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魔法少女の狭き門  作者: 朝間 夕太郎
旅立ち編
6/113

第6話 戦乙女の門

 9時20分発。

 JR中央線中央特快高尾行き10両目。


 そこは、三人の魔法少女の貸し切り車両となっていた。

 人でごった返す時間に車両を専有してよいものか。三人は戸惑いながらも、無人の10両目へと足を踏み入れた。ぷしゅー、と音を立てて電車の扉が閉まれば、セントフィリアまでの電車旅行が始まった。


「あの……ご挨拶が遅れました。私は那須(なす)照子てること申します」


 命と根木と合流した三人目、那須が恭しく頭を下げると、二人も自己紹介を続けた。


「これはご丁寧に。私は八坂命と申します。道中こうして会えたのも何かの縁です。仲良くしていただけると、うれしいです」

「根木茜だよ。野菜フレンドとして仲良くしよう!」


(はて、野菜フレンドとは?)


 命は少し間を置いてから、二人の苗字が野菜であることに気づいた。


「いいですね、野菜同盟。私も入れて欲しい」

「残念ながら、八坂さんは入れない系。入会条件は苗字に野菜入ってることだよ!」

「うーん。名字に野菜が入っている人だと、限られますね」


 二人のやや脱線気味の自己紹介に、聞き手に回っていた那須が加わる。彼女にとって聞き捨てならない話題だった。


「あの……結構いますよ。野菜同盟に電撃加入できちゃう人」

「へえ。どんな人がいますか?」

「例えば大根なら――」


 すうっと大きく息を吸うと、那須は頭のなかの辞書を読むかのように、一気に列挙し始めた。


大根(おおね)さん、大根田(おおねた)さん、大根葉(だいこんば)さん、大根餅(だいこんもち)さん、大根占(おおねじめ)さん、大根川 (おおねがわ)さん、大根占町(おおねじめちょう)さん、大根沢 (おおねざわ)さん、大根布 (おおねぶ)さん、曽大根(そおね)さん、大根原(おおねばら)さん、大根谷 (おおねや)さん」


 命の脳内では、無数の大根が手を取り合ってワルツを踊っていた。


「……凄いですね」

「私、変なこと覚えるのが得意なのです」


(なるほど。変な子ですか)


「ふーん、変な子なんだね」


 命は根木を軽く羽交い絞めにして、口を閉じさせた。

 正直同感ではあったが、口に出すと心にしまうでは大違いだった。


「根木さん、それ以上はダメです!」

「あの……気にする必要ないです。私、確かに変な子なので。変な子万歳です」

「だよね。私も自分がバカであることを寧ろチャームポイントだと思ってる系」


 何がおかしいのか、二人は顔を見合わせてクスクスと笑っている。

 命は感性の違いに首をひねりたくなる。けれど、二人の女の子が微笑む姿を前にすれば、そのようなことは瑣末なものだった。

 野に咲く花。二人の野菜の姫君が笑えば、初対面の空気すら和ませた。


(まさしく両手に花。これはこれで悪くない電車旅ですね)


 野菜の姫君の談笑を聞きながら、命は隣の車両へと繋がる貫通扉に歩いた。


「八坂さん、どうかしましたか?」

「ちょっと隣が気になったのもので」


 もしかしたら急に乗客が押し込んでくるのではないか。その不安を拭い切れない命は、扉のガラス越しに隣の様子を確認したが、9両目は至って平常運転である。通勤時間帯ということもあって、人で溢れていた。


「9車両目はすし詰め状態なのに、誰もこちらには気づきませんね」

「11車両目もぎゅうぎゅう詰めなのに、こちらには気付いてないようです」

「――だそうです、隊長!」


 車窓から入り込む日差しにおでこを光らせながら、根木はびしっと敬礼した。命に触発され、二人も向かい側の11車両を覗いていたようだ。


(ふむ……、魔力の痕跡が残っていますね)


 命は、車両内に漂う魔力の残り香を嗅いだ。

 魔力痕は魔法を行使した際に発生するものだが、その捉え方は人によって異なる。魔力痕を飛散した魔力の鱗粉という者もいれば、命のように魔力の残り香と表現する者もいる。


 匂い、色彩、足跡、形跡。

 表現方法こそ多種多様であるが、つまるところ魔法を使う者だけが気付くことができる、特有のサインだ。教育を受けていない端くれとはいえ、三人も魔力のサインぐらいはわかる。


「ほへえ。こういう魔法もあるんだねえ」

「恐らく気をそらす類の魔法でしょう」

「ほへ、乗客の立ち入りを禁止する魔法じゃないの?」


 根木は座席で寝転がり、すっかりくつろぎモードに移っていた。

 座席に頬を押し付けながら声を出す彼女の問いには、那須が答えた。


「あの……単純な立入禁止だと、『なんで入れないんですかー』ってなります」


 可愛らしいが説明不足。そんな那須の回答を、命は補足した。


「無理に乗客を抑えつけるか、自然に乗客が乗らない方向に仕向けるか、両者の違いはこの辺でしょうね」

「なるへそ。今の状況だと、後者系だね」


 二人は頭が良いなあ、と根木は仰向けの体勢で網棚に向けて喋った。普段であれば注意するところだが、今この空間は三人だけのものである。


 命は苦笑を漏らすと、視線を那須に移した。


(なんだか根木さんとは対照的で、こう小ぢんまりとした女の子ですね)


 別段根木が大柄なわけではないが、身長150cm以下の那須は、気弱な性格も相まって一層小ぢんまりと見えた。


「あの……どうしましたか」

「気を悪くしたならすみません。可愛らしい方だなと思ったもので」

「あー、八坂さんが那須さんを口説いてる」


 根木の揶揄する声を受けて、那須はいっそう恥ずかしがった。頬は次第に赤く染まり、遂には顔をうつむけた。


「えっと……あの」

「もう、根木さん。口説いてないですよ」

「そんなことないもん。いいなあ、那須さんばっかり。八坂さんずるーい、私には可愛いなんて言ってくれなかったのに」

「根木さんも十分可愛いですよ。行儀が良ければもっと可愛らしいかと」

「そしておもむろに姿勢を正す私!」


 言葉通り飛び起きると、根木は勢いそのままに姿勢を正した。さっきのぐうたらぶりが嘘のように、背筋をしゃんと伸ばして座っている。


「ねえねえ、今の私可愛い? 可愛い系?」

「ええ、素直な根木さんはとっても可愛いです」

「わーい。八坂さんに褒められた」


 諸手を挙げて喜ぶ姿に、命の口元はついつい緩んでしまう。ときに非常識なところもあるが、どうにも彼女のことは憎めない。


(タイプは違えども、二人とも女の子ですねえ)


 同乗する二人が女性であることを、命は改めて意識させられた。可愛いと言われれば照れもするし、喜びで顔がほころんだりもする。そんな女性らしい仕草が、命にとっては眩しく感じられた。


「あの……八坂さんもとっても綺麗ですよ」

「ゑ」


 唐突な褒め言葉に、命の声が裏返った。


「あー、わかる。八坂さんは黒髪の乙女って感じだよね。羨ましい」


 綺麗、黒髪の乙女、羨ましい。

 その単語の一つ一つがボディブローとなって、命の心を殴りつける。否定することもできない命ができることといえば、頭を抱えて謙遜することだけだった。


「……ソンナコトナイデスヨ」

「そんな片言で謙遜しなくても」

「ソウダヨ、カワイイ系」


 あまりにも自然に受け入れられているが、命は純正の乙女ではない。

 その辺りがバレないのは乙女レッスンの成果と高い女装スキルの賜物と言えるが、あまりクオリティが高いのも考えものである。


「いやでも、私って男っぽいところありませんか」

「まさか……八坂さんからは礼儀や気品を感じますよ」

「世の男勝りが聞いたら、卒倒しそうな台詞だね」


(やりましたよ、お母さん! これが特訓の成果です。どうやらお母さんの言う通り、私には女装の神さまが微笑んでいるみたいです!)


 一つハードルを飛び越えたとき、命は何か大切なモノを落とした気分に陥った。


(うふふ……この電車も私も、一体どこに向かっているのでしょうか)


 こうして三人が無駄話を重ねる間にも、橙色の車両は黙々と走る。二度ほど停車した後も、変わらず終点へ向けて線路をなぞり続けていた。


 だから、三人の誰もが思っていた。

 このまま路線図通りに進むのだろう、と。


 そう油断するのを見計らったかのように――それは、突然起きた。


「――ッ!」


 足元が浮かぶような感覚が三人を襲った。座っていたはずの身体は、まるで無重力空間に投げ出されたように軽い。その奇妙な感覚に背筋を寒くしたときには、すでに全てが終わっていた。


(何ですか……今の)


  再び重力が戻ってくると、身体に支障がないかと不安にかられた。命は腕から指先まで動かし、身体に支障がないことを確認した。


 今の現象は魔法だと……そう断言できるはずなのに。


(本当に……今のが魔法?)


 この場に残る魔力の残り香すら疑ってしまう。たった今発動した魔法の魔力量は、桁違いだった。

 命は眉をひそめるも、未だに思考は追いつかない。

 今起きた出来事を受け止めるには幾ばくかの時間が必要だというのに、現実は考える時間すら与えてくれなかった。


 ごん、と鈍い音が10車両目に響いた。


 命が振り返ると、そこにはおかっぱの小柄な少女が倒れていた。


「那須さん――ッ!」


 命はすぐさま駆け寄り、那須を抱き上げる。


「大丈夫ですか那須さん!」

「あの……大丈夫です。ちょっと気分が悪くなっただけです」


 那須が心配をかけまいとしていることは、瞬時にわかった。尋常ではない発汗と絶え絶えの吐息が、彼女が不調であることを嫌というほど教えてくれた。


(……まさか)


 嫌な予感に突き動かされて、命は根木へと視線を送ったが、どうやらそれは取り越し苦労のようだった。根木はケロリとしていた。


「根木さん、今直ぐ窓を開けて下さい。新鮮な空気を車内に入れます」

「了解だよ――って、うわっ!」


 今度は根木が急に悲鳴を上げた。

 何ごとか、と顔を振った命は言葉を失った。


 窓の向こうに広がる風景は、一面透き通るような青色だった。

 きらめく青い地平線が揺れる。太陽の陽を照り返し、寄せては返す波は銀色の光を乱反射する。その輝きに、命は思わず目を細めた。


 国分寺駅を通過した列車は、線路(みち)なき海上を運行していた。


「嘘……でしょ」


 大規模質量転移魔法――戦乙女の門(ヴァルキリーゲイト)の発動。


 魔法の門をくぐり抜けた命たちは、とうにセントフィリア王国の領海へと足を踏み入れていた。

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