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魔法少女の狭き門  作者: 朝間 夕太郎
旅立ち編
5/113

第5話 エンカウントは突然に

 旅立ちの荷物は少なかった。

 女学院指定の通学カバンと、両親からの贈り物である箒を持って、命はいざ新天地へ向けて出発した。


 八坂神社の百段近い石段を降りてから閑静な住宅外を通り抜けると、田舎街ながらも多少は発展した駅前通りに到着した。


(なんだか、あまり旅立ちのわくわく感がありませんねえ)


 駅前スーパーや見慣れたコーヒーショップ、中学時代によく買い食いした評判のパン屋さんを通りすぎて、命は最寄り駅への階段を登っていった。


 自宅の赤錆びたポストに入っていた案内用紙。


 命が便りとするそれを信じるならば、魔法の国への移動手段は電車だった。

 至って普通の移動手段であることに、命は落胆の色を隠し切れなかった。


(ポスター裏の秘密のスイッチを押したり、蒼色の特殊な石を使って天空の城へ入ったり。なんて、さすがにそのようなものはありませんか)


 大仰なギミックや、ファンタジーに富んだ移動手段を期待したのが良くなかった。電車旅との落差はあまりに大きい。


(まあ気を取り直して、行きましょうか)


 今日が旅立ちの記念日という事実は変わらない。

 券売機で命は二枚の切符を購入した。一枚は移動用、もう一枚は旅立ちの記念品だ。制服のポケットに二枚の切符を大事そうに入れた。


(記念品、記念品っと)


 命にはこのような収集癖があった。

 映画を見ると、必ず半券は綺麗に保管するタイプだ。


 スカート姿であることを再認識し、階段では位置取りに気を付ける。

 電光掲示板が電車の到着を告げると、命は颯爽と端の席を確保した。

 早朝にもかかわらず、ちらほらとサラリーマンの姿が見えた。


 電車で移動するなか、命はまだ見ぬ女学院について想像を巡らせた。

 セントフィリア女学院の一切が謎に包まれていた。

 母親が入手した小冊子にも一度は目を通したものの、流し読みなので内容はさっぱりだ。一部の情報だけ鮮烈に焼き付いたこともあり、その他の情報は飛んでしまった。


(せめてもう一度読めれば良かったのですが)


 それは旅立ち前の、ある日の出来事。

 命は隠された小冊子を覗き見する作戦を決行した。両親が寝静まったことを確認してから、押入れに仕舞われた小冊子に手を伸ばしたのだが、


「あらー命ちゃん。これ以上の閲覧は、さすがに看過できないわよ」


 闇夜を切り裂く母親の声が聞こえ、命は心臓が止まりかけた。

 息子の浅はかな行動を、母親は全てお見通しだった。

 小冊子はガスコンロで容赦なく焼かれ、母親も一切の情報を漏らさなかった。


 元とはいえ、母親も魔法少女の端くれである。魔法少女には、魔法少女なりの掟がある。一度でも見逃してくれたことを幸いと思うほかなかった。


(それにしても、場所はどこですかねえ)


 学校の規模や校風、全校生徒数など気になることは無数あるが、目下気になるのは魔法の国がある場所だった。


(まさか日本国内ではないでしょうし)


 セントフィリア王国――世界唯一の魔法少女育成学校を有する国、つまりは魔法国家である。命が進学するセントフィリア女学院の名前も、国名に基づく名ではあるのは明らかだが、その国名が何を意味するかもわからない。


(現地語で国の特色を表すのか、魔法国家の神話に基づくのか、あるいは王族の名か)


 不明点はセントフィリア王国の由来に限った話ではない。

 風土、食事、風習、気候から歴史に至るまで、命は何も知らない。

 三年間秘密を保持した生活を送るというには、心もとなかった。


(とはいえ、手持ちの情報が皆無では、やれることなどたかが知れています)


 手元にあるのは、パズルの一ピースのみ。

 そのパズルが何ピース構成かも知らない状況では、パズルの全体像を掴むことはおろか、一部分を推測することすら難しい。それはもはや推測ではなく、妄想の域である。


(もう少し魔法について、関心を持っておくべきでしたか)


 幼少期の命にとって、魔法という言葉は黄金の輝きを放っていた。

 しかし、魔法など無くてもさして問題なく、逆に今まで生きてきた世界では日常生活へ支障をきたす恐れの方が大きかった。


 ただ無邪気に魔法が使えることを喜んでいたころが懐かしい。あのころの自分はまだ幼く、何も知らなかった。

 流れる風景から過去を探すように、命は窓の外をぼんやりと眺めていた。


(昔はもっと、特別なものだと思っていたのですが)


 次の駅に着くと、少ないながらも乗客が乗り込んでくる。

 依然としてぼんやりとその様子を眺めていた命だったが、じょじょにその目を見開くことになった。


(私と……同じ制服)


 濃紺のボレロと、チェック柄のプリーツスカートを着用した女生徒が命の向かい側に座った。間違いなくセントフィリア女学院の入学生だった。

 今まで一度も見たことない魔法少女に困惑する命だったが、驚いたのはお互いさまだ。向かい側のおでこを出した女生徒も、ぱちくりと目を瞬かせていた。


 視線は外せないが、声をかける切っ掛けも掴めない。

 二人がお見合いする間も、時間と電車は進んでいく。この気まずい空気に耐えかねて、先に口を開いたのは命だった。


「えっと……どうも」

「どうも」


 会話は途絶えた。会話というには短すぎるやりとりだった。


 気づけば、駅に到着した電車が新たな乗客を飲み込んでいく。

 女生徒の隣席は埋まり、二人の間を遮るように乗客の壁ができた。


 命が初めて遭遇した魔法少女は、ローカル線の電車に乗っていた。


 


     ◆


 


 黒髪を左右に流して出したおでこ。その下に人懐っこい笑顔を浮かべる女生徒は、電車を乗り換えるタイミングで小走りに駆け寄ってきた。


 同郷の魔法少女――根木(ねぎ)あかねは、距離を詰めるように親しげに声をかけてきた。


「さっきはごめんね。面食らっちゃってさ。気づいたときには満員乗車で、身動きとれなくなっちゃったんだ」

「いえ、面食らったのは私も同じですよ」


 フランクに話す根木に対して、命は丁寧な言葉遣いで返した。

 相手が初対面ということもあるが、何よりも距離感を掴みかねていた。


(なにしろ初物尽くしですから)


 初対面の相手。

 初めて見た、自分以外に魔法が使える人物。

 初めて女装して接触する女生徒。


 命の女装に問題がないか確認する、その試金石となる相手だった。

 根木の反応次第では、試金石どころか命炭鉱が早々に崩れ落ちることになる。

 最初の難関であることを意識すると、命の背中に緊張が走った。


「えっとさあ……」

「はい、どうしましたか」


 根木の声は空気を伝って電流になる。緊張が命の筋肉をびくりと跳ねさせた。


「この辺人通りが多いし、結構邪魔になる系」

「失礼しました。それもそうですね、早く移動しましょうか」


 それまで無言で根木を凝視していた命は、慌てて駅の乗降口から離れた。

 必要以上に怯えを見せる命に対して、根木は首を傾げたが追及はなかった。初対面の相手が苦手な人なのだろう、その程度に受け取られたのかもしれない。


「そうだね。それじゃあ一緒に行こうよ」

「ええ喜んで」


 内心は冷や汗まみれだが、この流れで単独行動に移るのもおかしかった。

 セントフィリア女学院までの道のりを、命は根木と共にすることにした。


(多少のリスクはありますが、悪いことばかりではないはずです)


 魔法少女が持っている情報量には格差がある、と命は睨んでいた。

 王国や女学院、あるいは魔法の情報、そのどれでも得られるのであれば儲けものだ。命は何よりも情報を欲していた。


 いかにして情報を探るべきか、その思考で頭を満たしていた命は、前を歩くことを疎かにしていた。


「八坂さん、そこ登っちゃダメ!」


 背中に届く根木の声。その意味を命が知るのは直ぐのことだった。


「えっ、あの……すみません」


 下り専用の階段を登っていることに気づくと、恥ずかしさが赤みを帯びてこみ上げた。Uターンした命は、人波と一緒に戻ってきた。


「くっ……」


 根木は口元を手で抑えて、笑いを押し殺していた。


(これは笑われても仕方がない)


 苦笑を浮かべる命を迎え入れると、根木は自信満々で言う。


「これが本当のお上りさん!」

「……はあ」


 その高度なギャグは、命の笑いのツボには届かなかった。


「――なんつッ亭茜、とか言ってみてもダメかな?」

「……たぶん手遅れかと」


 座布団全部持っていって――そんな声が命の脳内で聞こえた。


「おかしいなあ、会心の出来だと思ったのに」


 からからと笑う根木の顔を見ていると、自然と命の肩の力が抜けていく。

 今まで自分は何を気負っていたのか、不思議に思えるほどだった。


 根木は手を差し出し、命がその手を握るのを待っていた。


「これでお互いさまだね。私たちは恥ずかしいとこを見られたフレンドだ」


(……ああ、この人良い人なのですね)


 初めて会った魔法少女が、この子で良かった。


「ええ、こちらこそ」


 その出会いに感謝を込めて、命は根木の手を握った。


 


     ◆


 


 日本最大のターミナル駅――新宿駅。

 経済活動を各地に経由させる交通拠点は、今日も忙しく人を吸っては吐き出している。誰もが生き急いでいる駅のなかで、足が遅いのは決まって田舎者だ。


 足早な乗降客に睨まれていることに気づくと、命たちはそそくさとホームを後にした。


「やっぱり新宿駅って都会のダンジョンだよね。私、地理とかサッパリなんだよね」

「それは困りましたね。私もあまり得意でなくて」


 田舎者二人組は都会の歩行速度に怯えながらも、おっかなびっくりといった調子で新宿駅構内を進んでいく。


「もしや、目的地は新宿ダンジョンの地下!?」

「できればそれは、ご遠慮願いたいですね」


 突飛な発想で目を輝かせる根木に、命は困ったように笑顔を浮かべた。案内用紙には、ここから乗り換えだと記載されていた。


「でも目的通りの方角だと、山登りだよ?」

 

 ――9時20分発 JR中央線中央特快高尾行きの10両目に乗車する。


 そう記載された手元の案内用紙を、命は不安げに見つめていた。

 セントフィリア女学院への進学が決まってから、唯一届いた資料。今の二人が頼れるものはこれしかなかった。


「怪しいよね。山手線を三周すると異界に辿り着く方が、信憑性なくない?」

「あっ、その都市伝説、私も聞いたことあります」


 恥ずかしい友達宣言を受けてから、徐々に二人の息は合ってきた。

 仲良しとまではいかないが、少しずつよそよそしさは消えてきている。


「まあ行けと言われている以上、行くほかないでしょう」

「それもそだねー。為せば成る系」


 通勤ラッシュの時間帯を外れているとはいえ、新宿駅は日本最大のターミナル駅である。乗降客でごった返す人の間を縫うように二人は歩く。

 ときに当たりの強い乗降客から根木を守るため、命は彼女の盾となる位置をキープする。この辺りは男性としての本能が残っていた。


 やがて指定された10両目にたどり着くと、二人は不可思議な光景を目の当たりにした。


「うわあ、ぽっかり穴が空いてるよ!」


 根木の言葉通り、10両目前だけは人の流れがなかった。

 ただ、不自然に空いた空間には一人だけ少女が立っていた。二人とやはり同じ制服に身を包む、小柄な少女が。

 不安げに案内用紙を見つめていた彼女は、程なくして近づいてくる命たちに気づいた。


「あっ」


 瞬間、命と彼女の声が重なり合う。


 それが、気弱で小柄な魔法少女――那須(なす)との出会いだった。

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