表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
魔法少女の狭き門  作者: 朝間 夕太郎
1年生 ―禁じられた遊び編―
67/113

第66話 灼熱のタパスラウンジ

 ――忘らるる 身をば思はず 誓ひてし 人のいのちの 惜しくもあるかな。


 平安時代の女流歌人、右近の歌が全て詠み上げられることはなかった。

 二音と半音。上の句の三音目が発せられたときには、乙女の払い手が紫電のごとく走る。誰も追いつけない世界が驚愕に染まるなか、一枚の札が畳を滑った。


 ――百人一首ですか。たしなむ程度ですが。


 そう言って微笑む乙女の幻は、すでに陽炎のように揺らめいていた。

 たしなむ程度など、とんでもない。一ヶ月の乙女修行を完遂した者にとって、平安時代の遊びは基本である。古くは貝合わせから遡り、百人一首に辿り着く。


 一ヶ月で平安から平成まで駆け抜けたが故の最速。

 囲んだ百枚の札の間を縦横無尽。瞬く間に春雷が閃いた。


「ふ、札を数えて下さい」


 呆気に取られていた審判が慌てて言うも、数えるまでもなく結果は見えていた。ガックリと肩を落とす百人一首同好会の会長と向かい合い、黒髪の乙女は深々と頭を下げた。


「ありがとうございました」


 審判の終わりの合図を受けて、両陣の乙女は声を重ねて握手を交わした。

 次いで、張り詰めた空間は、割れんばかりの黄色い声援で満たされた。


「こらっ、貴方たち端ない!」


 会長の注意にも、さした効果はなかった。

 当分鳴り止みそうにない声援が耳朶を打つと、黒髪の乙女は遅ればせながらも意識を戻す。

 しまった……またやってしまった、などと思っても、もはや後の祭りである。


(制御が利かなくなるのは、なんとかならないものですかねえ)


 刻み込まれた乙女の習性は、ときに本人の意志と関係なく動く。

 これはもう、短期間で強大な乙女力を手に入れた代償と諦めるほかなかった。


「さすがは、我らの黒髪の乙女! 向かうところ敵なし系!」

「あの……とても格好良かったですよ」


 熱烈な部活勧誘を丁重に断ると、黒髪の乙女は二人のお供を連れて行く。


 華道探求会、茶道愛好会、日舞研鑽会……渡り歩くあちこちの部活動で鍛錬の成果を発揮しつつ、黒髪の乙女は日常に回帰している最中だった。


 春祭りの混乱に巻き込まれてから、二日が過ぎた。

 隣におでこを出した元気娘とおかっぱ頭の小心娘がいると、日常に帰ってきたのだという思いがひしひしと湧き上がってくる。


 四月の第二週、部活勧誘禁止期間の解禁。

 黒髪の乙女――八坂命は、活気に湧く女学院の日常を満喫していた。


 彼は知らない。

 女装ライフを日常と思う時点で、かなりやばい領域に足を踏み込んでいることを。




     ◆




 薄汚れ、グラデーションがかかった白い石畳。

 幾多の魔法少女が踏んできた女学院の地面は、今日はいつにも増して元気な足音を響かせている。ある者は仮装に身を包み、またある者はスポーツ用品を掲げていた。


「ねえねえ、テニス部に入らない? 絶対に楽しいからさ」


「部活塔の203号室で、魔法細工の体験会始まるよー!」


「抹茶とお茶菓子目当てで構わないので、来てー!」


 新入生争奪戦に熱を上げる2、3年生が、校内のいたるところで声を張り上げている。謄写(とうしゃ)版のチラシを山ほど持った新入生は勧誘に追われていたが、誰もあまり辟易した風ではなかった。


「ふあーあ」


 部活勧誘で周りが浮足立つなか、命は口元を押さえて上品に欠伸していた。どっしり構えているというより、寝不足が祟っているというのが正しい。


 春祭り2日目。根木と屋根で戯れている間に、時計の針は日を跨いでいた。

 鍛冶屋ディルティ宅に宿泊したものの、当然ながら二人の目を気にして熟睡することもできず。命は半ば徹夜状態で、早朝から王都を後にした。

 どうにもリッカのことが頭に引っかかり、居ても立ってもいられなかったのだ。


 ――命ちゃん、待ってよ。私だけ置いてっちゃ嫌だからね。


 バスも馬車も、河川を渡るゴンドラも寝静まっている時間帯である。行きのように乗り継ぐことも叶わない。元気ハツラツな根木を後ろに乗せて、命はおよそ100kmの箒の旅をしてきた。


 自転車と似たようなもので、二人乗りもコツを掴めば直ぐだった。

 うつらうつら、命は朝焼けに焼かれながら二人乗りの箒を走らせた。途中、リプロン川に落下しかけるなどのハプニングに見舞われながらも、無事帰還に成功したのが今朝のことである。


「命ちゃん、とーっても眠そうだけど、大丈夫かな」

「私はむしろ、なんで茜ちゃんがそんなに元気なのかが不思議なのですが」

「遊び人だからね! 48時間遊べます!」


「睡眠なんて欲しがりません。勝つまでは!」と、彼女はどこかの空にいるやもしれない遊びの神さまに敬礼を決めてみせた。

 勝ち負けの基準はまったくもって謎だったが、相変わらずの友人に二人は微笑む。


「えっと……次はどこを回りましょうか」


 那須がわたわたと部活紹介の冊子を開くと、命は本能の赴くままに紙面の一点を指さす。

 細くしなやかな指先にあるのは、料理部。

 不眠不休で飛び回っていた黒髪の乙女は、食事をご所望だった。タダ飯の匂いを嗅ぎ分けるあたり、疲弊していても命レーダーは健在である。


「家庭科室だから、教育棟の方だね。レッツラゴー!」


 根木が右手を突き上げると、一行は部活塔を離れた。

 総面積100万平方メートルを超える高等部の敷地内は未だに謎が多く、不親切なキャンパスマップをくるくる回しながら、悪戦苦闘する新入生も少なくなかった。


 校内に7つある教育棟から、命たちは家庭科室のある2号館に行き着く。

 白レンガが積まれた教育棟は武骨な箱のようだが、目を凝らすと随所に細かな違いが見られた。風雨で傷んだ部分はあるものの、壁面に刻まれた模様が差別化を図っているようだ。

 アラベスク、幾何学、スグラフィット……見れば見るほどに意匠が施された建物だった。


(うーん。セントフィリア風建築もなかなか乙なものですねえ)


 ゆっくり建物を見る暇などなかった命も、これにはご満悦であった。

「早く、早く」の声に急かされて、惜しみつつも教育棟2号棟のなかへと入った。


 目的地である家庭科室には、香ばしい匂いが充満していた。

 新入生歓迎に向けての準備は万全である。キャスター付きの木製カウンターには、料理トレイが並ぶ。スペイン小料理屋の雰囲気を再現した出し物のようだった。


「おや? 命たんじゃないか。黒髪に戻したのかい」


 命は、思わず肩から崩れそうな愛称で呼ばれた。

 流しとコンロを備えた机の一つにいたのは、ルバート=ピリカだった。爛々と輝く猫目に誘われて、命たちも彼女の席にお邪魔することにした。


「ええ。先日はどうも、おかげさまで大助かりでした」

「よせやい。私と命たんの仲じゃない。闇の炎を統べる私の勇姿を見せられなかったのは実に残念だが、そこはおいおい魅せてあげよう」


 命たんと呼ばせるほどに親密なのかは、さておき。

 春祭りで窮地を救われたのは、紛れも無く事実である。そのときの感謝を思えば、『命たん』という不名誉な呼称も甘受せざるを得なかった。


「良いなあ……命たんって呼び方。私も断固として真似したい系!」

「ダメですよ。呼び名は『ちゃん』付けで決着が付いたじゃないですか」

「そうだよ茜ちゃん。あんまり無理を言うと、困ってしまいますよ……命たんが」

「さりげなく呼ぶの禁止――ッ!」


「命たんも、茜ちんも、那須こんも、相変わらず仲が良いなあ」と、変なあだなを付けるスペシャリストがまとめた。


「そういえば、今日は珍しく一人ですね」

「いつも一緒というわけじゃないさ。私は孤高を愛する者だからな」

「つまりは、ぼっちなんだね、ピリカちゃん!」


 根木の意訳に、ルバートは頭から机に落ちた。


「ダ、ダメだよ茜ちゃん。こういうのは……デリケートな問題だから」

「ええい、その慈悲と慈愛に溢れた瞳を即刻止めるんだ、那須こん! 私がこうして一人でいるのも深慮遠謀を巡らせた、全ては考えあってのことだ」

「考えですか」


 命が尋ねると、ルバートは「あっ」と間の抜けた声を漏らす。

 口を滑らせた自己嫌悪に陥ってから、彼女は静かにため息を一つ落とした。


「まあいい。どの道、話をしなければなるまい。そこで待っていると良い。この悪のカリスマが、料理を持ってきてやろう。嫌いな物はあるか? アレルギーは大丈夫か? 何でも応えてやるぞ」


 一体悪のカリスマとは何なのか。もはや彼女は単に善良な一女学生ではないのか。深く考えないようにして、命は感謝の言葉とともにルバートの背中を見送った。


 ご好意に甘えて料理を待つこと五分。

 肉と野菜どころか、色合いにまで心配りした美しい小皿がテーブルを飾った。

 これには黒髪の乙女も瞠目せずにはいられない。今まで命が見てきた女生徒のなかでも、ルバートは一二位を争うほどの乙女力を秘めていた。


「さあ、昼下がりの宴を始めようか」


(……実に惜しい。これさえなければ、逸材なのに)


 根木はコロッケに似たクロケッタをむしゃりと、那須にイカの墨煮に手を伸ばしていた。スペイン料理に食欲と興味を唆られる二人は一旦置いて、命は話を再開した。


「それでお話というのは、ルバートさん」

「その前にだ。下の名前で良いよ、命たん。なんなら愛称も可だ」

「では、改めて」


 コホンと小さく咳払いしてから、命は仕切り直す。


「それでお話というのは、ゆめぴりかさん」

「……すまん、命たん。自分から振っといて何だが、すっごく美味しいお米みたいな愛称は止めてくれ。私は米よりパン派なんだ」

「別に構いませんが、むしろよく知ってましたね」

「昔、和菓子の開発に嵌っていた時期があってな。外米はクッソ高くて頓挫したが、お米を使った和菓子なんかもあるだろう」


「ポン菓子が入った人参が恋しい系」「あれ、美味しいですよね」という、背景のほのぼの会話を聞き流しつつ、改めて命は仕切り直す。テイク3。


「それでお話というのは、ピリカちゃん」

「そうだな。無難だが、まあそこら辺が落とし所だろう」


 うんうんと頷いてから、ルバートは声の調子を変えた。


「私は、正規の魔法少女になる道を選ぶことにした」


 しんと、水を打ったように周囲は静まり返った。

 ルバートの言葉の重みを、その場にいる女生徒の誰もが知っている。ましてや彼女の世代には、押しも押されもせぬ魔法少女が集まっているのだ。


 見知らぬ女生徒が眉を顰める。無謀だというひそひそ話が聞こえる。それでもルバートの朱色の瞳は静かに燃え続けていた。


「そうですか。ピリカちゃんの健闘を期待していますよ」


 命の返答は薄く、それが意味するところをルバートも知っていた。


「無理に祝福して貰う必要はないさ。命たんは……リッカに肩入れするのだろう」

「ええ、まあ。隠しても仕方ないですし、良い機会なので言わせていただきます。この一件に関しては、私は全面的にリッカに肩入れするつもりです」


 黒髪の乙女の宣言に、静まり返っていた家庭科室がざわついた。

 姿を消し、沈黙を守っていた"翆の風見鶏"が動き出す。

 1年生のみならずとも聞き逃せない、衝撃的な発言だった。


「あの鷹女のどこに魅力があるのか……というのは、命たんに失礼か」

「間違いですよ、ピリカちゃん。それはリッカに失礼な言葉です」


 微笑に威圧感が乗ると、おろおろと那須が視線を彷徨わせた。


「……あまり睨まないでくれ。せっかくの可愛い顔が台無しだ。それに私はあいつは嫌いだが、命たんのことは好きだから喧嘩したくない。不快だったというのなら、平に謝罪しよう」


 斜め45度に深々と頭を下げる姿には、誠意が滲み出ていた。

 命は熱を上げ過ぎたことを恥じて、頭を上げて貰うように促した。


「……すいません。寝不足で少々気が立っていたようです。こちらこそ言葉が過ぎました」

「謝らないでくれ。実を言うと、この悪のカリスマも、灰色の脳細胞を駆使してカマをかけていたのだ。親友に蝙蝠の真似をさせるのは些か気が引けてな。むしろハッキリと言って貰えて、すっきりとしたぐらいだ」

「参考までに聞きますが、もしも私が貴方に肩入れした場合は?」

「嬉しいのは事実なんだが、少し命たんを軽蔑したかもしれない」


「もちろん、嫌いになるなんてことはないからな」と、ルバートは慌てて両手を振った。悪のカリスマが底抜けに人の良い女生徒で、命はホッとした。

 春祭りの騒動といい、黒髪の乙女は闘争など御免なのである。

 命の深層意識に同調したかのように、那須が大きく息を吐いた。


「おお悪かったな、那須こんよ。こんな剣呑な空気にする気ではなかったのだ。茜ちんも……いや、茜ちんはもう少し空気を読んだ方がいいぞ」


 チーズの食べ比べをしていた根木は、ヤギのチーズを頬張りながら顔を向けた。


「へっ、何で? 命ちゃんなら、丸く収めてくれるって信じてるもん」

「ふーむ。茜ちんは見かけに寄らず、大物だな」

「何を隠そう、私は大物なのですよ。そして命ちゃんはもっと大物系!」


 しゅんとする那須の頭を、命は撫でておく。

 別に那須が臆病なのではなく、根木が豪胆なのだと、優しく手のひらで教える。


「おっと。話が脱線したが、聞きたいことがあるのだ」


 ルバートは口元に手を寄せて、声を潜めた。


「その、なんだ……コメリンは元気か」


 ルバート一味の一人である、ドドス=コメリカ。

 太っちょで心優しいクラスメイトの姿が頭に浮かぶも、命には答えようがなかった。


「すいません。私そもそも、あまり女学院に通っていないもので」

「……命たん。悪いことは言わないから、学校には通おうな。魔法の勉強なんて、社会に出て何の意味があるのだ言う輩もいるが、学ぶことに意義があるのだ」


 両肩に手を置かれて、半不登校児は本気で心配された。


(一応、今日の午前半休は理由があるのですが)


 言えない。

 泣きじゃくる"翠の風見鶏"を宥めていたなど、リッカの名誉のためにもだ。

 午前中。涙声の会話を必死に聞き取り、命は彼女を落ち着かせてきたのだ。一応、午後から登校するかも聞いたのだが、「ややぁ」と泣きはらした顔で断られてきた経緯がある。


 女神の恥を晒すわけにもいかず、命は堪らず那須にパスした。


「えっと……ちょっと言いにくいのですが」

「嫌われているのか、やっぱりコメリンは嫌われているのか」


 ルバートは必死の形相で肩を掴む。那須の小さい頭が前後にぶんぶんと揺れた。


「止めて下さい! 那須ちゃんが目を回しています。それに嫌われているということは、ないと思いますよ」

「うるさい。不登校児に何がわかるというのだ!」

「それ言ったらいけない空気だったでしょ、今!」


 荒げた息を整えてから、ルバートは正気を取り戻した。


「すまない。どうしてもあいつらのことになると」

「だ、大丈夫ですよ……えっと、本当に嫌われているわけではなくて」


 溶け込めていないのだと、那須は私見を述べた。

 ドドスは人見知りこそするが、性格の悪い女生徒ではない。クラスの雑事もきちんとこなすし、1-F内においても別段評判が悪いわけではないのだ。


「ただ、グループが出来上がってくると、なかなか人の輪に入れないようで。紅花(ホンファ)さんや小喬(チャオ)さんも気を遣ってくれているのですが……私も同じような境遇なので、気持ちは良くわかります」

「ちょっと待って下さい。その口ぶりだと、那須ちゃんも心配なのですが」

「だって……命ちゃん、あんまり来てくれないから」


 命に向ける那須の半眼は、湿気を帯びていた。


(不味い……私の不登校が、知らないところで悪い影響を及ぼしている)


「やっぱり命たんは、ちゃんと学校に通うこと。良いか、悪のカリスマとの約束だぞ」

「そして1-Bにも定期的に遊びに来ること。茜ちゃんとの約束だぞ」

「さりげなく増やさないで下さい。あそこだけは凶暴な金髪お嬢さまがいるので嫌です。ご足労かけますが、ぜひ1-Fに遊びに来て下さいね」

「来ても無駄だよ、茜ちゃん……どうせ、1-Fには命ちゃんいないから」

「やさぐれないで下さい! 今週からはしっかりと通いますから」

「本当! ありがとう命ちゃん。嘘ついたら……先曲げとじ針千本だよ」


 なぜ先端が曲がっている上に、極太の針をセレクトしたのか。

 那須の本気を垣間見た命は、心の奥底から学校に通おうと決意を固めた。火あぶり打首エンドはまだしも、針千本エンドなど死んでも死にきれない。


 命が冷や汗を垂らしている横で、ルバートは頭を抱えていた。


「ああ……もう。あいつもなのか」

「『も』と言うと、もう一人のクルトさんもですか」

「そうなんだよ、命たん。あいつ、私は一人でも平気ですよ、なんて風に装ってるけど、意外とダメな子なんだ。机で寝てるときは、必ず寝たフリだもの」

「なんて殺生な。恐ろしいところを見抜きますね、貴方は」

「くくく……命たんよ、よく覚えておくと良い。この血に染まる識別眼に狂いはない」


 目薬を差し出そうとする根木を制して、命は話を続ける。

 厨二病とアホの子に真面目に付き合っていると、日が暮れても会話が終わりやしないのだ。


「ピリカちゃんが心配性なのはよくわかったのですが、それなら遊びに行ってあげたらどうです」

「あの……私もそう思います。ピリカちゃんが遊びに来てくれたら、きっと二人とも喜ぶんじゃないでしょうか」

「ならん。それだけは駄目だ」


 ルバートは、二人の意見をキッパリと突っぱねた。


「私が正規の魔法少女になる道を選ぶと言ったとき、あいつら何て言ったと思う」


 彼女はゆったりとした太い声を作り、


「うわあ、やっぱピリカはすげえなあ。なんでも手伝うから、言ってくれよなあ」


 声音を変えて今度は無気力そうに、


「ふうん。まあ無謀だとは思うけど、暇つぶしぐらいにはなりそうだな。手伝ってやるよ」


 二人の友人の真似をすると、最後に鼻で笑った。


「――だってよ。何が手伝うだ、笑わせてくれる。悪のカリスマも、これには抱腹絶倒である」


 ルバートが言い切ると同時。ガシャンと机の上の食器が跳ねた。

 握り拳を振り下ろした根木が、剥き出しの闘志をルバートに向けていた。


「その言い草は酷いよ。友達のことをバカにしたら、怒るよ」

「今日はつくづく誤解を生む日だな。別に馬鹿にしてるわけじゃない」

「だったら、何でそんな言い方するの! 友達は大事にしなきゃ駄目だよ」

「無論、大事だからに決まっているだろう」


 大事なのに、ないがしろにする。

 ルバートの矛盾を孕んだ発言に、根木の頭は熱暴走寸前だった。


「あいつらの発言には、どこか主体性がない。私を手助けしたいという気持ちも嘘ではないのだろうが、本当にそれだけか。どこか友達に乗っかって、楽をしようという気持ちがないと言い切れるか」

「そ、それは。でも友達は――」


 すっ、と。命は手を伸ばして、根木の発言を遮った。


「ダメですよ、茜ちゃん。貴方の主張は大好きですが、こればかりはピリカちゃんが正しい」


 二人の友人が脇を固める命にとって、彼女は酷く寂しげに映った。


「だから今日は……独りなのですね」

「三年間を棒に振るかもしれない夢に、クルとコメリンは付き合わせられないからな。あいつらには、校内を回って部活にでも入ってこいと指令を下した。悪の組織は構成員にも非情なのだ」

「全く、本当に酷い人ですね。貴方があまりにも冷酷なので、お二人に会ったら、親切にしてしまいそうです」

「くくくっ……人の情に付け込むのも、悪の常套手段さ」


 心配事がなくなると、ルバートは席を立った。

 姉にしつこく勧誘を受けたので、自警団を見に行くのだと言った。


「最後に一ついいですか」

「なんだい、命たん」

「貴方は、なんで正規の魔法少女に成りたいのですか」


 ルバートだけではなく、リッカもオルテナも言っていた。

 正規の魔法少女に成りたい、と。

 その感情は、いまひとつ命には理解しかねた。正規の魔法少女に成るということは、魔力摘出手術を後ろ伸ばしにするということ。いわば命が求めるものとは対極に位置する思考である。


 毒が回るリスクを犯してまでも、なぜ憧憬を追い求められるのか。

 命は純粋にその答えを知りたかった。


「初めは、単なる憧れだった。小さいころは特に意味もなく、成りたい成りたいと言っては、『馬鹿なこと言ってないで家業を告げ』と怒られたものだ」


 ぽつりと、独白するようにルバートが声を落とした。


「けど、いつの日か気づいたのさ……この国の絡繰りに。セントフィリアは魔法至上主義なんだ。商業にしろ政治にしろ、この国の上層部に居るのは魔法少女輩出の名家ばっかだ」


 外から来た者に、彼女は問いかける。


「なあ、命たん。魔法が不得手だってのは、そんなに悪いことなのか。国のために提供できる魔力総量が少ないというのは、負い目を感じるほどに悪いことなのか。外の世界には、魔法なんてなくたって平等な世界があるんだろ」

「……そうですね」


 それが欺瞞だとわかっている。

 魔法がない世界にだって無数のしがらみが存在し、ルバートの知らない差別が広がっている。命はそうと知っていながらも、彼女の情熱に水を差せなかった。


「たとえ魔法がダメでも、この国には良いやつが一杯いるんだよ。魔法が使えないことは悪なのか」


 魔法による差別がない世界。

 それがルバートの夢見た理想だった。


「それが悪だというなら、私が飲み込む。たとえ魔法がダメでも、私には守りたい友達がいる。この国の歴史を否定するのが悪だというなら、私が喜んで悪のカリスマを拝命してやろう」


 夢を追う者、夢を叶えた者。その総数だけ存在するであろう答え。

 幾多の夢が瓦礫に埋もれることを知っていても、彼女には叶えたい夢があった。


「――なんてな。不貞腐れていた奴が言える台詞じゃないんだけどな。本当は料理部に来たのだって、夢破れたら家業を継がないといけないわけだからであって……すごく恥ずかしい」


 両手で顔を覆うルバートに、命を含めた誰もが何も言えなかった。

 同意も同情もなく、ただ言葉を失う。家庭科室には50名近い女生徒がいたが、彼女に比するほどの野望を抱いた者は一人としていなかった。


「ちょいと頭を失礼」と、ルバートは命の頭を両手で寄せた。


「私が言えた義理じゃないが、あの鷹女のことを頼む」

「……気づいていたのですか」

「言っただろう、私の識別眼に狂いはないと。もっとも、あいつが何も言わない以上、私も何も言う気はないがな」


 演舞場で手を合わせたときに違和感を覚え、春祭りでの失態を目撃したときには確信を得ていた。


 何百、何千と"翠の風見鶏"の才能の前に吹き飛ばれてきたルバートだからこそ、わかるものがある。リッカがルバートの思考を先読みするように、彼女はリッカの深いところを理解している。


 認めているからこそ、死んでも褒め言葉などは口にしない。

 "翠の風見鶏"は、同じ夢路を走る競争相手だ。相手を上げることは自分を下げることにほかならず、拒絶は悪態を生む。命の前でなければ、ルバートはリッカの不幸を喜び、おちゃらけていたかもしれない。


「良いのですか。敵に塩を送るようなことを言って」

「見くびって貰っちゃ困るぜ、命たん。運命(ディスティニー)に導かれるからこその、宿敵なんだ。それに……いや、何でもない」


 ――あいつがいない道の上を往くのは、つまらない。

 飲み込んだ本音は、喉を焼くほどに熱い。いつだってルバートの前には、リッカがいたのだ。ぜいぜい息を切らして、必死こいてそいつを追い越すから、最高に燃えるのだ。


「いずれ乗り越えてやるさ……すべてな」


 最後に弱々しく「三カ年計画でな」と付け加えると、ルバートは扉前で料理部の仮入部届けにサインしてから家庭科室を辞した。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ