第42話 片腕の銀色カフス
両手に花状態でいざ春祭りへ。
意気揚々と賑わう街に向かう。
そして突入開始から五分。早くも片手から一輪が落ちた。
「隊長、那須ちゃんが流されてる系!」
右手側からの報告と、消える左手の感触。
二人の世話係である命は焦り周囲を見渡す。
いた。手が離れた那須が人波に飲まれていく。
「あの……南無三」
「那須ちゃああああん」
二人の叫びも虚しく完全に埋もれた。小さなおかっぱ頭が見えなくなると、命は困ったときの乙女技をすかさず発動する。
そっとしておきたくなる、乙女の憂い顔。
昼下がりの優雅な歩行術、乙女の歩く道。
この危機的状況に命は二枚のカードを切った。
憂い顔の乙女が黒髪をなびかせ歩く様は、人を寄せ付けない神秘性を保持している。容易く人波をすり抜ける今の命には、誰も追いつくことができない。
そう誰にも。だから右手が空手だった。
「しまった――ッ!」
乙女の過信が悲劇を招いた。
無駄に高めた乙女力に付いて来られず、根木もまた別の人波に攫われていく。
「みふぉとふぁーん」
「いつの間にクレープを!」
第二の迷子事案はクレープとともに。
離れ際の根木の声は、モグモグしていた。
刻一刻と事態は悪化していく。
根木に気を取られた間に、那須も埋没し。
那須を探す間に、根木も遠ざかり。
やがて命は完全に二人を見失っていた。
(ああ……やってしまいました)
はぐれた場合の待ち合わせ場所を決めるべきだった。連絡用の魔法石を買うべきだった。防犯ブザーも持たせるべきだった。いっそ名札すら付けるべきだった。
そう後悔するも、もはや後の祭りだ。
二人の迷子が発生した事実は消えない。
パンっ、と命は頬を張って切り替えた。
(まずは迷子センターへ向かわねば)
至るところから聞こえる迷子放送を頼りに、命は迷子センターを探し求める。瞳を潤ませて彷徨い歩いていると、係員の方から命に接触してきた。
ニヤリと内心ほくそ笑む命を前にし、腕章を付けたお姉さんは尋ねる。
「大丈夫かな。自首するなら今のうちだよ」
「なぜ悪人前提なのですか!」
渾身の演技を見破った相手は、皮鎧をまとったお姉さんだった。
記憶の糸を辿り、命は思い出す。一度だけだが面識のある人物だった。
「今日は、無断飛行は禁止だからね」
――ようこそ、セントフィリア王国へ。
あの日、命の入国を祝福した者は、悪戯っぽく微笑んだ。
「貴方は……あの時の門番さん」
「今日は警備員さんだけどね。何か困ったことがあったのかな?」
「友達が迷子なのです! 早く迷子放送を!」
「えっと、君の友達って同い年だよね」
十五、六の高校生のために迷子放送を入れて良いか、警備員は悩む。
「小さな子供ならまだしもなあ」
「精神年齢は小さな子供なのです!」
「……君、結構ひどいこと言うね」
警備員は、人差し指で下唇を持ち上げる。
春祭りは迷子案件が多いこともあり、基本的に幼い子の迷子放送が優先だった。
「おっと」
皮鎧に一体化したウエストポーチが発光する。
警備員は手で断りを入れてから話を中断した。青白い光を瞬かせる魔法石を耳元に当てて、一分近く通話していた。
(何やら視線を感じますねえ)
通話中、警備員は常に命を見ていた。
最初こそ柔らかな目付きだったが、最終的には命を半眼で見詰めていた。魔法石の通話機能をオフ。一度ため息を付き、警備員は確認する。
「君、身長何cm?」
「158cmですけど」
命が質問の意図が掴めずにいると、徐々に警備員の顔を渋くした。
身長158cmの黒髪の乙女。
卵顔で幼いながらも端正な顔立ち。
もはや疑う余地もなくビンゴだった。
「ちょっと手を貸して」
「こうですか」
趣旨のわからない提案に乗ると、ガチャリと左手を拘束される。冷たい手錠の手触りに、黒髪の乙女は苦笑した。
「君、逮捕ね」
突然の逮捕劇。終わりは唐突だった。
我に返った命は、驚きの声をあげた。
「何でですか!」
女装の嫌疑をかけられたとは考えにくい。
命は一般人を装って焦りの色を浮かべた。最悪を想定して頭をフル回転させたが、幸いにも目前の警備員は深刻そうではなかった。
「いや、君が物盗りの特徴に一致してるんだよ」
「それ完全なる濡れ衣だと思いますよ」
とばっちりだと知り、命の溜飲はわずかに下がった。
容姿の似通った者が悪事を働いているというのは迷惑であるが、命もまた女装潜入の犯罪者であり、人のことを言えた口ではなかった。
「無辜な私を助けて、警備員さん」
「君は前科があるからなあ」
「意外と疑いの目が厳しい!」
「冗談だよ」
口ではそう言うも警戒は解けない。
手錠片手分の疑いが晴れない命は、警備員の出方を伺い、静かに待つ。
「まあ私も君は違う気がするから、証明書出して貰おうかな」
「それで疑いが晴れるなら喜んで」
命は財布から学生証を出そうとして、そこで固まる。
「まだ学生証は交付されてないのですが」
「いやいや、それは嘘でしょう」
警備員は左手を団扇のように振った。
「だって、もう健康診断終えたでしょ」
「ああ、あのカードのことですか」
「そうそう。さくっと出しちゃいなよ」
ホッとするのも束の間。
財布を開いた命は、再度固まった。
「……まさか持ってないの」
「買い物できないカードだったので、フロントに預けてあります」
「レッドカードですか」
怪しい、と命を見る目がいっそう厳しくなる。
数秒、二人の間に空白の時間が流れ、警備員はぽつりと声をこぼした。
「……金に困っての犯行か」
「違います。断じて否、否なのです!」
必死になって頭を振る姿すらも怪しい。
いくら命の無罪を願っているとはいえ、警備員もさすがにこのまま命を無罪放免とするわけにはいかなかった。
「仕方ないなあ。他の身分証で良いよ」
妥協案を受けて、命は三度固まる。
日本にいたころの証明書は、全て捨てていた。
性別が男と記載されていたからだ。
白く透き通る柔肌の上を、ツーと玉の汗が滑る。
黒髪の胡乱乙女は、待ったなしだ。
「はーい。ボディチェックを始めます」
「待って下さい!」
無慈悲な宣告に、命は体裁も忘れて慌てる。
たとえ窃盗の罪が晴れても、重すぎるお釣りが来る。男だとバレれば、打ち首、火あぶりは必死、もとい必至である。
「私の無実は友達が証明してくれます」
「……君、友達いないじゃない」
「寂しい子みたいに言わないで!」
キュピーン、と命は乙女の眼光を光らせる。
誰か、誰でも構わないから知り合いはいないのか。祈るような気持ちで周りを見渡したのち、命は手を振り、友達を呼び寄せる素振りを見せた。
「根木さーん。こっちです」
「ああ、友達見つかったのね」
良かったね、と警備員は目線を向けたが、人混みから駆け寄る者はいない。次いで前に顔を戻すと、命もいなくなっていた。
エア友達詐欺だと気付くも遅い。命はすでに尋常ならざる速さで逃げていた。音も立てずに憂い顔の乙女は加速する。
迂闊な自分に歯噛みし、警備員は魔法石を取り出した。
「物盗りの姿を視認。場所は第8地区の南門付近。容疑者は一路北へと逃走中。至急協力を求む。至急協力を求む」
「ひいっ、なぜ私がこんな目に!」
望まぬ女装に、謂れなき濡衣。
色んなものを被りながらも、黒髪の乙女は人混みに潜っていく。
◆
偵察用の【烏】を飛ばすと、命は現状を確認する。
8区から北上した命は、春祭りの活気の中心である5区にいた。
(この粗末なパンフレットを信じるならですが)
南門入り口で貰ったパンフレットには、必要最低限度の地図情報しか載っていない。大きな正方形を9つの正方形に分けるように線が引かれた、簡素な地図だ。
縦3マス×横3マスの地図は、上段左から右へと順番に数字が振られていた。
まず目に付くのは、横中段と縦中段を走る線だ。十字に交差する太線は十字通りと記載されている。春祭りは、基本この道沿いに露天が集中していた。
(でも……それぐらいしかわからない)
粗末な地図に文句を付けるも、それで事態が改善するわけではない。絶えず人海に身を隠して進むも、命は自らの進路方向に不安を覚えていた。
(このまま北上するのは不味い)
北上すれば、当然セントフィリア城に近付く。
王城の警備が薄いわけがないと、命は進路方向の変更を潜考する。
「パジェロ――ッ!」
思考は寸断し、苦悶の声を落とす。
鉛筆からロケットまでの財閥が誇る、4WD車の名前が命の呻き声となった。
(くう……っ、二日ぶりの感覚です)
内蔵を殴られるような痛みに慣れはない。
命が空を見上げると、積雲が流れる春空からは焼き鳥が落ちてくる。
(犬に次いで烏までもが!)
命は、焦げすぎた焼き鳥を胸元で受け止めた。
「大丈夫ですか、烏さん!」
「ふっ、嬢ちゃん……泣きそうな声出すなよ。どうやら俺はもうダメみたいだ」
真っ黒に燃え尽きたぜ、と遺言を残し、烏は空気に溶けていった。
――今日は、無断飛行は禁止だからね。
優しかった警備員の声が悪魔にも思える。上空の逃走経路が使えないことを悟ると、命は次の一手をどうするか逡巡した。
(焼き鳥騒動で注目を集めた以上、早く立ち去らねば)
と、そこで命は不自然な状況に気づいた。
春祭りを練り歩く人の視線をほとんど感じない。あれだけの騒ぎを起こしたにもかかわらず、群衆は別の者に目を取られていた。
群衆の視線が伸びる先を追い、命は何者かが接近していることを知る。
無断飛行の禁を平然と破り、杖に跨がる者がいた。尾を引く高笑い。絹のような金髪を宙に流して彼女は空を往く。
バカが箒でやってくる。
「ふははは、ここで会ったが百年目――ッ!」
「げぇっ、フィロソフィア!」
烏を頼りに飛来した仇敵に、命は驚愕する。
ペットショップの一件で頭が湯立つフィロソフィア。彼女の瞳には命しか映っていない。だからこそ、あっさりと罠に嵌った。
命が咄嗟に放った【結界弾】が展開すると、透過性の橙色の壁が広がる。そこへ速度を殺せぬフィロソフィアが突っ込んだ。
「モスクヴィッチ――ッ!」
ロシア語でモスクワの子を意味する車の悲鳴が上がる。
フィロソフィアは見えない壁にもたれて、空から落ちてきた。意識が飛んでいるのか、目をくるくる回していた。
(このまま落とすのも気が引けますしねえ)
不承不承、命は空から降るお嬢様を抱き抱える。
奇しくもあのときと同じお姫さま抱っこの形になった。
(普段もこうなら、もう少し可愛げがあるのに)
懲りない相手に吐息していると、銀髪の従者が呑気な歩みで来た。
「早く引き取りなさい。私は急ぐ身なのです」
「ええー、不法投棄したい」
「……引取料をふんだくりますよ」
エメロットにお嬢様を押し付けて、命は周りへの警戒を強めた。要らぬ騒動で注目を集めただけに、いつ警備員が飛んで来てもおかしくない。
(……来ない)
人波を割る者はいない。
通行人が時おり目を留めるものの、警備員が駆け付ける気配はなかった。
「その件なら大丈夫ですよ」
事も無げにエメロットが囁く。
「不審者を2区で見かけた、と吹聴しておきましたから」
予想外の援護射撃を受けて、命は目を丸くする。エメロットの表情は能面みたいで、何を企んでいるのか、丸で読み取れなかった。
「……何が目的ですか」
「引取料ですよ」
あくまで白を切り通すエメロットだが、彼女を追及する余裕もなかった。今は流布したという偽情報を信じて、南側の7区へと舵を切るだけだった。
「そうそう、先ほど貴方の偽者を見ましたよ」
「捕まえてくれはしないのですね」
「そこまで機転が利かないものでして」
皮肉の応酬へと発展させることもない。
グッと怒りを飲み込む命の胸元に、エメロットは果実を投げた。
「セントフィリア産のエルバの実です。食べると髪色が変わりますよ」
髪色詐欺の染料になるエルバの実。
それを受け取ると、命は迷うことなく噛りついた。縋っても損をする類の嘘ではなかった。
うっ、と命は小さくえずく。
オイルにも似た味わい口内に広がる。
素材そのままのエルバの実はひどい味であったが、口にするだけの価値はあった。毛根から毛先に寒気が走り抜けると、命の毛色は銀色に染められていた。
「恩に着ます」
一言感謝を告げると、命はヘアゴムで髪を束ねる。
気休め程度ではあるが、ないよりはマシである。女装の上に変装を重ね、銀髪のポニーテール乙女にイメチェンした。
「いえいえ、お気になさらずに。報酬はたんまり貰いましたので」
「あっ!」
エメロットが手元で弄ぶ財布には見覚えがある。命はすかさず制服の至るところを漁った。同じ財布を持っているなどと、偶然では片付けられなかった。
「私の財布!」
「ギブアンドテイクは世の理ですよ」
「……せ、せめて半額で」
「この場で叫びましょうか?」
「くれてやりますよ!」
命あっての物種である。
生き抜かねば自分の名前が泣く、と背を向けて命は憂い顔で急いだ。今度の憂い顔は自前だった。
四〇〇万円の借金を背負い、無一文の黒髪の乙女もとい――背徳の銀髪の乙女は、明日へと向かって走り出す。
「……全く、世話が焼ける」
残されたエメロットはお嬢さまを肩に乗せ、北欧製の携帯電話を取り出した。
「約束通り、2Pカラーにしましたから」
一言そう告げると通話を切った。
淀んだ瞳を細めるエメロットは、見えなくなった背中へ問いかける。
――貴方がもう一人ですか?
彼女の疑問は、去りゆく命には届かない。
ただ溶けぬ疑問だけが、祭りの熱気のなかをたゆっていった。




