第55話 フレネルレンズの虚像
特待生の話を受けた翌日から、あたしの世界は色を変えた。
教員曰くご内密にとのことだったが、すでに教室中は特待生の話でもちきり。着席すると同時に取り囲まれてしまった。
「ねえ、リッカさん。特待生になったって話、本当なの」
「魔力総量の評価が高かったと聞いたけど、実際のカードは何色なのかしら」
「羨ましいわ。あの御三家やエクシリアのご令嬢と一緒だなんて」
ひっきりなしに質問攻めにされて、初めて人気者の気分というものを味わった。あたしの足元には魔法石でも埋まっているではないかと思うぐらい、代わる代わる女生徒が集まっていた。
正直内弁慶としては勘弁して欲しかったが、クラス内の立ち位置も考えると、受け答えせざるを得なかった。「そんな大したことじゃない」と謙遜してみたり、質問に答えたりした。きゃあきゃあと、クラスメイトは無邪気にはしゃいでいた。
「ふん。少しばかし魔力総量が高いだけだろ」
その声の出どころを求めて、人集りの視線はさまよう。数秒後には、無数の瞳が教室後方の引き戸の辺りに固定された。
腕を組み、壁に背中を預けるいけ好かない姿勢。あたしより10cmは身長が低いだろうか。朱色のベリーショート、何より猫目が特徴的な女生徒だった。
「あたしの名前は、ルバート=ピリカ」
幸運なことに、小等部時代あたしはルバートと接点がなかった。そして不幸なことに、この日接点を持ってしまった。両手の親指で自分を指さし、ルックミーしている、この馬鹿野郎と。
「あのう、聞いてないんだが」
「ほう。この私が眼中にないとは、良い度胸じゃないか」
急にふっかけてくるルバートに、周囲も困惑していた。ガッチリとあたしの周りをガードしながら、不快の色を灯した目を闖入者に向けていた。
「和気あいあいとしているところに、不躾な。一体どなたですの」
「えっと、菓子屋ルバートの娘さんじゃなかった」
「ああ、あの有名な。私あそこのお菓子大好きなの。お土産なんかで貰っちゃうと、ついつい食べ過ぎてしまうのよね」
おやおや、さっきまでの敵意はどこへやら。すっかりお菓子トークに寄り道した集団は、毒気を抜かれていた。即席の女生徒の団結力など、所詮この程度だった。
「くくくっ、安心するが良い。老舗菓子屋ルバートはその点も抜かりない。カロリーオフでも美味しさそのまま。豆腐ドーナツシリーズに続く、新たな低カロリーシリーズも開発中だ! 近日発売予定! 今後もご贔屓にお願いします」
喧嘩を売りに来た当人も、斜め45度の理想的なお辞儀を三方向にペコペコ。いつの間にか宣伝活動に熱を入れていた。予期せぬ新シリーズの発表に、クラス中のボルテージが上がっていった。
ここが多感な時期の少女にとって、娯楽が少ない島国だというのは認めよう。だが名前もわからない商品を予約するのは、いかがなものか。「毎度あり」とルバートはせっせと生徒手帳に予約を書いているし、本当にそれでいいのか。
「えっとさあ、何しの来たの? 新作の宣伝なら、それでも構わないけど」
「は――ッ! いつの間に宣伝活動に誘導された……おのれ」
今さっき催眠術が解けました、と言わんばかりの反応だった。
「このルバートさまの目的は、これを渡しに来たのだ!」
綺麗に折りたたまれた半紙の上には、毛筆で果たし状と書かれていた。達筆なのも気になるが、のしがついているのがこれまた丁寧だった。
「あっ、結構です」
「うおい! 三回は書き直したんだぞ、それ」
詰め寄るルバートを、両手で果たし状ごと押し返した。
「そもそも、なんで私なんだよ。他にもいるだろ」
「それはだな……運命を感じた――ッ! そう、ディスティニー」
握り拳をつくり熱っぽく語ったルバートだが、それは大嘘だった。
「たぶん特待生のなかでも、一番喧嘩を売りやすそうな方の元に来たのでは。ほら、他の方々は御三家や地主の娘ですから、怖いじゃないですか」
「御三家にも懇意にしていただいてますものね。それにエクシリアの娘に傷なんて付けたら、小麦の仕入れに関わりますものね」
冷ややかな半眼が集中すると、ルバートは明後日の方向を眺めながら口笛を吹いていた。
「でも、もう一人問題なさそうな人がいるじゃない」
「人の姿を借りたバーサーカーと喧嘩をする度胸はないんだろ」
「ええい、うるさい。そこの奴らスーパーシャラップ!」
図星をつかれて声を張り上げるルバートは、可哀想な奴だった。
「やめろー、そんな目で私を見るんじゃない」
見えない同情を払うように、ルバートは空中を手で掻き回した。
「ともかくだ! 正規の魔法少女になるのは私だということを忘れるなよ、ウルシ=リッカ!」
ビッシビッシと、ルバートは何度も腕を上下してあたしを指さした。変なのに絡まれて辟易したが、そろそろ背中を向けそうな気配が見てとれたので、黙って見送るつもりだった。
「いいか、"鐘鳴りの乙女"の一員になるのは、この私だ」
"鐘鳴りの乙女"――その単語さえ聞こえなければ。
「ちょっと待てよ」
バンッ、と机が鈍い悲鳴を上げた。
気づけば両手をついて立ち上がっていた。予想以上に縦に長いあたしに、ルバートは背筋を震わせた。いや、予想以上に悪い目つきにかもしれない。
「な、なんだよ。何か言いたいことでもあるのかよ」
ルバートの言う通りだった。恐らくこの場にいる誰もがあたしの次の言動を待っていたのだろうが、何分勢いで立ち上がっただけだ。
だがもう退けない。たとえナナカの刷り込みで"鐘鳴りの乙女"という単語に反応しただけだとしても。
しんと静まり返るなか、あたしは意を決して口を開いた。
「悪いが"鐘鳴りの乙女"は、あたしの予約席だ。テメエの席が欲しけりゃ、大人しく自分のクラスにでも帰りな。この三流魔法少女」
――と、ナナカが言いそうな台詞をセレクトした。
ここで舐められたことが発覚すれば、あたしは自宅で居場所を追われる。怒り狂ったナナカさまに、何されるかわかったものではなかった。
教室には沈黙が落ちていた。
どれほどの時間が過ぎただろうか、体感時間は一時間を越した気すらした。その沈黙は永遠に続くかと思われたが、割れんばかりの黄色い声援によって破れた。鼓膜が痺れる、なんの騒ぎだこれは。
「そうよ! リッカさんの言う通りよ、さっさと帰りなさい!」
「そうですわ。あまり私たちのホームで暴れるようであれば、菓子屋ルバートでもう買い物しませんわよ」
「そうよ、そうよ。不買運動されたいの!」
頭に浮かんだ文句はなんでも投げつけろの精神で、ルバートに罵声の投石が飛んだ。クラス中の集中砲火はさすがに効いたのか、下唇を噛んで涙を堪えていた。そんなに打たれ弱いなら、わざわざ喧嘩売りに来るなよ。
「うぐぐっ……覚えてろよ、ウルシ=リッカ!」
「一昨日きやがれですわ」と追い打ちを浴びながら、ルバートは逃げ帰っていた。悪いことをした気もしたが、これでナナカさまのお叱りは免れた。
そうしてほっと一息ついていられたのも、束の間だった。
「やるぅリッカさん! あたし痺れちゃったよ」
「大変だろうけど、クラスのみんな、リッカさんの味方だからね」
「っていうか、リッカさんスタイル良いね。もっかい立ってよ」
リッカさん、リッカさんと、四方八方から褒め言葉が降ってくる。こんなに大勢の人に褒められたことはなかったので、浮き足立ちながらも悪い気分ではなかった。今にして思えば、必死に頬を上げるあたしは、足元が見えていない大馬鹿野郎だった。
浮足立つどころか、あたしは神輿に担がれていたのだ。
◆
"リッカさん"というキャラクターをご存知だろうか。
読書とコーヒーをこよなく愛し、普段は無愛想にみえるが、実は気の良い女生徒なのだ。腕の立つ魔法少女でもあるが、決して無闇に力を振るうことはない。強きを挫き弱きを助く、スーパーヒロインなのである!
それいけ"リッカさん"!
今だやれ"リッカさん"!
……こんなの無理だよ"リッカさん"。
一体どれだけ煮詰めた渋茶を飲めば、ここまで顔が渋くなるのか。
「……なんだこれ」
テーブルクロスをかけた長机が均等に置かれた食堂校舎。
高等部の食堂棟よりは小さいが、旧校舎を再利用した食堂は少しボロだがちょっとしたものである。
昼食どきの活気も薄れて穏やかな空気が流れるなか、あたしは愕然としていた。手元のノートの切れ端には、あることないこと、いや9割がたないことが好き勝手に書かれていた。
「なんだはねえだろ。人がせっかくイメージ調査してやったのに」
カレーライスのAセットに加えて菓子パンを3つ平らげた友人――ハラカン=モフスキーは、指先を舐めながら抗議してきた。
「いや、ハラカンに文句があるわけじゃなくて」
問題なのは、この調査結果である。
「"さん"付けするだけで、どれだけイメージ変わるんだよ、私」
キャラクターが一人歩きするという言葉は知っていたが、まさか自分像が勝手に歩き出すとは予想だにしなかった。
「あっ、"リッカさん"の一人称は、あたしみたいだぞ」
もう一人称まで、キャラ付けができあがっていた。
あの日、ルバートを追い払った台詞がよほど記憶に焼きついたのか、"リッカさん"の一人称は「あたし」として認知されていた。
「実物とイメージが……全く合っていない」
「へえ。ちなみにどこから間違ってんの?」
「そもそも私、コーヒー飲めないんだけど」
「ぶっは! 二単語目からちげえ。しかもその見た目でコーヒー飲めねえって、傑作すぎるだろ。腹いてー」
ハラカンは左手で立派な腹を抱え、右手でテーブルを打楽器にしていた。
……こいつ、他人事だと思いやがって。こういうときこそ、特待生として磨いた魔法の出番である。食堂の香ばしい匂いがかき混ぜられていることに気づくと、ハラカンは慌てて態度を改めた。
「冗談だっての冗談! それにほら、合ってるところもあるじゃん」
「具体的には?」
「読書好きと、無愛想なところ」
さすがはあたしの友人である。的確に当てた褒美に、毎秒90m回転の【竜巻】の旅に招待してやることにした。
「あ、あと一つ! 決して無闇に力を振るわないとこ! いやー"リッカさん"は本当に偉大だなあ。偉大だなあ、"リッカさん"は」
もとより声が大きいハラカンが叫ぶものだから、食堂中の注目が集まった。この状況を許した時点で"リッカさん"の負けであった。仕方なくキャンセルした【竜巻】は、緑の魔力になって溶けていった。
「それにしても詠唱早えなあ。特待生訓練とやらの成果か」
「どうだかな。毎日虚仮にされちゃ堪らないから、努力はしてるけど」
特待生とは銘打っていたが、メインは他の中等部生と同じ基礎固めだった。あのころは、延々と魔法弾を生成する、地味で辛い訓練が続いた時期だったと記憶している。
「魔法の腕前もだけど、性格も強くなったよな」
「それこそ変わるさ。あんな奴らと一緒に訓練していれば、嫌でもな」
ナナカ以上の性格はこの世にない、と考えていたあたしの世界は狭かった。この世にはアウロイ高地の最高峰より矜持が高い人間や、全く共感できない感性の持ち主がいるのだと、特待生制度を通じて知った。
「あいつらは揃いも揃って頭がおかしい。たとえ全員宇宙人だと告白されても、信じちまいそうだ。むしろ、ああそうなんだと疑問が解消して、頭がスッキリする」
「そりゃ、ずいぶんな言い草だな。けどよ、口には気をつけといたほうがいいぜ。誰がどこで話を聞いているか、わからねえから」
「ここだけの話なんだが」と、ハラカンは顔を突き出して耳を要求した。この女は普段豪快な割に、こういう細かい芸にも長けていた。
「あいつら、派閥作ってるらしいんだ」
学生同士の会話では到底聞きそうにもない単語に、眉をひそめた。
「派閥って大袈裟な。せいぜい仲良しグループの話だろ」
「ざっと3クラス分の人間が徒党組んでいても、仲良しグループか?」
百名近い人数が一つの集団に属しているとなると、子供の遊びとは切り捨てられたなかった。あたしの顔が締まるのを確認すると、ハラカンは説明を続けた。
モモ、ユメリア、シルスターの三名が、水面下で着々と派閥を築いているとのことだった。
「派閥ねえ。そこまでして何を誇示したいのやら」
「さあな。大人の真似して喧嘩したいだけじゃねえの」
「おー怖い怖い。そういうのとは距離を置いて暮らすのが一番だよな」
「……いや、お前はもう無理だと思うぞ」
友よ、なぜそこで全力で視線を背けた。
両肩を掴んで何度も揺すると、ハラカンは口を割った。すでにリッカ派閥の前身に近い組織――リッカファンクラブが動いていると証言してくれた。その様な存在があることはどことなく知っていたが。
「ちょっと待て、知らない聞いてない!」
「だってお前、知らんぷりしてたじゃん」
噂を聞いても耳を塞ぎ、熱い視線には目を瞑る姿勢が災いした。
「確かに……その通りなんだけど」
「それにほら。特待生が派閥をつくるってことは、誰かの下に入らなきゃって風潮になるだろ。そうなったら、誰の下につきたい?」
痛いところを突く質問だった。答えなど決まりきっている。
あの四人に巻き込まれて、宇宙戦争を繰り広げるなんて御免だ。それなら無愛想で目つきが悪くても、人間の下に着いた方が幾分かマシだった。
「まあ、なんだ。頼りにされてるってことだよ!」
ガハハッ、とハラカンみたいに豪快に笑えたら、どれだけ楽だったことか。
人の見る目が変わるというのは、良いことばかりではなかった。むしろ日増しにプレッシャーが重くなってきた。特待生というレンズがあたしの実像を歪め、キラキラ光る虚像を作り出してしまった以上、もはや逃げることも叶わない。
長い溜息とともに肩を落としていると、駆け寄るクラスメイトの姿が見えた。こうも毎日続けば、要件を聞かずとも大体予測はついた。
「リッカさん大変! またルバートがしょうもない悪戯をしてるの」
これである。一昨日は教室の鍵穴に蝋燭を詰め、昨日は調理実習前に砂糖と塩をすべて入れ替えていた。呆れるほど悪戯のレパートリーに富んだ奴だった。
「ったく。何がしたいんだよ、あいつは」
苛立ち混じりに立ち上がり、前を行くクラスメイトの背中を追う直前。
「私はわかっかもな、あいつが何したいのか」
ハラカンの口ぶりが気になったが、振り返らずにクラスメイトの元に向かった。
今のあたしは特待生だ。ルバートを黙らせるなんて、赤子の手をひねるようなものだ――そう考えていた時点で、あたしの目は曇っていた。
レンズを挟んで見る景色に慣れて、何か大切なものを見落としていた。




