第50話 鍛冶屋の心を打つ者
セントフィリアの生活と職人は、切っても切れない関係にある。
工業生産という概念がない異国の島国において、職人という存在は生活をささえる大切な基板である。コップやステンドグラスといったガラス製品、錠前やカトラリーといった金属製品など、身近な品のほとんどは職人に手による一品物である。
ディルティは、そんな数多くある職人家系の一つだ。
鍛冶屋というこの国では別段珍しくない職種の家系だが、鍛冶屋ディルティは他と比べて少し特殊な立ち位置にいる。
――いいか、フウロ。お前は我がディルティ家の看板を背負って立つ者だ。
ディルティ家は、この国でも一二位を争う位置につける高名な鍛冶屋家系だった。
フウロは物心つくころから、母親から鍛冶職人としてのあり方を説かれてきた。なんだか大変だなあと、他人ごとのように母親の話を聞けた期間は短い。気づけば仕事場にかりだされ、何度も火傷をこしらえることになった。フウロが火属性の魔法少女でなければ、あわや大惨事といった場面もあった。
母親の腰より大きくなったとき、フウロは同年代の少女と同じく魔法少女になりたいと言ったこともあった。もっとも母親に殴られ、一昼夜説教を受けてからは、そのようなことは言わないようになった。
母親の仕事の手伝いが生活の中心で、片手間に女学院に通う生活を送る日々が続いた。そうして彼女は、人生の岐路に立っていた。
ディルティ=フウロ、18歳。
女学院卒業を翌月に控えた彼女は、物憂げに杖で空をかけていた。
制服をぬぎすて、魔法少女をやめるとき。それはフウロがこれからの生涯をディルティ家の職人として生きることを意味していた。それがフウロにとっては憂鬱だった。彼女は好んで職人になるのでなく、生まれながら職人になることを宿命づけられていたからだ。
フウロは親の期待を裏切れるほど親不孝者でなければ、これから何十年先も続く鍛冶屋の道と真っ直ぐ向き合えるほど、真摯な職人でもなかった。
果たして自分にディルティの家名を守れるのか。そもそも鍛冶職人として、生涯を全うすることができるのか。胸をうずまく不安には限りがない。
だからフウロは、南東の端にある海辺駅カフランの近辺まで飛んできてしまった。魔力摘出を間近に控えて飛行魔法が名残惜しいということもあるが、頭を整理しようとするうちに思いのほか遠出していた。
フウロは当初の目的に立ち返り、鬱蒼とした木々が生い茂るアウロイ高地に入っていく。薪にするには最適な、魔力を帯びた木々を採取しにきたのだ。もっとも、アウロイ高地は島国をぐるりと囲んでいるので、わざわざ王都から遠い南側にくる必要はなかったのだが。
――今日中に薪を拾ってこい。ただそれだけで良い。
自分の悩みは母親に見透かされている。そのことはフウロを勘付いていた。
仕事に対しては厳しいばかりの母親にしては、珍しい気遣いだった。もしかしたら過去に同じ境遇に立っていたのかなどと、娘のフウロは思案する。
そうやって意識を疎かにしたのが、良くなかった。
アウロイ高地の王者、アウロイタイガー。
ゼブラ模様の虎。その威圧感に押されてフウロの身がすくむ。高級毛皮として重宝される虎ではあるが、並の魔法少女にはまるで歯が立たない獣である。
いつの間に虎の間合いに入ってしまったのかと、フウロは己の迂闊さを呪うも、更に不幸は畳みかけた。
白銀の群狼、シルバリオン。
統率のとれた狼がいたるところに点在していた。ときにアウロイタイガーすら脅かす狼の包囲網のなかに、フウロはすでに取り込まれていた。無数の血走った視線が集まる。フウロは気づかぬうちに、縄張り争いする虎と狼の戦いに足を踏み入れてしまっていた。
あはは、どちらも高級毛皮だとか。前門の虎、後門の狼って、こういうときに使う言葉なのね、なんて現実逃避でフウロの頭はパンクしていた。片手間に女学院を卒業したフウロの実力は、よく見積もって中の下。シルバリオンを数匹倒したら、よくできましたと花丸をもらえるレヴェルの魔法少女だ。
――あっ、これ死んだ。
獣の饗宴が始まる瞬間。フウロは静かに死を悟った。
このとき、確かにディルティの家は血は絶えていたのかもしれない。
その獣が姿を見せなければ。
目前に現れた獣にフウロは小さく声をこぼした。
シルバリオンの群れを突破する全長170センチ後半の獣がいた。ボロ布と呼んでもなんら差支えがない黒い着流しを揺らす。獣の咆哮とともに振るわれる獲物は、鍛冶屋のフウロも見たことがない芸術品と見紛う美しい刃物――大太刀。
意志の強い黒目をぎらつかせ、獣は威嚇する。
――俺の恋路を邪魔する奴は。
正体不明の獣は謎の武器を振り回す。全長に近い大太刀を張り巡る木々に一度も引っ掛けることもない、荒々しくも美しい立ち回りだった。時間差で連携をとるシルバリオンの群れも、王者アウロイタイガーの決死の突撃もいなし、情け容赦なくかっさばいていく。
――俺に斬られて死ぬ。
血風が舞う中心で大太刀の血を拭うと、鞘へと収める。
それはフウロが見たことがない、男という性別の獣だった。
自分とはあまりにも違う雄々しい存在に胸の鼓動は止まらない。
この日、フウロは男という存在と同時に恋という感情を知った。
1988年3月上旬。
愛しの魔法少女を追い求めて、高校を中退した男――邦中士郎がセントフィリア王国に密入国した日のできごとだった。
◆
「今となっては懐かしい話さ」
鍛冶屋ディルティの客間。
無骨な丸太テーブルに着くディルティは、遠い目をして昔語りを終えた。
ディルティ=フウロ、34歳。母親の跡を継いだ彼女は、今や立派な職人としてディルティ家の家名を守り、磨き続けていた。
編み込んだ赤髪。筋肉がついて丸太のように太い腕に、丸くなった身体。こんな今の自分を乙女などとはいえないが、あのときのフウロは確かに乙女だった。
「もっとも、叶わぬ青春の1ページだったがね」
対面の黒髪の乙女は、コーヒーをすすりながら苦笑いを浮かべていた。
微妙な立ち位置にいる彼女には、非常に反応に困る言葉だった。
「なに、恨み事をいうつもりはないさ」
愉快そうに当代ディルティは口元を少し緩める。
「ただちょっと嬉しくなっただけさ」
その娘を一目みたときにディルティは確信を抱いた。
彼女はあの恋に生きる獣、邦中の娘に違いないと。
皮肉にもフウロが恋の競争に負けた魔法少女――八坂楓によく似た、可憐な外見をした黒髪の乙女だった。
思わぬ形で出逢った存在を、フウロは歓迎した。
迷惑とはわかっていても、昔話の一つでもしたくなる。そして教えたくなったのだ。彼女の父親がどれだけ格好良い男だったのか。
時に感情を織り交ぜ、話を語るフウロ。その昔話に黒髪の乙女は目を輝かせた。彼女もその話は知っていた。侍と幻の魔法少女の話は『武士の恋歌』という名の書籍にもなっており、それを読んだこともあった。しかし、想像を交えて執筆したものを読むのと、当時の光景を知る者が語るのでは違った。
黒髪の乙女はコーヒーをもう一口すする。胸焼けしそうな甘い物語のあとには、砂糖を入れないコーヒーが良い余韻となった。
「とても……素敵なお話でした」
うっとりとする表情を見て、対面のディルティは現実に戻されたのか。少し恥ずかしげに手を降って謙遜する。
「よせやい。お礼を言われるような話じゃないさ」
「少し待ってな」と、腰を上げたディルティは、一度客間を離れる。私室のタンスに仕舞いこんでいた品を持って帰ると、それを差し出した。
「昔話に付き合わせた礼だ。持って行ってくれ」
木製の鞘に収まった匕首――黒姫。
在りし日のディルティが彼のために打った品だった。今の彼女の作品に比べれば拙いが、お気に入りの品だ。決して恋した男に届かなかった思い出の作品である。
「……すいません」
黒髪の乙女は頭を下げた。
耳あて付きの鹿撃ち帽、高級猫缶、東洋魔術の書籍。
数々の品々をもらった黒髪の乙女もこれだけは受け取れなかった。
偽りの黒髪の乙女――レイア姫は包み隠さずすべてを打ち明けた。
「なっ……レイア姫様。こいつはとんだご無礼を」
ディルティは、お得意様に膝をついた。
女王への宝剣の献上から始まり、王宮騎士団をはじめとした兵士の武器、防具の製造にもディルティ家は関わっている。無礼な態度など砂の一欠片も見せられる相手ではない。
「いえ、そう畏まらないでください。ここにいるのは一国の王女でもなければ、貴方が愛した武士の娘でもありません。ただの悪戯ものの町娘です」
「……そうでしょうか。いえ、そうですか」
ディルティは、自分に言い聞かせると白い歯を見せた。
愛した男の娘が第一王女であったことに驚きは隠せないが、取り繕う。
本来であれば姿を晒して謝るのが礼儀だと知りながらも、混乱を避けるためにそれはできなかった。レイア姫は申し訳なさげにもう一度頭を下げた。
「期待を裏切った挙句、貴方の恋話まで聞いてしまい、本当に申し訳ありません」
「いけません。そんな真似をしないで下さい」
一国の王女が頭を下げることにディルティは慌てる。いくら鍛冶屋のなかでは名が通っているとはいえ、王女の前では吹けば飛ぶような職人の一人である。
その腫れ物に触るような応対に、レイアは頬を膨らませた。
「私はただの悪戯ものの町娘です」
「え? いやまあ」
「さあ、どうぞ!」
困惑するディルティを置いて、レイアは目をつぶって身構える。注射を怖がる子供のように身体をぷるぷると震わせている。それが何の真似かディルティにはわからない。
やがて痺れを切らしたレイアは目を開けてきょとんとする。
「あれ? こういうときは『めっ』と言われて叩かれるものではないのですか。そう教わったのですが」
「はて」と、レイアは首をかしげる。
誤った認識を持っていたのか、あるいは教養が足りなかったのかと思い悩む。その様子のおかしさにディルティは小さく吹き出した。
「いいや、間違ってやしないよ」
「そうですか。私の不勉強かと思って、少し焦りました」
「それでは」と仕切りなおして「どうぞ!」とレイア姫はスタンバイした。
姫様の震えのなかにある期待を感じ取ると、ディルティは腰をひねった。
「この」
それが礼儀だとばかりに、気難しい職人は容赦しなかった。
「――悪ガキがあああああ!」
ディルティの右の張り手は、レイアの頬に吸い込まれ、甲高い音を上げる。
頬を赤く腫らしたレイアは首を90度曲げたまま、数秒ほど固まっていた。
さすがに手心を加えすぎなかったかと、ディルティが心配するなか。
「ら、らいじょうぶれす」
半泣きのレイアが首を回した。目元に涙が見えるが、口元はどこか満足気だ。
「はは」と小さくディルティは笑う。打たれ強いレイア姫の姿を拝見し、この国は安泰だと、安心していた。
深呼吸を二度、三度繰り返すと、レイアは王女としての威厳を取り戻す。
「貴方を落胆させたこと、心より謝らせていただきます」
レイアは依頼の品を【小袋】に収納した。今までもらった品々を仕舞わなかったのは、レイアの魔力総量が少ないからだ。【小袋】は便利な反面、収納している間、その量に応じた魔力を持っていかれる。
ただ、リッカに問い詰められた際に使わなかったのは、また別の理由だ。レイアは黒髪の東洋人の姿をしているが、魔力の質は西洋魔術師のものだ。匂いを嗅ぎ取られれば、一発でレイアが偽物であったことがバレる状況だった。
レイアとしては、願わくば帰り道は彼女に会わないことを祈るのみだ。
「それでは失礼いたします」
「ああ、気をつけて帰れよ。悪戯ものの町娘」
口元を上品に押さえて笑うと、レイアは玄関へと向かう。
「ああ、言い忘れてたことがありましたね」
くるりと、玄関扉の前でレイアはターンする。
「この姿は、私が女学院に在籍する者から借りたものなのですよ」
悪戯をする子供みたいに、楽しげにレイアは続けた。
「もしかしたら、明日あたりその子が来るかもしれませんよ」
「それではご機嫌よう」と挨拶を交わしてレイア姫は帰路へ着く。
その予定だったが、突如現れた人型の【式紙】に攫われることになった。
あれから、ディルティは気が気でなかった。
レイア姫の身に何かあったらと思い続けていたが、後にレイアの身の安全を知った。
野外で予告なく行われた、セレナとリッシュの伝統劇を仲裁しに現れたという噂が耳に届くと、ディルティは腹の底から深く息を吐き、安堵した。
緘口令が敷かれた姫様誘拐劇から翌日。
ディルティは、仕事場には向かわなかった。
前日に引き続き春祭りが開催されているからではない。七区の職人はどうも、その手の祭り事より仕事を優先する職人気質なところがある。
ディルティは、待っていたのだ。彼女が訪れるのを。
からんからん、と玄関のベルが鳴る。
「失礼いたします」
なかに入ってきたのは、昨日訪れたレイア姫に瓜二つの命だった。
いや、この場合は八坂楓と邦中士郎の面影を持つ子と表現する方が最適だ。人目を惹く容姿を持つ乙女だったが、ディルティは別の意味で上から下まで注視していた。
「えっと、どうしましたか」
無遠慮な視線が気になり、命は尋ねる。
「いや……どうも本物を見た後だとな」
「私が本物ですよ――ッ!」
間が悪いことに、黒髪の乙女は臨時休業で、命は期間限定の銀髪の乙女だった。
「私が本物の娘ですよ」とディルティの冗談に、命は必死にとりなす。もちろん"娘"というのもまた嘘なのではあるが。
春祭りの二日目。命は職人ディルティと巡りあった。
▶ステータス【Before】
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名前:邦中 士郎(18歳当時)
性格:恋に生きる
HP:3年で世界を回るほど
MP:皆無だが、一部装備が魔法道具
ちから:野生の虎を叩き切れる
すばやさ:人類の極み
かしこさ:高校中退のため、中卒レヴェル
うんのよさ:最愛の人と結ばれるほど
しょくぎょう:放蕩息子
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▶ステータス【After】
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名前:八坂 士郎(婿入りのため改性)
性格:家族とともに生きる
HP:力仕事をすると腰痛になる
MP:皆無
ちから:野生の狼を叩き切れる
すばやさ:故障により走れない
かしこさ:神道系大学卒業レヴェル
うんのよさ:最愛の妻と息子に恵まれるほど
しょくぎょう:片田舎の宮司
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