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魔法少女の狭き門  作者: 朝間 夕太郎
1週間チュートリアル ―女学院編―
36/113

第36話 君が味方と言ってくれたから

 休憩時間はイルゼの天下だった。

 二人の教員が一旦引き上げると、彼女の周りには人集りができていた。


「イルゼってば、本当に凄い!」

「あの不良教師相手によく強く出られるね」

「別に怖かないわよ、あんな不良教師。強く出なくちゃ、のさばるだけよ」


 気分良く右拳を突き出し、イルゼは笑う。


「こうガツンと言わないとダメよ、ガツンと!」


 ファイティングポーズを取る自分の姿に黄色い声援が上がると、イルゼはご機嫌だった。彼女は饒舌にしゃべる。


「教員は魔法少女を引退した不良教員。オマケに1-Fの中心人物がアレだと思われちゃね」


 イルゼの見下す目を追うように、取り巻きの下卑た視線がスライドしていく。彼女たちが見つめていた人物は、黒髪の乙女――1-Fで一番の知名度を誇る、命だった。


「東洋人の猿に魔法は難しすぎるのよ。あれだけ出来れば、猿なら大したものよ。ねえ、黒髪のお猿さん」


 クスクスと嫌味な笑い声が起こると、命は不思議そうな顔で那須に尋ねた。


「えっ、もしかして私って……嫌われていますか?」

「あの……」


 那須が答え辛そうに逡巡していると、横から紅花(ホンファ)がズケズケと入った。


「当たり前ネ。問題児が何を抜かすヨ。小喬(チャオ)、ここに馬鹿がいるヨ。馬鹿が!」

「……それはさすがに言い過ぎだよ、紅花」


 中華組の弁はどちらも正しかった。入学当初から注目を集めていた命だが、なにも集まる視線は良いものばかりでない。


 ――クラスの中心人物でいたい。


 そう強く願うイルゼは、1-Fの誰よりも命の活躍も快く思っていなかった。


「滑稽ね。黒髪の猿同士、戯れていると良い」


 さも当然のように見下すイルゼの態度が、反感を買うのは何ら不思議でなかった。


「……おい、ちょっと待つヨ」


 猿。その最大級の侮蔑の言葉を受けて、紅花が黙っていなかった。背中から怒りと共に黒い霧が立ち昇る。


「誰が猿ヨ。踏み潰されたいのカ?」

「直ぐ逆上するのが、猿の証拠じゃない」


 挑発するイルゼは余裕の笑みを浮かべていた。


「ちょっと止めなよ、紅花!」

「あの……喧嘩いくないです」

「ええい、離すヨ、小市民コンビ!」


 小喬、那須がすかさず紅花の両腕に抱き着く。

 紅花は鬱陶しそうに身体を揺すって抵抗したが、小市民コンビに押さえ込まれていた。


「あら、黒髪のお猿さんは来ないの」


 静観していた命は微笑んでみせた。


「結構です。私、結果の見える喧嘩には興味ないですから」


 一歩、二歩と背筋を伸ばして命が歩く。

 イルゼの目前で立ち止まると、親切心から命は忠告する。


「これ以上は止めておいた方が賢明ですよ」

「へえ。この猿、面白い言葉を知ってるのね」


 イルゼが眉間に怒り皺を寄せると、命は溜息をついて諦めた。

 この人には何を言っても無駄だと。


「なら、これをお貸ししますよ」

「ハンカチ? 何の真似よ」


 命がイルゼに差し出したのは、何の変哲もないウサギ柄のハンカチだった。


「必要でしょう? 貴方、これから床の上を転がる予定がお有りでしょうから」


 怒りで頬を染めたイルゼが、命の差し出す手を払った。

 遅れてひらひらとハンカチが宙を舞う。


「……調子に乗るなよ」


 眼前で睨み付けるイルゼだったが、命の目は別方向を向いていた。集団の中でも目立つ、すらりとした長身の女性。視線に気づいたリッカは癖のある緑髪を掻いた。


「ったく、仕方ねえなあ」


 小さくぼやきながらも視線に応え、リッカは当事者二人の間に割って入った。


「トイレ行くぞ、命」


 長い歩幅で歩いて来た女神に続いて、命は堂々とイルゼに背を向ける。相手が五人の才媛の一人とあっては手が出せず、イルゼは下唇を噛んで二人を見逃した。


「この際だから言っとくが、あたしは手前の用心棒じゃねえからな」

「ええ。知っていますとも。そう言って助けに来てくれるのでしょう」


 演舞場の昇降口へと向かう途中、命はイルゼの叫び声を背中に浴びる。


「調子に乗るなよ、黒髪の猿が! 出来損ないの御三家にまぐれ勝ち――」


 うるさい、と命は昇降口へ続く扉を閉めた。

 普段開け放たれたその扉を閉めたのは、千の言葉にも勝る反抗の意志を示していた。


 


     ◆


 


 お手洗いがある演舞場1階に辿り着くと、先行する命が扉に手をかけた。


「えっ、手前まさかトイレに入るのか」

「……今更その点について聞かれても」


 リッカの怪訝そうな顔を命は苦笑混じりで流す。男子禁制のこの国で男子トイレなど探すだけ無駄だった。


「あれ、リッカは入らないのですか」

「このHentai! 何の嫌がらせだ」


 意地悪く命が問いかけると、リッカは頬を赤らめ、鷹の目を尖らせた。


「当然入るさ! 私はちょうどトイレに行きたかったからな」


 自分が遠慮する必要はないと意地を張り、リッカは躊躇いがちに入室した。


(あ、あれ、本当に入って来てしまいました)


 冗談とはいえ先に吹っかけた以上、命も撤回し辛かった。一度は退出を試みるも、リッカに睨みを利かされて退路も塞がれた。


「……あの」

「……なんだよ」


 二人は別々の個室に無言で入り、不毛なチキンレースを繰り広げた。


 用を足す間。リッカは耳を塞ぎながら、無駄にレバーを引いて水音を出し続けた。それが乙女としてのせめてもの抵抗だった。

 顔の火照りが収まるまで待機した後、リッカは個室の外に出た。洗面台には一足先に用を済ませた命がいる。


「……酷い辱めに合った」

「貴方が変なところで意地張るからでしょ!」


 二人は鏡越しに会話を交わす。まだ先ほどの熱が尾を引いているのか、リッカは恥ずかしげに、命の隣の洗面台に着いた。


「意地っ張りは手前だ。イルゼに喧嘩売っといて。先に言っとくが、あたしは助けないからな」

「ああ、顔見知りですか」

「内部進学生は大体知ってるけどな。顔見知りって……そんな呑気な」


 リッカとしては仕返しのつもりだったのだが、堪えた様子が見られなかった。命は淡々と指先を絡めて手を泡立てている。


「手前がイルゼの喧嘩を買うとは意外だったな」

「買った覚えはないのですけどねえ。まあ、どの道何度も顔を合わせるわけですし」


 入学初週、つまり本日の講義を終えれば、女学院の新入生向けカリキュラムは終わりだ。クラス単位の講義数は減少し、代わりに履修した講義へ参加することとなるが。


「クラス単位の講義も完全には無くならないでしょう。なら、この先ずっと絡まれるよりはマシかと思いまして」

「確かに。手前、ずっと絡まれそうだしな」


 リッカの指摘は命の思考と合致していた。イルゼからは傲岸不遜なお嬢さまと似た匂いがした。命にとっては天敵の匂いだ。


「それは勘弁願いたいものです」

「ふうん。そう言う以上は勝算があるんだな」


 洗い流した手から水滴を飛ばしつつ、命は気負うことなく言いのけた。


「まあ――勝率100%でしょうねえ」


 リッカは言葉を失った。

 性格面には難があるが、イルゼの魔法少女の実力は確かだ。リッカが見る限りでは、ルバートと同格、あるいは一枚落ちる程度である。


「それは、あたしの援護を期待に入れてか?」

「まさか。助けなんて不要ですよ」


 じゃれ合い程度に手を合わせたとはいえ、リッカから見た命は未知数である。魔法の腕前はお世辞にも高いと言えないが、どこか妙な才能(センス)を感じさせた。


 妙な才能。

 その言葉をリッカは噛み砕けない。

 機転が利く。読みが鋭い。人目を惹く。幾つかの才能があるのは確かだが、統合して言い表せない不快感があった。


 この小競り合いを良い機会だと捉え、リッカは命を黙って見守ることにした。


「あっ」


 命は間の抜けた声を出した。


「ハンカチ貸して貰えます?」

「……手前、馬鹿だろ」


 隣の魔法使いは、どうにも食えない人物だった。


 遅刻、休講の常習犯である二人は、二限開始の鐘の音が鳴るも、気にも留めなかった。


 


     ◆


 


 演舞場1階の片隅にある休憩所。

 そこで命は女性トイレの件の謝罪代わりにコーヒーを奢っていた。相手はソファーで長い脚を組む女神さまだ。


「あんま美味しくないし、安い」

「そりゃあ、カフェ・ボワソンで淹れた物とくらべれば格は落ちますよ」


 紙コップを傾けるリッカは、文句を言いつつ、不満と一緒にコーヒーを飲み込んでいく。味より、安い女だと値踏みされたことが不満なのだが、リッカは口には出さない。


「……あんま美味しくない」

「二回も繰り返さないでも。一応聞きますけど、カフェ・ボワソンで淹れたコーヒーとくらべてどう違いますか」

「ボワソンのコーヒーは、もっと美味しい」

「そうですねえ。もっと美味しいですねえ」


 具体性の欠片もない感想を流すと、命は躊躇(ためらい)いがちに口を開いた。


「その……腕は固定しないのですか」

「大丈夫だ。動く気はねえ」


 顔を合さずにリッカは即答した。

 相変わらずこの手の話題には、取り合ってくれない。その頑な姿勢に命は苦笑する。


「昨日も言いましたが、固定しないと腕の骨が綺麗に接着しませんし、治りも遅くなりますよ」

「……わかってるよ」


 実技の講義でも、リッカは怪我を隠していた。

 彼女相手にどこまで踏み込むべきか、昨日カフェ・ボワソンで拒絶されたこともあり命は悩んだが、腹を決めた。


「魔法少女の選抜合宿ですか」


 振り向くリッカの顔。

 瞳孔が開く翡翠の瞳は動揺を露わにしていた。


 命が気付いたのは今朝の会話からだ。

 1-F筆頭生徒、ヴァイオリッヒ=シルスター。彼女の不在理由が合宿参加だと知ったことで、命のなかで点と点が繋がった。


 ウルシ=リッカは、不思議な生徒だった。

 セントフィリア女学院で特別待遇を受けているにもかかわらず、常にカフェ・ボワソンに居着き、魔法少女に興味がないと口にしておきながらも、正規の魔法少女についてルバートと語り合う。


 そのどこか矛盾した言動をとるキャラクターを、命は妙に思っていた。彼女はなぜこうもチグハグなのか。突き詰めていく内に、命はある一つの結論に辿り着いた。


 彼女は、魔法少女が嫌いなのではない。

 好きで好きで大好きで……それ故に苦しんでいるのだ、と。


「貴方は、選抜合宿に参加できなかったのでしょう」


 選抜。その言葉が表す意味は残酷だ。

 上を掬い上げ、下を切り捨てる言葉だった。


「……手前は嫌な奴だな」


 消え入りそうな声だった。

 そっぽを向いたリッカの肩は震えていた。


「貴方が腕を固定してくれるなら、私は喜んで嫌な奴になります」


 命は多くは聞かないし、多くも語らない。

 選抜時に骨を折ったであろうことも、敢えて本人に確認しなかった。


 その骨折の意味は骨だけに留まらない。特別待遇生としての名折れをも示す。大っぴらに怪我を晒せというのは、リッカに恥を晒せというのも同義だった。


「もし貴方の傷を笑う不届きな輩がいたら、私がタダでは置きません。だから――」


 命は伝えるべき言葉を絞り出す。


「大丈夫です。私はリッカの味方です」


 あの日、助けてくれて嬉しかった。

 正体を隠して生きる命を許容してくれた。カフェ・ボワソンの女神の優しさに報いるよう、命は力強く笑ってみせた。


 自分が不甲斐なさは百も承知だが、命にはそれしかできない。

 今はただ、一心に、翡翠の瞳に訴える。


「……放課後」


 拗ねた子供みたいな顔で、リッカが続けた。


「放課後、保健室まで付き添ってくれ。一人は……恥ずかしい」

「お安いご用です。カフェ・ボワソンの女神さま」


 リッカに仕える執事のように頭を下げると、命は安堵の溜息を心中で漏らした。これでようやく彼女に恩返しができた、と。


 この日、二人は初めて対等の立場となった。

 命は一人の頼もしい魔法少女を味方に迎え入れ、そして、その代償として一つの難題を抱えることとなった。


 命が背負った難題(もの)の重みは、借金四〇〇万より遥かに重い。

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