第43話 友達サークレット
綺羅びやかな北側とは趣が異なる。
十字通りからも外れた南の7区は、その特徴が顕著に現れていた。
「ここは……」
白を基調とした街並みもどこか薄汚れ、いたるところから煙がたなびいている。小径が入り組む複雑な造りの地区。7区は春祭りから隔絶されて場所だった。
金属と魔法石の加工音が鳴り響く。
額に汗した豪快な女傑たちは、紛れ込んだ命を気にも留めない。ひたすら仕事に心血を注いでいた。
(さてどこかに身を隠しますかね)
幸い7区に追手が来る気配はない。嘘情報に踊らされたのかは不明だが、ここを選択したのは間違いでないと命は判断する。
ほとぼりが冷めるまでの間、7区に潜伏する方針を固めて、命は隠れ場所を求めて気ままに歩き始めた。
「あっ」
狭く傾斜の緩い坂道を登る途中、その声に合わせて命は顔を上げる。
坂の上には二人組の女生徒がいた。
「こんにちは。オルテナ先輩」
外ハネした茶髪に耳当て帽子をかぶる、麗しき洋食エリアの姫君の姿があった。チャームポイントの帽子は、今日は梟を象ったモフモフした帽子だ。
「やっぱり八坂君だったか」
挨拶を受けて、命は髪に触れる。
透き通る銀髪が控えめに輝くと、改めて髪色の違いを意識した。
「この髪色は色々とありまして」
「いいさ。たとえ何色であっても、君の輝きは色褪せることはない」
「えっと……もう一人の方は」
オルテナの褒め言葉に照れて、命は前髪を弄って話題を変えた。
「ああ、彼女のことかい」
話題を振られた当人は、ずいと前に出た。
紹介しようとしたオルテナを通り過ぎ、不機嫌な顔を隠すことなく坂を下る。眠たげな瞳を怒りに燃やしながら、彼女は命の眼前で立ち止まった。
(もしかして……怒っていらっしゃる)
命がご機嫌を伺う隙もなかった。
乾いた音が鳴り、視界が90度右にズレる。頬に残る熱い感触で何をされたかを悟る。命は初対面の相手に一発張られていた。
「さっき忘れた挨拶です」
頬と黒水晶の瞳に衝撃が焼き付く。
これが、命が二年間を共にする女生徒、マイア=メイとの出会いだった。
◆
とある工房前のベンチ。
オルテナが依頼した品の完成を待つ間、命は自警団組に付き合うという名目で、護衛を増やすことに成功していた。
「本ッ――当にすまねーです」
命の横に座るマイアは、何度も謝罪を繰り返していた。
「頭を上げて下さいマイア先輩。誤解が解けて良かったです」
詳細はわかりかねるが、例の盗人が無礼を働いたことを、マイアは腹に据えかねていたようだった。
容姿が似通っているということもあり、誤って命を叩いてしまったというのが、ここに至るまでの真相だと知れた。
「ははは。マイアのビンタは効くだろ。こう見えてもやる時はやる女だからな」
「団長、それ以上は勘弁して欲しーです」
頃合いを見てオルテナが茶化したおかげで、場の空気は少し和らいだ。
「それにしても、君も災難だったな」
「……半分以上は自業自得と言いますか」
命は今までの経緯を自警団に明かしていた。
オルテナには一度相談を持ちかけた仲だ。もしかしたら力になってくれるかもしれないという下心もあった。
「しかしなあ、一度逃げたのは心象が悪い」
「そこは確かにいただけねーです」
道中買った袋入りジュースを飲みながら、自警団二人は議論を深めていく。命当人はその部分も隠したかったのだが、左手にぶら下がる物が邪魔だった。
(これをぶら下げていてはねえ)
じゃらりと揺れる手錠をアクセサリーと言い張るのは、さすがに無理がある。仕方なく「怖くなって逃げた」という乙女らしい言い訳を通していた。
「団長ならぶっ壊せるんじゃねーですか」
「その手錠のことか。無論だ」
「ならぶっ壊して、ほとぼりが冷めるまで隠れているのが一番じゃねーですか」
(ナイスです、マイアさん!)
命は内心でガッツポーズを取る。
まさに命が望む着地点だったのだが、オルテナは縦に頷かなかった。手刀をマイアの頭上に落とし、レザーキャップをくしゃりと潰した。
「いてーです」
「戯けが。マイアは何年自警団にいるのだ」
「先日でやっと一年過ぎたばっかですが」
ぶつぶつと言われた文句を流し、オルテナは正義の持論を展開した。
「正義とは全裸でなくてはいけない」
力強い全裸発言に命は吹きかけた。
「気にしねーで下さい。ああいう人なので」
二人を置き去りにして、オルテナは熱のこもる声で主張する。
「虚飾も虚礼もなく裸の魂で行う。それこそが正義だ。なあそうだろう」
「……違うと思うです」
「つまり正義とは恥じ入ってはならぬ。一点の曇りすらあってはならないのだ」
「聞いてねーです」と呟いた言葉すら、オルテナの耳には届かなかった。
「正義が八坂君にあるのであれば、なぜ彼女が後ろめたさを覚える必要がある。それは正義の御旗に背を向けることだ。胸を張り、全裸で、出頭すれば良い」
――正しくば前を向け!
鼓膜にびりびりと震えるものがある。
なぜオルテナが自警団の長なのか、命は耳を通じて理解できた気がした。
「というわけだ。正面から行こう」
「マイアさんの案で行きましょう」
「八坂くーん!」
ただ理解と共感は別の領域にある。
崇高すぎる高説は命には届かない。耳朶を打っても、心を打たないのだ。
「オルテナ先輩の仰ることは最もですが、不容易に事を荒立てては損でしょう」
「ははは。君も何を勘違いしているのだ。正義の前には損も得もないじゃないか」
横に座る人物の微笑に寒気が走った。
命はオルテナを立派な人物なのだと、先ほどまで誤った認識を抱いていた。
(違う……この人は)
オルテナは立派すぎた。正しすぎた。
清濁併せ呑む普通の人とはまるで違う。
濁を忌み嫌い、ただ清だけを飲み干す。透き通る瞳をぱちくりさせる彼女は、命の発言を冗談か何かと思っていた。
「団長。工房長が呼んでます」
「そうか。少し白熱し過ぎたな」
オルテナは熱気で揺れる工房内へと向かう。一際大きい女職人に背中を叩かれながら迎え入れられていた。
「許してやって下さいです。あの人は仕方ねーのです」
「……マイアさん?」
「あれでも寛容になった方なのです。前は賭け事すら毛嫌いしていたほどです」
マイアは沈痛な面持ちで、とつとつと語る。
「あの人は正しいことが全てで、正義であることが使命なのです」
使者として受けた命令。
誰が誰に出した命令かなど聞く必要はなかった。
(裸の魂が……出した命令ですか)
一度大きく息を吸い込むと、マイアが大きく目を見開く。そこに眠たげな瞳をした少女はいなかった。
「あの人は、貴方を後継者にするつもりです」
「私を? 自警団の長ということですか?」
唐突に持ち上がった後継者話に命は目を白黒させた。
「いいえ、生徒会長です」
「えっ……まずあの人、生徒会長なのですか!」
「むしろ知らねーことに驚きです」
初日の入学式は眠り姫。
普段の授業はサボタージュ。
女学院の情報に疎い命は、誤魔化すように笑い声を立て、釣られてマイアもくすりと笑った。
「やっぱ向いてなさそーです」
「私もそう思いますよ」
ぐっと胸パッドを張って命は言い切る。
女装潜入した男が生徒の頂点に立つなど意味がわからない。命に言わせれば阿呆以外の何ものでもない行為であった。
「もしその気がないのであれば、きっぱりと断って下さいです」
「わかりました」
深々と頭を下げられると、命は真剣な声色で受諾した。
「マイア~、これを見てくれ!」
オルテナが軽い足取りで戻ってくる。行きと違い両腕には杖を抱え、揺れる度に先端の水晶が陽光を反射した。
「なかなか良いじゃねーですか」
「だろう。これは実に良いものだ」
浮かれたオルテナがくるくる回すのは、水晶を仕込んだ特注品の杖だ。水晶による恩恵はわずかとはいえ、魔法行使の際には助けになる。
「これはもう魔法少女一直線だな」
喜色満面で杖をふるオルテナの声に、思わず命は反応した。
リッカとルバートが拘ったその言葉に。
「オルテナ先輩も魔法少女になる気ですか」
「ああ。成るよ」
驕りも謙遜もなく淡々と言いのける。そこに一切の気負いは見られなかった。
(こういう人を乗り越えるわけですか。魔法少女になるのが難しいわけです)
一頻りはしゃぎ終わると、オルテナは名残惜しげに【小袋】に特注の杖を仕舞った。
「さて警備会館へと乗り込むか」
真顔で提案されて、命はたじろぐ。
乗ったが最期なのは目に見えている。本音は警備が薄い7区に留まりたいが、とても断れる雰囲気ではなかった。
「えっと……待ち人がいまして」
「急ぐに越したことはないだろう。さあ君の無実を証明しに行こう!」
(自首だけはご勘弁を!)
男だとは口が裂けても言えない。正義の信奉者であるオルテナに特注杖で撲殺されるのが落ちだ。
(ああ、こんな時リッカがいれば)
ふと窮地で思い出したのは、鋭い眼光と翠のくせ毛の持ち主だった。馴染みのカフェで長い脚を組み、文庫本を広げる彼女の姿が脳裏に浮かぶ。
リッカとオルテナの良し悪しを比べることが難しいにしても、どちらに協力者としての適性があるかは明らかだ。
マグナが何故リッカを推薦したのか、命は今になってわかった気がした。
(ああ、あの日のように)
演舞場で追い詰められたあの日。
リッカは風のように現われた。
颯爽と、それでいて気まぐれに。
――風は街路を通り抜けた。
「もう離さねえぞ」
ほんの数瞬。瞬く間の出来事だった。
誰かの右腕に抱きかかえられた命は、目をパチクリする。見下ろす背の高い女。彼女の鋭い目は、命の心臓を鷲掴みにしていた。
「髪色が違ってもわかる」
飛び石が跳ねるように、何度か地面を跳ねて速度を殺す。
「観念しろよ。手前はあたしから逃げられねえ」
眼前に女神の顔が迫ると、命は言葉を無くし息を呑んだ。
「これだけあたしを引っ掻き回して」
そこで珊瑚色の唇は止まる。
右腕に抱える容疑者は、糸目のまま頬を染めていた。
「えっと……手前」
「私は八坂命ですよ」
「……偽物だよな?」
「昨日、保健室に付き添った者です」
抱えているのが本物だと知ると同時。
リッカの頬の紅潮は止まらなくなった。早々に命を下ろして逃げ出したかったが、間が悪いことに、ここには二人の目撃者がいた。
「もう離さない」とオルテナ。
「君を逃さなさい」とマイアがつぶやく。
遠目から見ていた自警団組は、顔を見合わせてから意見をまとめた。
「そうか。君たちは……そうか」
「甘味処に、ルバートに行きましょう」
二人の間に立ち入るのは無粋だと、そっと自警団組は距離を置いた。
「どうやら私達の助けは不要のようだな」
「ええ、むしろ邪魔のようです」
「ちょっと待って、手前ら――ッ!」
リッカが赤面の咆哮を上げるも、色めき立つ者の耳には届かない。オルテナは親指を立てて二人の健闘を祈った。
「ちゃんとリードするのだぞ。風見鶏」
「何の話だ、色ボケ生徒会長!」
「……保健室です」
「そこだけ切り取るんじゃねえ!」
乙女の渾身の突っ込みも虚しく、海藻のように揺れて二人は去っていった。
「……行っちゃいましたね」
命としては助かったのだが、どう声をかけていいものか。
「あの……リッカ」
「見るな、あたしを見るな!」
リッカは逃亡を試みるも失敗に終わった。
じゃらり、と銀色の絆が彼女の自由を奪っていた。
「――えっ」
間の抜けた声が重なった。
命の左手とリッカの右手を手錠という名の絆は離さない。
事態は輪をかけて混乱した。
「うああああ。コントやっている場合ですか」
「おい、ちょっと待て。何だこれ」
お互いに腕を振るうも手錠は外れない。
右手から流れる振動にリッカは苦悶の声を上げた。
「痛え。左手に響くから止めろ!」
「あっ、ごめんなさい」
命が腕を止めると状況も膠着した。
手錠で繋がれた二人は無言で見合い、喉から乾いた笑い声を出した。
「……どうしましょう」
「どうにかしてくれ」
「魔法で何とかなりませんか」
「風で鋼が断てるとでも?」
その自嘲気味な問いかけが、もはや質問の答えになっていた。二人の縁はちっとやそっとでは切れない仕様と成り果てた。




