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魔法少女の狭き門  作者: 朝間 夕太郎
1週間チュートリアル ―春祭り編―
48/113

第47話 あの日見た、空は遠く

 群れなす【火の鳥(バード)】、足元から立ち昇る【火柱(ピラー)】。

 そのすべてがリッカの前では吹き流される。炎は千々に分かれ、無数の火は静かに消えていった。


「ふん。どうやらキッドの猿真似をするしか能がないようだな」

「なら、それも破れない手前は猿にも劣るって認識で良いよな」


 火勢を増す猛攻も未だ通らず。

 風の護りは火の粉一つ侵入することすら許さなかった。


「いい調子だ。反撃してくれるなら、なお良いけどな」

「この状況で無茶言わないで下さいよ!」


 手錠で繋がれた命は、ひいひい言いつつ立ち回る。

 リッカが【羽衣(ローブ)】の出力を抑えているとはいえ、その動きに合わせることは容易ではなかった。


(でも、私が足引っ張るわけにはいかないのですよ)


 お互いの意思が違えば動きは止まる。7区で【式紙】に襲われたときのあの失態を、二度演じるわけにはいかなかった。


 命は絶え間なく考える。

 どうすれば、リッカが動き易いのか、リッカが何をしたいのか。手も出ず歯も立たないというのなら、黒髪の乙女は足と頭を回し続ける。


 ――腕を絡ませず、足を止めない。


 呼吸を重ねて、一歩先の未来を見る。

 手錠をつけて踊る二人に、人垣から歓声が上がった。


「器用だな。大道芸人にでもなったらどうだ」

「悪いが道化(ピエロ)に仮装する趣味はねえよ」

「好む好まざるの問題ではない――貴様たちはすでに道化だ」


 だん、とローズが鋭く踏み込む。

 腰に差した剣の柄を握ったまま突撃した。


(かかった――ッ!)


 透き通る橙色の防壁に、ローズが肩口から衝突する。

 命の【結界弾】が騎士の行く手を阻んだ。


「狡い真似を」


 ローズが抜剣したサーベルが炎を帯びる。

 袈裟斬りで壁を突破するも、タイムロスは帳消しにはならない。


(貰った――ッ!)


 一秒あれば充分だ。

 そのわずかな隙を、左側の主砲が見逃すはずがなかった。


 風が吹き荒れる。

 塵芥を呑み込み天へと渦巻く、翠の風見鶏の代名詞――【竜巻(トーネード)】が炸裂する予兆を、命は肌で感じとっていたのだが、


「え」


 唐突に風は凪いだ。

 ローズが何かしたといった様子は全くない。炎剣を盾に待ち構える女騎士もまた、不可思議な光景の前に固まっていた。


(……どうしたのですか)


 視線を切るべきでないことはわかっていたが、嫌な予感に突き動かされる。命は首を回して、瞠目する。黒水晶の瞳は動揺で揺れた。


 命にとって、リッカは英雄(ヒーロー)だった。

 風のように颯爽と現れて窮地を脱する、特別な存在だった。


「……ぁ」


 だからこそ、いっそう信じられなかった。

 震え、青褪めるリッカの横顔が。

【式紙】に襲われたときと同じだった。


(あれは息苦しさから――)


 命の視界の隅を赤色が揺らめく。

 ローズの炎剣が赤いテールの軌跡を残す。

 横薙ぎの一撃が、命とリッカの腹部を打った。


 先に起こる出来事を察知し、人波が割れた。

 その波間に誘われるように命たちが吹き飛ぶ。手錠に引っ張られながらの歪な回転が続き、煉瓦造りの建造物が迫る。


「――ッ!」


 命は声にならない悲鳴を漏らす。

 壁に打付けた背中の痛み、リッカを受け止めた腹部の痛み、痛みは内と外から同時にやってきた。


(ああ……【羽衣】溶けちゃいましたか)


 昨日今日身につけた防御術式にしては持った方か。二転三転するうちに、命の【羽衣】は解けていた。


 ぼやける視界のなか、命は立ち上がる。

 泰然として構えるローズの気が、いつ変わるかはわからない。


「……起きて下さい」


 左腕を上げるも、繋がれた右の腕は力が抜けていた。

 がちがち、と。命の足元には歯を打ち鳴らすリッカがいた。


「起きなさい――ッ!」


 非情で仕打ちであろうと、起こすしかなかった。手錠で繋がれ運命共同体となった以上は、リッカの協力が不可欠だ。

 立たねば、彼女を守ることもできない。


「立ってくれてさえすれば十分ですから」

「そうは、いかないだろうが」


 ずきりと痛む良心と引き換えに、リッカを立たせる。

 命は柳眉を逆立ててローズを威嚇するが、ただのハッタリだ。命には相手を脅かす"魔法(キバ)"がなかった。


(……私が甘かった)


 己の甘さに歯噛みする。

 心のどこかで、命はリッカを特別な存在だと思っていた。


(そんなわけ、なかったのに)


 今、リッカの身に何かが起きているかはわからない。ただ一つ確かな現実があるとすれば、リッカは震わせていた。


 翠の風見鶏と呼ばれる才媛であっても、大人びた物腰と長身があろうと、彼女は16歳の女子高生だった。命はその当たり前の事実を見落としていた。


「そうか。貴様は……だからか」


 かつかつと石畳に刻む足音。

 炎剣を片手に桃髪の少女が歩いて来る。


「どの程度かと値踏みしてみれば」


 三日月の口が頬を押し上げる。

 五人の才媛――桃髪の暴君と肩を並べる者。

 その程度の低さをローズは嘲笑う。


「随分と安い才媛(やくしゃ)がいたものだな。なあ――ッ!」


 炎剣の先端から零れた【紅蓮弾】が空を走る。

 高温の紅玉は風にそらされたが、ローズは止まらない。

 標的をリッカに絞ると、膝を曲げて脚を溜める。


「さあ、アネロイ。道を譲れ」


 ローズが再び前方へと駆けた。

 振るう炎剣が灼熱の雫を落とす。


「譲れねえ……これだけは」


 顔に貼りつく怯えは拭えずとも、意地が灯る。

 髪先を触れた炎剣をリッカの【風の刃】が弾き返した。


「これだけは譲れねえんだよ――ッ!」


 風と炎の魔力は混じることなく相殺し、大気を震わせた。

 手が震え、脂汗が滲もうと、リッカは意地で切り返す。空を踊る刃は切り結ぶたびにローズを押し戻す。


 だが、桃髪の騎士の斬り込みは衰えを知らなかった。


「退け」


 【風の刃】を押し返し、更に押し戻す。

 押す、押す――ただただひたすら、押し続ける。

 遅れた命が【結界弾】を撃つと同時に展開するも止まらない。薄橙色の破片が飛び散る。秒を保たずに壁は割れた。


「邪魔だ」


 風を切り裂く突撃が二人を突き飛ばした。

 転げ、尻もちをつく。

 見上げる二人の頭上には高々と掲げた炎剣がある。身動ぎ一つとる間すら与えず、凶器は振り下ろされた。


「いぃ――ッ!」


 手首に痺れが走るも怪我はない。

 ローズの剣閃の先にあったのは二人を繋ぐ手錠の鎖だ。互いを結んでいた手錠は、焼き切れた鉄屑と化していた。


「立て。観客が待ちわびている」


 上から覆う鎧の影が命令していた。冷酷非情な微笑に命の身体が竦むなか、枷が外れたリッカが先に立ち上がった。


「……ふざけるな」


 鎖を外したところで仔犬だ、と。

 どこまでも上から見下すローズの姿勢が癇に障った。

 リッカは指を折りたたみ、右の拳を固めた。


「ほう。それで」


 相対するローズが前に出る。銀の胸当てがリッカの胸を潰した。


「それで――貴様は何ができる」


 鼻頭をぶつけかねない距離で挑発する。

 【羽衣】を脱ぎ去りノーガードのまま、ローズは興味深いと嫌らしい笑みで観察していた。


「舐める……なよ」


 わなわなと肩を震わせるリッカだったが、言葉と裏腹に動きは止まる。

 待てど迫ることのない拳。その虚仮威(こけおど)しに付き合うことにも飽きたローズは、突風とともに気まぐれを終わらせた。


 【爆風(ブラスト)


 破裂する空気はリッカの長駆を軽々と吹き飛ばした。

 十数メートル先に危なっかしく着地する姿を見れば、リッカが自ら後方に跳んだのではないことは、誰の目にも明らかだった。


 ローズは、ルバートやマグリアと同じ火属性の魔法少女――そう思い込んでいた命の前提が、黒髪とともに風に揺れる。


(……まさか、二属性持ちですか)


 悪寒に襲われた命の動き出しは早かった。

 ローズの視界の外に回りながら、黒い靄を球体に成形する。目標の側頭部めがけて【呪術弾】を放った。


 ばしゃん、と。


 水が飛び散る音とともに黒い靄が晴れる。

 視線一つ寄越すことなくローズが放ったのは【水泡弾】――ごぽごぽと気泡を上げる水属性の魔法弾だった。


(この人、一体幾つの魔法を使えるのですか)


 天に選ばれた者のみに許された固有体質(オリジナリティ)

 "王宮騎士団(ロイヤルナイツ)"が誇る天才の脅威に勘づこうが、それを命が止める術はない。


「そうか。貴様もいたな」


 ローズがレザーブーツを打ち鳴らすと、五所から水が噴き上がった。太い水柱はたちまちゼリー状に固まり――【水の鞭(ウィップ)】となって不規則に揺れる。


(お……大きい)


 命の優の三倍はある【水の鞭】はしなり、襲いかかる。


(ちょっ、早――)


 命の魔法弾生成の初速は、およそ6秒。

 装填が間に合わないと知るやいなや、命は鞭から逃げる。元の立ち位置をわずかに遅れて【水の鞭】が叩いた。地を打ち鳴らす衝撃が肌に響く。


(まずは一つ)


 桜色の唇から荒々しく息を吹く。今は反撃を捨てて回避に専念する。


(もう一つ!)


 水飛沫を黒曜石の瞳に映しながら、危なっかしく回避に成功するも、【水の鞭】は止まらない。縦横無尽に鞭打は絶え間なく続いていく。


 手数の多さに圧倒され足が鈍る。

 【水の鞭】が影とともに命へと落ちていく。


「命、動くな――ッ!」


 後方からの叫び声を契機に、命は足を止めた。

 鋭い突風が次々と背中を抜けていき、【水の鞭】を蜂の巣にした。

 無数の【風の槍(ランス)】の投擲が止まると、最後に本人が一足飛びで暴風を連れて来る。


 空を舞う水雫はまるで水芸だった。

 陽光が照らす露の空に、観衆は息を呑む。


 【竜巻】


 翠の風見鶏の代名詞は鮮やかに、【水の鞭】を細分化して空へと巻き上げる。水滴は空から落ちることなく、青い魔力となり幻想的に消えていった。


「あたしの手錠を解いたこと、死ぬほど後悔させてやるよ」


 憔悴した顔を気迫で押さえつける。顔を歪ませ、リッカが睨みつけるも、ローズは毛ほども怯えてなかった。


 むしろその逆である。

 吹き出すと止まらない。耐え切れずこぼした笑い声はやがて洪水となり、ローズの口から氾濫した。


「笑わせる。それで自由の身にでもなったつもりか」


 リッカの足元の石畳にヒビが走る。

 瞬間、地面を破った【土の手(ハンド)】がリッカの足首を掴んだ。


「にゃろう、こんなもん」

「壊せるのか?」


 問いかけられ、足元に魔法弾を向けたリッカの黙唱が止まった。


「――それは『物』でなく『者』だぞ」


 地を破る二本目の【土の手】が逆の足首を掴む。

 両足を押さえつけると、丸い泥団子の頭が地面から顔を出した。


「……っ!」


 泥人形の伽藍堂(がらんどう)の目が、リッカを見上げている。その目に翡翠の瞳は釘付けにされてしまった。


「何をしているのですか!」


 硝子が砕ける音で、リッカは目を覚ます。

 命が張った【結界弾】を貫通し、土と石を固めた魔法弾――【土塊弾】が衝突する寸前だった。


 リッカは慌てて吹き流すも相性が悪い。重量のある【土塊弾】は流しきれずに右肩を叩いて砕けた。


「ぐぅ!」


 両足を押さえられたリッカが尻もちをつく。

 倒れた身体に泥人形は上から覆いかぶさっていく。滑った泥の小人は石畳から下半身を引きずり出し、のそりとのしかかった。


「リッカ――ッ!」


 命は逸る気持ちで【呪術弾】を成形していく。

 リッカに当てぬよう、慎重に泥人形に照準を合わせる。外さない自信があった。実家で霞的の中点を何度も撃ち抜いた魔弾である。


 5秒、4秒、3秒。


 視界から外れたローズは静かに口を三日月に歪める。何時でも邪魔できる立場にありながらも、彼女はことの成り行きを愉しげに見守っていた。


 ――ゼロ。


 命の撃鉄が落ちる。

 【呪術弾】が射出され、黒い靄は見事に泥人形の頭を撃ち抜いた。


 びちゃり、と泥の頭が飛び散った。


 その生暖かい感触を肌に浴びたリッカは、耐え切れなかった。嫌悪感は腹を逆流して外へと吐き出された。


「……かっ。はあ、はあ」


 泥人形から逃げるように転がると、四つん這いのまま嗚咽に苦しむ。


 演舞場で見た、あの日と重なる姿。


 ――代わりに後始末を頼む。


 脳内で再生される声は、あの日の真相を命に教えた。


 ウルシ=リッカは、人へ魔法を向けられない病を背負っていた。藻掻けば藻掻くほどに身に食い込む鎖は鷹の自由を奪う。


 翼をもがれた鷹は、一筋の涙とともに地に這いつくばった。

【第47.5話 あの日見た、体重は遠く】


「毎度のこととはいえだ」


 甘い匂いが充満する菓子屋ルバートにおいても、そこは一際甘い香りが漂う。パフェ、クレープをはじめとした洋菓子から和菓子にいたるまで。テーブルを占拠する怒涛の甘味にオルテナは呆れる。


「お前の食生活は悔い改めるべきだぞ、マイア」

「かてーこと言うなです、団長」


 甘味ジャンキーのマイアは、手を止めることなく黙々と老舗の味に舌鼓をうつ。その小柄な身体のどこに、それほどの量が収まるのか。喫茶エリアの客も不思議そうにマイアを盗み見ていた。


「人体の七割は水で、残り三割は甘味でできてるんですよ」

「ずいぶんとメルヘンな人間が出来上がりそうなレシピだな」


 はあ、とオルテナは二度目のため息を落とす。

 オルテナにとってマイアは自慢の後輩だが、この習慣だけは言っても直らない。口が寂しくなると、いつの間にやら甘味を食べている。ノー甘味ノーライフの、筋金入りの甘味ジャンキーだった。


「団長ももっと食べればいーのです」


 ほらほら、とマイアはケーキを一欠片載せたフォークを前に出す。柔らかなムースに誘惑されるも、オルテナは口を開かなかった。


「気持ちだけもらっておこう。私は質素倹約を重んじる身だ」

「……別に太らねーですよ」

「太るんだよ、お前に付き合うと!」


 質素倹約は建前とばかりに、オルテナは食いかかる。

 現にオルテナは、最近マイアと甘々なデート(甘味的な意味合いで)をしたときのダメージを未だに引きずっていた。


「団長はスタイルいいじゃねーですか」

「そういう問題ではない。ベストな体重を維持するというのは、日々の精神鍛錬でもあるのだ。気を緩めれば、人間というのはどこまでも堕落――」


 長くなりそうな持論を聞き流し、マイアはぼそりとつぶやく。


「要はお腹が緩んだのでしょう」

「誰のお腹がたゆんたゆんだ――ッ!」


 毎日の鍛錬に加えて、早朝の走り込みも追加したが、効果なし。体重計とにらめっこする、オルテナの人知れぬ努力は続く。

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