、堤防を乗り越えた。

 リッカが悶え苦しむと、すかさず女医は彼女の顔を布団に埋めた。もがもがと両手を泳がせる乙女に、女医は悪びれもせずに言う。


「院内では静かにね」


 この女とは一生仲良くなれない。リッカは確信した。



 ベッド脇の椅子に座っていると、女医が戻ってきた。


「いつまで、ぶすっとした顔してるのよ。可愛くないわね」

「……うるせえ」


 そっぽを向いたまま、リッカは差し出されたコーヒーを受け取る。この世で一番不味い飲み物を口にするような顔で、チビチビと飲み干した。


 自分から折れるのも癪だったので、リッカは女医から視線を外す。すると、ふと窓際に置かれたミニバスケットの造花が目についた。


「誰か見舞いに来たのか」

「昨日、非番の"しらは"の隊員が二、三人ね。もちろんお引き取り願ったけど」


 リッカは「へえ」と興味なさそうに相槌をうった。


「果物の詰め合わせも持ってきてくれたのよ。後からお見舞いに来たマグナが、全部食べていったけどね」

「何やってんだよ、あの不良教師は」

「後は、理事長がいらっしゃったわ。ちょうど馬鹿が、リンゴを丸かじりしてるときに」

「……本当に何やってんだよ、あの人」


 慣れない冗談を言うあたり、女医の気遣いが窺えた。

 図太い性格だと思い込んでいたが、案外気を遣う質なのかもしれない。リッカは不貞腐れるのにも飽きて、女医に向き直った。


「それで、こいつの容態はどうなんだ?」

(コア)シェルに傷が入らなかったのは幸いだけど、二段底をついている時点で良いとは言い難いわね」

「この馬鹿、そこまで魔力使いきったのかよ」


 一昨日に運び込まれてから、命は一度も目を覚ましていない。失った魔力の補充を最優先として、身体は深い眠りについていた。


「あと三日か四日……下手すれば、一週間は寝たきりかしら」


 リッカは呆れを通り越して、感心してしまう。

 本来、魔法少女の身体は二段底まで落ちない仕組みになっている。

 まず、ハウリングと呼ばれる頭痛がある。魔力タンクが空になる手前――個人差はあるが20%前後――で発生する現象だ。


 魔力が目減りするほどに強くなる頭痛が、制止をかけてくる。余ほど精神力が強い魔法少女でないと、0%付近まで魔法を行使し続けるのも難しいくらいだ。


 それでも無理をし通すと、急に頭痛が和らぐ瞬間が訪れる。

 無知な魔法少女が陥りがちな罠だが、これは決して魔力が回復したわけではない。むしろその逆、より危険な状態に近づいている証拠だ。


 ――フェイルオーバー。

 ガス欠間近の魔力タンクが、予備タンクに切り替わったのだ。ハウリングなしで魔法を使える状態ではあるが、そこまで消耗した時点ですでに危うい。


 そして、その先にあるのが予備タンクの枯渇――魔力枯渇の二段底だ。

 危険を察知した脳が、魔力生成器官である核にアラートを上げる。命令を受けた核は急ピッチで魔力を作り上げるのだが、これには大きな危険が伴う。


 一つに、過剰な毒の摂取。

 体内で魔力が生成されても毒が回らないのは、ひとえに生成された魔力が、殻で形成された魔力タンクに落ちるからである。

 殻は体内で生成される魔力には高い免疫を持つ。が、一気に魔力が過剰生成されれば、話は別だ。ときに毒に耐え切れず、殻に穴が開く場合もある。


 二つに、核の酷使。

 緩やかに魔力を生成する器官を酷使することで、核が壊れることがある。魔法が使えなくなるだけならまだ良いが、砕けた核の破片が殻を貫くと最悪である。

 微細な破片が体内に無数散らばると、もう手の施しようがない。魔法少女は、毒が回り切るのをただ待つ身となるだけだ。


 だからこそ、魔法少女は固く禁じられている。

 二段底をつくまで魔法を使ってはいけない――と、口酸っぱく言われるものなのだが、入学式から講義をブッチしまくっていた命は知らなかった。


「へえ、二段底をついたのか。そりゃ大変だ」


 リッカと女医は、反射的に病室の扉を見遣った。

 内の者の声ではない。凹凸面で曇ってはいるが、扉に嵌め込んだガラスには、誰か背の低い女性の姿が映っていた。


 二人の警戒をよそに、第三者は堂々と入室する。

 彼女は、権力を笠に着て借りだしたスペアキーを弄んでいた。


「やあやあ。"王宮騎士団(ロイヤルナイツ)"を代表して、お見舞いに来たよ」


 仕事着に身を包んだクトロワは、愛想よく微笑んでいた。


(この人、どこから聞いてたんだ……っ!)


 警戒するリッカを制して、女医はしれっと挨拶を返した。


「貴方『面会謝絶』って文字が読めないのかしら」

「堅いこと言うなよ。みんなを代表して来ているのに、これで患者にも会えなかったなんて言ったら、騎士団長の名折れだろ」


「それに」クトロワの視線は、リッカへと横滑りした。


「彼女だって、入室しているじゃないか」

「この子は特別よ」

「なんでさ」


 間髪いれず、女医は言い放った。


「だってこの子は、患者の彼女だもの」


 一瞬の空白を挟んで、リッカは顔を伏せた。

 こんな状況でなければ、どれだけの罵詈雑言を飛ばしたことか。女医の機転に感謝すると同時に恨んだ。


「んんー?」


 クトロワは、リッカの顔を下から覗きこむ。

 耳まで真っ赤にした少女の顔は……少々ニヤついていた。恥じらいを覚えつつも、彼女と呼ばれたことに喜びを見出している風であった。


「まあ、この国じゃ女の子同士だなんて珍しくもないけどさ」


 真剣な表情で、クトロワはリッカの肩に手を置いた。


「よく考えた方がいい。女の子同士は色々と難しいから」

「あら、節操なく女を抱く騎士さまが言うじゃないの」

「……今日の君は、やけに辛辣だな。節操なく女を抱くけれど、全部遊びで済ませる女が言うから説得力があるんじゃないか。そうは思わないかい?」


 急に振られても、経験のないリッカはあたふたするしかない。


(えっ! クトロワ隊長の女好きって、マジネタだったのか!)


 爆弾発言に目を回す生娘の代わりに、女医が答えた。


「天下の騎士団長が、不用意にそんなこと言っていいのかしら。どこかに持ち込んだら、随分と高く売れそうなネタね」

「ははは、参ったねえ。そう切り返されるとは思わなかったよ」


「それじゃあ」椅子に座る女医に近づき、クトロワは腰を曲げる。


「――口封じしちゃおうかな」


 めくるめく女性の世界。

 クトロワの薔薇色の唇が、求めるままに女医の唇に引き寄せられる。慌ててリッカが目を覆ったときには、甲高い音が鳴っていた。


「悪いわね」


 再び目を開いたリッカが見たのは、頬に紅葉をつけたクトロワと、叩いた左手を見せびらかす女医だった。


「私、その気はないのよ」


 きらりと、薬指にはめた指輪が主張する。

 亭主子持ちの女医は、凍てつくような眼差しを向けていた。


「……参ったね。まるで歓迎されていないようだ」


 道化じみた微笑を浮かべて、クトロワは頬をさする。

 これ以上は長居しても無駄だろうと悟り、彼女は【小袋】から藁で編んだ袋を落とした。手にとったそれを、ふわりとリッカに投げ渡した。


「目が覚めたら、渡しておいてくれ」


 荒い網目からは、宝石にも似た黄色い魔法石が見えた。

 魔法石に詳しくないリッカでも、一目見ただけでわかる。輝度(きど)が高く、不純物もほとんど混じっていない。かなり上質な魔法石だ。


「ウチの者も出張っていたけど、大して役に立たなかったからね。"王宮騎士団"からの、せめてものお詫びだよ」

「金にものを言わせて、許せというのね。厭らしい」

「おいおい。酷い言い草だな。私は、たまたま拾った落し物を届けただけさ。これは、ベッドの子がダイヤウルフから剥ぎ取った戦果だよ」


 驚愕のあまり、二人は息を詰めた。

 入学して二週間そこらの外部入学生が、地下40階層のダイヤウルフから魔法石を剥ぎ取るなど、並大抵の所業ではなかった。


「それじゃあ、そろそろお暇するよ。【階層工事(フロアシャッフル)】の影響で、上階に現れた化け物狩りで忙しくてね。ちょうどアシュロンあたりが、ひいひい言っているころだと思うしね」


 言いたいことも、やりたいことも済ませた。

 用事を終えた騎士団長が退出する間際、女医が呼び止めた。


「待って。一つ忘れていたわ」

「なんだい。気が変わったのなら、いつでもウェルカムだよ」

「左頬にも紅葉をご所望かしら?」

「……これ以上、笑われる格好で帰るのは勘弁かな」


 会話を打ち切り、女医は白衣のポケットに手を入れる。すぐに渡せるようにと仕舞いこんでいた手紙を差し出した。


「マグナに、貴方が来たら渡して欲しいと頼まれた手紙よ」

「シャイだな。直接渡してくれれば良いのに」

「貴方と関わり合いたくないだけじゃないの?」


 鼻で笑い、クトロワはその場で手紙を開けた。

 手紙の内容は短く、書かれた文章はただ一文のみだった。


「……ふうん」

「何て書いてあったの?」

「なんてことないさ」


『あんたを信じたあたしが馬鹿だった』


 痛くも痒くもないとばかりに、クトロワは読み上げた。


「それじゃあ、私からも一つ頼まれてくれないか」

「面倒なことじゃなければ」

「なに。大したことじゃないさ」


 クトロワは手紙を握りつぶし、女医に投げ渡した。


「そのゴミ捨てておいてくれないか」

「……だから、貴方は嫌われるのよ」

「憎まれっ子世にはばかるってね。いい性格してないから、騎士団長なんていう立場まで出世できたのさ」


 頬に紅葉をつけようと、どれだけの罵詈雑言を浴びようと不敵。入出と変わらず、堂々とした足取りでクトロワは病室を辞した。

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