第52話 7日間の砂時計
それはさながら戦争であった。
戦前に立つ命は二区からの撤退を決めると、指示を飛ばす。
――皆さん演説が始まりました。聴き入る観衆への売り込みはもう期待できません。二区から島を五区へと戻します。売り子フォーメーションBに移行!
魔法石を通じた会話に、命を付き従う者たちが答える。
――大変ですわ、弾が切れました。補給部隊は五区に応援を、至急応援を!
――五区に敵兵を発見しました。すでに先手を取られた模様!
――製氷部隊、ただいま到着しました。さあ、キンキンに冷えた飲み物に怯えるといい。
――こちら交渉部隊。菓子屋ルバートとの交渉に成功。ラインナップの差別化により、客足の増加が見込まれます。ただいまより野外販売を開始します。
――三区にて、学生主体の突発的なイベントが発生だよ! まだ敵兵の姿は見えないので、独占状態うはうはです。私のカートが火を噴く系!
年を経るごとに激戦と化していく、春祭りの売り子戦争。
売上に応じた給金が入るということもあり、初日に続いて二日目も熱い乙女の戦いがくり広げられていた。乙女は目をイェンマークに変え、0円スマイルを餌に次々と弾を撃ち尽くしていった。
午後五時を回り、日は暮れていく。夕焼けに染まる街並みを闊歩する者たちが、冷めやらぬ興奮をもったまま酒場へとくり出す最中、移動販売の売り子たちは冷静だった。この辺りが潮時と、撤収していく。足の重さと顔色を見れば、どの売り子に軍配が上がるかは明らかだ。
最大手、マートン商会敗れる。
その報は静かに、商いをする者たちの口伝えてで広まっていく。ここ数年、売り子界の頂点を守り続けたマートン商会の敗北に動揺が浸透していく。
相手は誰だ、誰だと巷の商人間で話題が上がるも、勝者の商会名を聞いた誰もが首をひねった。
その名は七区連合。職人街の寄り合い所帯であり、完全なるダークホースだった。一人とてマークしなかった七区連合、その頂点を率いる現場監督は長い銀髪を持つ麗しき乙女だったと噂が広まっていく。
「皆さん、我が七区連合の勝利に乾杯」
銀髪の乙女の乾杯に合わせて、売り子たちの祝杯が天高く掲げられる。
七区連合の現場監督――八坂命はこの日、売り子界のジャンヌ・ダルクの名を欲しいままにした。
◆
「いや、確かにバイトを勧めたのは、あたしだが」
二度目の宴はしめやかに、鍛冶屋ディルティの客間で行われていた。
いかつい職人はエールで火照る顔の眉間にシワを寄せながら言う。
「さすがに物事には限度ってものがある」
「……はい」
――ああ? 一イェンも持ってないだって。
ディルティと命が、今昔の話を交えて語り合う時間は短かった。会話の途中で命が無一文であるという衝撃の事実が判明したからだ。
ディルティは呆れ返るも、心のなかでは納得していた。
――良くわかったよ。あんたがあいつらの娘だってことが
――ここはお父さん似ということでひとつ、助けてください
――そういう抜け目のなさは母親似だよ、ど阿呆
こうして拳骨一発と引きかえに、命は売り子のアルバイトについた。
ディルティが七区の職人ネットワークを介して、人出が足りないアルバイトを斡旋してくれた形だ。臨時とはいえ、無一文の命には願ったり叶ったりであった。
だがやりすぎた、圧倒的にやりすぎてしまった。
「あら、黒髪の乙女ではありませんか。ごきげんよう」
「売り子というのは難しいものですわね」
ときに売上が伸び悩み、途方に暮れる女生徒A・Bを仲間に入れて。
「あっ、命ちゃん発見。昨日ぶりにこんにちは!」
ときに再開した根木を迎え入れ、命は売り子戦争の渦中へと乗り込んでいった。
増える仲間、宿敵マートン商会との戦い。
友情、努力、圧勝という、最後は無双状態で大暴れした七区連合は、あるゆら艱難辛苦を乗り越えて、邪魔する敵に彼我の実力差を見せつけ、二度と立ち上がれないレヴェルでめたくそにしてきた。
まさかの収益を上げた七区は、沸く沸く、大いに沸き上がる。
本日の売り子クイーンをお立ち台に上げてはフィーバー、フィーバー、エールで乾杯。気難しそうな女職人たちも赤ら顔で大騒ぎだった。
豪快な笑い声に混じって、銀髪の乙女へ捧ぐ歌が夜風にのり、それに負けじと命も踊る、バブルもあわやのジュリアナお立ち台。「いいぞー、いいぞー、もっとやれ」の声に合わせて、銀髪の乙女は舞い踊る。最終的には組み木をつくって、キャンプファイヤー。もーえろ燃えろと、みんな手をとり、輪になりダンシング。最終的にボヤ騒ぎになったのも、来年あたりにはいい思い出になるはずと、命は思いたい。
「少し……やりすぎましたか」
「少しで済むか、このど阿呆」
ゴツンとディルティは本日の主役に二度目の拳骨をくれる。
危うく由緒あるディルティ家が炭と灰になるところだった。
「あはは。まあ、ここは私の顔に免じて許して欲しい系」
山のような巨体の後ろから肩を叩くのは、もう一人の客人である根木だ。脳天気な顔はいつにもまして愉快そうで、とろんと溶けている。遊び半分で職人連中に入れられた酒が回っているようだ。
この酔っぱらいには参ったと、ディルティは編み込んだ赤髪をガリガリ掻いた。
「わかった、わかった。許してやるから、もたれるな」
「わーい。今日も人類は平和で楽しいな!」
笑い上戸の根木はふらふら部屋を回る。
聞かれたら面倒だと、ディルティは身を乗り出して命に耳打ちした。
「おい、あいつお前の友達なんだろ。なんとかしろ」
「あまり量は入っていないはずなのですがねえ」
根木の友人と一緒に世話係も兼ねる命は、フィーバーしつつもしっかりと根木の飲酒には乙女の眼光を光らせていた。祭りの席であれば許容範囲といえる分量だったと命は記憶している。
(ずいぶんと、酔いが回るペースが早いような)
何か原因があるのかと、思考を巡らせる命はひとつの可能性に行き当たる。
「あのう、茜ちゃん!」
「なあに命ちゃん。頭なでてくれるの、ねえ、頭なでてくれるの」
頭を肩に押し付けられると、命はひとまず根木の頭をなでて落ち着ける。
「昨日は何時頃に寝たのですか」
「寝てないよ」
命に驚きはなかった。そんな気がしていたからだ。
聞いた話では、根木は昨日の午前六時に起床。それから午後十一時を回ったこのときまで、一秒たりも寝ていない。計41時間の不眠不休娘が、命の肩に安心しきって頭をのせていた。
「だって命ちゃん、見つからないんだもん。いっぱい、いーっぱい遊びたかったのに、どこか行っちゃうんだもん」
「気持ちは嬉しいですが、あんまり無茶しちゃダメですよ」
命が目配せすると、ディルティは親指で寝室の方角を指した。
「ほら今日はもう寝ますよ。良い子ですから」
「えーやだやだ。ぜんぜん遊び足りないよ」
背中を押して誘導する命だったが、思いのほか根木の反発が強かった。
仕方がないと、命は明日渡すつもりだったものを交渉材料にする。
「良い子にしてたら、明日枕元にプレゼントがありますよ」
「やったー、サンタさんだ。春なのに白ひげの変人が出没系!」
なんとか根木に布団をかけた命を、ディルティが紅茶で労った。
「どうやら、よっぽど好かれているようだな、お前さん」
「好かれるのは嬉しいですが、あまり無茶をされるのも困りものですね」
「人間ってのはそんなものさ。自分を顧みず何かをする相手には、好意を返したくなるものさ。たとえそれが押し売りだとわかっていてもな」
いくつ年を経ても消えない雄々しい侍の勇姿と、幻となっても記憶に残り続ける黒髪の乙女の可憐な姿。二人の人物が脳裏に浮かぶと、ディルティの心はわずかにうずいた。
「やっぱり、お前はあの二人の娘だよ」
目に映る銀髪の乙女の姿はなんでこうも胸を震わすに、喜びの色だけで心を染め上げてくれないのか。
ディルティはエールを煽る。彼女は大人だから。
「明日は学校か?」
「そうですけど、この調子ではどうですかね」
ちらりと、命は一度寝室を目を遣った。
「ならちょうど良い。誰かに昔話を語りたくて語りたくて仕方がないのさ。なに、タダとは言わないさ。今日お前さんから受けた仕事はロハにしてやっても良い」
「ゆっくりと付き合わせてもらいますよ。まだ夜は長いですからね」
早朝の出会いから時間を空けて、やっとディルティは最愛の人の子供へ昔話を語る機会を得た。ホコリに塗れることはない、何十年と胸でしたためてきた思いを伝えられる。
きっと酒のせいだけでない胸の高鳴りを抑えながら、ディルティはグラスをとる。
「乾杯」
二度目となる夜の宴は静かな合図とともにはじまる。
◆
ガチンと、杯をぶつけ合う快音は鳴り止まない。
四区の酒飲み場はまだ寝静まらない。たとえ出店がなくなり、催し物がなくなっても、この街の春祭りは終わりを迎えることはない。
と、このように陽気な酔っぱらいどもで浮かれる四区の酒場だが、二人がいる個室は少し趣が違った。妖しく灯る紫色の魔法石のネオンの下、二人は部屋の壁に沿うL字型ソファーに腰をかける。
腰をかけるうちの一人、マグナは一口だけエールを含み、グラスを楕円の卓上に置いた。
「遠慮するなよ、マグナちゃん。私のおごりだから」
皮鎧を脱ぎ捨てたクトロワは、乾杯と一緒にグラスを空にする。まんまるの瞳をした幼顔には似合わぬ、豪快な飲みっぷりだった。
「あんたは飲むんだな。初めて知ったよ」
「曰く、景気の悪い顔で酒は飲むな。曰く、金は天下の回りもの。あんたみたいな金持ちは、湯水のようにたらふく飲んで、じゃぶじゃぶ金を落とせとのことだよ」
「なるほどな。リルの姉御が言いそうな台詞だ」
共通の知人を出すことで少し空気を和らげると、クトロワは机に備え付けの魔法石から二杯目を頼む。顔を伺うもマグナは首を横に降った。
「つまらないなあ。せっかくの春祭りだぜ。もっとこうテンション上げてこうよ」
「景気の悪い顔で酒は飲むな、だろ」
「ははは、言うねえ。騎士団長の酒を断れるやつなんて、うちには……いや、結構いるなあ。あれ? ワルウとアシュロンぐらいしか飲んでくれないかも」
「まあいいや、かんぱーい」とクトロワは受け取った二杯目を一人で乾杯する。進んで道化役をとる姿勢は相変わらずかと、マグナは顔を背けて吐息した。
迷惑をかけたお詫び代わりというお題目のサシ飲みは、誘いかけた当人の方が楽しんでいた。クトロワは王宮騎士団の面子を話題に出しては愉快そうだ。やれあいつはダメだ、アシュロンは本当にメガネだといった具合である。
それを相槌をうつでもなく、聞き流すでもなく、マグナはぼけっと耳に入れていた。
やがてエールが五杯目になるころ、クトロワは話題を変えた。
「まあ、マグナちゃんもつまらない酒を飲みに来たわけじゃないだろうし――そろそろ本題に入ろうか」
その言葉にマグナは姿勢を正す。
昨日起きたレイア姫の誘拐事件、それを聞くことが目的だった。
「結論からいうと、よくわからないんだよね、これが」
「まあそう来るとは思ってたよ」
レイア姫の誘拐事件については表沙汰にされなかったが、さすがに空から【式紙】が降り注いだ事件については隠蔽しきれなかった。ちょうど同時刻に開催予定だったマグリアの空中ショー、それの道具である【式紙】に細工が施されており、スタッフが事前チェックを怠った。
その結果、本来無害のはずの【式紙】が暴走し、マグリアが鎮圧に当たった流れだ。犯行はその後の調べで大規模な窃盗団によるものだと判明し、火事場ドロボウよろしく混乱に乗じて窃盗を働いていた。
――というのが、公式に捏造されたシナリオだ。
王宮騎士団をはじめとした誰もが、まだ真相には辿り着いていない。
「奴さんの動きがよくわからないんだよなあ」
もはや他人ごとのように、クトロワはナッツをつまみながらぼやく。
「そうだな」
何らかの目的を持った誘拐劇であるのであれば、要求のひとつもあってもおかしくない。そして何より引っかかるのが、【式紙】の行動だった。
「あれだけの騒動で、怪我人なし……なんの冗談だか」
押し合いによる怪我人はいたが、【式紙】による被害はなかった。一部の人間と反抗した者には反撃をした様子が見られたが、それも意識や身の自由を奪う拘束がメインだった。まるで血が流れないことを望むかのうようだ。
「あれは自動操縦だね。一定条件に該当した場合、行動するようにプログラミングされている。かなり式神に精通した人間の犯行じゃないの」
「じゃあ、どういう状況になれば、姫様を連れた個体がわざわざ王城に向けて北上するんだよ」
「うーん……城を落とせると確信したときとか」
「はっ」と、マグナは下らない冗談を鼻で笑った。
マグリアが一人で全てを焼き払ったことを考えれば、どうしてそう王城が簡単に落ちようものか。それこそ紙が束になったところで、たかが知れてていた。
王宮騎士団がいる限り、セントフィリア城は簡単に落城しない。
そのことをマグナはよく知っている。
「紙の兵士どもに無敵の城塞が落とせるかよ」
「だろうね」
自明の理とばかりに、クトロワは言葉を受け取る。それだけの戦力を保持している自負が彼女にはある。
けしかけても無駄な【式神】。不可解なレイア姫の誘拐。結局犯人が何をしたかったのか。ここで止まった話を進めるのが、今回のサシ飲みの目的だった。
「だが、紙の歩兵どもにも役割がないわけじゃないだろ。なあ」
マグナのなかで話す内容は決まっていた。
クトロワに対して守勢に回っていた彼女は、この日はじめて攻めに回る。
――あんた、この国を混乱させて何がやりたかったんだ?
ぴくりと。グラスを持ち上げかけたクトロワの手が止まった。そこに陽気な道化な顔はない。厳格な騎士団長の面差しがある。
「思えばはじめから、おかしかったんだよ」
協力を要請するという名目で拘束されたマグナ。
その裏にいたクトロワは動きが見られないばかりか、レイア姫脱走に対しての対処も消極的だった。彼女の性格を思えば、不祥事を隠蔽したいこともわかるが。
「この国に、王家以上に大事なものがあるのか」
王政を敷くセントフィリアにおいて、次期後継者たるレイア姫の脱走に力を尽くさぬ理由があるのか。マグナは問う。
クトロワは一度止めた手を動かし、エールを一口煽った。
「後手に回ったことは認めるよ。あの時はまだ脱走だったからね」
「ご聡明な騎士団長様にしては考えられないポカだな。誘拐になることも知っていたんじゃねえのか」
疑いを隠すことなく、マグナは顔を歪めて突き出す。
その顔を平然と眺めてクトロワは酒を飲む。
「そうやって君と私の仲を裂くのが、奴さんの目的かもね」
「とうに裂けたものを、どうやってこれ以上裂くのか、教えて欲しいもんだな」
魔法少女でなくなった、あの日から。
マグナはクトロワのことなど砂の一欠片も信用していない。
誰も一緒に心から酒を飲んでくれない。その人望のなさから、クトロワはため息をつく。
「そうだね。この際だからお互いの腹を割って話そうか」
一言前置きをしてから、クトロワは言葉を研ぎ澄ます。
「私は今回の一件は、マグナ=リュカの仕業だと思っている」
「よく言うぜ。人の腹しか、かっさばくつもりがねえくせに」
手中に収めることでマグナを抑制する。その監視のために派兵したのがワルウだとクトロワは主張するが、無駄な話である。そうくれば、マグナは「それも理由付けだ」と言うだけで平行線をたどる。座ったまんまる瞳も、鋭い双眸も譲らない。
「マグナちゃんは、王宮騎士団を嫌いすぎるきらいがある」
「……お前らほど信用ならない連中は、この国にはいねえ」
「これは言っても聞かなそうだな」
無駄を悟ると、クトロワは一度話の方向性を変えた。
唯一存在する手がかり【式紙】についてだ。
「【式紙】を使うってことは、今回の一件に東洋魔術師が関わっているのは明らかだ」
「話逸らしてんじゃねえよ。だから西洋魔術師の集団である自分たちは無関係だとでも言うつもりか」
「うちのローズは、君のところの黒髪の子――命ちゃんだっけ?――を疑っていたけどねえ」
「一介の外部入学生に、あれだけの【式紙】を使役する力があるかよ」
「だろうね」
クトロワも命はすでに捜査線上から外していた。
ローズが小手調べして興味を失ったことが何よりの証拠だ。その点については信用していた。
「じゃあ、うちの姫様は、どうやってあの子に目をつけたと思う」
「ころころ話変えてんじゃねえぞ」
「吠えるな。大事な話だ」
訝しがりながらも、マグナは事前の情報を基に答える。
「そんなの、生徒名鑑を調べて」
「へえ、知らなかったな」
大げさに驚いた演技を交えて、クトロワが斬り返した。
――生徒名鑑には、新入生まで載っているのかい。
ドクンと、マグナの心臓が一際高く跳ねた。
返し言葉に詰まる彼女にクトロワは続ける。
「更に言えばだ。うちのお姫様の【変身】は骨格をいじれない。肩から上しか乗ってない証明写真じゃあ、情報が足りなすぎる」
レイア姫が命に興味を示すためには、命の情報を知るプロセスが必要となる。セントフィリアに来訪して今日で一週間となる外部入学生の情報を持っている者など、当然限られてくる。
「マグナ=リュカが怪しいといったことは訂正しよう」
クトロワは揺らぐ双眸を覗き込みながら告げる。
「女学院が怪しい」
飲みかけのエールはこぼれ、グラスが卓上を転がり落ちた。
ガラスが割れる音が響くなか。マグナはクトロワの胸元を掴んでいた。二回りは小さいクトロワは身を預けて、ぷらんと浮かぶ。
「……テメエ」
「私とお前の憶測、どっちの方がまだ筋が通ると思う」
その一言で沸騰したマグナの頭は冷める。風下にいる事実を客観的に認め、粗相を働いた手を離した。
「女学院にいる東洋魔術師には気をつけた方がいい。教員、生徒問わず」
よれた服を正すと、クトロワは背を向けた。
それ以上は話すことはない。レイア姫が誰かに入れ知恵をもらって、命をセレクトしたことまでは調べがついているが、それ以上は霧のなかだ。
――あれ? それは貴方たちが教えてくれたのでしょう。
とても姫様に似た者がいると、レイア姫は聞いた。
では誰からと聞くと、彼女は首を傾げて考え始めてしまった。
王宮に務める人間の数は多い。人伝で聞いたような覚えはあっても、それ以上の記憶の糸はレイア姫にはたぐれなかった。
「特に命ちゃんとかいう子の近くにいる誰かに」
都合の悪いカードを伏せたまま、クトロワは先に帰り支度を済ませた。
「ああ、わかっていると思うけど、表にいるだろうマグリアは引き払ってもらおうか。うちも鐘鳴の乙女とは友好的な関係を築いてたいんだ」
赤子をあやすような笑顔に、マグナは歯を食いしばり耐えるほかなかった。
「先にいった通り、ここは私のおごりだ。好きなだけ飲んでいくといい」
くすりと、クトロワは口元を弓なりにする。
「もっとも、酒は景気の悪い顔で飲む物じゃないけどね」
一人残されたマグナは握り拳を楕円の卓上に叩き落とす。
怒りで胸焼けしそうな状況で酒など飲めたものではなかった。
◆
彼女は星空を眺めていた。
胸元の木箱を大事に抱えながら、故郷と違う星空を見つめる。
「こんなところにいましたか」
命が箒で鍛冶屋ギルティの赤煉瓦の屋根に登ると、先客は少しバツが悪そうに、はにかんだ。
「あちゃー、バレちゃった系」
「朝になる前にプレゼントも持って行ってしまうし、本当にいけない子ですね」
「いやん。あんまり怒らないでよ、命ちゃん」
命が根木の不在の気づいたのは、ディルティが酔いつぶれた後だ。
過去の語りに熱が入ると同時に酒が進み、最終的には何を言っているかよくわからないディルティに、命がそれっぽく相槌をうつ構図になっていた。
「でも、よくわかったね」
「この子がいますから」
夜の闇に紛れる漆黒の翼を広げた【烏】が命の肩に落ちる。
前日の誘拐騒動で警戒心が強かったこともあり、命は【烏】を用いて上空から根木を探していた。幸いにも上からの視点ならすぐわかる場所にいたわけだが。
「あー、カラスちゃんだ」
「ふふっ、嬢ちゃん。俺に触れたら火傷するぜ」
「丸焼けだったくせに、よく言えますねえ」
呆れながら、命は式紙とのリンクを断つことにした。
さすがに魔法を行使し過ぎて、【烏】を保つのが辛くなってきた。
「ちょっ、ご主人様。そりゃねえぜ。俺にももっと出番を」
「――ありません」
命は笑顔で魔力を食う元をなくした。
この式神とのやりとりを根木は羨ましそうに見ていた。
「いいなあ、命ちゃんは式神が使えて」
「茜ちゃんは式神が使えないのでしたね」
「うん。さっぱり使えない系」
根木の横に腰を下ろした命は、今度教えてあげることも考えたのだが、思い直す。この一週間で本人も式神に苦手意識を持っていた。たまに戦果をあげる【烏】はまだしも、出落ち要員の【犬】などもはや戦力外通告だ。
「うーん。たぶん、那須ちゃんに教わった方がいいですよ」
「そうなのかな。なら元気なったときにでも聞いてみる系」
不眠不休で動ける遊び人の根木と違って、那須は身体が弱いほうだ。前日に別れた際も李=紅花と陳=小喬の1-F中華組に救助されていた。一緒になって命たちを探すもダウンして、今は女子寮に帰っていると、命は根木から聞いていた。
(那須ちゃんとは、ランニングでもした方が良さそうですねえ)
地元とは違う星模様を見ながら命が考えていると、根木は木箱をギュッと愛おしそうに抱く。
「命ちゃん。これ本当にありがとう」
「ああ、ちょうど良いものを見つけたもので」
その木箱の中身は、缶切りだ。
人間国宝に近いディルティに打たせた缶切りは、ちょうど良いものどころではない。地元住民であれば恐れ多くて頼めないが、頼まれたディルティは豪快に笑って引き受けてくれた。
「そろそろ行きましょうか」
「ん、もうちょっとだけ」
そこが気に入ったのか、力の抜けた根木の頭は命の肩にのった。
肩口からほのかに漂う女の子の匂いにどぎまぎするも、命は心臓を抑えるつける。
数分ほど無言で星空を眺めてから、根木は口を開いた。
「ねえ、命ちゃん」
肩に頭を預けたまま根木は言う。
「毎日がお祭りだったら、いいのにね」
「さすがに毎日は。たまにだから良いのでは」
「ううん。楽しいことは毎日だってやった方が良い系!」
突然立ち上がった根木に命は慌てるも、根木は座る気がない。不安定な足場でくるりと回りながら星のような満面の笑みを振りまく。
「命ちゃんがいるなら、明日も、明後日もきっと楽しい日だよ」
「わかりました。楽しくなりますから、だから座って」
「本当に?」
「楽しくなります。楽しくないなら、きっと私が楽しくしてみせます」
不安がる命を弄ぶように、根木はくるくる屋根の上で回る。
飛行魔法が使えない彼女が落ちたらと思うと、命は気が気ではない。
「あ」
二人の声が重なりあう。
足を滑らせて、根木が石畳に向かって真っ逆さま。
あわやという場面だったが、箒に乗って急降下した命はなんとか抱きとめることに成功した。
「だから、言ったでしょう」
「えへへ。でも今の楽しかったね」
「……全くもう」
恐らく言っても聞かないのだろう。
それは彼女の笑顔を見れば命には十分にわかる。
「ねえ、明日は楽しい日かな」
「きっと貴方といれば、落ち着かない日ではありますよ」
「ぶー、命ちゃんの意地悪」
命は根木は抱きかかえたまま着地する。
先が思いやられるが、思いやらずとも時計の針は進んでいく。夜の十二時を回ったことは、命がセントフィリアに上陸してから一週間が経過したことを示していた。
やることは山積みだが、命はひとまずはこれで良しとした。
長い長い、命の一週間が幕を下ろした。
魔法少女の狭き門SSにて「登場人物紹介(第52話時点)」を更新(http://book1.adouzi.eu.org/n1267ce/11/)




