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魔法少女の狭き門  作者: 朝間 夕太郎
1年生 ―翠の風見鶏編―
62/113

第61話 星に手を伸ばして

 中等部に向かう途中、隣を歩くハラカンは両手を擦り合わせていた。

 魔法少女が寒がる姿というのは珍しいもので、目につく範囲で寒がっていたのは彼女だけだった。


「うー、寒い寒い」

「そんなに寒けりゃ【羽衣(ローブ)】着込めばいいだろ」


 耐熱防寒も完備する【羽衣】は、魔法少女の必須ともいえる魔法だ。

 魔力が余ってる限り、魔法少女はこの魔法で夏と冬を乗り越えると言っても過言ではない。花粉も紫外線もシャットアウトだし、身体能力だって向上する。【羽衣】は実に良いこと尽くめの魔法なのだ。


 まあ……こういう生活を送っているから、魔法少女は生身の身体が軟いのだろうな。ハラカンに言わせれば、軟弱者だそうだ。


「バーカ、冬は寒いものだって相場が決まってんだよ。せっかく四季がある国に生まれたのに、生身で四季を味わわねえなんて損じゃねえか」

「手前……その図体で四季を楽しむ心を持ち合わせているのか」

「図体が関係あるか!」


「いいか、四季の過ごし方ってのはな」と、ハラカン先生が説き始めた。


「春には花見して旨いもん食って、夏には花火を見上げて旨いもん食って、秋には紅葉眺めながら旨いもん食って」

「そして肉厚になった身体で冬を越すわけだな」

「ガハハッ……あんま面白いこと抜かしてっと、冬眠しに帰んぞ」

「冗談だって、冗談!」


 お弁当をチラつかせて、なんとかハラカンの帰宅を食い止めた。

 ここで帰られたら、なんで貴重な冬休みを潰してまで中等部に来たのかわからなくなってしまうところだった。


「しっかし、降雪祭で浮かれてるなか特訓ねえ」


 ハラカンが、そうぼやく気持ちもわかった。

 セントフィリアには、大雪が降ったときにだけ開催される、降雪祭という伝統行事がある。祭りと言えば聞こえは良いが、要は魔法少女を雪かきに駆り立てるための餌である。


 雪かきの労をねぎらう祭りと銘打って、娯楽の少ない女学生を釣るのがこの国のやり方である。こうすると、娯楽に餓えた魔法少女が雪かきを最速で終わらせてくれることは、降雪祭の長い歴史が物語っている。


「祭りはいいんだけど、雪かきはなんだかな。大人の手のひらで踊らされてるみたいで、やる気でねえ」

「リッカは天邪鬼だからだろ。雪かきは雪かきで、案外楽しいもんだぜ。雪相手なら、遠慮なく魔法使えるからな」

「あたし以外の特待生は出てたのか?」


 歩きがてら聞いてみると、出席率は予想より高かった。

 御三家の腐れお嬢さまを除くと、全員参加だったらしい。あれと同列視される位なら出ておけば良かったと、今更ながらに思った。


「ウィルとかはわかるけど、ユメリアも出たのかよ」

「そりゃもう。聖女みたいな微笑み浮かべて、下々の者と働いてたよ」

「好感度狙いか……あの猫かぶり」


 地位など関係ありません。この国の生まれた者として、国のために尽くすというのは当たり前のことでしょう。――などと心にもないご高説垂れて、ほくそ笑んでいる様が目に浮かんだ。


「いや、あいつは害がないからまだ良いけどな」

「……いたな。害が及びそうな、赤くて馬鹿な奴が」


 魔法を打ち放題と聞いて、あのアレクが黙っているわけがなかった。彼女は労働量でいえば、並の高等部生を圧倒するほどだったそうだが、


 ――きゃあああ、リリィが焼けました――ッ!


 雪と一緒に何人か溶かしてきたらしい。

 哀れ、犠牲者は魔力枯渇(パンク)で降雪祭どころではないというわけだ。どうしてあいつは、要らぬ落ちをつけるのだろうか。


「ちなみに雪かきクイーンに輝いたのは、オルテナ前生徒会長だったな」

「あの人も相変わらずだな」

「高等部でも副会長らしいけど、やっぱあの人は華があんのな。隣に立つ生徒会長なんて、置き物状態だったからな」

「……生徒会長に華を持たせてやれよ、副会長」


 生徒会長について聞いてみると、「知らん。赤ぶちメガネだった」という感想しか返ってこなかった。華もなければ話にもならんとは可哀想な人だと、二人で哀れんでおいた。


 未来の王宮騎士(ロイヤルナイト)を哀れむなど、天をも恐れぬ真似をしているうちに、あたしたちは中等部の体育館に着いた。

 ここに来た目的は、先にハラカンが言ったように魔法の特訓のためだった。例年通りなら家でゴロゴロでもしていただろうが、このときのあたしはやる気に満ちていた。

 

 姉妹一緒にという夢こそ潰えたが、"鐘鳴りの乙女(カンパネラ)"になりたいという願いそのものが消えたわけではない。

 七華の一件があったからこそ、あたしの夢は強く大きくなった。妹の無念まで背負って"鐘鳴りの乙女"になるのだと、意欲に燃えていた。


「本調子じゃないのに、よくやるよ」

「そう派手に動かなきゃ、怪我には触らねえよ」

「お前の相手するだけでも一苦労なのに、派手に動かすなときたか。こいつは随分と難しい注文をする才媛さまだな」

「そんな無茶な注文するつもりはねえから、安心しろ。あたしが動かなければいいだけの話だろ」

「そいつは面白いな。怪我が増えても文句言うなよ」


 パシンと、ハラカンは手のひらに拳を叩きつけた。

 冬休み中なのになんだかんだ付き合ってくれるあたり、良い奴である。もっとも、気恥ずかしいから口が裂けても褒めたりはしない。

 作ってきた弁当に、彼女の好きな食べ物をそっと詰める。その程度のサービスをしてやるだけだ。


 事前に予約を入れていたので、体育館の鍵は外れていた。

 冬休み前の大掃除でぴかぴかな床に荷物を置くと、あたしたちは示し合わせたようにラインで長方形に区切られたコートへ入った。


「うっし、一丁やるか」


 ハラカンが身体を伸ばしながら促した。

 中央ラインから互いに5m離れた開始線につくと、魔法弾の生成を開始。透明な玉のなかを、風がくるくると回る。

 ほぼ同時にハラカンは土の魔法弾――【土塊弾】を生成し、あたしたちは魔法弾は手元から撃ち放した。


 中央ライン上で【風衝弾】と【土塊弾】が衝突し、相殺現象が起こる。巨大風船を割れるような音が、審判不在のコートに開始の合図を告げた。


 【羽衣】を纏ったハラカンは、床を鳴らして後退する。

 まずは【突風(ガスト)】で牽制するか、裏をかいて【逆風(アゲインスト)】で引き寄せるか、それとも距離を詰めるべきか。

 選択は無数あったが、まずは相手の出方を待った。


 直立不動の状態が続くと、ハラカンの顔に怪訝の色が浮かんだが、それも一瞬のこと。彼女は様子見に【土塊弾】を撃った。

 握手の一発とは違う、魔力が練りこまれた弾丸が迫った。


 耳を打つ着弾音。

 着弾した【土塊弾】は分解されて、無数の土が床へポロポロと落ちた。


 目を丸くするハラカンに、歯を見せて笑いかけた。

 正直、想定していたよりも際どかった。土属性の魔法は重いので、体操服の裾を掠ったときは、さすがに肝が冷えた。


「おいおい……キッドの吹き流しかよ」

「見よう見まねだけどな。案外使えそうだ」


 吹き流しは、"法の薔薇園(ロウズガーデン)"所属の魔法少女――ガンツォ=キッドの十八番だ。

 あたしは入院中に読んだ月刊セントフィリアから、たまたまキッドのインタビュー記事を発見していた。変な病気をこじらせている人なので、内容の大半は見るにたえなかったが、参考になる部分もあった。


 ――テキサスの風は、全てを乾いた荒野に返すだけさ。


 キッドは生粋のセントフィリア育ちで、この国には荒野などないのだが、この際そのことは置いておこう。大事なのは、彼女が語った戦術論の方だ。


 この戦術の肝は、風の魔力を空気に浸透させるところにある。

 一見すると魔力の燃費が悪いが、一度環境を築くとその効果は絶大だ。縦横無尽に吹く風は、いともたやすく魔法少女を弄ぶ。


 ハラカンが連射した【土塊弾】も風に流され、背中から鈍い音が立て続けに上がった。


「ずるいぞ、リッカ! 床のせいで足元からの攻撃ができねえのに!」

「そんなの織り込み済みに決まってんだろ」


 力押しの【土塊弾】と一緒に、ハラカンの抗議を流した。

 土魔法の真価は地盤の利用にあるが、生憎ここは体育館である。おまけに対魔力物質が敷き詰められているので、床板を壊す覚悟があっても地面を介した攻撃は魔法は無効なのだ。こうなると、吹き流しの有利はでかい。


「口ばっか動かしてるなよ」


 守りの性能を確認したところで、次は攻撃へと転換を図った。

 狙うは【突風】によるコートアウト。風の魔法少女のスマートな勝ち方といえば、これである。相手の不意を突いて吹き飛ばすのは、最高に気持ちが良い。


 先撃ちすると【土の壁(ウォール)】を張られる可能性が高いので、カウンターショットの隙を伺う。さすがに簡単にはやらせてくれなかったが、何度か我慢比べをしたところで、好機は訪れた。


 室内の空気を裂く【土塊弾】、床を走る大玉【土団子(ダンプリン)】。辛くも吹き流しで守りを固めて、ハラカンの黙詠唱の間に差し込んだ。


 完全に読み勝った形で【突風】が、



 ――あたしの夢を奪ったんなら……最後まで面倒を見てよ。



 ハラカンの身体を枠線の外へと押し出した。


「がっはっは。あんだけ完璧に狙われちゃ、どうしようもねえな」


 ハラカンは陽気に起き上がってきたが、返答する余裕はなかった。


「……リッカ?」


 恐怖で引きつる顔が、ワックスで光る床に映っていた。

 それが自分の顔だとわからないほどに、あたしは混乱していた。

 呼吸の乱れが引き金になって、完全に身体の制御権が離れた。

 痙攣する身体は落ちていく。先の見えない暗闇に持ってかれた。




     ◆




 ストレス性の過呼吸症発作。

 それが、ヴァレリアの町医者が下した診断結果だ。

 ハラカンが側にいたこと、場所が学内であったこと。二つの幸運に恵まれたおかげで、数時間後には全快といわないまでも復調した。


「問題なのは過呼吸ではなく、その原因ですね」


 丸椅子に座る医者は、事務的に診断書を眺めていた。

 知った顔ではあるが、あたしはどうもこの医者が苦手だった。七華に魔法少女の寿命を告げたときも、彼女は氷のように冷たい目をしていた。


「……原因ですか」


 七華のことが頭を過るのか、母親はあたしに不安げに寄り添っていた。


「話を伺った限りでは、PTSDの疑いがありますね」

「あの……PTSDとは」略語の意味が掴めず、母親が尋ねた。


 あたしが一つ大きな勘違いをしていただけの、なんてことない話である。

 カーチェの迷宮の騒動で七華が魔法少女の資格を失ったように、あたしも知らず識らずのうちに代償を負っていたのだ。


「心的外傷後ストレス障害。そうですね、トラウマという言葉がニュアンス的にわかりやすいでしょうか」


 心の怪我が重かったのは妹でなく、あたしだった。

 一口にPTSDといってもその症状は多岐にわたるが、あたしの場合は過去の記憶のフラッシュバック。七華の夢を奪ったという罪悪感は、あたしの心に想像以上に爪あとを残し、負荷をかけていた。


 過呼吸はフラッシュバックによる副次的なものだと、医者は感情の薄い声でとつとつと続けた。


「先生、リッカは、リッカは大丈夫なんですか!」


 医者に詰め寄る母親は、この手の話題に過敏になっていた。

 終始クールだった医者も襟を掴まれると、わずかに顔色を変えた。


「落ち着いて下さい、お母さま。直ぐに完治するものではないですが、命に関わるものではありません。リッカさんの場合は特に限定的なものなので、気を付けて生活をする分には全く問題ありません」


 その言葉がよほど効いたのか、母親はふにゃりと脱力していた。


「詳しい診察は、経過を見てから行いましょうか。こちらの方でもPTSD関連の資料とチェックシートを請求する時間が欲しいもので。お恥ずかしいことですが、この診療所には足りないものが多いもので」

「いえ、こちらこそ恥ずかしいところを見せてしまって。先生には、いつもお世話になっていますのに」


 二人は一段落したような顔をしていたが、あたしの緊張は解けなかった。

 限定的な条件下で発生するフラッシュバック。その条件があたしの想像通りのものならば、たとえ日常生活に差し障りがなくても大問題だった。


「先生、ちょっと聞きたいんだけど……限定条件っていうのは」

「恐らくは――人に向けた攻撃魔法の類でしょう」


 なんでこうも、嫌な予感というものは的中してしまうのか。


「実技の講義は制限がかかりますが、節度を守れば大丈夫でしょう。症状が重い場合は、最悪すべて見学でも構いません。幸運なことにリッカさんの場合、すでに卒業要件を満たす量の魔力を持っています」


 医者の言っていることは、正しい。

 けれど違う、あたしが言いたいことはそういうことじゃなかった。


「ダメなんだよ、対人で魔法が使えなきゃ……狭き門は潜れないんだよ」


 この国において、魔法少女というのは最大戦力であると同時に、最高の脅威でもある。かつて、リッシュ=ウィーンと綺羅姫が東洋魔術師をまとめあげて内乱を起こしたように、不測な事態が起こる可能性がゼロではない。


 だからこそ、この国には四大組織がある。

 "鐘鳴りの乙女(カンパネラ)"、"王宮騎士団(ロイヤルナイツ)"、"法の薔薇園(ロウズガーデン)"、"しらは"の四つは、個々の役割は違えども、国を守るという根っこの部分は同じだ。当然彼女たちは、内乱を想定した対魔法少女の戦闘にも長けている。


 つまり、対人相手に魔法が使えないというのは、魔法少女の狭き門が閉ざされることを意味する。

 あたしの夢は、姉妹の夢はここで潰えてしまうのか。

 焦る心が、身体を前へと突き動かしていた。


「先生、あたしは"鐘鳴りの乙女"になりたいんだよ」

「それは大変素晴らしい夢だと思います。ですが、正規の魔法少女になるだけが、生きる道ではありません。この街を見渡してみてはいかがですか。お母さまだって立派に働いて、リッカさんを育ててくれたでしょう」


 この医者は実に嫌らしかった。

 正面から否定するでもなく、巧みに反論し辛い方向に論点をすり替えた。こういうことに慣れているのだと、直ぐにわかった。熱くなった患者を宥めることも、夢も諦めさせることにも。


「母さんのことは尊敬しているし……他の職業を軽んじるつもりもない」


 けれど、ここまでくると理屈じゃなかった。

 正規の魔法少女を夢見るということは、星に手を伸ばす行為に似ている。遠くで眺めるだけなら綺麗だが、銀の梯子をかけるにはあまりに高過ぎる位置にある。

 背が伸びるにつれて、子供は星の高さを知り、正規の魔法少女になりたいと言わなくなる。


 せっせと登っても届かないと、夢半ばで銀の梯子を下ろす。隣を見れば、自分よりも上手に梯子を登れる子がいて、その誰かでさえも隣を見て梯子を畳む。


 誰が言ったか。

 『魔法少女になりたいと言うのは、余程才気あふれた自信家か小さな子供にしか許されない』と。


 あたしは同世代の子に比べれば、上手に梯子を登れた。

 そこを否定することはしない。謙遜することは、泣く泣く梯子から落ちた者を侮辱することだから。


 けれど、やはり上には上がいるのだ。

 モモ、アレク、ユメリア、ウィル。特待生からは外れたとはいえ、シルスターだってそうだ。歴代最強の才媛が出揃ったこの世代と競うには、上を見つめ続ける覚悟が必要だった。


 この勝負は、星に手が届かないと諦めた奴らから落ちていくのだ。


「でも、この夢だけは譲れないんだ」


 歯を食いしばり、曲げられぬ意志を示すと、医者は吐息をもらした。


「患者が望むというのなら、全力でサポートするわ。けど貴方が選ぼうととしている道はね、歩きづらい道よ。狭き門に辿り着く前に、茨咲く道を歩き切ることすらできないかもしれない。それでも貴方は、その道を歩くといえる覚悟があるの?」


 人生に岐路があるとすれば、こういう瞬間なのだろう。

 このとき、あたしには二つの道があった。

 夢を捨てて平穏な女学院生活を送る道と、叶うかも定かでない夢を信じて茨を歩く道の二つが。


 どちらが正しいかなんて、蓋を開けてもわからない。

 あたしの人生はひとつで、あたしの身体はこの身ひとつしかない。


「あります」


 この心臓が選んだ答えが正しいと信じて、ただ前に進むしかなかった。


「そう、わかったわ。私としては貴方の意志を尊重してあげたいけど」

「けど、って何ですか。まだ熱意が足りないとでも言うんですか!」

「違うわよ。貴方の熱意は嫌というぐらい伝わったけどね」


 医者の視線を追うと、あたしの目は母親に行き着いた。


「少なくとも母親と意思を合わせてからにしなさい」


 こればかりは医者の言い分が正しかった。

 困難な道を歩もうとする娘を祝福する母親が、どこの世界にもいるというのか。少なくともウチの家にはいなかった。瞳孔が震える様子がイエスという意思表示なら、話は別だが。


「一度、家でしっかりと母親と話してきます」

「そうしていただけると助かるわ。貴方は未成年だから、何をするにもまずは親の同意を取りなさい」

 

 最後が締まらないものだから、急に恥ずかしさが登ってきた。

 正規の魔法少女に成りたいなど、よく正面切って言えたものだ。昔のあたしが聞いたら、顔を真っ赤にして卒倒しているところだ。


 あたしはふらつく母親の腰を支えながら、診察室から退室した。


「最後に忠告しておきますが、後悔したくなければ……やはり考え直すことを勧めます」


 最後に医者が投げた言葉は、ちくりと背中に刺さった。

 その小さな小さな棘は、身体を巡り心の奥底へと潜り込んでいく。


 あたしは理解していなかった。

 医者は意地悪をしていたわけでなく、ただ心から親切な忠告をしてくれていたのだと。

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