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魔法少女の狭き門  作者: 朝間 夕太郎
1年生 ―翠の風見鶏編―
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第57話 心臓が考えた答え

 文庫本を片手に授業をふける。

 できる限り中等部のある2区から離れたくて、気づけば7区の職人街に入り浸るのが、あたしの日常になりつつあった。


 ここは日当たりも悪くて薄汚れているが、空気だけは良かった。

 誰もが自分の仕事に専念しているので、女学生が紛れ込んでも気にもしない。絶え間なくカンカンと鳴り響く、魔法石と鉄を打つ音が心地いい。


「あーあ、またサボっちゃったよ」


 そうぼやくあたしは、まだ良心の呵責を感じていた。

 今でこそサボりの常習犯であるが、当時はまだ優等生の部類だった。授業をサボるなんてもっての外で、小等部時代は考えたこともなかった。


 中等部2年生の半ば、あたしは学校にいることに辛さを感じていた。

 派閥争いは下火になるどころか、山火事のように延々と燃え続けていた。

 一時期大荒れしていたモモが落ち着いてた思えば、後れをとったシルスターが暴れ、その間隙を縫ってユメリアが派閥を築く。そしてときにアレクが災害のごとく荒れ狂う日々。


 はっきり言って、歴代最悪。

 この時期の中等部の空気は淀み、誰もが何かに怯えていた。


「いつまで続くんだろうな、この状況」


 こうなると、口やかましい生徒会長の存在さえ惜しい。

 生徒会長が歯止めを利かしてくれたおかげで、上手く回っていたのだ。あたし一人じゃ、とてもじゃないが抑えがきかなくなってきた。


 故にパンク中で逃避中だった。

 魔力枯渇ではなくて、心の問題である。


 入り組んだ小径を右へ左へすいすい曲がり、行き止まりに向かう。傍目から見たらおかしい行動だろうが、これで良いのだ。じめじめとした光が当たらない場所にこそ行きたかった。


「……なんだこれ」


 先日訪れた際と異なり、そこにはボロ布を継当てしたテントが立っていた。


「あっ、きさま、われらの秘密基地になんの用だ!」

「口に出した時点で秘密じゃないだろ」

「しまった! おのれ……この策士めえ」


 門番にしてはちっこすぎる子供が頭を抱えていた。

 どうやらの脳みその容量も、背丈と相応に比例するらしかった。

 チビ門番は魔法石――の代わりと思しき石ころに話していた。


「てきを発見、ただちに協力をようせいする」


「とうっ」と協力に応じて、ちびっこ二名がテントから飛び出した。

 その距離なら普通に話せよというのは、野暮なのだろうか。


「くっ、こいつはなんて巨大なゴーレムなんだ」

「アウロイこうちも、真っ青な大きさだ」

「気をつけろ、こいつ目つきも性格も悪いぞ」


 正直子供でなければ、ぶん殴っていたかもしれない。


「あん?」


「ひぃっ」とチビ共は震え上がり愉快だったが、虚しい。

 そんなに悪いのかな、あたしの目つき。


「ダメだ、こいつには勝てん。ボスをよべ、ボスを」

「ボス?」


 リーダーの迅速な判断で、チビ二人がテントに飛び込んだ。

 様子を見る限りでは、テントのなかのボスを起こしているようだ。


「これでお前も終わりだ、デカ女。ボスはおっかないぞ」

「そうか。なら怖いボスが来る前に、テメエを殴っとくか」

「ま、待て……話せばわかる。ここは待つのがお約束だ」


 ませたガキの戯言に気勢を削がれていると、ボスがお出ましになった。


「……ううっ」


 寝ぐせだらけの金髪を引きずる、青いスウェット姿。

 芋虫のように這いつくばる光景は、前評判通りのホラーだ。


「なんのようら」


 夢のなかに意識を置き去りにしてきたような女性だった。

「ねえねえ、助けてよボス」とチビ共に馬乗りにされて、ポカポカ。

 懐かしいなあ、あたしとナナカもそうやって母さんをよく困らせた。


 やがて観念した女性は立ち上がると、ポケットを手でまさぐった。

 何の真似かと思えば、くしゃくしゃの千イェンを差し出してきた。


「この場はこれで収めてくれ」


 まさしく汚い大人の代表格だった。ダメだこの大人。

 教育衛生上、このチビ共に悪影響が及ぶ前に引き離さねばならない。あたしの人としての何かが使命感にかられた。


「あっ」


 間の抜けた声を漏らす女性からピン札を引ったくり、


「テメエら、これやるから別の場所で遊んでこい」


 チビ共に分け与えれば一件落着である。

 全てを水に流し、チビ共は喜々として去っていた。


「ひどいなあ。あれは私が稼いだ金だぞ」

「テメエ、その成りで仕事してんのか!」

「失礼だな、どっからどう見ても立派な社会人だ」


 ふわっふわに跳ねた金髪に、擦り切れた青いスウェット。

 ひどい猫背に、死んだ魚のような眼。

 どこをどう見れば社会人に見えるというのか。

 それに百歩譲って社会人だったとしてもだ。


「今日は月曜日だぞ」

「月曜日って、職場行きたくないんだ」


 徹頭徹尾ダメな大人だった。


「まあまあ。サボりはお互い様だろ」

「あっ」


 言われて気付いたが、人をとやかく言える立場ではなかった。

 7区の住人は緩いので気にしなかったが、あたしも堂々と制服姿だった。


「どれ、サボり仲間の(よしみ)だ。茶の一杯でももてなそう」


 とても怪しい人物だったが、あたしは気軽に誘いに乗った。

 サボり仲間と呼んでくれる気楽さが嬉しかったのかもしれない。


 天井にカンテラが灯るテントのなかは幻想的だった。

 照らされたボロ布の継ぎ接ぎは、味があるように思えた。

 彼女は携帯コンロに火を入れると、ポットを温めた。


「ところで、テメエは何者なんだ」

「年上の女性に名前を聞くのに、テメエはないんじゃないか」

「もう癖になっちまったんだ。見逃してくれ」


 一年以上派閥争いに身を置き、あたしの口は劇的に悪くなった。

 あまり嬉しくないが、この変化も受け入れざるを得なかった。

 あたしを頼り、身を寄せれくれる女生徒がいるのだ。彼女たちに安穏とした女学院生活を送ってもらうためなら、汚い言葉の一つや二つ喜んで使ってやろう。


 そういう気概もあって、長続きしていたのだが。


「はあ」

「急にどうした。大きなため息なんてついて」

「なんだか最近やる気が起きなくて」

「わかるわかる。私も年がら年中やる気ないからなー」

「さすがに、それとは一緒にされなくないな」


 別に詳しい事情なんて話す必要はなかったが、聞いて欲しくなった。

 彼女があたしとは無関係な人間だというのもあるし、誰かに話すだけでも多少はスッキリする気がしたからだ。


「少し話を聞いてもらってもいいか」

「まあ、お茶請け程度で良ければ。あっ、コーヒーにしちゃったけど、飲める?」

「大丈夫。むしろ好物だ」


 マグカップを受け取り、コーヒーを一口啜った。

 "リッカさん"の真似をするうちに、いつの間にかコーヒーも好物になってしまった。


「女学院での話なんだけどさ」


 人心地ついてから、語りだした。

 特待生のこと、女学院の派閥のこと、そのなかであたしが置かれた立ち位置。相当溜まっていたのか、いざ口に出してみると際限なく言葉が沸き上がってきた。彼女はときに頷くが、基本的には黙って耳を傾けていた。


「つまりは、流され続けてきた現状に疑問を持ってるんだろ」


 ひと通り話を聞き終えた彼女は、取り留めのない話をそう総括した。

 まさしく当時の心境をどんぴしゃに押さえた言葉であったと思う。


 とどの詰まり、あたしは自分の立ち位置に疑問を抱いていた。

 特待生になると決断したのはあたしだが、そこに他人の意志が介在していなかったかと問われれば、答えはノーである。


 それ以前に、あたしは本当に"鐘鳴りの乙女(カンパネラ)"になりたいのか。

 これこそナナカという強大な意志に引きずられただけの夢ではないのか。


 派閥争いに参加するのだって、顕示欲の現れからではない。

 ただ誰かがあたしを頼ってくれたからだ。その期待に応えようとして、自分の首が絞まっているのだから、世話ない話である。


 あたしの人生は、連続する「なんとなく」の延長線上にあった。

 ずるずる流れに乗って生きてきて、辛いところにきてしまって参っていたのだ。今まで誰かに選択を任せていた漬けであり、報いであるというのに。


「本当のあたしは、誰かの前に立つような人間じゃないんだ」


 ナナカの言う通り、このままじゃあたしは壊れてしまうのかもしれない。

 リッカ派閥など捨てて、誰かに引き渡してしまうのが良い。無責任だと失望されるかもしれないが、それで構わない。ここまで見栄を張り過ぎていたのだ。


 そうだ。ハラカン辺りに任せれば良い。

 あたしなんかより、よっぽど上手く立ち回ってくれる。

 そうなった方が自然で、お互いのためだ。


「ダメだ」


 彼女は、あたしが垂れ流した言葉を一刀両断した。

 死んだ魚のようだった瞳には火が灯り、途端に輝いた。

 この目を知っていたはずなのに、あたしは思い出せなかった。


「なんとなく、で結構じゃないか。続けてみたらどうだ」

「良いのかよ……そんな曖昧な理由で」

「君の側にいる人間だって、なんとなくいるんだろ」


 逆の立場は考えたことはなかったが、それは間違いないだろう。小難しいことを考えてあたしの周囲にいる人間なんて一人もいない。


「なんとなく居心地が良い、なんとなく人が良い、なんとなく守ってくれそうだ。それならお互いさまだ。別に重く考える必要もないだろ」


 曖昧な言葉の羅列なのに、その人の言葉には妙な説得力があった。


「なんとなく、っていうのも馬鹿にできないもんだ」


 コーヒーを啜りながら、だらっとした格好のまま彼女は続けた。

 飾らず、気取らず、ありのままの姿で。


「たとえなんとなくでも、その場そのときその瞬間、君は選択を求められてきた。全ての選択の延長線上に今があるんだろ。だから、なんとなくってのは大事なんだ。それは確かに頭で考えた結論じゃないかもしれないけど」


 どすん、と彼女の握り拳があたしの心臓を叩いた。

 肉の上から叩かれたはずの拳はやけに重くて、奥のほうまで響いた。


心臓(ここ)が考えた答えだ。なんとなく人を守りたい。そう思える君は、口は悪いがきっと心優しい人間なんだな」


 ふっ、と気持ちが軽くなった。

 奥から押し寄せる感情が決壊しそうで、必死に踏ん張っていた。見ず知らずの人間に言いくるめられた上、泣き姿まで晒すわけにはいかなかった。


「そうなると"鐘鳴りの乙女"に成りたいって気持ちも、案外嘘じゃないのかもな」

「なっ!」


 どうやらあたしは、聞き上手に乗せられて要らぬことまで話していたようだ。

 この国で正規の魔法少女に成りたいなんて妄言は、余程才気あふれた自信家か小さな子供にしか許されない。


「いやあ愉快、愉快。この国の未来は明るいな」


 みるみるうちに赤面するあたしを、その人は面白がっていた。

 にやけたまま左手でスウェットのポケットを探り、彼女は煙草を取り出した。


「あっ、煙草吸ってもいい?」

「良くない!」


 些細なお返しに断ってやると、彼女は目に見えて凹んでいた。

 なんだか憎めない相手ではあったが、あたしは喫煙の許可だけは下ろさなかった。それからコーヒーを飲み交わしながら、少しばかし他愛もない会話を続けた。


「そうだ。せめて"テメエ"じゃなくて、"手前"って呼ぶのはどうだ。どこか気品を感じないか」

「それ、単にお茶にかけただけの思いつきだろ」


 大して中身のある話ではなかったが、話せば話すほど彼女の魅力に惹きつけられた。一日サボってでも話を続けたい思ったほどだが、残念ながらその願いは成就しなかった。


「どこにいるかと思えば、こんなところにいたのかい」


 衝撃の事実が、開いたテントに光とともに差し込んできた。

 彼女を迎えに来た人物を見て、あたしの震えは止まらなくなった。上下の歯が勝手にカチカチと演奏を立て、声を出す機会も奪われた。


「あちゃー、見つかったか」

「その娘は?」

「サボり仲間」


 そう言って、彼女はにっと笑った。

 どこか見覚えがあるはずだ。そりゃ魅力を感じるわけだ。

 彼女を迎えに来たのは、"鐘鳴りの乙女"のヘイトレッド隊長。見間違えるわけがない。水晶球越しに、そのご尊顔を何度拝見したことか。


 まあ、そっちは良い。

 しかしだ。これは詐欺ではなかろうか。

 アイドルオーラ全開の人気者がこんな芋っぽいスウェット着て、袋小路のボロテントで昼寝しているなんて誰が思うのだ。


「カルチェット=カーチェ……さん」

「そうとも言う」


 そうとしか言いませんよ、カーチェさん。


「胸張って答えるな」

「あてっ」


 ヘイトレッド隊長がカーチェさんの頭を叩いた。

 そんなシーンすら絵になる気がするのだから不思議だ。


「悪いな嬢ちゃん。こいつのファンだったんなら、夢壊しちゃったかもしれねえな」


 ヘイトレッド隊長が気遣う理由はよくわかった。

 カーチェさんの容貌は、まるで水晶球を通して見る姿とは似ても似つかなかった。けれど、幻滅するなんてことはなかった。


「いえ、むしろ夢をもらったくらいです」

「そうかい。そりゃ良かった」


「ちゃんと学校行けよ」そう言い残してから、二人はテントの外に出ていった。いつまでも見続けたいほど、二人の見せる背中は様になっていた。


「あっ、そうだ」


 くるりと気まぐれにターンを決めて、カーチェさんがこっちを見た。


「もし高等部も卒業してもまだ、なんとなく誰かを守りたい気持ちが残っていたら、うちに来て欲しい」


 難しいことを簡単に言ってくれる、なんて皮肉が浮かぶ隙もない。


「じゃあな。未来の"鐘鳴りの乙女"」


 その言葉を聞いた瞬間、ぼんやりとしていた夢は確かな輪郭線を描いた。

 どこまでも彼女の背中を追ってみたい。

 そう思わされるまでに胸を、いや心臓を打たれてしまった。




     ◆




 その日は妙に落ち着きがなくて、そわそわしていた。

 二人の"鐘鳴りの乙女"の言葉に従い学校に戻るも、勉強に身など入るわけがない。この感動を誰かに伝えたい思いで頭は一杯だった。


「ナナカー、大変だ!」


 自宅に帰るなり、ナナカの部屋に突撃した。

 ベッドに寝転がっていた妹は突然の来訪に驚き、慌てて分厚い本を布団のなかに押し込んでいた。


「もうリッカちゃん、ノックぐらいしてよ!」

「あれ? なんか本を布団に隠さなかった」

「それは別に関係ないでしょ」


 そう言われるほど人間は気になるものである。

 人目に触れたら不味い本など、この国には二種類しかない。


「……まさか禁術関連の書物じゃないよね」

「違う!」


 ナナカは全身を使ってノーを言い渡してきた。

 こうなると二番目の候補が濃厚になってくる。クラスメイトたちが教室の片隅に集まって閲覧していた物のことだ。


「……まさかBL本なのか」

「なおさら違う!」


 真っ赤になって否定するあたり、我が家の妹は健全だった。

 この推測がよほど心外だったのか、ナナカは一度は隠した物を掘り返した。


「これよ、これよ! 魔法石が綺麗だと思って眺めてたの!」


 胸に押し当てられた図鑑を受け取った。

 魔宝石の図鑑だなんて、妹にも可愛らしいところがあるものだ。


 微笑ましい気持ちで図鑑を開くと、紙面の化け物どもが出向かえてくれた。気泡混じりの目玉入りゼリー体に、目がイッてる二足歩行の干ししいたけ、整形に失敗したように顔が溶ける泥の塊などなど。


「魔法石図鑑じゃなくて、魔物図鑑じゃねえか!」

「あたし、一度も魔法石の図鑑なんて言ってないんだけど。それにそこじゃなくて、栞が挟んであるページ」


 数十ページ送ると、ナナカの言うとおり綺麗な魔法石が載っていた――三つ首の狂犬『ダイヤウルフ』の首輪として。こいつは人を喰い殺す類の獣だが、首の光り物が魔法少女の心を掴んで離さないため、歩くブランド毛皮アウロイタイガーと並ぶ人気魔物として有名だ。


「ああ、奪い取りたくなる美しさ」


 恍惚とした顔で物騒なことを口走るナナカ。


「お願いだから、根絶やしにするような真似は止めてくれ」

「失礼ねリッカちゃん。あたしだって首輪を奪ってから、逃がすぐらいの理性は持ち合わせてるわ。それにダイヤウルフはスラッシュ&リリースが基本よ」


 ダイヤウルフを狩るときの基本は、首輪を盗んで再放流である。

 毛皮を剥いで終了のアウロイタイガーと異なり、ダイヤウルフの首輪は時間を置くと再生する。つまり何度でも宝石強盗が可能という理論である。絶滅寸前のアウロイタイガーと比べてどちらが幸せかなんて、誰の口からも言えない。


 『奴を殺すな、まだ価値がある』の合言葉とともに、今日もどこかの洞窟でダイヤウルフが狩られていると思うと、同情を禁じ得ない。


「けどなあ、スラッシュするのも難しいからなあ」


 ナナカは悩ましげにため息を漏らした。

 そう、ダイヤウルフは強いのだ。アウロイタイガーにも言えることだが、奴らは生きることに必死なのだ。魔法少女の恐怖と戦い、強くならざるを得ない悲しい宿命を背負っているからな。


「止めとけって。下手に手ぇ出したら怪我じゃすまないからな」

「でもでも、モモさんたちは奪ってきたんでしょ」

「あれは仕留める側も化け物だから成り立つんだよ」


 この数日、特待生の間ではダイヤウルフブームが訪れていた。

 その切っ掛けというのは、ユメリアが持ってきた魔法石の指輪だった。さり気なくアピールするもんだから、誰かが尋ねるのは時間の問題だった。


「これですか。お恥ずかしい話ですが、この前迷子になったときに綺麗な首輪を持つオオカミさんに襲われてしまって。えいやと退治したときに得たものなんです」


 んなわけねえだろうが、このカマトト女……ッ!

 どうやったら迷宮地下20階まで迷子になれんだよ。

 完全なる確信犯で、完全なる自慢じゃねえか。


 モモやシルスターも同様にイラッときていたが、口には出さなかった。話せば相手が増長するだけで、話さなくても不利益はないからだ。

 しかし、思わぬところで損得勘定の天秤が揺れ動いた。ダイヤウルフを狩ったユメリアの武勇伝は瞬く間に広がり、ユメリア派閥に流れる女生徒が増加したのだ。


 これを黙ってみていなかったのが、モモだ。

 気づけば彼女の指にも魔法石の指輪がはまっていた。


「あら、これのこと。散歩がてら拾ってきただけよ」


 同じ御三家として、これを見過ごすわけにいかなかったのがシルスターだ。

 少し出遅れた感はあったが、彼女の指にも魔法石の指輪が光っていた。


「ふははは、蓋を開けて見れば楽勝だったな。しょせん犬っころなど、余の敵ではないということだ」


 そして、この二人に触発されたのがアレクだった。

 彼女はワイルド過ぎる黒いファーコートを羽織ってきた。


「いいだろー、これで今年の冬は凌げそうだ」


 こいつ一人だけ趣旨を取り違えていた。

 スラッシュ&リリースの精神どころか、貴重なダイヤウルフを絶命に追い込んだらしい。この毛皮は供養のための品だと言っていたが、毛皮には大した価値がない。


「……あいつらは参考にしない方が良い。特に赤いのは絶対にだ」

「ふーん。まっ、いいか」


 納得したのか、していないのか。微妙な面持ちでナナカは考え込んでいた。


「リッカちゃんは、ダイヤウルフの首輪を狙わないの?」

「あたし?」


 確認の意味を込めて自分を指差すと、ナナカは重ねて「リッカちゃん」と言った。正直参った、まさか妹にもこの話題を振られるとは思わなかった。


「それ、みんな聞いてくんだよなー」

「だって他の特待生はみんなダイヤウルフ狩ってるんでしょ。そうなると、あれを持っているのが特待生の証って気がしない」

「そんなもんかねえ」


 正直張り合うほどのメリットが感じられなかった。戦利品の上質な魔法石にしても、大して興味を引かれないというのが素直な感想だ。


「あたしは良いかな。万が一で大怪我したら、それこそ元も子もないじゃん」

「そうね。その方がらしいかな。慎重なぐらいがリッカちゃんには似合ってる」

「無茶するのは、ナナカの方が似合うからな」

「あっ、なんかその言い方、なまいき!」


 ナナカはお腹を叩いてきたが、愛情表現の域だ。

 何年も同じ屋根の下で暮らす以上は喧嘩をすることもあるが、その回数だけ仲直りしてやってきたのだ。この程度であたしたちの関係は揺らがない。


 ただ、


 

 ――あたし、あたしって、ナナカの真似しないでよ。


 

 ふと、あの日の怒鳴り声が再生されることがある。

 翌日にはお互いの熱も冷めて仲直りしたはずなのに、妙なしこりがある。それを見て見ぬ振りして暮らしている気がしていた。


「リッカちゃん、どうしたの。もしかして強く殴りすぎた?」

「あっ、いや。そういうんじゃなくて」


 あの話題を蒸し返すのが嫌で、あたしは咄嗟に逃げていた。


「そうだ。言い忘れてたけど、今日カーチェさんと話をしたんだ。あの"鐘鳴りの乙女(カンパネラ)"のカーチェさん!」

「えっ、本当! 本物よね、本物。あの蜂蜜色のふわふわ髪で、アイドルオーラ全開のカーチェでしょ! 現役最強、スーパー魔法少女の!」


 微かな違和感など忘れて、ナナカはベッドから身を乗り出してきた。ここまで期待されると気が引けるが、嘘をつくのも憚られた。


「うーん……イメージとはちょっと違ったかな」

「そっか。でも現物と水晶球越しって案外変わるもんよね」

「月曜日は職場に行きたくないって、スウェット姿でテントに篭ってた」

「変わり過ぎってレヴェルじゃないわよ、それ! 間違いなく偽者よ!」

「いや本物だって、本物! 確かにイメージは180度近く違ったけどさ、あまりのカッコ良さにときめいたもん」

「ときめき要素、皆無だよ! リッカちゃん目を覚まして! 見知らぬホームレスに憧れを抱くのは止めて!」


 この後ナナカを説き伏せるのに、優に一時間以上の時間がかかった。理解が遅いと一方的に怒鳴るわけにもいくまい。たぶん逆の立場なら三時間はかかるから。


「わかったわ。どうやらあたしたちは、"鐘鳴りの乙女"に憧れを抱き過ぎていたんだわ」


 ナナカの結論はこうだった。彼女たちも天上人の偶像(アイドル)である前に、一人の人間であるのだと。理想と現実のギャップに凹みつつ、結論を導き出していた。


「そうよね。"鐘鳴りの乙女"である前に、普通の人間なのよ」


 うんうん、と頷くナナカは嬉しそうだった。先ほどまで凹んでいたはずの妹の顔は、話を聞く前よりも良い表情をしていた。


「ねえねえ、リッカちゃん。ミーティアは見なかったの?」

「いや、ミーティアは見なかったけど」


 これまた意外な名前が挙がったと、驚いたのを覚えている。

 年功序列でいえば、ヘイトレッド隊長、カーチェさんに続くのがミーティアさんだ。次期隊長がカーチェさんと目されているのなら、ミーティアさんは更に次代の隊長候補ということになるのだが。


「ナナカって、ミーティアさんのファンなの?」

「そうだけど。いいじゃない、ミーティア」

「嫌いじゃないけどさあ……あの人、どこか抜けてない」


 "鐘鳴りの乙女"がバラエティ番組に出たとき、大体落ちを担当するのがミーティアさんだ。ぱっと見は落ち着きのある大人の女なんだが、最後でポカをする。それで付いたあだ名が"90点の女"なのだから、本人はさぞかしご不満だろう。


 ヘイトレッド隊長やカーチェさんが"100点の女"なら、彼女は決して100点を取れない女なのだ。そんな彼女のことをナナカが好きだというのが、意外に思えた。


「わかってないわね、リッカちゃんは。あれは味があっていいのよ」

「そんなものかな」

「そんなものなのよ」

「そうか」

「そうよ」


 流れ作業のように納得させられた。

 ナナカさまがそう仰るのであれば、それで良かろう。

 その程度の軽い気持ちで受け止めていた。


「まっ、憧れるのも良いけど、まずは特待生だな」

「わかってるわよ」


 頭を撫でると、ナナカは嫌そうな顔をして頭を外した。


「リッカちゃんのくせに、上から目線禁止」

「悪いな。縦にすくすく成長しちまったからな」


 身長の話は、ナナカには効果抜群だった。

 スレンダーな美女になりたかった妹の身長は伸び悩み、対照的にあたしの成長は留まるところを知らなかった。


「ふん、だ。いいもん、あんまり身長高いと、嫁の貰い手に苦労するんだからね!」

「あ、あたしより身長が高い人を探すし!」


 手痛いカウンターをもらった。

 男子禁制の国に生まれたとしても、あたしたちはいつかこの島国を発ち、誰かのお嫁さんになるのだ。ヒールを履くことも考えると、あたしの男性の好みは断然180cm以上の男性だ。ラブ高身長、愛してるぜ背の高い男の精神である。


「なにをう! だったらナナカはリッカちゃんの旦那より身長が高くて、超カッコイイ旦那をもらうもん!」

「そういう寝言は、まずは"鐘鳴りの乙女"になってから言え!」

「うるさい! 特待生だからって、一歩リードした気になるなよ!」


 あたしたちは、一つの枕を投げ合って騒いだ。

 こうして下らない会話で馬鹿騒ぎできるのも、姉妹の特権である。


 つい最近まで寒いと思っていた季節は北風とともに吹きさり、ひと暴れすると身体が汗ばんでいた。霜が張っていた地面から春が芽を出し始めたころ、ナナカの高等部入学が迫っていた。

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