第68話 捕物トワイライト
ジャイロの気流が頬を撫でる。
螺旋を描く円筒が空気抵抗を減少するというのは、よく知れた話である。
銃弾しかり、野球ボールしかり、チョークしかり。
砕けた白棒は雪となり、艶めかしい黒髪とボレロに降り注いだ。
「……遅え」
血色に染まる双眸は、もはや教員が生徒に向けるものではない。
危うくジャイロチョークの餌食になりかけた命は、非礼を詫びてそそくさと自席に着いた。
命に対する周囲の反応は様々だ。
苦笑を浮かべる者が大半だが、何も好意的な視線ばかりではない。
1-F西洋魔術師の中心人物、イルゼ=ヴェローゼ。彼女の周囲からは刺すような鋭い視線が飛び、片や前列からは暴言が飛んできた。
「ふん、当たれば良かったヨ」
憎まれ口の主は1-F東洋魔術師の筆頭、李=紅花。
中華組の片割れである陳=小喬が代わりに頭を下げたが、当の本人は先ほどの発言を撤回する気はなさそうだった。
(うーん。どうもクラス内の好感度が低い)
これが何か問題の火種になりやしないか。
一抹の不安を覚えながらも、命は1-Fの風景に融け込んだ。
「じゃあ、授業再開するぞ。授業を妨害した罰だ。そこの見た目優等生詐欺、起立。陳が読んだ続きからプリント読み上げろ」
「どこどこ」と困惑に合わせて黒髪が揺れる。
隣の那須と、前列の小喬が世話を焼く光景に、温かい笑い声が漏れてくる。まだクラス内に居場所があるという事実には、歩く優等生詐欺も一安心だった。
魔法文字に不慣れなため、読み上げは区切れ句切れだが丁寧だ。
不本意ながら半不登校児になっているが、命は元より真面目寄りの人間だ。遅れた分は、時間外にせっせと取り返している。魔法文字の読み書きもその成果の一環だった。
「セントフィリア女学院では、新入生の親睦を深める、日帰り旅行を、設けています」
日帰り旅行で選択可能なコースは、6つほど用意されていた。
①法の番人と歩くヴァレリア散策『法の薔薇園ツアー』
②アイドル魔法少女の現場に密着『鐘鳴りの乙女ツアー』
③王国の誇る騎士による王都案内『王宮騎士団ツアー』
④竜舞う火山帯の温泉に浸かろう『温泉街ミルフィツアー』
⑤妖精猫を愛でつつバーベキュー『猫島観光ツアー』
⑥未知が溢れる不思議な地下世界『迷宮探索ツアー』
第3候補までを記入して担任に提出、応募者多数の場合は抽選になる旨の記述。
ここまでは定型的な文章だったが、唐突に命の読み上げは止まった。誤植なのだろうか。プリントには明らかな矛盾が見て取れた。
「あの、提出締め切り日が先週の金曜日なのですが」
形容しがたい奇妙な沈黙が、教室内に降りた。
尊大に腕組みしていたマグナは数秒迷ったのち、教壇に力強く両手を落とした。
「そうだ! 明日までに絶対書いてこい。以上だ――ッ!」
一瞬、1-Fの面々は勢いに飲まれかけたが、一呼吸入れてから冷静になる。
そして、酸素を含んだ怒りの炎は一気にクラス内に燃え広がった。
「日帰り旅行の予定、明後日じゃないの!」
「何の仕打ちなの、この不良教師! 抽選で不利になること必死ですわ」
「うそっ! "鐘鳴りの乙女"が間近で見られると思ったのに」
非難轟々。女生徒の無数の拳が天井に向けて伸びる。
一斉に不良教師コールが巻き起こるなか、マグナは拳を固く握って耐えていた。
「いやあ、悪い悪い。あたしの手違いでさ」
近ごろ、マグナは共通魔法実技で始末書分を食らった身だ。
大人が子供相手にムキになるというのも、恥ずかしい話である。
ここは一つ穏便に。自分が大人になることで丸く納めようと、大きく息を吸って、吐いて、
「もうお辞めなさいな、不良教師!」
やっぱり無理だった。
「だああ――うるせえぞ、クソガキ共が。入学時期は書類が多くてごちゃごちゃしてんだよ。人数分のガリ版を刷る、こっちの身にもなってみやがれ」
「ついに本性を現しましたわね! 皆さん遠慮することありません。一斉放火です」
リコールが合唱するころには、教室は混沌の様相を呈していた。
「第一、あたしは資料を読んでこいつったろ。隅々まで読めば、日帰り旅行の記載もあったつーの。『先生、日帰り旅行のプリントはどうしたのですか』ぐらい言えねーのか、テメエら!」
「200ページ綴じのガイドから、どうやってこの豆粒大の文字を探せって言うのよ!」
額にシワが寄ることも構わず、マグナは目を剥いた。
「くぉうやって、目を皿のようにすんだよ。――って、誰だ。今、魔法弾ぶっ放したやつ! 怒らないから表出ろ。ぶっ飛ばすぞ――ッ!」
上体の振りで魔法弾をやり過ごすと、チョークを充填。
魔法少女の卵に振り回されるような軟さでは、セントフィリア女学院の教師は勤まらない。
報復とばかりにいの一番で飛びかかったイルゼを、ジャイロチョークで牽制。
教壇から離脱に一歩、接近までに一歩。マグナは最短距離を駆け抜けた。
「相変わらず学習能力がない猿ね。いくら突き立てようと猿の拳なんて――ごふっ!」
綺麗に肝臓打ちが入り、早々にイルゼが沈んだ。
「誰の学習能力がないって、イルゼ」
白石教諭贈呈の防刃ジャージに次ぐ、マグナ第二の武器。
魔法道具『強化白手袋』が火を吹いた。大した効力はないものの、【羽衣】に干渉可能な時点で、彼女にとっては十分である。
「覚えとけ。大人が成長しないなんてのは、子供の誤った幻想だ」
「第一部隊、前に。一斉放火――ッ!」
「聞けや! 今あたし良いこと言ってただろうが」
号令に合わせて、色とりどりの魔法弾が襲い来る。
マグナは冷静に机を倒すと、盾にして猛攻を防いだ。
「上等じゃねえか。全員かかってこいや――ッ!」
机の盾で突撃するとともに、開戦の合図がかかる。
1-F最後のカリキュラムは実践体育もとい、マグナVS不満分子の戦争になった。
(……双方止めとけばいいものを)
命は危険を察知すると、早々に那須の手を引いて教室隅に避難する。二人仲良く【結界弾】で防壁を張って、履修相談を始めるとした。
「あっ、私も混ぜてー」
小喬の参加を皮切りに、6人の東洋魔術師が集まる。
重なり合う薄橙の防壁はカマクラと化し、守備に抜かりはなかった。
「穏健派でしたら、貴方もいらっしゃい」
命は、所在なさ気にしていたドドスを手招きした。
都合7名の女生徒が押し合いするカマクラ内は、かしましい。
履修相談から始まり、日帰り旅行から部活めぐりの話題まで。
女子特有の無軌道な会話は、あちこちに転がる。話題を追うことすら大変だったが、クラス交流も悪いものではなかった。
◆
1-Fで勃発した90分戦争の集結後。
命は、那須と根木――つまりはいつもの面子で講義を回っていた。
東洋魔術基礎Aに顔を出してから昼休憩を挟み、外語と飛行魔法をはしごした。今日はこれ以上めぼしい講義がなかったので、一服入れてから部活巡りを再開するとした。
初めは馴染みのカフェ・ポワソンに足を運びかけたのだが、命の足は止まった。
目の錯覚ではない。喫茶店からドライアイスにも似た殺気が垂れ込めていることが、遠目からも確認できた。
もうもうと床を漂う殺気の出どころ。
そこには、ギプスをグラスファイバー製に新調した女神が腰をかけていた。
相も変わらず両手に花状態である命を見て、にこり。
弓なりの口元はこれ以上ないぐらいに微笑んでいるのに、眼光は猛禽類を彷彿とさせるほどに鋭い。
(鷹です……野生の鷹がいます)
微笑み返してから、踵を返すことにした。
その判断に間違いはなかっただろうと、命は確信している。
結局三人は同フロアにあるファーストフード店の一角を陣取り、休憩ついでに履修相談をしていた。
(しかしまあ、なんといいますが)
黒髪の乙女は、適当な言葉を探しあぐねていた。
酷い、あまりにも酷すぎる。テーブルに置かれた二人の履修表は、絶句ものだった。
根木茜――取得予定単位数2。
「もっと埋めてください! すっかすかじゃないですか」
「でもでも、命ちゃん。三年間あるし、遊ぶ時間も大事だよ」
「完璧な留年フラグじゃないですか! それ以前に必修科目も入ってないなんて、言語道断です。最低30単位は埋めて下さい」
「ふえーん。命ちゃんが厳しいよう」
「泣き真似してもダメです。貴方を思ってのことですからね」
やり直しを言い渡すと、命はもう一枚の用紙に目を走らせた。
那須照子――取得予定単位数111(規定違反含む)。
「詰め込みすぎです! 一年で卒業できるじゃないですか」
「あの……一年生は取れない必修科目があるので、無理かと思います」
「そこがわかっていて、どうして1マスに4つの講義を入れるのですか」
「すいません……好奇心が止まらなかったもので」
「1マスに複数講義入れるの禁止。上限36単位で、やり直し!」
時間割りとは今まで与えられるものであっただけに、二人は履修決めに苦戦気味だった。現に根木は、不慣れな作業に不満を漏らしていた。
「どうして、単位制なのかな。面倒で仕方ない系」
質問を投げた途端、彼女の上に影が落ちる。
頭に乗せられた木製トレーが、光を遮っているようだった。
「そりゃ、お前。単位制にしないと、不都合があるからだろ」
「あっ、マグナ先生。人の頭の上に置かないで欲しい系」
「ちゃんと勉強しない子は、不憫な机の気持ちを知っておけ」
「むう」と頭を振ったが、重点を押さえた木製トレーは微動だにしない。
根木が空回りする姿に、マグナはご満悦な様子だ。完全に女生徒を玩具にして遊んでいるようだった。
「ふえーん。マグナ先生に遊ばれたよ、命ちゃん」
「人聞き悪いこと言うな。あたしが悪かったよ」
「それはまあ。女生徒を誑かしてはいけませんよ、マグナ先生」
「……朝の仕返しか、このやろう」
四人がけの空き椅子に、マグナはどっかと腰を下ろす。理事長にこってり絞られたせいか、顔は心なし精彩を欠いていた。
「冗談はともかく。あの後、大丈夫だったのですか」
「もう最悪だよ。途中でエリツキーがしゃしゃって来たせいで、大ごとになっちまった」
数の劣勢を跳ね除けたものの、さすがに副教員には敵わず。
マグナは、1-F女生徒の要請を受けたエリツキーに成敗された。
副教員は渋々という体を取っていたが、顔は正直だ。マグナを叩き伏せるときの彼女の顔は、1-Fの面々が今までに見たことないほど輝いていた。
「あの野郎……一般人相手に本気出しやがって」
丸めた白手袋を弄ぶように、マグナは何度か宙に放った。
「もっとも、奴も始末書地獄に落としてやったがな。ざまあみろ」
意地悪い笑みを浮かべる橙色の悪魔も、当然厳罰対象である。
不満分子は掃討され、1-F教師コンビは理事長から大目玉を食らう。90分戦争は誰一人として得をしない、とても不毛な戦いだった。
紙コップを潰す勢いでコーラを流し込むと、不意にマグナの顔が曇った。
目を遣った先を見れば原因は明らかである。あのゴミクズ履修表のせいだ。
一応教師の血が通う身としては、さすがに見過ごすことはできなかった。
「那須」と、マグナは講義をするように名指しした。
「なんで高等部が単位制なのかわかるか」
「えっと……属性ごとに魔法体系が異なるからでしょうか」
咄嗟のことながら、優等生はなかなかの回答を出した。
不良教師は犬歯を覗かせて「半分正解」と告げた。
火・風・土・水の四大元素と、独自の発展を遂げた東洋魔術。
おおまかに魔法少女は、この5つの属性に大別できる。
互いの領域は不可侵であるため、異なる属性の魔法を行使することは叶わない。そのため、各自が自分に合わせた講義を採る必要があった。
「属性を問わない、共通術式なんて例外もあるけどな」
「そう言われてみれば、みんな飛行魔法は使えますね」
「違うよ、命ちゃん。私は全く飛べない系!」
「そりゃ単なる修練不足だよ。もっと努力しろ」
落ち込む根木の口元に、那須はナゲットを運ぶ。ルームメイトになったからか、どうも那須は根木の扱いに慣れてきた節がある。
「じゃあ、もう一つの理由はわかるか、八坂」
「今度の進路を踏まえてのことでしょう。中等部からの進学先はここ一つですし、外部から入学する生徒だっていますから、幅広いニーズに応える必要があります」
思いのほか良い解答が返ってきたので、マグナは不服そうに舌打ちした。
「こいつ優等生詐欺のくせに、いっちょまえの回答を」
(……こんなに品行方正で清廉潔白なのに、どうして詐欺扱いされるのですかねえ)
「まあ良い。高等部が単位制なのは、そういう理由が背景にあるってことぐらいは理解しとけ。こういうのは本来、将来何に成りたいかを見据えた上で組むべきなんだよ」
祖国の高等教育に合わせた無難な取り合わせにするのか。
狭き門の向こう側を目指して、魔法実技を重視するのか。
魔導を深淵まで押し進めるために、魔法座学を重視するのか。
はたまた全く別の目的を見据えて、自分なりの道を拓いていくのか。
「この白紙には決められた道なんてねえが、道を選ぶ自由だけは有り余るほどある。精々後悔しねえように、しっかりと考えるこったな」
教員の言葉は、命のやり直しより余ほど効果があったようだ。
根木と那須は顔を見合わせてから、反省するように身を縮こまらせた。
「マグナ先生って、たまに良いこと言うから手に負えませんね」
「生意気なこと言ってんじゃねえよ。お前のもちょっと見せてみろ」
マグナが履修表を引ったくったが、命は特に抵抗しなかった。
一般教養と東洋魔術を程よく混ぜた履修表は、昨日、黒髪の乙女が夜なべして作り上げた自信作である。取得単位数から一週間のバランスまでも考慮済みである。
薄い胸パッドを張る命に、マグナは面白くなさそうな顔をした。
「つまんねえ履修表だな。こんなもん組むくらいなら、いっそ宮古に書いて貰えよ」
「宮古?」
さらりと会話に混ざった人名は、耳馴染みのないものだった。
眉を八の字に寄せる黒髪の乙女に違和感を覚え、マグナは那須に確認した。
「なんだ、ソロル制度のこと話してねえのか」
「あの……どうしても言い辛くて」
那須は申し訳なさ気に顔を伏せたが、命はそれを咎める気はない。
目下気になるのは、新出の『ソロル制度』というキーワードだった。
「なんですか、そのソロル制度とは?」
「ソロルってのは、ラテン語で姉妹を意味する単語だよ」
不勉強な黒髪の乙女のため、マグナは昨日と同じ説明を繰り返した。
ソロル制度とは、セントフィリア女学院高等部に伝わる伝統的な姉妹制度だ。新入生1~2名に対して、1名の上級生が姉として割り当てられるのが、当女学院の仕来りだ。
姉は迷える妹を導き、また妹は導かれるばかりでなく、ときに姉を支える。
女生徒双方の成長を促すことを目的に設立された制度である。
「で、昨日ちょうど姉妹同士の顔合わせがあったんだが」
「聞いてない!」
「だってお前、昨日の午前中も来なかっただろ」
ちょうど、リッカが泣きじゃくっていた時間帯である。
訳あってのこととはいえ、無償で愛を捧げてくれる姉との面会をぶっちぎり。今後の姉妹関係に修復不可能な傷を入れたのではと、黒髪の乙女は戦々恐々とした。
「安心しろ。お前の姉も用事があって、来れなかったからな」
「なんだ、それを先に言って下さいよ。もう、那須ちゃんも驚かせて」
言うか、言わざるべきか。那須は逡巡してから口を開いた。
「あの……命ちゃんのお姉ちゃんを知ったら、みんな口を揃えて」
ご愁傷様――と、本人不在の葬式が執り行われたそうだ。
木魚と鐘が奏でるグルーブなビートが、命の脳内に浸透していく。
「ちょっと待って下さい! いったい何者なのですか、私の姉は。殺人許可証でも所持しているのですか」
「単純な魔法の腕前だけなら、高等部内でもトップクラスだな。宮古は選抜合宿に参加するぐらいの実力者だし、オマケに……あの性格だからな」
予想外の不在理由に、命は愕然とする。
魔法少女の選抜合宿。あのリッカと同格の魔法少女であり、危険思想の持ち主。
疑う余地もなく不味い。警戒警報がけたたましい音を上げている。
「うわあ、命ちゃんのお姉ちゃんも楽しそうな人だね」
「替えて! 後生ですから、茜ちゃんの姉と交換して下さい」
「いやいや、そんな簡単に解消できるわけねえだろ」
恥も外聞もなく拝み倒す命だが、土台無理な相談であった。
姉妹間の仲が著しく悪い、或いは正統な理由がある場合、ソロルを解消することはできるが、黒髪の乙女の場合は少し事情が異なる。
手を仰ぐマグナに向かって、命は声を潜めて問い詰めた。
「どうして、そんな人を充てがったのですか。ただでさえ、大変だというのに」
「いや、なんだ……まあ」
目を泳がせてから、マグナは冗談めかすように真相を告げた。
「実は逆指名なんだわ。ちょーっとお願いごとしたら、『代わりに妹を逆指名』させろって喚くもんだからさ、新入生の書類渡してやったんだよ」
そしたら、命が選ばれたというお話だった。
黒髪の乙女は栄えある650名超の妹オーディションから見事に選ばれた、シンデレラガールだったのである。もちろん、一昼夜ではシンデレラの魔法は解けない。魔法が解ける条件は1年を無事に過ごすか、焼死体の灰かぶりになるか、2つに1つだ。
両手で頭を抱え、黒髪の乙女は天を仰ぐ。
その横で、そっと不良教師は席を外した。
「じゃあな。死なない程度に仲良くやれよ」
「お願いだから、待って下さい! せめて死なないようにアドバイスだけでも。何卒、何卒!」
腰に手を回す命を鬱陶しがるように、マグナは上体を回した。
「離せ、もう決まったことだ! 往生際が悪い。それでもテメエはおと……めか――ッ!」
「乙女ですもの。今だけは女々しくても許されますもの!」
女装であることを利用するほどに強かになり、命は堕ちていく。
どうあっても離しそうもない女装野郎にため息をつき、マグナは揺さぶりを止めた。
「わあーったよ。情報ぐらいはくれてやる。那須と根木の姉が宮古と仲良いから、剣道部行ってみろ。後は箒部、あそこに去年の宮古の妹がいる筈だ」
活路が開けたことで、多少なりとも命の溜飲は下がる。
抱き着いた腕からは力が抜け、するりとマグナが腕の輪っかから抜けた。
不良教師は、ぱんぱんと赤ジャージを払う。
「ったく。目の前のことに精一杯なのはいいけど、きちんと宿題は終えたんだろうな」
命は、終えたか否かも即答できない。
宿題、果たしてそれが何を指すのか定かではなかった。命のToDoリストは減る端から増える一方なので、昔のタスクは記憶の彼方だった。
ぐいっと、マグナの手が命の頬を潰した。
「魔力枯渇のことだよ……調べろっつったろ」
「思ひだしましたから、外して下さひ!」
空気が漏れる間抜け声でギブアップ。
机をタップして降伏の意を示すと、万力じみた掌は命から離れていった。
「たまに世話焼くと、これだよ。那須は【戦乙女の門】について、ちゃんと調べてきたっていうのに」
優等生詐欺と違って、那須は迅速にタスクを消化するタイプだ。
【戦乙女の門】と【魔法少女の狭き門】の違いまで事細かにまとめ上げ、マグナにレポートまで提出したのに、黒髪の乙女はこの体たらくである。
「目の前の問題に右往左往するのもいいが、お前ももっと先を見据えとけ。言っとくが、こっちのが重要かもしれねえからな。きちんと調べねえと」
言いさして、マグナは背を向けた。
「――止めた。あたしが教えたら、宿題の意味がねえからな」
「じゃあな」と、マグナはいつもの様に後ろ手を振って去っていった。
理不尽なソロル関係、理不尽な課題。双方に命は頬を膨らませたが、それが魔法使いのために誂えた道だということを、彼は未だ知らなかった。
(全くもう。魔力枯渇ぐらい聞き及んでいますよ)
致命的な勘違いを抱えたまま、黒髪の乙女はタスクにチェックを入れた。
◆
怒りは空気を淀ませ、良くないものをもたらす。
だからこそ黒髪の乙女には、微笑みを絶やさないことが求められている。一見すると、微笑み続ける乙女は阿呆に見えるが、あれは計算尽くしの打算まみれである。
一度乙女が微笑めば、人間関係は良好。学校や職場の雰囲気が良くなるどころか、長年悩まされていた持病も癒え、ふとした機会に最愛の人とも巡り会える。
何気なく年末に買った宝くじは大当たりして、人生の勝ち組。札束プールも夢じゃないと、命の母さま――楓は豪語していた。
(そんな、雑誌裏の素敵石じゃあるまいし)
そう思いつつも、命も前半部だけは肯定派だった。
怒りは身を滅ぼすものであるというのは、母さまだけでなく父さまの教えでもある。女学院に向かう道中も怒りに我を忘れて、失敗をした身だ。
二の鉄を踏むは乙女にあらず。大きく深呼吸して、命は怒気を散らした。
「履修組みはこの辺りで切り上げて、今日も部活巡りに繰り出しましょう」
神々しさを増した微笑を湛え、命は外に赴いた。
第一目標はあくまでも那須に合う部活・同好会を探すことであるが、その片手間で命が探している部活もあった。昨日は全く縁がなかったのだが、今日は運があったようだ。
構内中央に設置された、三角帽子を被り箒に横座りした石像。
いかにもな魔法少女の姿をした石像は、偉大なるセレナ=セントフィリアを象ったものである。女生徒が通称セレナ像と呼ぶ石像の前に、命の探し人はいた。
――奈落にGO! GO! ダンジョン探検部。
そう記載されたのぼり旗を見ると、あれだけ探していたのに不思議と距離を置きたくなった。
「あっ、命ちゃんが探していた部活はっけーん! 隊長、私やりました。お手柄です」
根木が大声で発見報告したものだから、気づかれた様子だった。
全くお手柄ではないものの、命は褒めて伸ばす方針だ。根木の頭を撫でつつ、相手方を確認する。
女生徒は、前傾姿勢で瞬き一つしない。どうあっても視線を外す気がないようだ。
(見られています。捨てられた子犬のような目で、凝視されています)
おいでおいで、と手招きをされた。
部員であろう女生徒は、唐突にのぼり旗を振り始める。ガツンと竿がセレナ像にぶつかり、顔を青ざめさせながら、ペコペコと偉人の石像に頭を垂れていた。
見て見ぬ振りもできたが、あまりにも居た堪れない。
慈愛にあふれた黒髪の乙女は、彼女の要望に沿うように近づいていった。
「あのう、こちらダンジョン探検部でよろしいでしょうか」
「そうです! あのう……ですはいっ! ダンジョン探検部です!」
頭頂部でまとめた黒髪の尾を振りながら、女生徒は空回り気味に答えた。
リッカほどではないが、背は命よりも10cm近く高く、顔立ちは涼やか。
しかし面の美しさよりも、何より異彩を放つものが腰に下げられていた。
(これ、銃刀法に抵触するのではないですかねえ)
スカートの上から巻いた特注の革ベルト。
そこに差し込まれた二尺あまりの黒漆太刀は、さながら地下迷宮の苛酷さを物語っているようだった。
「私、スピナ=涼子と申します。副部長なんです!」
何のアピールかは不明だが、命はスピナと握手を交わす。
好感触だと思っているのか、わずかに副部長の口元が持ち上がった。
「ダ、ダンジョン探検部に興味がお有りですか」
どもり気味ではあったが、スピナの会話は安定してきた。
不器用さが随所に垣間見えるも、誠実な人柄に命は好感を抱いていた。
「ええ。ダンジョン探検部は楽しいのですか」
「はい――ッ!」
気持ちの良い返事で、スピナは大きく頭を振った。
「一生ものの怪我を負う危険があり、ときに迷宮に骨を埋める方もいらっしゃいますが、とても楽しいですよ。あと保険にも入れません」
「全然楽しみを見いだせない――ッ!」
誘い文句が物騒すぎるあまり、那須はスカートの裾を掴んで命の陰に隠れた。
噂程度には聞いていたが、遙かに予想を上回る危険度。これには黒髪の乙女もドン引きである。一歩距離を置くと、慌ててスピナが手を伸ばした。
「待って下さい! これ言わないと、部活勧誘しちゃいけない決まりなんです」
乗りかかった船であるし、何より命の退路は閉ざされていた。
とある名工の情報に寄れば、迷宮探索は金になるという話だ。楓などは万年レッドカードだったが、迷宮富豪だったとすら言っていた。
(借金400万円……いや、それ以前に日々の生活を考えたら止む無し)
喫茶店のアルバイトで賄えれば、それに越したことはなかったが、現状は1泊12,000イェンの宿泊費が足を引っ張り、出る物の方が多い状況だ。
母さまが通った道を、子であり一番弟子でもある命が避けて通ることなどできなかった。
「もう少し、詳しくお話を聞かせていただいてもよろしいですか」
「ありがとう……たまに興味を持ってくれても、この辺りでみんな逃げちゃって。本当に、あじがとう」
薄っすらと目元に涙が浮かぶスピナからは、相当の苦労が伺えた。
命が差し出したハンカチで涙を拭うと、副部長は説明を開始した。
ダンジョン探検部は危険を伴うため、あまり女学院側から推奨されておらず、冷遇されていること。部員が足りず、同好会に下げられそうなことを涙ながらに語ってくれた。
「それはさぞや苦労していることでしょう。部長や他の部員も、勧誘に奔走しているといったところですか」
「部長は張り切りすぎて病欠です。唯一の部員も、勧誘は金にならんとバイトを優先する始末で。私一人でどうしようかと、本当に途方に暮れていて」
黒髪の乙女は、どうにも苦労人には弱い。花壇の石積みにスペアハンカチを敷くと、その上に座って仮入部届けを書いてあげた。
「なんだか楽しそうだから、私も書こうかな」
続いて根木も仮入部届けを書くと、命は那須にも目を遣った。
未だに後ろに隠れるおかっぱ少女はぶんぶんと頭を振ったが、ダンジョン探検部には計2人の入部希望者が増えたことになる。
「ありがとうございます。ありがとうございます」
先ほどの表情が嘘のように、スピナの顔が明るくなる。
本人は抑えているようだが、唇の両端がずっとひくついていた。
一安心すると喉が渇いたようで、彼女は特注ベルトに差し込んだ細長い試験官を抜く。きゅぽんと木栓を抜くと、なかを満たす青い液体が波打った。
(これ……もしかして。似たようなものをRPGで見たことがあります)
興味津々な三人の視線に気づいたのか、スピナは手を止めた。
「あっ、これ友人に貰ったものなんです。一本しかないのですが、良かったら」
飲みませんか――と、言い切る前に場は一変した。
スピナが柄に手を伸ばすのを躊躇した瞬間、彼女は三人の視界から消えた。
横合いから女生徒が猛スピードでタックルを仕掛けたのだ。
突然の奇襲で取り押さえられると、スピナの親指に指錠がガチャリと落ちた。
「よくやった、マイア。離すなよ」
混乱する通りを割るように、一人の女生徒の美声が通った。
時刻は午後16時20分。空は夕暮れに染まり、差し込む西日が眩しい。
自警団団長オルテナ=シルフィードの指揮の下、容疑者確保に成功。
闇ポーション所持により、スピナが現行犯逮捕された瞬間だった。




