第72話 ポーション事件簿
白亜の城5階。
各教員に割り当てられた一室に、命と那須は居た。
無数の硝子ラックと収納された薬品郡。水道付きの実験台まで完備した部屋は、小ぢんまりとした研究室のようだ。
部屋主であるマレット先生は、相手が那須とわかると快く部屋を貸してくれた。セントフィリアのお国柄、理数系を専攻する女生徒は極端に少ない。
その少ない女生徒のなかでも勉強熱心な那須の姿は、教員の記憶にも強く残っていた。
細かい諸注意を省いて、マレット先生は部屋を明け渡した。那須への信頼もあるが、連日同じ説明をする必要もないと判断したからだ。
――それじゃあ、昨日と同じ感じで。
残された那須が、ばつの悪そうな顔を浮かべていたのも束の間のこと。
ポーションの検証を開始すると、見る見る間に彼女の心は好奇心で満たされていく。終始無言で、真剣な面持ちを浮かべていた。
(これが、本来の彼女の顔なのでしょうねえ)
乙女の空惚けなど、片腹痛い真似をしたものだと自嘲する。
知らない振りをするまでもなく、那須は命は知らない世界を知っていた。見えない不思議を、彼女はずっと手探りで追い求めていた。
危険と好奇心の間で揺れて。
那須は検証の間、決して笑いはしなかった。
優柔不断な薄い笑みとも、小心者の困り顔とも違う。ともすると仏頂面にすら見える顔が、那須の満面の笑みなのだと命は知った。
邪魔してはいけない。
そうと知っていても、命はちらりと彼女の横顔を盗み見てしまう。今まで那須に抱いていた、庇護欲を誘う可愛さから生じる行動ではない。
命はこの日初めて、那須のことを美しいと思った。眩しすぎて直視に堪えない情熱が、その小さな身体には秘められていた。
「あの……命ちゃん」
上目遣いで、那須は濡れた瞳を命に向けた。
じっと見られていたことを責められていると勘違いしている風だった。声を掛けられて、命はようやく那須の検証が完了したことに気づいた。
「すいません。少し見惚れていたもので」
「見惚れていたって……えっ! あの……その」
もじもじと身体を揺する様を見て、命は一言付け加えた。
「あまりに見事な手際だったものですから」
「その倒置法は……どうかと思います」
少し恨めしげに見上げる那須に、命は苦笑を返した。
仕方がなかったのだ。ポロリと漏れた本音を誤魔化すのは、黒髪の乙女を持ってしてもなかなかに難しいものなのだ。
命はふうと長く息を吐いて、頬の熱を逃す。
気恥ずかしさを隠すように、尚のことおどけて尋ねた。
「検証の結果はどうでしたか、那須教授」
「毒性試験は問題ありません……えっと、素人判断ですし、短期間だから問題ないとは言い切れないのですが」
「いいんじゃないですか。私も正しいと思います」
聴取の結果でも、健康被害を訴えた女生徒は一人もいなかった。人体実験が先というのも皮肉だが、安全性に問題がないのはほぼ確実だった。
「原料はオレンジの皮と、青い着色料……セントフィリア産のエホバの実かと思います」
「ああ、あれですか。染料だけに使う物ではないのですねえ」
「うん……染料にも着色料にも使えるみたい」
エホバの実は、命が春祭りのときにエメロットから全財産と引き換えに購入した果実だ。セントフィリアでは主に染料として知られているが、着色料の用途で使われることは希である。
「ふむふむ。オレンジの皮と、青い着色料とくれば」
間違いなくポーションの正体は、馴染みの品である。
実験の予備として拝借してきたポーションの木栓を抜く。スポイトで抜いたアクアマリンの液体を指先に数滴落とすと、二人は指を舐めとった。
「やはり、あれですねえ」
「ええ……間違いなくあれです」
確信を得た二人は、懐かしむような顔を浮かべた。
異郷の地でこの味に遭遇するとは予想外であったが、青い色素を裏切らない味わいだった。
その後、いくつか有益な情報を得たところで、楽しい実験教室の時間は終わりだ。命が撤収命令を出すと、那須は被せ気味に声をかけた。
「あのね……命ちゃん」
落ち着きなく黒目を彷徨わせ、那須はぎゅっとスカートの裾を掴む。
言って良いことと、悪いことがあることは十分に理解している。だからこそ、彼女はあと一歩を踏み出せずにいた。
「ええ、わかっていますよ」
命は低い位置にある那須の頭を優しく撫で付ける。彼女の苦悩がわかるからこそ、この場ではそれ以上は求めなかった。
「お膳立てだけは、私が喜んで引き受けますが」
恐らく命だけでは、求める理想は勝ち得ない。
相手が並程度の者であれば、口八丁な黒髪の乙女が言いくるめことも可能だろう。しかし、これから相対しようとする者は並の相手ではなかった。
「最後の最後、上手くいくかは貴方次第かもしれません」
俯きがちに那須は「うん」と頷いた。
答えを聞き届けた以上、命にできるのは有利な場を整えることと、後は臆病者の勇気を信じることだけだった。
疑い続けた先に、黒髪の乙女は信じる道を見出した。
◆
全ての仕込みを終えると、命は情報交換の場を設けた。
オルテナ、マイア、レッドラム姉妹。自警団の面々は勝手知ったる部室の席に着いて、会話に興じていた。
「すいません。少し遅れてしまいました」
遅れてきたのは、命を含む三人組だった。
命、那須、これで3人目が根木であればいつもの面子なのだが、今日は見慣れない人物を引き連れていた。
二人に手を引かれる人物は、重い足取りで入室する。
色気のないアンダーリムメガネのブリッジを指先で押さえ、ため息混じりに白衣の裾を揺らすのは、薬学研究会の元会長――ハロル=フラメルだった。
「……どーも。お邪魔します」
ハロルを視認すると、途端に部室の会話が止んだ。
何度か接触には成功したものの、自警団は彼女をここまで連れて来れた試しがなかった。明確な証拠がないことを突かれて、袖にされ続けてきたのだ。
周りの好奇の目を意に介さず、ハロルは端の席へと腰を下ろす。横に那須が着席したのを確認すると、命は部屋の扉を静かに閉めた。
「おや、まだ全員揃っていないように見受けられるが」
錠の落ちる音を拾い、オルテナが訝しむように尋ねる。
ポーション取り締まり班の会議。その枠組みが念頭にあるのなら、出席者が足りないと取るのは当たり前だった。
「ええ、今日は全員参加の会議ではありませんからね」
「ちょっと待て。最初に聞いてた話と違うんだけど」
「うんうん。取り締まり班は全員参加じゃないのかな?」
レッドラム姉妹の反応はもっともだった。
命発案の情報交換会は、全員参加だと言い聞かされていた。
「すみません。あれは嘘です」
悪戯な乙女は微笑を浮かべ、あっさりと自白する。
欠席者は全員参加どころか、会議の存在すら聞かされていない。この秘密会議に招かれたのは、命が必要と踏んだ面々だけである。
「おっと、誰も動かないで下さい。『他のメンバーも呼んでくる』なんて理由で逃げられても……困りますからねえ」
太い釘を打ち据えると、しんと場は静まり返る。
かつかつとローファーを鳴らしながら、命は席に付く。黒い革張りソファーには自警団4名、硝子テーブルを挟んだ向かいの椅子には命たち3名がいる。
ふっと息を吐く笑い声が、部室の静謐を揺らした。
「嘘をつくとは、あまり関心できないやり方だな」
「気分を害されたようなら、失礼しました。これはどうしても必要な手順だったもので」
「まあいい。八坂君の好きなようにしたまえ。犯人が確定するまでは、私も大人しく見物させて貰うとするよ」
オルテナは眠るように瞼を落とし腕を組むと、それきり喋らなくなった。
……活火山は眠る、次に口火を切るときまでは。
「そうですか。それではお言葉に甘えて」
オルテナの許可を得た以上、この場の主導権は命にあると言っても過言ではない。ああ権力とは、なんて素晴らしい単語なのだろうか。黒髪の乙女は爛々と黒水晶の瞳を光らせた。
「進行は私が努めますが、どなたか異議がある方はいますか」
殊勝な態度と裏腹に、言葉の裏は真っ黒クロスケだ。
異議など上げた瞬間、祭り上げてやろうか。言外の脅しは犯人にもきちんと聞こえているようで、反対を唱える者は誰もいなかった。
参加者の首肯と無言で可決。にぱあっと命の笑顔が花開く。
「では、会議を始めましょうか。当初は情報交換会のつもりでしたが、よんどころない理由でお題は変更と相成りました」
ごほんと大仰に咳をついて、命は続ける。
「お題は……建設的な明るい未来」
欲望渦巻く魔法少女裁判が開会する。
◆
きゅらきゅらと足音を立てて、脚付きの黒板が歩く。
助手である那須は、ポーション騒動のあらましをチョークで書いていく。参加者間で認識をすり合わせてからが会議の始まりである。
「ここまではよろしいでしょうか」
異議なしの声には、どこか懐疑的な色が含まれていた。
「まあ異議はねえですが、謎は解けねえままです」
「だよな。結局犯人がわからず終いじゃ、変わんねえじゃん」
「うんうん。ここまだと、今までと一緒だよね」
自警団の三巨頭は首をひねる。
命は思わず漏れそうになる笑い声を押し留める。ここで笑っては、せっかくの女優の名演技が台無しになってしまう。
「ええ、もちろん。本題はここからです」
情報操作された犯人像。
怪しい動きを見せない容疑者。
出所不明のポーション。
かつかつと、那須は黒板に問題点を書き連ねた。
「この辺りの問題には、さんざん悩まされました」
何が真で、何が疑なのか。
情報の海に埋もれた真相をサルベージするのは一見難しそうに思えたが、何てことはなかった。難解の謎が生まれる地盤など、元より女学院にはなかったのだ。ここには名探偵も名犯人もいはしなかった。
人差し指を立てて、命はことさら強調するように言う。
「一つ仮定を置くだけで、この問題は全て解決します」
会議の場がざわめくなか、命は淡々と結論を述べた。
「自警団のなかに犯人がいるという仮定です」
スピナの願望通り、犯人は現場に潜んでいた。
内部から不正に操作された情報であれば、そうは疑われない。何食わぬ顔で嘘を織り交ぜれば、真相は嘘のなかへと消えていく。
命は【小袋】を展開すると、一冊のノートを取り出す。
部室の本棚に置いてあったノート――自警団の日々の活動が綴られた日誌だった。命は直近の日付のページを見せつけるように開いた。
「裏付けとして日誌も確認しましたが、酷いものです」
日誌の中身は支離滅裂だった。
犯人の人相や服装はおろか、人数まで全く統一感がない。自警団の捜査が難航した理由の一端には、この人為的に操作された情報を鵜呑みしたことが挙げられる。
「過去の書き込みには改ざんの跡も見られます。嘘情報を載せるのが同一人物だけだと、疑われると思ったのでしょうねえ」
証拠品の提示を受けて、わずかに犯人の目が泳ぐ。
黒髪の乙女はクスリと笑みを零し、犯人に同意を求めた。
「そうでしょう、レッドラム姉妹のお二人」
真実のなかに嘘を混ぜる。
その手法が悪かったのではなく、単に相手が悪かったのだ。
たとえ純粋な女生徒の目は欺けても、同業者の目は誤魔かせない。黒髪の乙女は、命懸けの大嘘つきなのである。
じとっと湿った視線が集まると、双子は慌てて声を荒らげた。
「はあ? 全ッ然、意味がわかんねえんだけど!」
「うんうん。最初から最後まで意味がわからない!」
上ずった声を出したまま、双子姉は開き直る。
硝子の天板に両手を突いて立ち上がると、まくし立てた。
「第一ポーションなんてどうやって作るのさ! 自慢じゃないけど、私たちはめっちゃ頭悪いかんな。あんな液体の配合なんてできるわけないし!」
「そうそう。あまり森林育ちの頭の悪さを舐めない方が良いよ!」
頭痛を抑えるように、オルテナはこめかみに手をやる。
同郷の森林ガールとして、二言三言では済まない怒りが内に燃えている。しかし事の成り行きを見守ると決めた以上、余計な口は出さなかった。
そう、何もオルテナが語る必要はない。
黒髪の乙女の小ぶりな唇が、これから雄弁に語るのだ。
「おやおや、何か勘違いしているようですねえ」
命は、意地悪く口端を釣り上げてみせる。
「いつ私が、犯人は二人だと申しましたか」
隣人を紹介する気軽さで、命はハロルに手を向けた。
「ご紹介しましょう。本日出頭してきた一人目の犯人です」
「どうも。ご紹介に預かりましたハロルです。ポーションを製造したのは私です。この度はご迷惑をおかけし、真に申し訳ありませんでした」
額が硝子に着く寸前まで、ハロルは深々と頭を下げる。
主犯が最初にゲロるとは予想だにしなかったのか、レッドラム姉妹は呆気にとられていた。
「三人揃えば謎なんてありません。あるのは三文芝居だけです」
沈黙は罪を認めるに等しい行為だ。
レッドラム姉妹は、必死に知恵と声を振り絞った。
「待てよ。ハロルが言わされてるだけかもしれないだろ。【遠視】まで使って見張ったのに、こいつは一切怪しい動きをしてないんだし」
「その様な筒抜けの監視に、何の意味がお有りですか。お二人が見張りのときだけ動けば、ハロル先輩には何ら支障はないと思いますが」
この場合の【遠視】は、むしろアリバイ工作といえた。
ハロルを容疑者から外すのが狙いであったが、今となっては裏目だ。
一つ、また一つと。黒髪の乙女は偽装工作を潰して、双子を袋小路へと追い込む。じりりと詰め寄ると、堪らず妹が切り札を抜いた。
「じゃあじゃあ、証拠品はあるの? 出所不明のポーションなんだよ。外部犯という線も考えられるでしょ」
「証拠品と言われると、参りましたねえ」
ポーションの保管場所は、共犯者であるハロルも知り得ぬ情報だった。
一時期はハロルが女子寮の自室に保管していたが、今回の配布にあたって、レッドラム姉妹はポーションの保管場所を移していた。
たとえトリックは割れても、この保管場所だけはわかるまい。
森林育ちで五感の優れた双子は、ポーションの出し入れには細心の注意を払っていた。今日に至るまで誰かに尾行された覚えもなかった。
「そりゃねえだろ。証拠もないのに犯人扱いとか」
「だよだよ。濡れ衣を着せられても困っちゃうよ」
どれだけ推量を重ねようと、レッドラム姉妹は白を切り通す所存だ。
何を言おうが論より証拠。頑として認めなければ、やがて全て有耶無耶になる。
命に決め手がないと踏んだ双子は心中でほくそ笑む。一年坊にしてやられるほど甘くないのだと、強気な姿勢が語っていた。
「……仕方ありませんねえ」
はあ、と命はため息を落とし、
「これは、あまり見せたくなかったのですが」
愚かな双子を地獄へとご招待する。
潔く罪を認めたハロルの方が、余ほど賢明だったといえる。首に縄がかかった状態で悪あがきをすると、どうなるのか。命は先輩にお教えすることにした。
きゅらきゅらと足音を立てて、黒板が帰っていく。
壁との間の遮蔽物も取り除かれて、準備は完了だ。
もはやこの段まで来ると、演技を続けていた女優も馬鹿らしくなっていた。素直に罪を認めたならば、彼女も証拠品は処分するつもりだったのだが、もはや情けをかける気持ちも失せていた。
「本当にこいつら、救いようのねえアホどもです」
舞台から降りたマイアは、紫色の小さな座布団を机に敷いた。
双子はギョッとする。その悪行をたとえ誰が見ていなくとも、セレナさまと座布団に鎮座する水晶球だけは、まるっとお見通しである。
液晶代わりにもなる水晶球は、録画機能も兼ね揃えた代物だ。命が理事長室で鑑賞した『目で見て学ぶ水晶教材―火あぶり編―』もその機能を利用した物である。
仮に、この水晶球の録画機能と【遠視】を併用した場合。
違法行為に当たるこの行為が、何を意味するかは想像に固くない。
那須が黒いドレープカーテンをしゃっと引くと、命が壁側の明かりを落とす。楽しい鑑賞会のスタートだ。
「それではVTRどうぞ」
レッドラム姉妹が喚いて妨害するも、もう遅かった。
命のキューに合わせて上映会は幕を開ける。水晶球から溢れる淡い光を浴びて、映像が投影される。薄ぼんやりとした白丸の光は次第に鮮明になっていった。
漆喰の壁に広がるのは、無人の部室の光景。
多量の埃が黒い点となって浮かぶ部屋は、命が掃除をする前の黒百合会の会室に似ていた。籐の籠や紙束に占拠されて、半ば物置と化した場所だった。
そこに二人の登場人物が入ってきた。
背丈は低くもなければ高くもない。目深にローブを被った二人組は、警戒を解くと気持ちよくフードを跳ね上げた。
『ぷっは! 今日も働いちゃいましたなあ』
『うんうん。配りまくっちゃいましたなあ』
突き上げた頭に合わせて、えんじ色の髪が揺れる。
一見すると可愛げな仕草だが、フードの下から現れた双子の顔で絵面は台無しである。二人の頬はだらしなくニマニマしっ放しだ。
『……くっ!』
『うひうひ。うひひ』
姉が思わず喉を鳴らすと、妹が気持ち悪い声を漏らす。
双子は気色悪いぐらいに喜色満面。ニマニマが止まらない。
あの4月初週のどん底が嘘のようだった。
去る入学式のこと。
チキチキ魔法少女入学杯なる非公式な賭け事があった。
二人の女生徒を馬に見立てた競馬に女学院は沸き立ち、天国と地獄――主に地獄――を味わった女生徒がキャンパスに溢れかえっていた。
スウィーツ、春の新作ファッション、ブランドバッグ。
程度の差はあれ、地獄に落ちた者は何かを諦めて涙を飲んだ。しかし、双子姉が賭けた物は取り返しがつかなかった。
『あは……あはは』
溶けた。前借りした二年生分の学費の一部が。
顔も一緒にとろけるチーズの有り様だ。自警団の仕事に打ち込んでいる間は誤魔化せたが、冷却期間を設けると、ほど良く死にたくなった。
このままでは、森林への強制送還待ったなしの状況だ。
敗者復活戦とばかりに、女学院の地下では賭場が張られていたが、双子姉には一発勝負に望む種銭すらなかった。
もう恥も外聞もかなぐり捨てて、大穴を当てた妹さまのおこぼれに預かるしかないのか。双子姉は肩を落として、部室のソファーに深く沈んでいた。
似通っているのに、真反対のほくほく顔が帰ってくるのを待っていたのだが……数時間後、戻ってきたのはとろけるチーズ顔の妹だった。
『あは……あはは』
落ちた。ツキも栄光も金も何もかが。
今日はバカヅキだと信じ込んで、ほいほい賭場に向かったのが間違いだった。飢えた狂犬どもに食い散らかされた妹も、すかんぴんだった。
もはやドナドナ一直線なのか。
レッドラム姉妹が荷台で運ばれる未来を浮かべていたとき、怪しい儲け話は舞い込んできた。
――退学するぐらいなら、これを配ってみない。
ハロルが甘い蜜を垂らせば、是非もなかった。
双子は出来高制の秘密のアルバイトをこなし始めた。
初めこそ割の悪いバイトだと毒づいていたが、蓋を開けてみれば大儲け。双子が想像するよりも、ポーションは魅力的な商材だった。
地の底に這っていた気分はまるで嘘のように。
心はふわふわと浮つき、笑顔を際限なく溶けていった。
『なあ。やばいんじゃないの、これ』
姉が肘で突くと、くすぐったそうに妹が悶える。
『ねえねえ。やばいんじゃないの、これ』
お返しとばかりに来る肘が、姉をこそばゆくする。
レッドラム姉妹は顔を見合わせて小さく吹き出す。
それを契機にしたように、笑い袋が破裂した。汚い爆笑が部室にこだまするなか、画面はフェードアウト。もうこれ以上は見聞する価値もなければ、見る気も起きない映像だった。
しゃっと黒幕が開けられ、天頂近くまで登った強い日差しが差し込む。
ぐさぐさと刺さる視線は、針のむしろという表現がこれ以上になく似合う。身を縮こまらせたレッドラム姉妹は、だらだらと冷や汗を垂らしていた。
「こ、これは」
双子姉の声は、穴の空いた風船のように萎んでいった。
「もしや、共同幻想という可能性は……ないだろうか」
「ないない。それはさすがに無理があるかな」
白旗を揚げた妹に賛同するよう、5つの顎が頷いた。
動機は純粋に金、だって中退したくなかったから。
かくして悲しきポーション事件は幕を閉じたが、一件落着にはまだ早かった。
「……そうか」
双子の顔が、どんどん干からびていく。
ごごご、と地下を流動するマグマが危険を喚起する。途中から聞き役に徹していたオルテナの怒りは、溜りに溜まっていた。やがて火山は鳴動し口火を切る。
「この大莫迦ものどもがああああ――ッ!」
凛とした罵声が部室を席巻すると、レッドラム姉妹は危うくソファーから転げ落ちそうになった。
「わあー! ごめんなさい、ごめんなさい」
「ひいぃ! ごめんなさい、ごめんなさい」
反射的に謝る双子を横目に、命は人知れず安堵のため息を漏らす。
(これでようやく前哨戦は終わりですか)
目的地まではまだ道半ば。会議が踊り出すのはこれからだった。




