第35話 魔法弾フィーバー
二クラス合同の授業を前にして、多くの魔法少女が浮き足立っていた。
入学式、学力テスト、施設説明、座学、健康診断……これらの講義が無駄とは言わないが、大半の女生徒たちが退屈だったのは確かだろう。
講義開始五分前の鐘の音が鳴る。
「……ついに始まりますね」
「ちゃんと付いていけるか不安ですわ」
「大丈夫よ。私だって初心者同然だから」
二クラス総勢七十四名の魔法少女が待ち焦がれた講義――共通魔法実技の開始を、女生徒は今か今かと落ち着きなく待っていた。
「全く、外部入学生は初々しいな」
「魔法なんて使い飽きたよね」
そう言いながらも、内部進学生も指を鳴らしていた。
彼女たちにとっても卒業以来の魔法実技である。久々の機会に気分が上がるのは確かだ。ただ、外部組の初心者の手前ということもあり、表面上取り繕っている者も多い。
ざわつく集団で交わされる会話には、どこか不安が見え隠れするものの、女生徒たちの表情は一様に明るかった。
――ただ一人を除いては。
(……四〇〇万円の借金を返せる魔法はないですかねえ)
周りが浮足立つなか、ひとり命は沈んでいた。
母国の社会人の平均年収四〇〇万円に匹敵する多額の借金。加えて、一ヶ月分の宿泊費約五〇万円を捻出する必要にも迫られていた。
若い身空でその背中に背負った借金が、命に重くのしかかる。
「命ちゃん、魔法だよ魔法だよ!」
その一方、命の隣では那須がはしゃいでいる。彼女は星の欠片でも落としそうなほどに、目をキラキラと輝かせていた。
(眩しい! その百万ドルの笑顔の一部でも換金できたら良いのに)
そう考えてから、命はため息をつく。隣の人物があまりに綺麗な心の持ち主だったために、自分の汚さに嫌気がさしたのだ。
(ダメだダメだ。切り替えていこう)
乙女は常に前向き思考。
木漏れ日のような温和な雰囲気をまとい、常に幸せを引き寄せる生き物であれ。その母親の刷り込みに従い、命は微笑みを浮かべた。
「そうですね、那須ちゃん。魔法の実技、楽しみですねえ」
「うん……命ちゃんは、どんな魔法が欲しいの」
「錬金術が欲しいですねえ」
―――錬金術。
命が何の気なしに呟いた一単語は、ゆっくりと集団に波紋を広げていった。
「……聞きましたか。今の恐れ多い発言を」
「さすがは、黒髪の強心臓乙女。その名は伊達ではありません」
「この機に1-Fの番長として君臨する気かしら」
二クラスのうち、命が所属する1-Fの女生徒が、特に錬金術という単語に強い反応を示した。
畏怖の念を込められた視線が命に集まるなか、慌てて駆け寄ってくる横広の女生徒がいた。ルバート一味の一人、ドドスだ。
「八坂あ。その発言は不味いぞお」
「ほえ、錬金術ってあるのですか?」
「錬金術はあいつの十八番なんだよお」
『あいつ』とは、どちらさまなのか。命が聞き返すと、ドドスは神妙な面持ちで1-F所属する一人の女生徒の名前を告げた。
「ヴァイオリッヒ=シルスター」
「……はて、そんな人いましたっけ?」
命の頭には、該当する人物が浮かばなかった。
「ヴァイオリッヒは、あの空席の女生徒なんだあ」
「ああ、あの一度も顔を見せない空席の主ですか」
1-Fでも屈指の休講率を誇る命だが、一人お仲間がいると、実は安心していた。
窓際の誰も座らない席。そこが、ヴァイオリッヒ=シルスターの席だった。
「なるほど。道理で顔が浮かばないわけです。おそらくリッカみたいなカフェ登校児なのでしょう」
「……お呼びか、黒髪の乙女」
ぬうっと伸びた長い影が、命を覆う。
命が気配を察するよりも早く、細長い指先が彼の頭を掴んでいた。
「あら、ご機嫌いかがですか、カフェ・ボワソンの女神」
「さっきまでは悪くなかったんだけど……たった今、悪くなったよ」
ぎこちない笑みで、命は彼女のご機嫌を窺う。後方に位置取る1-E所属の女生徒、リッカは鷹のような目を細めて命を睨みつけていた。
「ったく。あたしをあんなバカ殿と一緒にすんな」
「あっ、そっちなのですね。ふーん。お知り合いですか?」
「あいつのことは、内部進学生なら全員知ってるさ。嫌でもな」
吐き捨てるリッカの表情は険しい。
嫌悪感を隠そうともしない彼女を見てから、命は次いで周囲の顔色を伺う。半数の素面だが、残り半数の顔からは恐れの色が見て取れた。
初心者の外部入学生組が前者、落ち着いた物腰の内部組が後者といった具合に、綺麗に半々に分かれていた。
例に漏れず、内部進学生のドドスも静かにその巨体を震わせていた。
(うわぁ……なんだか地雷臭い)
嫌な匂いを嗅ぎ取ると、命はそれ以上の詮索を止めた。
「はいはーい、ウチに注目。見さらせ、ウチを見さらせえ!」
パンパンと手を打ち鳴らす音が、始業の鐘の音に混じる。折よく1-E担当教員が姿をみせたことで、辺りを漂う嫌な空気はだいぶ和らいだ。
遅れて1-F担当教員が欠伸をしながら入るころには、誰一人としてヴァイオリッヒ=シルスターの話題を続ける者はいなかった。
◆
1-Eと1-Fの女生徒は二手に分かれて列を作っていた。
その列の先頭には、二人の担当教員がいる。
一人は1-F担当教員、お馴染みの赤ジャージ姿のマグナ。彼女は片手で竹刀を地面に突き、残る片手で口元を押さえて欠伸をしていた。
「ほな全員揃ったようやし、始めよっか」
もう一人は1-Eの担当教員。
同じく体育教員である彼女は、対照的に青ジャージを着込んでいた。
ウニのように跳ねる黒髪の短髪。次に特徴的なのは狐目。美人とは言い難いが、毒気がなく近寄りやすい顔つきだ。
1-Eを統率する体育教員――白石真帆は講義を始めるにあたり、まず女生徒に注意を促した。
「これから、みんなお待ちかねの魔法実技なんやけど、気ぃ抜くな。最初が肝心やねん!」
「ふあーあ。二人もいらねえだろ、体育教師」
目元に涙を浮かべて大欠伸する同僚に、白石はローキックを叩き込む。
「痛……っ! 何すんだ、白石!」
「自分がそれじゃあ、締まらんやろ。気合入れえや、気合」
舌打ちすると、マグナは小声でつぶやく。
「ったく。これだから旧態依然の根性論者は」
眉間をピクピクと動かしながらも、白石はその言葉を聞き流した。
「まずは魔法弾の撃ち放しや。派手に行こか」
白石の号令に従い、七十四名の女生徒が移動する。間口30m×奥行き45mのフロアの壁際に横二列で並ぶ。前列に1-E、後列に1-Fが並ぶ形だ。
「まず魔法弾知らん奴は手ぇ上げ。恥ずい言うんはなしや。みんな最初は素人やねん」
おずおずと一人が手を上げた。白石の隣にいる教員だ。
「って、マグナかーい。定番のボケかますなや!」
「いや、合図に合わせて、お前が手ぇ挙げろって言ったから」
「ボケ殺しか、そしてネタばらしか!」
大受けとまではいかないが、教員漫才はぽつぽつと笑いを誘う。これで場が和んだのか、女生徒の手が少しずつ上がった。白石は、上がった手を指さしながら数えた。
「ひい、ふう、みい……たくさん」
「単なる馬鹿かッ!」
マグナが上段から容赦なく殴ると、たたらを踏んで白石が避ける。彼女のこめかみから頬へ一筋の汗が流れ落ちた。
「危なっ! マグナのはツッコミやない。それ単なるどつきや」
「……ちっ」
「舌打ちすな!」
二人のコミカルな遣り取りに、思わず笑みをこぼす女生徒が増えていく。コミカルに進む講義を目にし、命は感嘆の息を漏らした。
(今、手を上げた人なんて、きっと誰も覚えていないのでしょうねえ)
白石とマグナの漫才劇は、巧みに人の視線を誘導している。下らなくもインパクトのある二人に、集団は意識を奪われていた。
これは参考になると、命はその技術をじっと見つめる。
「ほな、まずは見本といこか」
白石が人差し指を立ててから、一秒後。
黒い靄を成形した魔法弾が発現する。
(なっ、速い……っ!)
魔法少女にとって、魔法弾は基礎にあたる射撃系統の魔法だ。東西問わず変わらぬ基礎であるからこそ、白石の凄さはわかりやすかった。
その速さもさることながら、球体の滑らかなフォルムもお手本に相応しい。大多数の女生徒は、その芸術的な魔法弾に目を釘付けにしていた。
「これが魔法弾や。自分の魔力を粘土みたいにコネコネしてボールを作るイメージやな」
「これが出来ないなら退学した方がいいぞ、マジで」
「使い方は……こないな具合や」
ガンッ! と側頭部に黒い魔法弾が直撃し、マグナが演舞場の床を転がる。女生徒の血の気が引くなか、白石は構わず説明を続けた。
「ウチのは【呪術弾】言うんやけど、種類によってちゃうねん」
白石は、代表的な五種類の魔法弾の名前を挙げた。
東属性の【呪術弾】
風属性の【風衝弾】
火属性の【紅蓮弾】
水属性の【水泡弾】
土属性の【石塊弾】
「まあ例外もあるんやけど、このぐらいやな。名前で大体の検討はつくやろ」
ファンタジーのド定番である四大元素の登場に、外部入学の西洋魔術師は大いに沸き立ったが、反対に東洋魔術師側の反応は芳しくなかった。
黒い靄というのが、あまりにも神秘性に欠けたからだ。
(【呪術弾】って……名前も不吉すぎる)
この魔法を愛用していた命とて、少し距離を置きたくなる正式名称だ。清廉潔白な自分の印象には似つかわしいと、命は珍しく技名に心中でケチをつけた。
「まあ、習うより慣れろの精神や。全員、魔力のこねこね開始や!」
白石の合図を皮切りに、女生徒たちが一斉に魔法弾の成形を始める。属性による色から、その形や大きさまで千差万別。色とりどりの個性が宙に浮かんだ。
「わわわっ、危ない!」
「きゃあ、何ですの!」
パンッ! と甲高い音が鳴る。
宙を流れた二つの魔法弾がぶつかった瞬間、相殺現象が起こったのだ。
「ちょ、ちょっとこっち来ないで!」
「そんなこと言われても!」
「どいて、お願いだから、そこどいて~!」
ひとたび魔法弾が衝突すると、その余波を受けて、次々と女生徒がよろめき、ぶつかり、魔法弾を衝突させ……きゃあきゃあ、と絶え間なく黄色い悲鳴が続いた。
色とりどりの魔法弾が玉突きをする様は、まるでパズルゲームのよう。那須がつい不思議な魔法を唱えてしまうほどだ。
「あの……ファイヤー」
礼儀に則り、命もアイスストームと返す。
混乱する場を難なくすり抜けるリッカは、その二人の遣り取りを不思議そうな顔で見つめていた。
「手前、水属性の魔法少女じゃないだろ?」
「これはそういう儀式なのです。言っている場合じゃないのですが」
サンダーの返し言葉が来ると、命は律儀にブレインダムドと言葉を繋ぐ。連鎖する度に続く謎の応酬は、最終的に「ばよえ~ん」と気の抜けた言葉になった。
謎の言葉遊びにつられて、逃げ惑う乙女たちも「ばよえ~ん」と真似をする。魔法弾が破裂するなか、謎のワードが蔓延する奇妙な状況が数分ほど続いた。
(ふう、なんとか逃げ切りましたね)
妙な達成感を得ながら、命は汗を拭う。
演舞場の一件から、【呪術弾】が操作のコツを掴んだことが役に立った。
「ああ、今のが相殺や。魔力の属性が異なる、同程度の魔法やと起こる現象や。いい機会やから覚えとき……なんてな」
白々しく謝ると、白石は愛嬌のある顔で笑う。
密集地帯で一度に魔法弾を発現させたのだから、誰の目から見ても確信犯だった。
「うははは。ちょっとしたジョークやんか。そない怒らんといてや。見事に魔法弾を割らずに残ったもんは、おめっとさん。何もあらへんけどな」
連鎖する相殺に巻き込まれながらも自分の魔法弾を守り切った生徒は、十五名ほどいた。上々の出来だと白石は笑顔で頷く。
なかでも彼女の目を引いたのは、自分と同じ東洋魔術師だった。
1-Eの生存者が全員西洋系魔術師なのに対して、1-Fの生存者には四人の東洋魔術師が含まれていた。その結果を白石は嬉しく思う。なんや活きの良いのがおるやんと。
「どうよ白石、我が1-Fの女生徒は」
「言うとくけど、総人数はウチの方が上やで」
板張りの床に寝そべったまま、マグナは白石に自慢気な顔を向けた。
自分の教え子を自慢したい気持ちは白石にもよくわかる……よくわかるのだが、そのドヤ顔があまりに苛つくので【呪術弾】を射出した。
「のわっ、危ねえ!」
マグナが華麗にローリング回避を決めた、と思ったのも束の間。逃さず彼女を追尾した【呪術弾】が着弾。逃走むなしく無慈悲な二発目が入った。
(……今の軌道は)
まるで命が知る【呪術弾】とは違う。
うねる蛇のような動きに命は目を見張った。
「アホは置いといて、先行くで。みんなウズウズしてるころやろ?」
準備運動を終えたところで、次は本格的な撃ち放しに移る。白石の声に従い、前列1-Eの女生徒が45m前方の壁を見据えた。
「撃ち方――始めッ!」
色とりどりの無数の魔法弾が飛び立った。縦でなく横へ広がる花火大会のような光景に、後列の1-F女生徒が声を上げる。
「……たまやー」
隣の那須が小さくつぶやくと、命も続けて「かぎや」と小声で返す。二人は顔を見合わせてクスリと笑う。1-Fでこの言葉がわかるのも二人だけだ。
(それにしても、一人だけ桁が違いますねえ)
あれだけ無数の魔法弾が飛べば、数に飲まれて個性を殺されることもあり、多少の出来、不出来は気にならない。
だが、そのなかでも異彩を放つ者はいる。
淡々と撃ち続ける風の魔法弾――【風衝弾】は一線を画す。大気を切り裂き、周囲を飛ぶ魔法弾を蹴散らし、壁へと着弾する。その激しい着弾音は周囲をざわつかせた。
すらりと長い脚を肩幅に開いた姿勢といい、彼女の撃ち放しには華があった。
「あの人……カフェにいた」
「ええ、私の友達です。那須ちゃんも仲良くしてくれると嬉しいです」
「あの……ちょっと怖い」
人見知りがちな那須の言葉に苦笑していると、あっという間に花火大会は終わり、今度は命たちが打ち上げる番となった。
「おっしゃあ、1-F前列に出ろ。テメエら1-Eに負けたらタダじゃおかねえぞ」
マグナの激励に応えることもなく、1-Fは淡々と前列と交代して前に並んだ
「なーにがタダじゃおかないよ。普段ロクに講義もしない教師が」
「ねー、生徒は教師の玩具じゃないっつーの」
付近の女生徒の陰口が耳に入るも、命は特にマグナを庇うような真似はしなかった。担当教員の講義が適当なのも、まあ事実である。
(個人的に助けられているので、私の好感度は高いのですがねえ)
意識切り替え、命は演舞場の壁を見つめる。
黒水晶の瞳には、竹刀を高く掲げるマグナの姿が映った。
「撃ち方――始めッ!」
竹刀が床を叩く音を契機に、1-F女生徒の一斉放火が開始された。
演舞場の壁めがけて魔法弾が炸裂する光景は1-Eと変わらないのだが、圧倒的な存在感を放つ者がいないためか、その絵は華に欠けた。
そのなかでも、特に周囲の期待を裏切ったのが命だ。1-Eの女生徒は噂の黒髪の乙女に注目を集めていたのだが、
「あれが黒髪の乙女ですか」
「なんと言いますか……ええ」
「前評判と比べますと、その」
微妙。その一言に尽きた。
(ええい! 放っておいて下さい!)
別段、命の腕が悪いわけではない。
が、それはあくまで外部入学生レヴェルでの話である。
「……悪くはないのですが」
「内部進学組にはあの程度はザラですしねえ」
「むしろ、東洋魔術師で言うならあちらの方が」
1-Eの面々が次に顔を向けたのは、勝ち気な表情で吠え立てる魔法少女だった。
「さあ、ガンガン行くヨ!」
頭の左右のお団子を揺らしながら、小気味良く黒い魔法弾を連射する人物――李=紅花が注目を集めていた。
(あっ、中華組の一人)
命と那須の前列に座る、二人が密かに『中華組』と呼ぶうちの片割れだ。紅花の隣に座るもう一人も彼女の隣にいるようだった。
「もう紅花、私の足踏んでる!」
隣の陳=小喬は頭頂部のお団子を揺らし、控えめに抗議する。
「許すヨ。私と小喬は友達。つまり何の問題もないヨ!」
「もう……紅花いつもそれっばっかり」
もう慣れたとばかりにため息を付くと、小喬は【呪術弾】の撃ち方を再開したが、すぐに紅花が中断しに入った。
「全然ダメヨ! 小喬のは違うヨ。その呪術弾はまがい物ヨ!」
「それは言い過ぎじゃ……きゃっ」
見かねた紅花は小喬の後ろに回り、手取り足取りレクチャーを開始し始めた。紅花は時とか場所とかを、あまり気にしない人種だった。
「魔法弾作るときは、もっとグワっと行くヨ。そんな控え目に作ってどうするヨ!」
「グワとかわかんないよ。もうやだー」
涙目で訴える小喬の意見は通らない。
紅花の勢いに押されて、彼女はあやつり人形となっていた。
(ああ、陳さん可哀想に)
1-Fの大半が命と同じ感想を抱いたが、誰一人として助けには入らない。あれが紅花と小喬の関係なのだと、みんな割り切っていた。
「違う……もっとこう」
ブツブツ言う声に誘われ、命は隣の小柄な魔法少女に目をやる。見られた那須は魔法弾の撃ち放しに集中しているようで、まるで視線に気づいていなかった。
「そうじゃなくて……こう」
那須が放つ【呪術弾】は奇妙な軌跡を描く。グニャリと曲がったと思えば、反対に折り返す。拙くも白石が撃った二発目を彷彿とさせた。
紅花が撃ち方を止めたこともあり、1-Eの視線は那須へと集中し始めた。奇妙な魔法弾の軌跡を目で追いかけ、彼女たちの目は同時に止まった。
(魔法弾が――止まったッ!)
一秒にも満たぬわずかな時間。
那須の【呪術弾】は一度停止してから、壁に着弾した。
その芸当に小さく感嘆の声が上がった。
(そうですよねえ……彼女もまた)
才ある者だと、命はツバを呑む。
そうして気を取られた一瞬の間のことだった。
ズガン――ッ! と鈍く壁を叩く音が響いた。
「何ですの、今のは!」
「本当にあれが同じ魔法弾なのですか!」
騒ぎ出す集団を一瞥してから、射手は苛立たし気に吐く。
「東洋人風情が。調子に乗るなよ」
空色の髪を豪快に後方に持ってきた少女は、不満気に唇の先を尖らせる。はじめに中華組を、次いで命と那須を睨み、顔を横に振った。
(やっぱりこの人とは、仲良くなれないな)
1-F西洋魔術師の中心人物――イルゼ=ヴェローゼ。
命は彼女のことを苦手としていた。とにかく自分を場に置きたがる厄介な性格には、彼にしては珍しく悪感すら覚えていた。
「よく見てろ。誰が一番か」
イルゼが放つ水の魔法弾――【水泡弾】はごぽごぽと気泡が登らせながら、演舞場の壁めがけて飛ぶ。そこまでは普通だったが、イルゼの魔法弾は途中で形を歪めた。
(空気抵抗? いや意図的に変えている)
槍状に変化した直後、水は凍り付く。
氷槍が壁に衝突し、再び演舞場に大きな音を立てた。
集中する視線を感じ、歓声を聴き取ると、イルゼは誇らしげに笑みを浮かべた。
「撃ち方――止めッ!」
マグナが竹刀で床を叩くと、1-Fの女生徒は反射的に手を止めた。終了の合図が出たからではない。その怒声と双眸に恐れをなしたからだ。
「イルゼ……こっち来い」
「なによ、人が良い気分で撃ってたのに」
苛立たし気な様子を隠しもせず、イルゼは怒気をまき散らすマグナの前に出た。
「……最初に言ったよな。魔法弾の撃ち放しだってな」
「なら別に問題ないじゃない。私が撃ったのは魔法弾だし」
自分には否がないと言い切るイルゼに、マグナは竹刀を向けた。
「あたしの目は節穴じゃねえ。あれは魔法弾を支点とした【氷の槍】だ。一丁前にルール破るんじゃねえ」
「へえ……わかるんだ」
イルゼは挑発的に声音で言う。
「見る目はあるんだ。魔法が使えない、元魔法少女さんでも」
燃料を投下し続けるイルゼの目前には、鬼が立っていた。今にも血管をぶち切り、飛びかかりかねない、危険極まりない鬼が。
「……へー、面白えじゃねえの。あたしに喧嘩売ってんだよな?」
「こういうときだけ教師面すんの止めてくれます。あと汗臭いから近寄んないで」
顔を背けるイルゼは、1-F内でマグナに不満を持つ生徒の筆頭格だった。1-Fで彼女の考えに同調する生徒の数も、少なくはなかった。
(心情的には、恐らく半数は彼女の味方ですか)
一触即発の空気を醸す二人だったが、白石が間に割って入った。
「まあまあ、喧嘩すんなや。マグナも教師やろ? イルゼとかいうのも頭下げろ。それで終いでええやん」
平和的な幕切りに入った白石だったが、その好意を踏みにじられた。イルゼは平然と舌打ちをし、小声で不満を漏らした。
「っち、うるせーな」
「おい……待てよイルゼ」
「はーい。反省してまーす。これで満足か、不良教師?」
背中を向けるイルゼと鬼の形相で睨むマグナ。
周りが固唾を呑んで二人を見守るなか、一限終了の鐘の音が鳴り響いた。




