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魔法少女の狭き門  作者: 朝間 夕太郎
1年生 ―禁じられた遊び編―
69/113

第68話 捕物トワイライト

 ジャイロの気流が頬を撫でる。


 螺旋を描く円筒が空気抵抗を減少するというのは、よく知れた話である。

 銃弾しかり、野球ボールしかり、チョークしかり。

 砕けた白棒は雪となり、艶めかしい黒髪とボレロに降り注いだ。


「……遅え」


 血色に染まる双眸は、もはや教員が生徒に向けるものではない。

 危うくジャイロチョークの餌食になりかけた命は、非礼を詫びてそそくさと自席に着いた。


 命に対する周囲の反応は様々だ。

 苦笑を浮かべる者が大半だが、何も好意的な視線ばかりではない。

 1-F西洋魔術師の中心人物、イルゼ=ヴェローゼ。彼女の周囲からは刺すような鋭い視線が飛び、片や前列からは暴言が飛んできた。


「ふん、当たれば良かったヨ」


 憎まれ口の主は1-F東洋魔術師の筆頭、()紅花(ホンファ)

 中華組の片割れである(チェン)小喬(チャオ)が代わりに頭を下げたが、当の本人は先ほどの発言を撤回する気はなさそうだった。


(うーん。どうもクラス内の好感度が低い)


 これが何か問題の火種になりやしないか。

 一抹の不安を覚えながらも、命は1-Fの風景に融け込んだ。


「じゃあ、授業再開するぞ。授業を妨害した罰だ。そこの見た目優等生詐欺、起立。陳が読んだ続きからプリント読み上げろ」


「どこどこ」と困惑に合わせて黒髪が揺れる。

 隣の那須と、前列の小喬が世話を焼く光景に、温かい笑い声が漏れてくる。まだクラス内に居場所があるという事実には、歩く優等生詐欺も一安心だった。


 魔法文字に不慣れなため、読み上げは区切れ句切れだが丁寧だ。

 不本意ながら半不登校児になっているが、命は元より真面目寄りの人間だ。遅れた分は、時間外にせっせと取り返している。魔法文字の読み書きもその成果の一環だった。


「セントフィリア女学院では、新入生の親睦を深める、日帰り旅行を、設けています」


 日帰り旅行で選択可能なコースは、6つほど用意されていた。



 ①法の番人と歩くヴァレリア散策『法の薔薇園(ロウズガーデン)ツアー』

 ②アイドル魔法少女の現場に密着『鐘鳴りの乙女(カンパネラ)ツアー』

 ③王国の誇る騎士による王都案内『王宮騎士団(ロイヤルナイツ)ツアー』

 ④竜舞う火山帯の温泉に浸かろう『温泉街ミルフィツアー』

 ⑤妖精猫を愛でつつバーベキュー『猫島観光ツアー』

 ⑥未知が溢れる不思議な地下世界『迷宮探索ツアー』



 第3候補までを記入して担任に提出、応募者多数の場合は抽選になる旨の記述。

 ここまでは定型的な文章だったが、唐突に命の読み上げは止まった。誤植なのだろうか。プリントには明らかな矛盾が見て取れた。


「あの、提出締め切り日が先週の金曜日なのですが」


 形容しがたい奇妙な沈黙が、教室内に降りた。

 尊大に腕組みしていたマグナは数秒迷ったのち、教壇に力強く両手を落とした。


「そうだ! 明日までに絶対書いてこい。以上だ――ッ!」


 一瞬、1-Fの面々は勢いに飲まれかけたが、一呼吸入れてから冷静になる。

 そして、酸素を含んだ怒りの炎は一気にクラス内に燃え広がった。


「日帰り旅行の予定、明後日じゃないの!」

「何の仕打ちなの、この不良教師! 抽選で不利になること必死ですわ」

「うそっ! "鐘鳴りの乙女"が間近で見られると思ったのに」


 非難轟々。女生徒の無数の拳が天井に向けて伸びる。

 一斉に不良教師コールが巻き起こるなか、マグナは拳を固く握って耐えていた。


「いやあ、悪い悪い。あたしの手違いでさ」


 近ごろ、マグナは共通魔法実技で始末書分を食らった身だ。

 大人が子供相手にムキになるというのも、恥ずかしい話である。

 ここは一つ穏便に。自分が大人になることで丸く納めようと、大きく息を吸って、吐いて、


「もうお辞めなさいな、不良教師!」


 やっぱり無理だった。


「だああ――うるせえぞ、クソガキ共が。入学時期は書類が多くてごちゃごちゃしてんだよ。人数分のガリ版を刷る、こっちの身にもなってみやがれ」

「ついに本性を現しましたわね! 皆さん遠慮することありません。一斉放火(ファイヤー)です」


 リコールが合唱するころには、教室は混沌の様相を呈していた。


「第一、あたしは資料を読んでこいつったろ。隅々まで読めば、日帰り旅行の記載もあったつーの。『先生、日帰り旅行のプリントはどうしたのですか』ぐらい言えねーのか、テメエら!」

「200ページ綴じのガイドから、どうやってこの豆粒大の文字を探せって言うのよ!」


 額にシワが寄ることも構わず、マグナは目を剥いた。


「くぉうやって、目を皿のようにすんだよ。――って、誰だ。今、魔法弾ぶっ放したやつ! 怒らないから表出ろ。ぶっ飛ばすぞ――ッ!」


 上体の振り(ウィービング)で魔法弾をやり過ごすと、チョークを充填。

 魔法少女の卵に振り回されるような軟さでは、セントフィリア女学院の教師は勤まらない。

 報復とばかりにいの一番で飛びかかったイルゼを、ジャイロチョークで牽制。

 教壇から離脱に一歩、接近までに一歩。マグナは最短距離を駆け抜けた。


「相変わらず学習能力がない猿ね。いくら突き立てようと猿の拳なんて――ごふっ!」


 綺麗に肝臓打ち(リバーブロー)が入り、早々にイルゼが沈んだ。


「誰の学習能力がないって、イルゼ」


 白石教諭贈呈の防刃ジャージに次ぐ、マグナ第二の武器。

 魔法道具(マジックアイテム)『強化白手袋』が火を吹いた。大した効力はないものの、【羽衣(ローブ)】に干渉可能な時点で、彼女にとっては十分である。


「覚えとけ。大人が成長しないなんてのは、子供の誤った幻想だ」

「第一部隊、前に。一斉放火(ファイヤー)――ッ!」

「聞けや! 今あたし良いこと言ってただろうが」


 号令に合わせて、色とりどりの魔法弾が襲い来る。

 マグナは冷静に机を倒すと、盾にして猛攻を防いだ。


「上等じゃねえか。全員かかってこいや――ッ!」


 机の盾で突撃(チャージ)するとともに、開戦の合図がかかる。

 1-F最後のカリキュラムは実践体育もとい、マグナVS不満分子の戦争になった。


(……双方止めとけばいいものを)


 命は危険を察知すると、早々に那須の手を引いて教室隅に避難する。二人仲良く【結界弾】で防壁を張って、履修相談を始めるとした。


「あっ、私も混ぜてー」


 小喬の参加を皮切りに、6人の東洋魔術師が集まる。

 重なり合う薄橙の防壁はカマクラと化し、守備に抜かりはなかった。


「穏健派でしたら、貴方もいらっしゃい」


 命は、所在なさ気にしていたドドスを手招きした。


 都合7名の女生徒が押し合いするカマクラ内は、かしましい。

 履修相談から始まり、日帰り旅行から部活めぐりの話題まで。

 女子特有の無軌道な会話は、あちこちに転がる。話題を追うことすら大変だったが、クラス交流も悪いものではなかった。




    ◆




 1-Fで勃発した90分戦争の集結後。

 命は、那須と根木――つまりはいつもの面子で講義を回っていた。

 東洋魔術基礎Aに顔を出してから昼休憩を挟み、外語と飛行魔法をはしごした。今日はこれ以上めぼしい講義がなかったので、一服入れてから部活巡りを再開するとした。


 初めは馴染みのカフェ・ポワソンに足を運びかけたのだが、命の足は止まった。

 目の錯覚ではない。喫茶店からドライアイスにも似た殺気が垂れ込めていることが、遠目からも確認できた。


 もうもうと床を漂う殺気の出どころ。

 そこには、ギプスをグラスファイバー製に新調した女神が腰をかけていた。


 相も変わらず両手に花状態である命を見て、にこり。

 弓なりの口元はこれ以上ないぐらいに微笑んでいるのに、眼光は猛禽類を彷彿とさせるほどに鋭い。


(鷹です……野生の鷹がいます)


 微笑み返してから、踵を返すことにした。

 その判断に間違いはなかっただろうと、命は確信している。

 結局三人は同フロアにあるファーストフード店の一角を陣取り、休憩ついでに履修相談をしていた。


(しかしまあ、なんといいますが)


 黒髪の乙女は、適当な言葉を探しあぐねていた。

 酷い、あまりにも酷すぎる。テーブルに置かれた二人の履修表は、絶句ものだった。


 根木茜――取得予定単位数2。


「もっと埋めてください! すっかすかじゃないですか」

「でもでも、命ちゃん。三年間あるし、遊ぶ時間も大事だよ」

「完璧な留年フラグじゃないですか! それ以前に必修科目も入ってないなんて、言語道断です。最低30単位は埋めて下さい」

「ふえーん。命ちゃんが厳しいよう」

「泣き真似してもダメです。貴方を思ってのことですからね」


 やり直しを言い渡すと、命はもう一枚の用紙に目を走らせた。


 那須照子――取得予定単位数111(規定違反含む)。


「詰め込みすぎです! 一年で卒業できるじゃないですか」

「あの……一年生は取れない必修科目があるので、無理かと思います」

「そこがわかっていて、どうして1マスに4つの講義を入れるのですか」

「すいません……好奇心(ロマンチック)が止まらなかったもので」

「1マスに複数講義入れるの禁止。上限36単位で、やり直し!」


 時間割りとは今まで与えられるものであっただけに、二人は履修決めに苦戦気味だった。現に根木は、不慣れな作業に不満を漏らしていた。


「どうして、単位制なのかな。面倒で仕方ない系」


 質問を投げた途端、彼女の上に影が落ちる。

 頭に乗せられた木製トレーが、光を遮っているようだった。


「そりゃ、お前。単位制にしないと、不都合があるからだろ」

「あっ、マグナ先生。人の頭の上に置かないで欲しい系」

「ちゃんと勉強しない子は、不憫な机の気持ちを知っておけ」


「むう」と頭を振ったが、重点を押さえた木製トレーは微動だにしない。

 根木が空回りする姿に、マグナはご満悦な様子だ。完全に女生徒を玩具にして遊んでいるようだった。


「ふえーん。マグナ先生に遊ばれたよ、命ちゃん」

「人聞き悪いこと言うな。あたしが悪かったよ」

「それはまあ。女生徒を(たぶら)かしてはいけませんよ、マグナ先生」

「……朝の仕返しか、このやろう」


 四人がけの空き椅子に、マグナはどっかと腰を下ろす。理事長にこってり絞られたせいか、顔は心なし精彩を欠いていた。


「冗談はともかく。あの後、大丈夫だったのですか」

「もう最悪だよ。途中でエリツキーがしゃしゃって来たせいで、大ごとになっちまった」


 数の劣勢を跳ね除けたものの、さすがに副教員には敵わず。

 マグナは、1-F女生徒の要請を受けたエリツキーに成敗された。

 副教員は渋々という体を取っていたが、顔は正直だ。マグナを叩き伏せるときの彼女の顔は、1-Fの面々が今までに見たことないほど輝いていた。


「あの野郎……一般人相手に本気出しやがって」


 丸めた白手袋を弄ぶように、マグナは何度か宙に放った。


「もっとも、奴も始末書地獄に落としてやったがな。ざまあみろ」


 意地悪い笑みを浮かべる橙色の悪魔も、当然厳罰対象である。

 不満分子は掃討され、1-F教師コンビは理事長から大目玉を食らう。90分戦争は誰一人として得をしない、とても不毛な戦いだった。


 紙コップを潰す勢いでコーラを流し込むと、不意にマグナの顔が曇った。

 目を遣った先を見れば原因は明らかである。あのゴミクズ履修表のせいだ。

 一応教師の血が通う身としては、さすがに見過ごすことはできなかった。


 「那須」と、マグナは講義をするように名指しした。


「なんで高等部が単位制なのかわかるか」

「えっと……属性ごとに魔法体系が異なるからでしょうか」


 咄嗟のことながら、優等生はなかなかの回答を出した。

 不良教師は犬歯を覗かせて「半分正解」と告げた。


 火・風・土・水の四大元素と、独自の発展を遂げた東洋魔術。

 おおまかに魔法少女は、この5つの属性に大別できる。

 互いの領域は不可侵であるため、異なる属性の魔法を行使することは叶わない。そのため、各自が自分に合わせた講義を採る必要があった。


「属性を問わない、共通術式なんて例外もあるけどな」

「そう言われてみれば、みんな飛行魔法は使えますね」

「違うよ、命ちゃん。私は全く飛べない系!」

「そりゃ単なる修練不足だよ。もっと努力しろ」


 落ち込む根木の口元に、那須はナゲットを運ぶ。ルームメイトになったからか、どうも那須は根木の扱いに慣れてきた節がある。


「じゃあ、もう一つの理由はわかるか、八坂」

「今度の進路を踏まえてのことでしょう。中等部からの進学先はここ一つですし、外部から入学する生徒だっていますから、幅広いニーズに応える必要があります」


 思いのほか良い解答が返ってきたので、マグナは不服そうに舌打ちした。


「こいつ優等生詐欺のくせに、いっちょまえの回答を」


(……こんなに品行方正で清廉潔白なのに、どうして詐欺扱いされるのですかねえ)


「まあ良い。高等部が単位制なのは、そういう理由が背景にあるってことぐらいは理解しとけ。こういうのは本来、将来何に成りたいかを見据えた上で組むべきなんだよ」


 祖国の高等教育に合わせた無難な取り合わせにするのか。

 狭き門の向こう側を目指して、魔法実技を重視するのか。

 魔導を深淵まで押し進めるために、魔法座学を重視するのか。

 はたまた全く別の目的を見据えて、自分なりの道を拓いていくのか。


「この白紙には決められた道なんてねえが、道を選ぶ自由だけは有り余るほどある。精々後悔しねえように、しっかりと考えるこったな」


 教員の言葉は、命のやり直しより余ほど効果があったようだ。

 根木と那須は顔を見合わせてから、反省するように身を縮こまらせた。

 

「マグナ先生って、たまに良いこと言うから手に負えませんね」

「生意気なこと言ってんじゃねえよ。お前のもちょっと見せてみろ」


 マグナが履修表を引ったくったが、命は特に抵抗しなかった。

 一般教養と東洋魔術を程よく混ぜた履修表は、昨日、黒髪の乙女が夜なべして作り上げた自信作である。取得単位数から一週間のバランスまでも考慮済みである。


 薄い胸パッドを張る命に、マグナは面白くなさそうな顔をした。


「つまんねえ履修表だな。こんなもん組むくらいなら、いっそ宮古に書いて貰えよ」

「宮古?」


 さらりと会話に混ざった人名は、耳馴染みのないものだった。

 眉を八の字に寄せる黒髪の乙女に違和感を覚え、マグナは那須に確認した。


「なんだ、ソロル制度のこと話してねえのか」

「あの……どうしても言い辛くて」


 那須は申し訳なさ気に顔を伏せたが、命はそれを咎める気はない。

 目下気になるのは、新出の『ソロル制度』というキーワードだった。


「なんですか、そのソロル制度とは?」

「ソロルってのは、ラテン語で姉妹を意味する単語だよ」


 不勉強な黒髪の乙女のため、マグナは昨日と同じ説明を繰り返した。

 ソロル制度とは、セントフィリア女学院高等部に伝わる伝統的な姉妹制度だ。新入生1~2名に対して、1名の上級生が姉として割り当てられるのが、当女学院の仕来りだ。

 姉は迷える妹を導き、また妹は導かれるばかりでなく、ときに姉を支える。

 女生徒双方の成長を促すことを目的に設立された制度である。


「で、昨日ちょうど姉妹同士の顔合わせがあったんだが」

「聞いてない!」

「だってお前、昨日の午前中も来なかっただろ」


 ちょうど、リッカが泣きじゃくっていた時間帯である。

 訳あってのこととはいえ、無償で愛を捧げてくれる姉との面会をぶっちぎり。今後の姉妹関係に修復不可能な傷を入れたのではと、黒髪の乙女は戦々恐々とした。


「安心しろ。お前の姉も用事があって、来れなかったからな」

「なんだ、それを先に言って下さいよ。もう、那須ちゃんも驚かせて」


 言うか、言わざるべきか。那須は逡巡してから口を開いた。


「あの……命ちゃんのお姉ちゃんを知ったら、みんな口を揃えて」


 ご愁傷様――と、本人不在の葬式が執り行われたそうだ。

 木魚と鐘が奏でるグルーブなビートが、命の脳内に浸透していく。


「ちょっと待って下さい! いったい何者なのですか、私の姉は。殺人許可証(マーダーライセンス)でも所持しているのですか」

「単純な魔法の腕前だけなら、高等部内でもトップクラスだな。宮古みやこは選抜合宿に参加するぐらいの実力者だし、オマケに……あの性格だからな」


 予想外の不在理由に、命は愕然とする。

 魔法少女の選抜合宿。あのリッカと同格の魔法少女であり、危険思想の持ち主。

 疑う余地もなく不味い。警戒警報(アラート)がけたたましい音を上げている。


「うわあ、命ちゃんのお姉ちゃんも楽しそうな人だね」

「替えて! 後生ですから、茜ちゃんの姉と交換して下さい」

「いやいや、そんな簡単に解消できるわけねえだろ」


 恥も外聞もなく拝み倒す命だが、土台無理な相談であった。

 姉妹間の仲が著しく悪い、或いは正統な理由がある場合、ソロルを解消することはできるが、黒髪の乙女の場合は少し事情が異なる。

 

 手を仰ぐマグナに向かって、命は声を潜めて問い詰めた。


「どうして、そんな人を充てがったのですか。ただでさえ、大変だというのに」

「いや、なんだ……まあ」


 目を泳がせてから、マグナは冗談めかすように真相を告げた。


「実は逆指名なんだわ。ちょーっとお願いごとしたら、『代わりに妹を逆指名』させろって喚くもんだからさ、新入生の書類渡してやったんだよ」


 そしたら、命が選ばれたというお話だった。

 黒髪の乙女は栄えある650名超の妹オーディションから見事に選ばれた、シンデレラガールだったのである。もちろん、一昼夜ではシンデレラの魔法は解けない。魔法が解ける条件は1年を無事に過ごすか、焼死体の灰かぶりになるか、2つに1つだ。


 両手で頭を抱え、黒髪の乙女は天を仰ぐ。

 その横で、そっと不良教師は席を外した。


「じゃあな。死なない程度に仲良くやれよ」

「お願いだから、待って下さい! せめて死なないようにアドバイスだけでも。何卒、何卒!」


 腰に手を回す命を鬱陶しがるように、マグナは上体を回した。


「離せ、もう決まったことだ! 往生際が悪い。それでもテメエはおと……めか――ッ!」

「乙女ですもの。今だけは女々しくても許されますもの!」


 女装であることを利用するほどに強かになり、命は堕ちていく。

 どうあっても離しそうもない女装野郎にため息をつき、マグナは揺さぶりを止めた。


「わあーったよ。情報ぐらいはくれてやる。那須と根木の姉が宮古と仲良いから、剣道部行ってみろ。後は箒部、あそこに去年の宮古の妹がいる筈だ」


 活路が開けたことで、多少なりとも命の溜飲は下がる。

 抱き着いた腕からは力が抜け、するりとマグナが腕の輪っかから抜けた。

 不良教師は、ぱんぱんと赤ジャージを払う。


「ったく。目の前のことに精一杯なのはいいけど、きちんと宿題は終えたんだろうな」


 命は、終えたか否かも即答できない。

 宿題、果たしてそれが何を指すのか定かではなかった。命のToDoリストは減る端から増える一方なので、昔のタスクは記憶の彼方だった。


 ぐいっと、マグナの手が命の頬を潰した。


魔力枯渇(パンク)のことだよ……調べろっつったろ」

「思ひだしましたから、外して下さひ!」


 空気が漏れる間抜け声でギブアップ。

 机をタップして降伏の意を示すと、万力じみた掌は命から離れていった。


「たまに世話焼くと、これだよ。那須は【戦乙女の門(ヴァルキリーゲイト)】について、ちゃんと調べてきたっていうのに」


 優等生詐欺と違って、那須は迅速にタスクを消化するタイプだ。

 【戦乙女の門(ヴァルキリーゲイト)】と【魔法少女の狭き門】の違いまで事細かにまとめ上げ、マグナにレポートまで提出したのに、黒髪の乙女はこの体たらくである。


「目の前の問題に右往左往するのもいいが、お前ももっと先を見据えとけ。言っとくが、こっちのが重要かもしれねえからな。きちんと調べねえと」


 言いさして、マグナは背を向けた。


「――止めた。あたしが教えたら、宿題の意味がねえからな」


「じゃあな」と、マグナはいつもの様に後ろ手を振って去っていった。

 理不尽なソロル関係、理不尽な課題。双方に命は頬を膨らませたが、それが魔法使いのために(あつら)えた道だということを、彼は未だ知らなかった。


(全くもう。魔力枯渇ぐらい聞き及んでいますよ)


 致命的な勘違いを抱えたまま、黒髪の乙女はタスクにチェックを入れた。




    ◆




 怒りは空気を淀ませ、良くないものをもたらす。

 だからこそ黒髪の乙女には、微笑みを絶やさないことが求められている。一見すると、微笑み続ける乙女は阿呆に見えるが、あれは計算尽くしの打算まみれである。


 一度乙女が微笑めば、人間関係は良好。学校や職場の雰囲気が良くなるどころか、長年悩まされていた持病も癒え、ふとした機会に最愛の人とも巡り会える。

 何気なく年末に買った宝くじは大当たりして、人生の勝ち組。札束プールも夢じゃないと、命の母さま――楓は豪語していた。


(そんな、雑誌裏の素敵石じゃあるまいし)


 そう思いつつも、命も前半部だけは肯定派だった。

 怒りは身を滅ぼすものであるというのは、母さまだけでなく父さまの教えでもある。女学院に向かう道中も怒りに我を忘れて、失敗をした身だ。

 二の鉄を踏むは乙女にあらず。大きく深呼吸して、命は怒気を散らした。


「履修組みはこの辺りで切り上げて、今日も部活巡りに繰り出しましょう」


 神々しさを増した微笑を湛え、命は外に赴いた。

 第一目標はあくまでも那須に合う部活・同好会を探すことであるが、その片手間で命が探している部活もあった。昨日は全く縁がなかったのだが、今日は運があったようだ。


 構内中央に設置された、三角帽子を被り箒に横座りした石像。

 いかにもな魔法少女の姿をした石像は、偉大なるセレナ=セントフィリアを象ったものである。女生徒が通称セレナ像と呼ぶ石像の前に、命の探し人はいた。


 ――奈落にGO! GO! ダンジョン探検部。


 そう記載されたのぼり旗を見ると、あれだけ探していたのに不思議と距離を置きたくなった。


「あっ、命ちゃんが探していた部活はっけーん! 隊長、私やりました。お手柄です」


 根木が大声で発見報告したものだから、気づかれた様子だった。

 全くお手柄ではないものの、命は褒めて伸ばす方針だ。根木の頭を撫でつつ、相手方を確認する。

 女生徒は、前傾姿勢で瞬き一つしない。どうあっても視線を外す気がないようだ。

 

(見られています。捨てられた子犬のような目で、凝視されています)


 おいでおいで、と手招きをされた。

 部員であろう女生徒は、唐突にのぼり旗を振り始める。ガツンと竿がセレナ像にぶつかり、顔を青ざめさせながら、ペコペコと偉人の石像に頭を垂れていた。


 見て見ぬ振りもできたが、あまりにも居た堪れない。

 慈愛にあふれた黒髪の乙女は、彼女の要望に沿うように近づいていった。


「あのう、こちらダンジョン探検部でよろしいでしょうか」

「そうです! あのう……ですはいっ! ダンジョン探検部です!」


 頭頂部でまとめた黒髪の尾を振りながら、女生徒は空回り気味に答えた。

 リッカほどではないが、背は命よりも10cm近く高く、顔立ちは涼やか。

 しかし面の美しさよりも、何より異彩を放つものが腰に下げられていた。


(これ、銃刀法に抵触するのではないですかねえ)


 スカートの上から巻いた特注の革ベルト。

 そこに差し込まれた二尺あまりの黒漆太刀は、さながら地下迷宮の苛酷さを物語っているようだった。


「私、スピナ=涼子と申します。副部長なんです!」


 何のアピールかは不明だが、命はスピナと握手を交わす。

 好感触だと思っているのか、わずかに副部長の口元が持ち上がった。


「ダ、ダンジョン探検部に興味がお有りですか」


 どもり気味ではあったが、スピナの会話は安定してきた。

 不器用さが随所に垣間見えるも、誠実な人柄に命は好感を抱いていた。


「ええ。ダンジョン探検部は楽しいのですか」

「はい――ッ!」


 気持ちの良い返事で、スピナは大きく頭を振った。


「一生ものの怪我を負う危険があり、ときに迷宮に骨を埋める方もいらっしゃいますが、とても楽しいですよ。あと保険にも入れません」

「全然楽しみを見いだせない――ッ!」


 誘い文句が物騒すぎるあまり、那須はスカートの裾を掴んで命の陰に隠れた。

 噂程度には聞いていたが、遙かに予想を上回る危険度。これには黒髪の乙女もドン引きである。一歩距離を置くと、慌ててスピナが手を伸ばした。


「待って下さい! これ言わないと、部活勧誘しちゃいけない決まりなんです」


 乗りかかった船であるし、何より命の退路は閉ざされていた。

 とある名工の情報に寄れば、迷宮探索は金になるという話だ。楓などは万年レッドカードだったが、迷宮富豪だったとすら言っていた。

 

(借金400万円……いや、それ以前に日々の生活を考えたら止む無し)


 喫茶店のアルバイトで賄えれば、それに越したことはなかったが、現状は1泊12,000イェンの宿泊費が足を引っ張り、出る物の方が多い状況だ。

 母さまが通った道を、子であり一番弟子でもある命が避けて通ることなどできなかった。


「もう少し、詳しくお話を聞かせていただいてもよろしいですか」

「ありがとう……たまに興味を持ってくれても、この辺りでみんな逃げちゃって。本当に、あじがとう」


 薄っすらと目元に涙が浮かぶスピナからは、相当の苦労が伺えた。

 命が差し出したハンカチで涙を拭うと、副部長は説明を開始した。

 ダンジョン探検部は危険を伴うため、あまり女学院側から推奨されておらず、冷遇されていること。部員が足りず、同好会に下げられそうなことを涙ながらに語ってくれた。


「それはさぞや苦労していることでしょう。部長や他の部員も、勧誘に奔走しているといったところですか」

「部長は張り切りすぎて病欠です。唯一の部員も、勧誘は金にならんとバイトを優先する始末で。私一人でどうしようかと、本当に途方に暮れていて」


 黒髪の乙女は、どうにも苦労人には弱い。花壇の石積みにスペアハンカチを敷くと、その上に座って仮入部届けを書いてあげた。


「なんだか楽しそうだから、私も書こうかな」


 続いて根木も仮入部届けを書くと、命は那須にも目を遣った。

 未だに後ろに隠れるおかっぱ少女はぶんぶんと頭を振ったが、ダンジョン探検部には計2人の入部希望者が増えたことになる。


「ありがとうございます。ありがとうございます」


 先ほどの表情が嘘のように、スピナの顔が明るくなる。

 本人は抑えているようだが、唇の両端がずっとひくついていた。

 一安心すると喉が渇いたようで、彼女は特注ベルトに差し込んだ細長い試験官を抜く。きゅぽんと木栓を抜くと、なかを満たす青い液体が波打った。


(これ……もしかして。似たようなものをRPGで見たことがあります)


 興味津々な三人の視線に気づいたのか、スピナは手を止めた。


「あっ、これ友人に貰ったものなんです。一本しかないのですが、良かったら」


 飲みませんか――と、言い切る前に場は一変した。

 スピナが柄に手を伸ばすのを躊躇した瞬間、彼女は三人の視界から消えた。

 横合いから女生徒が猛スピードでタックルを仕掛けたのだ。

 突然の奇襲で取り押さえられると、スピナの親指に指錠がガチャリと落ちた。


「よくやった、マイア。離すなよ」


 混乱する通りを割るように、一人の女生徒の美声が通った。

 時刻は午後16時20分。空は夕暮れに染まり、差し込む西日が眩しい。

 自警団団長オルテナ=シルフィードの指揮の下、容疑者確保に成功。


 闇ポーション所持により、スピナが現行犯逮捕された瞬間だった。

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