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魔法少女の狭き門  作者: 朝間 夕太郎
1週間チュートリアル ―春祭り編―
49/113

第48話 威光の笠に雨は降る

 崩折(くずお)れたリッカから目を切る。

 ローズの興味は、もはやには向いていない。


「前座は下がっていろ」


 興味をなくした玩具から新品へ。妖しく輝く煙水晶の瞳が獲物を捉える。前方にはまだ活きの良い銀髪の乙女がいる。


「さあ、最終幕へと洒落込もうか」


 ローズが振り下ろした炎剣から火の粉が散る。


「即興劇に筋書きなどない。全てが自由だ。貴様は健気にも仲間のために立ち向かうのか。それとも、その役柄に相応しく尻尾を巻いて逃げるのか」


 手錠を焼き切ったのは単なる悪戯心によるものだ。逃走の自由を与えた弱者が何を選択するのか。ローズは命の選択を愉しむ。


「どうする。裏切り者のリッシュ=ウィーン」

「……どうするも何もないでしょう」


 立ち向かうことは賢明ではない。そんなことは命も百も承知だった。ただ、ざわつく心は言うことを聞いてくれない。

 脱ぐことすらわずらわしく、ボタンを弾き飛ばす。

 ときに乙女は獰猛に、ボレロ風の制服の上着を投げ捨てた。


 直ぐ側に守るべき大切な者がいるのに、向ける背など持ちあわせているものか。命は黒い靄の魔力を成形していく。


「貴方を倒してハッピーエンドを迎える。それ以外の結末は、私には皆目検討が付きません」

「そう来なくては面白くない」


 壇上の主演は両者ゆずることなく睨み合う。

 緊迫した空気が辺りに流れている。地元の観衆は固唾を呑んで演劇の行く末を見守っていたが、悲しいかな。その誰もがこの物語の結末を知っていた。


 数多存在する盟友戦争の脚本は、細部こそ違えど結末は全て同じである。

 命(ふん)するリッシュは志半ばで散り、セレナは友の死を乗り越えてこの国に君臨する。たとえ幾つの脚本を紐解いても、決して存在しない結末がある。


 災厄の象徴たるリッシュ=ウィーン。

 彼が勝利する筋書きは、この国にはなかった。




 ◆




 鼻から主演を張るには無理があったのだろう。

 片や大御所、片や名もなき斬られ役。

 命は小さな身体を何度も石畳に打ち付けていた。


「まだ……です」


 柔道で身に付けた受け身の心得が、命の首の皮一枚を繋いでいた。

 それに加えて【羽衣(ローブ)】と【結界弾】――二つの防御術式を痛い思いをしながらも身体で覚えていく。

 皮肉なことに、斬られ役としての腕だけはメキメキ上がっていた。


「懲りない奴だな」


 見下ろす煙水晶の瞳は冷めている。リッカに対してそうであったように、ローズはすでに命に対する興味を失いかけていた。


 命とローズの決闘は、ワンサイドゲームだった。主役たるローズに正義があろうと、こうも一方的では命への同情が集まる。

 そろそろ潮時だろう。

 そう判断したローズは、心にもない演劇じみた声を出した。


「もうこれ以上は見るに耐えない」


 不自然に割れた雲間に玉が浮かぶ。危険信号を灯すように、玉は赤く明滅する。

 チカチカ、と。

 終幕を飾る音が鳴る。


灼熱の錫杖(レーヴァテイン)


 火属性の代名詞ともいえる大魔法が、立ち尽くす命に照準を定めていた。


「ああ、さらばだ。愛した者よ」


 愛別離苦の台詞は、嘲笑を込めて送られた。

 そして玉は一際まばゆく光り――静かにその火を消した。


「いいわねえ。そんなロマンチストな台詞、一度は言われてみたいものね」


 壇上にズカズカ上がった観客が、盛大に水を差したのだ。

 ざあざあ、とバケツをひっくり返したような雨が降り注ぐ。自然の天候ではない、魔法の雨は地面を叩く音を重ね続ける。

 セントフィリア女学院の教員――リルレッドが、二人の間に割って入った。


「面白い見世物があると聞いて来たのにねえ。どう思うガンちゃん?」


 訊ねられたガンロックもまた観衆から前に出る。

 いつものお気楽な顔も、このときばかりは怒りで歪んでいた。


「ごめん……さすがに笑えない。今さ、すっごく不快なんだよ」


 邪魔立てされたことに腹を立て、ローズは小さく舌打ちした。


「何の真似だ貴様ら。事と次第によっては」

「――隊務規定に則り連行するか」


 さらりと。言葉を先読みしながら三人目の教員が前に出る。

 副教員ながら、命を受け持つ彼女が一番怒りを剥き出しにしていた。今や真面目なエリツキーにも規定などは盾にならない。


「そんな脅しは無駄だと思うがな」

「ええ、そうね。全く怖くないしね」


 エリツキーは命の元に寄る。突つけば倒れてしまいそうな命を、後ろから上背のある身体で支えた。


「この馬鹿が」

「エリツキー……先生?」


 黒水晶の瞳はぼんやりと、光彩に乏しい。こんな容態の生徒が相手とあっては、説教をするわけにもいかなかった。


「今回は迷惑をかけられてやる。お前は一応私の生徒だからな」

「……すみません」


 エリツキーはため息を付く。規則を守らない女生徒は嫌いだが、こうも問題児がしおらしいと気勢を削がれてしまう。


「頼れ。教師という生き物は生徒に頼られるのが存外嫌いではない。大人しく私の後ろにでも隠れていろ」


 看過せずローズが牽制しようとしたが、出足を挫くように地面が隆起した。


十字架の墓標(グレイブ)


 ご丁寧に『|Dance on your Grave(お前が死ねば万々歳)』と刻んだ墓標がローズの行く手を阻んだ。


「うひひ」


 挑発的な笑い声を漏らすと、ガンロックが中指を立てた。やめさない、とリルレッドは彼女の中指を優しく曲げる。


「……良い度胸だ」


 ローズは地属性の魔力を流し込み、墓標を砂欠片に変えた。

 柄を握る手に力を込め、脚を溜める。

 準備を終えると、炎剣を掲げて逸る足を前へと飛ばした。


 そして――金属音が響き渡る。


「リッシュの役……私が買っても構わんぞ」


 白銀の髪を照らすエリツキーは、ローズの突進を殺して鋭く睨む。錬金術で左手に生成した【銀の剣(アゾット)】は刃こぼれ一つない。


「ただそのときは」


 折れた炎剣の刃先が地面へと刺さる。


「――筋書きが変わるぞ」


 ただならぬ重圧(プレッシャー)に襲われ、ローズは距離をとる。エリツキーの魔力は、他二人の教師とはものが違った。


万年四位(エターナルフォース)だ」「間違いない」「あの万年四位だ」


 見物客がこぼす声に、エリツキーの耳がぴくりと反応する。聞こえてきたのは、彼女がこの世で一番嫌いな造語だった。


「万年四位のエリツキー=シフォンだ!」

「その名で呼ぶなああああああああああ!」


 エリツキーは取り乱して叫ぶ。それが悪意なき褒め言葉だとしても、彼女にとっては不名誉過ぎる称号だ。


「なるほど……万年四位か。道理で」

「何を隠そう。彼女が万年四位よ!」

「うひひ。万年四位とか……うひひ」

「や――め――ろおおおおおおお!」


 ローズ、リルレッド、ガンロックと続いた万年四位の連呼に、エリツキーは身悶えしていた。


「さて、エリちゃん虐めは置いといて」


 一時の茶番を終えると、リルレッドは本題へと戻った。


「何ウチの生徒虐めてんのよ、アンタ」

「あの、説得力ないのですが……リル姉さん」

「うるさい。黙りなさい」

「……はい」


 姉御の強権で黙らせると、リルレッドを地面を踏み鳴らす。一歩一歩。地面へ怒りを刻むように。


「わかる?こういうの一教師として見過ごせないのよ」

「ほう。最近の教師というのは制服を着用するのか?」

「気分は女学生なの。言わせんじゃないわよ」


 頭の悪すぎる会話だ。ローズは頭を抱える。リルレッドの制服ごっこは小憎たらしい上司を想起させた。


「……聞いた私が馬鹿だったな」

「自分から聞いといて、それはなしよ。ねえねえ私って幾つに見える?」

「黙れ、三十路女(としま)

「エリちゃん、そいつ斬り捨てて」


「ええー」とエリツキーは逡巡する。二十九歳(アラサー)の目が本気と書いてマジだ。若さが憎いと嫉妬混じりに瞳を細めている。


「……舐めてんじゃないわよ。小娘が」

「たかだが公僕の分際で楯突く気か。貴様こそ"王宮騎士団(ロイヤルナイツ)"を舐めるなよ」

「こちとら怖いものなんて行き遅れ以外にこの世にないのよ」


 リルレッドも年を食って多少は大人しくなった。

 問題教師筆頭の座をマグナに譲る程度には大人になったつもりだ。だが根っこまでは、そう簡単に変わるものではない。


「威光かざせば、ウチの教員がねえ」


 風向きが変わる。遊びは終わりだ、と。


「――頭下げっと思ったら大間違いよ」


 宣戦布告を受けて、めいめいが臨戦態勢を整える。

 エリツキーは遊ばせていた剣を構え直し、ガンロックは微笑を湛えて地を揺らし、ローズは三人の出方を窺い瞳を光らせた。


 一触即発の空気が漂うなか。


「やめなさあああああああああああああああい!」


 鈴の叫び声が上がった。


 偉容を持って人海をモーゼのごとく割る。

 斬られ役とよく似た黒髪の乙女が歩み出る。

 高貴な御身を預かるのは王国の誇る騎士団長、正装に身を包むクトロワが露払いを務めた。


「控えろ。どなたの御膳と心得る」


 黒髪の乙女の魔法が解けていく。

 シンデレラに戻る鐘の音が響く。

 一糸乱れぬ柔らかい桃色の髪。白く透き通るたまご型の小顔は、幼さを残すも美しき面差しだった。


 第一王女、レイア=セントフィリアが立つ。


 翌日に成人の儀を控えた姫様の登場に見物客は沸き立ち、称賛を送り続ける。レイアは手の一つでも振り返したいが、状況が状況だ。毅然とローズの元に向かう。


「ローズ。剣を納めなさい」

「しかし、レイア姫様」

「でもも、しかしも、ないわ」


 有無を言わさぬ鈴の声色だった。


「はっ。姫様の仰せのままに」


 騎士は折れたサーベルを納める。

 ローズはレイア姫に忠義を誓う身だ。反抗は許さない。ここで楯突けば裏切りの騎士の汚名を着ることなる。


「セレナ様とリッシュ様が和解する」


 陽だまりのように温かい微笑を湛えて。


「そんな結末があっても良いでしょう」


 演劇の幕を落としたのはレイア姫だった。

 和をもって尊しとなす姫様の姿勢に、感涙の涙を落とす国民さえあった。


(……よくもいけしゃあしゃあと)


 薄れゆく意識のなかで、命が抱いた感想がそれだった。

 ローズに到っては、澄まし顔で制服を脱ぎ捨てた隊長の実情も知っていたので、腹に据えかねていた。若干、いやかなりイラッときたが人前なので抑える。


「そこの者」


 呼び止められたリルレッドが背筋を正す。

 マグナなら間髪入れずに殴りかかるが、問題児の重役顧問はもう少し大人である。平和に幕を下ろす以上は水は差さない。


「私めにどのような御用でしょうか、レイア姫様」

「これを黒髪の彼女に渡しなさい」


 頭に被っていた鹿撃ち帽子と高級猫缶。それと一冊の東洋魔術の書籍を渡された。リルレッドには首を捻らざる得ない謎の品々だ。


「その子はとても愛されていますのね」


 命に向くレイアの優しい眼差しには、憧れが混ざっていた。

 男受けしそうな黒髪清楚系だよね。

 ――とはさすがに言えず、リルレッドは曖昧に微笑む。


「傷が癒えたら、ディルティの鍛冶屋に彼女を連れて行ってあげなさい」

「リルレッドの家名に賭けて、必ずや」


 姫様でなく旦那様にかしづきたい。

 その意思をグッと堪えてリルレッドは演技を続ける。元より彼女は、王家に対する敬意など毛ほども持ち合わせていない。


「それでは帰りますよ。付いてきなさい」


 白亜の城へと続く道を誰もが譲る。

 命を一瞥するとローズも後へ続く。今回ばかりは、地に伏せる野犬の眼差しも見逃すほかなかった。


「帰るわよ。アンタたち」


 行儀良い退散に反抗するように、リルレッドは撤退を言い渡す。

 長身のエリツキーはリッカを背負い、ガンロックはふらつく命に肩を貸す。


「うひひ。大丈夫かい、王子様」

「ええ……なんとか。でも大丈夫です。一人で歩けます」


 性別を偽る上でも接触は避けたい。それも理由の一端だったが、命を立たせる理由はひとえに自身に対する不甲斐なさへの反抗だった。


(結局、私は何もできなかった)


 ただ翻弄されて、地に這いつくばる。

 命にできたことはただそれだけだった。


 この日、黒髪の乙女は無力だった。

 春祭り初日は、苦い思い出として命の胸に残った。




 ◆




 白亜の城への帰り道は凱旋といっても過言ではなかった。

 時期女王候補のレイア、王宮騎士団の団長クトロワ、若き天才魔法少女ローズ。豪華な顔ぶれを前にして、春祭りの観客は無礼講などとはいわない。率先して道を開けて、三人に目を奪われていた。


「おっと」


 魔法石の発光と震え。着信の合図がクトロワのものだとわかると、ローズは諌めるように軽く睨みつけた。


「仕事中だ。切っておけ」

「にゃははは。悪いねえ」


 クトロワはレイア姫の顔色を伺う。


「構いませんよ。私の横にはローズがいますから」

「だとよ。愛されているのねえ、お前さん」


 クトロワは、ぐいぐいとローズの腕を肘で押す。


「茶化すな、さっさと済ませて来い」


 ローズがうんざりした顔で送り出すと、クトロワはそそくさと大通りの端へと避けて行く。そろそろ着信が来る頃合いだと思っていた。魔法石の電源を切るなど、恐れ多くてクトロワにはできなかったのだ。

 着信相手はやはり予想通り、リルレッドだった。


「ハロー、リルちゃん。ご機嫌いかがかな」

『あんた。若いのの躾けぐらい、しっかりしときなさいよ』

「怒らないでくれよ。数少ない友達が怒ると悲しくなるな」


『よく言うわね』とリルレッドは呆れ声を出す。

 クトロワとリルレッドは女学院の同期卒だ。王宮騎士団の公務中はおいそれと口は聞けないが、ときには酒場で昔語りをする仲である。


「今度良い縁談持っていくから許してよ」

「よし許す」


「絶対よ、絶対だからね」と念を押されて、クトロワは苦笑する。大人になっても、リルレッドはあの頃から何一つ変わらなかった。


「あ、そうそう」


 縁談を取り付けると、思い出したように、リルレッドは続けた。


「もし次に私の女学院(みうち)に危害を加えたら」


 熱を失ったその声色はどんどん冷えていき、氷点下に至る。


「――潰す」


 ガシャンと、荒々しく魔力を切られて通話は終わる。

 一瞬で背筋を登った寒気にクトロワは笑いながら身震いする。

 リルレッドはクトロワが昔から知る姿と何一つ違わない。愉快で姉御肌で、身内想いの怖いもの知らずだった。


「本当にリルちゃんは、変わらないなあ」


 変わってしまった自分と照らし合わせ、クトロワは自嘲気味につぶやく。


「本当は君みたい子が、魔法少女になるべきだったのかもね」


 IFの世界に思いを馳せて瞳を閉じるも、数秒だった。

 リルレッドに身内がいるように、クトロワにも王宮騎士団がいる。どいつもこいつも曲者だらけで扱いにくい、愛すべき部下どもがいる。


「なんてね」


 一時の甘い夢を振り切ると、彼女は王宮騎士団の長に戻る。

 クトロワは、おてんば姫となまいきな騎士の元へと帰っていった。

【第48.5話 クレープは誰が為に】


 ランプの灯りが照らす、薄暗い王宮騎士団の詰め所。

 マグナのお目付け役を終えたワルウは、菓子屋ルバートの買い物袋を下げて入室する。脳内では、すらすらと呪文のような注文をするつもりだったのだが、現実はしどろもどろ。あれとこれと、指差し注文を終えた彼女は逃げるように落ち着く場所に帰ってきた。


 買ってきたクレープを口に加えて、ワルウは、はむはむする。

 ワルウが買ってきたクレープは全部で3つだ。一つは自分用、もう一つは言うまでもなく愛する団長クトロワの分。もう一つは団長のために、いい働きをしたアシュロンの分である。

 ローズをはじめとした、糞の役にも立たない王宮騎士団の分はない。クトロワへの貢献度が低い輩にあげるクレープなどワルウは、持ち合わせていない。


 ――ちょっくら、行ってくるわ。


 珍しく正装姿で外に出るクトロワのレアな姿が、ワルウの瞳には焼き付いている。それを思い出しながら食べるクレープの味はワルウにとって、筆舌に尽くしがたい。ちょっと興奮しすぎて、切り株のテーブルの上を転がってみたりもする。


「おっ、良い物食ってんじゃん」


 しゅたっと、いち早く気配を感じとったワルウは着席。

 すまし顔で詰め所に入ってきた人物に目を向ける。

 柔らかく跳ねる濃紺の髪は、彼女のきりっとした眼光と合わせて、狼のような雰囲気を漂わせる。同僚のシトロ=ヴォルフだった。


「黙れクズ」


 今回の一件では役立たずの上、レイア姫の騒動が解決すると、いの一番に帰ってきたヴォルフは、ワルウのなかでは当然ギルティ。クレープの生地の一欠片もあげるつもりはないのだが、ヴォルフは物欲しげに近寄ってくる。


「なあなあ、良いじゃん。くれよ」

「黙れクズ」

「そう言うなよ。くれよ、つうか寄越せ」

「黙れクズ」

「おいこらボケ。渡せ。あたしの方が先輩だ」


 下手に出るヴォルフの態度は十秒も保たなかった。

 徐々に素を見せるヴォルフだが、ワルウの態度は一貫している。


 ――黙れクズ。


 歪みない後輩にヴォルフはため息をつく。

 本来なら力押しで奪い取る主義だが、ワルウが相手では逆効果だと悟る。

 そこで諦めれば良いのだが、ヴォルフは今クレープを食べたい気分なのだ。そこに諦めるという選択肢はなく、狼は獲物へのアプローチを変える。


「いいじゃねえか。だって一人分は団長分だとしても、もう一つ余ってるじゃねえか」


 ワルウの行動原理など、3日も一緒にいればわかる。ヴォルフは余りの一つを奪い取りにかかるが、ワルウの返答は予想外のものだった。


「これはアシュロンの分」

「はあ? メガネの分だと」


 心底不可解だと、ヴォルフは顔を歪める。

 アシェロンの教育担当であるヴォルフから見て、ワルウがアシュロンに気をかけた場面など見たことがなかった。


「あいつ、グッジョブ」

「ああ。なんかしょっぺえ【式紙】倒したんだっけな。つーか、まずお前がアシュロンのことを認識していたことが驚きなんだが」


 当然と。ワルウは言い放つ。


「アシュロンは、メガネ」

「無機物じゃねえか、アシュロン」


 大体そんな認識だった。王宮騎士団におけるアシュロンの認識は、大体メガネである。良くて『赤ブチメガネ』に留まる。彼女たちなりのアシュロンの愛し方なのだが、本人はわりかし本気で退職しようか日々悩んでいる。


「まあメガネのことはどうでもいい。それがメガネのものだってんなら、お前はそれをいっそう、あたしに渡すべきだ」

「……なんで」

「ああん? メガネのものは、あたしのものだからに決まってるだろ」


 壮絶なるジャイアニズム。ヴォルフが教育担当であるということもまた、アシュロンが退職を考えることに一役買っている。

 話にならないと、顔を背けるワルウだったが、ヴォルフは続ける。


「おいおい、冗談じゃねえからな。これはわりかしマジだ」

「のたうち回って死ね」

「お前の意見はよくわかったが、まずは私の説明を聞け。そして聞いたあと死ね」


 クレープのため、ヴォルフは踏みとどまる。もはや買ってくれば早い話なのだが、ヴォルフはここにあるクレープが食いたいのだ。


「今回の一件は、あのヘタレメガネを育てたあたしのおかげとも言える。つーかそうとしかいえねえ。百歩譲っても99%あたしのおかげな。オーケイ?」

「なるほど。一考する価値はある」


 ワルウのなかで、ヴォルフの団長への貢献度が上がった。ここが勝機だと、ヴォルフの野生の勘が告げていた。


「それにあの真面目なメガネのことだ。初めて上げた成果は『ああ、ヴォルフ様の教育の賜物だわ。好き好き大好き、マジリスペクト。クレープあげちゃう』ってなるに決まってるだろうが」

「メガネならありうる」


 納得するワルウもまた、アホの子だった。

 こうしてアシュロンのクレープは消失した。

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