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魔法少女の狭き門  作者: 朝間 夕太郎
旅立ち編
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第4話 旅立つ彼は少女となって

 ちゃぶ台に積み上げられた資料の山はうず高く、上を見ると切りがなかった。


「大丈夫よ命。全てこの母に任せなさい」


 卒業を目指す以上、高校三年間は女学院生活を余儀なくされる。

 それは命にとっての宿命であり、避けようのない未来であった。


「私が一ヶ月で貴方を乙女に変えてみせるわ!」


 黒髪の乙女塾塾長、八坂楓は力強く言い放った。


「あの……なんで乙女なのですか」


 ちゃぶ台前に正座する受講生、命は恐る恐る手を挙げた。

 女学院生活を平穏に過ごすためには、女性の感性や常識は不可欠だ。

 そこまでは受講生もわかるのだが、なぜ乙女なのかは全くもって謎だった。


「甘いわ命! 貴方は乙女を何だと思っているの」

「年若い女性のことでしょう」

「すっごく甘いわ命! 良いこと命!」


 乙女とは――ッ!

 カッと目を見開いた母親は、情熱的に説明を開始する。


「その仕草振る舞い、佇まい。表情、理念、思想の一端から雰囲気に至るまで、そのすべてが女性を凌駕する存在――それこそが乙女!」

「……つまり、女性の上位存在ですね」

「ええ、そうよ命。よく覚えておきなさい。歳は関係ないのよ、歳はね」

「さすがに、その歳で乙女を名乗るのは」

「さあ、行くわよ命。この果てなく続く」


 一呼吸溜めてから、母親は天へと腕を突き上げた。


「乙女道を走り続けるのよ!」


 母親の乙女の純度を上げる教育は、入学式までの一ヶ月弱続いた。

 ときに血反吐を吐くほど過酷な特訓は、花咲くフローラルな乙女背景に誤魔化された。母親が「あらあら、うふふ」と微笑む横で、命は何度も床に倒れ伏した。


 ――乙女とはなんぞ。

 その難題を前に何度も背を向けたくなるが、命は引かなかった。

 男の挟持とか羞恥心に抗いながら、絶えず前進し続けた。正直前がどこかは途中で見失い、薄々道を誤っていることにも勘付いていたが、道半ばまで来てしまうと引けなかった。ただ走り続けた。我武者羅にあの乙女道を。


 そして迎えた入学式当日。

 居間に置かれた姿見は、一人の黒髪の乙女を映していた。


「うーん。おかしくありませんか」


 濃紺のボレロ制服を着た命が回ると、チェック柄のプリーツスカートのひだがひらりと舞い上がった。


「大丈夫よ。ああ可愛い、別の意味で心配になるぐらい」

「これはすごいなあ。昔の母さんを彷彿とさせる可愛さだ」

「……ありがとうございます」


 両親の褒め言葉を受けると、命は複雑な顔で頭を下げた。


 今や黒髪の乙女塾の筆頭となった命は、立派な黒髪の乙女だった。

 それは内面に限った話だけではない。腰まで伸びた黒髪も相まって、外見にも一層の磨きがかかっていた。


「小鳥のようなソプラノボイスに、グラビアアイドルの鯖読み数字を体現するウエストの細さ! 素晴らしすぎる。さすがは命、さすがは私の息子!」


 声帯、骨格の問題も難なく突破する命は奇跡の人材だ。

 そう興奮気味に賞賛してから、母親はうっとりとした表情で言う。


「命には、女装の神さまが微笑んでいるわ」


(はたしてその神さまは女性なのか、男性なのか疑わしいところですねえ)


 スカートの裾を優雅に持ち上げながら、命は難しい顔をする。

 すっかりこの軽装にも慣れたが、初めて着たときの衝撃は今でも忘れ難い。

 スカートとは世の男性の想像を遥かに超える、心許ない衣装なのだ。


(世の男性は、一度これを穿いた方が良い)


 ひざ下から吹き抜ける風の通り道は、男性の命には未知の領域だった。

 だが、これを翻すことを乙女は許さず。その母親の教えを血と骨に溶け込ませて、命は街なかで訓練を続けた。


 生足に集中する視線に耐えながら研鑽を続けた結果、命は長すぎず短すぎないスカート丈で、決してスカートのなかを晒さないコツを覚えた。


 これは修行の成果の一端であり、母親の乙女レッスンを無事乗り切った命は合わせて48の乙女技を身につけた。命の乙女純度はもはやダイヤモンド級といえた。


(これって、乙女の研鑽を積むことが、変態になることに直結していますよねえ)


 自然と顔にしわを寄せる命の背中を、母親が叩いた。


「ほら命、乙女は背筋を伸ばしなさい。今日は旅立ちの日なのだから、尚のことね」

「そうですね。あれから一ヶ月ですか……本当に早いものですね」


 旅立ちの日。改めてその言葉を聞くと、命の気分はわずかに沈んだ。

 セントフィリア女学院に進学した場合、その一切の秘密の口外を禁じるため、基本的に自国へ戻ることは許されない。今日の旅立ちは新生活の始まりだけでなく、家族との三年間の別れを意味した。


「明日から命がいないのか、寂しくなるな」

「こら父さん、そういうこと言わないの!」


 空気が重くなりそうなことを察した命は、両親へ笑顔を見せた。


「大丈夫ですよ、同じ空の下にいれば私たちは家族です。それに新しい生活には楽しいこともあります」


 女学院に女装潜入する生活のどこに楽しみを見出だせるのか。

 その本音を押し隠しつつも、命は両親のために気丈に振る舞った。


(女性の園に興味がないといえば、嘘にはなりますが)


 その些細なリターンを優に超える恐怖があった。

 女装潜入が露見したときの代償が死を意味することは、命も薄々勘付いていた。


(二人とも明言しませんでしたが、そうなのでしょうねえ)


 本来魔法使いというのは、あってはいけない存在である。

 セントフィリア王国最大の背信者と評されたリッシュ=ウィーンの影響もあり、魔法使いは"災厄の象徴"と呼ばれるほどに忌み嫌われているのだ。

 魔法使いが女装潜入していることがバレたとなれば、目も当てられない。希少な実験台として扱われるかもしれないが、首を刎ねられる可能性の方が余ほど高い。


 だが、今更リスクなど恐れていても前には進まない。

 微かな希望にしがみつく以上、いちいち最悪を想定したら切りがない。

 全てを承知の上で、これから命は旅立つのである。


「たった三年間です。そのうち、成長して帰ってきますよ」


 どれだけ自然かはわからないが、命は笑顔を作り続ける。

 両親に脳と網膜に焼き付けて欲しいのは、やはり自分の笑顔だった。


 父親は命の頭を撫でて、息子の旅立ちを祝福した。


「私は宮司だから毎日命の幸せを祈るよ。心配することはない、新生活は楽しいさ」


 子が知る親心よりも、親は子心を知っている。

 強がりを見透かした上で祈りを捧げる父親の姿は、命に心底敵わないと思わせた。


「それに女性の園というのは、男性にとっての夢だよ。羨ましい環境かもしれない」

「……お父さん、不潔です」

「あらあら、煩悩の塊かしら。その頭で鐘撞きすれば良いのかしら」


 命と母親は、父親に冷ややかな視線を容赦なく浴びせた。

 同性の命からも賛同を得られず、父親は大いに凹んでいた。


「なんだか年頃の娘に、もう一緒にお風呂に入らないと言われた気分だ」


 何気ない父親の言葉に、命はハッとさせられた。


 一ヶ月前までの命は健全な男性であり、やはり歳相応に女性への興味があった。それなのに今は、父親の言葉に頷けない自分がいた。


(まさかと思いますが……私、思考が女の子に近づいているのでは)


「命はまだお父さんとお風呂に入ってくれるよな」

「遠慮します。良い機会ですし、洗濯物もわけて下さい」


 父親が地面に崩れ落ちてから、命はようやく自分が口走った言葉の意味を理解した。父親の誘いを無碍に断るその言葉は、まさに年頃の乙女のものであった。


(これは修業の成果が、遺憾なく発揮……されすぎています)


「まあ不潔なお父さんは置いといて。可愛い彼女でも作れば薔薇色の生活よ」

「……彼女ですか」


 これまた返答に困る励ましの言葉だった。

 男性として彼女をつくるためには、女装していることを明かす必要がある。

 その上、女装して女性と付き合うことには、更に何だか違う意味合いが生まれてくる。


「それも悪くないですね。可愛い彼女でもつくれるよう、頑張ってみますね」


 母親の好意を無駄にせぬよう、命はその場凌ぎの返答をした。

 他人事のように答える命はまだ知らない。女子校という一種の異界において、命が数多の女性を惹きつける未来が待っていることを。


 その女性めいた容姿といい、つくづく命は女難の相から逃げられない運命の輪に閉じ込められていた。


「それではそろそろ時間ですので、行って参ります」


 出発準備を整えた命の背中に、名残惜しげな両親の手が伸びた。


「何か御用でしょうか」


 言葉を出せずに口をつぐんでいた両親だったが、母親が今まさに思いついた言葉で命の食い止めた。


「そうよ、写真よ。せっかくの記念日なのだから写真を取らないと。ほら父さん早く」

「ああ、そうだね。直ぐ戻るからちょっと待っていて下さい」


 慌てて自室へと向かった父親だが、気が急いたことで廊下で足を滑らせた。珍しい父親の後ろ姿を見て、命の顔からは自然と笑みがこぼれた。


「出発前にごめんね。時間は大丈夫かしら」

「ええ、少しなら。だから一枚だけですよ、お母さん」


 ぱあっと笑顔を咲かせる母親は、無邪気な少女のようだった。

 表向きは命の時間を気にしていても、本当は行って欲しくないという気持ちが外に駄々漏れだった。


(一枚、そこで終わりにしましょう)


 それ以上この場に留まれば、旅立てなくなる。

 だからこそ、命は一枚という制限を設けた。


「しかし、高校進学の記念写真が女装になるとは」

「あら大丈夫よ。命は可愛いから」


 どう返答したものか命が困っている間に、年代物のカメラを下げた父親が戻ってきた。急いで自室を漁ってきたのか、衣服はわずかに乱れていた。


「ごめんごめん。待たせたね」


 三人は玄関を出て自宅前へと移動する。背景に拘る時間的な余裕が無かったため、自宅前で写真を攝ることになった。


 命が振り返って眺めた自宅は、別の建物のように映った。

 普段、気にも留めないような石垣のひびや瓦の色落ちが、今日に限ってやけに目につく。


(この家ともしばらくお別れですねえ)


 そう感慨にふけっていたが、その意識は父親の声で掻き消えた。


「大変だ母さん、重大な問題が発生した!」

「もう、こんなときに。どうしたのお父さん」

「シャッターを切ると、私が写真に入れない!」


 あまりにほのぼのした重大な問題に、命は頬を緩めた。

 今日も八坂家は平和である。明日も明後日もそうあって欲しいと思った。


「お父さん、カメラ借りますよ」


 慌てふためく両親に向かって声をかけると、命の行動は早かった。

 物を動かす魔法を行使して、年代物のカメラを宙へと浮かせた。


「これなら三人一緒に撮れます……今日ぐらいは許してくれますよね」


 両親が無言で頷くと、命は両親の間に入った。

 三人の間隔は短い。互いが離れないようにと、距離を詰めている。

 途中左右からの圧迫で魔力が乱れ、カメラが落下しかけるハプニングもあったが、命は無事カメラの空中固定に成功した。


「それでは撮りますよ。お別れの写真ですから、笑顔で取りましょうね」


 命は黒い(もや)を成形した攻撃魔法を準備する。

 豆粒状の黒い魔法弾は手のひらではなく、シャッタースイッチの上に発現した。


(これは、なかなか骨が折れる)


 繊細な魔法の扱いに苦心しながらも、命は黒い魔法弾をシャッターに落とした。


 はい、チーズ。


 フラッシュが炊かれてから、三人は数秒立ち尽くした。

 動いてしまえば、口を開いてしまえば、終わってしまう最後の時間を惜しむ。

 そこに留まれたらどれだけ良かったか、命は考えてはいけなかった。

 宙に浮かせたカメラを、父親の手元に返した。


「それでは、今度こそ行って参りますね」

「いってらっしゃい」


 両親の重なる声を背中に受けて、命は歩き慣れた境内から石段を下っていく。


(あーあ、折角の写真だったのに)


 一枚という制限を自分でかけただけに、尚のこと罰が悪かった。


 旅立ちの日に撮られた写真はピンぼけだった。

 これは現像後に判明した事実だが、撮影者である命だけは気づいていた。


(あれだけ精密な動作をするのは、今はまだ難しいですねえ)


 自分の行動に悔いはなかった。セルフタイマー機能がない以上、あれ以外の方法で三人が同時に映ることはできなかった。多少写りが悪くても三人が一緒に、家族で写った写真に価値があるのだ。


(それにしても、あれは狡いよなあ)


 ただ一つだけ、命は先の写真について不満があった。

 それは写真うつりの問題ではなく、約束を破った両親についてだ。


「笑顔でって……言ったのに」


 肩を伝った両親の涙は、わずかに命の制服を湿らせていた。


 涙顔の両親に挟まれた命が、満面の笑みを浮かべたピンぼけ写真。

 その一枚をいつか笑って眺められる日のため、命は後戻りできない道のりを歩き出す。油断すると涙が零れ落ちそうになり、命は曇り空を見上げた。


(危ない、危ない。これでは化粧が落ちてしまいます)


 自分の思考が乙女寄りになっていることに愕然としつつ、命はセントフィリア女学院に向けて旅立った。


 決して後ろを振り向くことはない。

 前を向いて帰ってくると、命は固く誓ったから。

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