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魔法少女の狭き門  作者: 朝間 夕太郎
1年生 ―禁じられた遊び編―
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第73話 真実の色は灰色

 双子の平謝りが続くなか、命は機を見計らっていた。飛び交う説教と謝罪の言葉が落ち着くと、すかさず会話に加わった。


「オルテナ先輩、そろそろ」

「八坂くん、あまり甘やかさないでくれ。こいつらは一度痛い目を見ないと、わからないのだ」

「ええ、ごもっとも。オルテナ先輩の仰る通りです」


 黒髪の乙女ならば、弱い立場にいる者を庇うだろう。

 命の行動は、そんなオルテナの予想に反したものだった。


「実は私、マグナ先生から頼まれごとを受けていまして」


 命はぺらりと巻紙を開いた。

 金色の蔦が枠を彩る格調高い証書。

 その右下隅には、1-F担任であるマグナの印が押されていた。

 【小袋(ポケット)】からこれを出したからには、もう後戻りはできない。大きく息を吐くと、覚悟を決めて騙りかけた。


「ポーション法第31条および第32条に抵触した罪を問い、犯人のお三方には神妙にお縄についていただきましょうか」


 短い驚愕の声が重なる。誰かの腿がぶつかり、天板が震えた。

 レッドラム姉妹は口から魂を垂れ流したまま固まり、ハロルは目を伏せていた。


 10年以下の懲役又は1,000万イェン以下の罪。

 法律に照らし合わせた刑罰とはいえ、あまりにも重すぎる判決だった。驚愕は犯人だけに留まらず、他の面々にまで波及していった。


「それは……あんまりじゃねーですか」

「私もそう思ったのですが、法律畑の担任がカンカンでしてね。事態を収束させるためにも、主犯だけは連行して来いと言って聞かないのですよ」

「なるほど。元"法の薔薇園(ロウズガーデン)"のマグナ先生のお達しですか」


 一人頷くマイアには申し訳ないが、後半部は出任せだ。

 命は呼吸するように、嘘を織り交ぜる。問題の解決こそ頼まれたが、方法までは問われていなかった。


 が、真相を知らない者たちは物事を悲観的に捉えていた。

 息が詰まるような空気が場に満ちていく。

 同情や諦観。様々な色の感情が入り混じり、場は揺れていた。


「そこで、ですね」


 命は両手を打ち合わせて、微笑みかける。

 ややあって、程よく注目を集めたところで口を開く。

 困惑に乗じるならば、漬け込むのであれば今である。


「今回の一件、なかったことにしませんか」


 思いも寄らぬ救済措置が飛び出し、レッドラム姉妹が息を吹き返す。がばっと机に身を乗り出してきた。


「おい待て。今なんて言った、お前!」

「待って待って。なんて言ったのかな!」


 鴨を二羽釣り上げると、命は胸ポケットから試験官を抜く。

 今回の騒動の原因を揺らしながら、甘い言葉を紡いだ。


「ですから、問題なのはこの試験管の中身でしょう」


 手早く木栓を抜いて、命は青い液体をぐいっと呷る。

 思わずマイアが制止の手を伸ばすも遅かった。


「ああっ、それ飲んで大丈夫なのですか!」

「何言ってんの。大丈夫に決まっているでしょ」


 人を小馬鹿にした言葉の先には、嘲笑を浮かべるハロルがいた。

 顔をしかめたマイアがハロルと半目し合う前に、命は結論を述べた。


「大丈夫ですよ、マイア先輩。これは得体の知れない物でなくて」


 瞳を閉じれば、祭りばやしの音が蘇ってくる。

 実家の八坂神社で開かれるお祭りにはしゃいだ幼きころ、味もわからずに両親にねだった青い雪山の味。これはオレンジの皮を原料として、香料と糖分を加えたもの。


「ブルーハワイですよ」

「あの謎の青いかき氷じゃねーですか!」

「なんで、そこだけ反応が早いのだお前は。正確にはブルーキュラソーだな。キュラソー島で生まれたこの液体を掛けたかき氷が、ブルーハワイだ」


 甘味ジャンキーが即座に食い付き、物知り団長が補足を入れた。

 二日続けて物知りポジションを奪われた那須は、悲しみのブルーハワイに染まるも、アイスクリーム頭痛のようには引き摺らなかった。


 命の計画を知る者たちだけが息を呑む。

 転がるボールは今、成否の分かれ道の上にある。


「元々これは失敗作なのですよ。およそポーションなんて呼べる代物ではありません。ねっ、ハロル先輩」

「失敗作であることを強調されるのも癪に障るけど……まあそうね」


 不承不承といった体でハロルは認める。

 ポーションの完成を追い求めて一年弱。ハロルが手に入れた物は大量のポーションの成り損ない、ブルーキュラソーの液体瓶ばかりだった。


「大量にあって捨てるのに困っていたから、そこの双子に押し付けただけよ」

「と、いうことです。これはポーションではなくて、ブルーハワイです。皆さん、その認識でよろしいでしょうか」


 少し狡い言い回しであったが、反対の声は上がらなかった。

 レッドラム姉妹は大きく首肯して「ポーションとか呼んだ覚えねえし」「うんうん。記憶にありませんなあ」と完全に逃げの姿勢に入っていた。


「こいつら……全然懲りてねえです」


 マイアは相変わらずな双子に肩を落とすが、顔は満更でもない。自警団の副団長も、この辺りが妥当な落とし所だと判断していた。

 

 これでレッドラム姉妹に続いて、マイアの籠絡にも成功。

 命は心中で握り拳をつくる。表立って同意を示したわけではないが、賛同を得たにも等しい雰因気が出来上がりつつある。


「皆さんが口裏を合わせていただけるのであれば、この問題は不問としませんか。さしものマグナ先生も、ありもしない事件の犯人を捕まえて来いとは言わないでしょう」


 ボールは坂道を下る。

 物事は命たちの望む方向にぐんぐんと進む。

 計画の成就が頭をちらついた瞬間――大山は動き出した。


「ちょっと待て」


 安堵で緩みかけた空気が、ただその一言で引き締まる。

 動向を見守り、積極的な介入を避けていたオルテナが立つ。

 澄んだ瞳から飛ぶ苛烈な視線は、明らかに敵意を含んでいた。


「悪いがその提案は飲めない。それをポーションでないと認めるということは、以後そのような物はブルーハワイと認めざるを得なくなるということだ」


 自警団の三巨頭が首をかしげるなか、命は笑顔を固くする。


「先ほどの映像から察するに、ブツの隠し場所は部活塔だな」

「そりゃそうでしょう。見たまんまじゃねーですか」

「大事なのはそこじゃない。あの部屋が物置き状態だったことだ。どうやったら手付かずの空き部屋が手に入るのか、よく考えてみろ」


 思考を促されてから、マイアはハッとした顔を浮かべる。


「まさか……新規同好会の申請ですか」


 マイアの推測通り、ポーションの保管場所は新規同好会の部屋だった。

 レッドラム姉妹が隠れ蓑として設立したものであったが、命はその宙に浮いた同好会に着目していた。当たり障りない申請書で認可された同好会は、裏を返せばいくらでも活動内容を塗り替えられる。


 場所と活動する権利さえあれば、後はデータの移行と同じだ。

 箱には、そっくりそのまま潰れた同好会を入れれば良い。さらに研究内容がポーションでないという言質も得られるならば、文句なしだった。


 しかし、あと一歩という位置で、命の目論見は阻まれた。


「君たちは薬学研究会を復活させて、何をするつもりだ」


 やはり甘くはない。命の背筋を冷たい汗が伝い落ちた。

 ここからはがっぷり四つに組むことを要求されるが、猫騙しを得意とする小兵にとっては酷な話だ。なにせ相手は横綱級の魔法少女なのだ。

 

 オルテナは視線を水平に移動し、ハロルを睨みつける。

 

「第一その女が潔く自首などする玉か。薬学研究会の復活と引き換えに自首を装ったと見えるが、よくもまあノコノコと顔を出せたものだな。……我が学院の女生徒をモルモットにした罪、軽いと思うなよ」


 射るような鋭い視線を受け、ハロルのふてぶてしい態度が崩れる。ポーションの廃棄が嘘であることも容易く見透かされていた。

 ものの数分で形勢を傾けると、オルテナは悪戯な乙女を見据えた。

 

「さて、八坂君。君はどう申し開きをするつもりだ」

「私はただ、研究熱心な女生徒の望みを叶えてあげたいと思っただけなのですが、どうしてもダメですかねえ」

「ならぬ。ポーションの研究をするというのなら、見逃せない」

 

 ポーション事件の解決と、薬学研究会の復活。

 平和裏に二つの目的を達成する道が閉ざされた今、命も綺麗ごとばかり言うわけにはいかなくなった。

 

「……申請書の承認印」

「何が言いたい。はっきりと言いたまえ」

「新規同好会を立ち上げるには、生徒会長の承認印が必要です。怪しい同好会の申請を通しておいて、よもや自分は罪がないとは言いませんよねえ」

 

 生徒手帳から得た知識を盾に、命は最後の交渉を試みる。

 申し開きを選ぶぐらいならば、鼻から敵対する道など選びはしない。黒髪の乙女が真っ向から勝負を挑むと、正義の乙女は鼻を鳴らした。

 

「悪いが、私は無闇に承認印を押すような真似はしない。大方どこぞの双子が、私の印鑑を勝手に拝借したのだろうな」

 

 印章偽造の罪。掘り起こされた余罪に、双子が震え上がる。

 命としては、やはりとしか言うほかなかった。

 根木が一番乗りで認可を受けた黒百合会よりも早く、会室を得た新規同好会があることが、そもそもおかしかった。

 

「さあ、どうでしょう。確たる証拠もないのに決めつけるのも、いかがなものかと思いますが。誰が捺印したかなど、書類の上からではわかりませんからねえ」

「……ほう。傍目から見れば、私がポーション配布に加担としたと見られてもおかしくないと。飽くまでも膝を折る気はないのだ」

 

 騙りに恐喝。清く正しい人間であることを自称する命にとって、およそ押したくなかったスイッチだが、こうなれば16連射で押し通す。

 恐ろしい形相でマイアが睨みつけていたが、命は顔を合わせなかった。

 

「自警団の落ち度と悪事を見逃す代わりに、薬学研究会を復活させろと。これが八坂君の言うところの、建設的な明るい未来か」

 

 オルテナが指摘するところが、命の目指す合意点だった。

 落とし所としては灰色かもしれないが、多少の不正に目を瞑れば済む話だ。それで全員が幸せになれるのならば、黒髪の乙女は灰色を肯定する。


「そうか……笑わせるなよ」

 

 だが、正義の乙女は灰色を否定する。

 清く正しく生きた者が馬鹿を見ることが許せない。少量でも黒が混じったものを認めてしまえば、掲げた正義がなし崩しになってしまうからだ。

 

「法に触れた者が罰を受けるのは当たり前だ。幇助の疑いがかかるのであれば、私は審議の場で正義を主張するまでのこと。本来であれば、ポーションを使用した者もすべて、罪を問われて然るべきなのだ」

 

 冷たく狭い正義。

 それは高潔すぎるが故に、誰とも共有し得ない理想だった。オルテナの側に立つマイアですらも、彼女の発言を肯定し切れなかった。

 

「会議はこれで終わりだ」

 

 何を話そうと、これ以上の結論は出やしない。

 席を立つオルテナの背中が、言外にそう語っていた。

 

「あの……待って下さい」

 

 退路を断つように、那須が扉の前で両手を広げていた。

 障害というには低く頼りない壁だ。伏し目がちなまま、彼女は身体の震えを抑えられずにいた。

 

「これ以上、何の用がある」

 

 苛立たし気な声に押されて、那須の肩が跳ねた。

 木栓を詰めたみたいに、喉から声がうまく出なくなる。

 もう逃げてしまいたい、道を譲ってしまえば怖い思いをしないで済む。小心者の心は、怯えに呑まれかけていた。

 

「当然、言いたいことがあるのでしょう」

 

 背中を押す命の声は、突き放すような響きを孕んでいた。

 那須はぐっと堪えて、震える身体を押さえ込む。

 初めて本気で叱られた気がした。甘やかすばかりで優しかった友達が、初めて信頼してくれたことが、那須は嬉しかった。

 

「私は薬学研究会に入部して、ポーションの研究がしたいです」

 

 喉のつかえが取れると、言葉は綺麗に滑り落ちた。

 

「……君は、私の話を聞いていたのか」

「お願いします。部員も集めます、活動日誌もきちんと上げます。使途不明金があるのなら、きちんと精査して予算を申請します」

「そういうことを言っているのではない!」

 

 オルテナが苛立ちを募らせて右手を凪ぐも、意味を成さない。頭一つ下にいる那須は一心に瞳を覗き込んで、頑として譲らなかった。

 

「ったく、どうしようもないチビっ子ね」

 

 ハロルは眼鏡のブリッジを指でノックする。

 仮置きとはいえ、彼女は新生薬学研究会の部長だ。小さな新入部員が奮闘しているのを捨て置いたのでは、目覚めが悪くて研究に身が入らない。

 

「私からもお願いします。活動許可を下さい」

 

 深々と頭を下げるハロルに、オルテナは目を瞠った。

 他人を見下す利己中心的な女生徒――オルテナが彼女に抱いていた印象からは、およそ考えられない懇願だった。

 

「君まで……なんだというのだ。同好会の解散が決まったときは、あれだけ素直に退いたというのに。今さら未練でも湧いたのか」

「まあ、ぶっちゃけ頭数だけの部活だったので、予算以外は大して惜しくなかったんですけどね。ポーションの研究も大して上手くいってなかったし」

 

 寝食も忘れて費やした時間も、実を結ばなかった。

 ポーション精製実験は、失敗に次ぐ失敗続きだった。

 数えることが億劫になるほど失敗を重ねたころには、ハロルも虚しさに苛まれていた。

 

 今まで積み上げてきた物とは、一体何だったのか。

 研究に没頭するあまり、周りの環境から置いていかれて、知らぬ間に同好会の整理が決まっていた。

 

 ――大丈夫。活動日誌だけは書いておくから。

 

 そう言ってくれた会員の言葉を信じていたのに。

 昨冬の部長会では、活動日誌が上がってこないことを責められ、挙句の果てには身に覚えのない予算が使い込まれていたことまで糾弾された。

 

 文句を言おうにも、会員はどこにもいやしない。

 そもそも会員と言葉を交わしたのが、何ヶ月前のことだったかも思い出せない。頭が冷めると、眼前に広がるのは寂しい研究の成れの果てだった。

 そこにあるのは失敗の山だけ。寒風が空っぽの会室を吹きすぎると、唐突にすべてがどうでも良くなった。

 

 部室を明け渡して、すべてを終わらせるつもりだった。

 そのつもりだったのに、青い液体が満ちる瓶だけは捨てられなかった。


 小分けにした瓶のすべてを検証したわけではない。

 本人が知らないだけで、成功作が眠っている可能性があるかもしれない。残ったのは科学者としての探究心ではなく、有りもしない成功を祈る心だった。

 

 成功作が一つでもあれば、何かが変わるのではないか。

 空っぽだった一年間を肯定して欲しくて、ハロルは溜め込んだ全てをばら撒いた。無意味な真似と知っていても、箱を開けるまで科学者は信じられなかった。

 

 二、三日して、女学院の至るところには空箱が溢れた。

 好奇心でポーションに手を出した女生徒は多くても、ハロルが望むような声はついぞ聞けなかった。

 

 ――ああ、全ては無駄だったのか。

 そう悟るには一週間という時間は充分だった。

 ポーションと偽って失敗作を押し付ける自分は酷く滑稽で、手元に余ったものを配布する気もとうに失せていた。

 

 おかっぱ頭の女生徒がハロルの元を訪れたのは、そんな折だった。

 

 ――あの……これはすごいですね!

 

 たどたどしい口調が歯がゆいと言わんばかりだった。小さな身体を目一杯使って、その女生徒は失敗作を賞賛してくれた。

 おべっかを使っているのでないことは、ハロルには直ぐわかった。

 彼女が褒める箇所はやけに偏っていて、悪く言えばマニアック。背丈の差こそあれど、同じ高さに視線を持った女生徒だった。

 

 ――良ければ私も……一緒に研究がしたいです!

 

 両手を握って大真面目に主張するものだから、ハロルは思わず吹き出した。味にまで拘ったのが功を奏したのだろうか。

 甘い味付けのポーションは、小さな部員と巡りあわせてくれた。

 

 そのちっぽけな奇跡に感謝したのを最後に、ハロルは祈ることを止めた。科学者とは神さまを信じない生き物だ。そんな基本的なことも忘れていた。

 思考放棄も飽きた、祈る両手ももう必要なかった。頭の数も、手の数も足りていなかったのだ。人手が増えるというのなら大歓迎だった。

 

 ハロルは自嘲気味に笑う。

 科学者というのは、つくづく業の深い生き物なのだと。

 

「やっぱり諦められなくてね。この子の目を見ていたら、また好奇心をくすぐられちゃったみたい。悪いけど、もう一回やらせてくれない」

「何がもう一回だ。私は一度として許可した覚えはない」

「あっ、ふーん。そういうこと言っちゃう。なら良いよ。そこの双子を手先にして、生徒会長さまがポーションを配布していたって吹聴しちゃうから」

 

 行儀良くするのにも疲れて、ハロルも脅しに加わる。

 本来彼女は試験管のなかを伺うのは得意でも、人の顔色を伺うのは苦手な人種だ。さして効果もないのにかしこまるなど、肩が凝るだけだと開き直る。

 

「いい加減にしておけ。その様な脅しは通じないと再三」

「――要求を呑まないなら、そこの双子を地獄まで追い込むわよ」

 

 返答を待たず、ハロルは最後通牒を渡す。

 外道、非道と蔑まれようと構いやしない。ここまで後輩がお膳立てしてくれたのだ。汚れ役だけはとことん引き受ける覚悟があった。

 

 ――森林育ちなんて。

 

 軽蔑の声は、不意に上がった絶叫に飲まれた。

 

「ああああああああああ、もう終わりだあ。学費だって一時的にハロルに建て替えって貰ったし。ブタ箱行きを逃れても、やっぱドナドナじゃん!」

「やだよ、やだよ。何とかしてよ、オルテナちゃん。私たち幼馴染じゃん。幼馴染を見殺しにしたら、明日食う飯が美味しくないよ!」


 博徒の勘で危機を察知し、レッドラム姉妹は喚き散らす。

 ピンチの後にチャンス有り。全てを丸く納めるのならば、ここが勝負どころだと踏み、双子はオルテナの肩を揺すりにかかる。

 

「な、なんなのだ。お前ら急に!」

 

 双子の駄々っ子ばりの行動には、オルテナも困惑を浮かべた。

 為すがまま右から左。双子は立て続けに泣き言を続けて、彼女が平静を取り戻す間を与えなかった。


 オルテナの視界が揺れている間に、双子姉はくいくいと顎を上げて指図する。ジェスチャーが「早くやれ」の意であると察すると、慌てて命が懇願した。

 

「私からもお願いします。許可を与えてあげて下さい」

「だから、何度も言っているだろう」

「えー、マジかよ。私たちを見捨てる気かよ!」

 

 堅物の発言を遮って、姉が右耳めがけて声を飛ばす。

 隙を見て妹が「もっともっと」と両手で周りを煽ると、大きく息を吸った那須とハロルが続いた。

 

「お願いします。ポーションの研究がしたいです!」

「ああもう。何でもいいから早く許可しなさいよ!」

「もう君たちは好奇心だけだろうが。少しは遵法精神というものをだな」

「なになに。遵法精神とか難しくて、よくわかんなーい!」

 

 石頭の発言を遮って、妹が左耳めがけて声を飛ばす。

 左右に揺すられて意識が朦朧とするなか、オルテナは双子を力尽くで振りほどいた。

 

「ええい、離せ! 情にほだされるほど、私の正義は甘くはないぞ。マイアも静観していないで、この莫迦どもに何か言ってやれ」

 

 最後に振られたマイアは、微妙な面持ちで固まる。

 十の瞳から熱い期待を寄せられているのだが、どうしたものか。板挟みに陥った副団長はため息を落としてから、結論を出した。

 

「……いいんじゃねーですか。認めてやっても」

 

 腹心にまで寝返えられては怒る気も沸かなかった。

 オルテナは下唇を甘噛みして、不満気に漏らした。

 

「なんだというのだ。みんなで寄ってたかって、私を悪役にして。言っておくが、私は断固として認めないからな」

 

 筋金入りの頑固者は、目を逸らしながら呟いた。

 

「だから……私の見えないところでやりたまえ」

 

 沸き立つ場から背を向けて、オルテナはドアノブに手をかける。もう扉前にいた小さな門番に道を遮られることもなかった。

 

「マイア! 甘いものでも食べに行くぞ!」

「はい、団長。喜んでお伴させていただくです」

 

 不貞腐れたオルテナは、マイアと連れ立って部室を辞した。

 二人の後ろ姿を見送ると、命もようやく肩の荷を下ろせた。万全の準備を整えたにもかかわらず、全員で結託して頷かせるのがやっとだった。

 

(もうこの人だけは、二度と敵に回したくない)

 

 ポーション事件の解決と、薬学研究会の復活。

 非常にこんがらがった問題ではあったが、最後は望む形で紐解くことができたのが、せめてもの救いだった。受け取った報酬は苦労と見合わぬものだったが、

 

「あの……ありがとう、命ちゃん」

 

 那須の満面の笑みが上乗せされたのでは、文句はいえまい。

 

「どういたしまして」

 

 疲労の色を隠して、命は微笑み返した。

 この日、数日におよぶ那須の部活探しにピリオドが打たれ、薬学研究会あらためブルーハワイ研究会が設立された。




     ◆




「とまあ、こんな形で決着がつきました」


 事の顛末を語り終えた命は、七分袖の白いホールウェアに袖を通していた。腰から下のスカートも休業で、前がけ付きのズボンルックだ。

 カフェ・ボワソンでの初日研修を終えた命は、がら空きの店内で一服していた。

 

「自分のことで大変な割に、随分とお優しいこって」

 

 向かいのリッカは、かちゃかちゃと雑にティースプーンを回す。

 ミルクも砂糖も入っていないコーヒーは、ただ波立つだけだ。

 

「リッカが手伝ってくれたら、もっと楽でしたけどね」

「……仕方がないだろ。大事な用事があったんだから」

 

 大事な用事とは、春物の最終セールである。

 日曜日のデートのために勝負服を買いに行っていたなどと、リッカは死んでも口を割る気はなかった。


 『新たな出会いと恋の始まり。最新春スタイル』なるコピーが踊るファッション誌を片手に、彼女もブティックのお姉さんと戦ってきたのだ。

 

「それにあの程度の問題なら、手前一人で問題ないだろ」

「信頼が厚いのは嬉しいですが、買いかぶり過ぎじゃないですか。こっちは大変だったのですから、貴方も紛らわしい真似は控えて下さいよ」

 

 紛らわしい真似とは。

 はてと、リッカは小首を傾げる。

 瞑目して思い返すこと数秒。彼女はようやく自分が燻製ニシンを提供していたことに気が付いた。

 

「もしかして、あたしも疑われてたのか」


 命の視界の隅、唇の前で人差し指を立てるアイリが映った。

 他言はするなと、彼女は必死に訴えていた。研修担当の面目を保つためにも、命は内容をぼかして話す。

 

「まあ少しばかし。スピナ先輩が『リッカだけはあり得ない』と断言していましたけどね。あんな良い人ともう喧嘩しちゃダメですよ」

「ふうん、スピナ先輩がねえ」

 

 興味がない風を装いつつも、リッカは満足気だ。

 緩む頬を隠そうと仏頂面をつくる様は妙におかしい。命は女神の表情の機微を微笑まし気に眺めていた。


「それで手前は、どうしたんだ」

「どうしたとは、何がですか」

「だから、あたしが怪しい行動をとってだよ。手前の性格上、怪しい行動をとった奴は問答無用で容疑者リストに入れる質だろ」

「失礼な……と言えないところが悲しいですねえ」


 命をよく知るリッカの指摘は正しかった。

 容姿のせいで仄暗い過去を持つだけに、命は容易く他人に信頼を寄せられない性格だった。

 

「もちろん、貴方のことも疑おうとしたのですがねえ」

 

 それが一体どうしたものか。

 心の内は本人ですらわからない。ティースプーンを回すも、コーヒーの底に真実が沈殿している筈もなかった。

 

「どうにも疑えませんでした」

「……そりゃどうも。お詫びに夕食でも奢ってやるよ」

「悪いから良いですよ。アミューゼに帰れば夕食がありますし。それに貴方、この前も勝手に伝票持っていたでしょ。今日は奢られませんからね」


 変なところで真面目な男だから、リッカは参る。

 あれだけ完璧に黒髪の乙女を装えるのに、どうして乙女心には疎いのか。女たらしの魔法使いは、ときに酷く憎たらしい。

 

「育ち盛りなんだから、二食とっても問題ないだろ。迷惑をかけた以上、奢らないことには、あたしの気が済まないんだよ」

「ですが、奢られっぱなしというのも」

「じゃあ、今度一服するときは手前が奢ってくれ。それでいいだろ」

「仕方ありませんねえ……それではお言葉に甘えて」

 

 リッカは自然と緩む頬を持ち上げて、必死にごまかす。

 命が何を注文するのか、どんな食べ物が好きなのか。決して見逃さないよう、彼女は鷹の目を光らせる。


「……あの、なんでしょうか」


 熱い視線に気づいて、メニュー表を眺めていた命が問うも、リッカは素気ない答えを返すだけだ。


「別に」


 日曜日のお弁当づくりの参考にするのだ――なんて、言えるわけがなかった。心の在処がわからない、もどかしい木曜日の夜が更けていく。


 真実はいつだって灰色で、大切なことは何一つわかりはしない。

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