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魔法少女の狭き門  作者: 朝間 夕太郎
1週間チュートリアル ―女学院編―
32/113

第32話 カフェ飯は騒がしい空気のなかで

 命がリッカの違和感に気づいたのは、初対面のときからだった。


 

 なんで――左手を使わないのか。


 

 はじめ、命はリッカがひどく物臭なのかと思っていたが、その勘違いもすぐにひも解けた。


 文庫本を片手で開き、本を伏せてから同じ手でコーヒー啜る。その仕草に違和感を覚え出すと、リッカの所作すべてが怪しく見えた。


 女学院に通う者が通学かばんも持たず、なぜ文庫本やカードをポケットに乱雑に突っ込んでいるのか。


 演舞場でルバートの火炎が迫ったときには、どうして一点に立ち尽くしたまま動かなかったのか。それは、余ほど魔法の腕前に自信があるからなのか。


 左拳を振るったときの不自然な体勢は、単純に喧嘩慣れしていないだけなのか。


 それら全ての疑問は――左腕をかばう際に生じる違和感だった。


 優雅にコーヒーを啜るときも、よれよれの文庫本をめくるときも、500イェン硬貨をコイントスするときも、手打ちの証にハイタッチするときも、リッカは決まって右手しか使わなかった。


「貴方は、なんで右手しか使わないのですか」


 念を押すように命が尋ねるも、二人の時間は動かない。ブルーマウンテンの白い湯気だけが揺れる。店内を流れる洋楽を聞き流し、ただ返答を待った。


「……そうだよ」


 リッカは弱々しい声で切り出し、だんだん口調を強めていく。


「あたしは左腕が折れてる。それで――それがテメエに何の関係がある」


 鋭さを増す鷹の目が、命を一歩遠ざけた。

 人のことを『手前』と呼ぶリッカが初めて命のことを『テメエ』と呼んだ。それは拒絶の意志であり、その言葉に命は突き飛ばされた気すら覚えた。


 

 ――それ以上、踏み込むな。


 

 リッカの警告のサインを前に、命は彼女の身を案じるので精一杯だった。


「せめて、固定した方が良いですよ。変な風にくっついてはことですから」

「……考えておくよ」


 少し癖のある緑色の前髪をいじり、目を背けたままリッカは述べた。


「心配してくれて、ありがとう」


 それが不器用な少女なりの精一杯の感謝だった。遠ざけても、突き放しきれないリッカの優しさに触れ、命は適度に距離を置くほかなかった。


(これ以上は、止めておきましょう)


 リッカのために、何よりも自分のために、下手を打つことはできなかった。一度は決着がついた女装問題を蒸し返すことにもなりかねない。


「そうですね。無駄話が長くなりましたが、本題に入りましょうか」


 折れた左腕から目をそらすように、命はリッカの妹の探索の話題を振る。

 二人はぎこちないながらも会話を再開した。ただ淡々と、事務的な会話を重ねていった。


 2限終了の鐘の音が響くころ。大方の捜索方針を決めた二人は打ち合わせを切り上げ、カフェ・ボワソンの昼食メニューを眺めはじめた。


「なにか、オススメとかありますかねえ」

「全部美味しいよ」


 あてにならない。そう判断した命がメニュー表に目を戻すと、聞き慣れた声が耳に入った。


「はっ、はやーい! 独走で最終コーナーを曲がる悪のカリスマは、サラマンダーよりずっとはやい!」


 実況ごと近づいてくる気配に、リッカが心底ウンザリした表情でつぶやく。


「おい……間違ってもこっちには来るなよ」


 しかし、その願いは叶うことはなかった。女神の祈りも虚しく、足音は大きくなる。


(……この声は)


 静かに燃えるような朱色のショートヘアに、猫にも似た好奇心の強そうな濃褐色の瞳。早足で飛ばす彼女は、ゴールテープを切るように店内に突入してきた。


「私、感動のフィナーレ!」


 昨日、散々演舞場を燃やした魔法少女――ルバート=ピリカが入店すると、リッカが盛大に舌打ちを立てて出迎えた。


 それから、しんと店内は静まり返った。

 店内には会話ひとつない。カフェにいた面々は、昨日の騒動を忘れていなかった。


「ったく、急に走りだすなよ。意味わからん」

「はあ……ピリカ……早いよお」


 不健康そうな細身の少女と、対照的に太めで横広な少女。凸凹コンビが続けて後ろから現れると、嫌でも昨日の騒動の印象が強まる。


「こんにちは。お昼の悪のカリスマです」

「帰れ」


 のらくらと挨拶したルバートを、リッカが一言で切り捨てた。


 カフェ・ボワソンの女神は、決して昨日の一件を許したわけではない。

 強い怒気を孕んだ視線で、ルバートを睨みつける。溢れ出た怒りは風の魔力となって漏れだし、柔らかな癖っ毛を揺らした。


「あれだけ無礼を働いておいて、どの面下げて来やがった」


 大気がざわめくなか、命の頬を一筋の汗が伝った。リッカの【竜巻(トーネード)】に乗った命にとって、それは身体に刷り込まれた恐怖であった。


「くくくっ、どの面さげてねえ」


 一方で、ルバートは不敵な笑みを浮かべていた。

 【竜巻】慣れしているという面もあるが、彼女には足を動かす強い意志があった。


 ルバートは一歩、また一歩と足を進め、やがて目的の人物の前で立ち止まった。


「んー、私かな?」

「イエス、貴方」


 カフェ・ボワソンの女店主が眉をひそめ自分を指さすと、ルバートはそれに頷き肯定した。

 そして彼女はリッカの問いに行動で答える。あらん限りの誠意をこめた顔で、頭を下げた。


「昨日は大変すいませんでしたあー!」


 先頭のルバートに習うように、二人の友人も続いて頭を下げた。体育会系の部活を思い起こさせる謝罪に、女店主はポカンと口を開けていた。


「……いや、今後気をつけてくれれば良いよ」

「その心遣い痛み入ります」


 ルバートは親指と中指の腹をこする――俗にいう指パッチンで甲高い音を立て、収納魔法【小袋(ポケット)】を行使した。


 空間に開いた穴から、ルバートは紙袋を一つ取り出す。なかには綺麗に梱包された菓子折りが見えた。


「お口に合うかわかりませんが、ウチのお菓子です。どうぞお受け取り下さい」

「ああ、ありがとう。美味しくいただくよ。けど、一つだけな」


 それは正しい謝罪だったが、女店主はそれを良しとしなかった。子供からそのような謝罪を受けることを、女店主のなかの大人な部分が許さなかった。


「貰いっぱなしは悪いからな。なんか食ってけ」


 行儀良くなと、付け加えて背を向ける。

 客足が増え始める時間帯に備えて、女店主はキッチンへと歩き出す。


「店長、今日も格好いい!」

「バーカ。年がら年中格好いいわ!」


 金髪碧眼のウェイトレスが、わたわた接客に励む。要領の悪い彼女が慌て出すのが、この店が混み始めたことを告げるサインである。


 ウェイトレスの頭を優しく叩き、女店主は裏方に戻っていった。


「マスターに感謝しとけ、ボケナス。邪魔だからさっさと座りな」


 マスターに負けず劣らず甘い女神も、さらっとルバートを客扱いした。


 この店の主が認める以上は仕方がない。

 不本意ながらも受け入れる、不本意ながらだ……それがリッカの言い分である。


 不器用な優しさを持つ二人を眺め、くすりと微笑んでから、命は提案する。


「良ければ、こちらでご一緒しませんか」


 最後にお人よしが誘いをかけると、ルバートはぶわっと涙腺を崩壊させた。


「うおおおおおおおおおおおおおお、心の友よ!」


 黒髪ポニーを倒して、ダークホース計画――通称、黒ホス計画。


 紆余曲折を得たそのずさんな計画は、最終的にルバートに笑顔を取り戻す結果に終わった。


 仮面でもなければ、演技でもない。

 ただ自然とこぼれる笑みは、ルバートにとって懐かしくもある。涙に濡れる、その屈託ない笑顔は、夢を思い出した一人の少女の素顔だった。


 二人の親友に見守られながら、ルバートは命たちのテーブルに子供のように駆けていった。


 


     ◆


 

 命たちのテーブルは、途端に騒がしくなった。

 カフェ・ボワソンの雰囲気にそぐう食事風景とは、とても言えないものだった。


「ったく、変な奴を誘うなよ、命。あたしまで一味だと思われるだろ」

「ウェルカムトゥ、ルバート一味。くくくっ、まずは掃除でもして貰おうか。目つきの悪い下っ端くん」

「……手前から掃除してやろうか」

「昨日勝てたから今日も勝てるなんてのは、都合が良い幻想だな。なあリッカ」


 リッカとルバートは、食事中もしゅっちゅう火花を散らしていた。命はときにやる気のないクルトの助力を借りつつ、二人を宥めた。


 そうしている間に、気づけばテーブルに料理が並でいた。誰かが気を利かして注文をしたのだと、命がその気遣いに感謝したのも束の間のことだ。


 春の彩りキッシュ、耳つきサンドウィッチ、アボカドサラダ、ナシゴレン、チキンチャップ。ポテトグラタン、豆腐サラダ……etc。


 大量の料理がテーブルを埋め尽くしていく。

 最初こそカフェ・ボワソンのメニューを楽しげに眺めていた命の顔も固まっていた。


「オーダーストオォォップゥゥ!」


 リッカとのいがみ合いを中断し、慌てて巻き舌気味にルバートが叫ぶ。所狭しと並んだ料理を頼んだ犯人が誰なのか、彼女にはすぐわかった。


「ええ……まだいけるよお。ピリカ」

「ここは私の顔を立ててくれ、コメリン。後でハンバーガーセットを買ってやるから」


 犯人は、片っ端から料理を口に放るドドスだった。

 前菜、主食を織り交ぜた注文がデンと並ぶテーブル。その膨大な量の注文に命は苦笑いを浮かべたが、何よりその被害を受けたのは、ウェイトレスだった。


「えっと、サンドウィッチがケチャップまみれで、ブルーマウンテンですね。かしこまりました」

「店員さんが、壊れている!」


 怒涛のDos攻撃にさらされたウェイトレスが、硬い笑顔でキッチンへ戻る寸前だった。ぷしゅー、と頭頂部から煙を蒸す彼女を、慌てて命が引き止めた。


「大丈夫です、全部いりませんから!」

「ええっ、お代はいただかないと」

「そっちですか! お金なら払いますから、正気を取り戻して下さい」

「いや、さっきいらねえって、店主言ってただろ」


 クルトがそう冷静に告げると、ウェイトレスは、ぽんと丸めた右手を左の手のひらに落とした。心なしか落ち着きを取り戻したようで、顔が和らいだ。


「やった。助かりました。さっきから料金計算してなかったんですよね」

「貴方、本当にウェイトレスですよね!」


 てとてと走り去るウェイトレスの先には、青ざめた顔をする女店主の顔がちらりと見えた。彼女の心情を汲み取るには、あまりありすぎる。それだけ店内にはひどい要素が溢れていた。


 頼みの綱とばかりに命がリッカを見ると、そこには本の世界へ逃走する者がいた。文庫本を広げたリッカは、小うるさいルバートの会話を聞き流していた。


(ああ、あの閑静なボワソンの雰囲気が)


 命たちはまだ良い。内輪の問題だと笑えるが、他の客は不快に思っているのではないか。そう考えて不安げに周囲を伺うと、客の反応は予想と違った。むしろ好意的ともとれた。


「ああ、リッカ様が睨んでいる」

「見てください。ウェイトレスを労っていますわ」

「頭ナデナデ! 私は無給でもここで働きます!」


 女生徒がボリュームを抑え気味に騒ぐ。

 普段の静かな佇まいと、まるで異なるカフェ・ボワソンの女神の姿を心のフィルムに焼き付けようと、熱い視線を注いでいた。


 ぶるりと、命は身震いをする。

 この閑静なカフェに何かが住み着いている気配。女学院に潜む闇を、垣間見た気分だった。


 昼食どきのラッシュに合わせて、カフェ・ボワソンはより混迷を極めていく。潜む者の連絡網を通じて、ぞくぞくと女神の信奉者が集まる。


「女神がはしゃいでいますわ!」

「後生です。チャージ料金を払いますので、席を譲ってください!」

「S席は三,〇〇〇イェンからの販売になります」


 店外へと伸びる行列と野次馬の騒ぎは止まらない。当の話題の人物は、もはや諦めたように本の世界へトリップしていた。


「あー、そうだな。うん」

「聞けよテメエ。会話もできねえのか!」


 曖昧な受け答えをするリッカに食いかかるルバート。そんな彼女の裾をドドスが引いた。


「なあなあ、デザートなら注文しても良いかあ」

「あとでアイスを買ってやるから、耐えろ。今は我慢のときだぞ、コメリン」

「我慢してから食ったら旨いもんなあ。やっぱピリカってすげえなあ」


 ルバートが食欲旺盛な友人を諭すなか、ウェイトレスが料理を運んでくる。


「オニオンリングとオムライス、あと何かでーす」

「雑っ! 提供がびっくりするほど雑です!」


 煮込んだトマトで赤く染まる洋風麺のミネストローネスパゲッティ。通称『何か』を受け取る前に、命は気にかかっていたことを伝えた。


「この料理、頼んだ覚えがないのですが」

「もう店長が作っていたので、言い辛くて。美味しく召し上がってくださいね」

「ミスオーダーごまかす気、満々じゃないですか!」


 ウェイトレスが可愛く首をかしげて差し出す隠蔽品を、命は仕方なしに受け取る。


「さすが、リッカちゃんの友達だ。ちょろくて良い人だなあ」

「……もう少し、別の言い方ありませんか?」

「あっ、お飲み物は食前と食後どちらにしますか」

「貴方、食前(かこ)に飛べるのですか!」


「それでは食後に。かしこまり」と告げて、ウェイトレスは去っていった。


 突っ込み疲れた命は、ドドスに料理を差し出す。さあお上がりとばかりに与えると、食いしん坊少女は爛々と目を輝かせた。


「八坂はやっぱ良い奴だなあ」

「せっかくですし、美味しくいただきましょう」


 慌ただしい注文が落ち着いたところで、命はマルゲリータピザを切り分ける。いつ注文したか、むしろ本当に注文したか謎の注文品を八等分していく。


(綺麗に八つに切り分けられると、ちょっと嬉しくなりますねえ)


 その小さな幸せも、テーブルを叩く手に壊された。


「わっかんねえ奴だな、手前は!」

「いーや、この件については私が正しい。神に誓ってもいいかんな!」


 鏡写しのように両手を叩きつけ、リッカとルバートが立ち上がる。お互いに退く気はないのか、顔を突き合わせて言い争いを始めた。


「カーチェが頂点なんだよ。他の魔法少女と比べるのが、そもそもおかしいんだよ」

「いいや、もう全盛期過ぎただろ。断然若手のマグリアのが良いね!」


 カーチェとマグリア。

 その聞き覚えがない人物名を耳にして、命は首をひねる。一体なにを言い争っているのかと。


「カーチェとマグリアは、正規の魔法少女だよ」


 命の様子を察して、クルトが小声で説明する。自分は巻き込まれないようにひっそりと。


「要はアイドルだな、アイドル。どっちの推し面が優れているかという喧嘩だ」

「それはなんともまあ――」


 下らない、と言いかけた口をつぐむ。

 少なくとも本の世界から強制帰還するほどにリッカはこの話題に熱心であり、反論するルバートの表情も真剣そのものだった。


「つーか、単に手前が火属性だから、マグリア推しなだけだろうが」

「なっ……違うし。優れているからだし」

「嘘こけ、手前の速度重視の魔法なんて、もろマグリアのパクリじゃねえか!」

「それ言ったら、昨日のテメエの戦術だって、キッドのパクリだろ!」

「キッドは関係ねえだろうが!」


 へえと、命は感心して耳を傾ける。

 自分から見れば天上人である二人も、尊敬する誰かの真似をしているのだ。それを聞くと、二人が身近な存在に感じられる。


 ――ただ、その半面で。


(あの二人が、尊敬する人物とか)


 それは、余ほど化け物じみた連中なのではないか。命は背筋を寒くしたが、それも一瞬の感情だ。

 自分には関係ない話題だと切り捨てて、グラスの水を桜色の唇に運ぶ。


「命はどっちだ!」


 無関係だと命が油断していると、グイッとリッカの顔が近づく。黒髪の乙女は危うく水を吐きかけた。


「カーチェとマグリア、どっちが良いと思う」

「当然マグリアだよな」

「手前は黙ってろ!」


 先んじたリッカに続く形で、今度はルバートが顔を近づけてくる。頬をぶつけながら迫る二人には鬼気迫るものがあり、異国のアイドル事情なんて知ったこったないと、命が気軽に言える状況ではなかった。


(これは……どちらが正解なのか)


 恐らくこの手の問題に正解はない。

 そう直感でわかるからこそ、命は困る。どちらを選ぶか困り果て、食いに走る彼女へと振った。


「ドドスさんは、どちらが好きですか」

「んあ。どっちでも良いんじゃないかあ。この店の料理すげえうめえなあ」


 パスタ吸い込み機と化したドドスが適当に返答した瞬間、ボウと導火線が燃える音がした。命とクルトは、わずかに椅子ごと身を引いた。


「ああん。どちらでも良いだと!」

「さすがにそれは聞き捨てならんぞ!」


 魔法少女オタクの魂に火がついた。

 両サイドから熱く語る彼女たちにドドスは困惑の色を浮かべるもお構いなし。二人の熱弁は燃え上がる一方だった。


(……ああ可哀想に)


 命は安全圏からその様子を眺めていた。

 右隣にいるクルトも助ける気はなさそうだ。彼女もちゃっかり安全圏にいる。


「私たちは何も見なかった。そうだろう?」

「貴方とは気が合いそうですねえ」


 安全保障条約を結んだ二人は、騒がしいカフェの喧騒をBGM代わりに静かに昼食を再開した。

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