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魔法少女の狭き門  作者: 朝間 夕太郎
1年生 ―禁じられた遊び編―
79/113

第78話 巣食う悪魔

 空間の裂け目から現れた者は言う。


「かよわい子を保護して欲しいと聞いて、来たんだけど」


 身長は辛うじて150cmを超える程度だろうか。

 目線の高さは那須とほぼ変わらない筈なのに、受ける印象は大きく違う。物怖じするところのない彼女の背丈は、見た目より大きく見えた。


「あれは"かよわい"と言うのかな?」


 黒ローブの女は、一人おかしそうに笑う。

 予期せぬ闖入者に那須はキョトンとしていたが、気にも留めない。彼女は視線一つ寄越さず、標的に照準を合わせていた。


 むせ返りそうなほどに濃厚な魔力が漂う先。

 そこに、黒い悪魔が立っていた。毒沼にも似た足元の魔力溜まりは、絶えずボコボコと音を立て。増殖し続ける【呪術弾】すべてが、二人に向けられていた。


「まあ、かよわい方かな」


 先に抜いたのは、黒ローブの女だった。

 悪魔の撃鉄(ハンマー)が落ちるよりも早い。

 地面を突き破り、巨石兵の手が飛び出る。

 岩肌の拳が真芯をとらえ、黒い悪魔を殴り飛ばした。


「――悪魔にしてはね」


 連鎖するように黒い風船が割れた。

 やかましい破裂音が鳴り響くなか、黒い悪魔は瞬く間に点になる。地面を抉り続けてもなお勢いは衰えず、ぶつけた岩壁に衝撃を散らす。

 遅れて、岩壁には蜘蛛の巣状のひびが描かれた。


「よーし。ちゃっちゃと回収しちゃおうか」


 那須は、ようやく我に返る。

 あの理性のない化け物と結びつけるのは難しいが、今しがた吹き飛ばされたのは命である。気づくと、矢も盾もたまらず黒ローブの女に縋りついていた。


「乱暴なことしないで! あの子、私の友達なの!」

「そうだろうね。じゃないと数が合わないもの」


 二人の間には埋めようのない温度差があった。必死に訴える那須と、淡々と答える女の会話は、まるで噛み合っていなかった。


「ふーん」


 彼女の瞳に、那須は映らない。

 けぶる砂埃に未だ残る、膨大な魔力の塊を注視していた。


「思ったよりも硬いな。半殺しにするぐらいの勢いでヤったのに」

「半――ッ!? 止めてよ! 命ちゃん、死にそうなんだよ。大きなオオカミに噛まれて、血をドバドバ流してるんだよ!」


 爪を食い込ませる勢いで肩を掴み、那須は懸命に揺らす。


「なるほどね。あの分厚い魔力で、無理やり止血もしているわけか」


 全然わかっていない。

「面白い魔法論理(ロジック)だ」と呟く女は、那須の気持ちをひと掬いすら汲みとれていなかった。わざとじゃないかと疑いたくなるほどだ。


「ところで君さ」


 躍起になる那須と、黒ローブの女の目が合う。


「汚いんだけど」


 黒と灰色の中間。

 赤鉄鉱(ヘマタイト)の瞳は、怒りに渦巻いていた。

 土にまみれた少女が無造作にベタベタ触れてくることが、大事な外套を汚されたことが、黒ローブの女の神経を逆なでした。


「寝てろ」


 彼女が手をかざすと、那須がふらりと落ちる。

 強制的に意識を飛ばされた少女は、固い地面をベッドにする。黒い悪魔の咆哮も聞こえぬほどに、深い深い眠りへと落ちていった。


「全く。君が邪魔するから」


 横殴りの【呪術弾】の雨が降り注いでくる。

 即席で【石壁(ウォール)】を張るも、即興の盾の出来はあまり良くない。【石壁】は端からボロボロと崩れ落ち、決壊した。


 受け損なった魔法弾。

 数にして32発の【呪術弾】が、女を黒ローブの上から叩いた。


()……ったいなあ、もう」


 忌々しげに吐き、彼女は虫を払うように手を振るう。

 バチン、と最後の【呪術弾】を明後日の方向に弾き飛ばした。


 ふうとため息を漏らし、彼女は見た。

 千切れたローブの端が、ひらりと舞う瞬間を。

 ほんの切れ端。数ミリ四方にも及ばぬ黒い布地を失ったことが。


「悪い子だ」


 ――彼女の逆鱗に触れた。


石の聖槍(レガリア)


 地を破る石槍が、分厚い黒を刺し貫いた。

 狂った獣が叫びを上げようが、槍撃は止まない。


「悪い子だ」


石の聖槍(レガリア)


 二槍。

 斜め十字を描いて、石槍は交差する。


「悪い子だ」


石の聖槍(レガリア)


 三槍。

 串刺しの獲物は沈黙する。

 命を黒い悪魔たらしめていた黒衣が、ほつれていく。解けた魔力は黒い糸となり、さらさらと薄闇に流れていった。


「まあ、僕も心が広い方だからね。これぐらいで勘弁してあげるよ」


 気が晴れたのか、黒ローブの女は一人頷く。

 三本の槍を支えに浮かぶ命には、さして興味がなさそうだ。


「それじゃあ、然るべき処置をしようか」


 嫣然と微笑み、黒ローブの女は【石棺(コフィン)】を用意した。



「よし、出発」


 十分ほどで準備を終えると、彼女は散歩に出かける。

 ペットの代わりに引き連れるのは、車輪のついた石棺だ。車輪は地面に引いた溝にぴたりと嵌まり、音も立てずに彼女の後を追う。


 見る者が見れば、RPGの一場面のようだと評するだろう。


 まるで、全滅したパーティーを引きずるような光景だった。




     ◆




 カーチェの迷宮、地下13階層。

 疾空するカラスペンギンに飛び蹴りを見舞い、女海兵は華麗に着地する。ぶるんと大きな胸を揺らしてから、ついでにポーズなんぞも決めていた。


 女海兵勝利のポーズ(胸を強調)。


「やってて良かった、軍隊式訓練(ブートキャンプ)


 しんどさをひた隠し、ヴァネッサは陽気に笑う。

 【探索波(ソナー)】を撃っては命たちのおおよその位置を探る。位置情報を元に二つの石階段を吟味しては下る――これを延々と繰り返していた。


 四方八方に【探索波】を乱れ撃ちしたこともあって、さすがのラテン系お姉さんも魔力が不足気味だ。魔力温存のためにも、戦闘は軍隊仕込みの肉体で代用する。


「ふっ!」


 漏れる吐息。

 突き出した右拳が、魔物の鼻頭に刺さる。バネじみた足でコミカルに跳ねながら、スプリングネズミが退散していった。


 ――魔物と言っても動物みたいもんだ。だいたい鼻頭を殴っときゃ、いける。


 隊長の言う通りだった。

 本当かよ、この人テキトーなこと言ってんじゃね?

 と、話半分に聞いていたが与太話ではなかったようだ。


 ――いいか? アウロイタイガーが相手なら、まず鼻頭に打ち込む。相手の突撃に合わせてカウンターを叩き込むのが理想だが、まあこれは難易度が高い。わざとがら空きの腕をチラつかせる。噛み付いた瞬間に【羽衣】で腕を一点強化で守って、即反撃だ。


 ――ダイヤウルフが相手なら、相手を軸にして円を描け。あいつらは四ツ首だが、体は一つだ。アウトボクサーさながらの動きで撹乱したら、足をへし折れ。奴らは重量級の割に足が細い。欲を言うのなら、足の爪を割る方が綺麗だけどな。


 あの人は、一体なにを目指しているのだろうか。

 ヴァネッサは不思議でならない。

 熱血一直線な後輩などは「うおお! 隊長、タケイソウみたいでカックイイ!」と興奮していたが、肝心の"タケイソウ"が何なのかわからなかった。


 きっと、日本神話か何かに登場する英雄なのだろう。

 等と考えながら、ヴァネッサは先を急いでいたのだが。


「そんなに急ぐ必要もないか」


 ふと思い直して歩速を緩めた。

 命たちの無事を確信した今、ヴァネッサは先を急ぐ理由を無くしていた。でなければ、無駄にセクシーポーズを決めたりなどしていない。


「おっ、また来た」


 定期的に届く【探索波】が、女海兵を安心させてくれる。命たちを救出してくれた魔法少女は余ほど律儀なのか、或いは神経質なのか。一定時間置きに、こうして信号を送ってきた。


 我任務ニ成功セリミッションコンプリート

 ヴァネッサは薄く微笑む。最短目標の3時間から幾分か足は出たものの、この結果なら及第点である。


「さてさて、救世主ちゃんは誰かな」


 波長から判断するに、地属性の魔法少女。

 残念ながら、しらはの一員でないことだけは明らかだ。

 本音をいえば、ヴァネッサも身内ですべて片付けたかったが、この短時間で交渉を終えたマグナの努力を思えば、多少の不満は飲み込めた。


(本命がローズ、対抗がワルウ、大穴でヘイトレッド隊長って言ったところかな)


 前二人が"王宮騎士団(ロイヤルナイツ)"の所属。

 後一人が"鐘鳴りの乙女(カンパネラ)"の所属。

 ヴァネッサとしては、ヘイトレッド隊長が好ましいが、当たらないからこその大穴である。そう簡単に隊長格が動くとは考えにくかった。


「……やっぱ、ローズだよね」


 肩と一緒に、思わずため息が落ちる。

 先輩に当たるワルウには申し訳ないが、こうも迅速かつ的確な動きができる魔法少女となれば、ローズと判断するのが妥当だった。


「おばちゃん、あの子苦手なんだよなあ」


 小等部卒業と同時に"王宮騎士団"入りを確約された傑物。

 高貴な家柄。掟破りの四大元素を宿す才能。

 セントフィリア王国の初代女王、セレナ=セントフィリアの再来と呼ばれるのも頷ける人物なのだが、ともかく性格が悪い。


 玉に瑕どころの話ではない。

「ねえねえ。どうしたら、そこまでの宝玉を傷だらけにできるの? ミキサーなの? ミキサーにかけたの?」と、ヴァネッサが真顔で訊いたほどの逸材である。


「はい、ローズで確定」


 水属性の波長が、ヴァネッサを透過する。

 地と水の混合属性ともなれば、もう疑う余地はない。

 忙しない【探索波】は、もたもた歩く女海兵を急かすようだ。どうやら階下の彼女は、また一つ石階段を上ったらしい。


「うへえ。ゆっくり歩いて行こう」


 お得意の職務怠慢が、ひょこりと顔を出す。

 早く落ち合ったところで、共にする帰り道が長くなるだけである。ヴァネッサは悠長に歩く。迷宮はやけに大人しいのに、洞穴生物がざわついていた。




     ◆




 棺桶といっしょ。

 黒ローブの女は無言で先を急ぐ。

 久々の運動で鈍った体が解れたのは良いが、今は一刻も早く自室に籠りたい気持ちで一杯だった。


 今が良いところである。

 これまでの努力が実を結ぶ瞬間は、そう遠くない。


 なのに、無粋な連絡であった。

 演劇のラストに魅入る観客の肩を、よくもまあ気軽に叩けるものだ。彼女は酷く憤慨したが、受けねばならぬ仕事であったのも事実だ。


 放置すれば、困るのは他でもない彼女だ。

 二年、いや三年前だろうか。

 興味がないことには、彼女の海馬はとことん働かない。何年前の出来事かはよく覚えていないのだが、カーチェの迷宮で事件が起きた。


 一人の女生徒が、ダンジョンに喰われたのだ。

 人喰いが人間を食ったとて、何を騒ぎ立てる必要があるのか。

 黒ローブの女は黙々と研究に打ち込んでいたのだが、事は彼女が考えるよりも面倒な方へと転がっていった。


 被害者は外部入学生だった。

 極東に浮かぶ島国(彼女はこの国を毛嫌いしているため、名前も呼びたくない)の出身者であったことが、世論を呼び起こした。


 やれ国際問題だ、やれ賠償責任だ。

 貴国の対応には誠意ガガガガガ――。

 思い出すのもうんざりする言葉の数々である。しかも、調べてみれば、どうだろう。どうにも事故ではない線が浮上してきた。


 真の死因は、イジメによる線が濃厚だった。

 我が子のやったこととはいえ、面倒なことをしてくれた。彼女は事実を隠蔽するために手を尽くし、多大な労力を払う羽目になった。


 もうあれは御免である。

 袂を分かった世界に干渉されるのも、邪魔されるのも、もう沢山だ。黒ローブの女は要らぬ苦労を負わぬためにも、渋々と要請を呑んだ。


 仕事の内容は、【階層工事(フロアシャッフル)】に巻き込まれたかよわい子ども三名を救出すること。そう聞き及んでいたのだが。


「参ったな」


 カーチェの迷宮、地下20階層。

 目前で繰り広げられる縄張り争いを眺めつつ、彼女はひとりごちる。


 魔物同士の勝負は一瞬だった。

 轟音に潰されたダイヤウルフの姿が見えた。地下20階層では無敵を誇る三つ首の魔獣も、相手があれではかたなしである。


 延し棒で真ん中から叩き潰した粘土のようだ。

 地面と半ば同化した凶狼は、息絶えていた。時間を置かず、その巨体は魔力へと変貌を遂げ、母なるダンジョンの一部と化した。


「こんな仕事まで、請け負った覚えはないぞ」


 捻れた二本角を持つ、馬面の巨人は臭い息を吐く。

 低階層の天井に迫るほどに背は高く、肌の色は浅黒い。傷んだ長い毛並みを揺らし、巨人は原始的な棍棒で大地を震わせた。


 本来それは地下20階層などにはいない魔物。

 地下90階層に巣食う馬の巨人――ギガバース。【階層工事】の脅威は探検者を惑わすだけに留まらず、招かれざる悪魔をも呼び寄せていた。




     ◆




 血相を変えて、ヴァネッサは迷宮を駆ける。

 順調に進んでいた階下の彼女が、地下20階層でいきなり足を止めた。不思議に思い放った【探索波】が捉えたのは、尋常ならざる魔力反応だった。


「――ッ! 忘れてた!」


 【階層工事】が起こす二次災害として魔物の転移が起こることを、ヴァネッサはすっかり失念していた。つまり、いつものウッカリである。


 だから、始末書ヴァネッサと呼ばれるのだ。

 そう心中で毒づきながらも、女海兵は加速する。

 出力アップ、出力アップ。

 魔力の残量も気にせず、身体能力を底上げする。


 途中、何度も魔物が飛びかかってきたが、低階層の魔物であれば問題はない。強化した【羽衣】の前では、触れた端から弾き飛んでいった。


 問題なのは、地下20階層に潜む魔物である。

 一級品の魔法少女が後れをとるとは信じたくないが、ここは油断一つが死を招く地下世界である。


 翔ぶが如く。

 ヴァネッサは地を蹴り飛ばしては、石階段を下る。

 この石階段を下れば、地下20階層は直ぐ――。


「ひゃん!」


 盛大に足を滑らせた女海兵が、変な声を上げる。

 ヴァネッサは、強引にバク転を決めてみせた。たとえ肉体的に不可能な動きであろうと、魔法を使えばこの程度はお手のものである。


「何なのよ、もう」


 誰かがバナナの皮でも落としたのか。

 ぷりぷり怒るヴァネッサが目撃したのは、鏡のように磨かれた地面だった。


「……氷?」


 下から吹き上げる冷気で、石階段からその周辺までもが凍っている。防寒も兼ねる【羽衣】が災いし、ヴァネッサの反応は遅れていた。


「魔法の余波だよね」


 経験則から鑑みるに、そう判断するのが妥当だった。

 上階まで影響が及ぶとは、余ほど凄まじい戦闘が繰り広げられているのだろう。ヴァネッサは呆けた頭を振るって、気を急かす。


「早く下りなくちゃ」


 全身を覆う黒衣の一番下。

 ヴァネッサは靴底に相当する部分に魔力を注ぎ込み、黒い棘を生やす。どんなアイスバーンであろうと、ドジっ子発動を食い止めるスパイク靴である。


 ザクザク足跡を刻み、石階段へと突入する。

 【鬼灯(ランプ)】の赤灯が照らすと、眩しいほどの照り返しに襲われた。上下左右、狭い内部は見事なまでに凍りついていた。


(……なんだろう)


 氷の階段を下る間。

 スパイクが氷を削る音だけが、狭い通路に響く。

 一段下るごとに、嫌な予感は膨れていくばかりだ。

 妙な胸騒ぎを覚えずにはいられなかった。


(何かが違う。何かがおかしい)


 階段を下りたとき、胸騒ぎは確信に変わった。


「……っ!」


 地下20階層は凍る。

 時が経つのも忘れて、静かに眠っていた。


 分厚い氷の下で、チカチカと淡い青灯が光る。

 地面が、岩壁が、目に付くものすべてが、なだらかな氷に覆われていた。静謐が横たわる神秘的な光景を前に、思わずヴァネッサは息を呑む。


 氷河洞窟(アイスケイブ)だと言われれば、信じてしまいそうな風景だ。


「なんなの、これ」


 やっとのことで、声を絞り出した。

 急に見知らぬ土地に放り出された気分だ。不思議の国に迷い込んだ少女のように、覚束ない足取りで彼女は進む。


 洞穴から顔を出す、コウモリ。

 のそのそと歩く、セピア色のパンダ。

 今にも飛びかかりそうな迫力を見せる、三つ首の狼。

 熱を閉じ込めた氷像を通り過ぎるたびに、妙な気分を味わわされる。何度か部屋を通過するうちに、ヴァネッサは大広間へと辿り着いた。


 大広間の中央に立つのは、天井に頭がつきそうなほどに高い氷像だった。興奮した馬面の巨人は何も知らずにいきり立ち、そして凍りついていた。


 ヴァネッサは、ひと目で理解した。

 一流の魔法少女が嗅ぎとった膨大な魔力の正体は、深階から転移してきた魔物などではない。巨人に寄り添うように立つ――黒ローブの女の魔法だったのだと。


氷砕(ブレイク)


 女が鳴らす指の音が、静謐を破る。

 崩れる巨人の氷像。巻き上がる白い煙。

 ヴァネッサの時すら凍るなか、黒ローブは平然と歩む。凍りついた地面を滑るように、三つの石棺を引き連れて来た。


 違う。

 ハイルフォン=ローズではない。

 あの生意気娘の方が、数百倍マシだった。


「やあ」


 ローブからのぞく顔は、想像以上に幼い。

 顔には、少女特有のあどけなさが残っている。澄んだ空色の髪に混ざる、桃色のポイントカラーが特徴的だった。


「ずいぶんと遅かったじゃないか。君といい女王さまといい、僕を顎で使おうなんて良い度胸をしているよ」


(女王? メルディア女王陛下のこと?)


 静かに臨戦態勢に移り、ヴァネッサは頭を回す。

 "しらは"でもなければ、"鐘鳴りの乙女"でも"法の薔薇園(ロウズガーデン)"の一員でもない。一番疑わしいのは"王宮騎士団"であるが、女王に忠誠を尽くす騎士があの様な物言いをするものなのか。


「おっと、待った」


 見透かしたように、黒ローブの女は掌を突き出す。


「変な真似したら、急に石棺が砕けちゃうかもよ」


 三つの石棺。

 行方不明の三人の魔法少女。

 極度の混乱状態で忘れていた、大事なものを思い出す。

 中身が何かなど、今さら問うまでもなかった。


「な――ッ! あんた、あの子たちに何をしたの!」


 心外とばかりに、黒ローブの女は肩を竦める。


「やれやれ。失礼しちゃうぜ。僕が通りすがったから、助かったようなものなのに。あの子たちは、僕がいなきゃ間違いなく死んでいたよ」

「……ねえ、生きているんでしょうね?」


 黒い魔力を噴かせる。

 ヴァネッサは顔を強張らせるが、女はどこ吹く風だ。


「大丈夫だよ。僕が治しておいてあげたから」


 ゾワリ、と背筋を悪寒が駈けぬける。

 子供のときから親に口酸っぱく言われていた。ヴァネッサに限らず、この国に住む者のなら誰しも聞いたことがある。何代にも渡って伝わる物騒な格言。


 ――治癒術者(ヒーラー)を見たら、殺人鬼だと思え。


 空で解体新書(ターヘル・アナトミア)を書けるぐらい人間を(ほぐ)さないと完成しない。と、まことしやかに噂される存在が目の前にいた。


「あっ、誤解のないように言っておくと、おでこを出した子はその範疇じゃないよ。僕は無駄なことには魔力はかけない、節約主義の魔法少女なんだ」

「ここまで派手にやっておいて、よく言うわね」

「ははは。そりゃ一本とられたな」


 黒ローブの女は、痛くも痒くもなさそうな顔だ。


「たまに魔法を使ったら、これだ。これじゃあ、片道分の魔力を節約した意味がまるでない。素直に門を開けるべきだったよ」

「片道? 門を……開く? あんた【戦乙女の門(ヴァルキリアゲイト)】を通って来たんじゃ」


 はて、と黒ローブの女は可愛らしく小首を傾げた。


「君は何か勘違いしているようだね。僕は、自前の門で来たんだよ」


 ヴァネッサは、頭がどうかしてしまいそうだった。王国が貸与する魔法石を使わずに大規模転移を実現するとしたら、手段は一つしかない。


 三大禁呪のひとつ【魔法少女の狭き門】の開門。

 莫大な魔力を必要とするそれを個人で成功させたと言われるのは、セントフィリアの歴史のなかでも二人だけである。


 初代女王、セレナ=セントフィリア。

 最悪の背信者、リッシュ=ウィーン。

 錠を落とす鍵を与えられるのは、歴代でも最高峰に位置するハイエンドだけである。現代において、門を開けられる魔法少女はいない――筈だった。


「あんた……何者なの」

「本当に覚えていないのかい。僕は君のことをよく知っているのに、君は酷いやつだな。ねえ――ヴァネッサ=バレンシア」


 フルネームを呼ばれた瞬間、脳内で何かが弾けた。

 脳細胞に電流が走る。忘れていたすべてが炙り出される。


「……思い出した」


 蘇る記憶から浮かび上がる名を、ヴァネッサは力なく呟いた。


「ネオンライト=テトラ」

「おはよう」


 黒ローブの女――ネオンライト=テトラの唇が、三日月に歪む。

 実に呆気無い幕切れだった。隙を突かれたヴァネッサは、テトラに手をかざされる。ただそれだけで決着はついた。


「そして、おやすみなさい」


 全ては忘却の彼方。

 人の脳を解剖し続けた魔法少女のみが立ち入れる、禁忌の領域。魔法少女の抵抗値を上回る記憶操作――【虚偽新製(イミテーション)】により、すべては塗り替えられた。


『命たちは、怪我などしていない』

『ダイヤウルフとの戦闘で窮地に陥るも、颯爽と現れた"しらは"所属の魔法少女ヴァネッサ=バレンシアの活躍で事なきを得た』


 その偽物のシナリオは、すでに共通認識である。

 この場にいる者すべての記憶改ざんは、これで終わりだ。


「じゃあね、僕の大切な魔法少女たち」


 三禁破りの悪魔は、人知れず闇へと消えた。

 だが、テトラもまた知らないことがあった。幸か不幸か、この四人のなかには【虚偽新製】が効かない稀有な魔法少女がいたことを。


 暗い石棺のなかで、根木はただ震える体を抱いていた。

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