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魔法少女の狭き門  作者: 朝間 夕太郎
1年生 ―翠の風見鶏編―
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第54話 妹からの独立記念日

 小等部時代の放課後は、特訓の時間だった。

 終業の鐘と共に迎えに来るナナカに引っ張られて、毎日自宅に猛ダッシュで帰宅。鞄を自室に投げたら、ぐるりと回れ右だ。


「ほら早く行くよ、リッカちゃん」

「早いよ。もう少し待ってよ、ナナカ」


 情けない声を出していると、玄関のナナカがランニングシューズの踵を鳴らした。早く早くの合図だ。妹のせっかちに急かされることは、しょっちゅうだった。


 小等部の制服から動きやすさ重視のTシャツ、ショートパンツ姿に着替えてようやく追い付くも、息つく暇もない。


「それじゃあ、行くよ!」


 玄関を開け放つナナカに続いて、あたしも外の世界へと走り出した。

 小さいながらも6区の借家に住むウルシ家は、割りかた裕福な家庭といえた。中流の家庭が王都に住む場合、9区の集合住宅に入るのが普通である。それを思えば、父親は高給取りなのだろう。


 父親――あたしの記憶にはない存在だ。

 よちよち歩きもできない時分の記憶など覚えちゃいないが、それが悲劇的なことだとは今でも思わない。セントフィリアではありふれた光景だからだ。父親の顔を知らない娘など、この国にはごまんといる。

 

 けれど、何かの拍子で考えてしまうこともある。

 毎月養育費を送ってくる父親とは、どんな人なのか。少し見栄っ張りな母親が選ぶ男だから社会的地位のある人なのか、性格はどうなのだろうか、優しい人だったら良いな、なんて。


 結局は妄想の域を出ない遊びなのだが、ただ一つ自信を持って言えることがある。あたしの父親はきっと身長が高い。そうでなければ、長女の身長がにょきにょき伸びたことに説明がつかない。

 

「ボケっとしないの、リッカちゃん! 姉のくせに足引っ張らないでよ!」


 あと、怪獣みたいな思考の持ち主なのだろう。そうでなければ、ナナカの存在にも説明がつかない。


 考え事をする間に手を引かれ、気づけば6区の東門前にいた。王都の仕事場の大半が集中している区画だ。ひしめき合う背の高い建物の一つに身を隠すと、ナナカは白煉瓦の壁から東門の様子を伺っていた。東門の前には、当然二人の皮鎧を着た門兵が構えていた。


「……っち、さすがに守りが固いわね」


 舌打ちするナナカ。もう何をするかは大体わかっていたが、小声で問いただした。


「ちょっと、ナナカ。何するつもりなのよ」

「今さら何言ってんのよ。東門からナタリー城壁の外に出て、アウロイ高地に行くのよ! さっきリッカちゃんだって、うなづいてたじゃない」


 上の空だったから適当にうなづいたかもしれないが、それはそれ。人喰い虎や狡猾な狼が棲まう高地に赴くなんて、正気の沙汰ではなかった。


「やめようよ。子供二人じゃ、絶対に止められちゃうよ」

「大丈夫よ。そんなの空から飛んでかわせばいいでしょ」


 隣接する建造物の隙間から杖を引っ張りだすナナカ。我が妹は向こう見ずの癖に、こういう準備だけは良かった。

 「はい、これ」と手渡しする一本を前にして、あたしは顔色を悪くした。検問をやり過ごす罪悪感もあるが、それ以前に言い辛いことがあった。

 

「……飛行魔法は、怖い」

「はあ? 杖には乗れるじゃない」


 あたしの名誉のために弁明するが、飛行魔法の行使はできた。ただ飛行魔法の訓練というのは落下の危険を伴うため、往々にして低空で行うものだった。

 

「飛べるけど……高いところはちょっと」

「呆れた。全く、誰に似たんだが。魔法少女のくせに満足に空も飛べないなんて、そんなんじゃあ"鐘鳴りの乙女(カンパネラ)"の一員になれないわよ」

「……別になりたくないもん」


 別に当時のあたしは、そこまで"鐘鳴りの乙女"になりたかったわけではない。王国のアイドルに好意を持ったとしても、その感情は憧れである。キラキラ輝くお姫さまたちは、水晶球の向こう側の住人なのだ。

 

「なんか言った、リッカちゃん」


 ――なんて理屈は、この理不尽な妹の前では当然通じなかった。

 ナナカは姉妹揃って"鐘鳴りの乙女"の一員になると言って、頑として聞かなかった。こうして凄まれると、あたしは蛇に睨まれた蛙でしかない。


 怯える姉に対して、妹は呆れ気味にため息をついた。

 

「わかったわよ。城壁越えは諦めるから」

「……本当?」

「本当。あたしが今まで嘘ついたことある?」

「この前、わたしのお菓子食べたの黙ってた」


 ムッとした顔をつくると、このときばかりはナナカも目をそらした。

 あれだけは忘れまい。頬に食べかすをつけたまま堂々と「知らないわよ」と言うのだから、実に質が悪い妹だった。

 

「あんなのノーカンよ。そんなこと気にしてるから、リッカちゃんはちっこいのよ」

「最近は背が高くなったし、私がお姉ちゃんなんだけど」

「ふん。たかだか二年早く生まれただけのくせに。今に見てなさい。身長だって追い越して、スレンダーな美女になるんだから」


 張り合いのながらも、ナナカは折れてくれたようだった。


「それじゃあ、今日は飛行魔法の訓練に変更。大きなあたしがリッカちゃんに歩幅を合わせてあげるんだから、それで手を打ってよ」

「……わかった」


 二人一緒に王都の空へと舞い上がる。高いところは怖かったが、ナナカがぎゅっと手を握ってくれた。その温もりに安堵する一方で、焦燥感は静かに背中を登ってきていた。


 あたしは、この手にいつまで甘えていいのか。

 

 

 

     ◆

 

 

 

 中等部に進学しようと、物事が劇的に変わることなどなかった。

 中等部は小等部と同じ敷地内にあるし、外部入学生がくるわけでもない。人間関係の絵を少しずつ書き換えながら、日々が流れていくだけ。そんな平坦な日々が、いつまでも続くと思っていた。

 

「ウルシさん。放課後、職員室にきてくれない」

 

 身体測定を受けた翌日、あたしは担当教員に耳打ちされた。

 首を傾げながらも職員室に向かうと、衝立の奥にある学生指導スペースに通された。そこには、落ち着きのない母親がソファーにお尻を半分乗せていた。


「リッカ、貴方何したのよ」

「いやいやいや、何もしてないから。ナナカじゃあるまいし」

「それもそうよね……本当、何かしら」


 顔をひそめていた母親も、首を傾げていた。聞けば、呼び出しを食らったはいいが、どうやら詳しい話は聞いてないようだった。

 

「なんで聞いてこなかったのよ」

「今まで学校から呼び出し受けて、良いことがあった?」


 ないだろうな。こと家の母親に関していえば、悪い思い出でアルバムが何冊かつくれる。小等部の上級学年になってナナカさまは、それはそれは元気余って不祥事連発。妹が暴れるたびに母親は呼び出しをくらい、終いの果てには保護者会で槍玉に上げられたこともあった。

 

「もうね、条件反射なのよ。一先ず水晶越しに謝ってから、直ぐ飛んできたの」


 そう言う母親の足元には、菓子折りの袋が置いてあった。

 

「ちょっと止めてよ。頭から悪いことしたって決め付けるの」

「仕方ないじゃない。それとも貴方、何か良いことしたの?」

「良いことした覚えはないけど、要件聞かないとわからないじゃん」

「ほらみなさい。リッカだって、きちんと話聞いてないじゃない」


 声を潜めながら、しばし母親との口喧嘩は続いた。

 小学生のときに比べれば多少は気が強くなったこともあるし、何より相手は気心知れた母親だ。内弁慶なあたしにも与し易い相手だった。

 

「すいません。お待たせしました」


 衝立の向こう側から担当教員が顔を出すと、ぴたりと口喧嘩は収まった。内弁慶同士の喧嘩は、他人が介入すると途端に鎮静するのだ。


 席に着くと、担当教員は早々に話を始めた。

 

「お話というのは、他でもなくリッカさんについてなのですが」

「あのう……娘がご迷惑をおかけするようなことをしたのでしょうか」

「いえ、とんでもありません。そういう内容ではなくてですね」


 手を降って否定すると、教員はA3サイズのシートを差し出した。先日の身体測定の記録表だ。ごぼうみたいに伸びる身長が新記録を叩きだしていたので、正直あまり見たい代物ではなかった。

 

「あら貴方、また身長伸びてるじゃない」

「……うるさいなあ」


 あたしは小声でぼやく。当時の身長は165cm、体育の授業では最後尾に立たされているのだから、小柄とはいえない。周りは身長が高くて格好良いなどと勝手なことを言うが、もうこれ以上は勘弁して欲しかった。

 

「そちらも健やかに育っていて、目を引くのですが」


 身長欄に目移りする母娘の意識を戻すように、教員は診断表の一点を指さした。そりゃそうである。身長が高くて呼び出しくらうなんて、あってたまるか。

 

 担当教員の指先を追うと、そこには魔力総量が記載されていた。

 カードの配布こそないが、中等部の身体測定から新たに導入される計測項目だ。

 

 

 魔力総量――シルバーLv.1

 

 

 初めそこに記載されていた内容が飲み込なかった。母親も同じようで、あたしたちは間の抜けた顔を突き合わせていた。

 

「ご覧のとおり、ウルシさんは大変優秀な数値をお持ちでして」


 優秀。確かにそう言っても過言でない数値だった。

 中等部生の魔力総量は、9割が最低ランクのアイアンに当たる。残りの1割というのも、大半が1段上のブロンズ判定止まりである。それを考えれば、新入生がブロンズの1段階上のシルバークラスを叩き出すというのは、やはり破格だったのだろう。

 

「ちょっと、リッカ。貴方すごいじゃないの」


 興奮を隠し切れない母親が、あたしの肩を揺すった。

 ちょっと落ち着いて欲しかった。こっちはまだ整理がついていないのだ。

 

「ええ、本当に素晴らしい魔力総量です」


 この言葉をを切っ掛けに、担当教員は褒め殺しを始めた。

 最初不機嫌そうだった母親は絶えず顔を綻ばせ、笑い皺を増やしそうなくらいニマニマ。娘のあたしの方が恥ずかしくて、赤面しながら俯いていた。

 

「ここだけの話なので、ご内密にして欲しいのですが」


 声のトーンを落とすと、担当教員はそう本題を切り出してきた。

 彼女の内緒話によると、あたしの同学年には、他に魔力総量が高い女生徒が四人揃っているとのことだった。

 


 桃髪の暴君――ハイルフォン=モモ。


 白銀の将軍――ヴァイオリッヒ=シルスター。


 金色の聖母様――ユメリア=エクシリア。


 灼熱の貴公子――アレク=ウォンリー。

 


 この時期にはまだ"五人の才媛"の冠こそなかったものの、人付き合いの薄いあたしさえ知っている有名人だった。

 御三家と呼ばれる名門、クリッグ田園の大地主、入学式で暴れた馬鹿。

 最後だけ毛色が違う気もするが、いずれもそうそうたる面々だった。

 

「当女学院では、この四人にウルシさんを加えた計五名を特別奨学生として、魔法少女育成の特別教育枠を設けようと考えています」


 まさかの申し出に、あたしの頭は真っ白になった。

 誘い文句こそ遠回しだが、魔法少女の四大組織を担う人材を育てようと言っているのだ。あれだけ夢物語だと思っていた"鐘鳴りの乙女"入りが少し現実味を帯びた。手を伸ばせば届くのでは、と思ってしまうほどに。

 

「本人の意志を尊重するつもりですし、もちろん強制するつもりはありませんが」


 語尾の「が」が全てを物語っていた。

 返答を待つ担当教員だって、優秀な生徒を排出すれば箔がつくというものだ。母親も口には出さずに耐えているが、その多弁な瞳は娘への期待で満ちていた。


 正規の魔法少女になるというのはセントフィリア王国一の栄誉であり、本来断るなどあり得ない話だったが、あたしの本心は違った。

 

 

 ――断りたい。

 

 

 心を占める感情は、ただそれだけだった。

 身長が高くて目付きが悪くても、あたしは見た目ほど強くない。そもそも魔力総量が多いから、必ずしも魔法少女として優秀とは限らない。

 

 急速に口から水気が飛んで行く。声が出ない。

 返答に窮するなか、あたしの脳裏に浮かんだのはナナカだった。

 

 

 ――はあ? その申し出の一体どこに断る要素があるのよ。

 

 

 妹なら二つ返事でこの申し出を受ける。

 中等部に進学したのに、まだ小等部のナナカに後れをとるのか。

 何時までも妹に手を引かれる姉でいていいのか。

 

「受けます」


 あたしの口をついて出たのは、初めの意志とは真逆の言葉だった。やってしまったという思いもあったが、それ以上にやってやったという思いが勝った。


 熱に浮かされるように歩いた帰り道、隣を歩く母親はスキップを踏むほどご機嫌でよく喋った。正直あたしは空返事だったが、お構いなし。

 母親の喜びは、自宅に帰っても留まるところを知らなかった。まな板が立てる音もどこか軽やかで、まるで包丁が踊っているようだった。

 

「ねえ、今日って何かの記念日だっけ?」


 ナナカが怪訝な顔を浮かべるくらい、その日の夕食は豪勢だった。

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