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魔法少女の狭き門  作者: 朝間 夕太郎
1年生 ―禁じられた遊び編―
72/113

第71話 燻製ニシンの虚偽

 瞑目したまま、女神はアメリカーノを口に運ぶ。

 表情は渋いが、コーヒーの苦さが染みるのではない。そうでなければ、ショット数を増やした濃厚なコーヒーなど頼みはしないものだ。


 不機嫌さの原因は対面の女性……もとい女装。

 彼単体だけなら歓迎なのだが、お連れさまが余計だ。命を目撃して喜んだのも束の間、後から続く顔ぶれはため息ものだった。


 ――また手前らか。

 心の底から沸き上がる落胆を、アメリカーノと一緒に嚥下する。両手に花とばかりに脇に座られては、リッカもご立腹である。


 きゃいきゃいとメニュー表を眺める姿が不快、注文に迷う友達にさり気なく助言する優しさも不快、ちらちら覗き見る女生徒に微笑む姿はもっと不快。

 演技だと知っていても、春先にしては不快指数が高すぎた。


 見てんじゃねえよ、と見知らぬ女生徒を鋭い視線で刺す。頬を染めた女生徒が慌てて顔を背けると、くすくすと忍び笑いが漏れ聞こえた。


「女神さまが、あまり怖い顔をしてはダメですよ」


 前方には、困り眉で微笑む黒髪の乙女がいる。

 言いたい文句は星の数ほどあるのだが、その微笑み一つで溜飲が下がってしまう。リッカは単純な自分が嫌になりそうだった。


「……女神さまかはさておき、手前の言うとおりだな」


 リッカは八つ当たりをしてしまった女生徒に微笑む。

 命の真似だが、蓮葉な彼女の微笑みはどこかぎこちない。不安げに相手の反応を待つも、それは無用な心配だった。


 目を伏せた女生徒は、お淑やかに台パンしている。

 カフェ・ボワソンに集う同士も伝播したように、台パンに勤しむ。気がつけば、台パン合唱祭が開催されていた。


「あはは、相変わらず凄い人気だね」


 ほんのり呆れ気味に、スピナが乾いた笑い声を漏らす。

 リッカと入店したとき「誰なの、あの新参者は?」と刺々しい視線で迎えられた身としては、軽く寒気すら覚える団結力だった。


 さすがに騒々しいので、リッカは首を回して全体を睥睨する。

 だがファンクラブの面々にとっては、それすらご褒美。雁首揃えてうっとりされては打つ手もなく、がっくしと肩を落とした。

 がしがしと癖っ毛を掻くと、ぴたっと台パン合唱祭は終わる。行動原理はおろか何を契機にしたのかも、余人にはまるで理解できなかった。


「でっ、ポーション取り締まりの件だけど」


 リッカは半ば強引に話題を切り替えた。

 昨日、自警団の会室を訪れたのが運の尽き。スピナとの和解の後、彼女は散々な目に遭っていた。

 

 ――昨日のこと。


『おや、リッカ君。右腕はどうしたのかい』


 右腕のギプスに話題が及ぶと、自然とリッカは口ごもった。

 いつまでも誤魔化しが利く問題でないことを理解している反面、どうしても忌避感を覚えてしまう話題だった。

 

 つうと背中を冷たい汗が伝い落ちる。

 途端に、頭は逃げの思考で埋め尽くされる。

 もはやそれしかないと、脅迫観念に取り憑かれていた。彼女が何の解決にもならない先延ばしを選択しかけたとき、

 

『リッカ』


 ただ一言、見透かしたように名前を呼ぶ者がいた。

 どこまでも優しくて、厳しい微笑み。命は彼女の退路を断った。

 命の秘密と違って、リッカの秘密はバレても生命(いのち)に差し障りがない。何よりも、逃げれば逃げるほど辛くなるものだ。


 矜持が許すのであれば、協力者を募る方が建設的である。

 命の視線に後押しされて、リッカは渋々といった体で口を開いた。これが間違いだったのだと、今になって当人は振り返る。


『事情を知らないとはいえ……私はなんて酷い仕打ちを』


 涙ながらにオルテナに抱き着かれ、


『辛かったんだね、リっちゃん!』


 と、勝手に感情移入した根木にも抱き着かれた。

 茶会の終わりは、半ばリッカフリーハグイベントと化していた。


 スピナ、オルテナ、根木。

 えんえんと泣き縋る三人をなんとか振り解くも、妙な仲間意識を持たれてしまい、気軽に席も外せなくなってしまった。結局、ポーション取り締まり班という謎の組織にもアサインされる始末だった。


 ――許すまじバストアップ詐欺、許すまじポーション!


 ハグをされたそばから胸に言及されたのは癪に障ったが、自分のために涙を流してくれた者たちを邪険には扱えなかった。

 

「あたしが調べた限りでも、薬学研究会が怪しかったんだけどな」

「そこでちゃんと調べちゃう辺りが、リッカですよねえ」

「……気が向いたから、調べただけだ」


 否定してみるも、尖った言葉は柔らか空気に包まれる。

 何を言っても好意的にとられて、微笑まし気な目で見られてしまう。とても朗らかで、死ぬほど居心地の悪い空間だった。


 毒突くようにカップを煽ってから、リッカは会話の方向性を戻す。

 ポーション取り締まり班が目を向けるべきは、カフェ・ボワソンの女神ではない。ジロジロ見られると頬が熱くなり、背中の辺りがむず痒いのだ。


「呑気なのはいいが、問題は犯人の目星が付かねえことじゃねえのか? つまらねえお喋りが目的なら、あたしは先に帰るぞ」

「あの……その台詞は死亡フラグです」

「いつから殺人事件になったんだよ、座敷わらし!」

「がなっちゃダメだよ、リっちゃん」

「誰がリっちゃんだ、デコ娘!」


 女神とデコ娘と、時々、座敷わらし。

 三人が親交を深めているのを横目に、命とスピナは会話を重ねる。彼女もリッカ一緒に情報収集をしていたようで、概ね同じ見解を持っていた。


「元会長にも接触できたんだけど、袖にされちゃって」

「本当に関係がないのか……あるいは自信があるのか」


 濡れ衣かもしれないが、疑惑をかけられた人物は除外するべきではない。他人を容易に信じない姿勢を貫き、命は悶々と考える。

 外面が良くたって、誰もが皆嘘つきなのである。良い人が嘘をつかないわけではない。良い嘘をつくこともあれば、追い込まれれば悪い嘘だってつく。


 そう、ちょうど命が大嘘つきであるように。

 ちくり――と、隠れていた刺が命の胸に刺さった。


「私は断然、後者だと思うよ!」


 むん、と鼻息荒くスピナが答える。

 胸の前で両手を握り、随分と自信に溢れている様子だ。まさかの名探偵スピナの誕生なのかと、命は興味深そうに尋ねた。


「どうして、そう言い切れるのですか」

「だって、犯人が全然関係ない人物だったらガッカリじゃない?」


 外見に反して、スピナは頭が残念な子だった。


「ああ、可哀想な子を見る目で見られた!」


 スピナは助けを求めて、リッカの裾をくいくい引く。


「ミステリーの基本として、犯人は現場にいなきゃダメだよね」

「とんでも推理ものは、確かに壁本だな。けど、その辺を上手く料理する小説とかもあるからな。一概にぽっと出の犯人が悪いとは言えないな」

「なるほど。犯人が孤島にいると思いきや、島外にいるパターンもあったね。リッカちゃんに勧められた小説は、本当に面白かったなあ」


 しみじみと言う先輩に、リッカは別の小説を勧めていた。

 ミイラ取りがミイラに。話はいつの間にかミステリー談義へと移っていた。女子特有の脱線に次ぐ脱線。俗に言う会話ワープが起きてきた。

 トリックも前振りもなく無軌道に跳ねる会話の方が、命にとっては余ほどミステリーであった。


「まーた、スピナの夢見がちが始まったか」


 へいお待ち、と絶賛バイト中のアイリがグラタン皿を置く。

 なだらかな山並みを描くパイ生地。粉糖でおめかしした生地には、ぽつぽつと春苺が顔を出す。苺のクラフティのおなりである。良い匂いに誘われ、野菜の姫君たちが早速取り分けにかかっていた。


「違うよ。全然夢見がちじゃないもん」

「よく言うよ。ポーション貰ったとき『ねえねえ、見てみて。すごく冒険者っぽくない。ピンチのときに颯爽と抜いて、魔物に立ち向かうの』って言って、ベルトを改良していたのは誰だったかなー」

「うわあ! 何なのかな急に、誰なのかなそれー」


 後輩の手前、面子があるのか。

 スピナは棒読み気味に白々しく言い逃れた。

 同じ座に着く者は、誰も見え透いた真相は追求しなかった。ときとして、解かない方が良いミステリーも世にはあるのだ。

 

「答えは、スピナでーす。友達として言わせて貰うけどさ、姿見の前で秘剣の練習するのはいい加減止めた方が良いんじゃない?」

「ほにゃああああ――ッ!」

 

 ただし、優しいのは同席の者に限りだ。

 誰もが目を背けていた真相を暴くだけでは飽きたらず、晒し上げのサービス付きである。怒り浸透の必殺剣士の手が、そっと柄へと伸びた。


「さっさと仕事に戻れよ、ウェイトレス。さもねえと秘剣の餌食になるぞ」

「おっと、そりゃ怖い怖い。それでは、皆さまごゆっくり~」

「もー、リッカちゃんまで!」


 ぷんすか剥れると、スピナは怨嗟の声を吐き出す。


「あのクズ、犯人に仕立て上げてやる」

「さすがに止めてやれよ、スピナ先輩。あの人が犯人だと言われても、あたしは何一つ不思議だと思わない。冤罪が成立しちまうぞ」

「……その信頼感もどうかと思いますが」


 命は遠慮がちに口を挟んだ。

 ぽっと出のクズを差し出して円満解決を装うのでは、さすがに後味が悪すぎる。前金に手を付けた以上、黒髪の乙女も半端な真似はできなかった。


「あれだけ怪しいと……レッドヘリングかな」

「なにその単語。未知との遭遇系」


 待ってましたと、那須が控えめにドヤ顔を浮かべる。

 ムダ知識に長じている者は、得てして教えたがりである。自己の欲求を満たすたべく唇を持ち上げた瞬間、新たな事件は起きた。


「ニシンの燻製っていう、ミステリー用語だな。真犯人から目を逸らすために、わざと怪しい人物を置いたり、偽物の手がかりで読者の意識を逸らすんだよ」

「へえ、リっちゃんは物知りなんだね!」

「猟犬が惑わないよう、ニシンの燻製を使って訓練するっていうのが元ネタなんだが、これは嘘だからな」

「ほへえ、なんだか偏差値が3ぐらい上がった気分!」

「それはねえから。あとリっちゃんって呼ぶな」


 趣味の話に限っては、皮肉屋も饒舌だった。

 横からニシンの燻製をかっさわれた那須は、小さく口を開けたまま固まっていた。語源まで話されたら、変な子はお役御免である。


「ちょっと、リッカ!」

「へっ? ああ、悪い悪い」


 命の呼び声でリッカは状況を察した。

 物知りポジションを奪われた座敷わらしの精神的苦痛は、予想以上に深刻そうだ。明日には姿を消してしまいそうだった。


 幸運が離れぬよう、命は慌てて【小袋(ポケット)】を開けた。


「ほら、那須ちゃん。鹿撃ち帽子を被せてあげるから、元気出して下さい。わあ、シャーロック照子の誕生ですね!」

「命ちゃん……シャーロックは、正確にはミドルネームだよ」

「へえ、そうなのですか。てっきりホームネームかと」

「シャーロックは苗字にも、名前にも使われるんだよ」


 48の乙女技の一つ、乙女の空惚けで、命は事無きを得た。

 芸事武道への嗜み、種々の学問への精通も大事だが、乙女には博識すぎてはいけないという暗黙の縛りがある。

「あらまあ、そうなのですか。うふふ」と黒髪の乙女が無知を装い相手を立てれば、無垢な殿方にやる気が注がれ、国内総生産が上昇するのはよく知れた話だ。


 殿方でないものの、現にウィリアム・シャーロック・(スコット・)照子は満足気だ。誘導尋問であれだけ喜ばれるのであれば、騙した命も本望である。


「……まだその帽子持ってたのかよ」

「一応、贈り物ですからね」


 苦々しい顔をするリッカの気持ちは、命にもわかる。

 あの忌々しい春祭りを思い起こさせる縁起の悪い品ではあるが、オルテナからの贈り物だと知っては、捨てるに捨てられなかった。


「まっ、頑張ってくれよ、名探偵さん」


 伝票を抜き取って、リッカは立ち上がる。

 帰り支度は済ませた彼女を、命は不思議そうに眺めていた。

 こう見えても、リッカは責任感が強い女生徒だ。返事はなあなあでも、きちんと物事をやり遂げる。そんな彼女が途中で抜けるのは不可解だった。


「リッカちゃん……たぶん、今日あれだから」


 スピナの暗号に、命は「ああ」と相槌を打つに留めた。

 寮暮らしのリッカが週に一度、必ず実家へと戻る日。精神に支障を来した母親と過ごす、特別な一日のことを暗に示していた。

 リッカも身内のことは伏せていたので、このことを知っていたのは命とスピナの二人だけだった。


「途中で悪いな。ちょいと用事があるもんでな」


 リッカは後ろ手を振り、軽快にレジへと向かう。

 頭脳労働ができる戦力としては惜しいが、週に一度の家族行事なら仕方がない。命は笑顔でカフェ・ボワソンの女神を見送った。


「リッカの分まで頑張らないといけませんね」

「そうだね、頑張らなくちゃだね」


 決意を新たに、二人は清々しい顔で誓い合っていたのだが、


「あのさ……なんか勘違いしてない」


 食器を下げに来たアイリが、言い辛そうに間違いを指摘した。


「リッカちゃんが用事があるのって、金曜日だから」


 予想外の言葉に、二人は目を丸くした。

 本日は4月第2週の水曜日である。


「ええっ! じゃあ何で帰ったのよ、アイリ!」

「そんなの知らないよ。なんか上機嫌だったけど」

「あっ、金曜日は日帰り旅行があるからですよ、スピナ先輩」

「そっか、今週は水曜日に用事をずらしたのか」


 安堵していた無能探偵どもに、アイリは無慈悲に告げた。


「日帰り旅行はサボるって言ってたけど」


 一同はしんと静まり返った。

 謎の用事で退席する女神。状況が状況だけに怪しさを拭えない。なまじ頭が働く神仏であるだけに、無言とともに疑惑は深まりゆく。


「もしや、犯人はリっちゃんなのでは」

「茜ちゃん、それはあまりにも短絡的な考えですよ……ニシンの燻製であって欲しいという願望混じりではありますが」

「そうだよ、リッカちゃんが犯人なわけないよ!」


 感情的に物を言う友人に、ウェイトレスは呆れ気味だった。


「犯人は現場に居て欲しいって言ってた癖に」

「嫌だもん。リッカちゃんが犯人なら、私が全力で庇うし何なら代わりに罪を被ったって良い! アイリが犯人ならまだしも、荒唐無稽すぎるよ!」

「ねえねえ、私のときだけ前提ひっくり返すの止めてくれない」


 とんとん肩を叩くアイリを無視して、スピナは熱を上げる。

 具体的な根拠など関係ない。ただ「あり得ない」と否定する。常日頃クズな所業を働くアイリとは違うのだと、一生懸命に説いていた。


「ねえねえ、私そろそろ泣くよ」


 感情的なスピナと、半泣きのアイリ。

 どうにも雲行きが怪しくなりつつある。命が場の流れを変えようと、スピナを宥めようとしたときだった。


 バチリ――と、目の奥で光るものがあった。


 黒箱の思考回路に光が弾けた。

 意味を成さなかった部品が、組み上がっていく。一瞬の閃きは不鮮明だった構造を照らしだしたが、最後の部分はまだ暗がりにあった。


 偶発的な現象を再現しようと何度も電流を流すが、黒箱は光りそうで光らない。焦れったさから、命は早口でアイリにお願いをした。


「アイリ先輩、もう一度さっきの台詞言って下さい!」

「さっきのって……私そろそろ泣くよってやつのこと?」

「違います! それはどうでも良いので、その一つ前です」

「どうでも良いって……私そろそろ泣くよ」


 鬼気迫る命に押されて、アイリは繰り返す。


 前提ひっくり返すの止めてくれない――と。


 ぱかり、と黒箱が開く。

 電流が脳内の回路を光速で走り抜けた。

 聞き終えた瞬間、命の足元から高揚感が上り詰めてきた。

 来た。どばどばと快楽物質が溢れだし、脳内を満たしていく。まだ詰めと言うには早いが、それなりに確証を持てる仮説が打ち出せた。


「ふふふ……そりゃ、そうですよねえ」


 黒水晶の瞳は西日に照らされ、妖しく輝いた。

 他人を容易に信じない姿勢を貫いていたつもりが、まんまと騙されていた。最近は人の親切に触れすぎていた影響か、命の勘はどこか鈍っていた。


 ――犯人は現場にいて欲しい。

 こうなると、スピナの願望は世迷い言ではなく予言めいていた。

 真相を照らすには、もう数手あれば事足りる。


 命が目を細めると、びくりと那須は身を震わせる。

 寒気が走ったかのような一瞬の身震い。炙りだした彼女の後ろめたい感情を、命は決して見落としはしなかった。


 あとはおかっぱ少女の想い一つだけ。

 事件は、黒髪の乙女の掌の上を転がっている。

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