第58話 努力の果てに
モモ、シルスター、ユメリア、アレク、そしてあたし。
この五人が元となり発足した特待生制度は、中等部三年生に上がったころもまだ継続していた。
一学年下にあたる二年生からも晴れて三名の特待生が誕生して、時折合同訓練を行ったりもした。この三名も名家の生まれではあったが、御三家の二名とは大違いだった。
中等部の治安が悪かったからだろう。この仲良し三人組は結束を固め、率先して中等部を守ろうと動いてくれた。あたしたちが最上級生になっても中等部が大崩れしなかったのは、偏に彼女たちの尽力が大きい。
御三家と対比して裏御三家なんて呼ばれていたが、もう彼女たちが表舞台に立てば良いとすら思ったほどの人格者たちだった。
この一年での大きな変化をもう一つ挙げるなら、シルスターと交換でウィルが特待生に加入したことだ。
ウィルウィーウィスプ=ウィル。
"蒼き妖精猫"の異名をとる、後期加入組の才媛だ。
入学当初は寡黙な不思議ちゃんということで有名であったが、取り立てて魔法に秀でた存在ではなかった。魔法実技のコート形式で、全戦全勝の記録を叩き出すまではだが。
日々の訓練の成果が出たのか、突然才能が開花したのか、その点については定かではない。青猫は黙して語らず、日向ぼっこをしてうとうとするだけだ。
イマイチ掴みどころはないが、争いを好まぬ穏健派なのが好印象だった。
正直あたしは、こいつは使えると思った。
目をつけた日から根回しを行い、シルスターとウィルの人員交換を女学院側に提案した。その甲斐もあり、特待生の入れ替えが実現した。
モモやユメリアも無言で協力してくれたあたり、シルスターの存在は目障りだったのだろう。派閥争いに溺れるあまり、あいつは暴れすぎた。
結局のところ"五人の才媛"として名を連ねたのは、シルスターを除く者たち。
桃髪の暴君――ハイルフォン=モモ。
金色の聖母様――ユメリア=エクシリア。
灼熱の貴公子――アレク=ウォンリー。
蒼き妖精猫――ウィルウィーウィスプ=ウィル。
この四人にあたしを加えた五名で落ち着いた。
シルスターが"五人の才媛"と呼ばれなかったのも、六人に枠が拡張されなかったのも、彼女の素行の悪さ故だろう。
あの暴れ者のアレクだって、筋の通らない暴力は振るわない。
正しいと思った瞬間、躊躇なく周りを火の海地獄にするのはどうかと思うが、これがシルスターとアレクの一番の違いだった。
なにはともあれ、裏御三家とウィルの加入により、中等部は束の間の平和を取り戻した。これで後はナナカが特待生に加われば、この平和は盤石のものとなる。カーチェさんの言葉を信じ続け、戦い続けてきた日々に終止符が打てる日は近そうだった。
明るい未来に胸躍らせながら、あたしは軽い足取りで中庭に向かった。
「えっ」
頭が真っ白になった。目に映るものが、全く信じられなかった。
何かの間違いだ、きっとそうに違いないと、心が現実を許容してくれなかった。
新入生特待生制度――該当者なし。
中庭にある掲示板に貼り付けられた告示。
一足先に集まったギャラリーは他人事のように「残念だったわね」と言って、去っていく。次の瞬間には特待生の話題なんて忘れて、各々のグループが別の話に華を咲かせていた。
菓子屋ルバートの新作がどうとか、春祭りで服を買い漁ろうだとか、どうでも良い話題が立ち尽くすあたしの横を通り過ぎていった。
ナナカは特待生になって、"鐘鳴りの乙女"になる。
躓くことも挫折することもなく、栄光への道を歩いて行く。
何の根拠もなく、あたしはそう信じ込んでいた。
「……ナナカは?」
愕然とつぶやくあたしは、話しかけられるまで横にハラカンがいることにすら気づかないほどに狼狽えていた。
「ああ、リッカの妹か。残念だったな」
あたしは、その日初めて知った。
ナナカの姉として知られていたリッカなんてとうに消えていて、あたしの妹として知られているナナカがいることを。
虚脱状態で自宅に帰ったあたしは、ナナカに何一つ慰めの言葉を言えなかった。満面の笑みをみせる、傷だらけの妹に何も言えなかった。
◆
特待生制度から漏れてからも、ナナカは努力をすることを止めなかった。
「大丈夫よ。真打ちってのは、最後に出てくるものなのよ」
後期加入したウィルの例を挙げて、気丈に振舞っていた。
入学当初の判定は魔力総量によるものだが、後期加入には実績も加味される。魔法実技の授業で結果を残せば、まだ特待生になるチャンスはあるのだと。
部活に入ることもなく、朝も夜も体育館に予約を入れ続けていた。
弱音一つ吐くことなく、ナナカは愚直なまでに努力を重ねた。雨の日も晴れの日も、妹はあれから一日だって鍛錬を欠かした日はない。
寿命を削るような努力が見ていられなくて、手を貸すことを申し出たこともある。
「大丈夫よ。あたしは一人でも平気だから、リッカちゃんは自分のするべきことをしてて。直ぐに追いついてみせるから」
いつからだろう、ナナカの言葉があたしより後ろになったのは。
邪魔をするのは意地かプライドか、ナナカがあたしの申し出を受け入れてくれたことは一度たりともなかった。
こうなると、あたしにできることなど、影ながら支えることぐらいだった。
家事は不得手だったが、朝早く家を出るナナカに朝食を持たせたり、いつでも気持ち良く眠れるように布団を干したりした。
たまにナナカの抜け殻には涙の匂いが染み付いていて、涙を抑えることができなかった。けれど妹が弱音を吐かない以上、あたしは何も言わなかった。
努力はいつか実を結ぶ。
それをナナカが証明してくれる日が来ることを信じて。
「……なんでだよ」
夏休みが明け、残暑がまだ残る秋のころ。
掲示板に貼りだされた告知は、春に見たものと同じだった。
該当者なし――この言葉を掻き消して、上からナナカの名前を書きたい気持ちで一杯だった。そんなことをしても誰も喜ばないし、何も動かないと知っていたのに。
じーわじーわと合唱を立てる蝉の声が耳障りで、不快指数は際限なく上がっていく。熱でぼやける地面のように、ナナカの夢が揺らいでいく。
苦しい場所に立たされて、それでもナナカは繰り返した。
「大丈夫よ。最後の最後でドラマは待ってるの。そう相場は決まってるから」
特待生制度は、新入生の一年間しか適用されない。ナナカが二年生に上がるときには、特待生になる権利は来年の新入生に流れることになる。
ナナカにとって中等部初めての冬、あたしにとって中等部最後の冬。最後のチャンスは刻一刻と迫りつつあった。
うだる夏の暑さを乗り越え、肌を刺す寒い日が続いても、ナナカの努力は絶えなかった。焦燥に駆られる心をひた隠し、じっと耐えて追い込みをかけていた。
冬休み前日。
浮かれた女学生が帰宅する姿を横目に、ナナカは体育館に篭っていた。
その健気な姿勢に何度心のなかでエールを投げたことか。数えることすらも馬鹿らしい。ため息を一つ漏らし、今日もあたしは体育館に向かった。
放課後の体育館の使用は、特待生が優先だった。
ナナカは、その合間を塗って体育館を使わなければいけない身だった。その境遇を不憫だと思っても口には出さない。口に出せば同情は哀れみに変わるからだ。
もう一度、白くて重いため息を落とした。
憂鬱だ。交代間際はどうしてもバッティングが発生する。ナナカに場所を譲れと言う瞬間だけは、何度やっても慣れることがない。その気持ちの現れか、特待生訓練があるときは、ゆっくりと向かう癖がついていた。
のんべんだらりと体育館に向かっていると、何かが肩に直撃した。
人だ。ぶつかった相手は詫び一つなく駆けていった。衝撃で呆けていた意識が戻ってきて、徐々に怒りがこみ上げてきた。
「いってぇーな、気をつけ……」
いつまで経っても「ろ」が追いつかない。
振り返った先にいたのは、ナナカだった。
キラキラ輝く涙の線を引いて、妹は逃げていった。
「ナナカ――ッ!」
叫んだところでナナカは止まらず、校舎のなかに姿を消した。
影も形も見えなくても追うことはできたが、それ以前に確認すべきことがあった。ナナカが飛び出してきた先は、体育館。
大体何が起きたのかは理解できていた。
あそこには、人の気持ちがわからない宇宙人どもが巣食っている。
大股開きで体育館に踏み込み、開口一番で警告を送った。
「おい手前ら、ナナカに何かしたか?」
返答次第ではタダじゃ済まない、なんて決まり文句は要らない。
この全身から吹き出す怒りすらわからないようであれば、こいつらは宇宙人どころか生物としても落第だ。
「あら、別に。ただ貴方の妹頑張ってるみたいだから、世間話ついでに少しアドバイスしてあげただけよ」
動じることなく、モモが平然と応えた。
直感でわかる。こいつは嘘をついているのだと。
「人様の妹の心配する暇があったら、手前の妹の心配でもしてろ。もっとも手前らの場合は、妹じゃなくて姉の方が心配だけどな」
「はあ? あんた今何を口走ったかわかってんの? それ直訳すると、殺して下さいって意味よ」
「やってみろよ……返り討ちにしてやるよ」
視線で火花を散らすあたしとモモの間に、他の特待生は割って入っては来なかった。互いに一番触れられたくない場所に手を出したことを察していたのだ。あの場を弁えない赤バカすらも腕を組んで静観していた。
教員が来ると、一時は闘争は鳴りを潜めたが、消えたわけではない。あたしとモモは特待生訓練が始まると、いの一番に手を挙げて、コート形式の対戦カートを申し出た。
「ねえ、謝る気はないの?」
「くたばれ」
開始位置にセットする前に交わした言葉が、開戦の合図だった。
この日の特待生訓練は、この三年間で類を見ないほど荒れた。感情むき出しの二人の獣が、魔力にありったけの怒りを乗せていた。
荒れ狂う暴風を幾度となく生み出し、これほどモモに肉薄した日はなかった。
けれど、
「無様ね。そこで見上げているといいわ」
どれだけ善戦しようが、負けは負けである。
意識がなくなる間際まで、あたしは這いつくばったまま床を拳で叩いた。
その後の記憶は曖昧だ。女学院から6区の自宅までの景色を飛び飛びで覚えているが、裏御三家の三人があたしを運んでくれたようだった。
もう意地一つ張る余力すら残っていなかった。
明日から冬休みだ。もう何もかも忘れて眠りたかった。
◆
習慣とは恐ろしいもので、疲れていても身体は習慣を守る。
毎朝ナナカに朝食を持たせていたので、目覚まし時計をかけなくても時間になれば意識が覚醒する。時刻は午前五時、薄暗い冬の寒さが辺りを包んでいた。
「寒っ」
寒さから逃げるように、両腕で自分を抱きしめた。
打ち傷で右手と左足はやけに痛むし、魔力不足で頭はがんがん、全身だるだる。魔力枯渇しなかっただけマシと思うほかなかった。あれだけは勘弁だ。
「ナナカー、今日は何がいい?」
ナナカの部屋をノックするも、返事はなかった。
二、三度繰り返したが反応がなかったので、扉を開けた。
部屋の窓から寒風が抜けた。芋虫の抜け殻みたいな布団。消えたスクールバッグ。どうやらナナカは、もう早朝訓練に向かった様子だった。
「そうだよな。ナナカはそうじゃなくちゃ」
眠気よりも喜びが優っていく。弁当でも持って行ってやるかと、ナナカの部屋を後にしようとしたとき。一際強い風が窓から吹き込み、寒気が背筋を登ってきた。
「図鑑?」
机に置かれた魔物図鑑が、風を受けてパラパラと捲れた。開きっぱなしで放置された本には、以前と同じ位置に栞が挟まれていた。
――ダイヤウルフ。
なぜだろう。お腹のなかを嫌なものがグルグル回っていた。
冬場の悪さとは別種の悪寒が、全身にへばり付いて離れてくれない。
――でもでも、モモさんたちは奪ってきたんでしょ。
――世間話ついでに少しアドバイスしてあげただけよ。
――あれを持っているのが特待生の証って気がしない。
乾いた笑い声が喉からこみ上げてきた。
そんなわけないだろ、と笑い飛ばし損なった。
時計の針が、朝を告げる小鳥のさえずりが、自分の心音すらも音量を上げた。本能的に身体が危機に備えようと、五感が研ぎ澄まれていく。
なあ、
――リッカちゃんは、ダイヤウルフの首輪を狙わないの?
嘘だよな?
祈るような気持ちで、魔法石のダイヤルを中等部の事務室に合わせる。
冬休みは職員が少ないのか、無為なコール音が重なっていく。貧乏揺すりが酷くなっていく。早く出てくれ、誰でも良いから。
たっぷり10コール待たされた挙句、あたしは地獄のような三分間を待たされた。体育館の予約状況と内部を確認してくれた事務員はこう言った。
「本日は誰もいませんよ」
――大丈夫よ。最後の最後でドラマは待ってるの。そう相場は決まってるから。
するりと、滑るように魔法石が床へと落ちていった。ごつんと鈍い音。「もしもし」と事務員の声が微かに響き渡った。
通話を切ることすらじれったくて、魔法石は放置した。
魔物図鑑を【小袋】にぶちこみ、自室の洋服掛けから引ったくった制服に着替えると、箒片手に自宅を飛び出した。
目的地の当たりはついていたから、後は速さの問題だ。
王都から東南東に距離60。最深部到達者にして現役最強の魔法少女の名前を冠する魔窟、カーチェの迷宮。
最速で一時間、いや四十五分あれば十分だった。
地を蹴りたって、あたしは霧がかかる冬の空を切り裂いていった。




