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魔法少女の狭き門  作者: 朝間 夕太郎
1年生 ―翠の風見鶏編―
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第59話 迷宮のセレクター

 迷宮とは、不思議な洞窟である。

 深海まで届くであろう、ありえない深度を誇る生き物だ。

 石壁がつくる空間には息遣いがあり、その腹には独自の生態系を築いている。通説では、セントフィリアの魔力ある土地が生み出した偶発的な産物と言われている。


 ――と、ここまではあたしも知識として知っていた。


「何だよこれ……気味悪いな」


 カーチェの迷宮は他の迷宮と比べて潜りやすいため、人の出入りが多い。それなのに、迷宮が持つ妖しさというのは払拭されることはない。地下と地上の温度差からか、口から白い霧を吐いているようにみえた。


「と、馬鹿かあたしは。迷ってる場合かよ」


 怯える膝を叩いて、足を前へと進める。

 体調が万全でないと言うことにも不安を覚えたが、進むほかに道はないのだ。

 【羽衣(ローブ)】を纏うと、カーチェの迷宮へと突入した。


 迷宮には独自の結界が張ってあるため、飛行魔法が無効化(ディセブル)されてしまう。

 

 となれば、最速で動くには【羽衣】を纏って走るしかない。

 共通術式の【鬼灯ランプ】で薄暗い内部を照らして、地図本片手に突っ走る。これが迷宮攻略の基本である。


「……これ本当に最新版だよな」


 セントフィリアにある三大迷宮には、先人の攻略記録を基にして作られた地図本が存在する。現代の冒険者はこの本を参考にして動くのだが、一つ気がかりなことがあった。

 迷宮というのは狡猾な生き物であり、数年に一度内部構造を変える。つまり、最新版の地図本を使わないでお陀仏するというのは、よくある話なのだ。


 あたしの手元にあるのは正式な地図本ではなく、ナナカが持っていた魔物図鑑の付属品だ。初心者向けのカーチェの迷宮地下30階までの地図が付いていたのだが、その先の階層の記載はない。『この先は君の目で確かめてくれ!』と書かれている。


「まあ、ダイヤウルフがいる地下20階までわかればいいんだけど」


 最新版なのだろうか、という不安は消えない。

 迷子になるぐらいならいいが、ナナカと行き違いになるのが一番怖い。

 迷宮という洞窟の厄介なところは、各階に必ず二つの石階段が存在していて、樹の枝のように別れる分岐構造になっているところだ。単純に地下20階といっても、2の19乗……つまり並列して524,288階層分の地下20階が存在することになる。


「どう考えたら、この空間に524,288もの階層が入るんだよ。ありえねえだろ」


 最深部と言われる150階のことなど考えたくもない。

 しかも、横の同階層には移動できないというおまけ付き。横の階層に移動するには、絶えずアップ・アンド・ダウンを繰り返すしかない。


「ああ、姉妹の絆的なものが発動して、足跡を辿れねえかな」


 湿気でなおさら酷くなるくせ毛をガシガシ掻いた。

 もはや頼れるのはこの付属の地図本だけだ。ナナカも同じ物を見ていたのであれば、地図本にある推奨ルートを通っているはずだ。


 ……そうだよな?


「あー、考えても埒が明かねえ!」


 両手で頭をガシガシやってから、覚悟を決めた。

 もう全面的に推奨ルートを信じることにした。まずは2つある階段のどちらから下るかを頭に叩きこむ。最初は右で次は左……右、左、右、右、左、右、右、左。


「右、左、右、左、右、右、左、右、右、左」


 ぶつぶつぼやいていると、足元が冷っとした。

 洞窟特有の寒暖差ではない。防寒防熱を備える【羽衣】を纏っていれば、その程度の寒さは感じることがない。


 恐る恐る足元に視線を落とすと、やはり奴がいた。

 ゼリー状の不定形。ボコボコと気泡を上げる軟体のなかには目玉が一つだけ浮かんでいる。グロテスクとしか表現のしようがないスライムが、足にくっついていた。


「きゃあ!」


 思わずらしくない声を上げて、足を振りぬいた。

 壁に直撃したスライムは、べちゃりと壁にぶつかって潰れた。血走った目が死に絶える寸前まで、こちらを睨みつけていた。


「……やべっ」


 魔物の代表格であるスライムの特徴は、魔物図鑑を読むまでもなく知っていた。無害だが仲間意識が強く、死に際に仲間を呼ぶ匂いを放つ。でしたよね。


 がさごそと、洞窟がざわつくのがわかった。

 目につくだけでも、二十数匹のグロテスクな軟体が怒りで身体を震わせていた。それだけならまだしも、匂いを嗅ぎつけて別の魔物まで寄ってくる始末だ。

 巨大青虫ブルーワームに、触ると怪我するサボテンラビットまで。ご一行様のご到着だ。


 低階層の雑魚といっても、ここまで雁首揃えられると無視できない。


「悪いな。こっちは急いでんだよ」


 頭に思い浮かべるのは、バネ仕掛けの風の渦。

 何重もの風を腕に巻きつける。多少時間はかかるが、まだ大丈夫だ。警戒して距離を図る一行を思い切り引きつけてから、


「サイクロン」


 真正面の空間にぶちかます。


「ストライク――ッ!」


 腕から開放された横向きの台風が、前方の空間を食い散らかしていった。巨大なミキサーにかけられた魔物たちの末路は無残なものだ。青いゼリーと青虫の体液が散らばり、サボテンラビットなんて……途中で見るのを止めた。吐き気を催しそうな光景だった。


「あたしがやっといてあれだけど、ゴメン!」


 足に残る気持ち悪い感触を無視して、あたしは石階段を目指した。




     ◆




 幸いにも風の魔法少女であるあたしは、感知能力や空間認識能力に優れていた。先の失敗を活かして、どこが危険か探りながら最短経路をひた走った。

 魔物と争っても百害あって一利なしだ。死ぬほど時間が惜しい状況なので、淡々と何の感動もなく地下20階へと進んだ。


「あいつらが自慢してたほど、大したもんじゃねえな」


 口から出たのが強がりだというのはわかっていた。

 地下10階以降から、空気と生息している魔物の質は変わってきていた。ゼリーや虫だけでなく、明らかに肉食の魔物も増えてきた。


 何度か深呼吸を入れてから、集中力を高めた。

 カーチェの迷宮で最も死亡率が高いのが、この地下20階だった。ダイヤウルフ狙いの冒険者が選択を誤って、帰り道をなくすのは有名な話だ。


 考えたくはなかったが、ここに来るころには最悪も想定していた。

 もしかしたら、ナナカはすでに命を落としているかもしれない。それはこの階層かもしれないし、はたまたもっと前の並列の階層で。


「ナナカ……頼むから生きていてくれよ」


 そう祈るしかない自分の無力が悔しかった。

 たとえこの階層にいなくても、生死を確認するまでは何十、何百万階層あったって回ってやるつもりだった。


「っと」


 気合が入り過ぎたのか、魔力の匂いを気取られた。

 あたしは咄嗟に石柱に隠れて息を潜めた。

 のっそのっそと、セピアパンダが歩いてきた。セピアカラーのどこか哀愁漂う巨大パンダだ。動きは遅いが、生身で殴られると十中八九骨がイカれる。残りの一二は肺に骨が刺さって死ぬ。


 立ち止まってから数十秒。

 セピアパンダは首を傾げてから元来た道を戻っていった。

 助かったと、思わず安堵の息がこぼれ落ちた。やってやれないことはないが、あんなデブ猫に構っている余裕はない。


 あたしがいるのは、地下20階の南端。

 ここまでの道のりで、付録の地図本が正しいことは証明された。

 後はこの階層を片っ端からしらみ潰しにしていくだけだった。

 それでダメなら……地図本なしで回るまでだ。


 狭い通路が続く東側を捨てて、人幅5人分はある通路を西に歩いた。風の魔力をレーダー代わりに流し込み、警戒しつつの移動だ。

 天井、壁、地面問わずにパッドバットが寝ているので、足元にも気を払う。肉厚の足裏が吸盤になっているので、このコウモリは至るところで寝ていた。


 やがて開けた空間に出たが、ナナカの姿は見当たらなかった。

 魔物がいないので、ここは足早に素通りした。次に目ぼしい場所となると、中央部の四角い空間だった。


 角を曲がって北に進むと、静かな迷宮に反響する音があった。

 直進するほどに音量を上げるのは、興奮する獣の声。何かに近づいてる予感があった。期待と恐怖で震える心臓を抑えこみ、慎重に先へと進む。


「ナ――」


 思わず出た言葉を飲み込んだ。

 いた。曲がり角を右に折れた瞬間、視界にナナカを捉えた。

 狭い通路からは全貌を掴みにくいが、まだ妹は健在だった。土塗れの服装には無数の傷跡が走っているが、命に別状はなさそうだ。


 あたしは中央の四角い空間めがけて走った。

 ナナカの生存は喜ばしいが、狭い視界にチラチラ入ってくる獣の存在が予断を許してくれなかった。


 体高2メートルを超えるそいつは、もはや狼などと呼べる代物ではなかった。ごわごわした黒毛で全身を覆う、三つ首の化け物――ダイヤウルフが迫っていた。

 前足の爪先が襲いかかり、ナナカは転がるように逃げていた。次に瞬きしたとき、妹が生きている保証などどこにもなかった。


 距離を詰めると並行して、空間に流していた魔力を尖らせる。

 中央空間に突入すると同時に【風の槍(ランス)】をダイヤウルフにぶちこむ準備だ。【風蛇の一撃(サイクロンストライク)】では、ナナカを巻き添えにしかねない。


 

 この判断が、誤りだった。


 

 中央空間に入ると、視界が開けた。

 そこにダイヤウルフは――二匹いた。


「――ッ!」


 途端にスローモーションになる世界。

 身を屈めるナナカの背中を狙い、後方で足を溜める個体が一匹いた。ぶちかましの体勢だ。完全に意識の外側からの攻撃。ダメだ、あれは当たる。下手すれば内蔵が飛び出る。


 声を出す? 無理だ、下手にナナカを混乱させかねない。


 なんでそんな中等半端な態勢なんだよ。

 そんな何もないところで転けたのかよ。


 いや、違った。


 ナナカが屈む先には、輝く物が落ちていた。

 ダイヤウルフの首輪の破片である、魔法石の欠片。

 一匹目のダイヤウルフの首輪は欠けていた。


 つまりは、そういうことだった。


「うああああああああああああああああああああ――ッ!」


 【風の槍(ランス)】を真正面に投擲し、ナナカの側にいた一匹目を串刺しにした。見えない槍に刺された獣は血の跡を引きながら、壁に固定された。

 生死のほどはどうか、距離は離したが直ぐに反撃はくるのか。


 そんなこと考えている暇はなかった。


「……リッカちゃん?」


 間の抜けたナナカの声を合図に、二匹目のダイヤウルフをスタートを切った。

 数百Kgの狼の弾丸が、猛スピードで妹との距離を詰めていく。

 ナナカがゆっくりと首を回す。ダイヤウルフと視線が絡み合った。


 

 ああ死ぬ、あたしの大事な妹が秒を待たずに死ぬ。



 そうさせるわけには――いかなかった。


 

 ダイヤウルフが突撃のブレーキを地面に刻むとき、ナナカは二転三転しながら、地面に叩きつけられていた。

 目測を誤って不思議がる獣の横腹に、あたしは二発目の【突風(ガスト)】を叩きつけた。バランスを崩した巨体が回った。


 起き上がったダイヤウルフは、こちらを敵と視認して睨みつけた。

 身を低くして伏せている。先ほどと同じぶちかましだ。足を溜めていた。

 相対するように、あたしも睨みながら魔力を尖らせていった。


 睨み合いから二秒後、前方の空気が震えた。

 加速するダイヤウルフの巨体が、目の前の距離を殺していく。

 肌を打つ突撃の衝撃を感じながら、あたしは迎撃した。


 【風の槍】


 槍は牙を覗かせる大口を貫通するも、ダイヤウルフの突撃は止まらなかった。目一杯【羽衣】に魔力を流し込んで、守りを固める。駄目元で横っ飛びを敢行するも、完全にかわし切るには至らなかった。


 地面に突っ伏す間に、地響きが何度か聞こえた。

 【羽衣】でフルガードしたというのに、ダイヤウルフの突撃は堪えた。だが前日の桃色娘の魔法に比べれば、まだ意識を保てる程度だ。


 呼吸をすると腹部にわずかに痛みが走った。

 胸骨にヒビが入ってる気がしたが、浅い。折れてはいなそうだ。多少の吐き気もあるが立てる。なら十分だ。


 立ち上がって状況を確認すると、ダイヤウルフが仰向けで事切れていた。【風の槍】を刺したときには死んでいたが、死体の勢いだけが死ななかったようだ。


「ナナカ……大丈夫か」


 脇腹を抑えながら、吹き飛ばしたナナカの元に向かった。

 二匹目のダイヤウルフが突撃した際、あたしは【突風】でナナカを吹き飛ばした。咄嗟のことで力加減も甘かったが、それ以外に妹を生かす道がなかった。


 だだっ広い空間を歩いて、倒れていたナナカに近づいた。

 返答や身動きはなかったが、息をしていた。身体も温かくて問題はなさそうだが、あたしは医者ではない。一刻も早く妹を医者に見せる必要があった。


「……っと、重くなったな」


 ナナカを背負い上げて、思わず感慨深くなった。

 身長は伸び悩んでいるが、身体はきちんと大人になっていた。

 この重さを背負って撤収するのは骨が折れそうだったが、泣き言は言うまい。


 あたしは姉だから、妹をしっかり背負わなければ。

 ただそれだけを考えて、ぼんやりとする意識を繋ぎ止めた。

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