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魔法少女の狭き門  作者: 朝間 夕太郎
1年生 ―翠の風見鶏編―
66/113

第65話 背の低い男

 カフェ・ボワソンで一騒動あった翌日。

 女学院は、ある噂で持ちきりだった。

 シルスターの蛮行を許すまじと、オルテナ会長が中等部のキャンパスに乗り込む――その手前で、同学年の東洋魔術師が待ったをかけたのだ。


 西と東の双璧を成す魔法少女の戦いは凄まじいもので、興奮冷めやらぬといった様子で女生徒たちが騒いでいた。

 正規の魔法少女の座を争う儀式――選定会セレクションの前哨戦だという声はどこか遠く、縁のない話題のように思えた。



 ……あたしは、何をしているのだろうか。



 治療は、完全に壁に突き当たっていた。

 医者から一定の治療効果を認められ、対人訓練に移ったものの、あたしを待ち受けていたのは行き止まりだった。


 撃てないのだ。

 どんな工夫を凝らしても、人に向けて魔法を行使しようとすると拒絶反応が出てしまう。


 人の形を模した黒い靄。

 そいつが、おぞましい声で囁いてくる。

「妹の夢を殺したのはお前だ」「親友を危機に追いやったのもお前だ」と。耳を塞いでも、髪を掻きむしっても、あいつが消えてくれない。


 心臓が跳ね上がり、罪悪感が迫り上がってくる。

 急激に膨れ上がった暗い感情はストレスに変換されて、決まって過呼吸を連れてきた。床に落ちる度に人としての尊厳が磨り減り、二酸化炭素を求めて身体が悲鳴を上げた。


 電流が走ったように跳ねる姿は惨めで、自分一人じゃ何一つできやしない。症状が落ち着くまではひたすらに苦しくて、ただただ惨め。

 誰かに助けて欲しくて、それでも一人で乗り越えるしかなくて。


 不良教師や医者が何度も知恵を絞ってくれたが、駄目だった。

 心の病の治療法には答えがなくて、延々と成果が出ない日々を往復する。初めから、この問題には答えなどないとすら思えてきた。


 再燃する焦燥感に焼かれて、時も忘れて訓練に励む。

 恥も外聞も捨てて、アイリ先輩とスピナ先輩にも事情を打ち明けて、協力を求めた。一部の情報を伏せることで、医者に内緒で時間外の訓練にも打ち込めるようになった。


 とにかく必死だった。今足が着いている場所より、一歩でも前に。

 どんなに辛かろうが、対処を誤らなければ過呼吸では死ねないのだ。倒れても、心を削られても、がむしゃらのままにひた走り続け……そして、大事なことを忘れていた。


『ウルシ=リッカさん、ウルシ=リッカさん。至急――』


 地下にも響く魔法石の校内放送は、汗まみれの身体を一気に冷やすものだった。



 挙動不審の中年女性が正門前を行ったり来たり。

 何か困りごとがあるのかと親切な高等部生が訪ねると、彼女は物凄い剣幕で迫られた。


「娘はどこだ、娘はどこだ」と。何度も何度も。


 恐怖に駆られた女生徒は咄嗟に逃げるも、背中に体当たりを受けて転んだ。

 周囲が様子のおかしさに気が付き始めたころ、「返せ、あたしの娘を返せ」とひび割れた声が夕焼け空に溶けていった。


 異常を聞きつけた事務員に抑えつけられてもまだ、中年女性は吠え続けた。

 身をよじらせ、唾をまき散らしながら「返せ、あたしの娘を返せ」と。



 職員室には、顔に擦り傷を負った母親の姿があった。

 欠片も罪悪感を抱いていない様子で、あたしの元に喜び勇んでやってくる。


「もう。帰りが遅いから、心配になって来ちゃったじゃない」


 何気ない母親の第一声に、思わず声をかける機会を逸した。


「今日はね。リッカが好きなハンバーグを作ったの」


 危ういところを行ったり来たり。母親は正常の異常の間を揺れていた。

 なんとか目を覚まさせたくて、両肩を掴んで「母さん」と叫んだ。


「昔、一緒にハンバーグつくったときは大変だったわね。不揃いで焦げ焦げなのがいっぱいできちゃって。二人で苦い顔して食べたの覚えてる?」


 母さん、と悲鳴にも似た声が出た。

 三人の思い出を二人の思い出にされるのだけは、耐えられなかった。肩を掴む手に力が入ると、母親の素面が途端に崩れた。しわくちゃの顔の溝を涙が伝っていく。


「だって……寂しかったの」


 その日は、週に一度家に帰る日だった。

 赤子のように泣く母親を落ち着かせたのち、帰路につくと、家のなかは無残なものだった。横倒しのテーブル。千切れたカーテンは散らばり、砕けたガラス片が綺麗な夕日の色を写していた。


 わからない……もう、母親にどう接したら良いかがわからないよ。


 宙ぶらりんの暗闇のなかで、あたしは一人ぼっちだった。

 入学準備で多忙を極めた不良教師との距離は空き、心の支えであったナナカも消えた。ハラカンにも、もう冬休みから会っていない。……合わせる顔がなかった。

 

 ――ごめんね。リッカちゃんとは、もう勝手に付き合えないの。


 ある日、スピナ先輩が申し訳なさ気に頭を下げた。

 嘘がバレたのだ。医者から注意を受けたことで、時間外の訓練は付き合えないと申し出てきた。当たり前の話で、彼女が正しいに決まっていた。


 なのに、あたしはスピナ先輩を罵倒してしまった。

 ダンジョン探検部なんて部活に入ってる時点で無神経なんだ。あたしの境遇を知って、よく部活の話などできるものだと。関係のないことまで持ち上げて、支離滅裂な言葉で責め立てた。


 スピナ先輩は、一言も反論しなかった。

 口を一文字に結んで、じっと堪えてから、演舞場から去っていった。

 アイリ先輩は「心配ない。スピナもわかっている」と慰めの言葉をかけてくれたが、わかってくれてる人と再会できないのは何故だろうか。


 渋々付き合ってくれていたアイリ先輩も、次第に足が遠のいていった。

 寝坊しただの、今日は雨が降っているだの、適当な理由をつけては演舞場にやって来なくなった。彼女はわかっていたのだ。自分が手伝わなければ、あたしの無茶に付き合ってくれる人がいないことを。


 それが親切心からくる行動であったとしても、酷く胸にこたえた。

 延長した期限である四月はすぐそこに迫っていた。中等部の同級生は胸を張って進学してくるのに、あたしだけ何も得ることもなければ、成長することもない。そんな状態で肩を並べるのは堪らなく嫌だった。


 焦りは焦りを呼び、日々何かがあたしを脅かしていた。

 何か一発逆転できる方法はないものかと、本気で考えていた。藁にもすがる思いだったからこそ、あたしは直ぐに美味しい話に飛びついたのだろう。

 

 久々に地下2階に降りてきた不良教師は、ある話題を持ってきた。

 それは、正規の魔法少女候補生を連れて選抜合宿を行うというものだった。


「実を言うと、体の良い隔離なんだけどな。高等部が安定するまでの間は、問題児にはご退場願おうかと思ってな」


 高等部の雰囲気が荒れることを懸念して、案じた一計が選抜合宿だった。

 セントフィリア王国出身者のみが集まる中等部よりも、外部入学者も受け付ける高等部はさらに魔法の腕前に開きが出る。不安定な状況で問題児を投入するのは危険だと、女学院側は判断していた。


「形だけは予選会も設けるし、鼻をへし折る係も一人サポートでつける気だ。帰ってきたときには真っ当な女子高生になってるってのが理想だが……まあ無理だろうな」


 才媛どもは向こう三週間は帰ってこないから、安心しろ。

 不良教師はあたしを安堵させる意味合いがあってそう言ったのだろうが、選抜合宿の話は彼女の期待とは逆の方向に働いた。


「その予選会ってのは、あたしも出られるのか」


 予想外の申し出だったのだろう。不良教師は目を瞠った。


「そりゃ……手続きを踏めば、もちろん出られるが」


 顔を強ばらせると、彼女は低い声で容赦なく続けた。


「――止めろ。大怪我してからじゃ遅えんだよ」


 途端に空気が重くなる。

 魔力など一滴も残っていない身であれど、不良教師の身には虎が宿っていた。湖面のような静けさに荒々しさを秘める、獣の威圧感に飲み込まれそうになる。

 だが、ここで退くわけにはいかなかった。

 

「大丈夫だよ。最低限は対抗できる武器がある」

「渡り合える? キッドの真似ごとと、あの子供だましでか」


 不良教師は鼻で笑い、吐き捨てた。

 訓練に付き合ってきた彼女には、あたしが才媛どもに対抗するのがどれだけ絶望的だったのかをよく知っていた。


 手持ちの武器は防御一辺倒の吹き流しと、当たらない攻撃魔法のみ。

 端から相手に当てる気がない魔法なら、対人相手でも使える。コントロールの精度如何では、騙し騙し相手をすることは可能だ。

 吹き流しと併用すれば、ある程度の猛攻も凌げる自信はあったが……彼女たちはモノが違った。

 

「止めとけ、止めとけ。よしんば上手くいっても、時間を稼いで終わりだよ。あいつらが本気で攻めてきたとき、今のお前に何ができるってんだ」

「覚悟を決めることができる」


 追い詰められて、追い詰められた先に、差し込む一条の光明がある。

 袋小路に追いやられた鼠が何をしでかすか、賭けてみる価値は十二分にあった。後は心構えひとつあれば事足りる。


 覚悟のほどを確かめるように、不良教師は瞳の奥を覗き込んできたが、決して視線だけは逸らさなかった。

 必死の形相で瞬きを抑えていると、彼女は肩を竦めた。


「あー、こういうとき本来は止めなきゃなんねえんだけどな」


 がりがりと橙色の髪を乱し、不良教師は獰猛な笑みを浮かべた。


「面白え……やってみろよ。その博打、あたしは嫌いじゃねえよ」


 背中に吹く追い風を感じた。

 この機会にありったけを賭けていた。来る予選会に向けて、悔いのない日々を送れたという自負だってある。限られた条件下で、あたしは最高のコンディションに仕上げてきたのだ。

 漲るものがある。心の底から燃え上がる覇気がある。


 だからこそ――簡単に終わってしまったのかもしれない。


 終わりの告げたのは、乾いた骨の折れる音。

 苦悶の声を絞ってのたうち回るあたしの前には、アレクが立っている。興味が失せた深紅の瞳は、あたしを風景と一緒くたにして眺めていた。


 用意してきた駆け引きも覚悟も、何一つ用を足さない。

 本物の喧嘩屋の前では、偽物の闘志など透けて見えているようだった。


 骨も矜持も覚悟もすべて、へし折られてしまった。

 全身全霊の代償は重く、全てを虚無の彼方に持ってかれてしまった。

 ああ……あたしは、もうダメなんだ。ここは暗く、一条の光すら差し込まない。幾度と無く這いつくばってきた筈なのに、もう起き上がれそうになかった。


 その日、あたしは星空に掛けた銀の梯子を下ろした。

 

 それからは、何の目的もなくカフェ・ボワソンに入り浸る日々が続いた。

 無気力で無生産で無計画。医者との定期面談もすっぽかし続けて、怪我をひた隠しにした。折れたものの全貌を晒せない。見栄だけが凝り固まった自分はひどく滑稽で笑えた。


 安息の地に篭もる日々は、居心地が良かった。

 マスターも何も言わずに成り行きを見守ってくれる。アイリ先輩も普段と変わらぬ態度で接してくれる。優しさに寄りかかるだけの、甘くて愚かな時が80's音楽に乗って流れていく。


 何が、カフェ・ボワソンの女神だ。

 張りぼての看板だけで安息の地を守るだけの、仕様もない女だ。


 あたしの役目は、ただ本の世界に逃避することだけだ。

 時折揺れるドアチャイムに意識を戻されて、来客を見流しては本の世界へと潜っていく動作をひたすらに繰り返していた。


 カランコロン、と鐘が来客を知らせる。


 腰まで伸びる、絹のような黒髪が柔らかに揺れていた。

 見流す筈だった瞳は、たちまち麗しい乙女の相貌に魅せられる。

 黒髪の乙女と呼ぶに相応しいそいつは――男だった。


 八坂命と出逢ったとき、あたしの暗闇には確かに一条の光を差し込んだ気がした。




     ◆




 八坂命は文字通り、魔法使いと呼ぶに足る人物だった。


 ――わかった風な顔で言えれば楽ですがねえ。努力した以上、努力したからこそ簡単に諦めがつかないことだってあります。


 神秘などに頼らずとも、命の言動は誰かに魔法をかける。

 発破をかけられたルバートのみならず、第三者のあたしすら動かせみせた。もう一度星空に銀の梯子を掛けてみようと思わせた。


 最後に吐き気こそ催したが、あの【竜巻(トーネード)】の感触は今もこの手に残っている。あたしは確かに人に向けて魔法を撃てたのだ。まだ終わってなどいないのだ。


 度し難いHentai女装露出狂ではあるものの、放っておくことなどできなかった。姉妹で夢見た路はまだ続いているのだと教えてくれた恩人を、邪険にすることなどできなかった。


 ――なら人捜しを頼みたい。もし引き受けてくれれば、今回の件は目をつぶってやっても良い。


 嘘だ。

 交換条件などなくても、命を許してやろうかと考えていた。

 もちろん、心の奥底ではどこか期待を覚えていた。この魔法使いは、二度と会えないと思っていた妹に、あたしを巡り合わせくれるのではと。



 ――えっ、手前まさかトイレに入るのか。



 あたしと一緒に女子トイレに入るような、デリカシーの欠片もなくて。



 ――なんで貴方、左手の骨折を隠しているのですか。



 少し抜けている癖に、妙なところでやけに勘が鋭くて。



 ――貴方が腕を固定してくれるなら、私は喜んで嫌な奴になります。



 不覚にも、ときおり格好良いと思わせる言葉を恥ずかし気もなく言う魔法使いだ。


 気がつけば、自然とあたしの目は命を追っている。

 文句を呟きながらも、命の側にいることに居心地の良さを感じていた。

 あたしはもう、多くの女生徒が作り上げた"翠の風見鶏"という虚像は演じられない。けれどそれでも、恩人の一人ぐらいは守り抜いてみせたかった。

 


 ――前座は下がっていろ。


 

 そんな小さな願いすらも、踏みにじられた。

 ハイルフォン家の天才魔法少女の前では、手負いのあたしなど相手にすらならず。散々遊ばれた挙句、一番見せたくない人間の前で醜態を晒しただけだった。


 何も知らない命は、あたしの姿を見て何を思ったのだろうか。

 手前は優しい人間だ。急にあたしの目前から消えることはないだろうが、今まで通りの関係を保てるとは思わなかった。

 関係は変わる。きっと以前と同じ関係には戻れない予感があった。


 ……どうしてなんだよ。

 希望の裏に絶望がつきまとうというのなら、もう希望なんて見せるなよ。

 演舞場の一件が奇跡であったかのように、魔法も沈黙したまま。まるで意地の悪い神さまの手のひらの上で弄ばれているようだ。


 邯鄲(かんたん)の夢が覚めても、全ては元通りになりなどしないのだ。

 人が幸せだった思い出を簡単に忘れられるものか。一時の夢だったとしても、あたしは幸せのなかにいたのだ。差し引きゼロになどなるものか。

 隣にあった温もりが冷めていき、この胸を寂寥感が満たしていく。

 

 

 ああ、あたしは……何をしているのだろうか。



 空っぽの身体は、無意識に操られている。

 ふらつき、よろめき、覚束ない足取りで道の途中で何度も転けた。


 ……どうしてだろう。

 あたしは、早朝から演舞場の地下2階にいた。

 捨て切れない未練がここに埋まっていることを身体だけは忘れない。

 ここにはもう誰も来てくれないのに、用具倉庫から取り出したカラーコーンを並べていた。頭が回らなくても、染み付いた習慣が定位置にカラーコーンを配置してくれる。


 窓一つない地下室で黙々とカラーコーンが飛ぶ音が続くなか。


「やっぱり、ここにいましたか」


 女性と見紛うほどの容姿を持った可憐な魔法使いが、扉を開けて来た。

 わずかな胸の高鳴りを抑えて、普段通りにぶっきらぼうに振る舞う。


「こんな早朝から何の用だよ」

「いや、なに。心配事がありましてね」


 空とぼけた相手の言葉に胸が傷んだ。

 期待したって、どうせ良いことなどありはしないのだ。

 なら初めから、表面上だけの優しい言葉なんて欲しくなかった。


「……帰れよ。ここにそんなものは落ちちゃいない」


 顔を背けて拒絶の意を見せるも、魔法使いはゆっくりと近寄ってきた。

 床を鳴らさないほどに慎重な歩みで、やがてあたしの目前に立つ。

 10㎝強は身長が低い男が、あたしの瞳を一心に見詰めていた。


「そうですかねえ。私には、そうは思えないんですけどねえ」


 黒水晶の瞳が語っていた。心配事はここにあるのだと。

 反射的に出かかった手が止まる。目の前の優しさを拒絶できなかった。

 乙女の微笑を湛えて、そいつは出し抜けに言ってみせた。


「私は最初、貴方のことチョロい人だと思っていました」


 唐突な宣言に、「なっ」と喉の奥から変な呻き声が漏れた。

 呆れかえるような身振り手振りを加えて、魔法使いは告白する。


「だって、そうでしょう。貴方は、なんだかんだ言っても助けてくれますし。妹を二年生の夏ごろまでに探してくれ、でしたっけ? あんな緩い交換条件なんて、踏み倒し放題だと思ってましたよ。そこまでに貴方と親密な仲にでも成っていれば、なあなあで済む約束でしょう」


 何一つ偽ることなく、魔法使いは心中を吐露していく。

 期待しても無駄だと知っていたのに、やるせない気持ちが燻っていた。


「手前なあ――ッ!」

「さっき日本に捜索依頼を投函してきました」


 燃え上がる筈の怒りが煙だけ上げて、鎮火してしまった。

 ボールのように、あたしの心は転がされる。

 こいつは一体何をしたいのか、まるで真意が掴めなかった。


「普通に手紙を出すと、内容次第では検閲に引っかかるんですね。機密保持なんて知りませんでしたよ。マグナ先生に頼ってみると、案の定抜け道を持っていたので助かりましたが」


「その代わり、日も昇らぬうちから叩き起こしたので、酷く不機嫌そうな顔されましたけどね」と、話に落ちでもつけるように、控えめに笑ってみせた。

 大きく深呼吸を一つ入れると、瞳を見開いて魔法使いは宣言してきた。


「探し出してみせますよ。たとえどんな手を使っても、期日までに」


 力強い宣言に呑まれかけたが、ふと忘れていたことを思い出した。


「でも、探すのは手前じゃなくて、親友だって話だろ」

「その辺はほら、あれですよ。全力を尽くさせますから、ね」


 どれだけ取り繕っても、目が泳いでいることは隠せない。

 つくづく詰めが甘い奴だ。格好を付けるのであれば最後まで貫き通して欲しかったが、そんならしさに安心している自分がいた。


 魔法使いは、誤魔化すように笑ってから続けた。


「それに私は――貴方を正規の魔法少女にするので手一杯ですから」


 今度こそ完全に虚を付かれた。今、こいつは何を言ったのだ。

 あたしは一度として、この魔法使いの前で"鐘鳴りの乙女(カンパネラ)"に成りたいという夢を語ったことはなかった。意図的に隠してきた筈なのに。

 瞠目するあたしを、魔法使いはニヤニヤと少し意地の悪い顔で見上げてくる。


「あれえ? まさか気づいていないとでも思っていたんですかすねえ。あれだけ正規の魔法少女について熱く語っておきなながら。それに」


 ――演舞場の予約帳。

 その言葉を認識したときに、己の迂闊さを呪わずにはいられなかった。

 窓口にある貸出し状況を記すそれには、ウルシ=リッカ名前がびっしりと記載されていた。


「大方、ルバートさんから私を助けてくれたときも、予約帳を見て気づいていたのでしょう。だって貴方は、毎日あれを見ている筈ですから」


 ……忘れていた。詰めが甘かろうが、こいつは勘が鋭い男なのだ。

 無邪気なだけではない。吸い込まれそうな黒水晶の瞳に底知れなさを覚える。


「どうやらこの国では、"魔法少女の狭き門"と言うようですね。通過率1%以下。正規の魔法少女になるのは、狭き門を行くが如しと聞きましたよ」

「……そうだよ。だから軽々しく」


 あたしの言葉を遮り、魔法使いは言ってのける。


「潜ってやりましょうよ、狭き門」


 魔法使いは無数の笑顔を持ち合わせていて、その時々で使い分ける。

 ときに可憐な乙女のようにはにかんでみせたと思えば、今度は挑戦的な意志をその笑顔に秘めていた。彼の笑顔は熱弁を振るう。乙女としてでも漢としてでもなく、まだ人として恩を返せていないのだと。


「笑い飛ばされるぐらいでいいじゃないのですか。世間ができないと言うことをやってのけてみせてやりましょうよ。私だって大概無理ゲーやってるんですから」


 女装を貫き通して、魔法少女育成施設を卒業する。

 恐ろしいほどの説得力を持った人間の言い分であった。


「三年後。貴方は狭き門を、私はこの女学院の正門を。正々堂々と通ってやろうじゃないですか。足りないというなら力を貸しましょう。無理だというなら奇跡を起こしましょう」


 背の低い男の存在感が、どんどん大きくなる。

 得も言わぬ感情が募っていき、追い出そうとしたって無駄だった。

 あたしの心のなかを占める彼の割合を、どんどん増していく。


「リッカ……貴方に魔法使いの魔法を見せて差し上げます」

 

 魔法使いがあまりにも優しい微笑を見せるものだから、問いただせずにはいられなかった。


「なんでだよ……手前はなんでそこまでするんだよ」

「うーん。個人的に恩を返せていないというのもありますが、約束しましたからね」


 約束と言われて、直ぐに頭に浮かぶものはなかった。

 そんなの当たり前だ。だってその約束というのは、


「言ったでしょう。もし貴方の傷を笑う不届きな輩がいたら、私がタダでは置きませんって。貴方が私の味方であるように、私だって貴方の味方です」


 魔法使いが、勝手に拡大解釈したものなのだから。


「バカ……違うだろ。それ、そういう意味じゃねえだろうが」


 どうぞ、と身体を差し出されたものだから、もう止まれなかった。

 胸を借りるのは恥ずかしかったら、あたしは魔法使いの肩に頭を埋めた。黒髪からほのかに甘い香りが漂ったが、間近で嗅ぐと、やはりあたしたちとは違う。

 この国にはない男性の香りというのを、あたしは初めて嗅いだ。


 もう顔を上げることができない。

 濡れた肩でとうに気づかれていようと、ぐしゃぐしゃの泣き顔など見せられなかった。

 何も考えずに泣けたのは何時ぶりだろうか。誰かがいつも先に泣くものだから、あたしには泣くことを我慢する癖がついていた。


 この涙には何年ぶりの想いが詰まっているのか。きっと膨大の量だと思う。

 簡単には泣き止めないから待って欲しかった。泣き止んだら、この女泣かせの魔法使いに全てを明かそうと決心を固めていた。


 急かすことなく、ただ涙の受け皿になる魔法使いが憎らしかった。

 あたしのすべてを見透かされているようで、悪態をつかずにはいられなかった。


「……命」

「なんですか」

「背が低くて、泣きにくい」

「放っておいて下さい」


 軽くあしらわれた上に、気遣いまでされた。

 あたしの背丈の高さに言及しないあたりが余計に癇に障る。

 魔法使いは知っているのだ。あたしが背が高いと言われるのが嫌いなことまで。

 完全に負かされたあたしは、苦し紛れに負け惜しみを言うだけだ。


 だから、背の低い男は嫌いなんだ――と。

拝啓

春の日差しが心地よくなりましたが、貴方はいかがお過ごしでしょうか。

春眠暁を覚えずなどと言いますが、私は今にも永眠しそうな勢いです。さて、前置きが長くなりましたが、単刀直入に要件を申し上げましょう。……助けて下さい。貴方の協力が不可欠です。


《中略》


最後に、貴方の厚い友情に期待しております。


敬具


距離は離れていても、心は側に。

貴方のずっ友 八坂命



「……なんだこれ」


 後日、玖馬(きゅうま)の元にわけのわからない手紙が届いた。

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