第51話 第一王女としてうまれて
春祭り二日目。
太陽が天頂に近づいたころ、白亜の王城――セントフィリア城では昼の会食が催されていた。招かれた客人は一人だが、その一人はたとえ女王といえども無碍に扱える相手ではない。
「このような節目にお招きいただけるなんて、光栄ね」
セントフィリア女学院の長、カルチェット=マーサは厳かに頭を下げる。
女学院の最高責任者、言い換えるならば二千人強の魔法少女の卵の統括者である彼女は、シックな黒のドレスに身を包み、湖面のように穏やかだ。
「あら先生、そのような虚礼はいりませんよ。逆に恐縮してしまいます」
王国の頂点、セントフィリア=メルディアは、微笑を湛えて客人を迎え入れた。
床につきそうなほどに長く、巻かれた桃色の髪がさらりと流れる。白い長袖のドレスに袖を通した彼女は、上座で客をまちわびていた。
「本来であれば、私が下座で先生をお出迎えするのが筋なのですが」
「うふふ。そんなことをされては、卒倒してしまいますよ。あまりこの老体をいじめないで欲しいわ」
二人は顔を見わせて上品に笑い合う。
こうして軽口を叩け合えるのも、二人が旧知の仲だからだ。
「先生は本当にお変わりないですね」
「貴方は変わったわね。立派な女王様になられたわ」
「あらやだ、こんなのは飾りみたいなものですよ」
相席する第一、第二王女、お付きの者たちの視線が集中すると、メルディアは悪戯に口元を押さえて「冗談ですよ」と流す。たとえ旧知の仲といえども体裁は大切である。常に見られ、常に評価される王座に座るのがメルディアの立場である。
「カルチェット様」
「あら、ありがとうございます」
女王のお付きに促され、カルチェットは荷物を預ける。その無言の催促に応えるように一礼してから席に着いた。
こぽこぽと赤い宝石の粒がワイングラスに注がれていく。
「それにしても時が経つのは早いものね。つい最近までメルディア様がご在籍だったと思っていたのに」
「あら。まだ籍が残っているというのなら、喜んで通わせていただきますよ」
「貴方は立派な女王様ですから、女学生が通う学び舎にはもうお迎え出来ませんよ」
「しかし」と、カルチェットは優しい眼差しを、相席する二人の王女に向けた。
「王女様がたであれば、喜んでお迎えしますよ」
第一王女レイアと、第二王女リディアは会釈する。彼女たちの主な役割は、愛想の良い顔をする、かかしである。下手な真似をすると母親のメルディアや教育係から烈火のごとく怒られてしまう。
「不出来な娘ですから、まだ人様には見せられませんよ」
「いやだわ。そんなことを言われたら、私の女生徒たちは岩戸にでも隠さないといけなくなりますわ。お二人とも立派な女王様ですよ」
「まあ昔の私よりは、確かに優秀かもしれませんけど」
「うふふ。そうやって私を困らせることを言うのも相変わらず」
給仕が運ぶ前菜に手を付けながら、二人は手探りの会話を続けていく。
「メルディア様が入学したのも、ちょうど成人の儀式を終えた後でしたね。どうです、この機会にご息女を思い出の女学院にお預けになっては」
「そうしたいのは山々なのですが、教育係がなかなか許してくれないもので」
ふう、と大げさにため息をつくと「ねえ、レイア」とメルディアは長女に笑顔を向ける。遠回しに昨日の件を責められていることを悟ると、レイアの微笑が凍り付く。
曖昧な返事でやり過ごすレイアに、カルチェットは声をかける。
「私の贈り物に袖を通してくれる日を、お待ちしておりますよ」
あ、完全にバレテーラと、レイアの手のひらに汗がにじむ。
カルチェットが勧誘のために送った女学院の制服と生徒名鑑。その一部がレイアに悪用されたことは、すでに筒抜けだった。
昨日レイアは、女学生溢れる春祭りに隠れるためにボレロの制服を着用し、命を認識した上で【変身】を行使していた。
本当は全く違う顔、背丈になれれば良いのだが、レイアの魔法の腕前は理想に追いつかない。骨格に障る変身ができない上、更にもう一つ制約がかかる。
「そうねレイア。貴方も自分に似た子に会いたがっていたものね」
いっそ首を撥ねてくれと、針のむしろに立つレイアは心中で悶える。
もう一つの制約、それは実在の人物を参考にすることだった。
魔法の練習をする際、レイアは何度か想像で顔を整えたことがあったが、想像力だけで形を整えることは難しく、長時間【変身】を持続することができない欠点を抱えていた。
はっきり言えば、実践には耐えない欠陥魔法である。
――背丈、顔つき、できれば髪の長さも同じぐらい。それでいて私と違う人。……さすがに、そんな人いないよね。
と、半ば計画を諦めかけだったレイアだが、彼女は黒髪の乙女は見つけてしまった。これがレイアにとっての幸運であり、命にとっての不幸だった。
エルバの実を用いた染料剤で髪色詐欺をすれば、あら不思議。第一王女は黒髪の乙女の皮を被ることに成功したのだ。これはいけると、出発前は拳を作っていたレイアだが。
「ならぜひ、ウチへいらっしゃい。せっかくの制服が泣いてしまうわ」
「そうね、考えておきましょうか。貴方も制服がお気に入りのようだからね」
うふふと、北と南の城主が笑顔でプレッシャーを上から落としてきた。
「先生、私の娘の演説、楽しみにしていて下さいね」
トチったら殺される。
言い知れぬ恐怖に怯えながら、レイア姫は生きた心地のしない会食を乗り越えた。
一刻も早く自室に篭りたい気分だったが、お見送りをする必要があった。レイアも会食場から白亜の城の玄関口まで付き添う。
「そういえば、先生」
お見送りする手前、ふとメルディアがこぼした。
「最近、熱心に挨拶回りをされていると伺いましたが、もし私でよければ、お手伝いしますよ」
「ええ。その時はぜひとも、お願いします」
協力を要請することもなければ、助力することもない。
お見送りの場にいた誰もがそのことだけは感じ取っていた。
「レイア姉様、演説の練習手伝いますわよ」
「ええ。そうしてもらえると助かりますわ」
閉じられた城門を見つめ続けるメルディアから二人の王女は逃げる。
時間は短くとも寝食を共にする家族だ。どれだけ取り澄ましていようとわかる。今、母親は獰猛な牙を研いでいるのだと。
――老体? 笑わせてくれるわね。
「骨がありすぎるのよ、この老骨が」
吐き捨てるとメルディアは執務に戻った。
◆
演説を間近に控えたレイアは、広すぎる自室で練習に励む。
――はあ? なんで私があんたの練習を手伝うのよ。笑わせんじゃないわよ。
と、いうのは妹のリディアの言である。
演説の練習に付き合うというのは、単なる逃げ口上だった。
レイアとリディアの姉妹仲は良くない。第一王女のレイアは、第二王女のリディアにとっては目の上のたんこぶである。
「政敵は早めに斬り捨てておいたほうが、身のためだぞ」
演説の練習に付き合うローズは、第二王女のいけ好かない態度に業を煮やしていた。昨日の騒動もレイア姫の妹君が裏で糸を引いていたのではないか、とすら勘ぐっている。
「こら。そういうこと言わないのローズ。あの子は政敵じゃなくて、私の妹よ」
「姉妹なんて枠組みに囚われない方が良い。どうせ遅かれ早かれ、足の引っ張り合いと蹴落とし合いに発展するのが目に見えているのだからな。蹴落とすなら早い方が良い」
――少なくとも、私はそうやって生きていた。
過去を交えて説得するローズだが、レイアは首を縦に振らなかった。
「心配してくれてありがとう。でも大丈夫よ」
「楽天的だな。そんなこと言っていると寝首をかかれるぞ」
「大丈夫よ。だって、貴方がそばにいるもの」
不意打ち気味の言葉にローズは虚をつかれた。
レイアが微笑みかけると、釣られて堅物の騎士も相好を崩した。
【小袋】
澄んだ鈴の声音で告げると、宙に空いた穴から一振りの剣がレイアの胸元に落ちた。
名工ディルティ=フロウが打った、この世に同じものはふたつとない、唯一無二の騎士の剣だ。内緒のプレゼントをレイアは誇らしげに見せる。
「姫様……それは」
「折れた剣の代用品じゃ、格好がつかないでしょ」
その儀式は本来であれば、騎士側にとって前日より身を清める沐浴や一昼夜におよぶ祈りを必要とするが、レイアは形式にはこだわらない。これはあくまでレイアとローズの間における非公式の儀式だ。
「今より貴方の叙任式を執り行います」
凛然としたレイアの立ち姿に、ローズは少しの間見惚れていた。
「……姫様」
「私一人だけ大人にする。なんて薄情なことは仰いませんよね」
「しかし、私はまだ姫様のために武勲を立てたわけでもありません」
「あら、いつもは自信に満ち溢れる騎士が、今日はずいぶんと殊勝なのね」
指名を受けたローズはかしこまる。
叙任式は騎士を一人前の戦士と認めたときに行う儀式であり、その意味はローズにとって大きい。たとえ非公式であろうと、おいそれとは受けられなかった。
「私はそんな堅いことを求めておりません。つまりこれは優秀な騎士へのアプローチ、そう囲い込みだとでも思って欲しいの」
「それとも」とレイアは首を傾げて悩ましげに微笑む。
悪戯に、それでいてどこか妖艶に。
「私の騎士は嫌かしら」
「め、滅相もございません」
慌てて否定するローズに、レイアは更に選択肢を与える。
「冗談よ。脅すつもりも、強制するつもりもありません。それは私の流儀に反します。もし私の騎士にならずとも、貴方を罰することも、騎士の名を貶める真似もしません。偉大なるセントフィリアの家名に賭けて、誓いましょう」
ローズは、王宮騎士団の歴史に類をみない才を持った騎士である。かのセレナ=セントフィリア以外の誰もが持ち得なかった、四属性の魔法をその身に宿す奇跡の具現者だ。
その一方でレイアは魔法の才能には乏しく、歴代王家の人間とくらべてもとりたてて秀でた者ではなかった。
――凡庸なる姫と才気あふれる騎士。
身分の差はあれど、ローズはレイアにとって、すぎた騎士である。
その自覚がレイアにはあり、だからこその覚悟がある。彼の者が別の道を歩みたいと申すのであれば、その意志を尊重する寛大なる心がある。
「いつまでもずっと、私の騎士でいてくれますか」
姫の誘いに、騎士は忠義のままに片膝をついた。
「貴方の御心のままに――いや」
これはずるいと、ローズは訂正する。
「私の心に望むままに、忠義を誓わせていただきます」
「ありがとう。愛しているわ、私の騎士」
レイアの雪のように白い中指と人差し指が、ローズの首元をなぞり上げる。やがて顎先を持ち上げると、二人は顔のシルエットを重ねあわせる。口元に淡く残る感触にローズが動じることはなかった。
「……祝言を与えるのが先では」
「貴方がきれいな唇をしているのがいけないのよ」
順序は前後したものの、気にせずレイアは儀式を進行する。
鈴を鳴らすような声で騎士へと祈りを捧げる。
「彼女が、我が愛するこの国すべての者の保護者かつ守護者となるように」
淀みなく、清らかな乙女の祈りは続く。
「まさに騎士になろうとする者に、真理を守るべし、祈りかつ懸命に生きる者すべてを守護すべし」
祈りを終えると、レイアはローズに騎士たる証を捧げる。
両手にある確かな重みを感じ取ると、ローズは腰元の代用品と取り替えて佩刀する。指先まで神経をかよわせた静かなる抜刀は三度続き、主を映す曇りなき銀の刃は鞘へと収められた。
精錬された騎士の技を見届けると、レイアは右手を前に差し出す。避けることが許されない"首うち"がローズの首筋を叩いた。
小さな痛みを騎士は名残惜しむも、数秒のうちにそれは消えていく。
蒼いタンザナイトの瞳と、灰色がかる煙水晶が互いを映す。
この時をもって、ローズはレイアに真に忠義を尽くす騎士となった。
誰から与えられた命でもない。自分で選びとった主君を守りぬくと、その剣に誓いを立てた。
大きなアンティークの置時計の音が鳴り響く。
二人は現実に引き戻された。まるで今の時間が夢だったかのようだ。
「あら、演説の練習をする時間がなくなってしまいましたね」
「先ほどの調子で語られるようであれば、何も心配ありません」
「あんな大勢の前で愛を語れと。私をりんごにするつもりですか」
「国を愛するということは、そういうことでは」
「うふふ。それもそうね」
二人は薄暗い私室の扉を開け放つ。
目前に迫る大一番にたいして、レイアの心は穏やかだった。
騎士を引き連れる彼女には、もう何も怖いものなどない。
上階へと続く大人の階段を登り、第一王女はバルコニーへと出る。
透明なガラス扉を潜れば、全身をびりびり震わす歓声が彼女を待ち受ける。眼下には数え切れないほどの国民が、彼女を待ちわびていた。
白い欄干まで移動すると、レイアの瞳はある者に釘付けになった。
氷水が浮くカートを押す、それは自分によく似た容姿を持つ黒髪の乙女だった。演説を聞く気がないのか、観衆へ飲み物を売りさばくと、彼女は背を向けて広場から去っていく。
――ずいぶんと、嫌われてしまったのものね。
くすりと、口元を緩めてから第一王女は演説を始めた。




