第44話 盗人は都を踊る
二人三腕という奇妙な姿が、影となり石畳みへと落ちる。渋い表情で見つめ合う命とリッカは、ただ乾いた笑い声をこぼしていた。
「固い友情の証ですねえ」
「……縁を切っていいか」
「ご冗談を」と返してから、命は現実と向き合う。一先ずは身を暗ますため、路地裏に避難をすることにした。
何か打開策があるはず、と命は思考を深める。
「……そうだ」
ふと打開策が閃いた。
壊す以外にも錠をこじ開ける方法はある。そしてその褒められた物ではない技能を持ち合わせた少女を、命は知っていた。
「那須ちゃんだ」
「ナス?……あの座敷童か」
一昨日、座敷童が秘密の七道具で錠を落とし、アミューゼの一室に不法侵入を働いたことは、そう遠い記憶ではなかった。
「あの子はピッキングの名手です」
「それ単なる犯罪自慢じゃねえの?」
「この際、犯罪かどうかは置いておきましょう」
「さすがは歩く犯罪者。説得力が違う」
命は最後の言葉は聞き流すことにした。今大事なのは、この状況を打開するキーマンがはぐれおかっぱ少女であることだった。
「そうと決ま――のわっと!」
「落ち着け。軽々に動くな」
片足を上げた命は、手錠を引っ張られた。
「手前に濡れ衣がかかっているのは、状況をみれば凡そ理解ができる」
「だったら尚の事――」
「下手に7区を動くのは不味い」
地元住民の忠告に命は押し黙る。
この国の地理に疎い自分より、リッカに従うことを得策とした。
「7区はあたしの庭みたいなもんだ。隠れる場所には事欠かねえよ」
その上、とリッカは声に怒りを滲ます。
「ここには恐らく犯人が潜伏してる」
結果的に入れ違いになったが、リッカは偽命を追って7区に来た。その経緯を掻い摘んで説明すると、命は眉間を揉んで状況を整理した。
(……なんでしょうね、この嫌な予感は)
命は慎重に言葉を選んで探る。
「もしかして、もしかしてですよ」
「なんだよ。そんなに遠慮がちに」
「犯人を追うときに『物盗り』と叫びましたか」
「え? そりゃあ――」
リッカの唇が半開きで固まる。
確かに彼女は「待ちやがれ、この物盗り」と叫びながら、人混みを掻き分けてきた。その行動が今とどう結びつくかは明らかである。
「いやあ、ははは。まさかねえ」
リッカは引き攣り気味の笑みで、目を泳がせながら言葉を紡ぐ。
「い、言ってないよー」
「貴方が元凶ですか――ッ!」
命の冤罪を作ったのは、奇しくも先ほど窮地を救った彼女だった。
(そういえば、あの腐れお嬢様も、どこか態度がおかしかったような)
奇妙だった物事に線が引かれ始める。
イベントの時系列までは掴めずとも、命にはひとつだけ断言できることがある。その身に降りかかる不幸は全て誤解から生じたものなのだ、と。
(誤解?)
――鏡写しの偽物の存在。
未だ見ぬその人物に抱いた思いは、やがて疑惑となり口を滑り落ちた。
「そうか……全部、誤解なのです」
「そうなんだろうな」
「いや、そうでなくて」と命は一度、お互いの認識の齟齬を直しにかかる。
「貴方、本当に本を盗まれたのですか?」
「いや、正確には預けただな」
気恥ずかしさからリッカは贈り物とは言わないが、命が確信を得るには十分な回答だった。
「その人は、物盗りではありません」
「――なんだ、そんなことか」
あっけらかんと言葉を返し、リッカは緑髪を指に絡めて弄る。
「ったく。手前は本当に甘ちゃんだな」
今度はリッカが認識の差異を埋める番だった。
「いいか、大事なのはそこじゃねえ。手前の姿を借りられてることだ」
姿を晒すこともなく人の皮を借り、のうのうと他人を騙るその行為が、その行為の矛先が命であることが、リッカには堪らなく許せなかった。
「それをあたしは許さないし、見逃す気もない。泥棒にはそれなりの報いがあって然るべきだ」
(……確かにその通りなのですが)
その発言が自分の身を案じたものであることは十分理解できる。だからこそ躊躇してしまうが、命は思い切って提案してみる。
「一度会ってみませんか、その人に」
「はっ?」
訝しげな声を上げた瞬間。
リッカは強引に手錠を引き寄せる。
命が焦りを覚える暇もなかった。
「7区コイネ通り。不審な人影ありません」
二人は息を殺して、眼下の人物に目を瞠る。
報告を入れた憲兵は魔法石を仕舞う。右へ左へ。何度か視線をさまよわせると、勘違いかと首を傾げて離れていった。
憲兵の気配をいち早く気取ったリッカが、命を抱えて舞い上がらなければ危ないところだった。
「……助かりました」
「ちゃんと警戒してろ、間抜け」
背中からは憎まれ口が聞こえる。
壁に囲まれた路地裏において、互いに背中を合わせた二人は、左右の壁を脚で突っ張っていた。
「これでも庇う気が起きるのか」
今一度、リッカは命の意志を確認する。
7区に隠れることを第一の目的とし、遭遇できれば犯人を差し出せば良い。そうでなくても本当に構わないのかと改めて問う。
「それでも一度会ってみましょうよ。勘違いされることや、誤解されることは、とても辛いことだと思いますから」
「はあ……説得力抜群だな。手前が言うと」
そのため息は、あきらめのサインだった。
「けど本当に大丈夫なのかよ。手前は肝心なところが抜けてるからな」
「うっ。返す言葉もありません」
命がリッカ好意に助けられた回数は、この六日間だけでも相当数に上る。命は、胸を張って助力を請える立場ではなかった。
だから、彼女が口に出す。
「危なっかしくて、見てられねえから」
そんな免罪符を掲げながら、手を差し伸べる。
とても不器用に、顔を見ることもなく。
「手前のこと助けてやるよ」
背中に伝わる温かい熱を感じながら、命は顔をほころばせる。
「ご迷惑おかけします」
「掛けられっぱなしだよ」
翠の風見鶏と黒髪の乙女。
左右の腕を結ばれた二人の、春祭り第二幕が幕を上げた。
◆
入り組む小径に迷うことなく、二人は7区を闊歩し始める。
「ちょっと。進むの早いですよ!」
「ああ」
視線を命の頭から足元まで下ろすと、リッカは悲哀を含めて吐息した。
「手前、脚が短いからな」
「なッ――! 失礼な!」
聞き逃せない言葉に、命は反論する。
「私は脚が短いのでなく、身長が低いのです。むしろ身長の割に手足は長い方だと自負しております!」
そう偽乳を張る命に、リッカは淡々と告げる。
「身長が低いのは認めるのな」
墓穴を掘ったと項垂れる158cm。
女装するには違和感がない背丈も、男目線ではコンプレックスだった。どよんと負のオーラを漂わす命を、リッカは反対の立場から気遣う。
「まあ、高けりゃ良い物でもねえよ」
リッカは忌ま忌ましげな表情で、過去の悪口を呪詛のように吐き出す。
「デカ女だの、リベリア山だの、大森林だの、ボルカノ火山だの、大聖堂だの、巨岩兵だの」
(やばい。地雷を踏んだかもしれません)
女同士のいさかいを垣間見えると、命は当たり障りない発言で逃げた。
「高いというのも大変ですねえ」
「まあそういう口を聞く奴は、視線を高くしてやったけどな」
――視線を高くする。
その言葉の意味ところを命は静かに悟った。
(……空に飛ばしたのですね、この人)
翠の風見鶏の異名を取るリッカにすれば、上空まで人を巻き上げることなどお茶の子さいさいだった。
(恐るべし、翠の風見鶏)
リッカの長駆を弄るのは止めよう、と命はそっと胸に一つの誓いを立てた。
「ああ、身長の話はともかく。もう少し歩速を緩ませんか」
「大丈夫だよ。あたしは感が鋭い」
優れた風使いは風を通じて物を見るため、感知能力、空間認識能力に秀でている。先の危機回避もこれによるものだった。
(道理で躊躇なく歩けるわけだ)
二人は巧みに憲兵をやり過ごしながら、潜伏先になり得る場所をしらみ潰しにする。犯人はいないものかと探すこと小一時間。
「さすがに、簡単には見当たりませんねえ」
「……おかしいな。この辺で隠れられる場所は、ほとんど見回ったつもりなんだけどな」
裏路地や建物が作るデッドスペースを探る。そのリッカの捜索方針は未だに成果を上げていなかった。
「というか、よくこんな場所知っていますね」
「女学院の小中等部が北側の3区にあってさ、昔はサボるときによく7区に来たんだよ」
小中等部には基本的に学び舎しかない。平然とサボれる環境に恵まれなかったため、リッカは好んで人目の薄い7区を利用していた。
「今となっては良い思い出だな」
(……なんて寂しい青春)
本人が満足気なので面と向かって言えないが、真っ当な女子中高生の感性とは思えなかった。
「ちなみに何をしていたのですか」
「読書」
想像通りの答えだった。
日がな一日、路地裏で読書に耽る者を果たして文学少女と呼んで良いのか。その疑問に答えたのは元気な声だった。
「あー、文学ヤンキー少女だ!」
(その手があったか――ッ!)
自由な発想の持ち主は子供だった。
凹んだバケツを兜に見立てて被り、背中には真っ赤なマントを流す。後ろに引き連れた二人もその声に続いた。
「本当だ。目付きの悪いデカ女だ!」
「いつも一人ぼっちなのに、連れがいるなんて珍しいな」
怖いもの知らずの子供は、地雷原を突っ走った。命は冷や汗をかくが、当のリッカは不機嫌な顔だけで済ませた。
「うぜえなあ。吹き飛ばすぞガキ共」
不快感のなかにどこか喜びを滲ませて、リッカは近寄る三人組をあしらう。チビ隊長を担ぎ上げると、肩車のままグルグルと回し始めた。
「ずるい。隊長ばかりが良き目に会って」
「不平等だ。たいぐーの改善を要求する!」
「……随分とマセた子供たちですねえ」
「ふはは。これが社会のしゅくずだ」と殿様気分でチビ子隊長は言い放つ。命は子供たちの将来を不安に思いつつ訊ねた。
「何ですか、このちびっ子トリオは」
「なにー、我らを知らないだと」
訊ねたリッカからではなく、上のチビ隊長が答えた。ご立腹のまま「おろせ」とリッカに命令すると、むんと命の前へと出る。そこに怖さは欠片もない。
「よーし、こまくをかっぽじって聞け!」
「いやいや。鼓膜かっぽじったら、耳聞こえなくなっちゃうでしょうに」
大人げない命の突っ込みを無視して、ちびっ子トリオは名乗りを始める。
「王都を背負う」
「せいぎの背中!」とチビ子分A。
「悪をゆるさぬ」
「せいぎの心!」とチビ子分B。
「我ら、さんみいったいのせいぎ――」
溜めてから、三名は思い思いのポーズを取る。
「チビギルド!」
「あら可愛い」と命は拍手を送る。
チビギルドの面々は、その対応は心外だとばかりにむっとした。
「バカにするなよ。こう見えても、助けた人は星の数ほどいるんだぞ」
憤慨するチビ隊長。
これは丁度いい、とリッカは腰をかがめながらお願いする。
「なら助けて貰おうか。困ってたとこだ」
「お安いご用だ。一回一,〇〇〇イェンだ!」
「……金とんのかよ」
「なぜなら今日は春まつりだからな!」
「ずいぶんと現金な正義ですねえ」
仕方なしにポケットに手を伸ばすが、命は財布を持っていなかった。
「あっ……一イェンもない」
「貧乏人に売るせいぎはない!」
膝を折って凹む命を横目に、リッカは三枚の紙幣を出す。目を輝かせるチビギルドは、我先にと手を伸ばした。
「――ただしだ」
ひゅっと。リッカが腕を引くと、紙幣に伸びた紅葉の手は空を切った。
「無能な正義に払う金はねえ。このお姉ちゃんに似た奴を見たか、代わりに教えて貰うとしようか」
「……おのれ。せいぎをゆさぶるか」
「どの口で正義を名乗るでしょうか」
命は不安げに視線を投げかけるも、リッカは鷹揚に構えていた。
「なーに。貰えりゃ儲けもの程度の考えだよ」
「まあ貴方は遊びのつもりでしょうが」
チビギルドの表情は真剣そのものだ。
穴を開ける勢いで命のことを凝視していた。少し居心地悪さを感じること十数秒。チビギルドの子分Bが声を上げた。
「あー! 私見ましたよ、このハクいスケ」
鹿撃ち帽子、高級猫缶、東洋魔術の書籍。
全ての特徴と一致するチビ子分Bの情報は、信用するに値するものだった。
「手前でかした!」
鬱陶しがる子分Bの頭をガシガシ撫でる。ご機嫌の様子でリッカは小遣いを配り、チビギルドは手の中の大金に震えていた。
「助かったぜ、チビギルド。せいぜい豪遊してくると良い」
「ええ本当に。助かりました」
手を振るリッカと頭を下げる命は、目撃証言を信じて再び歩き始めた。後ろからは、予期せぬ小遣いに浮かれるチビギルドの声が背中に聞こえる。
「あいつら、三,〇〇〇イェンで大喜びだな」
「あの子たちにとっては大金なのですよ」
微笑ましい光景は次第に遠ざかる。
命たちは南西の方角へと舵をきり、7区の角に当たる場所を目指した。
「それにしても、鍛冶屋ディルティねえ」
リッカがぼやく目的地は有名な場所だ。
偏屈者と呼ばれる職人が営む鍛冶屋である。セントフィリアに数いる鍛冶屋のなかでも、ディルティ家は腕が立つ職人の血筋と名高い。
「鍛冶屋というと、剣でも鍛造するのですか」
命の頭にある鍛冶屋の印象といえば、特殊な金属で聖剣を打ち出す類の、いわゆるソードスミスである。
「大半の鍛冶屋は生活品周りが主だよ」
錠前や食器などのカトラリーセット。機械生産が行われていないそれらは、セントフィリアでは手製で作られる。手間がかかるので値段は相応である。
「ただ、ディルティ家クラスだと格が違うな。王家に献上する宝剣なんかも打つくらいだしな」
「へえ。ではそこまでの御家門が」
――どうして、こんな辺鄙な場所に。
7区の角に隣接する形で作られた鍛冶屋は、城壁に覆われて非常に日当たりが悪い上、煉瓦の壁にも風化の跡が色濃く見られた。
「さあな。だから偏屈者なんだろ」
「職人気質ってやつですかねえ」
お世辞にも綺麗とは言えない建物だ。古めかしいロートアイアンの看板には、ディルティの家名が刻まれているので間違いはなさそうだ。
前方100mに位置するそこへと、命たちはゆったりと歩いて行く。王都の外れに位置する場所だけに、どこか二人の警戒心も薄れていた。
「あっ」
立て付けの悪そうな鍛冶屋の扉。
そこから黒髪の乙女が出てきたとき、油断していた二人の反応は少し遅れた。恰幅の良い女職人に恭しく頭を下げる、自分と瓜二つの存在に命は目を見張る。
次の瞬間――彼女は攫われていた。
その場の誰もが呆けた顔をしたまま、白昼堂々の犯行は起こった。人を型どった三枚の【式紙】がひらりと舞い、命似の人物を羽交い締めにして風に乗った。
何かがこちらに向かってくる。
黒水晶の瞳に映る、ぼんやりとした現実は次第に大きくなる。
「命、撃て――ッ!」
リッカの叫びが時間感覚を戻した。
正面突破する三枚の式紙に向けて、命は反射的に【呪術弾】を撃ち放した。避け損ねた一枚の人型の式紙が破れ、リッカが更に【風の刃】で追撃する。
「チ――ッ!」
リッカの短い舌打ちが響く。
切り損ねた一枚が嘲笑うように横を抜け、人質を盾にして遠ざかっていく。
「追ってくれ、その子はレイア姫さまだ!」
追撃の手が止まる二人に声が飛んだ。
鍛冶屋の職人――ディルティの声だ。
王位継承権一位に位置する姫君の名前。
飛び出した大物の名前に動揺が走る。
「えっ、姫さま、誘拐事件?」
同じ姿形の者が姫さまであり、その者が今まさに誘拐された。畳み掛ける現実の数々は早急で、命の思考がこんがらがっていく。
「理由はわからねえけど、行くぞ!」
吠え声でリッカは手錠を引いた。
事態の全容は掴めずともわかる。
何かが蠢く嫌な予感に駆られる。
リッカはもはや慣れた手つきで、右腕一本で命を抱き抱えた。【羽衣】の淡い緑色がその長駆を包むと、グッと膝を曲げて脚を溜める。
「私も【羽衣】で走ります」
「いや、いい」
提案は即座に切り捨てられた。
「手前の速度じゃ――遅すぎる」
砕けた石畳は宙に舞い上がり、身体は吹き上がる奔流に包まれる。浮遊感を覚えるその身は風となり、リッカは街路を駆け抜けていく。
明日に成人の儀を控える姫さまの誘拐劇。
見えない何かが、静かに胎動し始めていた。




