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魔法少女の狭き門  作者: 朝間 夕太郎
1年生 ―禁じられた遊び編―
70/113

第69話 揺れるアクアマリン

 ポーションの製造禁止および所持の規制に関する法律。


 この法律では『ポーション』を以下のように定義する。


 不当に不老不死や回復効果を掲げる薬剤。

 上記条件に当て嵌まる場合、形状は液体に限らない。


 ポーション製造罪(第31条)――ポーションを製造した者は、10年以下の懲役又は1,000万イェン以下の罰が課されると同時に、ポーションおよび製造に用いた材料、器具又は機器を所有者の如何にかかわらず没収される。


 ポーション所持罪(第32条)――ポーションをみだりに所持した者は、10年以下の懲役又は1,000万イェン以下の罰が課されると同時に、ポーションを所有者の如何にかかわらず没収される。


 最終改定者――"法の薔薇園(ロウズガーデン)"マグナ=リュカ。


 (ポーション法より一部抜粋)




      ◆




 高等部に無数存在する部活、同好会が同居する建物、部活塔。

 地下から天へと伸びる円塔の高さは、キャンパス第2位の高さを誇る演舞場にも匹敵する。

 各階にずらりと並んだ部室からは、新入生を交えた談笑の声が漏れてくる。円を描く通りにも、外から溢れた黄色い声が飛び交っていたのだが。


「ほら、きびきび歩けです。ブタ箱に入れられてーですか」


 犯人護送の光景を前に、乙女の黄色い声は止んだ。

 濃紺の上着を頭から被せられた犯人は、二人の女生徒に脇を固められている。自警団のツートップ、オルテナとマイアが犯人の腕を絡めていた。


「不用意にポーションなどに手を出すから、この様な目に遭うのだ」


 犯人に非難の声がかかると、団欒の場がわずかに揺らぐ。

 大事なことなので、オルテナは凛とした声で二度目の警告を送った。


「そう、ポーションなどに手を出すからだ。身元引受人として保護者を呼んでやろうか、この親不孝者め――ッ!」

「ひぃっ! マ――お母さんだけは勘弁して下さい」


 くぐもった悲鳴が、上着のなかから上がった。

 すると、唐突に口笛を吹く者、部室に避難する者、連れ立って花摘みに行く者が続出した。嘆かわしい女学院の状況に、団長は重いため息をついた。


 合点がいったと、自警団の後ろで命は納得する。

 左隣りにいる那須に目を遣ると、意図を察して頷いた。

 事態を飲み込めないのは、アホの子一人だけ。

 根木は首をひねると、つま先立ちで命の耳元に唇を寄せた。


「ねえねえ、命ちゃん。どういうこと?」

「恐らくこの女学院……違法な飲み薬が蔓延しています」


 新入生勧誘で沸き立つ女学院の裏で、静かにポーション事件は進行していた。




      ◆




 部室に戻ってからの、二人の行動は早かった。

 スピナから離れると、マイアは足早に窓際に向かう。床すれすれに伸びる黒いドレープカーテンを勢い良く引くと、外界からの視界を遮った。


「大事にしてしまって悪かったな、スピナ君」

「えっ、なに、何ですか?」


 オルテナは上着を回収し、スピナの指にそっと触れる。

 かちり、と指錠が外れる音が小さく鳴った。


「でも、君も悪いのだぞ。あんな大っぴらにポーションを出されたら」


 ――女学院の治安を守る組織としては、見過ごせない。

 ここで見逃せば、自警団はポーション所持を容認していると、とられかねなかった。


「だから、警告代わりにスピナ先輩を逮捕したのですね」


 部室にお邪魔した命が、スピナの安全を確認する。

 面識は薄いとはいえ、それでも袖すり合った仲だ。自警団とはまた違ったものさしで、黒髪の乙女もこの逮捕劇を見過ごせなかった。


「おや、八坂君。君の入室を許可した覚えはないが」


 オルテナはお節介な新入生に向けて、凛々しい微笑みを送る。


「これは失礼。部活勧誘の時期なので、見学にきたのですが」

「はいはーい。私も遊びに来た系!」

「あの……私もです」


 命の言葉に乗るように、根木が元気よく手を挙げる。

 二人の影から顔を出して、おずおずと那須も掌を見せた。


「なるほど。それでは無碍に扱えないな」


 健気な後輩たちに、オルテナはくつくつと喉を鳴らす。


「マイア、可愛い新入生をとびっきりの紅茶でもてなしてやれ」

「……どうして、そう歯が浮くような台詞ばかり言えるですかねー」


 マイアがそっぽを向くも、気にもかけない。

 大らかな団長は胸に手を当てて、腰を曲げる。最大の礼を持って、三人の新入生を迎え入れた。


「ようこそ、私たちの自警団へ」


 創設10年にも満たない弱小部活。

 勝手に女学院の治安を守る組織は、命たちを大いに歓迎した。黒の革張りソファーを三人に勧めると、オルテナは所在なさ気にしていたスピナにも声をかけた。


「マイア、スピナ君にも押収品のポーションを淹れてやれ」

「そうですね。紅茶よりも、こっちの方が喜ぶんじゃねーですか」

「わー、私も紅茶が良い! もうポーションは懲り懲りです!」


 スピナが必死に振る手に合わせて、ポニーテールが踊る。

 閉じきった自警団の部室にも、一足遅れで黄色い声が満ちていった。




      ◆




 たちまち硝子テーブルは、茶会の席になった。

 甘党のマイアが淹れたアッサムミルクティーの湯気がくゆるなか、机中央には小さな三段の塔が屹立していた。


 ケーキスタンドの塔に並ぶのは、料理部からの差し入れであるスコーン。六人の乙女はスコーンを一口大に割ると、好みに合わせて木苺のジャムかクロテッドクリームを塗る。


 紅茶を啜り、お菓子めいたパンを口に運ぶ。

 フルティーの優雅な時に興じるころには、剣呑な雰囲気は払拭されていた。


「さて、そろそろ本題に入ろうか」


 音を立てず、オルテナはカップを受け皿に戻した。


「八坂君が自警団に入って、私の後を継ぎたいという件だが」

「オルテナ先輩、捏造は正義にもとる唾棄すべき行為ですよ?」


 命は間髪入れずに牽制を入れた。

 成り行きで自警団の見学に来たものの、入部の意志はさらさらなかった。女装の大罪を背負った咎人が治安を守ろうなど、ただの阿呆乙女の所業である。


 最近は、笹舟のように流るるままに身を任せていたが、線引きは大事だ。

 女学院に入学してからずっと、命の作戦は『いのちをだいじに』一択である。


「そんな! 見学に来たということは、イコール私の後を継ぎたいという意思表示じゃなかったのか!」

「飛躍どころか、論理がワープした!」

「酷いぞ、八坂君。着々と引き継ぎの準備を進めてきた私の想いはどうなるのだ。行き場を失った団長と生徒会長の座は、どこに行くというのだ!」

「普通に二年生に引き継いで下さい! というか、一つ増えているではないですか!」

 

 身を乗り出して迫る端正な顔立ちに、命の心臓が跳ねた。

 無自覚ゆえに手に負えない。意識を強く持たねば、危うく承諾しかねない美しさがオルテナにはあった。


「ともかく、私は生徒会長になる気はありませんからね」


 命は否定の意志を示すも、味方から背中を撃たれた。


「でも命ちゃんが就任したら、面白そうだね」

「うん……女学院の黄金伝説が始まるかも」


 スピナは両手で紅茶を飲みながら、ちらちらと命を伺う。ダンジョン以外には疎い彼女も、黒髪の乙女の噂は聞き及んでいた。


「やっぱり、凄い子なんだね」

「そうなのだよ! 八坂君は凄い子なのだ。この期待の声が聞こえないとは言わせないぞ! これほど女生徒たいしゅうが求めて止まないというのに、君は私の後任を蹴ろうというのか」


 ここぞと詰め寄られたが、よいしょされても困るだけだ。

 命にとって声望を高めることは、処刑台へと続く十三階段を登るに等しい行為だ。いくら可憐な容姿で誤魔化しても、衆人環視の目が厳しくなれば生存の芽を摘まれてしまう。


「助けて下さい、マイア先輩!」

「さあ。放っておけばいいんじゃねーですか。団長が言い出したら聞かねーのは、いつものことです」


 もっともらしい意見だったが、マイアの横顔は冷めていた。

 面白くない。薄っすらと顔に書かれた感情が、命には読み取れた。


(あれ……もしかしてご機嫌斜めですかねえ)


 命が返答に窮していると、オルテナは更に顔を寄せる。

 人間同士、目と目で会話をすればわかり合える。そのモットーを体現する行為は、副団長の堪忍袋の尾を切った。


 マイアの左手に宿る魂の一撃が、オルテナの頬を盛大に叩いた。


「……過剰な勧誘行為は禁則事項じゃねーですか、団長」


 眠たげな瞼の下で光る金色の瞳。普段は穏やかな梟が、猛禽類だということを思い起こさせるほどの迫力だった。


「あっ……うん。ごめんなさい」


(あの生徒会長が折れた――ッ!)


 誰一人言葉にせずとも、想いは重なっていた。

 驚愕に遅れて、悪い雰囲気が霧のように立ち込めてくる。

 場の空気が重くなることを嫌い、マイアは席を外した。


「ちょっくら巡回に行ってくるです。団長も"しっかり"と、ポーションについて聞いて下さいよ」


 ばたん、と抑えられない怒りが扉に乗った。

 オルテナを除く四人は間を保たせるため、無言でカップに手の伸ばした。


「あ」


 小さく漏れた声が、不自然な行為を認めてしまった。

 きまりは悪いが、伸ばした手は引っ込められない。紅茶を一口啜ると、一斉にカップがソーサーに置かれる。そして流れる沈黙。誰がこの沈黙を破るのかアイコンタクトをとる間に、高笑いが上がった。


「はっはっはっ、マイアの癇癪にも困ったものだな」


 豪快ながらも、気品に溢れた音色が鳴る。

 この反応には、五人の乙女も呆気にとられていた。

 

「なに、君たちが気にすることないさ」

「それは……さすがに無神経すぎるのでは」

「いや、あれで良い。むしろ良い兆候だ」


 オルテナは、嬉しそうに扉の向こうを見遣る。

 団長が何を目論んでいるのか、気づけたのは命だけだ。


 ――あの人は、貴方を後継者にするつもりです。


 先日の春祭り、7区で交わした会話が思い出される。

 オルテナの特注杖の完成を待つとき、命は確認したのだ。

 私を自警団の長にでも祭り上げるつもりなのか、と。


 ――いいえ、生徒会長です。


 マイアからの返答は、きっぱりとしたものだった。

 そう言い切れる以上、副団長は団長の意向を知っていたのだ。生徒会長の座を譲るとだけ聞かされていた人物が、突然台頭してきたらどうだろうか。


 あまりに無神経な生徒会長といい、命には腑に落ちないことが有り過ぎた。


「さては、私を出汁にしましたね」

「出汁なんてとんでもない。なにせ君は極上の茶葉だからね。美味しい紅茶を一度で終わりにするというのは、実に勿体ない話だとは思わないかい」

「……物は言いようですねえ」

「もちろん私は八坂君にラヴだから、入部は熱烈歓迎さ」


 言葉通り入部したら、思惑通り二人は競い合わされるのだ。

 二人の女生徒を育て上げ、マイアには団長の座を、命には会長の座を譲る。この目的を達成して初めて、オルテナは自分の野心に専念できるのだ。


「ふうん。難しいことはよくわからないけど、会長さんは副会長さんを育てようと頑張っているんだね。美しい先輩後輩関係だよ!」

「そういうことだ。もっとも、成長して欲しいのはマイアだけではないのだが……どうしてウチの部員は性根は良いのに、ああも残念なのか」

「ああ、自警団の四巨塔のことですか」


 スピナの言葉の端には、同情の色が浮かんでいた。

 黒漆太刀を標準装備のダンジョン馬鹿を含め、高等部の二年生は変人揃いだと名高い。表に出る機会が多い自警団の四巨塔は、とりわけ有名だった。


 甘味ジャンキーの副団長を筆頭に、ギャンブル狂いの双子、伝令に生きがいを見出す者。合わせて四名は、自警団の四巨塔と呼ばれていた。


 ピサの斜塔よりも傾斜がきつい後任たち。

 オルテナが職を退けば女学院が傾くと、噂される程度の評判を誇っていた。


「全く、早くご隠居になりたいところだな」

「だ、ダメですよ! オルテナ会長がいなくなったら、セントフィリア女学院はめちゃくちゃですよ!」


 硝子テーブルに両手を突いて、慌ててスピナが立ち上がる。

 この驚愕は、きっと外部入学生とは分かち合えぬ感情だ。一学年上のオルテナと共に学生生活を送ってきた者の、いわば反射的な意見だった。


「だからこそだよ、スピナ君」


 ――オルテナ依存体質。

 正しくあろうとするあまり、オルテナの樹は肥大し過ぎた。

 誰もが寄りかかれる大樹がなくなり、女生徒が学院生活を全うできなくなるのであれば、彼女は数年の繁栄を築いたに過ぎなくなる。


「たとえ私がいなくとも、私が愛した学び舎は綺麗であって欲しい」


 卒業とともに荒れ果てた中等部。

 オルテナが、あの屈辱を忘れた日はなかった。

 もし己の正義が女生徒を怠惰の道に誘ったというのなら、悪しき状況を脱却する道に導くことが、最後に果たすべき仕事だと決めていた。


「君にも」


 オルテナは、スピナの頭を優しく撫でる。


「君にも」


 続けて、隣の根木の頭を撫でる。

「君にも」と、ぐるりとテーブルを回って那須の頭を。

「君にも」と、最後に命の頭を撫でた。


「私は、我が学院のすべての女生徒に期待している」


 求める理想は、すべて個性を集結した集団。

 誰かが突出しているから回るのではない。ましてや、誰かが積み上げた物の上に胡座をかくなどご法度である。


「私がいないとダメだなんて、頼りないことを言うな。でないと、安心して卒業できないではないか」

「……オルテナ会長」


 楽しかった学院生活も、あと一年で過ぎ去っていく。

 近くもあり遠くもある卒業の刻。

 揺れる景色の向こう側には、もうゴールテープが見え隠れしていた。


「こんなにも……時が流れるのが惜しいなんてな」


 オルテナが哀愁の漂わせたのは、一瞬のことだった。

 感傷に浸っている暇などありはしない。来週に到来する大型台風に備えるためにも、まずはポーション問題を片付けないといけないのだ。


「済まないな。話が脱線してしまった」


 オルテナは外ハネの茶髪を手で梳く。

 まるで目元を拭う行為を誤魔化すように。


「まずは、ポーション事件のあらましを説明しようか」


 女生徒の間に流通する、密造ポーション。

 健康促進や美肌効果、バストアップ、痩身に効くと謳った怪しい水薬は瞬く間に広まっていった。悪影響を及ぼした報告こそまだ挙がっていないが、由々しき事態であると、自警団は勝手に判断していた。


「出回っている品がこれだな」


 オルテナが押収品の一つを出すと、試験官の青い液体が揺れた。


「わあ、良いこと尽くめの薬だね。ぜひとも飲みたい系!」

「いかんぞ、根木君。こんな都合の良い薬があるものか。痩身を謳っても、たとえ痩身を謳っても、決して痩身を謳っても――ッ! 飲んではいけない!」

「大丈夫ですよ……オルテナ会長は太ってませんから」


 スピナがフォローを入れたそばから、根木が会長のお腹を摘んだ。


「あっ、本当だ。ちょっとプニってる系」

「うあああ。だろ、そうだろ。マイアが、ケーキバイキングとか誘うからだ!」

「それだけお胸に栄養が回れば、良いと思うけどなあ」


 何となしに、根木の手がオルテナのおわん型の果実に伸びる。

 指先が柔らかいものに埋まる直前、命は腕を捕まえた。放っておけば、展開されるのはきっと目に毒な光景だ。


「いけませんよ、乙女の柔肌にたやすく触れては」

「ええー、これぐらいはスキンシップの範疇だよ。那須ちゃんのだって、よく触ってるのに」

「那須ちゃんのも!」

「うん。もっと大きくなったら、私のおかげ系!」


 思わず唾を飲むと、命の視線は那須の胸元に向かう。

 命の薄いシリコンとも、根木の慎ましい胸とも違う。小柄ながらも確かな重量を誇るものが、那須にはあった。


「そうだな。私も別に同姓になら、触られても構わないと思うぞ」

「オルテナ会長……その発言は暴動を起こすので控えて下さい」


(これが噂に伝え聞く、女生徒同士のスキンシップ――ッ!)


 男性社会のなかでは風聞でしかないもの。

 命は、都市伝説を目の当たりにした気分だった。

 形は取り繕えても、触り心地と強度までは保障しかねる。この先、その様な恐怖が突発的に襲い来るのかもしれない。


 黒髪の乙女は、不安げに薄い胸に視線を落とした。


「八坂君……決してバストアップを謳っていても、手を出したらダメだからな」

「安心して下さい。絶対にその様な甘言に釣られない自信があります」


 これで胸が自前になったら、性別が完全に迷子になる。

 命はまだ、下半身のゴールデンチンチラを手放すつもりはないのだ。


「そうだよ、命ちゃん! 許すまじバストアップ詐欺、許すまじポーション!」

「うむ、その通りだ。許すまじ痩身詐欺、許すまじポーション!」


「許すまじポーション」と、ぽつりとスピナが呟いた。

 一人の探窟乙女として、ポーションという神秘的な飲み薬に憧れていたも事実だ。だが美肌効果に全く期待していなかったかといえば、それは嘘になる。


「いいぞ、その意気だ。みんなの力でポーションを根絶やしにするぞ。乙女を騙す不届きの輩に、我らを怒らせるとどうなるのか、思い知らせてやるのだ!」


「えいえいおー」と、結託した三人娘が拳を突き上げた。


(これは、私も犯人を突き止めねばいけない流れなのでしょうか)


 しょせん笹舟は大きな流れには逆らえないのだと、命は悟る。

 今回の厄介事は日常の延長線上だと思えば気は楽だったが、一つだけ大きな懸念があった。


 どれだけ隠しても、瞳から漏れる輝きは隠せない。

 胸部の話を振られたときも無反応。まさに眼中になかったのだ。

 乙女の熱視線は、一心不乱に青い液体に注がれていた。


 健康促進や美肌効果、バスト増強、痩身効果。

 そのどれもが、彼女の求めるものではなかった。

 おかっぱ少女は、青い液体その物に魅了されていた。


 二日間に及ぶ部活巡りで一度も見せなかった顔が、そこにある。

 熱に浮かされた艶のある表情。無邪気な乙女の隠し切れない好奇心と微笑を、命だけは見抜いていた。


 那須は、ポーションに首ったけだった。


 釘を刺すべきか否か。

 命が思い悩んでいると、嵐のようなドアノックが響いた。

 力強く、どこか焦りすら感じさせる打音だ。


「さっさと開けやがれ! 身元引受人だ!」


 扉の向こうから上がった金切り声に、卓を囲む面々が顔を見合わせる。

 一人放心状態のスピナは頬を両手でサンドし、無言でムンクの叫びを上げていた。身元引受人という単語と上ずった声もあり、彼女は来訪者を完全に取り違えていた。


「開いている。自由に入って貰って構わない」

「全力で止めてー! ねえ誰、本当に私のママを呼んだの誰なの?」


 半泣きのスピナの抵抗も虚しく、扉は蹴り開けられる。

 長い美脚を余すことなく発揮した女生徒は、肩を怒らせながら入室してきた。


「このクソ生徒会長が。スピナ先輩に手ぇ出したら……タダじゃ」


 そこで、翠の風見鶏は言葉を失う。

 馴染みのカフェのウェイトレスから、スピナは力尽くで自警団に連行されたと聞いたのだが……渦中の人物はどう見ても茶会の参席者だった。


「……リッカちゃん」


 スピナの瞳は震える。堪えていた涙が一筋の線を引いた。

 危険を顧みず飛び込んできたのは、喧嘩別れした筈の少女。

 情けなくもずっと顔を合わせられずにいた相手が、そこにいた。


 たとえお互いに悪かったとしても、まずは先輩である自分が動くべきだ。話をして和解をして、あの日みたいに笑い合えたら。


 もう、何度考えたことだろうか。

 拒絶されることが怖くて、小心者の脚は震えたまま。歩み寄れずに無為な時が流れていくなか、スピナは命と遭遇した。


 逃してはならない、と人見知りながらも必死に勧誘を行った。

 黒髪の乙女は、カフェ・ボワソンの女神と懇意だという噂だ。まだ面と向かって会う勇気はなくても、人伝でも良いからこの気持ちを伝えたかった。


 いつか逢える――そう考えていた後輩は、目前で頬を掻いていた。


「アイリ先輩がバイト抜けられないから……代わりに行って来いって」


 才媛と呼ばれても不器用な彼女の仕草が懐かしく、愛おしかった。

 止まっていた足が動き出す。もう後悔するのは嫌だった。涙に塗れた状態でどれだけ理路整然と話せるかなんて関係ない。ただとびっきりの想いで抱きついた。


「リッカちゃああああああん」

「うおっ! 何だですか急に」


 呂律が回らないままに退くも、スピナの腕が逃げることを許さなかった。リッカは頬を紅潮させると、仕方なく再び前に歩み出た。


「ごめんねえ……本当にごめんねえ」

「謝らないで下さい。あたしが悪かったんですから」


 直視するのが気恥ずかしくて、リッカは顔を背ける。

 ただ、些細な行動が拒絶と見なされても堪らないので、代わりに右腕を回した。こんなに恥ずかしい思いをする必要があるなら、二度と仲違いは御免だった。


「わあ、仲よきことは正義だね!」

「うむ、全くもってその通りだな」


 経緯は掴めないが、美しい和解の光景なのは確かだ。

 美形の女性が抱き合う様子は、やけに見栄えが良い。

 自警団の部室にいた面々は、ひとまず拍手を送ることにした。新たなカップを一つ用意すると、カフェ・ボワソンから出張してきた女神を笑顔で迎え入れた。


「ったく。何の仕打ちなんだよ、これは」


 ここまで歓迎されては、恥を晒したリッカも怒るに怒れず。

 不機嫌な面を真っ赤に染めて、茶会に参加することにした。


「……くっ!」


 ただし、絶対に許せない人物というのも稀にいるものだ。

 全身を震わせる黒髪の乙女がいた。顔を伏せたまま、必死に痙攣する腹筋を押さえる姿は、そこはかとなく殺意を誘う。


 リッカは席に着くと、机の下で向かいの脛を蹴りつけた。

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